タンパベイ・バッカニアーズ


























タンパベイ・バッカニアーズ
Tampa Bay Buccaneers

1976年創設
永久欠番



  • 40

  • 55

  • 63

  • 99



ホームタウン


タンパベイ・バッカニアーズの位置(アメリカ合衆国内)
タンパベイ・バッカニアーズ



フロリダ州タンパ

Raymond James Stadium02.JPG
レイモンド・ジェームス・スタジアム (1998-)
Houlihan's Stadium (1996-1997)
タンパ・スタジアム (1976-1995)


所属地区



  • NFL(1976-現在)


  • NFC(1977-現在)



南地区(2002-現在)


中地区(1977-2001)


  • AFC(1976)


西地区(1976)


チームデザイン
チームカラー

     バッカニアーレッド
     ピューター
     ベイオレンジ
チームロゴ

カトラスと海賊旗
獲得タイトル






















スーパーボウル・チャンピオン (1回)

  • 2002

カンファレンス・チャンピオン (1回)
NFC

  • 2002

地区優勝 (6回)
NFC中地区


  • 1979

  • 1981

  • 1999


NFC南地区


  • 2002

  • 2005

  • 2007


ワイルドカード(3回)


  • 1997

  • 2000

  • 2001


プレーオフ進出(10/42回)


  • 1979

  • 1981

  • 1982

  • 1997

  • 1999

  • 2000

  • 2001

  • 2002

  • 2005

  • 2007



球団組織

オーナー: グレーザー一族

GM: ジェイソン・リヒト

ヘッドコーチ: ダーク・コッター

タンパベイ・バッカニアーズ(英語: Tampa Bay Buccaneers、略称: TB、米国での通称はBucs) は、アメリカ合衆国フロリダ州タンパに本拠地をおくNFLチーム。NFC南地区に所属している。第37回スーパーボウルでオークランド・レイダーズを破り初優勝を果たしている。2001年まではNFC中地区に所属した。




目次






  • 1 歴史


  • 2 歴代ヘッドコーチ


  • 3 主な選手


  • 4 その他


  • 5 ギャラリー


  • 6 成績


    • 6.1 NFC南地区(2002年-現在)


    • 6.2 NFC中地区(1977年-2001年)


    • 6.3 AFC西地区(1976年)




  • 7 脚注


  • 8 外部リンク





歴史


当初チームのフランチャイズ権はフィラデルフィアの建設会社オーナーのトム・マクロウスキーに与えられる予定だったがNFLと金銭面で合意にならず、ジャクソンビルの税理士であったヒュー・カルバーハウスが初代オーナーとなった。チームの愛称は公募の結果、17世紀にタンパ湾を始めとするフロリダの沿岸を荒らしまわった海賊バッカニアの縄張りであった事からバッカニアーズと名づけられた。本拠地に決まったタンパ・スタジアムは拡張工事がされ72,000人収容となった。


初代ヘッドコーチには長年USCヘッドコーチを務めた名将、ジョン・マッケイが就任した。これまでマッケイはNFLの他のチームからのオファーを何度か断っていたが新チームを一から作り上げることに興味を持ち、300万ドルの契約を結んだ。マッケイは頼れるベテラン選手とドラフトで有望な選手を獲得し、5年計画でチーム作りを考えていた。だがこの時のエクスパンション・ドラフトは後に行われたものよりもはるかに厳しく高齢になりすぎた選手や他のチームで戦力外と見られた選手しか獲得できなかった。ミスタックルやスナップミスなどが相次ぎファンの支持やメディアの支援も失っていった。マッケイは1977年のドラフトで後に殿堂入りしたトニー・ドーセットではなくリッキー・ベルを指名したことやUSCのプレイブックに多く頼っていること、カレッジフットボールで全米チャンピオンになったリーロイ・セルモン、デューイ・セルモン兄弟の存在などからNFLでカレッジフットボールを行っていると皮肉られた。この不満は次第に高まりファンの間では"Throw McKay in the Bay"(マッケイコーチを湾にほうりこんでやれ)というバンパーステッカーが人気となったほどである。


