アレハンドロ・アメナーバル
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はアメナーバル、第二姓(母方の姓)はカントスです。 |
アレハンドロ・アメナーバル Alejandro Amenábar | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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本名 | Alejandro Fernando Amenábar Cantos[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日 | (1972-03-31) 1972年3月31日(46歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地 | チリ・サンティアゴ[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||
国籍 | スペイン | ||||||||||||||||||||||||||||||||
職業 | 映画監督・脚本家・作曲家 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
配偶者 | ダビド・ブランコ(2015-, 男性)[1] | ||||||||||||||||||||||||||||||||
主な作品 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
『アザーズ』 『海を飛ぶ夢』 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
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アレハンドロ・アメナーバル(スペイン語: Alejandro Amenábar, 1972年3月31日 - )は、チリ・サンティアゴ出身、スペイン国籍の映画監督・脚本家・作曲家。
目次
1 経歴
1.1 幼少期・青年期
1.2 映画監督
2 人物
3 フィルモグラフィー
4 受賞とノミネート
4.1 映画賞
4.2 映画祭
5 脚注
6 外部リンク
経歴
幼少期・青年期
父親のウーゴ・リカルド・アメナーバルはチリ人、母親のホセフィーナ・カントスはスペイン人である。ホセフィーナの姉はスペインからチリに渡っており、後にホセフィーナをチリに招いた。ホセフィーナはそこでウーゴと出会い、1972年3月31日にアレハンドロ・アメナーバルが生まれた。アメナーバルにはリカルドという1969年生の兄がいる。アメナーバル自身はチリとスペインの二重国籍である。父親はゼネラル・エレクトリックのエンジニアである。アレハンドロが1歳だった1973年8月、アメナーバル家はスペインに移住した。当初はキャンピングカーに寝泊まりしていたが、やがてマドリードに落ち着いた。アレハンドロが6歳の時、郊外にあるマドリード州パラクエーリョス・デ・ハラマの団地に引っ越した。
15歳の頃から足しげく映画館に通い、その他には執筆や読書にも情熱を注いだ。アメナーバルの母親によると、アメナーバルは読んだ文章のすべてを吸収する能力を持っていた。さらには、物語を書いた時には文章に合わせてキーボードやギターで作曲を行った。アメナーバルはヘタフェの学校に在学していたが、高校2年時にはマドリードの北東部にあるアラメダ・デ・オスナ学校に転校した。この学校はアメナーバルの家からは遠かったが、マドリード有数の学校として知られていた。マドリード・コンプルテンセ大学の情報科学部に入学、コンプルテンセ大学ではマテオ・ヒルなどと出会い、ヒルとはプロジェクトの相互支援を行っている。アメナーバルは最終的にコンプルテンセ大学の学位は取得していない[1]。
映画監督
1991年から1994年の間に、アメナーバルは『La Cabeza』、『Himenóptero』、『Luna』という3本の短編映画を監督した。ホセ・ルイス・クエルダが『Himenóptero』の脚本を担当し、若いアメナーバルに助言を与えた。23歳だった1996年には初長編作品『テシス 次に私が殺される』を監督。この作品はゴヤ賞で新人監督賞と脚本賞を受賞し、ベルリン国際映画祭でも審査員の注目を集めた。1997年のSFアクション映画『オープン・ユア・アイズ』は、ベルリン国際映画祭や東京国際映画祭で高評価を得た。この作品はアルフレッド・ヒッチコック監督の1958年作『めまい』をアメナーバルなりにアレンジしたものであると語っている[1]。トム・クルーズがハリウッドリメイク権を購入、クルーズ自身が主役を演じて『バニラ・スカイ』としてリメイクされた。2001年の3作目『アザーズ』ではハリウッドに進出。ニコール・キッドマンが主演するスリラー映画である。スペインでは同年の最多観客数を記録し、アメリカ合衆国では数週間にわたって興行成績第1位となった。この作品はヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、ゴヤ賞では作品賞・監督賞を含む8部門で受賞し、ヨーロッパ映画賞では作品賞にノミネートされた。
2004年には尊厳死活動家のラモン・サンペドロの手記『地獄からの手紙』を元に、ハビエル・バルデムをサンペドロ役に据えた『海を飛ぶ夢』を製作。この作品はアカデミー外国語映画賞を受賞し、ヴェネツィア国際映画祭では審査員特別賞を受賞した。ゴヤ賞では14部門で受賞した。この作品の発表後には尊敬するスティーブン・スピルバーグから賛辞の手紙を受けとったという[1]。2005年には映画芸術科学アカデミーのメンバーとなった[1]。2008年にはレイチェル・ワイズやマックス・ミンゲラを主演に据えて『アレクサンドリア』を監督。当初は『Mists of Time』という題名の予定だったが、結局は『Agora』と改題されている。2009年5月17日のカンヌ国際映画祭でプレミア上映され、10月9日にスペインで一般劇場公開された[2]。2011年にはマドリード・ウォーク・オブ・フェイムに選ばれた[3]。
2015年には約7年ぶりの長編映画として、エマ・ワトソンとイーサン・ホークを主演に据えて『リグレッション』を監督した[4]。この作品は2015年9月のサン・セバスティアン国際映画祭でプレミア上映された[4]。
アメナーバルは自作の音楽のほかに、ホセ・ルイス・クエルダ監督の『蝶の舌』や、マテオ・ヒル監督の『パズル』のサウンドトラックも手掛けている。熱心なサウンドトラックの収集家である[1]。スティーブン・スピルバーグ、ジェームズ・キャメロン、スタンリー・キューブリックなどを好きな監督に挙げている[1]。
