色丹島






































色丹島

WW - Shikotan.png
所在地

日本の旗 日本(北海道)(領有権主張)


ロシアの旗 ロシア(サハリン州)(領有権主張・実効支配)
所在海域
オホーツク海
座標
北緯43度47分37秒 東経146度44分50秒 / 北緯43.79361度 東経146.74722度 / 43.79361; 146.74722座標: 北緯43度47分37秒 東経146度44分50秒 / 北緯43.79361度 東経146.74722度 / 43.79361; 146.74722
面積
255 km²
最高標高
412.6 m
最高峰
斜古丹山
最大都市
色丹郡色丹村(マロクリリスク)




色丹島の位置(北海道内)
色丹島


北海道の地図を表示



色丹島の位置(日本内)
色丹島


日本の地図を表示


     

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A.歯舞群島(歯舞諸島)、B.色丹島、C.国後島、D.択捉島
6.色丹村、7.泊村、8.留夜別村、9.留別村、10.紗那村、11.蘂取村


色丹島(しこたんとう)は、北海道根室半島の東に位置する島である。ロシア名はシコタン島(Остров Шикотан)。島の名の由来は、アイヌ語の「シ・コタン(大きな村)」に由来する。古くは「斜古丹」「支古丹」とも表記された。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


  • 3 産業


  • 4 交通アクセス


  • 5 千島アイヌの強制移住


  • 6 千島アイヌと日本正教会


  • 7 脚注


  • 8 参考文献


  • 9 関連項目





概要





海氷に囲まれた冬の色丹島


納沙布岬の北東約75kmの地点にあり、413mの斜古丹山を中心に島全体が比較的なだらかな丘陵になっている[1]。カラマツの近縁種であるグイマツや、ウルップソウなどの高山植物に恵まれた自然の宝庫でもあり、湖沼も多い。地質構造的には歯舞群島とともに根室半島の延長が部分的に陥没したものとされ、地形や植生なども根室半島に似ている。海岸線は西北岸は断崖であるのに対し、東南岸は変化に富み、船の接岸が可能な場所は20ヶ所以上に及ぶが、松が浜を除いては、港としては機能しなかった。村役場が置かれた場所は北東部の斜古丹湾岸で、学校や駅逓、郵便取扱所も設けられ、斜古丹という名の集落をなしていた。島の南北両岸には天然の良港が多く、捕鯨やコンブ、サケ漁などの漁業が主産業であった[2]


2014年(平成26年)時点での人口は3,094人である[3]。ソ連が実効支配を始めて以降の集落は大きく分けて二か所あり、最大集落である斜古丹(ロシア語地名:マロクリリスク(Малокурильск, Malokurilsk=「小千島の町」の意))と、穴澗(あなま ロシア語地名:クラバザヴォーツク(Крабозаводск, Krabozavodsk=「カニ工場の町」の意))である。二か所とも島北側沿岸の湾奥に形成されており、マロクリリスクの人口は1,850人[4]、クラバザヴォーツクの人口は950人となっている(2016年(平成28年))[4]。また、斜古丹の西側の入江奥深くにはそれ以外の能登呂(のとろ)、切通(きりとうし)、相見崎(ヨコネモシリ)、チボイ地区などの集落は、すべて廃村となった。


なお、2016年(平成28年)3月31日現在の元居住者の人数は360人である[5]



歴史




戦前の色丹神社。クジラの顎の骨が鳥居に使われている




色丹島の風景(1980年)




穴澗集落の遠景(2011年)




色丹島の中心集落である斜古丹(2015年)




  • 1869年(明治2年)9月20日 - 北海道根室国花咲郡の一部となり、開拓使の管轄となる。


  • 1870年1月11日(明治2年12月10日) - 増上寺の寺社領となる[6](北海道の分領支配)。

  • 1870年(明治3年)11月3日 - 開拓使の管轄に戻される。

  • 1870年(明治3年)11月8日 - 徳島藩筆頭家老である稲田邦植の領地となる[7]


  • 1871年(明治4年)10月4日 - 廃藩置県により、開拓使の管轄に戻される。


  • 1882年(明治15年)2月8日 - 廃使置県により根室県の管轄となる。


  • 1884年(明治17年)7月11日 - 当時無人島だった色丹島に、占守郡の千島アイヌ91人を定住させ、斜古丹村が置かれる[8]


  • 1885年(明治18年)1月6日 - 根室国花咲郡から、千島国色丹郡[9]斜古丹村の所属となり、斜古丹戸長役場が置かれる。


  • 1886年(明治19年)1月26日 - 廃県置庁により北海道庁の管轄となる。


  • 1892年(明治25年) - 東北地方や北陸地方からの移住がはじまり[1]、斜古丹に小学校が開設される[10]


