大阪市天王寺動物園
天王寺動物園 TENNOJI ZOO | |
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施設情報 | |
正式名称 | 大阪市天王寺動物園 |
専門分野 | 総合 |
所有者 | 大阪市 |
管理運営 | 大阪市 |
開園 | 1915年1月1日(大正4年) |
所在地 | 〒543-0063 大阪府大阪市天王寺区茶臼山町1-108 |
位置 | 北緯34度39分2秒 東経135度30分30.2秒座標: 北緯34度39分2秒 東経135度30分30.2秒 |
大阪市天王寺動物園(おおさかしてんのうじどうぶつえん)は、大阪市天王寺区の天王寺公園内にある大阪市立の動物園。1915年(大正4年)1月1日に開園した、日本で3番目に長い歴史をもつ動物園。面積約11ヘクタールの園内に、約200種1000点の動物が飼育されている都市型総合動物園。通称・天王寺動物園。
2006年7月16日に、総有料入園者数が1億人を超えた[1]。国内では恩賜上野動物園に次いで2番目。
目次
1 特徴
2 主な展示施設と飼育動物
3 再生に向けたプラン
3.1 ZOO21計画
3.2 天王寺動物園101計画
4 歴史
5 交通機関
6 周辺施設
7 出典
8 関連項目
9 外部リンク
特徴
天王寺動物園は開園当初から、「動物の研究」と「種の保存」という動物園本来の目的から離れ、商業主義的なレクリエーション性を重視していた。この背景には、阪急の宝塚動植物園、阪神の浜甲子園阪神パーク、大軌の菖蒲池遊園地など、動物園を併設した遊園地が大阪周辺に相次いで開業したため、「動物を見せること」以外の付加価値をもって対抗する必要があった。
その代表が1932年に来日したチンパンジーの「リタ」(愛称:リタ嬢)で、三輪車や竹馬に乗ったり、フォークとナイフを使って食事をするなどの芸を披露し、一躍人気者となった。しかし第二次世界大戦中には軍服やガスマスク姿などで戦意高揚の広告塔となり、同園でも空襲に備えた動物たちの殺処分(戦時猛獣処分)が行われた。これらの事をふまえ、現在同園では動物に芸を仕込むことは一切行っていない。
開園翌年から、春は夜桜、夏は納涼のため、夜間開園を1937年まで実施していた[2]。戦後も、珍獣の「ライガー」や「タイゴン」づくりなど、「レクリエーション施設」としての客寄せに取り組んでいた[3]。
このような商業路線は1970年代まで続いていたが、現在は、ニュージーランド以外では世界的にも珍しいキーウィの飼育展示を日本で唯一行っているほか、シシオザル、ドリル、アムールトラ、クロサイ、ツル類、ニホンコウノトリ、ホオアカトキ、ヨウスコウワニなどの希少動物の繁殖に力を入れるなど、動物園本来の姿に転換している。特にナベヅルについては、飼育繁殖実績があることから、国際血統登録を担当している。
また、大阪ドームの建設候補地に挙げられたことに端を発する「ZOO21計画」が1990年代後半から推し進められ、以後、動物の生息地の環境を可能な限り再現した生態展示に切り替わった。これまでに、爬虫類生態館「アイファー」、日本初の水中観察プールを有するカバ舎やサバンナの環境を再現したサイ舎を含む「アフリカサバンナゾーン」、アジアゾウを飼育しているタイの国立公園を再現した「アジアの熱帯雨林ゾーン」を開設し、展示環境は一新された。
2006年11月3日〜5日に行われた「絶滅の危機にある動物展」で、保存されている絶滅したニホンアシカの剥製が、初めて一般公開された。
主な展示施設と飼育動物
- 爬虫類生態館「アイファー」
- 主な飼育動物- ミシシッピワニ、ヨウスコウワニ、アルダブラゾウガメ、ホウシャガメ、ベンガルオオトカゲ、ミズオオトカゲ、ボアコンストリクター、ビルマニシキヘビ、ナイルオオトカゲ、チュウシャクシギ、オオサンショウウオ等
- アフリカサバンナゾーン
