アエロフロート・ロシア航空
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設立 | 1932年 | |||
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ハブ空港 | シェレメーチエヴォ国際空港 | |||
マイレージサービス | Aeroflot Bonus | |||
会員ラウンジ | First Class Lounge (会員ラウンジ無し) | |||
航空連合 | スカイチーム | |||
子会社 | ロシア航空 オーロラ | |||
保有機材数 | 250機(2018年10月時点) | |||
就航地 | 95都市 | |||
親会社 | 連邦国家資産管理局 (51.17%) | |||
本拠地 | ロシア連邦 モスクワ | |||
代表者 | Valery Okulov (会長) | |||
外部リンク | http://japan.aeroflot.aero/ |
種類 | 公開会社 |
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市場情報 | RTS: AFLT MICEX AFLT |
略称 | アエロフロート |
本社所在地 | ロシア 125836 モスクワ市レニングラード通り37 |
業種 | 空運業 |
従業員数 | 1万8393人 (2004) |
主要子会社 | ロシア航空 オーロラ |
特記事項:日本支社所在地 〒105-0001 東京都港区虎ノ門1-2-8 虎ノ門琴平タワー16階[1] (最寄駅:東京メトロ銀座線 虎ノ門駅) |
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アエロフロート・ロシア航空(ロシア語: Аэрофлот — Российские авиалинии; 英語: Aeroflot Russian Airlines)は、ロシア連邦の民間航空会社。東ヨーロッパで1位の規模である。旧ソ連の国営航空会社アエロフロートを母体とする[2]。ロシア語でアエロ(Аэро)とは「航空」、フロート(Флот)とは「艦隊」を示す言葉である。
モスクワのシェレメチエヴォ国際空港を拠点とし、世界95都市に就航している。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 設立
2.2 第二次世界大戦後
2.3 ジェット化
2.4 広い業務範囲
2.5 世界最大の航空会社
2.6 当時のサービス
2.7 ソ連崩壊後
2.8 現在
2.9 コードデータ
3 年表
4 就航都市
4.1 ハブ空港 (シェレメーチエヴォ国際空港)
4.2 世界有数の規模
4.3 日本線
4.4 アメリカ線
5 サービス
5.1 マイレージサービス
5.2 ビジネスクラス
5.3 機内食
5.4 機内誌
5.5 Wi-Fiサービス
5.6 受託手荷物
5.7 機内持ち込み手荷物
5.8 スマートフォンアプリ
6 受賞歴
7 保有機材
7.1 平均機体年齢
7.2 機材の変遷
8 事故
9 スポンサーシップ
9.1 オリンピック
9.2 サッカー
9.3 バスケットボール
9.4 カーリング
10 脚注
11 関連項目
12 参考文献
13 外部リンク
概要
ソビエト連邦の国有航空会社として1923年に「ドブロリョート」の社名で設立されて以来、ソ連政府の民間航空輸送部門として運営されてきた。「アエロフロート」とは単一の航空会社の名称ではなく、各地域ごと、事業ごと、あるいは空港ごとに存在する航空会社の集合体であるソ連政府の民間航空輸送部門の総称であった。
特に第二次世界大戦後の冷戦期は、ソビエト連邦の航空技術を知らしめるショーウィンドウ的な役割を持ち、世界で2番目に実用化されたジェット旅客機であるツポレフTu-104や、世界最大級のターボプロップ旅客機であるツポレフTu-114の就航、世界初の超音速民間旅客機であるツポレフTu-144の就航などを担った。また、世界最大の航空会社としても知られ、長距離国際線や国内ローカル線の運行から、測量や農薬散布まで様々な業務を行った。
ソ連崩壊後に民営化され、現在はロシアのフラッグキャリアかつ「スカイチーム」の主要メンバーとして、世界各国にその路線網を広げている。
歴史
設立
建国して間もないソビエト=ロシアでは広大な領土を移動する手段に航空機は不可欠である、という考えが広まり、ウラジーミル・レーニン率いるボリシェヴィキは航空産業重視の姿勢を持ち、1921年1月17日にレーニンはソビエト領空の航空機の飛行に関する布告にサインし、26日には赤軍の航空部隊の管轄下における航空産業の発達のために300万金ルーブルを投じることを決定した。
5月1日にはイリヤー・ムーロメツ3機を用いた初の商用飛行が行われた。モスクワからオリョール経由でハルキウに至るルートで、ソビエトにおける旅客・郵便輸送の幕開けであった。週2~3便運航され、はじめの5ヶ月間で43回の飛行が行われ、同年10月11日に運航が終了されるまでに60人の乗客と6トンもの郵便物が輸送された。
1921年のネップによって1921年11月24日に設立されたのが、ドイツとの共同による航空会社「Deruluft」である。イリヤー・ムーロメツが運航を開始してからちょうど1年後の1922年5月1日にモスクワから当時ドイツ領であったケーニヒスベルクをフォッカー F.IIIによる運航が開始された。当初は郵便物の輸送など公的機関が主な顧客であったが、翌年8月には個人向けの営業が開始された。1929年にはルフトハンザで使用されたドルニエ コメットに更新された。他にもユンカース Ju 52も導入され、これらの機体はまだ発展途上であったソ連の航空機製造産業に多大なる影響をもたらした。
