レアル・バリャドリード
レアル・バリャドリード | |||
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原語表記 | Real Valladolid | ||
愛称 | Pucela / Pucelanos (Pucelle) Blanquivioletas / Albivioletas (White and Violets) | ||
クラブカラー | 紫 | ||
創設年 | 1928年 | ||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | ||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | ||
ホームタウン | バリャドリード | ||
ホームスタジアム | ホセ・ソリージャ | ||
収容人数 | 26,512 | ||
代表者 | ロナウド (51%)[1] | ||
監督 | セルヒオ・ゴンサレス | ||
公式サイト | 公式サイト | ||
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レアル・バジャドリード・クルブ・デ・フトボル(スペイン語: Real Valladolid Club de Fútbol, S.A.D.、スペイン語発音: [reˈal βaʎaðoˈlið ˈkluβ ðe ˈfuðβol])は、スペイン・カスティーリャ・イ・レオン州の州都バリャドリードに本拠地を置くサッカークラブチーム。2018-19シーズンはプリメーラ・ディビシオン(1部)に在籍している。ラ・リーガ通算順位表では13位に位置する。
目次
1 歴史
2 タイトル
2.1 国内タイトル
3 記録
4 過去の成績
4.1 欧州カップ戦の歴史
4.1.1 UEFAカップ
4.1.2 UEFAカップウィナーズカップ
5 現所属メンバー
6 歴代所属選手
6.1 GK
6.2 DF
6.3 MF
6.4 FW
7 脚注
8 外部リンク
歴史
レアル・ウニオン・デポルティーバ・デ・バリャドリード(Real Unión Deportiva de Valladolid)とクルブ・デポルティーボ・エスパニョール(Club Deportivo Español)の合併により、1928年6月20日にレアル・バリャドリード・クルブ・デ・フトボルが誕生した。1946-47シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)を制し、1947-48シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)に初参戦した。1948-49シーズンのコパ・デル・レイでは決勝に進出したが、エスタディオ・サンティアゴ・ベルナベウで行われたアスレティック・ビルバオ戦に1-4で敗れて準優勝に終わった。その後の10年間はトップリーグに在籍し、1957-58シーズンにはセグンダ・ディビシオン降格となったが、ホセ・ルイス・サソ監督に率いられた1958-59シーズンにはテッラーサFCを歴史的な5-0というスコアで下すなどし、わずか1シーズンでプリメーラ・ディビシオンに再昇格した。サソ監督はかつてゴールキーパーとしてレアル・バリャドリードでプレーした選手であり、最終的にはクラブの会長まで上り詰めた。
1984年には、1980年代前半のみ開催されたコパ・デ・ラ・リーガ決勝でアトレティコ・マドリードを下して優勝した。1992-93シーズン終了後にプリメーラ・ディビシオンに昇格し、2003-04シーズンまで11シーズン連続でトップリーグに在籍した。レアル・マドリード・カスティージャを指導していたラファエル・ベニテスを監督に迎え、1996-97シーズンには同期間中最高位の7位となった。2000年にはJリーグのジェフユナイテッド市原から獲得した城彰二が短期間在籍した。
2006年夏にはバスク人のホセ・ルイス・メンディリバル監督を招聘し、2006-07シーズンはセグンダ・ディビシオン(2部)でクラブ史上最高のひとつに数えられるシーズンを送った。ビクトルとホセバ・ジョレンテのコンビはリーグ最強と謳われ、15節終了後に首位に浮上すると、2位には勝ち点8差を付けて、セグンダ・ディビシオン史上最高の勝ち点88を獲得して優勝した。昇格を逃した4位には実に勝ち点差26も付け、2位との勝ち点差・4位との勝ち点差のいずれもセグンダ・ディビシオンの新記録を更新した。2006年10月10日から2007年5月6日まで29試合も無敗を続け、42節中34節が終了したばかりの2007年4月22日に昇格を決めた。こちらも最速昇格記録となった。