群馬県立桐生高等学校
群馬県立桐生高等学校 | |
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過去の名称 | 町立桐生中学校 群馬県立桐生中学校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | 群馬県 |
校訓 | 文武両道・独立自尊 |
設立年月日 | 1917年3月12日 |
共学・別学 | (普通科) 男女別学(男子校) (理数科) 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科・理数科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 10113D |
所在地 | 〒376-0025 |
群馬県桐生市美原町1-39 北緯36度24分33秒 東経139度19分46.9秒 / 北緯36.40917度 東経139.329694度 / 36.40917; 139.329694座標: 北緯36度24分33秒 東経139度19分46.9秒 / 北緯36.40917度 東経139.329694度 / 36.40917; 139.329694 | |
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群馬県立桐生高等学校(ぐんまけんりつ きりゅうこうとうがっこう)は、群馬県桐生市美原町にある公立学校。通称「桐高(きりたか)」。大正6年の設立から卒業生は2万名を越えている。文部科学省によるスーパーサイエンスハイスクール(SSH)指定校。
目次
1 歴史
2 年表
3 校訓
4 教育目標
5 校歌
6 学科
7 学校生活
8 硬式野球部の戦績
9 著名な出身者
10 関連項目
11 脚注
12 外部リンク
歴史
明治から大正にかけて、県内他市において前橋中学の分校が設立される中、織物の街桐生においては中学ではなく桐生高等染織学校(現・群馬大学工学部)が設立された。従って、桐生の学生達は近隣の太田や佐野、前橋の中学に通うことになり、下宿生活を余儀なくされていた。これを憂えた桐生町民が有志を集めて中学設立に奔走。1917年(大正6年)3月12日に町立桐生中学校として創立された。旧制中学校として「町立」の形式をとっていた学校は、全国においても数えるほどしかない。設立4年目の1921年(大正10年)には県に移管され、1948年(昭和23年)に現在の名称である群馬県立桐生高等学校となった。
近年では、バドミントン部・卓球部・陸上部・少林寺拳法部・吹奏楽部などの活躍が目立っている。バドミントン部は硬式野球部に劣らない成績を残しており、関東大会の出場回数は関東の中でも5番目に多く、県内では2番目に多い出場回数となっている。(ちなみに1番は桐生商業高等学校)
開校以来男子校であったが、1998年から男女共学の理数科を設置した。しかし普通科の方は依然として男子のみであり、男子生徒の方が圧倒的に人数が多い。
定員は普通科が200人、理数科が80人となっている。
ここ数年の進学実績は上昇傾向にある。
制服は男子校時代から引き継がれており、金ボタン5個の黒詰襟学生服(標準学生服)。女子制服は紺のスーツスカートとグレーのリボン。
2021年度に桐生女子高等学校と統合する見通し[1]。
年表
- 1917年 - 町立桐生中学校開設。
- 1920年 - 群馬県立桐生中学校となる。
- 1948年 - 群馬県立桐生高等学校と改称。定時制課程開設。
- 1981年 - 定時制課程閉校。
- 1998年 - 理数科 (男女共学) を開設。
- 2007年 - スーパーサイエンススクール開設。
校訓
「独立自尊」「文武両道」
教育目標
真理を愛し、公正な判断力と実行力を有する人物を養う。
自由と平和を愛し、責任と礼儀を重んじる民主的な人格を養う。- 明朗健康にして、勤労を尊ぶ精神を養い、かつ、勤労にたえる身体をつくる。
校歌
- 作詞:篠崎与十郎(元・国語教諭)
- 作曲:岡野貞一
- 編曲:高橋龍右(元・音楽教諭)
戦前は、校歌は3番構成であったが、戦後に2番目の歌詞が軍国主義的であるとの理由から削除された。現在では「幻の2番」と呼ばれる。
学科
- 全日制課程
- 普通科
- 理数科
学校生活
JR・わたらせ渓谷鐵道桐生駅から徒歩5分、上毛電鉄西桐生駅から徒歩10分と交通機関が利用しやすい立地にある。東武鉄道新桐生駅・相老駅からは、市内循環バスである「おりひめバス」を利用することになる。みどり市、太田市薮塚本町地区からは、自転車通学をする生徒も多い。
周辺には桐生市立図書館や新川公園があり、閑静な環境である。
