ヤディアー・モリーナ
この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の姓)はモリーナ、第二姓(母方の姓)はルシアーノです。 |
この記事の項目名には以下のような表記揺れがあります。
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セントルイス・カージナルス #4 | |
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基本情報 | |
国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | プエルトリコ自治連邦区バヤモン |
生年月日 | (1982-07-13) 1982年7月13日(36歳) |
身長 体重 | 5' 11" =約180.3 cm 205 lb =約93 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 捕手 |
プロ入り | 2000年 MLBドラフト4巡目(全体113位)でセントルイス・カージナルスから指名 |
初出場 | 2004年6月3日 パイレーツ戦 |
年俸 | $20,000,000(2018年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | プエルトリコ |
WBC | 2006年、2009年、2013年、2017年 |
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獲得メダル | ||
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男子 野球 | ||
プエルトリコ | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
銀 | 2013 | 野球 |
銀 | 2017 | 野球 |
ヤディアー・ベンジャミン・モリーナ・ルシアーノ(Yadier Benjamin Molina Luciano, 1982年7月13日 - )は、プエルトリコのバヤモン出身のプロ野球選手(捕手)。右投右打。MLB・セントルイス・カージナルスに所属。愛称はヤディ[2]。
2008年から2015年まで8年連続を含む9度のゴールドグラブ賞受賞、2009年から7年連続を含む9度のオールスター選出、ワールドチャンピオン2度 (2006年、2011年) の経歴をもつ。ワールドベースボールクラシックプエルトリコ代表。
長兄ベンジー、次兄ホセは共に元・メジャーリーガーで捕手。
デビュー以来カージナルス一筋のフランチャイズプレイヤーである。
目次
1 経歴
1.1 アマチュア時代
1.2 カージナルス時代
2 選手としての特徴
3 詳細情報
3.1 年度別打撃成績
3.2 年度別守備成績
3.3 表彰
3.4 記録
3.4.1 兄弟選手としての記録
3.5 背番号
3.6 代表歴
4 脚注
5 関連項目
6 外部リンク
経歴
アマチュア時代
1982年7月13日、プエルトリコのバヤモンに出生。父ベンジャミンはプエルトリコのアマチュア野球リーグで強打の選手として活躍しており、プロからのオファーもあったという[3]。しかしベンジャミンは、息子のベンジーが9歳のときに現役を引退し、息子達に野球を教える道を選ぶ[4]。安定した生活を求めていたベンジャミンは引退後、毎朝6時に工場へ出勤[3]。ヤディアーによると、ベンジャミンは毎日午後3時55分に帰宅し、10分後には野球の準備を整えていた[4]。
ベンジャミンは捕手ではなかったが、3兄弟は全員が捕手になった。ヤディアーは兄2人が捕手になったきっかけを知らないが、自身も15歳のときに初めて捕手をしてみて「すごく大事な場所だし、すべてのプレーのキーになるし、リーダーになるし、絶対このポジションでプレーするんだって思った」という[5]。当時の憧れの選手は、自身と同じプエルトリコ出身の捕手サンディー・アロマー・ジュニアだった[6]。
カージナルス時代
2000年、MLBドラフト4巡目(全体113位)でセントルイス・カージナルスに指名され、兄2人に続いてプロ入りを果たす。
マイナーリーグ時代から、ヤディアーの捕手としての潜在能力は兄2人を凌ぐと言われていた[7]。2004年6月3日にメジャーデビューを果たし、この年51試合に出場。盗塁阻止率(47.1%)や捕手防御率(3.64)などで正捕手マイク・マシーニーの残した数字(29.6%、3.84)を上回った[7]。ヤディアーの才能を高く評価したカージナルスは、シーズン終了後にFAとなった正捕手のマシーニーとの契約を見送り、ヤディアーのためにポジションを空けている[8]。
2005年7月8日のダイヤモンドバックス戦で8回にクラウディオ・バルガスから死球を受け、左手の骨折により故障者リスト入り[9]。このため約40日にわたって戦線離脱したものの、114試合に出場し、盗塁阻止率はリーグトップの64.1%だった。