- 主な飼育動物-カバ、コフラミンゴ、クロサイ、ブチハイエナ、コビトマングース、ライオン、グラントシマウマ、エランド、ダチョウ、ケープハイラックス、ホロホロチョウ、ボールニシキヘビ、アフリカハゲコウ、アミメキリン
- アジア熱帯雨林ゾーン
- 飼育動物-2018年1月まで、アジアゾウが飼育されていた。
- 夜行性動物舎
- 主な飼育動物-キーウィ、エジプトルーセットオオコウモリ、タヌキ、レッサースローロリス、フクロモモンガ、メガネフクロウ、フサオネズミカンガルー、カヤネズミ、ホンドフクロウ、キンカジュー、アライグマ、スナネズミ、ヒメハリテンレック、ホンドテン
- 主な飼育動物-キーウィ、エジプトルーセットオオコウモリ、タヌキ、レッサースローロリス、フクロモモンガ、メガネフクロウ、フサオネズミカンガルー、カヤネズミ、ホンドフクロウ、キンカジュー、アライグマ、スナネズミ、ヒメハリテンレック、ホンドテン
- 鳥の楽園
- 1987年に開設した巨大なエイビアリー(鳥類飼育施設)で3200平方メートルの面積を誇り、国内有数である。[4]
- 主な飼育動物-シュバシコウ、コサギ、サカツラガンなど。変わった例では、エサ用に納入されたニワトリが奇跡的に生き延び、奇跡のニワトリ「マサヒロ」として飼育され人気を博している[5]。
- 1987年に開設した巨大なエイビアリー(鳥類飼育施設)で3200平方メートルの面積を誇り、国内有数である。[4]
- ツル舎(2016年夏にリニューアル完了)
- 主な飼育動物-タンチョウ、ホオジロカンムリヅル、オオヅル、ナベヅル、アネハヅル、オグロヅル、ソデグロヅル
- 主な飼育動物-タンチョウ、ホオジロカンムリヅル、オオヅル、ナベヅル、アネハヅル、オグロヅル、ソデグロヅル
- 猛禽舎
- 主な飼育動物‐オオタカ、オジロワシ、ソウゲンワシ、イヌワシ、アンデスコンドル、クロコンドル、ヒメコンドル、キガシラコンドル、セーカーハヤブサ
- サル・ヒヒ舎
- 主な飼育動物‐ドリル、マンドリル、フランソワルトン、フクロテナガザル、エリマキキツネザル、ブタオザル、カニクイザル、サバンナモンキー、ブラッザグエノン、フサオマキザル
この他にも、チュウゴクオオカミやホッキョクグマ、カリフォルニアアシカ、コアラ、アムールトラ、ジャガー、ピューマ、レッサーパンダ、ニホンコウノトリ、エミュー、チンパンジー、マレーグマ、メガネグマ、カラフトフクロウ、シロフクロウ、カリフォルニアアシカなどを飼育している。
再生に向けたプラン
天王寺動物園は、戦前の1934(昭和9)年度に有料入園者数が年間250万人を超えるなど、古くから東京の上野動物園と並ぶ都市型動物園として認知されてきた。1972(昭和47)年度から中学生以下が入園無料になったことで有料入園者は減少したが、翌1973年度の総入園者は335万人を数えた。
その後、入園者数は減少に転じるが、「アフリカサバンナゾーン」がオープンした2006年度は約184万人[6](有料入場者数は68万1,934人[7])、2007年度は約194万人と増加。その後再び減少に転じ、2010年度は約120万人、2013年度には約113万人まで落ち込んでいる。
2013年4月から、従来無料だった大阪市外の小中学生の入園料を有料とするなど、開園100周年となる2015年に向け、集客を増やすための計画が進められている。
ZOO21計画
野生動物の種の保存や環境教育に貢献する、新しい動物園のあり方を確立するための計画で、古くなった動物舎を生態的展示(ランドスケープイマージョン)の施設に建て替えることが主な目的である。
1995年(平成7年)に大阪芸術大学教授の若生謙二主導のもと、爬虫類生態館「アイファー」、1997年(平成9年)にカバ舎、1998年(平成10年)にサイ舎を開設。2000年(平成12年)には「アフリカサバンナゾーン草食動物エリア」、2004年(平成16年)1月31日には「アジアの熱帯雨林ゾーン」、2006年(平成18年)9月には「アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア」が開設され、従来の系統分類展示型から環境デザインが一変した。