チーム創設1シーズン目の1976年は暫定的にAFC西地区に所属したが開幕から14連敗でシーズンを終えた[1](既存のAFC13チームと同年設立のシアトル・シーホークス(同じく暫定でNFC西地区所属)との14試合に全敗した。)。この年4試合は完封負けを喫し、シーズン14戦での総得点はわずか125点、一方412点を相手に与えた[2]。怪我人も続出しCFLからも選手を獲得した。チームはジョニー・カーソンのトークショーやファンによってジョークのネタにされた。


1977年からNFC中地区に移った。この年プレシーズンゲームではアトランタ・ファルコンズを17-3で破ったものの、2シーズン目に入っても連敗記録は止まらず6試合で完封負けを喫した。既存のNFC13チームとシアトル・シーホークス(AFC西地区に移動)との14試合を行い、第13週、敵地でのニューオーリンズ・セインツ戦で33-14と初勝利を挙げるまでにさらに12連敗。前年から通算で26連敗を記録した[3]。これは、NFLにおけるワースト記録である(北米4大プロスポーツリーグにおいても、NBAのクリーブランド・キャバリアーズが2010-11シーズンに作った「26連敗」と並んでワースト記録)。この時敗れたセインツのQBアーチー・マニングは「バッカニアーズに敗れたことは恥だった。試合後に相手選手に嘲笑された」と述べている。試合終了後深夜タンパに戻ったチームを8000人のファンが歓迎した。最終週のセントルイス・カージナルスとの試合も勝利し2勝14敗でシーズンを終えた。


1978年も負け越しに終わったが新人QBのダグ・ウィリアムスのリーダーシップとプレーは将来性を感じさせるものでシーズン途中で怪我のためチームを離れたがこのシーズン5勝11敗の成績をあげて未来に期待を抱かせるものとなった。


1979年にはダグ・ウィリアムスの成長、リッキー・ベルが初めて1000ヤードラッシャーとなり、最優秀守備選手賞に選ばれたリー・ロイ・セルモンなどによるディフェンスはNFLトップの成績をあげた。チームは開幕から5連勝を果たし10勝6敗でシーズンを終えてNFC中地区優勝を果たしプレーオフに初出場を果たした。ディビジョナルプレーオフでフィラデルフィア・イーグルスを24-17で破る番狂わせをしNFCチャンピオンシップゲームではホームでロサンゼルス・ラムズを迎えうったが0-9と完封されて敗れた。


1980年は怪我人に悩まされ5勝10敗1分に終わった。1981年、チームは平凡な成績だったものの最終週にデトロイト・ライオンズと地区優勝を賭けた試合に勝ちプレーオフに出場したがプレーオフではダラス・カウボーイズに0-38で一蹴された。


1982年は開幕から3連敗したもののストライキで7週が中止となり、再開後の6試合を5勝1敗で終えて5勝4敗、この年拡張されたプレーオフに出場した。プレーオフではカウボーイズと対戦し、ハーフタイム終了時点ではリードしていたものの17-30で敗れた。その後カルバーハウスオーナーの下でチームが勝ち越すことはなかった。


1982年、QBダグ・ウィリアムスの年俸は12万ドルで先発QBとしては全チーム中最低、多くのチームの控えQBより安い契約であった。シーズン終了後ウィリアムスは60万ドルに年俸をあげるよう主張した。この価格はこれまでの彼の活躍や市場価値からすれば十分リーズナブルなものだったがカルバーハウスオーナーは40万ドルまでしかオファーを上げず、ウィリアムスはUSFLに去った。


その後1991年にローレンス・ドーシーがルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得する活躍を見せたりもしたが1983年から1996年までの14シーズンプレーオフを逃し続けた。