2006年開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のプエルトリコ代表に選出された。同大会では2次リーグまでの全6試合が地元プエルトリコのヒラム・ビソーン・スタジアムで行われ、ヤディアーは4試合に出場。イバン・ロドリゲスがチームの正捕手となったため先発出場はなかったが、5打数3安打1打点を記録した。シーズンでは打撃成績が前年より下降したが、ポストシーズンでは16試合で53打数19安打・打率.368・2本塁打・8打点と好成績を記録し、カージナルスのワールドシリーズ優勝に貢献。
2007年は左手首の骨折や右膝の手術によって出場試合数は減少したものの、打撃では自己最高の打率を記録。盗塁阻止率は54.0%だった。この年初めてフィールディング・バイブル・アワードを受賞。
2008年1月にカージナルスと4年1,550万ドルで契約を延長。監督のトニー・ラルーサは「長期契約には何のリスクもない」とヤディアーを高く評価した[10]。同年の目標をゴールドグラブ賞初受賞に定め、オフの間に体重を10-15 lb (約4.5-6.8 kg) 絞ってスプリングトレーニングに合流[11]。シーズンで成績を伸ばしたのは守備ではなく打撃だった。初めてシーズン100安打を達成し、打率やOPSなどで前年の自己最高をさらに上回る成績を残した。本人によれば「インパクトの瞬間までしっかりボールを見ることを常に心がけている。基本中の基本と言われるだろうが、自分はそれができていなかった」[12]。守備では、失策数が初の2桁となる10を記録、盗塁阻止率も34.6%だったが、捕逸数は2005年以降の自己最少となる5個にとどめ、盗塁阻止率もリーグ順位では2位タイだった。そしてゴールドグラブ賞を受賞した[13]。
2009年開幕前の3月に開催された第2回WBCのプエルトリコ代表に選出され、2大会連続2度目の選出を果たした。同大会では3月9日のオランダ戦と16日のベネズエラ戦の2試合に先発出場。打撃では6打数1安打と振るわなかったが、守備では2試合18イニングで3失点と投手陣をリードした。
2010年は盗塁阻止率は48.5%でリーグトップ、守備防御点が現在でもキャリアハイの+20で、ゴールドグラブ賞とフィールディング・バイブル・アワードを同時に受賞した。
2011年は守備の数値が悪く、盗塁阻止率が29.2%と落ち込む。4年連続でゴールドグラブ賞は獲得したもののフィールディング・バイブル・アワードの受賞を逃したが、この年から創設されたプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。打撃面は好調で、打率、長打率、本塁打、打点でキャリアハイをマークした。またチームのワールドシリーズ優勝に貢献した。
2012年はさらに打撃が好調で、打率、出塁率、長打率、本塁打、打点、盗塁でキャリアハイだった。特に12盗塁はMLBの捕手の中では最多だった。守備でも守盗塁阻止率47.9%がメジャー2位と復活し、一塁走者を刺す捕手けん制刺が5回で1位タイ。ゴールドグラブ賞を5年連続で受賞し、フィールディング・バイブル・アワードを2年ぶりに満票で受賞した[14]し、2年連続でプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。
2013年開幕前の3月に開催された第3回WBCのプエルトリコ代表に選出され、3大会連続3度目の選出を果たした。同大会では大会を通してレギュラー捕手・4番・チームリーダーを務め、チームの準優勝に貢献。大会ベストナインにも選ばれた。シーズンで6年連続でゴールドグラブ賞を受賞した。
2014年はオールスターゲームに選出されたが、7月10日に右手親指の故障で15日間の故障者リスト入りし[15]、出場を辞退することとなった。8月29日に復帰した。リーグチャンピオンシップシリーズの第2戦で再び右手親指を負傷し、第3戦以降は欠場したが、2004年のワールドシリーズ第3戦からポストシーズンで歴代最長となる83試合連続出場を記録した。オフには7年連続となるゴールドグラブ賞と、2年振りとなるプラチナ・ゴールド・グラブを受賞した。
2015年9月20日のシカゴ・カブス戦で、本塁に突入してきたアンソニー・リゾにタッチしたときに左手親指の靭帯を部分断裂し、以後レギュラーシーズン閉幕まで欠場した。136試合に出場して2年ぶりに規定打席に到達し、打率.270・4本塁打・61打点という成績を記録。本塁打は3年連続で減少したが、4シーズンぶりの三塁打を記録。守備面では、134試合で7失策・守備率.994・盗塁阻止率41%をマークし、8年連続でゴールドグラブ賞を受賞。プレーオフでは10月12日のディビジョンシリーズの第3戦で再び左手親指を負傷し、第4戦以降を欠場した。オフの10月15日に左手親指の手術を受けた。
