児湯郡







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宮崎県児湯郡の位置(1.高鍋町 2.新富町 3.西米良村 4.木城町 5.川南町 6.都農町)


児湯郡(こゆぐん)は、宮崎県(日向国)の郡。


人口68,921人、面積715.03km²、人口密度96.4人/km²。(2018年10月1日、推計人口)


以下の5町1村を含む。




  • 高鍋町(たかなべちょう)


  • 新富町(しんとみちょう)


  • 西米良村(にしめらそん)


  • 木城町(きじょうちょう)


  • 川南町(かわみなみちょう)


  • 都農町(つのちょう)




目次






  • 1 郡域


  • 2 歴史


    • 2.1 古代


      • 2.1.1 式内社




    • 2.2 近世以降の沿革


    • 2.3 町村制以降の沿革


    • 2.4 変遷表




  • 3 脚注


  • 4 参考文献





郡域


1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記5町1村に西都市および日向市の一部(美々津町)を加えた区域にあたる。



歴史



古代


和名類聚抄によると、郡は八つの郷から構成されており、三納郷、都野郷、穂北郷、大垣郷、覩唹郷、三宅郷、韓家郷、平群郷が記載されている。



式内社


『延喜式』神名帳に記される郡内の式内社。







































神名帳
比定社
集成
社名
読み

付記
社名
所在地
備考

児湯郡 2座(並小)
都農神社 ツノノ 都農神社
宮崎県児湯郡都農町川北
日向国一宮

[1]
都万神社 ツマノ 都萬神社 宮崎県西都市妻 (日向国二宮・総社)
[2]

凡例を表示




近世以降の沿革


  • 「旧高旧領取調帳」に記載されている明治初年時点での支配は以下の通り。(5町38村)

























知行
村数
村名

幕府領

西国筋郡代[1]
10村
現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、調殿村、童子丸村、南方村、穂北村

藩領
日向高鍋藩
3町
13村
高城町[2]、都農町[2]、美々津町[2]、高鍋村、上江村、椎木村、高城村、石河内村、川原村、平田村、持田村、川南村、三納代村、日置村、川北村、高松村
日向佐土原藩
2町
15村
妻町[2]、都於郡町[2]、岩爪村、荒武村、山田村、上三財村、加勢村、三納村、平郡村、下三財村、藤田村、鹿野田村、妻村、伊倉村、新田村、上富田村、下富田村



  • 慶応4年


    • 閏4月25日(1868年6月15日) - 幕府領が富高県の管轄となる。


    • 8月17日(1868年10月2日) - 富高県の管轄区域が日田県の管轄となる。



  • 明治4年

    • 2月 - 領知替えにより、日田県の管轄地域が延岡藩領となる。


    • 7月14日(1871年8月29日) - 廃藩置県により、高鍋県佐土原県延岡県の管轄となる。


    • 11月14日(1871年12月25日) - 第1次府県統合により美々津県の管轄となる。



  • 明治4年(1871年) - 高鍋村の一部が分立して高鍋町となる。(6町38村)

  • 明治5年(1872年) - 肥後国球磨郡小川村・越野尾村・銀鏡村・上揚村・八重村・中尾村・村所村・板谷村・竹原村・横野村・上米良村・寒川村・中之又村・尾八重村の所属郡が本郡に変更[1]。(6町52村)

  • 明治6年(1873年)1月15日 - 全域が宮崎県(第1次)の管轄となる。

  • 明治9年(1876年)8月21日 - 第2次府県統合により鹿児島県の管轄となる。

  • 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての児湯郡が発足。郡役所が高鍋町に設置。

  • 明治14年(1881年)


    • 7月28日 - 「宮崎那珂児湯郡役所」が宮崎郡上別府村に設置され、同郡・那珂郡とともに管轄。

    • 高鍋村が分割して北高鍋村・南高鍋村・蚊口浦村となる。(6町54村)



