ラーヨ・バジェカーノ
ラーヨ・バジェカーノ | ||||
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原語表記 | Rayo Vallecano de Madrid | |||
愛称 | Los Franjirrojos (The Red Sashes) Los Vallecanos (The Vallecans) | |||
クラブカラー | 白と赤 | |||
創設年 | 1924年 | |||
所属リーグ | リーガ・エスパニョーラ | |||
所属ディビジョン | プリメーラ・ディビシオン | |||
ホームタウン | マドリード | |||
ホームスタジアム | バジェカス | |||
収容人数 | 14,708 | |||
代表者 | ラウル・マルティン・プレサ | |||
監督 | ミチェル | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
ラーヨ・バジェカーノ・デ・マドリードSAD(スペイン語: Rayo Vallecano de Madrid, S.A.D.、スペイン語発音: [ˈraʝo βaʎeˈkano ðe maˈðɾið])またはラジョ・バジェカーノは、スペイン、マドリードのビリャ・デ・バリェカス区に本拠地を置くサッカークラブ。1924年5月29日に創設され、14,708人収容のバジェカス(旧エスタディオ・テレサ・リベロ)を本拠地とする。日本語の読み方では、ラーヨ、ラージョ、ラヨ、ラジョ、バリェカノ、バジェカノ、バリェカーノ、バジェカーノなどとも読まれる。
目次
1 歴史
2 ユニフォーム
3 スタジアム
4 タイトル
4.1 国内タイトル
4.2 国際タイトル
5 過去の成績
6 現所属メンバー
6.1 ローン移籍
7 歴代会長
8 歴代監督
9 歴代所属選手
9.1 GK
9.2 DF
9.3 MF
9.4 FW
10 エンブレム
11 脚注
12 外部リンク
歴史
ラジョ・バジェカーノはエレベータークラブであり、プリメーラ・ディビシオン(1部)、セグンダ・ディビシオン(2部)、セグンダ・ディビシオンB(3部)を数年ごとに行き来している。
設立は1924年。まだマドリード市に併合される前の自治体バジェカスにあった労働者を中心とする複数のクラブが合併し、その中の一チーム名Rayo(光線)を取って Agrupación Deportiva El Rayo (ラジョ・スポーツ協会)として活動を始めた。1947年には地名を加えてAgrupación Deportiva Rayo Vallecanoに変更された[1]。
ところが1995年、当時の会長ルイス・マテオスが勝手にチーム名を Rayo Vallecano de Madrid を変更した。1994年から会長になったテレサ・リペロ在任中、クラブは好成績を残し、創設した女子サッカーチームはリーグの強豪に育った。2011年にマテオスが経営する食品会社がチーム運営から手を引いたため、ファンからチーム名称を元に戻す運動が起こった。しかし株主らからはマドリードの単語を残すべきとの意見もあり、決定していない[1]。
1999年には3シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオンに昇格し、1999-2000シーズンには9位であったが、フェアプレー枠でUEFAカップの出場権を獲得した。2000-01シーズンに出場したUEFAカップでは準々決勝に進出し、準優勝したデポルティーボ・アラベスとともにスペイン勢の中小クラブの躍進は世界を驚かせた。しかし、2002-03シーズンに最下位となってセグンダ・ディビシオンに降格すると、2003-04シーズンは21位となって2シーズン連続での降格を経験した。2005-06シーズンにはミチェル監督を解任した。2006-07シーズンはセグンダ・ディビシオンBを2位で終え、昇格プレーオフの準決勝に勝利したが、決勝でSDエイバルに2試合合計1-2で敗れて昇格はならなかった。2007-08シーズンはセグンダ・ディビシオンBで優勝し、昇格プレーオフでは準決勝でベニドルムCFに、決勝ではサモラCFに勝利して、4シーズンぶりのセグンダ・ディビシオン昇格を果たした。2008-09シーズンはかなりの期間を昇格を争う順位に位置し、降格とは無縁のシーズンを過ごした。同シーズン、ラーヨ・バジェカーノの女子チームはスーペルリーガ・フェミニーナ(Superliga)で初優勝し、2009-10シーズンにはUEFA女子チャンピオンズリーグに出場したが、ラウンド32でロシアのWFCロシヤンカ(WFC Rossiyanka)に2試合合計2-5で敗れた。2010-11シーズンのセグンダ・ディビシオンでは、財政難にも関わらず優勝したレアル・ベティスに次ぐ2位で終え、8シーズンぶりにプリメーラ・ディビシオン昇格を果たした[2][3][4]。2011-12シーズンは守備は38試合73失点とリーグ最多だったものの、リーグ6位タイの53得点という攻撃サッカーを貫き、15位で残留を決めた。
