大韓民国ウォン
大韓民国ウォン | |
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대한민국 원 | |
ISO 4217 コード | KRW |
中央銀行 | 韓国銀行 |
ウェブサイト | www.bok.or.kr |
使用 国・地域 | 大韓民国 |
インフレ率 | 1.3% |
情報源 | National Statistical Office, South Korea, 2006年 |
指数 | CPI |
補助単位 | |
1/100 | チョン(전 / jeon) 計算上のみで、硬貨・紙幣ともに発行されていない。 |
通貨記号 | ₩ |
複数形 | この通貨の言語に形態学的な複数形区別はない。 |
硬貨 | |
広く流通 | ₩10 ₩50 ₩100 ₩500 |
流通は稀 | ₩1, ₩5 |
紙幣 | ₩1,000 ₩5,000 ₩10,000 ₩50,000 |
紙幣製造 | 韓国造幣公社 |
ウェブサイト | www.komsco.com |
ウォン | |
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₩ | |
各種表記 | |
ハングル: | 원 |
漢字: | 圓(1953年の貨幣改革以前の表記) |
発音: | ウォン |
ローマ字: | Won(英語、2000年式) Wŏn(MR式) |
この項目では色を扱っています。閲覧環境によっては、色が適切に表示されていない場合があります。 |
大韓民国ウォン(だいかんみんこくウォン、朝鮮語: 대한민국 원)は、大韓民国の通貨単位。通称:韓国ウォン(かんこくウォン)。
韓国中央銀行である韓国銀行が発行する。製造は韓国造幣公社が行っている。
北朝鮮ウォンと共通の事柄(名称、分断前の歴史など)についてはウォンも参照。
目次
1 両替
2 漢字表記
3 歴史
3.1 旧ウォン
3.2 ファン
3.3 新ウォン
4 流通貨幣
4.1 紙幣
4.1.1 50,000ウォン紙幣の発行
4.1.2 100,000ウォン紙幣の発行断念
4.2 硬貨
5 為替レート
5.1 現在のKRWの為替レート
6 日本における変造500ウォン問題
7 脚注
8 関連項目
両替
通貨保護の観点から国外への持ち出しを制限している。
2002年のサッカーワールドカップを機に規制緩和され、それまで韓国系銀行に限られていた日本国内での両替が、郵便局や一部の銀行、両替所等でも可能となった。日本では、多くの外国硬貨と同様に硬貨が両替不可能(一部業者を除く)である。また、日本で両替を行うと、韓国で両替を行うよりも顧客にかなり不利な為替レートになるのが通例である。
漢字表記
「ウォン」は「圓(円)」の朝鮮語読みだが、公式には漢字表記をしない。一方、「元」も朝鮮語読みでは「ウォン」となるが、漢字圏の人を相手にする人たちの間でまれに、ウォンを「元」と漢字表記するケースも見られる。ちなみに韓国では、日本円はハングルで「엔」(エン)と表記し、また中華人民共和国の元は「위안」(ウィアン、[yan]→[wian])と表記する。一方、中国語圏では韓国ウォンを、繁体字では「韓圓」または「韓元」、簡体字では「韩圆」または「韩元」と表記する。
歴史
大韓民国の歴史を通じて1つのウォンが使われていたわけではなく、旧ウォン→ファン→新ウォンと、2回のデノミネーションが行なわれている。
1945年 旧ウォン(圓)を導入
1953年2月15日 旧ウォンに替えてファンを導入、100ウォン→1ファン(환; 圜)
1962年6月10日 ファンに替えて新ウォンを導入、10ファン→1ウォン(漢字表記なし)
旧ウォン
大韓民国ウォンの固定相場 | ||
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日付 | 旧ウォン/USD[1] | 円/USD(参考) |
1945年08月00日 | 15 | (15) |
1947年07月15日 | 50 | (50) |
1948年10月01日 | 450 | (270) |
1949年06月14日 (政府間取引以外) | 900 | (360) |
1950年05月01日 | 1800 | (360) |
1950年11月01日 | 2500 | (360) |
1951年04月01日 | 6000 | (360) |
第二次世界大戦が終わった1945年に朝鮮銀行は解体し、朝鮮半島のその資産は米ソ軍政府に接収され、後に南の韓国銀行と北の朝鮮中央銀行に引き渡された。
