永青文庫
永青文庫 | |
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永青文庫本館 | |
施設情報 | |
専門分野 | 熊本藩主の細川家伝来の美術品や蒐集品など |
館長 | 細川護煕 |
事業主体 | 公益財団法人永青文庫 |
管理運営 | 公益財団法人永青文庫 |
開館 | 1972年(昭和47年) |
所在地 | 〒112-0015 日本 東京都文京区目白台1丁目1番地1号 |
位置 | 北緯35度42分47.5秒 東経139度43分23.7秒 / 北緯35.713194度 東経139.723250度 / 35.713194; 139.723250座標: 北緯35度42分47.5秒 東経139度43分23.7秒 / 北緯35.713194度 東経139.723250度 / 35.713194; 139.723250 |
アクセス | 都営バス「白61 新宿駅西口」行き「目白台三丁目」停留所より徒歩5分 都電荒川線早稲田駅より徒歩10分 |
外部リンク | http://www.eiseibunko.com/ |
プロジェクト:GLAM | |
永青文庫(えいせいぶんこ)とは、東京都文京区目白台にある、日本・東洋の古美術を中心とした美術館である。旧熊本藩主細川家伝来の美術品、歴史資料や、16代当主細川護立の蒐集品などを収蔵し、展示、研究を行っている。運営主体は公益財団法人永青文庫。理事長は18代当主の細川護煕(元内閣総理大臣)。
熊本市の熊本城二の丸にある熊本県立美術館が「永青文庫展示室」を設け、永青文庫所蔵品の一部を年に数回入れ替えながら展示しているほか、東京国際空港第2旅客ターミナル内にある「ディスカバリーミュージアム」でも所蔵品の一部が企画を替えながら展示されている[1]。
目次
1 概要
2 指定文化財
2.1 国宝
2.2 重要文化財
2.3 県指定文化財
3 関連文献
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
概要
永青文庫は、目白台の閑静な住宅街のなかにあり、1950年(昭和25年)、第16代当主細川護立(1883年 - 1970年)によって設立された[3]。護立は旧侯爵、貴族院議員で、国宝保存会会長などを務め、戦前・戦後の日本の文化財保護行政に多大な貢献をしている。「美術の殿様」と言われ、美術品収集家としても著名であった。多くの旧大名家が伝来の名宝を美術館や個人に寄贈したり売却する中で、細川家は数多くの美術品を自ら管理し、保存した[4]。
文庫の所在地は細川家の屋敷跡であり、建物は昭和時代初期に、細川家の事務所として建てられたものである。文庫名の「永青」は細川家の菩提寺である永源庵(建仁寺塔頭、現在は正伝永源院)の「永」と、細川藤孝の居城・青龍寺城の「青」から採られている[5]。
一般公開されるようになったのは、当主が第17代細川護貞(もりさだ)になった1972年(昭和47年)からである[3]。貴重な国文学の古書籍も所蔵され、一部が汲古書院より、影印本『細川家永青文庫叢刊』で出版された。
収蔵品は、歴代当主所用の甲冑、茶道具、書画、古文書などの細川家伝来品と、16代当主細川護立の蒐集品とを含む。文庫収蔵品のうち護立によって蒐集されたものには中国美術(陶磁器、仏像、考古資料など)、白隠、仙厓などの禅画、禅林墨跡、近代日本絵画、刀剣などがある(刀剣については、細川家伝来品と護立の蒐集品の両方がある)。護立は横山大観、下村観山、菱田春草など多くの画家たちを支援しており、そうした交友を通じて近代日本絵画のコレクションが形成された[6]。
指定文化財
国宝
- 太刀 銘豊後国行平作(古今伝授の太刀)
- 短刀 無銘正宗(名物庖丁正宗)
- 短刀 銘則重(日本一則重)
- 刀 金象嵌銘光忠 光徳(花押)生駒讃岐守所持(生駒光忠)
- 柏木兎螺鈿鞍(かしわみみずく らでん くら)
- 時雨螺鈿鞍[7]
- 金銀錯狩猟文鏡(中国・戦国時代)
- 金彩鳥獣雲文銅盤(中国・前漢~後漢時代)
重要文化財
- 絵画
- 絹本著色細川澄元像 狩野元信筆
- 紙本著色長谷雄草紙
- 紙本著色洋人奏楽図 六曲屏風一双(大聖寺藩伝来、熊本県立美術館寄託[8])
- 紙本墨画芦雁図(伝宮本武蔵筆) 六曲屏風一双(熊本県立美術館寄託)
- 紙本墨画鵜図 宮本武蔵筆(熊本県立美術館寄託)
- 紙本墨画紅梅鳩図 宮本武蔵筆(熊本県立美術館寄託)
- 紙本著色落葉図 菱田春草筆 六曲屏風一双 1909年(熊本県立美術館寄託)
- 絹本著色黒き猫図 菱田春草筆 1910年(熊本県立美術館寄託)
- 髪 小林古径筆 絹本著色 1931年(熊本県立美術館寄託)
- 彫刻
- 石造如来坐像(中国・唐)
- 石造菩薩半跏像(中国・北魏)