同シーズンのコパ・デル・レイでは、大会を通じて控え選手中心で臨んだにもかかわらず快進撃を続け、プリメーラ・ディビシオンのジムナスティック・タラゴナ(2試合合計4-1)とビジャレアルCF(2試合合計3-1)を破って準々決勝にまで進出した。2007-08シーズンは、最終ラインを高く保った攻撃的なディフェンスと、縦に突破してクロスをあげることを徹底したサイド攻撃で、中小クラブながら旋風を巻き起こした。ホセ・ルイス・メンディリバル監督は高く評価され、アウェーでの強さが他のチームに恐れられた。2008年夏にはFWホセバ・ジョレンテがビジャレアルCFに移籍したが、MFペドロ・レオンやMFホナタン・セスマ、GKセルヒオ・アセンホなどが急成長し、目標の残留を果たした。どちらのシーズンも残留を決めたのは最終節であり、2007-08シーズンはレクレアティーボ・ウェルバに1-1で引き分けて、2008-09シーズンはレアル・ベティスに1-1で引き分けて残留を祝った。
2009-10シーズンは開幕から20試合で3勝しか挙げられないスロースタートぶりであり、2010年2月1日、ホームでのUDアルメリア戦に引き分けた後にメンディリバル監督が解任された。オネシモ・サンチェス監督が後を引き継いだが、メンディリバル監督の解任から1週間後、チームはシーズンで初めて降格圏内に足を踏み入れた。なお、メンディリバル監督が指揮を執った138試合は降格圏に落ちたことがなかった。監督交代から10試合でわずか1勝に終わり、サンチェス監督もまた解任された。かつてスペイン代表の指揮官も務めたハビエル・クレメンテ監督が登用され、残りの8試合で絶望的と言われていたプリメーラ・ディビシオン残留を目指した。いったんは残留圏内の16位に浮上したが、チームは再び下位3クラブに逆戻りし、シーズン最終節ではカンプ・ノウでFCバルセロナから勝利することが必須であった。しかし、FCバルセロナも優勝のために勝利を目指しており、結局レアル・バリャドリードは0-4で敗れ、3シーズン踏みとどまったトップリーグから脱落した。
2011-12シーズンはミロスラヴ・ジュキッチ監督のもと、3位で終え、昇格プレーオフを勝ち抜いてプリメーラ・ディビシオンに昇格したが、2013-14シーズンに、セグンダ・ディビシオン降格となった。
2017-18シーズンは5位で終え、昇格プレーオフで、スポルティング・ヒホンとヌマンシアに勝利して4年ぶりのプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした。
2018年9月3日、元ブラジル代表のロナウドがクラブの株式の51パーセントを取得し、会長に就任した[2][3]。
タイトル
国内タイトル
- プリメーラ・ディビシオン 最高位 : 4位
- 1962-63
- セグンダ・ディビシオン 優勝 : 3回
- 1947–48, 1958–59, 2006–07
- コパ・デ・ラ・リーガ 優勝 : 1回
- 1983-84
- コパ・デル・レイ 準優勝 : 2回
- 1949–50, 1988–89
記録
欧州カップ戦出場歴
UEFAカップ: 1984–85(1回戦敗退), 1997–98(2回戦敗退)
UEFAカップウィナーズカップ: 1989–90(ベスト8)
新記録
セグンダ・ディビシオン歴代最多勝ち点 : 勝ち点88(2006–07)
セグンダ・ディビシオン歴代最長無敗記録 : 29試合(2006–07)
セグンダ・ディビシオン歴代最速昇格決定 : 34節(42節中、2007年4月22日)
プリメーラ・ディビシオン歴代最速得点 : 7.42秒(ホセバ・ジョレンテ、2008年1月20日、RCDエスパニョール戦、2–1で勝利)
過去の成績
1929年以降のすべての会長や監督を挙げている[4]。国旗が示されていない人物はすべてスペイン人である。
シーズン | ディビジョン | 順位 | 会長 | 監督 | 備考 |
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1929 | テルセーラ | 5位 | ペドロ・スロアガ サントス・ロドリゲス | István Plattkó | |
1929/30 | 2位 | サントス・ロドリゲス | |||
1930/31 | 2位 | ホセ・カンタラピエドラ | アントン・アチャランダバソ | ||
1931/32 | 3位 | ||||
1932/33 | 1位 | ||||
1933/34 | 1位 | István Plattkó | セグンダ昇格 | ||
1934/35 | セグンダ | 2位 | |||
1935/36 | 4位 | ||||