米軍政府に接収された南側の朝鮮銀行は、1950年に韓国銀行が設立されるまでの間、日本統治下に引き続いて最初の南朝鮮のウォン(圓、won)を発行した。ウォンの下には補助単位としてチョン(錢、chon)が置かれ、1ウォンは100チョンだった。1945年8月時点では1ウォン=1円に固定されていたが、1945年10月に15ウォン=1米ドルとなり、以後は戦後のインフレーションの進行とともに切り下げが進んだ。朝鮮戦争中の1951年4月1日にはついに1ドル=6,000ウォンとなった[2]。
この時期、当初朝鮮銀行は大蔵省印刷局製造のウォン紙幣のみの発行を継続し、硬貨は日本統治下で通用していた一銭硬貨が使われていた。1946年発行の朝鮮書籍印刷株式会社の印刷による10ウォンおよび100ウォン紙幣は日本統治時代の朝鮮銀行券と類似したデザインであったが、日本を象徴する桐紋に代わりムクゲの花に上部の紋章が変更された。1949年発行の5ウォンおよび10ウォン紙幣は寿老人の肖像に代わり独立門の図案となった。このとき同時に5、10、50チョンなどの小額紙幣も発行された。1950年には韓国の中央銀行として韓国銀行が発足したが、直後に勃発した朝鮮戦争でソウルを占領した北朝鮮軍は予備として保管してあった1000ウォン紙幣や100ウォン紙幣を使用し大量に流出させた。韓国は新たに日本の印刷庁で製造された韓国銀行券1000ウォン、100ウォン紙幣を発行し、記号により正規に発行されたものと確認できる朝鮮銀行券と交換した(第1次緊急通貨措置)。51年10月、韓国造幣公社が設立され、紙幣の国内製造が再開された。
韓国銀行券 [3] | |||||||||
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画像 | 額 | 幅(mm) | 色 | 柄 | 日時 | 印刷 | |||
表 | 裏 | 表 | 裏 | 発行 | 終了 | ||||
100 | 158 × 78 | 茶 | 光化門 | 額 | 1950年7月22日 | 1953年 2月17日 | 印刷庁 | ||
500 | 145 × 61 | 青 | 李承晩 | タプコル公園 | 1952年10月10日 | 韓国造幣公社 | |||
1000 | 171 × 78 | 緑 | 額 | 1950年7月22日 | 印刷庁 | ||||
145 × 61 | 青 | タプコル公園 | 1952年10月10日 | 韓国造幣公社 | |||||
ファン
大韓民国ファンの固定相場 | |
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日付 | ファン/USD |
1953年02月15日 | 60 |
1953年12月15日 | 180 |
1955年08月15日 | 500 |
1960年02月23日 | 650 |
1961年01月01日 | 1000 |
1961年02月02日 | 1250 |
この旧大韓民国ウォンは1953年2月15日に新通貨ファン(圜、hwan)が導入されたことで役割を終えた。100旧ウォンは1ファンと交換され、1ドル=60ファンとなった(第2次緊急通貨措置)。合衆国政府印刷局が印刷した1ファン、5ファン、10ファン、100ファン、1000ファン各紙幣が流通し、1959年からはファン硬貨も発行された。1959年以降、韓国の紙幣や硬貨における漢字表記はなくなり英字とハングルのみとなっている。
ファンの下にも補助単位チョン(錢、chon)が置かれ、1ファンは100チョンだった。ただし、チョンの硬貨は発行されず、チョンが使われることはなかった。
しかしファンも、李承晩大統領が独裁権力を振るう第一共和国時代の政治と経済の混乱でインフレーションが起こり米ドルに対する価値が下がっていった。1960年には大統領選挙での不正をきっかけに四月革命が起こり第一共和国が倒され、第二共和国へ移行した。政治や経済は不安定さを増し、1960年の秋以降、失業率や物価の上昇でインフレーションが急速に進み、1961年1月1日には1ドル=1000ファンに、2月2日には1ドル=1250ファンへと価値が急落した。
ファン硬貨 [4] | ||||||||||
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画像 | 額 | 硬貨 | 柄 | 日時 | ||||||
表 | 裏 | 幅(mm) | 重量(g) | 材質 | 表 | 裏 | 鋳造開始 | 流通 | 終了 | |
10 | 19.1 | 2.46 | 銅 95% 亜鉛 5% | ムクゲ, 額, 銀行名 | 額, 国名, 鋳造年 | 1959年 (檀紀4292年) | 1959年10月20日 | 1975年3月22日 | ||