Deruluftの成功により安定してきたソビエト航空業界の発展と革命干渉戦争の一応の終結をもって、ソ連政府は1923年2月9日に赤色空軍の監督の下に航空会社を設立することを決定した。これをソ連民間航空の誕生とされる。郵便事業などの支援もあり、3月17日にはAll-Russian Volunteer Air Fleet、すなわち「ドブロリョート」が設立された。モスクワとニジニ・ノヴゴロドを結ぶ路線が創設され、さらにレニングラード、カザンやハルキウを結ぶ路線も登場した。10月にはトルキスタンやモンゴルを結ぶ路線も開設された。
ドブロリョートが成立した1923年、ロシアでは「ユンカース=ルスランド(Junkers Russland)」が、コーカサスでは「ザカヴィア(Zakavia)」が、アゼルバイジャンでは「アズドブロリョート」などが軒並み設立され、たちまちのうちに同時期に設立されたウクライナの「ウクライナ航空会社」に集約され、さらに1930年には第一次五カ年計画によってウクライナ航空会社とドブロリョートが集約され、1932年3月26日に名称が現在に続く「アエロフロート」に変更された。1937年にはDeruluftもアエロフロートに編入された。
第二次世界大戦後
第二次世界大戦中も戦火の中アエロフロートは定期航路の運航に従事し、終戦直後は稼働可能であったLi-2などを運用することで運航を維持した。第四次五カ年計画で増強が必要となったアエロフロートに、1946年にセルゲイ・イリューシン設計のIl-12が投入された。
しかし、本土が戦禍におかれ荒廃したこともあり地上設備は不十分で、この状況を見かねたアエロフロート長官Georgy Baydukovはアナスタス・ミコヤンら政府高官をモスクワからハバロフスクまでの航空旅行に招待し、地上設備の整備を訴え、その後の五カ年計画で空港の整備などが政策に盛り込まれた。しかしスターリン体制下ではアエロフロートは大きく発展することが出来なかった。
ジェット化
1956年には、爆撃機であるツポレフTu-16を基にした双発ジェット旅客機、ツポレフTu-104が登場した。それまでオムスク経由のモスクワ〜イルクーツク線はイリューシンIl-14で18時間を要していたが、ジェット化によって7時間に短縮し、停滞気味であったアエロフロートの牽引役として活躍した。
以降ジェット化は進展し、ターボプロップ機のツポレフTu-114による長距離路線の開設や、イリューシンIl-18による中短距離路線の開設も相伴って、国内線のみならず、長距離国際路線も拡大させていった。1967年のツポレフTu-134の導入はアエロフロートにとって大きな前進となった。ツポレフTu-134によって国内線を中心に路線網が拡大し輸送力が増強され、利用者数は1967年には世界最多となった。
広い業務範囲
ソ連国内における全ての民間航空輸送を一手に引き受けるために単発複葉機からワイドボディージェット機、ヘリコプターから超音速旅客機まで様々な機体を運用し、国際線・国内線での貨物・郵便輸送を含んだ民間航空輸送をはじめ、ヘリコプターを使った救急患者輸送やクレーン業務、アントノフAn-2などの航空機を使った農薬散布(当時のアエロフロートのパイロットの7割の初任が、難しい操縦が要求される農薬散布の業務であった[3])、鉄道や道路が無いシベリアなどの僻地における「スクールバス」業務、北極圏内や南極基地への貨物輸送、大気観測業務(チェルノブイリ原発における除染作業を含む)などソ連国民にとって重要な役割を担った。
また運用上の柔軟性や「辻褄あわせ」のために、機銃を取り外したものの尾部銃塔を装備したままの軍用輸送機を始め、偵察機や早期警戒機などの多くの軍用機が(アエロフロートの管轄下に無い航空機までもが)アエロフロートの塗装に身を包んだ。
1973年のTu-144の登場以降、固定翼機には白地に青のラインをまわした塗装が標準となった(それまでは各機種によって塗装が異なっていた)。また、極地で運用される航空機は青帯を赤帯に変更し、主翼を赤く塗装し視認性を高める「ポーラー・カラー」が施された[4]。一般色にも垂直尾翼の塗装パターンのバリエーションがいくつか確認されている[5]。
世界最大の航空会社
ソビエト国民の海外渡航や、国外からの旅行者のソビエト国内における移動には大幅な制限があったが、東側諸国の衛星国や、アフリカや南米などの遠方にある友好国への路線といった、外交関係を誇示することを第一目的においた採算を度外視した国際線を多く持っていた[6]。さらに、日本やアメリカ、イギリスや西ドイツなどの西側諸国に乗り入れているだけでなく、日本航空やエールフランス、アリタリアなどの西側諸国のフラッグキャリアとのコードシェア運航なども行っていた。
また、西側諸国への路線の多くが外交官や諜報員の運搬に使われた他、西側諸国の上空の飛行時に、軍事施設の上を故意に飛行するなど、その活動範囲は一航空会社の枠を大きく超えていたと言われる。それがゆえに、冷戦末期にユジノサハリンスクから新千歳空港までの路線の開設を日本国政府に申請した際に、新千歳空港が自衛隊との兼用空港であることを理由に、就航を拒否された経験がある。
所有機の多くも空軍と共有していたことから、正確な数はいまだに不明ながら、世界最大の保有機数(旅客機、貨物機、ヘリコプター、軽飛行機等も含む)と従業員数を誇っており、「世界最大の航空会社」と呼ばれており[7]、ギネスブックにもその旨が記載されていた。1991年における機体保有数は貨物機やヘリコプターを含めると10000機を下らないとされる[8]。