1996年に前年までミネソタ・バイキングスのディフェンス・コーディネーターを務めていたトニー・ダンジーがヘッドコーチに就任すると1997年には1979年以来となる10勝をあげて久々にプレーオフに出場した。この年から13シーズン在籍するモンテ・キフィン守備コーディネーターが作ったタンパ2(英語版)というディフェンスはリーグ屈指の守備となった[4]。この年、ウォリック・ダンがオフェンス・ルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれた。


1999年にはウォーレン・サップがディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれる活躍を見せてチームは1979年、1981年以来となる3度目の地区優勝を決めた。そしてスーパーボウルまであと一歩のところまで進出した。


2002年からはジョン・グルーデンがヘッドコーチとなった。NFC南地区所属となり12勝4敗でチーム創設以来最高の成績で地区優勝、プレーオフでサンフランシスコ・フォーティナイナーズ、フィラデルフィア・イーグルスを破り第37回スーパーボウルに出場した。オークランド・レイダーズとの対決は、グルーデンコーチを巡る因縁の対決で話題を呼んだ。試合は48-21でバッカニアーズが大勝しスーパーボウル初制覇を遂げた。デリック・ブルックスがディフェンス・プレイヤー・オブ・ザ・イヤーに選ばれている。翌2003年、2004年とプレーオフ出場を逃したが2005年には11勝5敗で地区優勝[5]、ワイルドカードプレーオフでワシントン・レッドスキンズに10-17で敗れた[6]。キャデラック・ウィリアムズが最優秀新人守備選手に選ばれた[7]


2006年は第6週のシンシナティ・ベンガルズ戦で14-13と初勝利をあげた[8]


2007年も地区優勝を果たしたがワイルドカードプレーオフで、ニューヨーク・ジャイアンツに14-24で敗れた[9]


2008年、第4週のグリーンベイ・パッカーズ戦の4日前に生後3ヶ月の息子を亡くしたキッカーマット・ブライアントが3FGを決めて勝利に貢献した[10]。シーズン終了後の2009年1月にグルーデンが解雇され、ディフェンスバックコーチだった32歳のラヒーム・モリスがヘッドコーチに就任した。


2009年、2月にデリック・ブルックス、ウォリック・ダン、ケイト・ジュンらを解雇[11]、ドラフト1巡でQBジョシュ・フリーマンを獲得した[12]。開幕前にジェフ・ジャコジンスキーオフェンスコーディネーターを解任、グレグ・オルソンQBコーチが後任となった[13]。開幕から3試合はバイロン・レフトウィッチが先発、次の試合からジョシュ・ジョンソンが先発したが7連敗、その後ジョシュ・フリーマンが先発QBとなった[14]。1勝9敗となったところで守備のプレーコールを担当するのがジム・ベイツディフェンスコーディネーターからラヒーム・モリスヘッドコーチに代わった[4]


2010年、開幕前チームの低迷を予想する声が多かったが、開幕から10試合を7勝3敗[15]、最終的に10勝6敗の成績をあげ、プレーオフまであと一歩と迫った[16]。この年ジョシュ・ジョンソンが成長しインターセプトが非常に少ないものとなった。また新人RBルギャレット・ブラウンはこの年の新人でただ一人1000ヤードラッシャーとなった[17]。2011年1月8日にはラヒーム・モリスヘッドコーチとの契約を2年間延長した[18]


厳しいスケジュールで戦うこととなった2011年には[19]、第2週から3連勝するなど[20]、開幕から6試合で4勝2敗の成績をあげて地区首位タイであったが[21]、その後9連敗し地区最下位となった[22]。11月7日には前年のドラフト全体3位で獲得したジェラルド・マッコイ[23]、12月にはアキブ・タリブが相次いで故障者リスト入りした[24]。10連敗で4勝12敗、シーズン終了後ラヒーム・モリスヘッドコーチは解任された[25]


