阿武隈急行線
阿武隈急行線 | |
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8100系電車 (2005年4月26日、南角田 - 角田間) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 福島県、宮城県 |
起点 | 福島駅 |
終点 | 槻木駅 |
駅数 | 23駅 |
開業 | 1968年4月1日(国鉄丸森線) 1986年7月1日(阿武隈急行移管)[1] 1988年7月1日(全通) |
所有者 | 阿武隈急行 |
運営者 | 阿武隈急行 |
使用車両 | 8100系 |
路線諸元 | |
路線距離 | 54.9 km |
軌間 | 1,067 mm |
線路数 | 単線(福島駅-矢野目信号場間は複線) |
電化方式 | 交流20,000 V・50 Hz 架空電車線方式 |
最高速度 | 95 km/h |
停車場・施設・接続路線 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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凡例 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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阿武隈急行線(あぶくまきゅうこうせん)は、福島県福島市の福島駅から宮城県柴田郡柴田町の槻木駅に至る、阿武隈急行が運営する鉄道路線である。旧日本国有鉄道特定地方交通線および日本鉄道建設公団建設線であった丸森線(まるもりせん)を引き継いだものである。第三セクター鉄道としては初の全線交流電化路線である。
地元では「あぶきゅう」の愛称で親しまれている。
目次
1 路線データ
2 歴史
2.1 年表
3 運転
4 利用状況
4.1 輸送実績
4.2 収入実績
5 駅一覧
6 脚注
7 参考文献
8 関連項目
9 外部リンク
路線データ
- 管轄(事業種別):阿武隈急行(第一種鉄道事業者)
- 区間(営業キロ):福島 - 槻木 54.9km(福島 - 矢野目信号場間 (4.7km) は、東日本旅客鉄道(JR東日本)東北本線にも属する二重戸籍区間)
軌間:1067mm- 駅数:23駅(起終点駅含む。ほかに信号場1)
- うち社員配置駅は福島、保原、梁川、丸森、角田の5駅
- 複線区間:福島 - 矢野目信号場 4.7km(上記参照)
- 電化区間:全線(交流50Hz・20,000V)
閉塞方式:単線自動閉塞式(福島 - 矢野目信号場は複線自動閉塞式)
保安装置:ATS-Ps
第三セクター転換時に有効長が短縮されたことや一部駅の交換設備設置が見送られた影響からか、ポイント型の不自然な曲線や駅構内・周辺の空地があちこちに存在する。
福島駅と槻木駅で東北本線と接続していて、一部列車が槻木駅から東北本線仙台駅まで乗り入れているが、同じように同駅に乗り入れを行っている仙台空港アクセス線と異なり、線内でSuicaなどのICカードの使用はできない。なお、あぶくま駅 - 丸森駅 - 角田駅 - 槻木駅間で仙台まるごとパスが利用できる。
歴史
阿武隈急行線は部分開業していた国鉄の丸森線を、沿線自治体が設立した会社が継承して全線開通させた鉄道路線である。その建設の過程から運営主体の移管までは紆余曲折があった。
現在の東北本線の前身に当たる日本鉄道は、明治時代の中頃に東京から青森に向かって鉄道路線を敷設していった。福島から阿武隈川沿いの保原、梁川、丸森、角田を経由して槻木に至る、現在の阿武隈急行線に相当する経路は、福島県と宮城県の間の鉄道敷設に当たって検討されていたルートの一つだった。しかし最終的にこの経路は採用されず、日本鉄道は奥州街道沿いの、現在の東北本線の経路で鉄道を敷設した[2][3][4][5]。
その後、角田地方の有志が鉄道の誘致に向けて動き出し、1922年(大正11年)には鉄道敷設法で「福島県福島より宮城県丸森を経て福島県中村[6]に至る鉄道及び丸森より分岐して白石に至る鉄道」が規定されたものの、それ以上の進展はなかった[7][5]。太平洋戦争後になると再び鉄道誘致の運動が起こるようになり、宮城県の5町12村が「伊具鉄道貫通期成同盟会」を、福島県の4町17村が「阿武隈川鉄道敷設同盟会」を結成して、地元選出の国会議員を通じて国に働きかけを行った[7]。この頃、輸送量の増加に伴って、東北本線の福島県内、特に福島駅前後の急勾配の介在する区間が鉄道輸送上の隘路となり、上野と仙台以北を結ぶほとんどの優等列車は勾配の緩い常磐線経由で運転されていた。東北本線自体の輸送力増強も急務となってきており、勾配緩和の必要性もあった。改正鉄道敷設法別表第27号に「福島縣福島ヨリ宮城縣丸森ヲ經テ中村ニ至ル鐵道及丸森ヨリ分岐シテ白石ニ至ル鐵道」として計画されていた予定線のうち、阿武隈川に沿う部分が迂回路として注目され、1953年(昭和28年)8月に第21号の2「宮城縣槻木附近ヨリ丸森ニ至ル鐵道」が予定線に追加された。