人物
2004年、スペインの雑誌にてゲイであることを公表[5][6]。スペインでは2005年に同性婚が合法化されている(スペインの同性婚)。2015年7月18日、ダビド・ブランコ(男性)と結婚した[7]。
フィルモグラフィー
- 監督した長編映画
年 | 原題 | 日本語題 | 担当 | 備考 |
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1996 | Tesis | テシス 次に私が殺される | 監督・脚本・音楽 | |
1997 | Abre los ojos | オープン・ユア・アイズ | 監督・脚本・音楽 | カメオ出演 |
2001 | Los otros | アザーズ | 監督・脚本・音楽 | |
2004 | Mar adentro | 海を飛ぶ夢 | 監督・脚本・製作・音楽 | |
2009 | Ágora | アレクサンドリア | 監督・脚本 | |
2015 | Regresión | リグレッション | 監督・脚本 |
- その他の作品
年 | 原題 | 日本語題 | 担当 | 備考 |
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1991 | La cabeza | 監督・脚本・音楽・出演 | 短編映画 | |
1992 | La extraña obsesión del Doctor Morbius | 監督・脚本・音楽・出演 | 短編映画 | |
1992 | Himenóptero | 監督・脚本・出演 | 短編映画 | |
1994 | Luna | 監督・脚本・音楽・出演 | 短編映画 | |
1999 | La lengua de las mariposas | 蝶の舌 | 音楽 | |
1999 | Nadie conoce a nadie | パズル | 音楽 | |
2009 | Spanish Movie | 最終爆笑計画 | カメオ出演 | |
2010 | El mal ajeno | 命の相続人 | 製作 | |
2013 | Me encanta | 監督・脚本 | ミュージックビデオ | |
2015 | Vale | 監督・脚本 | テレビコマーシャル[8] |
受賞とノミネート
映画賞
アカデミー賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 外国語映画賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
ゴールデングローブ賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 外国語映画賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
- BAFTA賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2001 | 脚本賞 | アザーズ | ノミネート |
ヨーロッパ映画賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2001 | 作品賞 | アザーズ | ノミネート |
2004 | 作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 |
ゴヤ賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1996 | 新人監督賞 | テシス 次に私が殺される | 受賞 |
脚本賞 | 受賞 | ||
1998 | 監督賞 | オープン・ユア・アイズ | ノミネート |
脚本賞 | ノミネート | ||
1999 | 作曲賞 | La lengua de las mariposas | ノミネート |
2001 | 監督賞 | アザーズ | 受賞 |
脚本賞 | 受賞 | ||
作曲賞 | ノミネート | ||
2004 | 作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
監督賞 | 受賞 | ||
脚本賞 | 受賞 | ||
音楽賞 | 受賞 | ||
2009 | 監督賞 | アレクサンドリア | ノミネート |
脚本賞 | 受賞 |
ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | ヨーロッパ作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
セザール賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2002 | インディペンデント・スピリット賞 | アザーズ | ノミネート |
- インディペンデント・スピリット賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2004 | 外国語映画賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
- アマチュア映画人独立協会賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1991 | 短編賞 | La cabeza | 受賞 |
1994 | 脚本賞 | Luna | 受賞 |
音楽賞 | 受賞 |
アリエル賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2006 | ラテンアメリカ作品賞 | 海を飛ぶ夢 | ノミネート |
アルゼンチン映画批評家協会賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2006 | スペイン語作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
サン・ジョルディ賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1999 | 作品賞 | テシス 次に私が殺される | 受賞 |
2002 | スペイン作品賞 | アザーズ | 受賞 |
2005 | 作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
スペイン作品賞 | 受賞 |