50 | 22.86 | 3.69 | 亜鉛 70% 亜鉛 18% ニッケル 12% | 亀甲船, 額, 銀行名 | 額, 国名, 鋳造年 | 1959年 (檀紀4292年) | 1959年10月20日 | 1975年3月22日 | ||
100 | 26.0 | 6.74 | 白銅 亜鉛 75% ニッケル 25% | 李承晩, 額, 銀行名 | 1959年10月30日 | 1962年6月10日 |
米国印刷ファン紙幣 [2][リンク切れ](朝鮮語) | ||||||||
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票面 | 額面 | サイズ | 色 | デザイン | 日時 | |||
表面 | 裏面 | 表面 | 裏面 | 発行 | 終了 | |||
1 | 111 × 54 mm | ピンク | 「韓国銀行」の名前と漢字・ハングルで額面 | 韓国銀行の行章 | 1953年2月17日 | 1962年6月10日 | ||
5 | 赤 | |||||||
10 | 156 × 66 mm | 紫 | 「韓国銀行」の名前と漢字・ハングルで額面、亀甲船 | 韓国銀行の行章 | ||||
100 | 緑 | |||||||
1000 | 灰 |
国内印刷ファン紙幣[3][リンク切れ](朝鮮語) | |||||||
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票面 | 額面 | サイズ | デザイン | 日時 | |||
表面 | 裏面 | 表面 | 裏面 | 発行 | 終了 | ||
10 | 156 × 66 mm | 南大門 | 巨済近郊・海金剛海岸の風景 | 1953年3月17日 | 1962年6月10日 | ||
1953年12月15日 | |||||||
50 | 149 × 66 mm | 独立門 | 李舜臣立像と亀甲船 | 1958年8月15日 | |||
100 | 156 × 66 mm | 李承晩 | 独立門 | 1953年12月18日 | |||
1954年2月1日 | |||||||
Value | 1957年3月26日 | ||||||
母と子 | 独立門 | 1962年5月16日 | |||||
500 | 156 × 73 mm | 李承晩 | 額面 | 1956年3月26日 | |||
1958年8月15日 | |||||||
世宗大王 | 韓国銀行本館 | 1961年4月19日 | |||||
1000 | 166 × 73 mm | 李承晩 | 韓国銀行行章 | 1957年3月26日 | |||
165 × 73 mm | 世宗大王 | トーチ | 1960年8月15日 |
新ウォン
大韓民国ウォンの固定相場 | |
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日付 | KRW/USD |
1962年06月10日 | 125 |
1964年05月03日 | 255 |
1972年08月03日 | 400 |
1974年12月07日 | 480 |
1980年01月12日 | 580 |
1961年5月16日に起こった5・16軍事クーデターで第二共和国は倒され、朴正熙少将が権力を握る国家再建最高会議(軍事政権)が誕生した。この政権は経済再建と経済開発を優先し、翌1962年には第一次五ヵ年計画と通貨改革を実行に移した。1962年6月9日に新たな大韓民国ウォンが登場、1ウォンは10ファンと交換され1ドル=125ウォンに固定された(第3次緊急通貨措置)。補助単位はチョン(英語表記は「jeon」に改められた)であり1ウォンは100チョンとなったが、今日チョンが実際に現金単位として使われることはない。この通貨改革によりようやくインフレーションは緩やかになった。
1970年代前半は、石油ショックの影響もあり、1972年と1974年にウォンが切り下げられた。1980年1月12日には1ドル=580ウォンとなったが、同年2月27日には変動相場制への移行が始まった。アジア通貨危機の最中の1997年12月24日、国際通貨基金(IMF)との合意により、完全変動相場制へと移ったが[5]、その後ウォンの米ドルに対する価値は、僅かな間に半分に落ち込んでいる。
流通貨幣
紙幣
2006年から2007年にかけて新デザインによる新紙幣が導入された。偽造防止のための新技術が盛り込まれ、サイズが小さくなった。長年似通っていた図柄を現代風に改め、紙幣の色彩が鮮やかになり、額面の文字と数字が大きな字で明るくはっきり見えるようになった。