  • 1914年(大正3年) - 捕鯨会社が相次いで進出(土佐捕鯨株式会社、2年後に東洋捕鯨株式会社)する[2]


  • 1927年(昭和2年) - 基幹道路(斜古丹~能登呂線24km、斜古丹~稲茂尻線9km)が開通する。


  • 1930年(昭和5年) - 南岸沿いの道路(斜古丹~稲茂尻~能登呂線50km)が開通し、陸上交通が整備される。


  • 1933年(昭和8年)10月 - 斜古丹村が色丹村に改称される。


  • 1945年(昭和20年)9月1日 - ソ連軍ヴォストリコフ海軍少佐麾下の部隊600名が斜古丹湾に上陸し、色丹島を占領[11]する。


  • 1946年(昭和21年)1月26日 - GHQがSCAPIN-677を指令し、日本の色丹島への施政権が停止される。

  • 1946年(昭和21年)2月20日 - ソビエト連邦が自国領編入を宣言する[12]


  • 1947年(昭和22年)5月3日 - 地方自治法の施行により北海道根室支庁の管轄となる。

  • 1947年(昭和22年)8月 - 残留していた日本人住民が樺太経由で北海道本土へ強制送還される[5][13]


  • 1956年(昭和31年)10月19日 - 日ソ共同宣言が締結され、平和条約締結後歯舞群島とともに日本に引き渡されることが決定する[14]


  • 1964年(昭和39年)9月8日~9月11日 - 元居住者が稲茂尻墓地と斜古丹墓地に墓参する[15]


  • 1991年(平成3年)12月 - ソ連崩壊。ロシア連邦が実効支配を継承する。


  • 1992年(平成4年)2月 - 北方四島交流事業(ビザなし交流)が開始される[5]


  • 1994年(平成6年)10月4日 - 北海道東方沖地震により被害を受ける。


  • 2010年(平成22年)4月1日 - 根室支庁が廃止され、根室振興局の管轄となる[16]


  • 2014年(平成26年)12月 - 南クリル地区中央病院色丹分院が開院する[3]


  • 2016年(平成28年)5月 - ロシア政府が色丹島を含む北方領土の土地無償分与を開始する[17]


  • 2017年(平成29年)8月 -ロシア政府が経済特区に指定する。関税、法人税の免税措置の導入。


日本政府が返還を要求している北方四島の1つであり、日本の行政区分では、千島国ならびに北海道根室振興局(旧根室支庁)管内の色丹郡色丹村に所属することになっている。なお、1885年(明治18年)1月6日の千島国への移譲ならびに色丹郡の設置まで根室国花咲郡の一部であったことや、歯舞群島とともに根室半島の延長部と看做されることもあって、色丹島を千島列島に含むか否かについては見解が分かれている。


1946年(昭和21年)1月26日以来、(2017年)現在も日本の施政権は及んでおらず、現在までロシア連邦の実効支配下にある。ロシアの行政区分では国後島に本庁があるサハリン州南クリル管区に属する。戦後ロシアが、歯舞群島とあわせて「小千島列島(マラヤ・クリルスカヤ・グリャダМалая Курильская гряда)」と呼ぶようになった列島で最大の島でもある。面積は255.12km2で、日本では13番目の大きさを持つ島である[18]


なお、色丹島は1956年(昭和31年)に締結された日ソ共同宣言において、平和条約締結後には歯舞群島とともに日本に引き渡されることが取り決められている[14]。ソ連崩壊後、色丹島の経済は破綻し、1994年(平成6年)10月4日に発生した北海道東方沖地震ではインフラ設備が潰滅的な被害を受けたため、地震前の人口の半数近くにあたる約3,000人が色丹島を離れている[19]。その後もインフラ復旧は進まず、2000年(平成12年)に北海道新聞が色丹島島民100人に行ったアンケート調査では、46%の島民が色丹島を日本に引き渡すことに賛成している[19]。しかし、2000年代後半に入ってからロシア政府がインフラ整備を進めたため、(2019年)現在では色丹島の日本への引き渡しに対して否定的な意見が多い[20][21]


当該地域の領有権に関する詳細は千島列島及び北方領土の項目を、現状に関してはサハリン州の項目を参照。



産業


漁業が主で、択捉島で大きく成功したギドロストロイ社が水産加工施設オストロブノイを買収した。しかし、2016年(平成28年)4月に労働者への給料未払いが発覚し、ウラジーミル・プーチン大統領はテレビを通じて謝罪している[22][23]。さらに5月には、オストロブノイ社は経営破綻の状態に陥り、裁判所の管理下に置かれた[4][24]。その後、樺太(サハリン)の水産会社KUK社が資金を投入し、救済に乗り出している。10億ルーブル以上に及ぶ債務の解消に目途が立ち、今後は工場の建て替え、新たな船舶の購入、加工する水産物の種類を増やすことなどが検討されている[25]


