北条秀司










北條 秀司


北條 秀司(ほうじょう ひでじ、新字体:北条、1902年(明治35年)11月7日 - 1996年(平成8年)5月19日)は、劇作家、演出家、著述家。本名は飯野 秀二(いいの ひでじ)。




目次






  • 1 略歴・業績


    • 1.1 褒章・受賞




  • 2 著書


  • 3 典拠・注釈


    • 3.1 典拠・資料


    • 3.2 注釈




  • 4 外部リンク





略歴・業績


大阪市西区西長堀生まれ。


大阪市立甲種商業学校(現大阪市立天王寺商業高等学校)予科に進む。同校本科には進まず、1920年に日本電力に入社。同社で働きながら、関西大学専門部文学科(夜間)を卒業。


商業学校在学中の1919年に、室町銀之助の筆名で宝塚少女歌劇の第5回脚本公募に応募し、一等に入選する。1920年7月、宝塚公会堂劇場で入選脚本が「コロンブスの遠征」として上演された。


1926年、久松一声の誘いで宝塚歌劇団に入社の話があったが、面接での宝塚幹部の態度が傲慢だと感じ、入社拒否[1]。同1926年には、東京建設所に転任となり上京[2]。1928年、日本電力と小田原電気鉄道の合併で、新たに創設された箱根登山鉄道株式会社へ出向し、小田原に居住する[3]。事業課長として強羅ホテルの建設などを担当する。


箱根登山鉄道の社員をしながら、1933年から[4]劇作家を志望して、岡本綺堂に師事する[5]。「北條秀司」の筆名は綺堂がじきじきに命名したもので、小田原の戦国大名北条氏にちなんだものである[6]。綺堂が主催する月刊誌『舞台』に参加する。


1937年、『舞台』に発表した戯曲『表彰式前後』が新国劇で上演されて劇壇デビューし、会社員兼業の劇作家となる。1939年の綺堂の死去を機会に退社して、劇作家専業となり上京。1940年、長谷川伸に師事して、長谷川主催の脚本研究会「二十六日会」に参加[7]。1940年、『閣下』で新潮社文藝賞受賞。1944年から、日本文学報国会の総務部長をつとめる。同年、南京で行われた第三回大東亜文学者大会に、日本側の責任者として同行参加[8]


1947年、新国劇で辰巳柳太郎主演の『王将』が大ヒットし、2作の続編を執筆して1950年に初演。また、たびたび映画化された。劇化により1957年日本将棋連盟からアマチュア三段が与えられ[9]、のち村田英雄の王将 (曲)のヒットにより四段を与えられた[10]。ただし、北條はふだん将棋を指すことはなく、『王将』の企画も辰巳柳太郎からもちこまれたものだった[11]


1948年、神奈川県鎌倉郡大船町山崎に転居する。1954年、神奈川県鎌倉市岡本へ転居。


1959年には、新国劇にて、裁判中の「松川事件」を演劇化した。


1951年、『霧の音』で毎日演劇賞、1965年、『北條秀司戯曲選集』で芸術選奨文部大臣賞、翌年読売文学賞、1973年、菊池寛賞受賞。1987年、文化功労者。ほか大谷竹次郎賞。歌舞伎、新派、新国劇、宝塚歌劇に数多くの脚本を提供し自ら演出も手掛けており、宝塚においては植田紳爾の師の一人でもあった[12]


大劇場商業演劇で成功した功より、演劇界の大御所として重きを成し、日本演劇協会会長や国際演劇協会日本センター会長なども歴任、北條天皇の異名を取った。


また、1951年には、大劇場の劇作家の親睦会「鬼の会」を創設[13]。北条以外の創設メンバーは、秋月桂太、阿木翁助、伊馬春部、池波正太郎、宇野信夫、小沢不二夫、金貝省三、上山雅輔、菊田一夫、斉藤豊吉、高橋博、知切光歳、中江良夫、二宮千尋、水木洋子、八木隆一郎、矢田弥八[14]


1960年には、劇作家の生活向上を目的として、川口松太郎、中野実、北條秀司、菊田一夫で「劇作家四人の会」を結成[15]


代表作に、『王将』三部作 (1947–50)、『狐と笛吹き』(1952)、『太夫(こったい)さん』(1955)、『佃の渡し』、『狐狸狐狸ばなし』、『建礼門院』などがあり、また『末摘花』『浮舟』『藤壺』など、『源氏物語』を題材にしたものも多く、その集大成は「北條源氏」と呼ばれている。


晩年は奇祭に熱中し、奇祭に関連する著書多数。


1996年5月19日に肝不全のために93歳で逝去。最晩年においても新作の執筆をしていたという[16]


娘は元女優・声優の北條美智留。



褒章・受賞


[17][18]



  1. 1937年、『表彰式前後』が新国劇で上演されて劇壇デビュー。

  2. 1938年、「華やかな夜景」で新潮社文芸賞第二部(大衆文芸)の候補作になる。

  3. 1941年、「閣下」で新潮社文芸賞第二部(大衆文芸)を受賞。

  4. 1944年、 第一回、大陸開拓文学賞候補「東宮大佐」

  5. 1951年、『霧の音』で毎日演劇賞(ただし、本人の著書では『王将・終編』『霧の音』で受賞したとある[19]

  6. 1955年、第8回 毎日出版文化賞 候補作『富崎春昇自伝』

  7. 1955年、NHK放送文化賞

  8. 1955年、毎日演劇賞(「山鳩」「太夫さん」(明治座)「未摘花」(歌舞伎座)など1年を通じての活躍)

  9. 1965年、『北條秀司戯曲選集』で芸術選奨文部大臣賞

  10. 1965年  読売文学賞:戯曲賞を「北条秀司戯曲選集」が受賞[20]

