第3師団 (陸上自衛隊)
第3師団 | |
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創設 | 1962年(昭和37年)1月18日 |
所属政体 | 日本 |
所属組織 | 陸上自衛隊 |
部隊編制単位 | 師団 |
兵種/任務/特性 | 自動車化歩兵 |
人員 | 約6,400名 |
所在地 | 兵庫県伊丹市 |
編成地 | 千僧駐屯地 |
上級単位 | 中部方面隊 |
担当地域 | 近畿 |
第3師団(だいさんしだん、JGSDF 3rd Division)は、陸上自衛隊の師団のひとつ。
中部方面隊隷下の政経中枢師団[1]で、司令部を兵庫県伊丹市の千僧駐屯地に置く。3個普通科連隊を基幹とし、近畿2府4県(滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県)の防衛警備、災害派遣を任務とするほか、民生協力及び国際貢献活動を行っている。師団司令部及び指揮下の13個部隊は、奈良県及び和歌山県を除く近畿2府2県8個駐屯地に配置されている。
師団方針は、『武人の誇り』[2]。
目次
1 沿革
1.1 第3管区隊
1.2 第3師団
2 編成・駐屯地
3 司令部
4 主要幹部
5 脚注
6 外部リンク
沿革
第3管区隊
1950年(昭和25年)12月29日:警察予備隊第3管区総監部設置決定
1951年(昭和26年)
- 1月:宇治に総監部設置
- 4月10日:伊丹駐屯地開設に伴い、第三管区総監部が宇治から伊丹へ移駐[3]。後に第7連隊及び(4月30日)第63連隊(特科・姫路)新編
- 5月1日:第3管区隊編成完結、第7・第8・第9の3個普通科連隊基幹[4]、担当地域は富山・石川・岐阜・愛知・三重・滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山・鳥取・島根・岡山・広島・香川・愛媛・高知[4]。
1954年(昭和29年)9月10日:第63連隊を第3特科連隊に改編
1959年(昭和34年)12月20日:第三管区総監部が伊丹から千僧へ移駐[3]。
1960年(昭和35年)1月14日:中部方面隊編成。その隷下に入る。
- 1960年頃の主要編成
- 第7・第8・第15普通科連隊、第3特科連隊、第3特車大隊
第3師団
1962年(昭和37年)1月18日:師団制施行、第3管区隊から第3師団(乙師団・3個普通科連隊基幹)に改編。第7連隊を母体に第36普通科連隊(伊丹)、第37普通科連隊(信太山)を新編。第3飛行隊(八尾)を新編。担当地域は滋賀・京都・大阪・兵庫・奈良・和歌山となる。
- 1965年頃の主要編成
- 第7・第36・第37普通科連隊、第3特科連隊、第3戦車大隊
1970年(昭和45年)3月:甲師団に改編。大久保駐屯地にて、第45普通科連隊新編・編入
1975年(昭和50年)8月:第3音楽隊新編
- 1990年頃の主要編成
- 第7・第36・第37・第45普通科連隊、第3特科連隊、第3戦車大隊
1992年(平成4年)3月27日:第3特科連隊第6大隊を改編し、第3高射特科大隊を編成。師団直轄となる。第3後方支援連隊新編。
1994年(平成6年)3月:乙師団への改編に伴う部隊廃止及び移駐
- 第45普通科連隊・第3対戦車隊を廃止
- 第3施設大隊が千僧から大久保へ、第3後方支援連隊衛生隊が大津から千僧へ移駐
1995年(平成7年)1月:阪神淡路大震災災害派遣(101日間)
1996年(平成8年)3月:第3師団改編(司令部第4部長独立。第3後方支援連隊武器隊が大隊に改編)
1997年(平成9年)1月:山陰地方タンカー重油流出に伴う災害派遣
1998年(平成10年)7月:北方機動特別演習
2000年(平成12年)7月:北方機動特別演習
2002年(平成14年)1月:第13次UNDOF派遣輸送隊派遣
2005年(平成17年)
4月25日:JR福知山線脱線事故に伴う災害派遣