モリスの後任には、ラトガーズ大学からグレッグ・シアーノを招へいした。1年目の2012年は7勝9敗の成績をあげたが、2013年は、開幕から不調のエースQBジョシュ・フリーマンを解雇、マーク・グレノンを先発QBに昇格させた[26]。チームは開幕から8連敗するなど、4勝12敗に終わり、シーズン終了とともにシアーノヘッドコーチと、20年間GMを務めたマーク・ドミニクが解雇された[27]


2014年、シカゴ・ベアーズのヘッドコーチだったラヴィ・スミスをヘッドコーチに招へいした[28]。5月28日、マルコム・グレイザーオーナーが84歳で亡くなった[29]。開幕から前年ベアーズで好成績をあげたジョシュ・マカウン[30]が先発QBを務めたが、第3週のアトランタ・ファルコンズ戦で右手親指を負傷し途中退場、マーク・グレノンが先発QBを務めた[31]。第4週のピッツバーグ・スティーラーズ戦でグレノンがビンセント・ジャクソンへ決勝TDパスを成功しシーズン初勝利をあげたが[32]、その後4連敗して1勝7敗となったところで、再びマカウンが先発QBに返り咲いた。チームはこの年NFLワーストの2勝14敗に終わり、2015年のドラフト全体1位指名権を獲得した[33]


2015年は地区最下位に終わり、スミスHCは解任され、ダーク・コッターが就任した。2016年は地区2位、2017年も地区最下位に終わり、10年連続してプレーオフを逃した。なお、この年はタンパベイ以外の南地区3チームがプレーオフに出場した。



歴代ヘッドコーチ




  • ジョン・マッケイ (1976-1984)


  • リーマン・ベネット (1985-1986)


  • レイ・パーキンス (1987-1990)


  • リチャード・ウィリアムソン (1990-1991)


  • サム・ワイチ (1992-1995)


  • トニー・ダンジー (1996-2001)

  • ジョン・グルーデン (2002-2008)

  • ラヒーム・モリス (2009-2011)

  • グレッグ・シアーノ (2012-2013)

  • ラビー・スミス (2014-2015)

  • ダーク・コッター (2016-)




主な選手


殿堂入り選手


  • リー・ロイ・セルモン

  • スティーブ・ヤング



永久欠番


  • 40 マイク・オルストット

  • 55 デリック・ブルックス

  • 63 リー・ロイ・セルモン

  • 99 ウォーレン・サップ



その他


チアリーダーに日本の小島智子が2003年シーズンから8年連続で在籍している。濱中彩恵も2008年に在籍した。



ギャラリー




成績



NFC南地区(2002年-現在)



  • NO:ニューオーリンズ・セインツ、ATL:アトランタ・ファルコンズ、CAR:カロライナ・パンサーズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ

  • 数字:シード順

  • v:スーパーボウル優勝

  • s:スーパーボウル敗退

  • c:カンファレンス決勝敗退

  • d:ディビジョナルプレーオフ敗退

  • w:ワイルドカードプレーオフ敗退

  • 年表示の背景色が変わっている年はチームがスーパーボウルを制覇した年































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位
チーム チーム チーム チーム

2018





2017
NO(4d) 11 5 0
CAR(5w) 11 5 0
ATL(6d) 10 6 0
TB 5 11 0

2016
ATL(2s) 11 5 0
TB 9 7 0
NO 7 9 0
CAR 6 10 0

2015
CAR(1s) 15 1 0
ATL 8 8 0
NO 7 9 0
TB 6 10 0

2014
CAR(4d) 7 8 1
NO 7 9 0
ATL 6 11 0
TB 2 14 0

2013
CAR(2d) 12 4 0
NO(6d) 11 5 0
ATL 4 12 0
TB 4 12 0

2012
ATL(1c) 13 3 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0
TB 7 9 0

2011
NO(3d) 13 3 0
ATL(5w) 10 6 0
CAR 6 10 0
TB 4 12 0

2010
ATL(1d) 13 3 0
NO(5w) 11 5 0
TB 10 6 0
CAR 2 14 0

2009
NO(1v) 13 3 0
ATL 9 7 0
CAR 8 8 0
TB 3 13 0

2008
CAR(2d) 12 4 0
ATL(5w) 11 5 0
TB 9 7 0
NO 8 8 0

2007
TB(4w) 9 7 0
CAR 7 9 0
NO 7 9 0
ATL 4 12 0

2006
NO(2c) 10 6 0
CAR 8 8 0
ATL 7 9 0
TB 4 12 0

2005
TB(3w) 11 5 0
CAR(5c) 11 5 0
ATL 8 8 0
NO 3 13 0

2004
ATL(2c) 11 5 0
NO 8 8 0
CAR 7 9 0
TB 5 11 0

2003
CAR(3s) 11 5 0
NO 8 8 0
TB 7 9 0
ATL 5 11 0

2002
TB(2v) 12 4 0
ATL(6d) 9 6 1
NO 9 7 0
CAR 7 9 0


NFC中地区(1977年-2001年)



  • GB:グリーンベイ・パッカーズ、MIN:ミネソタ・バイキングス、CHI:シカゴ・ベアーズ、DET:デトロイト・ライオンズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ

  • 1982年シーズンはストライキの影響により、地区別成績ではなくカンファレンス上位8チームがプレイオフ進出するルールであったが、ここでは地区別に変換して表記する。

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順(シード制導入前は表記なし)、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。1982年についてはd:2回戦敗退、w:1回戦敗退。
































































































































































































































































































































































































































































































































































































