2007年6月には入場者数を増やすためビジネスパートナーを初めて公募、150社を超える多数の企業が関心を示した[6][7]。
天王寺動物園101計画
2016年7月21日、天王寺動物園の新たな改革案として、「天王寺動物園101計画」の素案が発表された[8]。
20年の長期計画で施設の整備も進めていく予定である。
歴史
- 1884年:府立大阪博物場(大阪市東区内本町橋詰町、現在のマイドームおおさか)に附属動物檻を設置。
- 1903年:第5回内国勧業博覧会に開設していた「余興動物園」の動物を大阪府が引き取り、動物檻に収容。
- 1909年:北区で発生した大火の影響で建物が半焼。これを機に大阪府から大阪市に管轄が移る。
- 1914年:内本町橋詰町から天王寺へ移転が決まり、動物の「引越し」が行われる。
- 1915年:日本で3番目の動物園「大阪市立動物園」として開園。
- 1916年:春と夏に「夜桜開園」「納涼開園」と銘打った夜間開園を実施。
- 1921年:スマトラサイ来園(4年後に死亡)。
- 1925年:タンチョウの人工孵化に日本で初めて成功する。
- 1932年:チンパンジーの「リタ」来園。旧天王寺公会堂跡地を編入し、動物園の敷地を拡張。
- 1938年:夜間開園が中止になる。
- 1940年:チンパンジーのリタが死亡(死後、園内に石像を建立)。
- 1943年 - 1944年:戦争の影響により、オオカミ、クマ、ライオン、ヒョウ、ハイエナ、トラ、ホッキョクグマなど10種26頭を殺処分(戦時猛獣処分)。ゾウのトムが死亡。
- 1945年:大阪大空襲で園内に焼夷弾2,000発落下。猛禽舎焼失、オオワシなど多数の動物が死亡。
- 1950年:アジアゾウの「春子」「ユリ子」の2頭が来園。
- 1951年:チンパンジーの「シュジー」来園。リタ嬢並みの人気に。
- 1952年:「講和記念婦人とこども大博覧会」開催。
- 1955年:国内で初めてベイサオリックスの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1957年:園内に「動物慰霊碑」を建立。
- 1960年:国内で初めてセイランの人工孵化に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1961年:動物園改造5ヵ年計画に着手。
- 1964年:「大阪市立動物園」を「大阪市天王寺動物園」に改称。国内で初めてシュバシコウ、ハゲガオホウカンチョウの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1965年:天王寺公園グラウンドを購入し、動物園の敷地を拡張(現・ひつじ広場付近)。
- 1966年:国内で初めてハリネズミの繁殖に成功する。
- 1967年:国内で初めてスプリングボックの繁殖に成功する。
- 1970年:大阪万博開催を記念して、ニュージーランド政府がキーウィの「ニュージー」と「ランド」を寄贈。アジアゾウの「ラニー博子」が来園。
- 1972年:国内で初めてアビシニアライオン、アオサギ、ウミネコの繁殖に成功する。クロサイのサッっちゃん(雌)が生まれる。
- 1974年:日中国交回復を記念して上海動物園と動物交流を開始し、クロオオカミが来園。北京動物園からモウコガゼルが来園。ホッキョクグマ(雌)が、回虫症で死亡。
- 1976年:国内で初めてミナミアメリカオットセイ、ボリビアリスザルの繁殖に成功する。
- 1977年:国内で初めてモウコガゼルの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1978年:国内で初めてジャングルキャット、インドガン(人工孵化)、クリイロミズヘビの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1979年:ヤブシチメンチョウ来園。国内で初めてベニジュケイの繁殖に成功する。大阪信用金庫が園内に「白雪姫時計台」を寄贈。