2016年はキャリアハイの147試合に出場し好調を維持。3年ぶりの3割超えとなる打率.307・8本塁打・58打点、リーグ9位タイとなる38二塁打を記録した。守備面では、146試合でマスクを被り、2失策・守備率.998だったが、盗塁阻止率が21%に留まった。シーズンオフのゴールドグラブ賞投票では、バスター・ポージーに賞をさらわれて、9シーズンぶりに受賞はならなかった。オフの12月5日に第4回WBCのプエルトリコ代表に選出され、4大会連続4度目の選出を果たした[16]。
2017年開幕前に選出されていた第4回WBCに参加。3月22日の決勝アメリカ合衆国戦に敗戦し、2大会連続で準優勝となったが[17]、6試合で打率.333・2本塁打・6打点・OPS.917などを記録し、大会最優秀捕手賞を受賞した[18]。4月2日、2020年までの3年6000万ドルで契約延長した[19]。この年は136試合に出場し、打率.273・18本塁打・82打点を記録した。
2018年1月15日、契約満了予定の2020年シーズン限りでの現役引退を表明した[20]。7月14日にマイク・マシーニー監督が解任されたときに現役最終年の選手兼任監督就任に興味を示した[21]ものの、8月28日にマイク・シルト監督代行が昇格して正式就任、2020年まで契約延長した[22]ことにより、選手兼任監督の実現可能性は小さくなった。この年は123試合に出場し、打率.261・20本塁打(自身6年ぶり)・74打点を記録した。オフに、前年のハリケーン・マリアで被害に遭った故郷プエルトリコの復興に貢献したことが評価されて、カージナルスの選手としては5人目となるロベルト・クレメンテ賞を受賞した[23]。オフには日米野球で来日し、強肩強打を披露。
選手としての特徴
カージナルス公式ウェブサイトに強肩を "Rocket launcher"(ロケットランチャー)と称されている[24]。チームメイトのアダム・ウェインライトは「彼がマスクをかぶっていれば、走者に気を使う必要がない。打者にさえ集中していればいいんだ」とコメントしている[25]。
捕球技術については、「ESPNマガジン」のインタビューで、投手の制球が悪い時はミットをずらさずに体だけ少しずらしてポケットで捕球すれば、ボール球を10~12個くらいストライクにできると語っている[26]。
リードの能力が高く評価され、投手陣の信頼が厚い。アダム・ウェインライトは「こっちが何を投げたいかちゃんと分かっている。ワンバウンドのカーブをしっかりブロックしてくれるから、何のためらいもなくカーブを投げられるのもいい。彼との間には言葉で言い尽くせない信頼があるんだ」と言い、ハイメ・ガルシアは「彼の出すサインには1球1球意味がある。ぼくのピッチングは自分自身への信頼、自分の投げるボールへの信頼、彼への信頼の三位一体で成り立っているんだ。」と言う[27]。
ビル・ジェームズやジョン・デュワンなどの記録統計アナリストら10人によって選出される「フィールディング・バイブル・アワード」を、2007年から2013年までの間で、2011年を除き毎年受賞している。
打撃に関して、インパクト後、左腕を肘から抜いていくスウィングをする。これはメジャーのスター選手の何人かに見られるスウィングであり、左右方向に強い打球を飛ばせる特徴を持つ。故にモリーナ自身、右方向に狙って強い打球を飛ばす能力はメジャー屈指であり、セントルイスでは長打力のあるつなぎ役として2番を打つ事もある。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 | 球 団 | 試 合 | 打 席 | 打 数 | 得 点 | 安 打 | 二 塁 打 | 三 塁 打 | 本 塁 打 | 塁 打 | 打 点 | 盗 塁 | 盗 塁 死 | 犠 打 | 犠 飛 | 四 球 | 敬 遠 | 死 球 | 三 振 | 併 殺 打 | 打 率 | 出 塁 率 | 長 打 率 | O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004 | STL | 51 | 151 | 135 | 12 | 36 | 6 | 0 | 2 | 48 | 15 | 0 | 1 | 2 | 1 | 13 | 3 | 0 | 20 | 4 | .267 | .329 | .356 | .684 |
2005 | 114 | 421 | 385 | 36 | 97 | 15 | 1 | 8 | 138 | 49 | 2 | 3 | 8 | 3 | 23 | 3 | 2 | 30 | 10 | .252 | .295 | .358 | .654 | |
2006 | 129 | 461 | 417 | 29 | 90 | 26 | 0 | 6 | 134 | 49 | 1 | 2 | 8 | 2 | 26 | 2 | 8 | 41 | 15 | .216 | .274 | .321 | .595 | |