  • 明治16年(1883年)5月9日 - 宮崎県(第2次)の管轄となる。



町村制以降の沿革



1.高鍋村 2.上江村 3.富田村 4.新田村 5.下穂北村 6.都於郡村 7.三財村 8.三納村 9.西米良村 10.東米良村 11.上穂北村 12.木城村 13.川南村 14.都農村 15.美々津村(紫:西都市 桃:日向市 赤:高鍋町 橙:新富町 黄:木城町 青:合併なし)



  • 明治22年(1889年)5月1日 - 町村制の施行により、以下の各村が発足。(15村)


    • 高鍋村 ← 北高鍋村、南高鍋村、蚊口浦村、高鍋町(現・高鍋町)


    • 上江村 ← 上江村、持田村(現・高鍋町)


    • 富田村 ← 上富田村、下富田村、日置村、三納代村(現・新富町)


    • 新田村 ← 新田村、伊倉村(現・新富町)


    • 下穂北村 ← 現王島村、黒生野村、岡富村、清水村、三宅村、右松村、妻町、妻村、右松町[3](現・西都市)


    • 都於郡村 ← 鹿野田村、都於郡町、岩爪村、荒武村、山田村(現・西都市)


    • 三財村 ← 藤田村、下三財村、上三財村、加勢村、寒川村(現・西都市)


    • 三納村 ← 平郡村、三納村(現・西都市)


    • 西米良村 ← 小川村、村所村、板谷村、越野尾村、上米良村、竹原村、横野村(現存


    • 東米良村 ← 銀鏡村、上揚村、八重村、中尾村、尾八重村(現・西都市)、中之又村(現・木城町)


    • 上穂北村 ← 南方村、穂北村、調殿村、童子丸村(現・西都市)


    • 木城村 ← 高城町、高城村、川原村、石河内村、椎木村(現・木城町)


    • 川南村 ← 平田村、川南村(現・川南町)


    • 都農村 ← 都農町、川北村(現・都農町)


    • 美々津村 ← 美々津町、高松村(現・日向市)



  • 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。

  • 明治31年(1898年)10月26日 - 美々津村が町制施行して美々津町となる。(1町14村)

  • 明治34年(1901年)2月7日 - 高鍋村が町制施行して高鍋町となる。(2町13村)


  • 大正9年(1920年)8月1日 - 都農村が町制施行して都農町となる。(3町12村)

  • 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。

  • 大正13年(1924年)

    • 4月1日 - 下穂北村が町制施行して下穂北町となる。(4町11村)

    • 8月1日 - 下穂北町が改称して妻町となる。



  • 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。


  • 昭和13年(1938年)10月1日 - 上江村が高鍋町に編入。(4町10村)

  • 昭和28年(1953年)2月11日 - 川南村が町制施行して川南町となる。(5町9村)

  • 昭和30年(1955年)


    • 1月1日 - 美々津町が日向市に編入。(4町9村)

    • 4月1日 - 妻町・上穂北村が合併して西都町が発足。(4町8村)



  • 昭和33年(1958年)

    • 4月1日 - 西都町・三納村・都於郡村が合併し、改めて西都町が発足。(4町6村)


    • 11月1日 - 西都町が市制施行して西都市となり、郡より離脱。(3町6村)



  • 昭和34年(1959年)3月31日 - 新田村・富田村が合併して新富町が発足。(4町4村)

  • 昭和37年(1962年)4月1日(4町2村)

    • 三財村が西都市に編入。

    • 東米良村が分割し、一部(銀鏡・上揚・八重・中尾・尾八重)が西都市、残部(中之又)が木城村にそれぞれ編入。



  • 昭和48年(1973年)4月1日 - 木城村が町制施行して木城町となる。(5町1村)


  • 平成17年(2005年)2月18日 - 新富町の一部が佐土原町に編入。



変遷表




脚注




  1. ^ ab「旧高旧領取調帳」では明治5年に肥後国球磨郡から所属郡が変更された14村も本郡として記載されている。

  2. ^ abcde無高のため記載なし。


  3. ^ 右松村のうち。本項では町数に数えない。




参考文献




  • 角川日本地名大辞典 45 宮崎県

  • 旧高旧領取調帳データベース






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