その後、この予定線は1957年(昭和32年)に経済調査線となり、1959年(昭和34年)には建設線となった。宮城、福島両県の計画沿線上の自治体は足並みを揃えて鉄道敷設を促進する運動を続け、この年に「丸森線敷設促進期成同盟会」を結成し、1962年(昭和37年)にはこれに福島市が加盟した[8]。建設線に移行して実現に近づいた丸森線だったが、一方で東北本線の複線化と電化は部分的に進捗しており、これとの関連を調査の上で審議するという付帯条件を付けられていた。これは、福島から槻木までの区間を、東北本線と丸森線のどちらかを幹線として整備するか検討するという事を意味し、この時に宮城県白石市は白石付近の東北本線の支線化を恐れて、東北本線の幹線機能維持運動を行った[9]。しかし、東北本線の輸送力は逼迫しており、国鉄は1960年(昭和35年)に東北本線の福島から仙台までの電化に着手した[10]。
1961年(昭和36年)鉄道建設審議会は丸森線の着工を承認した[11]。丸森線は主要幹線に相当する「C線」とされ[12]、東北本線の輸送力強化のためのバイパス線として、1962年(昭和37年)に丸森線の起工式が行われた[13]。建設工事は1964年(昭和39年)から本格化し、1968年(昭和43年)1月には槻木から丸森までの区間がほぼ完成した。道床固めを兼ねて機関車が試運転を始め、次に建築限界測定車が走行した[14]。
こうして丸森線は1968年(昭和43年)4月1日に槻木から丸森まで部分開業した。ディーゼル機関車牽引の6両編成客車による、丸森6時23分発仙台行きが一番列車であり、丸森町長や仙台鉄道局の関係者によるテープカットの後、約700人の周辺住人に見送られて丸森駅を出発した。槻木でも10時過ぎに、当時の運輸大臣代理として運輸省国鉄部長黒住忠行、鉄道建設公団副総裁篠原武司、宮城県副知事山本壮一郎等が出席して祝賀列車の出発式が行われた。また、仙台に本社を置く新聞社河北新報は社機から紅白のパラシュートで「丸森線開通おめでとう」というメッセージを投下して、鉄道の開通を祝った[15]。一方、東北本線全区間での複線化と電化はこの年に完了した。
仙台鉄道局は丸森線の利用者数を1日当たり1300人から1700人と見積もっていた。実際には、開通当初の丸森線の1日当たりの利用者数は平均650人で、事前の予測を下回った。丸森から先の福島までの工事は続けられていたが、その進捗は遅滞した。事前の計画では丸森線は1971年(昭和46年)に福島まで全線開通する予定だったが実現せず、先行きは不透明だった[16]。
非電化の行止り線のままとなった丸森線の先行開業区間は、C線(主要幹線)規格が災いし、駅が市街地から離れているなど沿線からの集客が考慮されなかったことから、乗客数は伸びなかった。1971年(昭和46年)には営業係数が2404[17]となり、宇品線や根北線と共に「日本有数の赤字線」として鉄道ファンなどに知られていた時期もあった[18]。この頃、国鉄の経営赤字は深刻さを増しており、1980年(昭和55年)12月27日に国鉄再建法が施行されると、丸森線は1981年に第1次特定地方交通線として承認され、ほとんど路盤の完成していた建設線も工事が凍結された。この時、丸森線のレールは福島側の東北本線との分岐点である矢野目信号場まで残り800メートルという所まで敷設されていた。沿線の自治体は部分開業している丸森線の特殊性を訴えたが、国鉄は全線開通しても採算は取れないと主張してこれを切り捨て、丸森線の第三セクター鉄道への転換、もしくは鉄道線廃止によるバス転換は避けられない状況になった[19]。
福島、宮城両県と沿線の市町は第三セクター鉄道への転換を選択し、丸森線を引き継ぐ阿武隈急行株式会社を設立する事になった。この時に問題になったのが福島県内でバス事業や鉄道事業を営む福島交通だった。福島交通は丸森線の計画線沿線にバス路線を持ち、当初は利害関係が生じる鉄道の開通に否定的だった[20][21]。福島交通に対する説得は難航したが、福島交通が阿武隈急行の株式51パーセントを保有して筆頭株主になる事と、阿武隈急行が福島交通の社員50人を引き取る事の二つの条件をもって、福島交通が阿武隈急行に参加することになった[21]。東北の政商と呼ばれ福島交通を経営していた小針暦二が、同社のバス路線と競合する丸森線の全線開通に反対しているという噂があったが、1993年に渡米入院した小針への日本経済新聞紙とのインタビューの中で、「私が反対した。」と事実であることを認めている。