当時のサービス
1980年代には、イリューシンIl-86などの西側諸国の最新鋭機と並ぶことを目指した最新鋭機の導入を進めたものの、当時の東側諸国のサービス企業の多くと同様に、航空会社としてのサービス水準は西側のそれには遠く及ばず、それがゆえに西側諸国においては航空券の安さと、充実した路線網だけが選択の理由であるという状態であった。
もっともあくまでもアエロフロートは「民間航空輸送」が業務であるため、ソ連人の利用者は(アエロフロート本来の業務と直接に関わらない必要以上の)機内サービスにかかる料金を含まない「純粋な運賃」を支払うだけでよいシステムになっていた[9]。
一部の路線(特にアフリカ方面)へ向かう際に、翌日以降便への乗り継ぎのためにモスクワで一泊する必要があった場合は、本来なら査証を取らなくてはならないところを免除していた[6]。その際のホテル(ノボテル・シェレメチエヴォホテル)は無料であった[6]。当時のソ連としては破格のもてなしといえるが[6]、これは外貨を獲得するために有効な手段だったことによるもの[6]。
ソ連崩壊後
1991年のソ連崩壊後は、80以上の航空会社を生み出した事業分割や不採算路線の縮小、旧ソビエト連邦時代の機材の退役を進めるなどのリストラを進めた他、新鋭機のイリューシンIl-96や西側のボーイング767、エアバスA310シリーズなどの導入を進めるとともに、新規に設立された子会社「ロシア国際航空」を中心にサービス水準の向上も図った[10]。
また、ソ連崩壊によりアエロフロートの独占体制も崩壊し、各地に新しい航空会社が誕生した。そうして誕生した多くの会社では、元アエロフロートで運用されていた旧ソビエト連邦製の機体が活躍していたが、効率の悪さや老朽化のために、2010年代に入るとその多くが退役した。
現在
現在は、旧ソビエト連邦時代の機材は全て退役し、ボーイング777-300ERやエアバスA330シリーズ、ボーイング737-800やエアバスA320など、最新鋭の西側機材を中心に運航されている。なお、ロシア経済開発貿易省の下部機関であるロシア連邦資産管理局(Rosimushchestvo)が、51.17%の株式を保有する筆頭株主となり、ドンアヴィアを子会社に持つ。
現在では、旧西側諸国の航空会社並みのサービスを提供しているとの評価を得ている[11]。その甲斐もあり、2006年には世界的航空会社アライアンスの1つであるスカイチームへの参加を果たした。航空券の座席予約システム(CRS)はSABREを利用している
[12][13]。ちなみに現在、モスクワでの乗り継ぎの際、ホテルは有料であるが、トランジット客に限りビザが免除される制度は継続されている[11]。
2009年にはウラジオストクとカリーニングラードに支社を開設。2010年2月にロシア政府は航空会社の経済的成長のために、全ての地域航空会社を国営会社ロステフノロギヤの管理下におき、その後アエロフロートに統合することを宣言した。2011年11月にはアエロフロートの姉妹企業「アエロフロート・ファイナンス」がウラジオストク航空(現オーロラ)やロシア航空の筆頭株主となった[14][15]。2014年1月に、グループ会社再編の一環として子会社のロシア航空を同年3月30日付でアエロフロートに統合すると発表した[16]。
コードデータ
IATA航空会社コード:SU
ICAO航空会社コード:AFL
コールサイン:Aeroflot
なお、「SU」はソビエト連邦 (Soviet Union) の名残。
年表
1923年 - 前身である株式会社「ドブロリョート」が創立される
1932年 - ソ連政府の民間航空管理局が創設、正式名称としてアエロフロートの名称が使われる
1967年 - 東京にツポレフTu-114で初飛来(東京・モスクワ路線を日本航空と共同運航)
1970年 - 東京・モスクワ線でアエロフロートと日本航空がそれぞれ単独運航を開始
1973年 - 新潟・ハバロフスク間に就航(のちにダリアビア航空に移管され、現在ではウラジオストク航空が運航)
1977年 - Tu-144の定期旅客便がモスクワ・アルマトイ(当時はアルマアタ、カザフスタン)線で運航されるが、翌年に休止
1978年 - 成田国際空港開港によりアエロフロートも発着地を変更
1980年 - モスクワオリンピックのオフィシャルキャリアに任命
1989年 - IATA加盟
1991年 - アエロフロート・ソビエト航空設立。経営の自主性を確保
1992年 - 初の西側製航空機としてエアバスA310を購入
1993年 - アエロフロート・ロシア国際航空へ社名を変更
1994年 - 函館・ユジノサハリンスク路線が就航(現在は札幌〜ユジノサハリンスクをオーロラが運航)
1995年 - 青森・ハバロフスク路線が就航
1996年 - 大阪発モスクワ経由パリ行き路線が就航
1998年 - 成田・サンクトペテルブルク路線が就航(現在は休航中)
1999年 - 東京発モスクワ経由マドリード路線が就航(現在は休航中)
2001年 - 社名をアエロフロート・ロシア国際航空からアエロフロート・ロシア航空へ変更
2006年 - スカイチームに加盟 ロシア製ワイドボディ機IL-86が引退
2009年 - Tu-154が引退、後継はエアバスA320等となる
2013年 - 英マンチェスター・ユナイテッドとスポンサー契約を締結。公式キャリアに就任
2014年 - ソチオリンピックのオフィシャルキャリアに任命
就航都市
アエロフロート・ロシア航空 就航都市 (2018年現在) | ||||
