高麗郡
高麗郡(こまぐん)は、埼玉県(武蔵国)にあった郡。
目次
1 郡域
2 歴史
2.1 近代以降の沿革
3 高麗郡建郡1300年記念事業
4 脚注
5 参考文献
6 関連項目
郡域
現在の行政区画では概ね以下の区域に相当する。
日高市(全域)
鶴ヶ島市(全域)
川越市(入間川以西)
狭山市(同上)
入間市(大字野田、仏子、新光)
飯能市(大字坂石、坂石町分、南、南川、北川、高山、坂元、上名栗、下名栗を除く全域)
歴史
716年、朝廷が駿河など7ヶ国に居住していた旧高句麗から渡来系移民1,799人を武蔵国の一部に移し、高麗郡を設置したとされる[1]。初代郡司は高麗若光で、666年に高麗の副使として天智天皇に貢ぎ物を捧げている[2]。
設置時の郡域は現在の日高市と飯能市のそれぞれ一部であり、律令制下では小郡に分類されていた。『倭名類聚抄』には高麗郷(現在の日高市高麗本郷付近)・上総郷(現在の飯能市北東部)の二郷の名が記されている。郷名から高麗郷には旧高句麗の遺民(国が滅びて残った民)が、上総郷には上総国からの移民が配置されたものと考えられている。
中世以降郡域が東側の入間郡・比企郡方面に拡大し、江戸時代には現在の鶴ヶ島市全域・日高市のほぼ全域および飯能市の東半分、川越市・狭山市・入間市のそれぞれ北西側の一部を含む地域となり、入間川が入間郡との境界となっていた。
廃藩置県後に行われた全国的な府県統合に伴い入間県→熊谷県→埼玉県と所属を変え、1878年(明治11年)7月22日、郡区町村編制法制定に伴い、行政区域としての高麗郡が誕生した。高麗郡役所は郡の中心地であった飯能町ではなく、入間郡と共同で川越町に置かれていた。1896年(明治29年)3月29日、郡制の施行のため入間郡に編入されて消滅した。
近代以降の沿革
- 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。●は村内に寺社領が、○は寺社除地(領主から年貢免除の特権を与えられた土地)が存在。幕府領は松村忠四郎支配所が管轄。(127村)
知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
幕府領 | 幕府領 | 23村 | 女影新田、上大谷沢新田、下高萩新田、小瀬戸村、上新田村、中新田村、町屋新田、脚折新田、脚折下新田、高倉新田、野田新田(野田村のうち)、○台村、下鹿山新田(下鹿山村のうち)、○鹿山村、鹿山新田、新堀新田、原宿新田(原宿村のうち)、平沢村新田(平沢村上組、平沢村中組、平沢村下組のうち)、田波目村新田(田波目村のうち)、大塚野新田、苅生村、中藤村中郷、中藤村上郷、●高麗本郷、高麗本郷村新田(高麗本郷村のうち)、日向市原組、日向市原組新田、町屋新田[3]、四日市場村新田[3] |
旗本領 | 28村 | 高萩村、女影村、大谷沢村[4]、下大谷沢村、下高萩村、太田ヶ谷村、笠縫村、●岩沢村、町屋村、脚折村、●篠井村、○久保村、●野々宮村、●○上鹿山村、○中鹿山村、下鹿山村、原宿村、上直竹村上分、●阿須村、上直竹村下分、中居村、青木村、宮沢村、小久保村、平松村、下川崎村、旧旗本上知鹿山村[5]、●仏子村 | |
幕府領・旗本領 | 11村 | 高萩新田、馬引沢村、芦苅場村、田木村、藤金村、下新田村、三角原新田、築地新田、●根岸村、落合村、中沢村[6] | |
一橋徳川家領 | 18村 | ○梅原村、○栗坪村、清流村、○高岡村、●高岡新田(高岡村のうち)、●○新堀村、○平沢村上組、平沢村中組、平沢村下組、田波目村、●下直竹村、上畑村、大河原村、●下畑村、原市場村、曲竹村、唐竹村、赤沢村、●横手村 | |
藩領 | 武蔵岩槻藩 | 5村 | 久須美村、猿田村、下赤工村、上赤工村、中藤村下郷 |
上野前橋藩 | 9村 | 的場村、●野田村、上広瀬村、天沼新田、下小坂村、上戸村、平塚新田、戸宮村、平塚村 | |