1936/37 | リーグ戦未開催 | スペイン内戦のため リーグ戦は開催されず | |||
1937/38 | |||||
1938/39 | |||||
1939/40 | セグンダ | 6位 | István Plattkó マヌエル・オルダクス | ||
1940/41 | 10位 | フアニン | |||
1941/42 | 5位 | Károly Plattkó | |||
1942/43 | 2位 | ||||
1943/44 | 14位 | ホセ・カンタラピエドラ ホセ・ゴンサレス | アルフォンソ・マルティネス ホセ・プラナス | テルセーラ降格 | |
1944/45 | テルセーラ | 3位 | ヘルマン・アダネス アンヘル・ソリア | キリコ・アルテアガ | |
1945/46 | 1位 | アンヘル・ソリア | アントニオ・バリオス | ||
1946/47 | 1位 | フアン・レプレサ | セグンダ昇格 | ||
1947/48 | セグンダ | 1位 | プリメーラ昇格 | ||
1948/49 | プリメーラ | 12位 | エレニオ・エレーラ | ||
1949/50 | 9位 | アントニオ・バリオス フリアン・バケーロ アントニオ・バリオス | コパ・デル・ヘネラリシモ準優勝 (アスレティック・ビルバオに1-4で敗北) | ||
1950/51 | 6位 | マヌエル・アキーソ | フアン・アントニオ・イピーニャ | ||
1951/52 | 8位 | ラモン・プラデラ | |||
1952/53 | 12位 | ホセ・イララゴーリ | |||
1953/54 | 12位 | ルイス・ミロ | |||
1954/55 | 9位 | ||||
1955/56 | 9位 | ||||
1956/57 | 8位 | ラファエル・ジュンタ | |||
1957/58 | 15位 | ラファエル・ジュンタ ホセ・ルイス・サソ | セグンダ降格 | ||
1958/59 | セグンダ | 1位 | カルロス・オルテガ | ホセ・ルイス・サソ | プリメーラ昇格 |
1959/60 | プリメーラ | 13位 | |||
1960/61 | 15位 | ホセ・ルイス・サソ ペドロ・エギルス パコ・レスメス | セグンダ降格 | ||
1961/62 | セグンダ | 2位 | ホセ・マヌエル・アラルテ | パコ・レスメス マヌエル・ソレール エリベルト・エレーラ | プリメーラ昇格 |
1962/63 | プリメーラ | 4位 | アントニオ・ラマレッツ | ||
1963/64 | 16位 | アンヘル・スビエタ パコ・レスメス | セグンダ降格 | ||
1964/65 | セグンダ | 3位 | ハノス・カルメル フリアン・バケーロ | ||
1965/66 | 4位 | ホセ・ルイス・サソ | アントニオ・バリオス アントニオ・ラマレッツ | ||
1966/67 | 9位 | ペドロ・トーレス エクトル・マルティン エミリオ・アルデコア エクトル・マルティン エミリオ・アルデコア エクトル・マルティン | |||
1967/68 | 2位 | アントニオ・アルフォンソ | ホセ・モリヌエボ エンリケ・オリサオラ | ||
1968/69 | 10位 | アントニオ・バリオス エンリケ・オリサオラ | |||
1969/70 | 17位 | ホセ・アントニオ・オルメド ホセ・ルイス・サソ ヘラルド・コケ | テルセーラ降格 | ||
1970/71 | テルセーラ | 2位 | サンティアゴ・ガジェゴ | ヘラルド・コケ エクトル・マルティン | セグンダ昇格 |
1971/72 | セグンダ | 7位 | エクトル・マルティン | ||
1972/73 | 5位 | ||||
1973/74 | 7位 | グスタボ・ビオスカ フェルナンド・レドンド | |||
1974/75 | 11位 | フェルナンド・アロンソ | フェルナンド・レドンド サンティアゴ・バスケス ルディ・グーテンドルフ | ||
1975/76 | 4位 | エクトル・ヌニェス | |||
1976/77 | 12位 | ルイス・アロイ ホセ・ルイス・サソ | |||
1977/78 | 7位 | パキート | |||
1978/79 | 4位 | ゴンサロ・アロンソ | パチン | ||
1979/80 | 2位 | エウセビオ・リオス | プリメーラ昇格 | ||
1980/81 | プリメーラ | 12位 | ゴンサロ・アロンソ | パキート | |
1981/82 | 9位 | ||||
1982/83 | 12位 | マヌエル・エステバン | フェリペ・メソネス サンティ・ジョレンテ J・L・ガルシア・トライド | ||