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

2001
CHI(2d) 13 3 0
GB(4d) 12 4 0
TB(6w) 9 7 0
MIN 5 11 0
DET 2 14 0

2000
MIN(2c) 11 5 0
TB(5w) 10 6 0
GB 9 7 0
DET 9 7 0
CHI 5 11 0

1999
TB(2c) 11 5 0
MIN(4d) 10 6 0
DET(6) 8 8 0
GB 8 8 0
CHI 6 10 0

1998
MIN(1c) 15 1 0
GB(5w) 11 5 0
TB 8 8 0
DET 5 11 0
CHI 4 12 0

1997
GB(2s) 13 3 0
TB(4d) 10 6 0
DET(5w) 9 7 0
MIN(6d) 9 7 0
CHI 4 12 0

1996
GB(1v) 13 3 0
MIN(6w) 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 6 10 0
DET 5 11 0

1995
GB(3c) 11 5 0
DET(5w) 10 6 0
CHI 9 7 0
MIN 8 8 0
TB 7 9 0

1994
MIN(3w) 10 6 0
GB(4d) 9 7 0
DET(5w) 9 7 0
CHI(6d) 9 7 0
TB 6 10 0

1993
DET(3w) 10 6 0
MIN(5w) 9 7 0
GB(6d) 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 5 11 0

1992
MIN(3w) 11 5 0
GB 9 7 0
TB 5 11 0
CHI 5 11 0
DET 5 11 0

1991
DET(2c) 12 4 0
CHI(4w) 11 5 0
MIN 8 8 0
GB 4 12 0
TB 3 13 0

1990
CHI(4d) 11 5 0
TB 6 10 0
DET 6 10 0
GB 6 10 0
MIN 6 10 0

1989
MIN(3d) 10 6 0
GB 10 6 0
DET 7 9 0
CHI 6 10 0
TB 5 11 0

1988
CHI(1c) 12 4 0
MIN(4d) 11 5 0
TB 5 11 0
DET 4 12 0
GB 4 12 0

1987
CHI(2d) 11 4 0
MIN(5c) 8 7 0
GB 5 9 1
TB 4 11 0
DET 4 11 0

1986
CHI(2d) 14 2 0
MIN 9 7 0
DET 5 11 0
GB 4 12 0
TB 2 14 0

1985
CHI(1v) 15 1 0
GB 8 8 0
MIN 7 9 0
DET 7 9 0
TB 2 14 0

1984
CHI(3c) 10 6 0
GB 8 8 0
TB 6 10 0
DET 4 11 1
MIN 3 13 0

1983
DET(3d) 9 7 0
GB 8 8 0
CHI 8 8 0
MIN 8 8 0
TB 2 14 0

1982
GB(3d) 5 3 1
MIN(4d) 5 4 0
TB(7w) 5 4 0
DET(8w) 4 5 0
CHI 3 6 0

1981
TB(3d) 9 7 0
DET 8 8 0
GB 8 8 0
MIN 7 9 0
CHI 6 10 0

1980
MIN(3d) 9 7 0
DET 9 7 0
CHI 7 9 0
TB 5 10 1
GB 5 10 1

1979
TB(2c) 10 6 0
CHI(5w) 10 6 0
MIN 7 9 0
GB 5 11 0
DET 2 14 0

1978
MIN(3d) 8 7 1
GB 8 7 1
DET 7 9 0
CHI 7 9 0
TB 5 11 0

1977
MIN(3c) 9 5 0
CHI(4d) 9 5 0
DET 6 8 0
GB 4 10 0
TB 2 12 0


AFC西地区(1976年)



  • DEN:デンバー・ブロンコス、KC:カンザスシティ・チーフス、OAK:オークランド・レイダーズ、SD:サンディエゴ・チャージャーズ、TB:タンパベイ・バッカニアーズ

  • 括弧内の数字はプレイオフ出場時のシード順、文字はv:スーパーボウル優勝、s:スーパーボウル敗退・カンファレンス優勝、c:カンファレンス決勝敗退、d:ディビジョナルプレーオフ敗退、w:ワイルドカードプレイオフ敗退。
























































地区優勝 2位 3位 4位 5位
チーム チーム チーム チーム チーム

1976
OAK(1v) 13 1 0
DEN 9 5 0
SD 6 8 0
KC 5 9 0
TB 0 14 0


脚注


[ヘルプ]




  1. ^ 後にデトロイト・ライオンズが2008年シーズンの16戦を全敗した。


  2. ^ “1976 Tampa Bay Buccaneers Statistics & Players”. pro-football-reference.com. 2010年9月24日閲覧。


  3. ^ Hobson Lopes. “Top 15 Longest Losing Streaks in NFL History”. thesportster.com. 2017年5月2日閲覧。