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国 | 都市 | 空港 | 備考 | |
ヨーロッパ | ||||
ロシア | モスクワ | シェレメーチエヴォ国際空港 | メインハブ空港 | |
ドモジェドヴォ国際空港 | ||||
ウラジオストク | ウラジオストク空港 | ハブ空港 | ||
サンクトペテルブルク | プルコヴォ空港 | |||
ソチ | ソチ空港 | |||
イルクーツク | イルクーツク国際空港 | |||
アナパ | アナパ空港 | |||
アストラハン | ナリマノヴォ空港 | |||
バルナウル | バルナウル空港 | |||
ゲレンジーク | ゲレンジーク空港 | |||
カリーニングラード | ハラブロヴォ空港(カリーニングラード空港) | |||
カザン | カザン国際空港 | |||
ケメロヴォ | ケメロヴォ国際空港 | |||
ハバロフスク | ハバロフスク空港 | |||
クラスノダール | クラスノダール国際空港 | |||
クラスノヤルスク | イェメリャノヴォ空港 | |||
ニジネヴァルトフスク | ニジネヴァルトフスク空港 | |||
ノヴォシビルスク | トルマチョーヴォ空港 | |||
オムスク | オムスク空港 | |||
ペルミ | ペルミ空港 | |||
ペトロパブロフスク・カムチャツキー | ペトロパブロフスク・カムチャツキー空港 | |||
サマーラ | クルモフ国際空港 | |||
チュメニ | ロシチノ空港(チュメニ国際空港) | |||
ウファ | ウファ国際空港 | |||
ヴォルゴグラード | ヴォルゴグラード国際空港 | |||
エカテリンブルク | コルツォヴォ国際空港 | |||
ユジノサハリンスク | ホムトヴォ空港 | |||
オーストリア | ウィーン | ウィーン国際空港 | ||
ザルツブルク | ザルツブルク空港 | 季節便 | ||
インスブルック | インスブルック空港 | |||
ベルギー | ブリュッセル | ブリュッセル国際空港 | ||
ベラルーシ | ミンスク | ミンスク第2空港 | ||
ブルガリア | ソフィア | ソフィア空港 | ||
クロアチア | スプリト | スプリト空港 | ||
ザグレブ | ザグレブ国際空港 | |||
チェコ | プラハ | ルズィニエ国際空港 | ||
カルロヴィ・ヴァリ | カルロヴィ・ヴァリ空港 | |||
デンマーク | コペンハーゲン | コペンハーゲン国際空港 | ||
フィンランド | ヘルシンキ | ヘルシンキ・ヴァンター国際空港 | ||
フランス | パリ | シャルル・ド・ゴール国際空港 | ||
ニース | コート・ダジュール空港 | |||
ドイツ | ベルリン | ベルリン・テーゲル空港 | ||
ドレスデン | ドレスデン空港 | |||
ハーン | フランクフルト・ハーン空港 | |||
フランクフルト | フランクフルト空港 | |||
デュッセルドルフ | デュッセルドルフ空港 | |||
ハンブルク | ハンブルク国際空港 | |||
ハノーファー | ハノーファー空港 | |||
ミュンヘン | ミュンヘン国際空港 | |||
ギリシャ | アテネ | アテネ国際空港 | ||
イラクリオン | イラクリオン国際空港 | 季節便 | ||
ハンガリー | ブダペスト | フェレンツ・リスト国際空港 | ||
イタリア | ミラノ | ミラノ・マルペンサ国際空港 | ||
ローマ | フィウミチーノ空港 | |||
ヴェネツィア | ヴェネツィア・テッセラ空港 | |||
ラトビア | リガ | リガ国際空港 | ||
オランダ | アムステルダム | アムステルダム・スキポール空港 | ||
ノルウェー | オスロ | オスロ空港 | ||
ポルトガル | リスボン | ポルテラ空港 | ||
ポーランド | ワルシャワ | ワルシャワ・フレデリック・ショパン空港 | ||
ルーマニア | ブカレスト | アンリ・コアンダ国際空港 | ||
セルビア | ベオグラード | ベオグラード・ニコラ・テスラ空港 | ||
スロバキア | ブラチスラヴァ | ブラチスラヴァ空港 | ||
スペイン | マドリード | アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港 | ||
バルセロナ | バルセロナ・エル・プラット国際空港 | |||
マラガ | マラガ=コスタ・デル・ソル空港 | |||
スウェーデン | ストックホルム | ストックホルム・アーランダ空港 | ||
スイス | ジュネーヴ | ジュネーヴ・コアントラン国際空港 | ||
チューリッヒ | チューリッヒ空港 | |||
イギリス | ロンドン | ロンドン・ヒースロー空港 | ||
ウクライナ | キエフ | ボルィースピリ国際空港 | ||
シンフェローポリ | シンフェローポリ国際空港 | |||
トルコ | イスタンブール | アタテュルク国際空港 | ||
アンタルヤ | アンタルヤ国際空港 | |||
北アフリカ | ||||
エジプト | カイロ | カイロ国際空港 | ||
フルガダ | フルガダ国際空港 | |||
シャルム・エル・シェイク | シャルム・エル・シェイク国際空港 | |||
中央アフリカ | ||||
アンゴラ | ルアンダ | クアトロ・デ・フェベレイロ空港 | ||
北アメリカ | ||||
アメリカ合衆国 | ロサンゼルス | ロサンゼルス国際空港 | ||