新シリーズは額面によって様々な偽造防止技術が導入されている[6]。50,000ウォン紙幣は22種、10,000ウォン紙幣は21種、5,000ウォン紙幣は17種、1,000ウォン紙幣は19種の偽造防止技術が入っている。偽造防止技術の例は下記の通り。
ホログラム:表面の金属ホイル部分の変色立体画像
透かし:人物像の透かしが白色部分に入っている
隆起印刷:文字と人物像の印刷部分が隆起している
セキュリティ・スレッド:「한국은행 Bank of Korea(BOK)」と額面表記のスレッドが表面に織り込まれている
光学的変化インク:裏面の額面表記が変色インクになっている
ユーリオン:偽造防止認識パターン
2006-現在発行紙幣[4] (朝鮮語) | |||||||||
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票面 | 額面 | サイズ | 色 | デザイン | 発行日 | ||||
表面 | 裏面 | 表面 | 裏面 | 透かし | |||||
1,000 | 136 × 68 mm | 青 | 退渓李滉の肖像・成均館と梅 | 鄭敾の『渓上静居図』 | 肖像の裏面と額面 | 2007年1月22日 | |||
5,000 | 142 × 68 mm | 赤・黄 | 栗谷李珥の肖像・烏竹軒と竹 | 申師任堂の『草虫図』 | 2006年1月2日 | ||||
10,000 | 148 × 68 mm | 緑 | 世宗大王の肖像・竜飛御天歌と日月五峰図 | 天象列次分野之図と天球儀・天体望遠鏡 | 2007年1月22日 | ||||
50,000 | 154 × 68 mm | 橙・黄 | 申師任堂の肖像・申師任堂の『墨葡萄図』と『草蟲図繡屏』の茄子の絵 | 魚夢龍の『月梅図』と李霆の『風竹図』 | 2009年6月23日 |
1983年-2005年発行紙幣 | ||||||||
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票面 | 額面 | サイズ | 色 | デザイン | 発行日 | 変更点 | ||
表面 | 裏面 | 表面 | 裏面 | |||||
1,000 | 151 × 76 mm | 紫 | 退渓李滉の肖像と投壺の壺 | 陶山書院 | 1983年6月11日 | |||
5,000 | 156 × 76 mm | オレンジ | 栗谷李珥の肖像 | 烏竹軒 | 1983年6月11日 | |||
2002年6月12日 | 偏光インク使用・点字透かし追加 セキュリティスレッド追加・著作権表示 | |||||||
10,000 | 161 × 76 mm | 薄緑 | 世宗大王の肖像と報漏閣の自撃漏 | 慶会楼 | 1983年10月8日 | |||
1994年1月20日 | モアレ画像の透かしに変更・セキュリティスレッド追加 | |||||||
2000年6月19日 | モアレ画像の透かしを取り止め 偏光インク使用・点字透かし追加・著作権表示 |
それ以前の紙幣・硬貨とも1962年の「新ウォン」化後のものは有効。詳細は韓国銀行のHPを参照。
50,000ウォン紙幣の発行
長らく最高額紙幣が10,000ウォン(2009年当時の為替レートで約800円・8USドル程度の価値)であったため、決済時に不便をもたらしていた。このため国民の間では、自己宛手票(チャギアプスピョ)略して手票(スピョ・日本語で小切手)やクレジットカードの使用頻度が高い。デノミネーション論や高額紙幣発行論がしばしば取りざたされていたが、「インフレ圧力になる」との批判が根強く、具体化に至っていなかった。
しかしながら、自己宛手票流通に掛かるコストや、偽造小切手問題などから、2006年初頭より、韓国政府は100,000ウォン札を発行する方針で具体的な検討に入り、2007年5月2日、韓国銀行が2009年上半期を目処に100,000ウォンと50,000ウォン紙幣を発行する事を正式発表し、50,000ウォン紙幣は、予定通り2009年6月23日に発行された。
100,000ウォン紙幣の発行断念
しかし、100,000ウォン紙幣の図案に関して論争が起き(裏面の朝鮮半島の古地図・大東輿地図に、本来描かれていなかった独島(竹島)を記載するか否かの問題もあったが、表面の肖像に予定されていた独立指導者の金九に関して、南北統一政府を主張して李承晩らと確執を繰り広げたことから『最高額面の紙幣にふさわしい人物かどうか』が、保守派から提起され激論となったことが大きい[7])、2009年1月22日、韓国銀行は100,000ウォン紙幣発行推進計画を中止すると発表した。