レアル・マドリード、アトレティコ・マドリードとともにマドリードを本拠地とするが、下部リーグでのシーズンが多いためか両チームとの対戦においてもマドリードダービーのムードは薄い。レアル・マドリードなどでもプレーしたローリー・カニンガムは1988年にラジョ・バジェカーノに加入したが、1年後の1989年に自動車事故で死去した。スペインの反ファシズム主義バンドであるSka-Pはラジョ・バジェカーノのファンであることを公言しており、コモ・ウン・ラジョ(Como un Rayo、ラジョとして)とラジョ・バジェカーノ(Rayo Vallecano)という曲をクラブに捧げている。
ユニフォーム
ラーヨ・バジェカーノの現在の赤いタスキのユニフォームは1952年にCAリーベル・プレートへの憧れからこのデザインに変更した。1952年にリーベル・プレートがマドリードを訪問した際にラーヨ・バジェカーノとの交流が生まれた。この出会いがきっかけとなりラーヨ・バジェカーノは赤いタスキのデザインへユニフォームを変更する事を決めた[5]。
スタジアム
1976年5月10日に完成したエスタディオ・テレサ・リベロはマドリードのバジェカス地区に位置するサッカー専用スタジアムである。当初はヌエボ・エスタディオ・デ・バジェカスと呼ばれていたが、1991年にホセ・マリア・ルイス・マテオスがオーナーに就任してから13年後の2004年1月、ホセ・マリアの妻のマリア・テレサ・リベロがオーナーに就任するとともに名称を変更した[1]。テレサ・リベロはスペインの主要なサッカークラブとして初めての女性オーナーである[1]。スタジアムは全席固定で15,500人を収容し、縦102m・横64mである。片方のゴール裏にはスタンドがなく、看板を設置できる大きな壁となっている。
2009年6月、クラブは新しいスタジアムの建設計画を発表した。
タイトル
国内タイトル
- セグンダ・ディビシオン : 優勝1回
- 2017-18
- セグンダ・ディビシオンB : 優勝2回
- 1984-85, 2007-08
- テルセーラ・ディビシオン : 優勝2回
- 1955-56, 1964-65
国際タイトル
- UEFAカップ : 最高位 ベスト8
- 2000-01
過去の成績
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17シーズン : プリメーラ・ディビシオン(1部)
36シーズン : セグンダ・ディビシオン(2部)
5シーズン : セグンダ・ディビシオンB(3部)
11シーズン : テルセーラ・ディビシオン(4部、ただし1977-78シーズン以前は3部)
フェデラション・レヒオナル・カステジャーナ・デ・フトボル (1928–30; 1939–49)
7シーズン : プリメーラ・カテゴリア
3シーズン : セグンダ・カテゴリア
フェデラション・オブレーラ・デ・フトボル (1931–36)
5シーズン
現所属メンバー
2018年8月31日現在[6]
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
ローン移籍
- in
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- out
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歴代会長
期間 | 名前 | 特記事項 |
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1924–1926 | フリアン・ウエルタ | |
1926–1927 | ホセ・モントーヤ | |
1927–1928 | ガロ・アンドレス | |
1929–1930 | ホセ・アントニオ・サンチェス | |
1930–1931 | アナスタシオ・サンチェス | |
1931–1936 | アンヘル・マルティネス | |
1939–1943 | ミゲル・ロドリゲス・アルソラ | (第1期) |
1943–1946 | エセキエル・ウエルタ | |
1946–1948 | ホセ・ロドリゲス・ルビオ | |
1948–1955 | ミゲル・ロドリゲス・アルソラ | (第2期) |
1955–1958 | ヘロニモ・マルティネス | |
1958–1961 | トマス・エステラス | |
1961–1965 | イバン・ロイス | |
