ホセ・アントニオ・レジェス
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はレジェス、第二姓(母方の姓)はカルデロンです。 |
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セビージャ時代のレジェス (2015年) | ||||||
名前 | ||||||
本名 | ホセ・アントニオ・レジェス・カルデロン José Antonio Reyes Calderón | |||||
愛称 | セビージャの神童 | |||||
ラテン文字 | Jose Antonio REYES | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | スペイン | |||||
生年月日 | (1983-09-01) 1983年9月1日(35歳) | |||||
出身地 | ウトレラ | |||||
身長 | 176cm | |||||
体重 | 79kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | コルドバCF | |||||
ポジション | FW (WG) / MF (SH) | |||||
背番号 | 9 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
1994-1999 | セビージャ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
1999-2001 | セビージャB | 32 | (1) | |||
2000-2004 | セビージャ | 86 | (21) | |||
2004-2007 | アーセナル | 69 | (16) | |||
2006-2007 | → レアル・マドリード (loan) | 30 | (6) | |||
2007-2011 | アトレティコ・マドリード | 103 | (8) | |||
2008-2009 | → ベンフィカ (loan) | 26 | (4) | |||
2012-2016 | セビージャ | 109 | (9) | |||
2016-2017 | エスパニョール | 21 | (3) | |||
2018 | コルドバ | |||||
2018- | 新疆天山雪豹足球倶楽部 | |||||
代表歴 | ||||||
1999-2000 | スペイン U-16 | 7 | (5) | |||
2001-2002 | スペイン U-19 | 7 | (3) | |||
2002-2003 | スペイン U-21 | 7 | (3) | |||
2003-2005 | スペイン | 21 | (4) | |||
2013 | アンダルシア | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2017年5月22日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ホセ・アントニオ・レジェス・カルデロン(José Antonio Reyes Calderón, 1983年9月1日 - )は、スペイン・セビリア県ウトレラ出身のサッカー選手。中国サッカー・甲級リーグ・新疆天山雪豹足球倶楽部所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。
目次
1 クラブ経歴
1.1 セビージャ
1.2 アーセナル
1.3 レアル・マドリード
1.4 アトレティコ・マドリード
1.5 ベンフィカ
1.6 アトレティコ・マドリード復帰
1.7 セビージャ復帰
1.8 エスパニョール
1.9 コルドバ
2 代表経歴
3 エピソード
4 所属クラブ
5 タイトル
5.1 クラブ
5.2 代表
6 脚注
7 外部リンク
クラブ経歴
セビージャ
ヒターノ(ロマのスペインにおける外名)の両親の下[1][2][3]、セビリアの郊外にあるウトレラに生まれ、10歳の時にセビージャFCの下部組織に入団した。1999-00シーズン、セグンダ・ディビシオン(2部)のセビージャ・アトレティコ(セビージャFCのBチーム)でプレーしながら、レアル・サラゴサ戦で16歳にしてトップチームデビューを果たした。2001年夏にトップチームがプリメーラ・ディビシオン(1部)に昇格すると、2001-02シーズンは開幕からスタメンを任され、レアル・バリャドリード戦でドリブルの独走から美しいゴールを決めた。トップチームに在籍した4シーズンで86試合に出場して22得点を記録し、他クラブからの興味を引く存在となった。
アーセナル