ただ、50,000ウォン紙幣も日本円4,000円弱程度の価値(発行当時)でしかなく、今後再び100,000ウォン紙幣の発行論議が再燃する可能性があるが、高額な買い物に対しては、所得控除制度がある「クレジットカード決済」が当たり前であり、高額紙幣が新規発行される目処がない状況が2018年現在も続いている。
硬貨
2006年までは黄銅の10ウォン硬貨が発行されていたが、素材価値が高くなり額面に見合わなくなったため現在の硬貨に改められた。
1ウォン硬貨、5ウォン硬貨は、現在では事実上流通していないが、現在でもミントセットのために細々と製造されている。現金を伴わない取引では1ウォン単位で決済が行われるが、現金取引で10ウォン未満の端数が発生した場合、切り上げ、もしくは切り捨てられる。
現在使用 | ||||||||||
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画像 | 額 | 硬貨 | 柄 | 日時 | ||||||
表 | 裏 | 幅(mm) | 重量(g) | 材質 | 票面 | 表 | 裏 | 鋳造開始 | 流通 | |
10 | 18 mm | 1.22 g | アルミニウムに銅メッキ | 無地 | 多宝塔・ハングルで額面 | 算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年 | 2006年 | 2006年12月18日 | ||
50 | 21.6 mm | 4.16 g | 白銅 | エンボス | 稲穂・ハングルで額面 | 算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年 | 1983年 | 1983年1月15日 | ||
100 | 24 mm | 5.42 g | 李舜臣・ハングルで額面 | |||||||
500 | 26.5 mm | 7.7 g | ツル・ハングルで額面 | 1982年 | 1982年6月12日 |
1982-2006年発行[5][リンク切れ][8] | ||||||||||
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画像 | 額 | 硬貨 | 柄 | 日時 | ||||||
表 | 裏 | 幅(mm) | 重量(g) | 材質 | 票面 | 表 | 裏 | 鋳造開始 | 流通 | |
1 | 17.2 mm | 0.729 g | アルミニウム | 無地 | ムクゲ・ハングルで額面 | 算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年 | 1983年 | 1983年1月15日 | ||
5 | 20.4 mm | 2.95 g | 黄銅 | 無地 | 亀甲船・ハングルで額面 | 算用数字で額面・ハングルで「韓国銀行」の表示・鋳造年 | 1983年 | 1983年1月15日 | ||
10 | 22.86 mm | 4.06 g | 多宝塔・ハングルで額面 |
為替レート
公式にはペッグ制は採用していない。90年代後半以降、ドルや円に対して大きく変動してきている。
IMFによる韓国救済の克服以降、1円 ≒ 10ウォン程度で安定して推移していた。2005年頃から急激なウォン高が始まり、2007年時点では約7.5ウォン近辺、その後の円高ドル安傾向もあって8ウォン台で推移していた。
しかし2008年には1円 = 10ウォンの大台を突破した。同年9月末には世界金融危機の影響から、韓国通貨危機が発生、12ウォン越えをし大幅なウォン安が起き、10月7日にはついに13ウォンを突破。その後は乱高下を繰り返しながら通貨危機当時の1円 = 14.85ウォン水準に日に日に近付いていたが、10月27日には売値・買値ともに15ウォンを突破し、さらに12月5日には一時的ながら16ウォンにまで達し、2009年2月20日には再び16ウォン台に突入、対円での史上最安値を更新した。その後は日韓通貨スワップの導入により、通貨危機前の水準に戻しつつある。
年 | 月 | |||||||||||
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1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | |
2004年 | 09.03 | 09.31 | 09.11 | 09.38 | 09.44 | 09.41 | 09.56 | 09.5 | 09.64 | 09.45 | 09.84 | 09.96 |
