新川郡
令制国一覧 > 北陸道 > 越中国 > 新川郡 中部地方 > 日本 > 石川県 > 新川郡 石川県新川郡の範囲 新川郡 (にいかわぐん、にいかわのこおり)は、石川県(越中国、現・富山県)にあった郡。 「新川」は常願寺川の古名である。越中国の東半分を占め、神通川を境界として婦負郡に接していた。 目次 1 郡域 2 歴史 2.1 近世以降の沿革 3 郷 4 式内社 5 式外社 6 脚注 7 参考文献 8 関連項目 郡域 現在の富山県のうち、富山市街の一部(旧・婦負郡)を除く神通川以東および、富山市草島・金山新・金山新中・金山新東・金山新西・金山新南・金山新北・羽根・高田および八尾町西神通の一部にあたるが、行政区画として画定されたものではない。 歴史 飛鳥時代後期(7世紀後半から8世紀初め)に比定される飛鳥池遺跡から出土した木簡に「高志□新川評石□五十戸大□□目」(□は欠字)とあるのが初見である。 延暦25年(806年)に成立したとされる『万葉集』には「邇比可波」と表記されており、承平年間に編纂された『和名類聚抄』には「邇布加波」とある。婦負郡との境界は明確なものではなく、かつては常願寺川が谷口から西北に流れ、鼬川と赤江川に沿う形で北流し、神通川に合していたと考えられており、その旧流を郡境としたとされる。 江戸時代には神通川付近の一部が富山藩領となり、残りのほとんどが加賀藩(版籍奉還後は金沢藩)領となった。加賀藩側には越中七金山と呼ばれた鉱山群があり、藩の貴重な収入源となっていたことも地域が分割された理由の一つとされる [1] 1871年(明治4年)の廃藩置県により、そのまま富山県・金沢県となり、同年のうちに新川郡・婦負郡・礪波郡の領域をもって一県とし、県庁所在地(新川郡魚津町)の郡名から新川県となった。1876年(明治9年)、新川県は石川県に編入された。1878年(明治11年)の郡区町村編制法により上新川郡・下新川郡の2郡に分割。その後、常願寺川などの石川県の治水行政に関して越中国内での不満が高まる中で分県運動が起こり、1883年(明治16年)5月9日、石川県から再分離されて...