現在、各生徒の進路実現のため、夏期休業中の補習や土曜日に希望制の補習、進路指導の強化や大学見学・講義なども行っている。また、修学旅行の日程の中に現地の大学・企業見学が内容として組み込まれている。こういった改革や積極的な受験指導により、大学合格実績は国公立大学合格者数・難関私大合格者数とも増加している。後述する群馬大学との関わりもあるため、群馬大学へ進学する生徒も毎年多くみられる。
平成10年に新たに設けられた理数科は、「物づくり」の伝統を持つ桐生という土地柄と地元に群馬大学工学部があるという好条件を活かし、他にはない教育を目指している。特に4月には「理数科オリエンテーション」が行われ、自然科学への興味を深める講義、 コンピュータの基礎を学ぶ学習などが行われるほか、サイエンス合宿などのカリキュラムが組まれている。その他にも、英語でのプレゼンテーション授業なども行い、世界に通用する人材の教育をはかっている。ロケット製作・実験の分野での活動が近年評価され、第5回種子島ロケットコンテストに唯一の高校生チームとして出場した。また、缶サットと呼ばれる衛星の小型モデルのようなものの製作を毎年行っており、宇宙甲子園などで様々な成果を残している。
行事は、体育祭と文化祭が一年交代で交互に行われるほか、修学旅行やマラソン大会などがある。
体育祭は「水明杯争奪大運動会」、文化祭は「山紫祭」と呼ばれそれぞれの後夜祭では在校生のみ参加できる「火文字」という火で文字を表す催しごとがある。古くから続く伝統行事であるものの、近隣からの苦情もあり毎年存続が危ぶまれている。そのため実行委員や生徒会では懸命の努力を行っている。
硬式野球部の戦績
同校は戦前から戦後にかけて、北関東の高校野球界を牽引する存在であった。以下において甲子園大会での戦績のみ記載する。
西暦 | 大会名称 | 勝敗 | 回戦 | スコア | 対戦校 | 備考・関連項目 |
1927 | 第13回全国中等学校優勝野球大会 | ● | 1回戦 | 1-2 | 福岡中(岩手) | 阿部精一 |
1930 | 第16回全国中等学校優勝野球大会 | ● | 1回戦 | 1-2 | 平安中(京都) | |
1931 | 第17回全国中等学校優勝野球大会 | ○ | 1回戦 | 2-1 | 福岡中(岩手) | |
● | 2回戦 | 0-3 | 松山商(愛媛) | |||
1933 | 第10回選抜中等学校野球大会 | ● | 1回戦 | 0-3 | 海草中(和歌山) | |
1934 | 第20回全国中等学校優勝野球大会 | ○ | 1回戦 | 4-3 | 早稲田実(東京) | |
● | 2回戦 | 0-8 | 呉港中(広島) | |||
1935 | 第21回全国中等学校優勝野球大会 | ● | 1回戦 | 0-4 | 秋田商(秋田) | |
1936 | 第13回選抜中等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 9-7 | 熊本工(熊本) | |
○ | 2回戦 | 2-1 | 小倉工(福岡) | |||
○ | 準々決勝 | 1-0 | 東邦商(愛知) | |||
○ | 準決勝 | 5-4 | 育英商(兵庫) | |||
● | 決勝 | 1-2 | 愛知商(愛知) | 青木正一 | ||
1936 | 第22回全国中等学校優勝野球大会 | ○ | 1回戦 | 4-0 | 呉港中(広島) | |
○ | 2回戦 | 3-1 | 京阪商(大阪) | |||
● | 準々決勝 | 5-6 | 平安中(京都) | |||
1939 | 第16回選抜中等学校野球大会 | ● | 1回戦 | 0-5 | 熊本工(熊本) | |
1939 | 第25回全国中等学校優勝野球大会 | ● | 1回戦 | 2-3 | 福岡工(福岡) | |
1940 | 第17回選抜中等学校野球大会 | ● | 1回戦 | 0-1 | 愛知商(愛知) | |
1941 | 第18回選抜中等学校野球大会 | ● | 1回戦 | 0-6 | 滝川中(兵庫) | |
1947 | 第19回選抜中等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 6-3 | 今宮中(大阪) | |
○ | 2回戦 | 10-2 | 海草中(和歌山) | |||
○ | 準々決勝 | 3-2 | 津島中(愛知) | |||
● | 準決勝 | 3-4 | 徳島商(徳島) | 常見忠 | ||
1947 | 第29回全国中等学校優勝野球大会 | ● | 1回戦 | 0-3 | 小倉中(福岡) | |
1950 | 第22回選抜高等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 9-3 | 洛陽高(京都) | |
● | 2回戦 | 2-3 | 長良高(岐阜) | |||
1951 | 第33回全国高等学校野球選手権大会 | ● | 1回戦 | 1-3 | 県立和歌山商(和歌山) | |
