康応
康応(こうおう)は、日本の南北朝時代の元号の一つ。北朝方にて使用された。嘉慶の後、明徳の前。1389年の期間を指す。この時代の天皇は、北朝方が後小松天皇。南朝方が後亀山天皇。室町幕府将軍は足利義満。
目次
1 改元
2 出典
3 康応期におきた出来事
4 西暦との対照表
5 脚注
6 関連項目
改元
- 嘉慶3年2月9日(ユリウス暦1389年3月7日) 改元。病事を理由とする(『続史愚抄』)。
- 康応2年3月26日(グレゴリオ暦1390年4月12日) 明徳に改元
病事とは、前年に近衛兼嗣・二条良基と摂関が2代続けて死去したことなどを指すと考えられている[1]。
出典
『文選』曹植七啓の「国静民康、神応烋臻、屢獲嘉祥」から。勘申者は菅原秀長。
康応期におきた出来事
- 元年(1389)
- 2月18日、高麗が倭寇討伐の名目で対馬に侵攻した。これを康応の外寇という(「宗氏家譜」)。
西暦との対照表
※は小の月を示す。
康応元年(己巳) | 一月 | 二月※ | 三月 | 四月※ | 五月※ | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月 | 十一月※ | 十二月 | |
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元中六年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1389/1/28 | 2/27 | 3/28 | 4/27 | 5/26 | 6/24 | 7/23 | 8/22 | 9/20 | 10/20 | 11/19 | 12/18 | |
康応二年(庚午) | 一月 | 二月 | 三月※ | 閏三月※ | 四月 | 五月※ | 六月※ | 七月 | 八月※ | 九月 | 十月※ | 十一月 | 十二月 |
元中七年 | |||||||||||||
ユリウス暦 | 1390/1/17 | 2/16 | 3/18 | 4/16 | 5/15 | 6/14 | 7/13 | 8/11 | 9/10 | 10/9 | 11/8 | 12/7 | 1391/1/6 |
脚注
^ 北爪真佐夫「元号と武家」(初出:『札幌学院大学人文学会紀要』第68号(2000年9月)/所収:北爪『文士と御家人』(青史出版、2002年) ISBN 978-4-921145-13-2)。
関連項目
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