ポンペイ
座標: 北緯40度45分3.6秒 東経14度29分13.2秒 / 北緯40.751000度 東経14.487000度 / 40.751000; 14.487000 この項目では、イタリアの考古遺跡について説明しています。その他の用法については「ポンペイ (曖昧さ回避)」をご覧ください。 ポンペイの想像図 アボンダンツァ通り ポンペイ (ラテン語: Pompeii 、イタリア語: Pompei )は、イタリア・ナポリ近郊にあった古代都市。79年8月24日の昼過ぎ、ヴェスヴィオ火山噴火による火砕流によって地中に埋もれたことで知られ、その遺跡は「ポンペイ、ヘルクラネウム及びトッレ・アンヌンツィアータの遺跡地域」の主要部分として、ユネスコの世界遺産に登録されている。 目次 1 歴史 1.1 79年のヴェスヴィオ火山噴火 1.2 ポンペイの発掘 2 ポンペイを題材にした作品 2.1 小説 2.2 映画 2.3 絵画 2.4 音楽 2.5 漫画 3 脚注 4 参考文献 5 関連項目 歴史 イタリア先住のオスキ人とヒーコ人によって集落が形成された。紀元前7世紀頃はサルノ川の河口付近の丘に集落があった。その後紀元前526年からエトルリア人に占領されたが、ポンペイ市民はイタリア南部に居住していたギリシャ人と同盟を組み、紀元前474年クマエの海戦で支配から脱した。ギリシャ人はその後ナポリ湾を支配した。紀元前5世紀後半からサムニウム人の侵攻が始まり、紀元前424年にはサムニウム人に征服されることとなった。サムニウム人はまた、カンパニア全体を支配した。この時代、ローマがポンペイを征服したという説があったが、現在この説を裏付けるものはない。 カンパニアの諸都市が同盟市戦争と呼ばれる戦争をローマに対して起こすと、ポンペイも反ローマ側に加わった。しかし紀元前89年、ルキウス・コルネリウス・スッラによって町は征服されポンペイは周辺のカンパニア諸都市とともにローマの植民都市となった。ローマの支配下に入った後のポンペイの正式名は Colonia Cornelia Veneria Pompeianorum (ポン...