北諸県郡





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宮崎県北諸県郡の位置(緑:三股町)


北諸県郡(きたもろかたぐん)は、宮崎県の郡。


人口25,420人、面積110.02km²、人口密度231人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の1町を含む。



  • 三股町(みまたちょう)



目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 郡発足までの沿革


    • 2.2 郡発足以降の沿革


    • 2.3 平成の大合併


    • 2.4 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献


  • 5 関連項目





郡域


1884年(明治17年)に西諸県郡・東諸県郡を分割した当時の郡域は、上記1町に都城市を加えた区域にあたる。



歴史



郡発足までの沿革




  • 明治初年時点では全域が薩摩鹿児島藩領であった。「旧高旧領取調帳」に記載されている、諸県郡のうち後の本郡域の明治初年時点での村は以下の通り[1]。(41村)


    • 都城郷 - 安永村、横市村、上水流村、西岳村、野々美谷村、下水流村、岩満村、丸谷村、山田村、中霧島村、五十町分村、宮丸村、川東村、郡元村、上長飯村、下長飯村、梅北村、金田村、高木村、豊満村、安久村、宮村、長田村


    • 勝岡郷 - 樺山村、蓼池村、餅原村


    • 山之口郷 - 山之口村、花木村、富吉村


    • 高城郷 - 東霧島村、大井手村、桜木村、穂満坊村、石山村、有水村、四家村


    • 高崎郷 - 大牟田村、前田村、縄瀬村


    • 野尻郷(一部) - 笛水村、江平村



  • 明治3年(1870年) - 五十町分村が改称して五十町村となる。

  • 明治4年


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により鹿児島県の管轄となる。


    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、後の北諸県郡域のうち野尻郷が美々津県、残部が都城県の管轄となる。

    • 町畠村が帖村に合併。



  • 明治5年5月15日(1872年6月20日) - 後の北諸県郡域の全域が都城県の管轄となる。

  • 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。

  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。

  • 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての諸県郡が発足。郡役所が都城に設置。



郡発足以降の沿革



  • 明治16年(1883年)5月9日[要検証] - 宮崎県(第2次)が発足し、諸県郡のうち同県に所属する区域をもって北諸県郡が発足。

  • 明治17年(1884年)1月26日 - 細野村ほか45村の区域をもって西諸県郡が、高岡町ほか3町31村の区域をもって東諸県郡がそれぞれ発足し、郡より離脱。本郡単独の郡役所が都城に設置。



1.都城町 2.五十市村 3.中郷村 4.三股村 5.山之口村 6.高城村 7.沖水村 8.志和池村 9.庄内村 10.山田村 11.高崎村(紫:都城市 青:合併なし)



  • 明治22年(1889年)5月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。特記以外は全域が現・都城市。(1町10村)


    • 都城町 ← 宮丸村、下長飯村、上長飯村、西町[2]、上町[3]、中町[3]、下町[3]


    • 五十市村 ← 横市村、五十町村


    • 中郷村 ← 梅北村、安久村、豊満村


    • 三股村 ← 宮村、樺山村、長田村、餅原村、蓼池村(現・三股町)


    • 山之口村 ← 富吉村、花木村、山之口村


    • 高城村 ← 大井手村、桜木村、穂満坊村、石山村、有水村、四家村、高城町[4]


    • 沖水村 ← 高木村、金田村、川東村、郡元村


    • 志和池村 ← 岩満村、丸谷村、野々美谷村、上水流村、下水流村


    • 庄内村 ← 安永村、西岳村


    • 山田村 ← 山田村、中霧島村


    • 高崎村 ← 東霧島村、笛水村、江平村、前田村、縄瀬村、大牟田村



  • 明治24年(1891年)7月4日 - 庄内村の一部(西岳)が分立して西岳村が発足。(1町11村)

  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。


  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正13年(1924年)

    • 4月1日 - 都城町が市制施行して都城市となり、郡より離脱。(11村)


    • 5月15日 - 庄内村が町制施行して庄内町となる。(1町10村)



  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和9年(1934年)2月11日 - 高城村が町制施行して高城町となる。(2町9村)

  • 昭和11年(1936年)5月20日 - 沖水村・五十市村が都城市に編入。(2町7村)

  • 昭和15年(1940年)2月11日 - 高崎村が町制施行して高崎町となる。(3町6村)

  • 昭和23年(1948年)5月2日 - 三股村が町制施行して三股町となる。(4町5村)

  • 昭和24年(1949年)5月1日 - 高城町が志和池村水流の一部を編入。

  • 昭和28年(1953年)1月15日 - 山田村が町制施行して山田町となる。(5町4村)

  • 昭和31年(1956年)7月15日 - 庄内町・西岳村が合併して荘内町が発足。(5町3村)

  • 昭和32年(1957年)3月1日 - 志和池村が都城市に編入。(5町2村)

  • 昭和39年(1964年)11月3日 - 山之口村が町制施行して山之口町となる。(6町1村)

  • 昭和40年(1965年)4月1日 - 荘内町が都城市に編入。(5町1村)

  • 昭和42年(1967年)3月3日 - 中郷村が都城市に編入。(5町)


  • 平成18年(2006年)1月1日 - 山之口町・高城町・山田町・高崎町が都城市と合併し、改めて都城市が発足、郡より離脱。(1町)



平成の大合併



  • 平成15年(2003年)

    • 1月 - 北諸県郡下全五町による「北諸地域任意合併協議会」設置

    • 3月 - 合併重点支援地域に指定される。

    • 5月 - 合併協議会に都城市がオブザーバー参加。

    • 12月 - 三股町が合併協議会からの離脱を表明。



  • 平成16年(2004年)

    • 2月 - 「都城北諸合併協議会」(法定合併協議会)設立。

    • 7月 - 新市名を「都城市」とすることが決定。

    • 11月 - 現在の北諸県郡四町に合併特例法に基づく地域自治区を合併後6年間設ける旨決定。



  • 平成17年(2005年)2月 - 合併協定調印式

  • 平成18年(2006年)1月 - 合併



変遷表




脚注





  1. ^ 郷については「角川日本地名大辞典」による。


  2. ^ 下長飯村のうち。本項では町数に数えない。

  3. ^ abc宮丸村のうち。本項では町数に数えない。


  4. ^ 穂満坊村のうち。本項では町数に数えない。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 45 宮崎県

  • 旧高旧領取調帳データベース



関連項目



  • 東諸県郡

  • 西諸県郡

  • 南諸県郡






先代:
諸県郡

行政区の変遷
1883年 -
次代:
(現存)




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