1983/84 | 14位 | ペドロ・サン・マルティン マリアーノ・エルナンデス ゴンサロ・アロンソ | J・L・ガルシア・トライド フェルナンド・レドンド | コパ・デ・ラ・リーガ優勝 (アトレティコ・マドリードに3-0で勝利) | |
1984/85 | 13位 | ゴンサロ・アロンソ | フェルナンド・レドンド | ||
1985/86 | 10位 | ビセンテ・カンタトーレ | |||
1986/87 | 10位 | ゴンサロ・アロンソ ホセ・アガド ミゲル・ペレス | ビセンテ・カンタトーレ ハビエル・アスカルゴルタ アントニオ・サントス ホセ・ペレス・ガルシア | ||
1987/88 | 8位 | ミゲル・ペレス | ビセンテ・カンタトーレ | ||
1988/89 | 6位 | コパ・デル・レイ準優勝 (レアル・マドリードに0-1で敗北) | |||
1989/90 | 16位 | ミゲル・ペレス カルロス・スニガ | ホシプ・スコブラル ホセ・モレ フェルナンド・レドンド | ||
1990/91 | 9位 | ゴンサロ・ゴンサロ | パチョ | ||
1991/92 | 19位 | ゴンサロ・ゴンサロ アンドレス・マルティン マルコス・フェルナンデス | パチョ ハビエル・ジェペス | セグンダ降格 | |
1992/93 | セグンダ | 2位 | マルコス・フェルナンデス | マルコ・アントニオ・ボロナ ホセ・ルイス・サソ フェリペ・メソネス | プリメーラ昇格 |
1993/94 | プリメーラ | 18位 | フェリペ・メソネス ホセ・モレ | ||
1994/95 | 19位 | ビクトル・エスパラーゴ ホセ・モレ フェルナンド・レドンド アントニオ・サントス | |||
1995/96 | 16位 | ラファエル・ベニテス アントニオ・サントス ビセンテ・カンタトーレ | |||
1996/97 | 7位 | ビセンテ・カンタトーレ | |||
1997/98 | 11位 | マルコス・フェルナンデス マルコス・フェルモセージェ | ビセンテ・カンタトーレ アントニオ・サントス セルギイェ・クレシッチ | ||
1998/99 | 12位 | マルコス・フェルモセージェ | セルギイェ・クレシッチ | ||
1999/2000 | 8位 | マルコス・フェルモセージェ アンヘル・フェルモセージェ イグナシオ・レウィン | グレゴリオ・マンサーノ | ||
2000/01 | 16位 | イグナシオ・レウィン カルロス・スアレス | パンチョ・フェレーロ ホセ・モレ | ||
2001/02 | 12位 | カルロス・スアレス | ホセ・モレ | ||
2002/03 | 14位 | ||||
2003/04 | 18位 | フェルナンド・バスケス アントニオ・サンチェス・サントス | セグンダ降格 | ||
2004/05 | セグンダ | 6位 | セルギイェ・クレシッチ マルコス・アロンソ・ペーニャ | ||
2005/06 | 10位 | マルコス・アロンソ・ペーニャ アルフレド・メリーノ | |||
2006/07 | 1位 | ホセ・ルイス・メンディリバル | プリメーラ昇格 | ||
2007-08 | プリメーラ | 15位 | |||
2008-09 | 15位 | ||||
2009-10 | 18位 | ホセ・ルイス・メンディリバル オネシモ・サンチェス ハビエル・クレメンテ | セグンダ降格 | ||
2010-11 | セグンダ | 7位 | アントニオ・ゴメス アベル・レシーノ | 昇格プレーオフ出場 | |
2011/12 | セグンダ | 3位 | ミロスラフ・ジュキッチ | プリメーラ昇格 | |
2012/13 | プリメーラ | 14位 | |||
2013-14 | プリメーラ | 19位 | ミロスラフ・ジュキッチ フアン・イグナシオ・マルティネス | セグンダ降格 | |
2014-15 | セグンダ | 5位 | ルビ | 昇格プレーオフ出場 | |
2015-16 | 16位 | ガイスカ・ガリターノ ミゲル・アンヘル・ポルトゥガル アルベルト・ロペス | |||
2016-17 | 7位 | パコ・エレーラ | |||
2017-18 | 5位 | プリメーラ昇格 |
41シーズン - プリメーラ・ディビシオン
35シーズン - セグンダ・ディビシオン
10シーズン - テルセーラ・ディビシオン
欧州カップ戦の歴史
UEFAカップ
シーズン | ラウンド | クラブ | ホーム | アウェー | スコア |
---|---|---|---|---|---|