  11. 1973年、菊池寛賞受賞(日本演劇協会の創始者として演劇文化に貢献したことにより)

  12. 1973年、大谷竹次郎賞(第3回)「春日局」

  13. 1987年、文化功労者



著書


戯曲・創作


  • 『閣下 : 他六篇』 双雅房、1940年

  • 『丹那隧道』 大川屋書店、1943年 

  • 『花壇の嵐』玉井徳太郎 絵 偕成社、1949年 

  • 『北條秀司ラジオ・ドラマ選集』 宝文館、1952年 

  • 『王将』 宝文館、1952年 のち春陽文庫、角川文庫

  • 『鴛鴦』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書)、1954年

  • 『早春』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書)、1955年 

  • 『井伊大老』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書)、1955年 

  • 『狐と笛吹き』 宝文館(ラジオ・ドラマ新書)、1955年 

  • 『源氏物語 放送劇』 宝文館、1957年 

  • 『北條秀司作品集』『表彰式前後』他  演劇出版社、1959年 

  • 『北條秀司戯曲選集』全8巻  青蛙房、1962年 

  • 『建礼門院』 青蛙房(北條秀司戯曲選集)、1969年 

  • 『大老』 青蛙房、(北條秀司戯曲選集)1971年 

  • 『北條政子』 青蛙房(北條秀司戯曲選集)、1973年 

  • 『奥の細道』 青蛙房(北條秀司戯曲選集)、1976年 

  • 『北條秀司自選戯曲集』 青蛙房、1979年 

  • 『北條源氏』 青英舎、1985


随筆・紀行


  • 『古都好日』葛西宗誠 カメラ 淡交新社、1964年 

  • 『京の日』 雪華社、1966年 

  • 『炉ばたの話』 雪華社、1967年 

  • 『祭りのふるさと』 日本交通公社、1968年 

  • 『北京暖冬』 青蛙房、1968年 

  • 『奇祭巡礼』 淡交社、1969年 

  • 『古都祭暦』 淡交社、1969年 

  • 『奇祭風土記』 淡交社、1971年 

  • 『祭り紀行』 昭文社出版部、1972年 

  • 『北條秀司劇作史』 日本放送出版協会、1974年 

  • 『祭り歳時記』 東京美術、1975年 

  • 『演劇雑記帳』 読売新聞社、1975年 

  • 『新派群像』枻出版社 1976年

  • 『カラー津軽路の魅力』文: 北条秀司,写真: 薗部澄 淡交社 1976

  • 『四季日本の祭り : 豪華写真集』北条秀司 [ほか]著 毎日新聞社 1981

  • 『わが歳月 終戦まで』 日本放送出版協会、1981年 

  • 『エトランゼ紀行』 北斗社、1981年 

  • 『京・四季の旅情』 淡交社、1981年 

  • 『おまつりきちがい』 北斗社、1982年 

  • 『夜の秋』 北斗社、1982年 

  • 『祭りの笛』 北斗社、1982年 

  • 『愛知の祭り紀行』 中日新聞本社、1982年 

  • 『演劇太平記』全6巻  毎日新聞社、1985–91年 

  • 『鬼のあるいた道』 毎日新聞社、1987年 

  • 『老鬼寂寞』 演劇出版社、1990年

  • 『古時計の歌』 北斗社、1992年


編著・共著



  • 富崎春昇自伝 北条秀司 編 演劇出版社 1954


  • 八木隆一郎追想 北条秀司 編 北斗社 1968

  • 北条秀司劇作史 北条秀司 編著 日本放送出版協会 1974


  • 行友李風戯曲集 北条秀司 編 演劇出版社 1987



典拠・注釈



典拠・資料



  • 『北条秀司戯曲選集』全12巻(青蛙房、1962.7~1976.11)

  • 北条秀司著作目録  村田 聡一郎 (国文学、1986-02)関西大学国文学会

  • 北條秀司関係資料(東海大学・情報史料学研究所)



注釈




  1. ^ 「わが歳月」P.121-122


  2. ^ 『わが歳月』P.124


  3. ^ 『わが歳月』P.163


  4. ^ 『わが歳月』P.222


  5. ^ 北條秀司関係資料(東海大学・情報史料学研究所)


  6. ^ 北條秀司関係資料(東海大学・情報史料学研究所)


  7. ^ 『わが歳月』P.369


  8. ^ 『わが歳月』P.523


  9. ^ 『演劇太平記(6)』末尾の年譜


  10. ^ 『演劇雑記帳』(読売新聞社)P.99


  11. ^ 『演劇雑記帳』(読売新聞社)P.88


  12. ^ “もっと関西 宝塚の自然・人 歌劇団育む 宝塚歌劇団特別顧問 植田紳爾さん(私のかんさい) 大阪 文化的土壌に誇りを”. 日本経済新聞. (2017年5月18日). http://www.nikkei.com/article/DGXLASJB11H2D_R10C17A5AA2P00/ 2017年8月19日閲覧。 


  13. ^ 『演劇太平記(1)』P.217


  14. ^ 『演劇太平記(1)』P.217-218


  15. ^ 北條秀司『演劇太平記(3)』(毎日新聞社)P.193


  16. ^ “劇作家・北條秀司、肝不全で死去”. ステージウェブ. (1996年5月21日). http://www.stageweb.com/news/199605213/ 2017年8月19日閲覧。 


  17. ^ 北條秀司関係資料(東海大学・情報史料学研究所)


  18. ^ 日本人名大辞典


  19. ^ 『演劇雑記帳』(読売新聞社)P.98


  20. ^ 読売新聞公式サイト読売文学賞HP 第11回~第20回・受賞者一覧





外部リンク


  • 北条秀司 - NHK人物録








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