- 1980年:国内で初めてブラジルバクとアカハシリュウキュウガモの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。旭川市旭山動物園よりホッキョクグマの子供のユキオ(雄)が、米国タルサ動物園よりユキコ(雌)の2頭が来園。それに伴いホッキョクグマ雄2頭が退園。
- 1982年:キーウィの「ダイ」「ロンロン」「ジュン」来園。国内で初めてインドミノキジの繁殖に成功する。
- 1983年:クロサイのサッちゃんがサイタ(雄)を出産。
- 1984年:オーストラリア・タスマニア州がタスマニアデビルを寄贈(日本初の来園)。翌年、国内で初めて繁殖。
- 1987年:天王寺博覧会開催に合わせて「鳥の楽園」を開設。旧天王寺野外音楽堂跡地などを編入し、動物園の敷地を拡張(コアラ館を建設)。本州で初めてホッキョクグマの繁殖に成功(「ユキコ」が「コユキ」を出産)。国内で初めてワライカワセミの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。
- 1988年:キーウィ来園。
- 1989年:メルボルン動物園からコアラが来園(第一陣)。天王寺公園に多目的ドーム(大阪ドーム)の建設計画が浮上し、動物園の移転を含めた検討委員会が組織される。ホッキョクグマのコユキが池田動物園に出園(1991年に死亡)。
- 1990年:南門を閉鎖し、新世界ゲートを改修。多目的ドーム建設検討委員会が、天王寺公園をドーム建設候補地の一つに選定。動物園を大正九区に移転・新設するプランが示される。ホッキョクグマのユキコが「ミユキ」を出産(ミユキは、後に神戸市立王子動物園で飼育)。オーストラリアからコアラが来園(第二陣)。
- 1991年:国内で初めてコサンケイの繁殖に成功する(繁殖賞受賞)。コアラのミク(雄)が生まれる。
- 1992年:コアラのクミ(雌)が生まれる。
- 1993年:キーウィが初めて産卵する。ホッキョクグマのユキコがユキミを出産(ユキミは、その後札幌市円山動物園に出園、1995年に死亡)。
- 1994年:クロサイのサッちゃんがサトミ(雌)を出産。
- 1995年:若生謙二主導の「ZOO21」計画発案。爬虫類生態館「アイファー」が完成。国内で初めてカナダヅルとドリル(人工)の繁殖に成功(繁殖賞受賞)。ホッキョクグマのユキオ(雄)が死亡。宝塚動植物園(宝塚ファミリーランド)からホッキョクグマの「ネボスケ」(雄)が来園。ゴリラのゴロが、千葉市動物園に出園。ゴリラの展示を終了する。
- 1996年:国内で初めてワレンヨロイトカゲとマダガスカルシャコ(人工繁殖)、タンザニアアカノドシャコ(同)の繁殖に成功(繁殖賞受賞)。コアラのアルン(雄)が生まれる。
- 1997年:新カバ舎完成。
- 1998年:新サイ舎完成。11月25日ホッキョクグマのユキコが「ユキスケ」(雄)を出産。偶然にも2014年に当園で生まれたホッキョクグマのモモと誕生日が同じである。
- 1999年:クロサイのサミー(雄)がうまれる。ホッキョクグマのユキスケ(雄)が死亡。
- 2000年:アフリカサバンナゾーン草食動物エリア完成。アジアゾウのユリ子が死亡(享年52)。
- 2001年:阪神パーク甲子園住宅遊園からキリンの「ケニヤ」来園。ホッキョクグマのネボスケが死亡。
- 2002年:「世界動物園水族館協会」 (WAZA) に加盟。
- 2003年:国内で初めてフロリダアカハラガメの繁殖に成功(繁殖賞受賞)。宝塚ファミリーランドの閉園にともない、ホオジロカンムリヅルなど5種11羽が来園。チンパンジーのシュジーが死亡(享年54)。
- 2004年:アジアの熱帯雨林ゾーン(ゾウ舎)完成。ホッキョクグマのユキコが老衰で死亡。ホッキョクグマが不在のため展示を一時中断。ニホンザルが結核にかかったため展示が中止される。