ブタカ賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1998 | アートハウス作品賞 | オープン・ユア・アイズ | ノミネート |
スペイン音楽賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 作曲賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
トゥリア賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 観客賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
フォトグラマス・デ・プラータ
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 作品賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
- 世界サウンドトラック賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 年間最優秀サウンドトラック | 海を飛ぶ夢 | ノミネート |
オーストラリア映画批評家協会賞
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 外国語映画賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
映画祭
ヴェネツィア国際映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2001 | 作品賞 | アザーズ | ノミネート |
2004 | 審査員特別賞 | アザーズ | 受賞 |
若手作品賞 | 受賞 | ||
作品賞 | ノミネート |
東京国際映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1998 | 作品賞 | オープン・ユア・アイズ | 受賞 |
ソフィア国際映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2005 | 観客賞 | 海を飛ぶ夢 | 受賞 |
銀のカモメ | 受賞 |
ヘント国際映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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2001 | 国際映画批評家連盟賞 | アザーズ | 受賞 |
作品賞 | ノミネート |
バルディビア国際映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1998 | 観客賞 | オープン・ユア・アイズ | 受賞 |
トゥールーズ・スペイン映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1998 | 学生審査員賞 | オープン・ユア・アイズ | 受賞 |
ファンタスポルト
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1997 | 作品賞 | テシス 次に私が殺される | ノミネート |
ブリュッセル国際ファンタジー映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1997 | 作品賞 | テシス 次に私が殺される | 受賞 |
シッチェス映画祭
年 | 部門 | 結果 |
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2006 | タイムマシン賞 | 受賞 |
エルチェ映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1992 | 短編賞 | Himenóptero | 受賞 |
- カラバンチェル映画祭
年 | 部門 | 作品 | 結果 |
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1992 | 短編賞 | Himenóptero | 受賞 |
脚注
- ^ abcdefghiAlejandro Amenábar インターネット・ムービー・データベース(IMDb)
^ Agora (2009): Release Info インターネット・ムービー・データベース(IMDb)
^ Madrid gets its own Walk of Fame BBC News, 2011年6月28日
- ^ ab‘Regression’: San Sebastian Review ハリウッド・リポーター, 2015年9月18日
^ “Alejandro Amenábar: "No me importa reconocer que soy gay"” (スペイン語). Radio Coopertiva (2004年8月31日). 2007年2月13日閲覧。
^ “Amenábar habla de su homosexualidad” (Spanish). Espectáculos. (2004年8月31日). http://www.esmas.com/espectaculos/cine/388558.html 2014年7月9日閲覧。
^ “Alejandro Amenábar se casa este sábado: todas las fotos de su romance” (Spanish). Vanitatis. (2015年7月18日). http://www.vanitatis.elconfidencial.com/multimedia/album/noticias/2015-07-17/alejandro-amenabar-se-casa-este-sabado-todas-las-fotos-de-su-romance_930679/#0 2015年7月18日閲覧。
^ “'Vale', el cortometraje de Estrella Damm dirigido por Alejandro Amenábar”. エル・ペリオディコ・デ・カタルーニャ (2015年6月15日). 2016年4月8日閲覧。
外部リンク
アレハンドロ・アメナーバル - allcinema
アレハンドロ・アメナーバル - KINENOTE
Alejandro Amenábar - インターネット・ムービー・データベース(英語)
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