セビージャのホアキン・カパロス監督はレジェスの残留を希望したが、2004年冬の移籍期間に1050万ポンドの移籍金(最高で1750万ポンドまで上昇するオプションが付けられた)でアーセナルに移籍した[4]。2004年2月1日のマンチェスター・シティ戦でデビューし、カーリング・カップのミドルスブラ戦ではオウンゴールを記録した。初めて相手ゴールに決めたのはFAカップのチェルシー戦で[5]、UEFAチャンピオンズリーグ準々決勝でも再びチェルシー相手にゴールを決めた。
2004-05シーズンは開幕から6試合連続で得点し[5]、前シーズンから続く無敗記録の継続に貢献したが、中盤戦以降は不振に喘いだ。両親と兄弟も揃ってイングランドに引っ越してきたにも関わらず、2005年初めにはホームシックにかかっていると報道され、ロンドンのどんよりとした気候や異文化に適応することが困難であると発言した[6]。2005年のFAカップ決勝・マンチェスター・ユナイテッド戦ではイエローカードを2枚受け、同大会決勝戦の歴史上2人目の退場者となった。シーズン終了後には移籍も取り沙汰されたが、新たにクラブと6年契約を結び直した。
2005-06シーズンのアーセナルはチャンピオンズリーグを順調に勝ち進み、レアル・マドリード、ユヴェントス、ビジャレアルなどの強豪が彼の獲得に興味を示した。FCバルセロナとの決勝は試合途中から起用されたが、1-2で敗れて準優勝に終わった。
レアル・マドリード
2006年夏の移籍市場が閉じる直前、ジュリオ・バチスタとのトレードでレアル・マドリードにレンタル移籍し[7]、9月17日のレアル・ソシエダ戦でフリーキックによって移籍後初得点を決めた。シーズンを通して顕著な活躍を見せることはなかったが、マジョルカとのシーズン最終戦では0-1と劣勢の場面で途中出場し、2度ゴールネットを揺らして優勝に貢献した。
アトレティコ・マドリード
2007年7月8日にはベルント・シュスター新監督が就任し、レアル・マドリードへの完全移籍が決まるかと思われたが、7月30日には移籍金1200万ユーロ(約19億4000万円)でアトレティコ・マドリードと4年契約を結んだ[8][9]。プレシーズンマッチのラツィオ戦でデビューし、1得点1アシストの活躍でアムステルダム・トーナメント優勝に導いた。しかし2007-08シーズンは不調に終わり、マキシ・ロドリゲスやシモン・サブローザからポジションを奪えず、26試合に出場して無得点にとどまった。
ベンフィカ
2008年8月8日、ベンフィカにレンタル移籍し、ベンフィカは彼の保有権の25%を265万ユーロで獲得した[10][11]。プレシーズンのフェイエノールト戦でデビューし、9月28日のスポルティングCPとのリスボンダービーで初得点を決めた。その直後のUEFAカップ1回戦・ナポリ戦でも貴重な得点を決め、勝ち抜けに貢献した。
アトレティコ・マドリード復帰
2009年夏にアトレティコ・マドリードに復帰し、2010年1月9日のバリャドリード戦ではロングレンジからミドルシュートを決めた。1月18日のUEFAヨーロッパリーグ・ガラタサライ戦1stレグでは22分にフリーキックを直接決め、2ndレグではディエゴ・フォルランの決勝点をアシストして勝ち上がりに貢献した[12]。3月28日のレアル・マドリードとのマドリードダービーではペナルティエリア右側から左足で巻くようなゴールを決めた。
2010年8月27日に行われたUEFAスーパーカップではUEFAチャンピオンズリーグ王者のインテル・ミラノ相手に先制点を決め[13]、2-0で優勝を果たすと共にマン・オブ・ザ・マッチに選ばれた[14]。
しかし、2011-12シーズン途中にグレゴリオ・マンサーノ監督との確執からベンチに座ることが多くなり、移籍を希望した。
セビージャ復帰
2012年1月5日、セビージャFCに移籍金350万ユーロで移籍し、8年ぶりに古巣への復帰を果たした[15]。1月8日に行われたラーヨ・バジェカーノ戦でセビージャの選手として再びデビューを果たした。
セビージャ復帰後は、バックアッパー及びチームの精神的支柱としてウナイ・エメリの下でUEFAヨーロッパリーグ3連覇に大きく貢献。しかし2015-16シーズンには虫垂炎の手術などの影響もあり契約自動延長の目安である出場時間を越えられず、退団となった[16]。
エスパニョール
2016年6月28日、RCDエスパニョールへ自由移籍で加入[17]。エスパニョールではベンフィカ、アトレティコ時代に続きキケ・フローレスとタッグを組むことになった。
コルドバ
2018年1月30日、セグンダ・ディビシオンのコルドバCFへ自由移籍で加入した[18]。
新疆天山雪豹
2018年6月6日、中国2部の新疆天山雪豹へ加入した。[19]
代表経歴
2002年7月にはUEFA U-19欧州選手権で優勝に貢献した。2003年9月6日のポルトガルとの親善試合でラウル・ゴンサレスとの途中交代で出場し、スペイン代表初キャップを刻んだ。イニャキ・サエス監督の下、UEFA EURO 2004予選のアルメニア戦で2得点する活躍を見せたが、本大会出場メンバーから外れ、大会後に「(同大会でスペインが早期敗退したため)自分のキャリアに傷が付かなくて良かった」と語って物議を醸した。