上総久留里藩 | 15村 | ●飯能村、久下分村、●真能寺村、前ヶ貫村、矢颪村、●永田村、楡木村、長沢村、●小岩井村、中山村、白子村、平戸村、虎秀村、上井上村、下井上村 | |
下総古河藩 | 1村 | 高倉村 | |
幕府領・藩領 | 岩槻藩・久留里藩 | 1村 | 川崎村 |
幕府領・前橋藩 | 9村 | 柏原村、笠幡村、安比奈新田、上広谷村、小堤村、下広谷村、五味ヶ谷村、吉田村、鯨井村 | |
幕府領・古河藩 | 2村 | 三ツ木村(三ツ木新田を含む) | |
旗本領・岩槻藩 | 1村 | ●川寺村 | |
幕府領・下総佐倉藩 | 1村 | ●双柳村 | |
幕府領・旗本領・前橋藩 | 1村 | 下広瀬村 | |
旗本領・久留里藩 | 1村 | 岩淵村持添(岩淵村のうち)、下加治村 | |
その他 | 寺社領 | 1村 | 岩淵村 |
慶応4年
6月17日(1868年8月5日) – 関東在方掛の旧岩鼻陣屋に岩鼻県が設置され、幕府領の一部(中藤村中郷・中藤村上郷)を管轄。
6月29日(1868年8月17日) – 韮山代官所が韮山県となり、幕府領・旗本領のほぼ全域(中沢村を除く)を管轄。
7月10日(1868年8月27日) - 旧幕府代官の松村長為(忠四郎)が武蔵知県事に就任。引き続き中沢村を管轄。
8月8日(1868年9月23日) - 武蔵知県事が松村長為から古賀定雄(一平)に交代。- 前橋藩の領地替えにともない、旧幕府領・旗本領のうち野田新田・築地新田・根岸村・小堤村・五味ヶ谷村・中藤村中郷・中藤村上郷が前橋藩の管轄となる。また、前橋藩領のうち天沼新田が韮山県の管轄となる。
- 一橋徳川家領のうち原市場村・曲竹村・唐竹村・赤沢村が岩鼻県、残部が韮山県の管轄となる。
- 明治2年
1月13日(1869年2月23日) - 武蔵知県事・古賀定雄の管轄区域に品川県を設置。- 4月 – 当郡内の品川県の管轄地域(中沢村)が韮山県に移管。
- 明治4年
7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、藩領が岩槻県、前橋県、久留里県、古河県、佐倉県となる。
11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により、全域が入間県の管轄となる。
1873年(明治6年)
6月15日 - 入間県が群馬県(第1期)と合併して熊谷県となる。- 下井上村・上井上村が合併して井上村となる。(126村)
1874年(明治7年)(121村)
- 鹿山新田・旗本上知鹿山村が鹿山村に、日向市原組・日向市原組新田が高麗本郷に、曲竹村が原市場村にそれぞれ編入。
1875年(明治8年)(114村)
- 町屋新田が町屋村に、四日市場新田が入間郡四日市場村に、脚折新田・脚折下新田が脚折村に、高倉新田・三角原新田が高倉村にそれぞれ編入。
- 田波目村が入間郡多和目村のうち旧寺社領を編入。
1876年(明治9年)
8月21日 - 第2次府県統合により、熊谷県が武蔵国の管轄地域を埼玉県に合併して群馬県(第2期)に改称。当郡域は埼玉県の管轄となる。- 高萩新田が高萩村に編入。(113村)
1878年(明治12年)(112村)
3月17日 - 郡区町村編制法の埼玉県での施行により、行政区画としての高麗郡が発足。入間郡川越町に設置された入間郡役所が管轄。- 築地新田が野田村に編入。
1880年(明治13年) - 下高萩村が高萩村に編入。(111村)
1882年(明治15年) - 飯能村・久下分村・真能寺村が合併して飯能町となる。(1町108村)
1885年(明治18年) - 上大谷沢新田が大谷沢村に編入。(1町107村)
1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、以下の町村が発足。(1町14村)
名細村 ← 鯨井村、上戸村、小堤村、下小坂村、下広谷村、平塚村、平塚新田、吉田村、天沼新田(現川越市)