- 2005年:結核にかっかたニホンザルが殺処分される。開園以来続いていたニホンザルの展示をやめる。コアラのミク(雄)・クミ(雌)の母親ミドリ(雌)が死亡。
- 2006年:アフリカサバンナゾーン肉食動物エリア完成。551蓬莱がホッキョクグマの「ゴーゴ」(雄)を寄贈。ホッキョクグマの展示を再開。
- 2009年 コアラのハク(雄)が死亡。
- 2010年:カバの「ナツコ」が老衰で死亡(享年37)[9]。コアラのスピカ(雌)が死亡(育児嚢内にいた胎児も翌日死亡)。アジアゾウ2頭の来園計画があったが幻におわる。ケープハイラックス2匹が、相次いで死亡。ケープハイラックス不在のため展示を一時中断。
- 2011年:浜松市動物園からホッキョクグマの「バフィン」(雌)が来園。日本経済新聞の「生態がよくわかる動物園ランキング」で1位に選ばれる。あべのキューズモールがケープハイラックス3匹寄贈。ケープハイラックスの展示が再開される。ライオンのカスピ(雌)が死亡。コヨーテの福子(雌)が死亡。
- 2012年:ライオンのネルが死亡。キリンのハルミ(雌)が死亡。キリンのケニヤ(雄)が死亡(享年22)。キリンが不在のため展示を一時中断。オラウータンのミミが退園。オラウータンのサツキが死亡。オラウータンの展示を終了する。チンパンジーのアップルが死亡。
- 2013年: 姫路セントラルパークからキリン(雄)の幸弥(こうや)を借受したことにより、キリンの展示が再開される。エランドのルナが死亡。コアラのタラオ(雄)が死亡。南紀白浜アドベンチャーワールドからライオンのルナ、モナカ、ガオウが来園
- 2014年:近鉄がキリンの「ハルカス」(雌)を寄贈。アジアゾウの春子が老衰で死亡。(享年66)[10]。クロサイのサッちゃんが死亡(享年41歳11か月)。ライオンのチーが死亡。レッサーパンダのパンパンが死亡(享年19)。レッサーパンダのテンテンが死亡。アジアゴールデンキャットのケンが死亡。ヒョウのヒョンが死亡。11月25日16年ぶりにホッキョクグマの赤ちゃんが生まれる。(バフィンが、モモ(雌)を出産)偶然にも1998年生まれのホッキョクグマのユキスケと誕生日が同じである。
- 2015年:開園100周年を迎える。コアラのクミが死亡(享年22)。ホッキョクグマのゴーゴが、南紀白浜アドベンチャーワールドに貸出。蓬莱がホッキョクグマのイっちゃん(雌)を寄贈。国内最高齢(当時)のコアラのミクが死亡(享年23)。アムールトラのアヤコ(雌)が死亡(享年18)。
- 2016年:国内最高齢(当時)のコアラアルンが死亡(享年19歳11カ月)。コヨーテの幸(雄)が死亡。コヨーテの展示を終了する。ライオンのレオ(雄)が死亡。
- 2017年:ムフロンのツウ(通)が死亡。カバのゲンちゃん(雄)がメキシコから来園。
- 2018年:アジアゾウのラニー博子が死亡。(享年48)アジアゾウの飼育が途絶える。チュウゴクオオカミのユジン(雌)が死亡。ドールのシュタイン(雌)が死亡。ジャガーのジャガオ(雄)が死亡(享年22)。
交通機関
- 新世界ゲート
Osaka Metro御堂筋線・堺筋線 「動物園前駅」
阪堺電気軌道阪堺線 「新今宮駅前停留場」- JR西日本関西本線(大和路線)・大阪環状線、南海本線・高野線 「新今宮駅」
- Osaka Metro堺筋線 「恵美須町駅」
- 阪堺電気軌道阪堺線 「恵美須町停留場」
大阪シティバス 「地下鉄動物園前」
新世界ゲートは、阪神高速の出口に近いこと、天王寺駅付近のコインパーキングの料金が高いことから、自動車を使って来場する者はこちらより入場するのが一般的である。
てんしばゲート
- JR関西本線(大和路線)・大阪環状線・阪和線、Osaka Metro御堂筋線・谷町線「天王寺駅」
- 阪堺電気軌道上町線 「天王寺駅前停留場」
近鉄南大阪線 「大阪阿部野橋駅」- 大阪シティバス「あべの橋」
てんしばゲートは、JR天王寺駅北口の地下にある地下街あべちかを渡ってすぐのところにあるてんしば内の通路を通り数分程度と経路がわかりやすいことから、公共交通機関を使って来場する者はこちらより入場するのが一般的である。