丸森線の真価は、全線開通してこそ発揮できるため、阿武隈急行側は全線開通後の開業を主張したが、結局、1986年(昭和61年)7月に丸森線先行開業区間をそのまま阿武隈急行線として、阿武隈急行独自の塗装に変更したキハ22形気動車5両 (148, 152, 159, 160, 162) を国鉄から借入れて営業した。また、線路規格をAB線(地方開発線・地方新線)に変更して中断していた工事を再開した。
阿武隈急行線の全線開通および電化は1988年(昭和63年)に完成し、これに合わせて新形式の車両8100系電車9編成18両が落成した。7月1日に開通を祝う式典が梁川駅で行われ、10時41分に槻木行きと福島行きの列車が同時に発車した。7月中の阿武隈急行線の利用者数は1日平均9261人であり、事前の予想を20パーセント上回る出だしだった。また、福島交通は阿武隈急行線に関連するバス路線6系統を廃止、3系統を減便、2系統を短縮、1系統を新設した[21]。
年表
1961年(昭和36年)5月12日 鉄道建設審議会において福島 - 槻木間(現在の当線の全線)が工事線に格上された[22]。
1964年(昭和39年)12月1日 槻木 - 丸森間(google マップ)の路盤工事に着手[22]。
1966年(昭和41年)9月30日 福島 - 丸森間(google マップ)の路盤工事に着手[22]。
1968年(昭和43年)4月1日 槻木 - 丸森 (17.4km) が丸森線として開業。横橋・岡・角田・丸森の各駅を新設。東北本線槻木 - 仙台間に乗り入れ開始[23]。
1981年(昭和56年)9月18日 特定地方交通線として廃止承認[22]。
1986年(昭和61年)7月1日 国鉄丸森線の槻木 - 丸森 (17.4km) が廃止。同区間が阿武隈急行の阿武隈急行線として転換開業[1]。横倉・南角田・北丸森の各駅新設、横橋を東船岡に改称。
1988年(昭和63年)7月1日 福島 - 丸森 (37.5km) が延伸開業し全線開通。卸町・瀬上・向瀬上・高子・上保原・保原・大泉・二井田・新田・梁川・やながわ希望の森公園前・富野・兜・あぶくま各駅を新設、矢野目信号場を新設。福島(矢野目信号場) - 槻木が電化(交流50Hz・20kV)され、全線電化完了[22]。東北本線・郡山 - 富野間で相互直通運転開始。
2000年(平成12年)
1月4日 日本鉄道建設公団国鉄清算事業本部から無償貸与されていた鉄道施設を無償譲渡される[22][24]。
3月11日 福島学院前駅を新設。
2005年(平成17年)12月10日 梁川 - 槻木間の一部の列車でワンマン運転を拡大。
2006年(平成18年)3月18日 梁川 - 槻木間のほとんどの列車がワンマン運転化。福島を早朝(5, 6時)に発着する列車と、日中の11-14時台に発着する列車がワンマン運転を開始。夜の槻木発の最終列車が金・土曜日・休前日に限り梁川駅まで延長される。
2008年(平成20年)10月30日 JRからの譲渡車A417系が富野 - 福島間の朝限定で運用開始、2009年3月16日からは平日夕方にも運用拡大。
2011年(平成23年)
3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生。地震直後から全線で運転を見合わせ[22]。
4月6日 梁川 - 保原間で運転を再開。なおサービス列車としての運行であり運賃は無料であった。
4月13日 梁川 - 富野間で運転を再開。引き続きサービス列車としての運行であり運賃は無料であった。
4月18日 瀬上 - 保原間と角田 - 槻木間が運転を再開。
4月28日 福島 - 瀬上間が運転を再開。
5月16日 富野 - 角田間が運転を再開。これにより、全線復旧[22]。
2016年(平成28年)3月26日 A417系定期運用離脱。5月28日の臨時列車で最終運行[25]。
運転
全列車が各駅停車であり、1時間あたり1 - 2本程度の列車が運行されている。福島駅 - 槻木駅間を直通運転する列車のほか、福島駅 - 梁川駅・富野駅・角田駅間および槻木駅 - 丸森駅・梁川駅間の区間列車が設定されている。また、朝夕の2往復は阿武隈急行の車両が東北本線槻木駅 - 仙台駅間に乗り入れる片方向直通運転を行っている。かつては東北本線福島駅 - 郡山駅間にも相互直通運転(JRの車両は455系または701系)を行っていたが、2004年3月13日の改正で廃止された。2008年3月15日改正以降、梁川駅・丸森駅 - 槻木駅間の仙台直通列車以外の全てと福島駅を早朝(5・6時)と日中の10時台後半から15時台に発着する列車がワンマン運転で運行している。
