上方舞
上方舞(かみがたまい)とは、江戸時代中期(1800年頃)から末期にかけて上方で発生した日本舞踊の一種。着流しに、屏風を立てた座敷で舞う素踊りを基本とする。源流となった御殿舞と、能を基本にした静的な舞に、人形浄瑠璃や歌舞伎の要素を加味しており、しっとりとした内面的な舞い方をする。歌舞伎舞踊より抽象的で単純化された動きである。本来、舞台より座敷で舞われることが多いとされていたので座敷舞と呼ばれたり、伴奏に地唄が用いられることから、地唄舞とも呼ばれる。また上方舞のうち、京都で発展した井上流、篠塚流を京舞(きょうまい)と呼ぶ。毎年、11月に東京の国立劇場で行われる「京阪の座敷舞」は、東京で上方舞が観られる数少ない機会であり、最も大規模なものである。
目次
1 上方舞の作品系統
2 上方舞の流派
2.1 上方四流
2.2 そのほかの流派
3 参考資料
4 関連項目
5 外部リンク
上方舞の作品系統
- 本行物(ほんぎょうもの)
能楽から借用した、格調が高く重厚味のある作品。『葵上』など。
- 艶物(つやもの)
- 女舞の色っぽい情緒のある作品。『雪』など。
- 芝居物
歌舞伎舞踊を上方舞に取り入れたもの。『江戸土産』『鐘が岬』など。
- 作物(さくもの)
- 軽妙でしゃれた味のおどけ物。『忘れ唱歌』『三国一』など。
上方舞の流派
上方舞の流派のうち山村流、楳茂都流、井上流、吉村流を特に「上方四流」と呼ぶ。
上方四流
- 山村流
- 文化3年 (1806) 、三代目中村歌右衛門と共に活躍し、当時の上方舞踊界を席巻した上方歌舞伎の振付師・山村友五郎が創始。舞の品の良さから商家の子女の習い事として隆盛を極めた。
- 楳茂都流
- 天保12年 (1841) に楳茂都扇性が創始。
- 井上流
幕末に井上サトが創始。祇園甲部の芸妓・舞妓による流派。都をどりが有名。四世井上八千代は一代の舞の名手で人間国宝認定。- 吉村流
- 幕末に京都の御所に出仕した狂言師が始めた御殿舞を源流とし、 明治初期に吉村ふじが創始。四世吉村雄輝は人間国宝認定、文化功労者選定。
そのほかの流派
扇崎流 舞だけでなく日本舞踊に至るまで多くの振り付けを致し、1960年に神崎流より独立た流儀。二代目家元 扇崎秀園は元々歌舞伎役者から転身している。
- 篠塚流
文化・文政年間 (1804–30) に、上方歌舞伎所作事の振付師・篠塚文三郎が創始した京舞最古の流派。一度絶えた後、昭和38年 (1963) に復活している。- 小川流
- 上方歌舞伎の振付師であった小川理右衛門から発展した流派。大阪に勢力を持つ。
- 神崎流
神崎恵舞が1937年に創始した。東京に稽古場を設け、上方舞を東京に広めた。神崎流の流れを組む流派として扇崎流、音枝流、閑崎流、出雲流、花崎流、川口流などがある。- 古澤流
- 江戸時代後期から姫路城に伝わった御殿舞を受け継いで、昭和になって初代家元古澤侑が創設。古澤侑は品格の高い色香のある舞手として数々の賞を受賞した。現在は古澤侑峯が家元を継いでいる。
- 大和流
- 御殿舞松本流の名取だった大和松蒔が平成元年 (1989) に創始。
- 葛流
- 日本舞踊藤間流の名取だった葛タカ女が平成十二年 (2001) に創始。
- 上方舞 立花流
- 立花青昇が1998年に創設。家元立花青昇は幼少時より「宝生流」修め後に姫路城で発祥した「御殿舞」を習得した。宗家松本尚山、家元松本尚女の薫陶 を受けて名取、師範となり、後「上方舞 立花流」を創設。古典芸能「上方舞」の継承と次世代への伝承もと創作上方舞「能を舞ふ」を毎年公演してい る。平成23年度より「文化庁芸術祭参加」の承認を得て、「文化庁芸術祭参加公演」を行っている。
参考資料
- 藤田洋『日本舞踊ハンドブック』三省堂、2001年、33頁、89頁、91頁、96頁、104-106頁。
関連項目
- 武原はん
- 山村たか
- 上方歌
- 雪 (地唄)
- 黒髪 (地歌)
- 古澤侑
- 立花青昇
外部リンク
- 上方舞友の会(吉村流)
- 財団法人片山家能楽・京舞保存財団
- 井上流京舞について
- 上方舞山村流公式ホームページ
- 山村流宗家公式ブログ
- 山村若女公式ホームページ
- 地唄舞古澤侑峯
- 古澤侑峯の世界
- 京舞篠塚流HP
- 楳茂都梅衣華
- 地歌舞・古澤侑峯
- 地唄舞・大和松蒔舞の会
- 上方舞・山村若女ブログ
- 地唄舞・扇崎秀薗ホームページ
- 出雲蓉 地唄舞夢の世界
- 上方舞・立花青昇
- 上方舞吉村流 吉村会
- 花崎流家元 花崎杜季女
- 地唄舞普及協会
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