2005年 | 10.09 | 10.43 | 10.54 | 10.56 | 10.76 | 10.74 | 10.94 | 10.74 | 10.88 | 11.09 | 11.54 | 11.71 |
2006年 | 12.12 | 11.99 | 12.05 | 12.11 | 11.85 | 12.05 | 12.02 | 12.19 | 12.46 | 12.44 | 12.49 | 12.78 |
2007年 | 12.92 | 12.61 | 12.52 | 12.84 | 13.1 | 13.3 | 12.93 | 12.36 | 12.55 | 12.71 | 11.89 | 12.09 |
2008年 | 11.27 | 11.16 | 10.08 | |
日本銀行の時系列データにある「外国為替市場 / text」を元にした。現在のリンク先はこちら。
ニューヨーク連邦準備銀行のForeign Exchange Rates Historical Searchより。
Google Finance: | AUD CAD CHF EUR GBP HKD JPY USD |
Yahoo! Finance: | AUD CAD CHF EUR GBP HKD JPY USD |
XE: | AUD CAD CHF EUR GBP HKD JPY USD |
OANDA: | AUD CAD CHF EUR GBP HKD JPY USD |
fxtop.com: | AUD CAD CHF EUR GBP HKD JPY USD |
日本における変造500ウォン問題
五百円硬貨#変造硬貨も参照。
500ウォン硬貨は日本の旧500円硬貨と比べて、重量が少し重いことを除き、材質・形状が極めて類似していた。なおかつ、1999年当時、500ウォンは日本円でおよそ50円程度の価値であった。このため、1999年頃から、ドリルでくぼみをつけて重量を合わせるなどの加工がなされた変造500ウォン硬貨が、大量に韓国国内から日本国内に運び込まれ、日本全国の自動販売機や両替機などで不正使用された。摘発された主な事件には、次のようなものがある。
1999年6月に、不法滞在の中国人の男3人と日本人の男1人が、日本各地の自動販売機で変造500ウォン硬貨を使用していた容疑で、富山県で逮捕された。男らが用いていた自動車から、変造500ウォン硬貨約2000枚が発見され、押収された(平成12年警察白書による)。
当初は自動販売機の識別機能強化による対応が試みられたが、まさにいたちごっこの状態となり、自動販売機での500円硬貨の受入れを中止する動きが広まった。結局、2000年に、日本の造幣局は、抜本的な対策のため、材質を変更した上で偽造防止対策を施した新500円硬貨を発行した。また、自動販売機の多くで新500円硬貨のみ対応の自動販売機に 切り替わった。その結果、日本国内の自動販売機荒らしの発生件数は、2000年の6706件から2001年には1061件まで減少した(平成14年警察白書による)。
しかし最近は、韓国人旅行者の増加で、コンビニ等で旅行者が500ウォンを渡す事もあり、また店員も知らずにそのままつり銭として他の人に渡す事もあり、問題となっている。
脚注
^ 1米ドルが何ウォンか。数字が大きいほどウォン安。
^ Kurt Schuler (2004年2月29日). “Tables of modern monetary history: Asia”. Currency Boards and Dollarization. 2006年12月7日閲覧。
^ 旧ウォン:[リンク切れ]ページのタイトル[リンク切れ] ((朝鮮語)、韓国銀行)
^ ファン硬貨:[リンク切れ]ページのタイトル[リンク切れ] ((朝鮮語)、韓国銀行)
^ Kurt Schuler (2004年2月29日). “Tables of modern monetary history: Asia”. Currency Boards and Dollarization. 2006年11月16日閲覧。
^ [1]
^ 韓国、10万ウォン札の発行中止 肖像や図案が原因? asahi.com 2009年1月22日配信、2009年3月2日配信
^ “アーカイブされたコピー”. 2007年3月12日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2008年9月20日閲覧。
関連項目
- 朝鮮民主主義人民共和国ウォン
- 為替
- 為替レート
- 現行通貨の一覧
- 大韓民国の経済
- 日韓通貨スワップ
グリーンモール商店街(一部店舗でウォンが使える)
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