国鉄時代はわずか5往復しか運行されていなかった。
利用状況
輸送実績
阿武隈急行線の輸送実績を下表に記す。
表中、輸送人員の単位は万人。輸送人員は年度での値。輸送人員は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別輸送実績 | ||||||
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年 度 | 輸送実績(乗車人員):万人/年度 | 輸送密度 人/1日 | 特 記 事 項 | |||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 合 計 | |||
1986年(昭和61年) | 11.3 | 11.5 | 22.3 | 45.1 | 1,207 | 国鉄より転換・開業 |
1987年(昭和62年) | 16.9 | 22.0 | 30.9 | 69.8 | 1,391 | |
1988年(昭和63年) | 29.0 | 46.9 | 111.8 | 187.7 | 1,753 | 延伸開業・全通 |
1989年(平成元年) | 44.7 | 73.8 | 129.1 | 247.6 | 1,804 | |
1990年(平成2年) | 48.4 | 90.9 | 140.4 | 279.7 | 2,049 | |
1991年(平成3年) | 53.4 | 103.4 | 150.1 | 306.9 | 2,266 | |
1992年(平成4年) | 55.8 | 111.3 | 151.8 | 318.9 | 2,350 | |
1993年(平成5年) | 58.3 | 113.3 | 147.6 | 319.2 | 2,351 | |
1994年(平成6年) | 57.7 | 113.8 | 144.8 | 316.3 | 2,304 | |
1995年(平成7年) | 58.4 | 118.6 | 148.1 | 325.1 | 2,322 | |
1996年(平成8年) | 56.9 | 120.2 | 146.0 | 323.1 | 2,315 | |
1997年(平成9年) | 59.3 | 114.3 | 143.3 | 316.9 | 2,270 | |
1998年(平成10年) | 61.0 | 111.2 | 138.6 | 310.8 | 2,245 | |
1999年(平成11年) | 56.6 | 113.8 | 134.6 | 305.0 | 2,190 | 福島学院前駅開業 |
2000年(平成12年) | 54.2 | 117.3 | 139.0 | 310.5 | 2,176 | |
2001年(平成13年) | 54.3 | 116.8 | 134.7 | 305.8 | 2,140 | |
2002年(平成14年) | 52.6 | 112.8 | 131.2 | 296.6 | 2,060 | |
2003年(平成15年) | 52.1 | 109.7 | 126.9 | 288.7 | 2,000 | |
2004年(平成16年) | 54.0 | 104.9 | 123.7 | 282.6 | 1,930 | |
2005年(平成17年) | 53.5 | 104.4 | 123.8 | 281.7 | 1,926 | |
2006年(平成18年) | | | | 276.6 | | |
2007年(平成19年) | | | | | | |
2008年(平成20年) | | | | 268.4 | | |
2009年(平成21年) | 57.2 | 91.0 | 108.6 | 256.8 | 1,762 | |
2010年(平成22年) | | | | 240.3 | 1,685 | |
2011年(平成23年) | | | | 206.0 | | |
2012年(平成24年) | | | | | | |
2013年(平成25年) | | | | 258.5 | | |
2014年(平成26年) | | | | 259.4 | | |
収入実績
阿武隈急行線の収入実績を下表に記す。
表中、収入の単位は千円。数値は年度での値。表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別収入実績 | |||||||
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年 度 | 旅客運賃収入:千円/年度 | 運輸雑収 千円/年度 | 総合計 千円/年度 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定 期 外 | 手小荷物 | 合 計 | |||