鶴ヶ島村 ← 脚折村、三ッ木村、三ッ木新田、五味ヶ谷村、戸宮村、大塚野新田、高倉村、町屋村、藤金村、上新田村、中新田村、下新田村、上広谷村、太田ヶ谷村(現鶴ヶ島市)
高萩村 ← 高萩村、女影村、大谷沢村、下大谷沢村、田木村、馬引沢村、中沢村、下高萩新田、女影新田および入間郡森戸新田、駒寺野新田(現日高市)
高麗川村 ← 原宿村、鹿山村、上鹿山村、中鹿山村、下鹿山村、田波目村、平沢村上組、平沢村中組、平沢村下組、猿田村、新堀新田、野々宮村(現日高市)
高麗村 ← 高麗本郷、梅原村、新堀村、高岡村、清流村、楡木村、栗坪村、横手村、久保村、台村(現日高市)
東吾野村 ← 井上村、白子村、長沢村、虎秀村、平戸村(現飯能市)
霞ヶ関村 ← 笠幡村、的場村、安比奈新田(現川越市)
柏原村(単独村制。現狭山市)
水富村 ← 根岸村、上広瀬村、下広瀬村、篠井村(現狭山市)
元加治村 ← 野田村、仏子村(現入間市)
加治村 ← 川寺村、岩沢村、笠縫村、矢颪村、前ヶ貫村、阿須村、落合村(現飯能市)
精明村 ← 小久保村、中居村、青木村、下加治村、芦苅場村、双柳村、宮沢村、平松村、川崎村、下川崎村(現飯能市)
飯能町 ← 飯能町、中山村、久須美村、小瀬戸村、大河原村、小岩井村、永田村(現飯能市)
原市場村 ← 原市場村、赤沢村、中藤村上郷、中藤村中郷、中藤村下郷、上赤工村、下赤工村、唐竹村(現飯能市)
南高麗村 ← 下直竹村、上直竹村上分、上直竹村下分、苅生村、上畑村、下畑村、岩淵村(現飯能市)
1896年(明治29年)4月1日 - 入間郡・高麗郡および比企郡の一部の区域をもって、改めて入間郡が発足。同日高麗郡廃止。
高麗郡建郡1300年記念事業
2010年5月に高麗郡建郡1300年祭準備会としてスタートし、2015年に一般社団法人高麗1300(理事長:大野松茂)を設立。1300年の節目である2016年には埼玉県の事業として1300年記念事業が各種開催された。4月には、高麗若光の会が高麗神社に記念碑を建立し、高円宮妃久子ほか柳興洙駐日韓国大使、馳浩文部科学相らが建立を祝った。
また、翌年の2017年(平成29年)9月20日には、今上天皇、皇后が、私的旅行として高麗神社を参拝した。天皇の参拝は創建以来初めてである。ほかに高麗家住宅・巾着田を視察した[7]。
脚注
^ 経済雑誌社編『国史大系 第2巻 続日本紀』経済雑誌社、1897年、pp.98-99、『続日本紀 巻7』1657年刊行
^ 日本書紀巻第廿七『五年春正月戊辰朔戊寅、高麗遣前部能婁等進調。(中略) 冬十月甲午朔己未、高麗遣臣乙相奄𨛃等進調。大使臣乙相奄𨛃・副使達相遁・二位玄武若光等。是冬、京都之鼠、向近江移。以百濟男女二千餘人、居于東國。凡不擇緇素、起癸亥年至于三歲、並賜官食。倭漢沙門智由、獻指南車。』とある。天智天皇の三年(663年)に起きた白村江の戦い後にあたる。但し、同一人物か襲名した後継者かは確認されていない。
- ^ ab「旧高旧領取調帳」では入間郡の所属となっているが、ここでは「角川日本地名大辞典」に準じた。
^ 記載は「上大谷沢村」。
^ 記載は「上知鹿山村」。
^ 記載は「向郷中沢大谷沢」。
^ 両陛下が埼玉へ私的旅行 日高の高麗神社、見頃のヒガンバナを見て回られる 大勢の市民ら歓迎 - 埼玉新聞 2017年09月20日
参考文献
角川日本地名大辞典 11 埼玉県- 旧高旧領取調帳データベース
高麗郡建郡1300年記念事業 〜渡来から未来へ〜一般社団法人 高麗1300
埼玉県立歴史と民俗の博物館編 『高麗郡 (Komagun) 一三〇〇年 : 物と語り : 渡来人の軌跡をたどる : 特別展』 埼玉県立歴史と民俗の博物館、2016年。 NCID BB22011464。
関連項目
- 消滅した郡の一覧
- 高麗神社
- 高麗川
- 高麗駅
- 高麗川駅
- 高麗 (曖昧さ回避)
- 日朝関係史
先代: ----- | 行政区の変遷 - 1896年 | 次代: 入間郡 |
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