下谷神社
下谷神社 | |
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所在地 | 東京都台東区東上野三丁目29番8号 |
主祭神 | 大年神 日本武尊 |
社格等 | 郷社 |
創建 | 730年(天平2年) |
例祭 | 5月11日前後の土曜・日曜 |
下谷神社(したやじんじゃ)は、東京都台東区東上野三丁目にある神社。大年神と日本武尊を祭っている。
目次
1 概要
2 歴史
3 氏子地域
4 脚注
5 外部リンク
概要
古くは下谷稲荷社、下谷稲荷明神社と呼ばれた都内最古の稲荷神社。東京メトロ銀座線の稲荷町駅に名を残す旧町名の稲荷町は、この神社の旧称が由来の町名である。例大祭で近隣町内を渡御する本社神輿は台輪幅4尺1寸の千貫神輿といわれ、大きな威容を誇る。
社殿の天井画は横山大観の作。また、1798年に初代・三笑亭可楽によって当社境内で初めて寄席が開かれた。このため、本神社には「寄席発祥の地」の石碑がある。
夏になるとドライミストで神社に集まる人々が涼しんでいる。
「水」と「芸能」のパワースポットと云われる。
宮司の阿部明徳は、東日本大震災で被災した神社等の仮社殿、鳥居、神輿、縁日などの復旧支援活動を、他の神社関係者と共に行っている[1]。
歴史
当初は上野公園に鎮座していた。730年(天平2年)、峡田の稲置らが建立したとも、行基が伏見稲荷大社を勧請したとも伝えられる。939年(天慶2年)、平将門による天慶の乱追討祈願のため、藤原秀郷が社殿を新造したという。寛永年間、境内が寛永寺山内となるにあたり、1627年(寛永4年)別当正法院と共に下谷屏風坂下に移転したが、126坪余と手狭だったため、1680年(延宝8年)下谷広徳寺前にあった谷中天眼寺先住少林庵抱地525坪余と土地を交換した。1703年(元禄16年)旧地も正法院抱地になった。
1868年(明治元年)神仏分離令により正法院を分離した。翌年周囲の町名が当社に因み下谷稲荷町となる。1872年(明治5年)下谷神社と改称、翌年下谷地域の郷社と定められた。関東大震災で社殿を焼失、1928年(昭和3年)現在地に移転。1934年(昭和9年)現在の社殿が完成した。東京大空襲では被害を受けなかった。
氏子地域
台東区東上野
- 台東区上野五・六丁目全域、七丁目2~12
- 台東区台東一丁目7~12・27~31、二丁目7~10・18~32、三・四丁目全域
千代田区神田須田町二丁目
脚注
^ 黒崎浩行,継続特集,3.11後を拓く:復興の困難さと神社神道.現代宗教 2014.公益財団法人国際宗教研究所.2014年(平成26年)3月,pp.227-248, ISSN 2188-4471.
外部リンク
- 下谷神社