2007 | 111 | 396 | 353 | 30 | 97 | 15 | 0 | 6 | 130 | 40 | 1 | 1 | 2 | 4 | 34 | 5 | 3 | 43 | 18 | .275 | .340 | .368 | .708 | |
2008 | 124 | 485 | 444 | 37 | 135 | 18 | 0 | 7 | 174 | 56 | 0 | 2 | 3 | 5 | 32 | 4 | 1 | 29 | 21 | .304 | .349 | .392 | .740 | |
2009 | 140 | 544 | 481 | 45 | 141 | 23 | 1 | 6 | 184 | 54 | 9 | 3 | 6 | 1 | 50 | 2 | 6 | 39 | 27 | .293 | .366 | .383 | .749 | |
2010 | 136 | 521 | 465 | 34 | 122 | 19 | 0 | 6 | 159 | 62 | 8 | 4 | 2 | 5 | 42 | 6 | 7 | 51 | 19 | .262 | .329 | .342 | .671 | |
2011 | 139 | 518 | 475 | 55 | 145 | 32 | 1 | 14 | 221 | 65 | 4 | 5 | 5 | 4 | 33 | 4 | 1 | 44 | 21 | .305 | .349 | .465 | .814 | |
2012 | 138 | 563 | 505 | 65 | 159 | 28 | 0 | 22 | 253 | 76 | 12 | 3 | 3 | 5 | 45 | 4 | 5 | 55 | 10 | .315 | .373 | .501 | .874 | |
2013 | 136 | 541 | 505 | 68 | 161 | 44 | 0 | 12 | 241 | 80 | 3 | 2 | 0 | 3 | 30 | 4 | 3 | 55 | 14 | .319 | .359 | .477 | .836 | |
2014 | 110 | 445 | 404 | 40 | 114 | 21 | 0 | 7 | 156 | 38 | 1 | 1 | 1 | 6 | 28 | 4 | 6 | 55 | 14 | .282 | .333 | .386 | .719 | |
2015 | 136 | 530 | 488 | 34 | 132 | 23 | 2 | 4 | 171 | 61 | 3 | 1 | 1 | 9 | 32 | 3 | 0 | 59 | 16 | .270 | .310 | .350 | .660 | |
2016 | 147 | 581 | 534 | 56 | 164 | 38 | 1 | 8 | 228 | 58 | 3 | 2 | 0 | 2 | 39 | 1 | 6 | 63 | 22 | .307 | .360 | .427 | .787 | |
2017 | 136 | 543 | 501 | 60 | 137 | 27 | 1 | 18 | 220 | 82 | 9 | 4 | 1 | 9 | 28 | 4 | 4 | 74 | 14 | .273 | .312 | .439 | .751 | |
2018 | 123 | 503 | 459 | 55 | 120 | 20 | 0 | 20 | 200 | 74 | 4 | 3 | 0 | 6 | 29 | 0 | 9 | 66 | 15 | .261 | .314 | .436 | .750 | |
MLB:15年 | 1870 | 7203 | 6551 | 656 | 1850 | 355 | 7 | 146 | 2657 | 859 | 60 | 37 | 42 | 65 | 484 | 49 | 61 | 724 | 240 | .282 | .334 | .406 | .740 |
- 2018年度シーズン終了時
年度別守備成績
年 度 | 球 団 | 捕手(C) | 一塁(1B) | ||||||||||||||
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試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | 捕 逸 | 許 盗 塁 | 盗 塁 刺 | 阻 止 率 | 試 合 | 刺 殺 | 補 殺 | 失 策 | 併 殺 | 守 備 率 | ||
2004 | STL | 51 | 256 | 16 | 2 | 1 | .993 | 4 | 9 | 8 | .471 | - | |||||
2005 | 114 | 684 | 66 | 7 | 4 | .991 | 8 | 14 | 25 | .641 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | |
2006 | 127 | 734 | 79 | 4 | 6 | .995 | 7 | 37 | 29 | .439 | 4 | 5 | 0 | 1 | 1 | .833 | |