- 銅造如来坐像 台座に元嘉十四年五月一日韓謙造像の銘がある(中国・劉宋)
- 陶磁
- 宋白地黒掻落牡丹文瓶(そう しろじくろかきおとし ぼたんもん へい)
唐三彩花文大盤[9]
- 唐三彩花文盤[10]
- 刀剣武具
- 太刀 銘守家造
- 破扇散鐔 無銘林又七
- 春日野図鐔 銘城州伏見住金家
- 毘沙門天図鐔 銘城州伏見住金家
- 牟礼高松図鐔 銘利寿(花押)
- 白糸威褄取鎧 兜付(しろいとおどしつまどり よろい かぶとつき)
- 書跡
後深草天皇宸翰消息(十二月十日)
織田信長自筆書状 十月二日 長岡与一郎宛(附:十月二日堀秀政副状)
伏波神祠詩巻 黄庭堅筆
清拙正澄墨蹟 与鉗大冶蔵主法語
楚石梵琦墨蹟 無我省吾心華室銘 至正丙午秋九月
大休正念墨蹟 悼聖一国師状(十二月九日)
- 古文書
- 細川家文書(266通)11巻、23幅、2冊、180通、附:文書箱4合(熊本大学附属図書館寄託)[11]
- 細川家文書(266通)11巻、23幅、2冊、180通、附:文書箱4合(熊本大学附属図書館寄託)[11]
- 考古資料
- 銀胡人像 1箇・銀杯 3口 伝中国河南省洛陽金村出土
- 嵌珠金銀錯斜格子文壺(かんしゅきんぎんさく しゃこうしもん こ)伝中国河南省洛陽金村出土[12]
- 歴史資料
天球儀(渾天新図)(銅製)渋川春海、津田友正作
上記のほか「細川家舟屋形」(熊本藩御座船の御座所、「建造物」として重要文化財に指定)も永青文庫の所有である[13]。この舟屋形は熊本城天守内に保管されていたが、2018年に熊本市立熊本博物館に移された[14]。
県指定文化財
- 絵画
領内名勝図巻(りょうないめいしょうずかん)
- 江戸中期の寛政5年(1793)ごろに、細川藩の絵師数名によって描かれた、肥後細川藩を中心とする名勝の絵巻物。一部、日向(宮崎)の物も描かれている。写真が無かった時代に、九州地方の名勝を描いたものは少なく、美術品としての価値だけでなく、当時の地方状況を示す手がかりとしても大変貴重な史料ともなっている。
- 現在は、財団法人永青文庫所蔵で、現在熊本県立美術館に寄託されている。藩主が、矢部手永(現在の山都町)を狩りで訪れた際に、「五老ヶ滝」や「聖滝(ひじりだき)」などの見事さに心を打たれ、有名な領内の名勝を絵師に描かせて、東京の屋敷で諸大名に披露したという。
関連文献
脚注
^ ミュージアムについて(ディスカバリーミュージアム公式サイト)に「永青文庫の常設企画展として開設」と記されている。
^ 織田信長自筆書状の書下しは以下の文献による。
- 増田孝『書は語る書と語る』(風媒社、2010)、p.39
- 『永青文庫の国宝』(永青文庫編集・発行、2004)、p.50
- ^ ab永青文庫 (n.d.), 当館概要, 永青文庫美術館, http://www.eiseibunko.com/history.html 2009年9月13日閲覧。
^ 熊本県立美術館、2008、pp.64, 164
^ 熊本県立美術館、2008、p.164
^ 熊本県立美術館、2008、pp.74, 79, 108, 110, 112, 140, 164
^ 国宝指定名称は「螺鈿時雨鞍」。
^ 『洋人奏楽図屏風 光学調査報告書』 独立行政法人国立文化財機構 東京文化財研究所、2015年3月31日。
^ 永青文庫による呼称は「三彩蓮華文圏足盤」(cf:熊本県立美術館、2008、p.146)。本品は1962年に、1行下の「唐三彩花文盤」は1963年に重要文化財指定。
^ 永青文庫による呼称は「三彩宝相華文三足盤」(cf:熊本県立美術館、2008、p.146)。
^ 熊本県立美術館編集 『重要文化財指定記念 細川コレクション 信長からの手紙』 熊本県立美術館 公益財団法人永青文庫、2014年10月10日。
^ 永青文庫による呼称は「金銀玻璃象嵌大壺」(cf:熊本県立美術館、2008、p.146)。
^ 熊本県立美術館、2008、pp.55, 147
^ 熊本博物館リニューアルオープンについて(熊本市サイト)
参考文献
芸術新潮編集部編 『細川家の700年 永青文庫の至宝』 新潮社〈とんぼの本〉、2008年、ISBN 978-4-10-602180-0
細川護煕編 『美に生きた細川護立の眼』 求龍堂、2010年6月、ISBN 978-4-7630-1001-8
- 展覧会図録
- 『永青文庫 細川家の名宝』 MIHO MUSEUM、2002年
- 『永青文庫 細川家の歴史と名宝』 熊本県立美術館、2008年
- 『細川家の至宝 -珠玉の永青文庫コレクション』 東京国立博物館、2010年
関連項目
- 熊本県立美術館
橋本麻里(2016年から副館長)
外部リンク
- 永青文庫公式サイト
永青文庫 (@eiseibunko) - Twitter