1986年(昭和61年) | 44,075 | ←←←← | 72,096 | 1 | 116,172 | 9,024 | 125,196 |
1987年(昭和62年) | 36,759 | 35,929 | 99,257 | 0 | 171,945 | 10,858 | 182,803 |
1988年(昭和63年) | 72,057 | 86,738 | 426,032 | 0 | 584,827 | 24,661 | 609,488 |
1989年(平成元年) | 105,236 | 135,566 | 473,870 | 0 | 714,672 | 24,275 | 738,947 |
1990年(平成2年) | 113,911 | 168,578 | 503,139 | 0 | 785,628 | 26,914 | 812,542 |
1991年(平成3年) | 125,900 | 193,371 | 532,328 | 0 | 851,599 | 27,412 | 879,011 |
1992年(平成4年) | 133,166 | 211,596 | 554,314 | 0 | 899,076 | 43,525 | 672,941 |
1993年(平成5年) | 145,873 | 233,826 | 574,847 | 0 | 954,546 | 29,635 | 984,181 |
1994年(平成6年) | 143,265 | 233,441 | 564,071 | 0 | 940,777 | 28,560 | 969,337 |
1995年(平成7年) | 144,509 | 241,119 | 572,295 | 0 | 957,923 | 30,917 | 988,840 |
1996年(平成8年) | 141,099 | 242,599 | 564,696 | 0 | 948,394 | 32,661 | 981,055 |
1997年(平成9年) | 147,135 | 231,856 | 551,070 | 0 | 930,061 | 32,351 | 962,412 |
1998年(平成10年) | 151,592 | 226,981 | 534,095 | 0 | 912,668 | 31,323 | 943,991 |
1999年(平成11年) | 140,851 | 230,611 | 520,199 | 0 | 891,661 | 31,927 | 923,588 |
2000年(平成12年) | 134,129 | 233,543 | 527,835 | 0 | 895,507 | 31,545 | 927,052 |
2001年(平成13年) | 134,117 | 230,105 | 509,483 | 0 | 873,705 | 35,136 | 908,841 |
2002年(平成14年) | 130,162 | 222,074 | 492,087 | 0 | 844,323 | 32,310 | 876,633 |
2003年(平成15年) | 129,204 | 215,765 | 472,095 | 0 | 817,064 | 31,705 | 848,769 |
2004年(平成16年) | 131,904 | 202,724 | 458,227 | 0 | 792,855 | 20,132 | 812,987 |
2005年(平成17年) | 131,388 | 202,396 | 456,021 | 0 | 789,805 | 18,670 | 808,475 |
2006年(平成18年) | | | | | | | |
2007年(平成19年) | | | | | 749,643 | 20,350 | 769,993 |
2008年(平成20年) | | | | | 743,213 | 20,237 | 763,450 |
2009年(平成21年) | 137,997 | 177,289 | 394,706 | 0 | 709,992 | 23,261 | 733,253 |
2010年(平成22年) | | | | | 655,488 | 22,810 | 678,298 |
駅一覧
- 線路 … ∥:複線区間、◇・|:単線区間(◇は列車交換可能)、∨:ここより下は単線
- *印の駅は国鉄丸森線時代から存在した駅。
駅名 | 駅間営業キロ | 累計営業キロ | 接続路線 | 線路 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