2007 | 107 | 582 | 63 | 6 | 8 | .991 | 7 | 23 | 27 | .540 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2008 | 119 | 653 | 70 | 10 | 7 | .986 | 5 | 34 | 18 | .346 | 2 | 13 | 3 | 0 | 1 | 1.000 | |
2009 | 138 | 884 | 82 | 5 | 6 | .995 | 4 | 32 | 22 | .407 | 6 | 10 | 1 | 0 | 2 | 1.000 | |
2010 | 135 | 895 | 79 | 5 | 10 | .995 | 7 | 35 | 33 | .485 | 7 | 7 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | |
2011 | 137 | 857 | 67 | 5 | 5 | .995 | 7 | 46 | 19 | .292 | 2 | 3 | 0 | 1 | 0 | .750 | |
2012 | 136 | 962 | 88 | 3 | 12 | .997 | 6 | 38 | 35 | .479 | 3 | 11 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 131 | 976 | 63 | 4 | 11 | .996 | 3 | 26 | 20 | .435 | 5 | 17 | 1 | 0 | 1 | 1.000 | |
2014 | 107 | 810 | 56 | 2 | 10 | .998 | 3 | 23 | 21 | .477 | 1 | 10 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2015 | 134 | 1064 | 56 | 7 | 9 | .994 | 4 | 37 | 26 | .413 | - | ||||||
2016 | 146 | 1113 | 60 | 2 | 5 | .998 | 8 | 67 | 18 | .212 | 2 | 10 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2017 | 133 | 1082 | 55 | 7 | 13 | .994 | 6 | 43 | 24 | .358 | 1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |
2018 | 121 | 966 | 42 | 2 | 8 | .998 | 4 | 27 | 12 | .308 | 5 | 9 | 2 | 1 | 3 | .917 | |
通算 | 1836 | 12518 | 942 | 71 | 115 | .998 | 82 | 491 | 337 | .407 | 40 | 100 | 11 | 4 | 8 | .974 |
- 2018年度シーズン終了時
太字年はゴールドグラブ賞受賞- 各年度の太字はリーグ最高
表彰
- MLB
シルバースラッガー賞:1回(2013年)
ゴールドグラブ賞:9回(2008年 - 2015年、2018年)
プラチナ・ゴールド・グラブ賞:4回(2011年、2012年、2014年、2015年)
フィールディング・バイブル・アワード:6回(2007年 - 2010年、2012年、2013年)
ロベルト・クレメンテ賞:1回(2018年)[23]
- プエルトリコ代表
WBC最優秀捕手賞:2回(2013年、2017年)
記録
オールスターゲーム選出:9回(2009年 - 2015年、2017年、2018年)
兄弟選手としての記録
2004年にヤディアーがデビューしたことで、先にデビューしていた2人の兄とともに、3兄弟が同時期にメジャーでプレイすることとなった。これは "クルーズ3兄弟"(ホセ、トミー、ヘクター)が1977年に揃ってメジャーでプレイして以来のことだった[8]。また、兄2人が所属していたロサンゼルス・エンゼルス・オブ・アナハイムは2002年に、ヤディアーの所属するカージナルスは2006年に、それぞれワールドシリーズを制覇したため、3兄弟全員がチャンピオンリングを所有している。これはMLB史上初であり[28]、3兄弟2つずつ合計6つのチャンピオンリング所有の記録(長兄のベンジーは2010年シーズン途中にサンフランシスコ・ジャイアンツからテキサス・レンジャーズへトレードされ、2010年のワールドシリーズでレンジャーズはジャイアンツに敗れたにも関わらず、チャンピオンリングを受け取った)ギネス世界記録にも認定された[29]。