ニューヨーク | ジョン・F・ケネディ国際空港 | |||
ワシントンD.C. | ワシントン・ダレス国際空港 | |||
マイアミ | マイアミ国際空港 | |||
西インド諸島 | ||||
キューバ | ハバナ | ホセ・マルティ国際空港 | ||
ドミニカ共和国 | プンタ・カナ | プンタ・カナ国際空港 | 季節便 | |
東アジア | ||||
日本 | 東京 | 成田国際空港 | ||
香港 | 香港 | 香港国際空港 | ||
中国 | 北京 | 北京首都国際空港 | ||
上海 | 上海浦東国際空港 | |||
広州 | 広州白雲国際空港 | |||
韓国 | ソウル | 仁川国際空港 | ||
モンゴル | ウランバートル | チンギスハーン国際空港 | ||
東南アジア | ||||
インドネシア | デンパサール | デンパサール国際空港 | 季節便 | |
タイ | バンコク | スワンナプーム国際空港 | ||
プーケット | プーケット国際空港 | 季節便 | ||
ベトナム | ハノイ | ノイバイ国際空港 | ||
南アジア | ||||
インド | デリー | インディラ・ガンディー国際空港 | ||
ヴァスコ・ダ・ガマ (ゴア) | ダボリン空港 | 季節便 | ||
モルディブ | マレ | イブラヒム・ナシル国際空港 | ||
西アジア | ||||
アルメニア | エレバン | ズヴァルトノッツ国際空港 | ||
アゼルバイジャン | バクー | ヘイダル・アリエフ国際空港 | ||
イスラエル | テルアビブ | ベン・グリオン国際空港 | ||
エイラート | オブダ空港 | 季節便 | ||
イラン | テヘラン | エマーム・ホメイニー国際空港 | ||
キプロス | ラルナカ | ラルナカ国際空港 | ||
レバノン | ベイルート | ラフィク・ハリリ国際空港 | ||
シリア | ダマスカス | ダマスカス国際空港 | ||
アラブ首長国連邦 | ドバイ | ドバイ国際空港 | ||
アール・マクトゥーム国際空港 | ||||
中央アジア | ||||
キルギス | ビシュケク | マナス国際空港 | ||
ウズベキスタン | タシュケント | タシュケント国際空港 | ||
休・廃止路線 |
ハブ空港 (シェレメーチエヴォ国際空港)
アエロフロートはモスクワ市内にある国際航空、シェレメーチエヴォ国際空港をハブ空港として利用している。2007年12月に40000m²の広さを持つターミナルCが完成、2009年11月には、ターミナルDが完成している。アエロフロートが国内線用のターミナルとして利用しているターミナルCは壁面がアエロフロートのイメージカラーである青とオレンジに塗装されている。ターミナルDはアエロフロートと同社が加盟するスカイチーム加盟各社の専用ターミナルとなっている。その後、ターミナルEが2010年3月に完成し、ターミナルFもリニューアルするなど改修、拡張が進んでおり、一昔前の暗いイメージから明るく近代的に生まれ変わっている。
ビジネスクラスラウンジはシャワーを完備し、利用者には自然派アメニティを用意している。
世界有数の規模
アエロフロートは、ロシア、そして東ヨーロッパで最大の規模を誇り、世界有数のネットワークを持つ航空会社として世界各地に路線を広げている。そのネットワークを生かし、2006年にスカイチームへと加盟することになった。現在はスカイチームのパートナーと協力して178ヶ国、1,000を超える都市にフライトを就航(2014年12月時点)。
日本線
日本では過去は複数の空港に乗り入れていたが、1990年代に関西国際空港線が撤退となり、新潟空港などの地方発着路線を他のロシアの航空会社に譲ったために、現在は成田国際空港からのモスクワ便がエアバスA330で1日1便運航している(オーロラとのコードシェアで新千歳空港にも乗り入れている)のみである。
なお、2014年にはオーロラ航空のコードシェアで成田空港からウラジオストクへも運行していたが休止となり、2016年8月14日にS7航空とのコードシェアで再び復活した。さらに、オーロラの自社便復活とともに、そちらともコードシェアを再び開始した。また、かつて日本人乗務員が機内通訳として乗務していたが、現在は乗務はしていない[10]。
成田国際空港では2008年4月21日までは第2ターミナルを利用しており、空港地上業務の多くを日本航空に委託していたが、2008年4月22日に、加盟しているスカイチーム系航空会社が利用する第1ターミナル北ウイングへ移転し、ビジネスクラスのラウンジは同じスカイチームのデルタ航空の物を使用している。2017年11月に、かつてコードシェア運航していた日本航空と2018年より再びコードシェア運航を行うと発表された。
アメリカ線
モスクワからのアメリカ線も充実しており、現在アメリカだけで30都市に運行している(2015年3月時点)。コードシェアを含む運航都市は下記の通り。
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サービス
マイレージサービス
アエロフロートのマイレージサービスは アエロフロートボーナス であり、スカイチーム加盟各社と提携している。フライトに応じてマイルが加算され、マイルが貯まると無料航空券やアップグレード、提携ホテルの無料宿泊などのサービスが利用可能。入会金、年会費などは無料となっている。提携しているホテルにはヒルトンやマリオット・インターナショナル、ノボテルなど大手ホテルが含まれている。
なお、アエロフロートおよびチェコ航空、中国南方航空搭乗時には、エコノミークラスであっても予約クラスによって加算マイル数が異なる。