日本本土と近いことから、国境経済が成長するポテンシャルはあり、ソ連崩壊直後の1992年には、香港人企業家がサハリン州政府から50年の期限でこの島の土地278haを租借し、主に日本人向けのカジノリゾートを作ろうとした。だが、日本政府がこの計画を進めた香港の企業カールソン・アンド・カプラン社に計画中止を求めたことなどから、この企業家は結局撤退した。


また、ロシアにとっては国境最前線の島という認識があるため、斜古丹には国境警備隊の大きな軍港があり、穴澗には拿捕された日本漁船員の収容所が設けられている[1]



交通アクセス


樺太(サハリン)の大泊(コルサコフ)港から、3月から12月まで週2便、サハリンクリル海運の船が斜古丹港へと結んでいる。ロシアのビザと色丹島に有効な通行許可証があれば、日本人はじめ外国人の乗船もできる。港は深いので、国後島や択捉島の諸港と異なり、船は艀なしで直接港に横付けとなる。ただし日本のビザなし交流団に限っては、斜古丹港にある国境警備隊基地の機密保持のため、根室港から穴澗港へのアクセスとなる[26]。なお、穴澗港も直接船が横付けできるほどの深度があるものの、近年は穴澗の水産加工場の廃液によるヘドロの堆積が著しいため、艀を使っての上陸となっている。


2016年(平成28年)12月9日、国後島のメンデレーエフ空港との間に、ミル8型ヘリコプターによる定期便が運航を開始した[27][20]



千島アイヌの強制移住






1884年(明治17年)に占守島や幌筵島、及び中部千島の羅処和島に居住していた千島アイヌの人々が色丹島に強制移住させられた。


これは根室から遠く離れた絶海の孤島では監督も行き届かず、当時、盛んに千島に出没する外国の密猟船に対して便宜を与えるおそれがあったことと、千島アイヌは風俗・習慣共に著しくロシア化していて、殆どロシア人と変わることなく、こうした者を国境近くに置くことは、日本の領域を確定するにおいて危険な障害と感じられたためである。移住した千島アイヌに対しては農地が与えられ、また牧畜や漁業も奨励されたが、元々が漁撈民であった彼らは慣れぬ農耕に疲弊し、多くが病に倒れ命を失った。



千島アイヌと日本正教会






千島居住時代にロシア正教会から派遣された宣教師による伝道でハリスチャニン(正教信者)となっていた千島アイヌの人々ために、日本ハリストス正教会は司祭や伝教者(伝教師)を送った。明治時代に日本ハリストス正教会の伝教者だった斎藤東吉が色丹の千島アイヌの信者から聞いた話によると、1885年(明治18年)、日本正教会の神品が初めて色丹島を訪問した時、最初に上陸した根室教会管轄司祭の小松神父を、根室の学校に通っていて教会を訪れたことのある子どもが正教の神父であると大人の信者たちに教えたが、小松師が和服姿であったために大人たちは正教の司祭とは信じられず和人の回し者であろうと怪しんだという。


しかしながら、後から陸に上がった沢辺悌太郎伝教者(沢辺琢磨の息子、後に司祭に叙聖される)がロシア語で、根室正教会の小松師による巡視であることを伝え、また、小松師がニコライ主教からの証明書を提示するに至って、ようやく彼らは正教会神品の来訪であることを理解し、歓喜の声を上げて降福を受け、また機密に与ったという。そして、これが色丹島の聖三者教会の始まりとなった。
色丹島より戻った神品らは直ちに千島アイヌ信者の窮状を教団本部に伝え、これを受けたニコライ主教は全国の信者に義捐を呼びかけ、送られてきた金品を色丹の信者らに送った。その後、1893年(明治26年)、羅処和島生まれの千島アイヌ首長ヤコフ・ストロゾフは自らの手で新しい教会堂を建て、信者たちは篤実な信仰生活を続けた。


現在、当然のことながら往時の聖三者教会は消滅し、また司祭を送った根室正教会も衰退したため、根室に居た司祭も1910年(明治43年)より釧路に移転してしまったが、聖三者教会に納められていたイコン(聖像)の一部が中標津郊外の上武佐ハリストス正教会に受け継がれ、千島アイヌの人々が守り続けた正教信仰の灯火を今に伝えている。