2006 FIFAワールドカップ欧州予選には7試合に出場し、本大会参加メンバーには自ら希望した背番号10で登録された[19]。本大会直前のエジプト戦で直接フリーキックを決めてアピールしたが[19]、消化試合となったグループリーグ3戦目のサウジアラビアとの1試合に出場しただけだった。その後、同じポジションにダビド・シルバやサンティ・カソルラが台頭してきたため、UEFA EURO 2008の登録メンバーから外れ、同大会予選以後は代表に招集されていない。
エピソード
右腕にカタカナで「レジェス」と入れ墨(タトゥー)を入れる予定だったが、ミスにより「レジュス」となっている[要出典]。
所属クラブ
セビージャFC 1999-2004
アーセナルFC 2004-2007
- → レアル・マドリード 2006-2007 (loan)
アトレティコ・マドリード 2007-2012
- → SLベンフィカ 2008-2009 (loan)
セビージャFC 2012-2016
RCDエスパニョール 2016-2017
コルドバCF 2018-
タイトル
クラブ
- セビージャ
セグンダ・ディビシオン : 2000-01
UEFAヨーロッパリーグ : 2013-14, 2014-15, 2015-16
- アーセナル
プレミアリーグ : 2003-04
FAカップ : 2004-05
FAコミュニティーシールド : 2004
- レアル・マドリード
プリメーラ・ディビシオン : 2006-07
- ベンフィカ
ポルトガルリーグカップ : 2008-09
- アトレティコ・マドリード
UEFAヨーロッパリーグ : 2009-10, 2011-12
UEFAスーパーカップ : 2010
UEFAインタートトカップ : 2007
代表
- U-19スペイン代表
UEFA U-19欧州選手権 : 2002
脚注
^ Reyes is gunning for glory - The Guardian 2004年2月1日
^ Aragones calls Reyes 'a gypsy' - The Independent 2005年1月1日
^ Reyes, la pieza más codiciada de Nervión - El Mundo 2002年1月29日
^ Reyes passes Arsenal medical - BBC Sport 2004年1月28日
- ^ abJose Reyes - arsenal.com
^ レジェス、アーセナル退団は「退屈だったから」 - livedoorスポーツ 2006年11月3日
^ Arsenal swap Reyes for Baptista - BBC Sport 2006年8月31日
^ Atlético continue spree with Reyes - UEFA.com 2007年7月31日
^ 話は一転。レジェスはアトレティコへ - livedoorスポーツ 2007年7月29日
^ CL予選登録メンバーから外れたレジェス、ベンフィカへ - livedoorスポーツ 2008年8月9日
^ レジェスがベンフィカへレンタル移籍 - UEFA.com 2008年8月7日
^ アトレティコ、レジェスとの契約延長を検討 - Goal.com 2010年2月28日
^ アトレティコ・マドリードがUEFAスーパーカップ制覇 - AFP BB News 2010年8月29日
^ 大舞台で夢をかなえたレジェス - UEFA.com 2010年8月27日
^ レジェスがセビージャに復帰 - UEFA.com 2012年1月5日
^ レジェス、2度目のセビージャ在籍が終焉「僕のことを覚えていて」 - サッカーキング 2016年6月3日
^ セビージャ退団のレジェスがエスパニョールに加入! キケ新監督と3度目のタッグ - 超ワールドサッカー 2016年6月29日
^ フリーのレジェスがリーガ2部のコルドバに加入 - 超ワールドサッカー 2018年1月31日
- ^ abスペイン代表のレジェス「レギュラー獲る」 - livedoorスポーツ 2006年6月6日
外部リンク
- BDFutbol profile
José Antonio Reyes - Soccerbase- Stats and profile at Zerozero
National team data (スペイン語)
ホセ・アントニオ・レジェス - National-Football-Teams.com
ホセ・アントニオ・レジェス – FIFA主催大会成績 (アーカイブ)- FootballDatabase profile and statistics
- Transfermarkt profile
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スペイン代表 - 出場大会 | ||||||||||||||
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