ビジネスクラス
「プレジデント」と呼ばれるアエロフロートのビジネスクラスは、最新鋭のコクーン型シートとなっている。独自に設計したコクーン型シートは、リラックスできるスペースを提供。ビジネスクラスを利用すると、チェックインから搭乗、手荷物の取り扱いにおいて優先的に対応される。ボーイング777とエアバス330を使用する8時間以上のフライトでは、ビジネスクラス向けに枕や掛布団、ベッドシーツも提供している。空港ではビジネスクラスラウンジも利用が可能。ラウンジのバーは24時間営業で、豊富な種類の飲み物や焼きたてパン、タルトなどを提供。
機内食
ビジネスクラス向けのメニューは3ヶ月に1度、メニューを一新している。メニューはLSGスカイシェフをはじめ、ロシアの有名シェフやフードジャーナリストが監修している。モスクワのレストランでジャーナリスト、著名人などに披露され、評価を受けた上で正式にメニューとして決定している。試食会には、日本でも有名な元フィギュアスケート選手のエフゲニー・プルシェンコも招待されている。
エコノミークラスでは、毎月4種類のメニューを用意。ホットミールは2種類から選択が可能。路線、ご利用時間、飛行時間に応じて、軽食・朝食・昼食・夕食の機内食を提供しており、メニューにはロシア料理と世界各国の伝統料理を取り入れている。詳しくは アエロフロートホームページ を参照。
機内誌
機内誌は"Aeroflot Style (アエロフロート・スタイル)"という名前で毎月発行され、ロシア語と英語で世界中の都市や世界各国の料理を紹介したり、アエロフロートのニュースを掲載している。約300ページの構成となっており、内容はかなり充実している。英語のページは後半の30ページ程度となっておりメインはロシア語。成田便には"オーロラ"という名前の日本語版機内誌が用意されており、ロシアや世界各国の情報を紹介している。こちらは約50ページで構成されている。
Wi-Fiサービス
長距離路線で有料機内Wi-Fiサービスを導入している。"On Board Internet Program"と呼ばれる同サービスは2010年から開始しており、ビジネスマンを中心に多くのフライヤーの利便性を高めている。
受託手荷物
エコノミークラスは縦・横・高さ3辺の和が158cm、重さ23kg以内は無料。ビジネスクラスは縦・横・高さ3辺の和が158cm、重さ32kg以内は無料となっている。また、無料で預けることができる荷物の個数はエコノミークラスで1個、ビジネスクラスで2個となっている。ただし、エコノミークラスでも運賃種別がEconomy-Premium、Premium-Comfortの航空券の場合は2個まで無料で持ち込みが可能となっている。規定のサイズ、重量、個数を超えた場合は超過料金が発生する。
機内持ち込み手荷物
機内持ち込みが可能な手荷物のサイズは縦・横・高さ3辺の和が115cm(55x40x20)以内となっている。また、エコノミークラスは10kgの荷物が1つまで、ビジネスクラスは15kgの荷物が2つまで持ち込み可能。なお、女性用ハンドバッグ、ビジネスバッグ、パソコンケース、ベビーカーは機内持ち込み手荷物にはカウントせず持ち込みが可能。
スマートフォンアプリ
iPhoneおよびiPadユーザー向けに自身の予約情報やアエロフロート・ボーナスのマイル獲得状況、特別オファーに関する情報を見ることができるアプリを提供している。同アプリには追加で6名までユーザーを登録でき、アプリ内でチケットを買う際などに入力の手間が省けるようになっている。また、同アプリはApple社から発売されているApple Watchにも対応している。(2015年4月時点)
受賞歴
2013年6月 - スカイトラックス社より東ヨーロッパのベスト・エアラインとして2度目の受賞。
2014年6月 - スカイトラックス社より東ヨーロッパのベスト・エアラインとして3度目の受賞。
2014年12月 - FlightStats社より2014年11月の定時運行世界第1位として受賞。
2015年1月 - 韓国の旅行誌「Global Travel Newspaper Korea」より海外のベストエアライン2014を受賞。
2015年4月 - 2014年有償座席キロ数(RSK)が858億2000万旅客キロとなり欧州5位、前年比伸び率が12.3%となり欧州4位となった。同指標では3年連続で欧州トップ5入り(エアライン・ビジネス誌発表)。
保有機材
アエロフロートの保有機材は以下の通りである[17]。(2018年10月時点)
エアバスA320 (Аэробус А320-200) 80機
エアバスA321 (Аэробус А321-200) 39機
エアバスA330-200 (Аэробус А330-200) 5機- エアバスA330-300 (Аэробус А330-300) 17機
ボーイング737-800 (Боинг 737-800) 42機
ボーイング777-300ER (Боинг 777-300ER) 17機
スホーイ・スーパージェット100 50機
西側機材はすべてリース機で、RAの機体記号を持つロシア国籍の機体は存在しない。(VP-B** (バミューダ諸島の機体記号)といった具合)[18][19][20]。
平均機体年齢
現在の機種はエアバス、ボーイング、スホーイから構成され、平均機体年齢3.9年と、2014年12月時点で欧州の航空会社の中で最も若い152機で運航している。ただし、成田空港とモスクワ間の便は最新鋭の機体で運航されていない[21]。しかし、B777-300ERの増加で当路線にも最新鋭の機体が導入される可能性を示唆していたが、このほど2019年夏スケジュールから成田 - モスクワ線にB777-300ERを本格的に導入することが決まった[22][23]。それに先立ち、2018年10月8日から26日までのモスクワ発便にもA330に代わってB777-300ERが当路線に入る。