福島駅 | - | 0.0 | 東日本旅客鉄道:東北新幹線・東北本線・奥羽本線(山形新幹線・山形線) 福島交通:飯坂線 | ∥ | 福島県 | 福島市 |
(矢野目信号場) | - | (4.7) | | ∨ | ||
卸町駅 | 5.6 | 5.6 | | | | ||
福島学院前駅 | 0.9 | 6.5 | | | | ||
瀬上駅 | 1.0 | 7.5 | | ◇ | ||
向瀬上駅 | 1.1 | 8.6 | | | | ||
高子駅 | 1.5 | 10.1 | | ◇ | 伊達市 | |
上保原駅 | 1.4 | 11.5 | | | | ||
保原駅 | 1.3 | 12.8 | | ◇ | ||
大泉駅 | 1.1 | 13.9 | | | | ||
二井田駅 | 1.5 | 15.4 | | ◇ | ||
新田駅 | 1.6 | 17.0 | | | | ||
梁川駅 | 1.3 | 18.3 | | ◇ | ||
やながわ希望の森公園前駅 | 1.7 | 20.0 | | | | ||
富野駅 | 2.1 | 22.1 | | ◇ | ||
兜駅 | 3.1 | 25.2 | | | | ||
あぶくま駅 | 4.2 | 29.4 | | | | 宮城県 | 伊具郡 丸森町 |
*丸森駅 | 8.1 | 37.5 | | ◇ | ||
北丸森駅 | 1.7 | 39.2 | | | | ||
南角田駅 | 2.4 | 41.6 | | | | 角田市 | |
*角田駅 | 1.7 | 43.3 | | ◇ | ||
横倉駅 | 1.9 | 45.2 | | | | ||
*岡駅 | 2.5 | 47.7 | | | | ||
*東船岡駅 | 3.6 | 51.3 | | ◇ | 柴田郡 柴田町 | |
*槻木駅 | 3.6 | 54.9 | 東日本旅客鉄道:東北本線 | | |
脚注
- ^ ab『鉄道ジャーナル』第20巻第10号、鉄道ジャーナル社、1986年9月、 118頁。
^ 岡崎信一郎 『阿武隈急行物語 本命ルート』 仙台宝文堂。
^ 鈴木文彦「特定地方交通線の実態と問題を現地に見る 12 丸森線」、『鉄道ジャーナル』1982年7月号(通巻185号)、1982年。
^ 『丸森町史』1052頁。
- ^ ab『柴田町史』通史篇2、1026頁。
^ 現在の相馬市の一部に当たる。当時は中村町であり、現在の相馬駅も中村駅という名称だった。
- ^ ab『丸森町史』1053頁。
^ 『柴田町史』通史篇2、1026-1027頁。
^ 『白石市史』1通史編803頁。
^ 『丸森町史』1054-1055頁。
^ 『丸森町史』1055頁。
^ 『丸森町史』1056頁。
^ 『柴田町史』通史篇2、1027頁。
^ 『丸森町史』1057頁。
^ 『丸森町史』1059頁。
^ 『丸森町史』1060頁。
^ 昭和46年度国鉄線区別収支係数、鉄道ピクトリアルアーカイブスセレクション「国鉄ローカル線1960-70」p160
^ こうした赤字は、国鉄側が日本鉄道建設公団に対し、年2億という高額な線路使用料(ただし国鉄も日本鉄道建設公団も会計検査院の検査対象であり、会計検査院からの指摘はなかった)を支払わされていた点に留意する必要がある。濱光兵衛著「岩手の鉄道・昭和小史」p72-73
^ 『柴田町史』通史篇2、1027頁。
^ 『梁川町史』第3巻 近代・現代769-770頁。
- ^ abc『柴田町史』通史篇2、1028-1029頁。
- ^ abcdefgh会社概要(阿武隈急行)
^ 2010年度第一大学祭あおば ~東北の鉄道 1968~ (PDF) (東北大学鉄道研究会 2010年10月)
^ “阿武隈急行・11年度決算予想/当期赤字6969万円/長期経営計画を承認”. 河北新報 (河北新報社). (2000年1月27日)
^ “【阿武隈急行】A417系ラストラン”. 鉄道ホビダス RMニュース. ネコ・パブリッシング (2016年5月30日). 2016年6月3日閲覧。
参考文献
- 白石市史編さん委員会 『白石市史』1通史編 白石市、1979年。
- 丸森町史編さん委員会 『丸森町史』 丸森町、1984年。
- 柴田町史編さん委員会 『柴田町史』通史篇2 柴田町、1992年。
- 梁川町史編纂委員会 『梁川町史』第3巻 近代・現代 梁川町、2000年。
関連項目
- 日本の鉄道路線一覧
- 福島交通飯坂東線
- 角田軌道
外部リンク
- 阿武隈急行株式会社
- 阿武隈急行の旅
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丸森線に関するカテゴリ:
- 日本国有鉄道の廃線
- 特定地方交通線