  4. ^ ab“バッカニアーズ、モリスHCが守備のプレイコール担当に”. NFL JAPAN (2009年11月25日). 2012年1月26日閲覧。


  5. ^ “バッカニアーズ、NFC南地区で優勝”. AFP (2006年1月2日). 2012年1月26日閲覧。


  6. ^ “レッドスキンズ、バッカニアーズを破る”. AFP (2006年1月8日). 2012年1月26日閲覧。


  7. ^ “カーネル・ウィリアムズ、新人賞獲得”. AFP (2006年2月3日). 2012年1月26日閲覧。


  8. ^ “バッカニアーズ 今季初勝利”. AFP (2006年10月16日). 2012年1月26日閲覧。


  9. ^ “ジャイアンツ バッカニアーズ降しNFC準決勝進出”. AFP (2008年1月7日). 2012年1月26日閲覧。


  10. ^ “バッカニアーズ 悲嘆に暮れるブライアントの活躍で勝利”. AFP (2008年9月29日). 2012年1月26日閲覧。


  11. ^ “バッカニアーズが大リストラ敢行、ブルックスら5選手を放出”. NFL JAPAN (2009年2月26日). 2012年1月26日閲覧。


  12. ^ “「フリーマンは大事に育てたい」とバッカニアーズGM”. NFL JAPAN (2009年6月29日). 2012年1月26日閲覧。


  13. ^ 生沢浩 (2009年9月10日). “今こそ“Change”! 傷だらけの3チーム”. NFL JAPAN. 2012年1月26日閲覧。


  14. ^ “バッカニアーズ、連敗脱出の起爆剤に新人QBフリーマン起用へ”. NFL JAPAN (2009年10月29日). 2012年1月26日閲覧。


  15. ^ “若手中心のバッカニアーズ、躍進の理由とは?”. NFL JAPAN (2010年11月27日). 2012年1月26日閲覧。


  16. ^ “バッカニアーズ、プレイオフ“夢散”も「素晴らしい成果」”. NFL JAPAN (2011年1月3日). 2011年12月25日閲覧。


  17. ^ “ブラント、ベリーが受賞 月間新人MVP”. NFL JAPAN (2011年1月7日). 2011年12月25日閲覧。


  18. ^ “躍進のバッカニアーズ、モリスHCと契約延長”. NFL JAPAN (2011年1月9日). 2012年1月26日閲覧。


  19. ^ デイブ・ダメシェク (2011年8月31日). “あと一歩でプレイオフを逃しそうなチームは?”. NFL JAPAN. 2011年12月25日閲覧。


  20. ^ “.バッカニアーズ3連勝、逃げ切り失敗のコルツは4連敗”. NFL JAPAN (2011年10月4日). 2011年12月25日閲覧。


  21. ^ “【第7週プレビュー】バッカニアーズ、ロンドンで首位固めへ”. NFL JAPAN (2011年11月20日). 2011年12月25日閲覧。


  22. ^ “ニュートンがマニング超え、新人最多パス獲得ヤード記録更新”. NFL JAPAN (2011年12月25日). 2011年12月25日閲覧。


  23. ^ “バッカニアーズに痛手、DTマッコイが今季絶望”. NFL JAPAN (2011年11月8日). 2011年12月25日閲覧。


  24. ^ “バッカニアーズ、CBタリブが今季絶望に”. NFL JAPAN (2011年12月20日). 2011年12月25日閲覧。


  25. ^ “10連敗で幕のバッカニアーズ、モリスHCを解任”. NFL JAPAN (2012年1月3日). 2012年1月26日閲覧。


  26. ^ “バッカニアーズQB、フリーマン先発降格、グレノン起用”. アメフトNewsJapan (2013年9月25日). 2015年3月9日閲覧。


  27. ^ “バッカニアーズ、シアーノHCとドミニクGMを解任”. NFL JAPAN (2013年12月31日). 2014年1月1日閲覧。


  28. ^ “バッカニアーズ、新HCに元ベアーズのスミス氏招へい”. NFL JAPAN (2014年1月2日). 2015年3月9日閲覧。


  29. ^ “バッカニアーズ、グレイザー・オーナーが死去”. NFL JAPAN (2014年5月29日). 2015年3月9日閲覧。


  30. ^ “バッカニアーズがQBマッコウン獲得、グレノンと先発争いに”. NFL JAPAN (2014年3月13日). 2015年3月9日閲覧。


  31. ^ “バッカニアーズ、QBグレノン降格、QBマカウン先発復帰”. アメフトNewsJapan (2014年11月5日). 2015年3月9日閲覧。


  32. ^ “QBグレノン逆転TDパス バッカニアーズ劇的初勝利”. TSPスポーツ (2014年9月30日). 2015年3月9日閲覧。


  33. ^ “ドラフト全体1位指名権を持つバッカニアーズ、QBマカウンを解雇”. アメフトNewsJapan (2015年2月11日). 2015年3月9日閲覧。




外部リンク




  • 公式サイト (英語)


  • タンバベイ・バッカニアーズ (NFL JAPAN)












































































Popular posts from this blog

Accessing regular linux commands in Huawei's Dopra Linux

Can't connect RFCOMM socket: Host is down

Kernel panic - not syncing: Fatal Exception in Interrupt