機材の変遷
旧ソ連時代のアエロフロートは、使用機材のほぼ全てがツポレフ、イリューシン、アントノフ、ヤコヴレフなどのソ連内で製造されたもの、またはポーランドでライセンス生産された機体であった(例外はチェコスロバキアで設計・製造されたL-410やポーランドで設計・製造された複葉単発ジェット機M-15など)。
冷戦が終焉した1990年代以降は、1992年に子会社の「ロシア国際航空」がエアバスA310を初めて導入(現在A310は全機退役し、ロシア国際航空もアエロフロートに吸収されている)して以来、ボーイングやエアバスなどの西側機材の導入を進め、西欧路線にはエアバス機、日本路線には通常期はエアバス機、夏季等は大型のボーイング機、東欧やロシア国内の長距離路線には大型のイリューシン機(ロンドン線にも就航していた)、同短距離路線には小・中型のツポレフ機が使用されることが多く、特に海外路線で旧ソ連製(ロシア製)航空機が活躍することは少なくなっていた。
運航効率が悪く老朽化が進んだ上に西側機が増加したためか、IL-86が2006年11月に引退するなど旧ソ連製機材の退役が進んでいたが、その一方で近年、フランクフルトやローマ等、冷戦時代から西側に属していた国々にも機齢が新しいツポレフ Tu-154Mを就航させるなど、再びロシア機の活躍が目立つようになってきていた。
現在、アエロフロートは、大規模な機材更新を進めている。運航効率の悪さや経年化を理由に、前述の通りイリューシン IL-86が2006年11月に、イリューシン IL-96も2013年度中で全機退役した他、2008年1月6日をもって、ツポレフ Tu-134A-3が全機退役した(なお、Tu-134のラストフライトは、カリーニングラード-モスクワ便であった)。前述のように活躍の場が広がっていたTu-154Mも、2008〜2009年の間に順次退役し、エアバスA320ファミリーと2010年1月に完全に置き換えられた[24]。
同社はA320ファミリーの他にも、幅広く最新鋭機を発注している。ボーイング777-300ERを6機、ボーイング777-200ERを2機、ボーイング787 ドリームライナーを22機、エアバスA330-200を10機、エアバスA350 XWBを22機、スホーイ・スーパージェット100を30機発注している[25]。スホーイ・スーパージェット100は、2012年3月5日に6機目(機体番号:RA-89005)を受領し、この機材には「スカイチーム」の塗装が施工されている[26]。
777-300ERを受領を機に、史上初のアエロフロート向け機材のボーイング社顧客記号(カスタマーコード)M0(数字の0でローマ字のOではない)を取得し、777-3M0ERとなってロールアウトする。この初号機(VP-BGB)は2013年1月31日に引渡しを受けた[27]。これまでの767-300ERはリース機材であったため767-36NERという型式が存在する。そしてA330-200と777-300ERの新規導入が進捗した事により、これまでの767-300ERは退役している。
事故
スポンサーシップ
様々なスポーツイベントやスポーツチームへの協賛を行っており、近年では多くの国際大会への協賛も増えている。
オリンピック
アエロフロートは2014年にソチで行われた冬季オリンピックにおける公式オリンピック・パートナーである。ソチオリンピックでは、A320-214(VP-BZP)に大会公式マスコットとなるThe Polar Bear(ホッキョクグマ)、The Hare(野うさぎ)、The Leopard(ユキヒョウ)3体の特別塗装を施し、2012年7月から2014年2月23日の大会終了日まで運行した。2008年8月に開催された第29回北京オリンピックでも、ロシアオリンピックおよびパラリンピックチームチームと公式代表団、観客の輸送に関する協定をロシアオリンピック委員会と結び、ロシアオリンピックチームの公式キャリアとなった。その後もロシアオリンピックおよびパラリンピックチームと、2009年から2016年までの間、公式代表団の輸送に関する契約を締結しており、継続的なサポートを提供している。
なお、1980年に行われたモスクワオリンピックにおいても公式キャリアであった。
サッカー
2013年7月8日、サッカー日本代表香川真司選手も在籍したマンチェスター・ユナイテッドFCとスポンサーシップ契約を締結。アエロフロートの公式キャリア就任は、アエロフロートのヴィタリー・サヴェリエフ(Vitaly Saveliev)最高経営責任者、マンチェスター・ユナイテッドFCのリチャード・アーノルド(Richard Arnold)グループ・マネジング・ディレクターおよびデイヴィッド・モイーズ(David Moyes)元監督ならびにチームメンバーを交えてオールド・トラッフォードで開催された記者発表の席上にて発表された。なお、契約は複数年契約となっている。アエロフロートは公式キャリアとして、チームや役員の移動の手配に関して戦略的助言をし、最新型のエアバス機とボーイング機によるチャーター便サービスを適時提供。2013年12月23日にはエアバスA321の機体にマンチェスター・ユナイテッドのデザインを施した特別仕様機を一般公開。主にロシアとヨーロッパの短距離路線で使用されるほか、マンチェスター・ユナイテッドのチャーター機としても使用される。