1984–85 | ラウンド64 | NKリエカ | 1–0 | 1–4 | 2–4 |
1997–98 | ラウンド64 | スコントFC | 2–0 | 0–1 | 2–1 |
ラウンド32 | FCスパルタク・モスクワ | 1–2 | 0–2 | 1–4 |
UEFAカップウィナーズカップ
シーズン | ラウンド | クラブ | ホーム | アウェー | スコア |
---|---|---|---|---|---|
1989–90 | ラウンド32 | ハムルン・スパルタンズFC | 5–0 | 1–0 | 6–0 |
ラウンド16 | ユールゴーデンIF | 2–0 | 2–2 | 4–2 | |
準々決勝 | ASモナコ | 0–0 | 0–0 (延長) | 0–0 (PK) |
現所属メンバー
2018年9月1日現在[5]
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歴代所属選手
GK
アントニ・ラマレッツ 1946-1947
レネ・イギータ 1991-1992
セサル・サンチェス 1991-2000
リカルド・ロペス 1998-2002
アルバノ・ビサーリ 2000-2006
ハコボ・サンス 2005-2007, 2009-2011
リュドヴィク・ビュテル 2007-2008
セルヒオ・アセンホ 2007-2009
フスト・ビジャール 2008-2011
DF
アントニオ・デラクルス 1960
マルコ・アントニオ・サンディ 1995-1996
アルベルト・マルコス・レイ 1995-2010
ガブリエル・エインセ 1997-1998, 1999-2001
ガルシア・カルボ 1997-2001, 2006-2009
アントニオ・バラガン 2009-2011
セサール・アルソ 2009-2010
MF
エウセビオ・サクリスタン・メナ 1983-1987, 1997-2002
マヒコ・ゴンサレス 1984-1986
フェルナンド・イエロ 1987-1989
ホセ・ルイス・カミネロ 1989-1993, 1998-2004
カルロス・バルデラマ 1991-1992
ルベン・バラハ 1993-1996
ルイス・ハビエル・ガルシア・サンス 2001-2002
ゴンサーロ・コルサ 2002-2003
シシ 2006-2008, 2009-2012
ボルハ・フェルナンデス 2006-2010
ファビアン・エストヤノフ 2007
ディエゴ・カマーチョ 2007-2008
エクトル・フォント 2009-2011
マルキートス 2009-2012
FW
ロドリゴ・ファブリ 1999-2000
イバン・カビエデス 1999-2000
クアウテモク・ブランコ 2000-2002
城彰二 2000.1-2000.6
アリザ・マククラ 2003-2004
ビクトル 1996-2000, 2004-2009
ホセバ・ジョレンテ 2005-2008
ヘノク・ゴイトム 2008-2009
ジエゴ・ダ・シウヴァ・コスタ 2009-2010
アルベルト・ブエノ 2009-2013
マヌーショ 2009-2014
脚注
^ “Ronaldo becomes primary owner of Real Valladolid following takeover”. ESPN. http://www.espn.co.uk/football/spanish-primera-division/story/3622235/ronaldo-becomes-primary-owner-of-real-valladolid-following-takeover 2018年9月3日閲覧。
^ “Una etapa ilusionante y continuista” (スペイン語). www.realvalladolid.es (2018年9月3日). 2018年9月4日閲覧。
^ “ロナウド氏がバジャドリー正式買収 新オーナーに就任”. 超ワールドサッカー (2018年9月4日). 2018年9月4日閲覧。
^ “Presidentes y Entrenadores del Real Valladolid C.F. S.A.D.” (Spanish). Real Valladolid. 2010年12月2日閲覧。
^ “Primer equipo” [First team] (Spanish). Real Valladolid. 2018年9月15日閲覧。
外部リンク
公式サイト (スペイン語)
Futbolmeによるクラブ紹介 (スペイン語)
- BDFutbolによるクラブ紹介
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