1965–1973 | ペドロ・ロイス | |
1973–1978 | マルセリーノ・ヒル | |
1978–1980 | フランシスコ・エンシナス | |
1980–1981 | ルイス・ケル | |
1981-1989 | フランシスコ・フォンタン | |
1989–1991 | ペドロ・ガルシーア・ヒメネス | |
1991–1994 | ホセ・マリア・ルイス・マテオス | |
1994–2011 | マリア・テレサ・リベーロ | (女性) |
2011– | ラウル・マルティン・プレサ |
歴代監督
年 | 名前 |
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1998-2001 | ファンデ・ラモス |
2001 | アンドニ・ゴイコエチェア |
2001-2002 | グレゴリオ・マンサーノ |
2002-2003 | フェルナンド・バスケス |
2003 | グスタボ・ベニテス |
2003 | アントニオ・イリオンド |
2003 | フレン・ロペテギ |
2003-2004 | ホルヘ・ダレッサンドロ |
2004 | チェチュ・ロホ |
2004-2005 | カルロス・オルエ |
2005-2006 | ミチェル |
2006-2010 | ペペ・メル |
2010 | フェリペ・ミニャンブレス |
2010-2012 | ホセ・ラモン・サンドバル |
2012-2016 | パコ・ヘメス |
2016 | ホセ・ラモン・サンドバル |
2016-2017 | ルベン・バラハ |
2017- | ミチェル |
歴代所属選手
GK
アベル・レシーノ 1995-1996
ペドロ・コントレラス 1996-1997
フレン・ロペテギ 1997-2002
ケーシー・ケラー 2000-2001
DF
グレゴリオ・ベニト 1966-1968
ビクトル・オノプコ 2003
ロドリ 2012-2014.1
MF
ウーゴ・マラドーナ 1988-1989
リカルド・ガジェゴ 1990-1992
パブロ・サンス 1997-2004
ハビエル・カムーニャス 2002-2003
イリネイ 2002-2005
ピティ 2007-2013,2016.1-
モハメド・ディアメ 2008-2009
ミチュ 2011-2012
FW
エルナン・メドフォード 1991-1992
アントン・ポルスター 1992-1993
イスマエル・ウルサイス 1993-1994
ウーゴ・サンチェス 1993-1994
ドミトリー・ラドチェンコ 1996-1997
ディエゴ・クリモヴィッツ 1996-1999
エルヴィル・バリッチ 2001-2002
アルベルト・クルサット 2003-2004
アルバロ・ネグレド 2004-2005
レオ・バプティスタン 2008-2013
ラウール・タムード 2011-2012,2013.1-2013.9
アレハンドロ・ドミンゲス 2012-2013
エンブレム
クラブ設立以来、盾形の枠の中に走る光線、そしてクラブ名の頭文字を配する基本デザインは変わらない。しかしチーム名変更に伴い、頭文字はADRからADRVそして1995年にRVMと変遷した。2009年には真ん中のVのみ赤色に変えられたが、これはルイス・マテオスのイニシャルRMを際立たせるためではという憶測もある[1]。
脚注
- ^ abcdeエンブレムの世界 メタリスト・ハルキフ『サッカーマガジン』2012年4月24日号、ベースボール・マガジン社、斉藤健仁、2012年、雑誌23884-4/24, 053頁。
^ Dona Teresa takes off mask Football Scouting、2011年3月1日
^ Unpaid Rayo have sights set on La Liga payday ロイター、2011年3月30日
^ Los jugadores del Rayo Vallecano seguirán sin cobrar El Correo Gallego、2011年2月26日(スペイン語)
^ http://www.marca.com/2013/03/08/futbol/futbol_internacional/argentina/1362764851.html
^ http://www.rayovallecano.es/equipo/plantilla/rayo
外部リンク
オフィシャルサイト (スペイン語)
Futbolme team profile (スペイン語)
Rayo Herald - Updated club info (スペイン語)
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