また、アエロフロートはサッカー日本代表本田圭佑選手が在籍していたロシア国内のプロサッカーチーム、CSKAモスクワの公式スポンサーとなっている他、サッカーロシア代表の公式スポンサーにもなっている。
バスケットボール
アメリカNBAのブルックリン・ネッツやロシアのプロバスケットボールチームであるCSKAモスクワの公式スポンサーとなっている。2014年10月から公式スポンサーとなったCSKAモスクワのユニフォームにはアエロフロートのロゴがあしらわれている。
カーリング
世界カーリング連盟のオフィシャルエアライン。
脚注
^ Aeroflot 企業情報
^ 吉田力『図解入門 業界研究最新航空業界の動向とカラクリがよーくわかる本 第2版』秀和システム、2014年、71頁
^ Davies, R.E.G.(1992). Aeroflot: An Airline and Its Aircraft (First ed.). p83
^ アエロフロート Il-76TD ポーラー・カラー
^ アエロフロート Tu-154M Archived 2015年6月2日, at the Wayback Machine.
- ^ abcde谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p161
^ 谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p160
^ Davies, R.E.G.(1992). Aeroflot: An Airline and Its Aircraft (First ed.). p94
^ Davies, R.E.G.(1992). Aeroflot: An Airline and Its Aircraft (First ed.). p7
- ^ ab月刊「エアライン」2011年4月号
- ^ ab谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p162
^ “オンライン予約利用規約”. 2015年9月27日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年9月26日閲覧。
^ “セイバーのソリューション アエロフロートが選択”. 2015年9月26日閲覧。
^ ロシア航空会社再編統合は、"アエロフロート"主導に。。。 Archived 2012年5月12日, at the Wayback Machine.
^ Russia’s Rostechnology finalizes transfer of five regional carriers to Aeroflot
^ アエロフロート、3月末にロシア航空を統合へ グループ再編の一環で FlyTeam 2014年1月16日付
^ aeroflot.ru, https://www.aeroflot.ru/jp-ja/flight/plane_park 2018年11月13日閲覧。
^ アエロフロート ボーイング 767-300ER (VP-BWV)
^ アエロフロート マクドネルダグラス DC-10-40F (VP-BDE)
^ アエロフロート エアバス A320 (VP-BWJ)
^ なお、日本航空は成田 - モスクワ ドモジェドヴォ線を最新鋭機材であるボーイング787で運航させている。しかし、この路線は季節ごとに運航する日程が異なるため、夏ダイヤは週4便から最大で毎日運航、冬ダイヤでは週3 - 4便程度の運航にとどまる。
^ [1]
^ アエロフロート、成田に777 19年夏から大型化、プレエコ設定
^ AEROFLOT WITHDRAWS LEGENDARY TU-154S
^ 露アエロフロート、20億ドル規模のボーイング機購入で最終合意
^ SCAC and Aeroflot sign the Act of Delivery & Acceptance for the SSJ100 MSN 95013
^ Aeroflot new Boeing 777-300ER flights are postponed due to a tangle in the Russian aviation authorities 31 January 2013
関連項目
- ドンアヴィア
- アエロフロート航空墜落事故
参考文献
- 谷川一巳「世界の『航空会社』物語」(2002年・主婦の友社)ISBN 4072337676
- Davies, R.E.G.(1992). Aeroflot: An Airline and Its Aircraft (First ed.). Rockville, Maryland: Paladwr Press. ISBN 0962648310.
『月刊エアライン』「特集 ロシアより愛をこめて2011」2011年4月号(イカロス出版)- クレア・トラベラー (CREA TRAVELLER)「アエロフロートでパリに行きました」2014年7月号(文藝春秋)
外部リンク
アエロフロート・ロシア航空 (日本語)
Аэрофлот - Aeroflot (ロシア語)
Аэрофлот (@aeroflot) - Twitter (ロシア語)
Aeroflot Airlines - Facebook (英語)
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「アエロフロート」系LCCは“硬い”[リンク切れ] ロシアNOW
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