修善寺温泉
修善寺温泉 | |
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修善寺川と独鈷の湯(中央)、独鈷の湯公園(左) | |
温泉情報 | |
所在地 | 静岡県伊豆市修善寺 修善寺温泉 修善寺温泉 (静岡県) |
座標 | 北緯34度58分07秒 東経138度55分32秒 / 北緯34.9687度 東経138.9255度 / 34.9687; 138.9255 (修善寺温泉)座標: 北緯34度58分07秒 東経138度55分32秒 / 北緯34.9687度 東経138.9255度 / 34.9687; 138.9255 (修善寺温泉) |
交通 | 伊豆箱根鉄道駿豆線・修善寺駅下車。バスで8分 |
泉質 | 単純温泉 |
泉温(摂氏) | 65[1] |
湧出量 | 毎分600-700リットル(汲み上げ量)[1] |
外部リンク | 伊豆市観光協会修善寺支部 |
修善寺温泉(しゅぜんじおんせん)は、静岡県伊豆市北部にある伊豆半島で最も歴史がある温泉。日本百名湯に選ばれている。
目次
1 泉質
2 温泉街
3 歴史
4 文学
5 交通
6 風景
7 脚注
8 関係項目
9 外部リンク
泉質
弱アルカリ性単純泉
温泉街
温泉街の中心に修善寺川(通称:桂川)が流れ、河岸には温泉宿や飲食店が建ち並ぶ。川中の四阿には、同温泉地のシンボル的存在の独鈷の湯があり、無料で足湯を楽しめる。至近には地名の由来となった修禅寺があり、多くの観光客が訪れる。この寺では毎年8月20・21日に秋季弘法大師大祭が催され、屋台や打ち上げ花火が催される。また、遊歩道が整備され「竹林の小径」などが人気のスポットとなっている。
温泉街付近には源氏に関する史跡が多く、鎌倉幕府第2代将軍、源頼家の墓や、頼家の冥福を祈って母である北条政子が建てた指月殿などが残る。
以前には無秩序な湯の汲み上げにより、温泉水位下がって海水が混入したり、主要成分の含有量が少なくなったりした。このため、1981年(昭和56年)6月より集中管理に切り替えて供給を行っている[1]。
また、独鈷の湯を含め、外湯(共同浴場)が7ヶ所あり、これらは地元住民の利用のみ許されていた状態であったが、2002年には観光客も入浴可能な「筥湯(はこゆ)」が開業した。
2004年10月には、台風22号によって修善寺川が増水し温泉街に被害がもたらされた。
歴史
修善寺温泉の歴史は、平安時代に弘法大師が開いたという修禅寺の歴史とともにある。独鈷の湯も弘法大師が湧出させたとされ、これが修善寺温泉の起源である。川原で病気の父親の体を洗う少年のために「弘法大師が独鈷を用いて岩を砕き、そこから湯が湧出した」との開湯の伝説が残る。鎌倉幕府の時代には、源頼家が修禅寺に幽閉され暗殺された。
文学
明治時代には静かな環境が文豪に愛され、夏目漱石なども訪れた。
岡本綺堂 - 戯曲『修禅寺物語』、随筆『春の修善寺』『秋の修善寺』[2]
芥川龍之介 - 短編『温泉だより』『新曲修善寺』[2]
尾崎紅葉 - 長編『金色夜叉』を執筆[2]
泉鏡花 - 『斧琴菊』『奥の院にて』『半島一奇抄』[3][2]がある。
夏目漱石 - 療養のために訪れ昏睡状態に陥った(修善寺の大患)。『思い出す事など』
島崎藤村 - 『伊豆の旅』[2]
田山花袋 - 『北伊豆』『南伊豆』[2]
川端康成 - 『伊豆温泉記』[2]
井伏鱒二 - 『修善寺の桂川』[2]
交通
東海道新幹線・東海道本線の三島駅から伊豆箱根鉄道駿豆線で終点の修善寺駅下車。路線バスで修善寺温泉バス停まで8分。
バスタ新宿から新東海バスの高速バス「伊豆長岡・修善寺温泉ライナー」で修善寺温泉バス停まで2時間40分。
東名高速道路沼津ICから伊豆縦貫自動車道で1時間。
風景
修禅寺
修善寺川、手前右に新井旅館、遠くに桂橋
遊歩道
竹林の小径
無料ギャラリーと遊歩道
源範頼の墓
源頼家の墓
指月殿
日枝神社
脚注
- ^ abc現地解説板より(平成12年調査)
- ^ abcdefgh出典: 新井旅館の沿革 文化財の歴史と文人墨客達 - 新井旅館、2016年11月閲覧
^ 泉鏡花自筆年譜では、1928年5月、肺炎の病後に滞在。
関係項目
新井旅館 - 老舗の旅館
外部リンク
- 伊豆市観光協会
- 伊豆市観光協会修善寺支部
- 修善寺温泉旅館協同組合
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