皇宮警察本部
皇宮警察本部 こうぐうけいさつほんぶ | |
---|---|
役職 | |
本部長 | 牛嶋正人(皇宮警視監) |
副本部長 | 奥野省吾(皇宮警視監) |
組織 | |
内部組織 | 警備部、護衛部、警務部 |
概要 | |
所在地 | 東京都千代田区千代田1番3号 北緯35度41分7.2秒 東経139度45分30.7秒座標: 北緯35度41分7.2秒 東経139度45分30.7秒 |
定員 | 936人(うち896人は皇宮護衛官)[1] |
年間予算 | 83億6653万9千円[2]。(2018年度) |
設置 | 1949年(昭和24年)1月 |
改称 | 1954年(昭和29年)7月 |
前身 | 皇宮警察署 |
ウェブサイト | |
皇宮警察本部 |
皇宮警察本部(こうぐうけいさつほんぶ、英: Imperial Guard Headquarters)は、警察庁に置かれている附属機関のひとつ[3]。
「警察法第29条」の規定により、「天皇及び皇后、皇太子その他の皇族の護衛、皇居及び御所の警衛、その他皇宮警察に関する事務」をつかさどる[3]。
本部所在地は東京都千代田区千代田1番3号。本部長は、皇宮警視監の階級の皇宮護衛官であるが、慣例により内閣府事務官である宮内庁職員にも併任される。本部の紋章は五三桐[4]である。桐紋は菊花紋章と並んで古くから皇室の象徴とされている紋章である。
警察庁公式サイトには、皇宮警察本部の英文名称が「Imperial Guard Headquarters」と示されている[5]。
the Guardは「近衛兵」を意味する英語である[6]。太平洋戦争(大東亜戦争)で日本が敗れるまで、宮城(皇居のかつての名称)の警備にあたっていた近衛師団の英訳は「Imperial Guard Division」である(Divisionは「師団」)[7]。
目次
1 歴史
1.1 沿革
1.2 対応した主な事件
2 組織
3 参考文献
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
7 外部リンク
歴史
沿革
宮内省時代(後に宮内府、現在の宮内庁に改編される)の皇宮警察の沿革
1947年(昭和22年)1月、宮内省から内務省へ移管され、警視庁皇宮警察部と改称。その際に、官名が「皇宮警察官」から「皇宮護衛官」に改められる。また側近警衛が侍従職に移管される。
1948年(昭和23年)3月、旧警察法の施行に伴い、国家地方警察本部に移管され皇宮警察府とされる。再び、側近警衛を所管する。- 同年6月、皇宮警察局に再び改称。
1948年(昭和23年)12月、皇宮護衛官が特別司法警察職員に指定される。
1949年(昭和24年)1月、国家地方警察本部の外局の皇宮警察本部となる。
1951年(昭和26年)8月、皇宮警察の勤務体制が三交替勤務制になる。
1952年(昭和27年)12月、皇宮警察音楽隊が設置される[8]。
1953年(昭和28年)6月、皇宮警察学校が設置される。
1954年(昭和29年)7月、現在の警察法が施行されるに伴い、警察庁の附属機関の皇宮警察本部となる。
1960年(昭和35年)6月、側衛実施指揮官として侍衛官が設置される。
1973年(昭和48年)4月、皇宮警察本部に護衛部が設けられる。
1977年(昭和52年)12月、内廷皇族以外の皇族である内廷外皇族についても、恒常的な護衛を実施する。
1992年(平成4年)8月、皇宮警察の勤務体制が四交替勤務制になる。
2011年(平成23年)4月26日、同年3月11日発生の東北地方太平洋沖地震による東日本大震災に伴い、パトロール隊「皇宮警察ひまわり隊」が編成され東北地方の被災地へ派遣。皇宮警察史上初の管轄外活動となる[9][10]。
対応した主な事件
1971年(昭和46年)9月25日:第1次坂下門乱入事件
1975年(昭和50年)7月12日:第2次坂下門乱入事件
組織
- 本部長(皇宮警視監)
- 副本部長
- 警務部