1955 | 第27回選抜高等学校野球大会 | ○ | 2回戦 | 1-0 | 天理高(奈良) | 田辺義三 |
○ | 準々決勝 | 12-0 | 明星高(大阪) | |||
○ | 準決勝 | 6-3 | 高田高(奈良) | |||
● | 決勝 | 3-4 | 浪華商(大阪) | |||
1955 | 第37回全国高等学校野球選手権大会 | ○ | 1回戦 | 3-1 | 玉島高(岡山) | |
● | 2回戦 | 4-10 | 日大三(東京) | |||
1958 | 第28回選抜高等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 2-0 | 西条高(愛媛) | |
● | 2回戦 | 2-3 | 中京商(愛知) | |||
1958 | 第40回全国高等学校野球選手権大会 | ○ | 1回戦 | 3-1 | 御所工(奈良) | |
● | 2回戦 | 0-3 | 魚津高(富山) | |||
1963 | 第45回全国高等学校野球選手権大会 | ○ | 1回戦 | 1-0 | 米子南(鳥取) | |
○ | 2回戦 | 5-0 | 新潟商(新潟) | |||
○ | 3回戦 | 9-4 | 南部高(和歌山) | |||
● | 準々決勝 | 1-2 | 下関商(山口) | |||
1964 | 第36回選抜高等学校野球大会 | ● | 1回戦 | 3-6 | 平安高(京都) | |
1966 | 第48回全国高等学校野球選手権大会 | ○ | 1回戦 | 3-1 | 広島商(広島) | |
○ | 2回戦 | 10-1 | 北陽高(大阪) | |||
● | 準々決勝 | 2-4 | 中京商(愛知) | |||
1967 | 第39回選抜高等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 4-3 | 松山商(愛媛) | |
● | 2回戦 | 2-3 | 高知高(高知) | |||
1978 | 第50回選抜高等学校野球大会 | ○ | 1回戦 | 3-1 | 豊見城(沖縄) | 木暮洋 |
○ | 2回戦 | 7-0 | 岐阜高(岐阜) | |||
○ | 準々決勝 | 4-0 | 郡山高(奈良) | |||
● | 準決勝 | 2-3 | 浜松商(静岡) | |||
1978 | 第60回全国高等学校野球選手権大会 | ○ | 1回戦 | 18-0 | 膳所高(滋賀) | |
● | 2回戦 | 0-3 | 県岐阜商(岐阜) |
著名な出身者
- 学術・研究
森喜作(きのこ博士 京都大学農学部卒)
青木幸弘(学習院大学副学長・教授)
庭山英雄(法学者・弁護士・元伊藤塾講師)
石川信義(精神科医 著書「心病める人たち」他 東京大学医学部卒)
高瀬正仁(九州大学教授・数学者)
- 芸術・文化
オノサト・トシノブ(画家)
星野富弘(詩人・画家)
ヤマザキミノリ(造形作家・女子美術大学教授)
山口晃(画家)
塩谷太郎(著述業)
大野明男(著述業)
田村竜騎兵(朝日新聞で将棋・囲碁の「名物観戦記者」として知られる)
羽塚由(NHKアナウンサー)
- 政治
金子清(新潟県知事 東京大学法学部卒)
大澤善隆(前桐生市長)
亀山豊文(桐生市長)
石原条(みどり市長)
- 経済
関口忠(セキチュー創始者)
阿久戸庸夫(ミツバ代表取締役)
- 法曹
大出峻郎(元内閣法制局長官・最高裁判事 東京大学法学部卒)
- スポーツ
稲川東一郎(桐高野球部監督)
皆川定之(阪神タイガース選手)
青木正一(阪神タイガース選手)
稲川豪一(元プロ野球選手)
大塚鶴雄(元プロ野球選手)
木暮力三(読売ジャイアンツ選手)
常見茂(元プロ野球選手)
三輪裕章(阪神タイガース選手)
中村栄(元プロ野球選手)
深沢督(元プロ野球選手)
池田力(元プロ野球選手)
常見昇(元プロ野球選手)
斎藤宏(元プロ野球選手)
毒島章一(東映フライヤーズ選手)
浦田直治(西鉄ライオンズ選手・西武ライオンズスカウト・球団社長)
今泉喜一郎(大洋ホエールズ選手)
田辺義三(西鉄ライオンズ選手)
黒崎武(元プロ野球選手)
川島勝司(アトランタオリンピック野球日本代表監督)
河原井正雄(青山学院大学硬式野球部監督)
相場勤(慶應義塾大学硬式野球部監督)
木暮洋(甲子園のアイドル・六大学通算17勝)
阿久沢毅(王貞治の再来と評されたスラッガー)
鏑木毅(トレイルランニングの選手)
- 芸能
- 大森義夫
トランプマン(プロマジシャン・タレント)
小森谷徹(タレント)- 富所哲平(お笑い芸人アンカンミンカン、吉本興業)
関連項目
- 群馬県高等学校一覧
- 日本の理数科設置高等学校一覧
- 旧制中学校
- 日本の男女別学校一覧
- 旧制中等教育学校の一覧 (群馬県)
脚注
^ 桐生、桐生女子統合へ 21年度見通し、桐生南と桐生西も /群馬毎日新聞 2016年3月17日
外部リンク
- 群馬県立桐生高等学校