2人の兄は2001年から2005年までの5シーズンにわたりエンゼルスに一緒に所属していた。兄弟がともに捕手として同一チームに同時期に所属していたのは、1901年以降では史上初のことだった[3]。これに対して、ヤディアーは兄とチームメイトになったことはなかったが、2013年WBCにてプエルトリコ代表に選出され、同じ捕手で次兄のホセも選出され初めてチームメイトとなった。
背番号
41 (2004年 - 2005年)
4 (2006年 - )
代表歴
- 2006 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2009 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2013 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
- 2017 ワールド・ベースボール・クラシック・プエルトリコ代表
脚注
^ “Yadier Molina Contract Details, Salaries, & Earnings” (英語). Spotrac. 2016年6月19日閲覧。
^ Cards' Players Weekend nicknames explained MLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年9月20日閲覧
- ^ abc樋口浩一 「ベンジー・モリーナ&ホゼ・モリーナ/エンゼルスの本塁を兄弟で共有する感覚」 『月刊メジャー・リーグ』2004年7月号、ベースボール・マガジン社、2004年、雑誌08625-7、24-25頁。
- ^ abJack Curry, "3 Weeks to Pitchers and Molinas," New York Times, January 29, 2007. 2008年11月23日閲覧。
^ 阿部寛子 「連載企画 MLB TALK SHOW ヤーディアー・モリーナ[カージナルス]」 『月刊スラッガー』2006年11月号、日本スポーツ企画出版社、2006年、雑誌15509-11、67-69頁。
^ Jorge L. Ortiz, USA TODAY, "Cards' Molina making Puerto Rico proud," USATODAY.com, October 23, 2006. 2009年11月1日閲覧。
- ^ ab友成那智、村上雅則 『メジャーリーグ・完全データ選手名鑑2005』 廣済堂出版、2005年、304頁。ISBN 978-4-331-51093-3。
- ^ ab出村義和 「野球一家の血統に期待高まる今シーズン。」 『Number Web』、2005年6月9日。2008年3月15日閲覧。
^ Matthew Leach / MLB.com, "Molina out after being hit by pitch / Catcher's status unknown after leaving in the eighth," stlcardinals.com, July 8, 2005. 2009年2月22日閲覧。
^ Associated Press, "Yadier Molina gets four-year, $15.5 million contract with Cardinals," ESPN.com, January 21, 2008. 2008年11月23日閲覧。
^ Derrick Goold, "Molina is set to pursue his golden dream," St. Louis Post-Dispatch, February 14, 2008. 2008年11月23日閲覧。
^ 澤田敏典 「MLB30球団レポート&全選手個人成績 セントルイス・カージナルス/STL もはや守るだけの捕手ではない」 『月刊スラッガー』2008年9月号、日本スポーツ企画出版社、2008年、雑誌15509-9、86頁。
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^ “Most siblings to win the baseball World Series” (英語). Guinness World Records. 2014年3月6日閲覧。
関連項目
- 兄弟スポーツ選手一覧
- プエルトリコ出身のメジャーリーグベースボール選手一覧
外部リンク
- 選手の通算成績と情報 MLB、ESPN、Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube、Baseball-Reference (Register)
Yadier Molina stats MiLB.com (英語)
Yadier Molina (yadier_marciano_molina) - Instagram
Yadier Molina (@Yadimolina04) - Twitter
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