脚注


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  1. ^ abc西牟田 p203

  2. ^ ab“【写真特集】戦前の北方領土(色丹島)東洋一の捕鯨場があった美しい島 THE PAGE(ザ・ページ)”. THE PAGE. (2016年12月6日). https://thepage.jp/detail/20161206-00000003-wordleaf 2017年4月12日閲覧。 

  3. ^ ab“【北方領土訪問記】3000人の島にロシア資本の豪華病院 学校や博物館も“ロシア化” 返還実現へ戦略的な世論喚起を - 産経ニュース”. 産経新聞. (2015年8月6日). http://www.sankei.com/premium/news/150806/prm1508060005-n1.html 2017年4月12日閲覧。 

  4. ^ abc“【北方領土を行く(下)】色丹島はロシアにとって「手放せる島」 閑散…「警備隊もすぐ撤退できる」 - 産経ニュース”. 産経新聞. (2016年7月30日). http://www.sankei.com/politics/news/160730/plt1607300015-n1.html 2017年4月12日閲覧。 

  5. ^ abc千島歯舞諸島居住者連盟 -北方領土の基礎知識-


  6. ^ 北方領土の歴史(総務部北方領土対策本部) | 総務部北方領土対策本部北方領土対策課


  7. ^ 開館10周年記念特別展 - 徳島県立文書館


  8. ^ 根室外九郡役所統計概表 経歴 デジタルアーカイブ 国立国会図書館


  9. ^ 法令全書 第21冊(明治18年) 近代デジタルライブラリー 国立国会図書館


  10. ^ 千島の島々と「北方領土」社会科副読本らうす 羅臼町教育委員会


  11. ^ ボリス・スラヴィンスキー「千島占領」、から孫引き


  12. ^ 北方領土返還運動のあゆみ | 根室市


  13. ^ “もっと知りたい北方領土(4) 突然やってきたソ連兵に島は奪われた”. THE PAGE. (2016年10月5日). https://thepage.jp/detail/20160930-00000007-wordleaf 2017年6月2日閲覧。 

  14. ^ ab○日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との共同宣言 | 外務省


  15. ^ 北方領土への墓参北方領土対策本部 北海道庁


  16. ^ 北海道総合振興局及び振興局の設置に関する条例 支庁制度改革の取組(地域主権局)北海道


  17. ^ “ロシアが北方領土の土地無償分与を開始 実効支配強めるプーチン政権 日ソ共同宣言で返還言及の色丹島も対象 - 産経ニュース”. 産経新聞. (2016年10月18日). http://www.sankei.com/world/news/161018/wor1610180001-n1.html 2017年4月12日閲覧。 


  18. ^ 国立天文台(編) 平成19年 理科年表 p.565 ISBN 4621077635

  19. ^ ab西牟田 pp205-206

  20. ^ ab“日露首脳会談前に…色丹島のロシア人住民は”. 日テレNEWS24. (2016年12月15日). http://www.news24.jp/articles/2016/12/15/10349153.html 2019年2月2日閲覧。 


  21. ^ “色丹島で見えた“北方領土交渉”厳しい現状”. 日テレNEWS24. (2019年2月1日). http://www.news24.jp/sp/articles/2019/02/01/10415823.html 2019年2月2日閲覧。 


  22. ^ “ロシア:色丹島実効支配、プーチン氏が強調…国民対話 - 毎日新聞”. 毎日新聞. (2016年4月14日). http://mainichi.jp/articles/20160415/k00/00m/030/043000c 2017年4月12日閲覧。 


  23. ^ “サハリン知事が北方領土・色丹を緊急視察へ 賃金未払いがプーチン氏の国民対話で表面化し - 産経ニュース”. 産経新聞. (2016年4月15日). http://www.sankei.com/world/news/160415/wor1604150076-n1.html 2017年4月12日閲覧。 


  24. ^ “色丹の水産加工場が破綻 ロ大統領指示で捜査中 - 産経ニュース”. 産経新聞. (2016年5月13日). http://www.sankei.com/world/news/160513/wor1605130053-n1.html 2017年4月12日閲覧。 


  25. ^ На курильский рыбокомбинат «Островной» возвращаются сотрудники  サハリン・クリル通信社- 2016年11月1日


  26. ^ 西牟田 p204


  27. ^ 国後、色丹にヘリ定期路線=実効支配強化-ロシア - 時事通信 2016年11月30日




参考文献



  • 『北方領土関係資料総覧』 行政資料調査会北方領土返還促進部、1977年11月4日


  • 西牟田靖.(2012年). 『誰も国境を知らない―揺れ動いた「日本のかたち」をたどる旅』, 朝日文庫, 朝日新聞出版. ISBN 9784022617408



関連項目



  • 北方領土問題

  • 二島返還論









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