周辺施設
天王寺公園
- 大阪市立美術館
- 慶沢園
- 旧黒田藩屋敷長屋門
- 茶臼山
- 堀越神社
- 安井神社
- 一心寺
四天王寺
- 四天王寺本坊庭園
新世界
- 通天閣
ジャンジャン横丁(南陽通商店街)
- スパワールド
- 動楽亭
- てんのじ村記念碑
- 飛田本通商店街
出典
^ 山下覚「入園者1億人突破」、『なきごえ』第42巻第8号、天王寺動物園、2006年8月、2014年8月13日閲覧。
^ 現在は、閉園時間1時間延長を行っている時期有り。夜間開園は2015年8月に復活。
^ 近代日本における動物園の発展過程に関する研究
^ 日本動物園水族館協会「天王寺動物園 鳥の楽園」
^ “奇跡のニワトリ”意外な人気 「生き餌」のはずが3度も生き延び…「会えたら幸せになれる」(産経新聞 2016年9月21日閲覧)
- ^ ab“天王寺動物園が民間企業のお知恵拝借!”. 日刊スポーツ. (2007年5月10日). オリジナルの2007年11月30日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20071130125529/http://osaka.nikkansports.com/news/p-on-tp6-20070510-196533.html 2014年8月13日閲覧。
- ^ ab“天王寺動物園ビジネスに150社関心…19日公募説明会 ユニークな発想わくわく”. 読売新聞 (Seesaa). (2007年6月10日). オリジナルの2007年6月10日時点によるアーカイブ。. http://park-management.seesaa.net/article/44424255.html 2014年8月13日閲覧。
^ 『天王寺動物園101計画』について
^ “カバの「ナツコ」死亡 大阪・天王寺動物園”. MSN産経ニュース. (2010年2月1日). オリジナルの2010年11月22日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20101122012529/http://sankei.jp.msn.com/life/trend/100201/trd1002011711006-n1.htm 2014年8月14日閲覧。
^ “66歳のゾウ春子死ぬ 天王寺動物園、国内2番目の高齢”. 朝日新聞デジタル. (2014年7月31日). オリジナルの2014年7月31日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140731160654/http://www.asahi.com/articles/ASG7Z753BG7ZPTIL046.html 2014年8月14日閲覧。
関連項目
- 動物園の一覧
- 日本動物園水族館協会
サツキ - 「絵を描くオランウータン」として知られた。
筒井嘉隆 - 元園長。天王寺動物園の商業主義を批判した。
川村多実二 - 京都大学教授。同様に商業主義を批判した。
原哲男 - カバの「テツオ」の由来。
内国勧業博覧会 - 会場跡地に開園。
沈まぬ太陽 - 映画ロケ地。作品ではニューヨークの動物園という設定。
藤原製麺 - 札幌円山動物園ラーメンを製造している北海道の製麺会社。当園の開園100年を記念し「大阪市天王寺動物園カレーラーメン」を発売した。
天王寺おばあちゃんゾウ 春子 最後の夏 - アジアゾウの春子の晩年に密着したテレビドキュメンタリー・ドキュメンタリー映画で、天王寺動物園からの全面協力の下に、地元民放局のテレビ大阪が制作。映像には、取材時点でゾウ舎を担当していた飼育員も登場している。
鹿児島市平川動物公園 - 同じく白雪姫時計台がある。
外部リンク
- 天王寺動物園公式ホームページ
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