- 警務課
- 監察課
- 教養課
- 会計課
- 厚生課
- 警備部
- 警備第一課
- 警備第二課
- 護衛部
- 護衛第一課
- 護衛第二課
- 護衛第三課
- 侍衛官(3)
- 坂下護衛署
- 吹上護衛署
- 赤坂護衛署
- 京都護衛署
- 皇宮警察学校:皇宮警察職員に対する教育訓練を行う[3]。
- 警務部
皇居のうち、宮殿及び皇居東御苑等の区域を担当する「坂下護衛署」、御所・宮中三殿等の区域を担当する「吹上護衛署」、赤坂御用地(東宮御所・各宮邸等)及び常盤松御用邸(常陸宮邸)の区域を担当する「赤坂護衛署」が設置されている。
東京都以外では、京都府には京都御所・仙洞御所・京都大宮御所・桂離宮・修学院離宮及び正倉院の区域を担当する「京都護衛署」を置き、神奈川県の葉山御用邸、栃木県の那須御用邸、御料牧場、静岡県の須崎御用邸、奈良県の正倉院には、「皇宮護衛官派出所」が置かれている[11][12]。
また、各署には消防車(「警防車」と呼称)が配備されており、皇居や御所の消防の業務を担っている[13]。
この他、皇宮護衛官の育成のための皇宮警察学校や皇宮警察音楽隊、皇宮警察特別警備隊などもある。
2009年(平成21年)度に警務部長ポストを廃し、「副本部長」を設置した。
皇宮警察本部の定員は、警察庁の定員に関する規則[14]により規定されており、2018年4月1日現在、皇宮護衛官896人および事務官等40人の合計936人である。
参考文献
- 皇宮警察史編さん委員会編『皇宮警察史』1976年、皇宮警察本部
- 皇宮警察史編さん委員会編『皇宮警察史』2006年、皇宮警察史編さん委員会
脚注
^ 警察庁の定員に関する規則(昭和44年6月5日国家公安委員会規則第4号)」(最終改正:平成30年3月30日国家公安委員会規則第8号)
^ 単位:千円。2018年度(平成30年度)当初予算 - 一般会計(内閣 「平成30年度予算書関連」 財務省)。
- ^ abc警察法 第29条
^ 内閣紋章は七五桐
^ “サイトマップ | 皇宮警察本部-IMPERIAL GUARD HEADQUARTERS-” (日本語). 警察庁. 2018年8月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年8月25日閲覧。
^ 『ジーニアス英和辞典』第3版 「guard(名詞)(1)」。
^ 秦 2005, pp. 370-382, 第2部 陸海軍主要職務の歴任者一覧-III 陸軍-9.部隊/師団-A 師団
^ 「皇宮警察音楽隊創設60周年記念演奏会」平成25年度警察白書,P201
^ 千葉県警察成田国際空港警備隊への出向を除く。
^ https://web.archive.org/web/20110429052913/http://sankei.jp.msn.com/life/news/110426/imp11042618030003-n1.htm 皇宮警察が初の被災地支援へ 避難所での生活相談などに女性護衛官ら派遣 産経新聞 2011年4月26日(インターネットアーカイブ)
^ 皇宮警察本部とは
^ http://www.npa.go.jp/hakusyo/h25/pdf/pdf/11_dai6syo.pdf 平成25年警察白書 P201「皇宮警察本部の活動」
^ “皇宮警察護衛官が消防技能を競う”. 日テレNEWS24. 日本テレビ (2013年7月13日). 2014年3月15日閲覧。
^ 昭和44年6月5日国家公安委員会規則第4号。(最終改正:平成30年3月30日国家公安委員会規則第8号)
参考文献
秦郁彦 編著 『日本陸海軍総合事典』 (第2版) 東京大学出版会、2005年。
関連項目
- 交通安全協会
- 東京都交通安全協会
- 皇宮警察 (宮内省)
- 近衛師団
- 禁衛府
- 警視庁皇宮警察部
- 宮内庁
- 済寧館
- 親衛隊
- 近衛兵
- 枢密院
- ライフガーズ
外部リンク
- 皇宮警察本部
|
|
|