- 4月26日:本師団を基幹とする第6次イラク復興支援群が編成され、群長には第36普通科連隊長の鈴木純治一等陸佐が補せられる。
6月16日:第7普通科連隊に軽装甲機動車(LAV)約20両が配備され、受領報告式が行なわれる。
2006年(平成18年)3月27日:即応近代化師団に改編される。本師団が政経中枢機構の警備に当たる師団であることから、より現代的な危機に対応するために、火砲(特科兵器)を縮小した一方でCQB・対NBC能力を強化している。
普通科連隊などに狙撃班を新編。- 第3特科連隊(姫路駐屯地、定員約1300名)は第3特科隊(定員約500名)に縮小。主要装備の155ミリ榴弾砲 FH70は定数を45門から20門に縮小。
- 化学防護部隊では、師団司令部付隊化学防護小隊(定員約20名)を師団直轄部隊として、第3特殊武器防護隊(定員約50名)に改編。
2011年(平成23年)3月15日:東北地方太平洋沖地震に伴う災害派遣部隊として、約500人、200車両からなる第3師団生活支援隊を編成[5]。隊長には第3後方支援連隊長の黒丸逸朗一等陸佐が補せられる[5]。
2018年(平成30年)6月18日:大阪府北部地震の発生に伴い、12時に大阪府知事から第3師団長に対して給水支援に係る災害派遣要請があったため、伊丹駐屯地第36普通科連隊・千僧駐屯地第3後方支援連隊から給水車を派遣した[6][7]。同月26日、大阪府知事から撤収要請を受けて全ての活動を終了した[6]。
編成・駐屯地
- 編成
- 第3師団司令部および同付隊
第7普通科連隊(5個普通科中隊基幹)
第36普通科連隊(5個普通科中隊基幹)
第37普通科連隊(5個普通科中隊基幹)
第3戦車大隊(2個戦車中隊基幹)- 第3偵察隊
- 第3特科隊
- 第3高射特科大隊
- 第3飛行隊
- 第3施設大隊
- 第3後方支援連隊
- 第3通信大隊
- 第3特殊武器防護隊
- 第3音楽隊
- 駐屯地
千僧駐屯地(兵庫県伊丹市)
- 第3師団司令部および同付隊
- 第3後方支援連隊
- 第3通信大隊
- 第3偵察隊
- 第3特殊武器防護隊
- 第3音楽隊
福知山駐屯地(京都府福知山市)
- 第7普通科連隊
伊丹駐屯地(兵庫県伊丹市)
- 第36普通科連隊
信太山駐屯地(大阪府和泉市)
- 第37普通科連隊
姫路駐屯地(兵庫県姫路市)
- 第3特科隊
- 第3高射特科大隊
今津駐屯地(滋賀県高島市)
- 第3戦車大隊
大久保駐屯地(京都府宇治市)
- 第3施設大隊
八尾駐屯地(八尾空港)(大阪府八尾市)
- 第3飛行隊
司令部
詳細は「司令部#陸上自衛隊の師団の司令部等の構成」を参照
主要幹部
官職名 | 階級 | 氏名 | 補職発令日 | 前職 |
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第3師団長 | 陸将 | 田中重伸 | 2017年12月20日 | 西部方面総監部幕僚長 兼 健軍駐屯地司令 |
副師団長 兼 千僧駐屯地司令 | 陸将補 | 関口勝則 | 2018年12月20日 | 統合幕僚学校副校長 |
幕僚長 | 1等陸佐 | 惠谷昇平 | 2017年08月01日 | 自衛隊滋賀地方協力本部長 |
代 | 氏名 | 在職期間 | 出身校・期 | 前職 | 後職 |
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第3管区総監 | |||||
01 | 大森寛 (警察監補) | 1950年12月29日 - 1954年06月30日 | 東京帝国大学 | 第1管区総監 | |
02 | 金山國治 | 1954年07月01日 - 1957年03月11日 | 東京帝国大学 | 保安隊幹部学校長 | 陸上幕僚監部所属 (防衛研修所派遣) →1957年8月16日 退職 |
03 | 杉田一次 | 1957年03月12日 - 1959年07月31日 | 陸士37期・ 陸大44期 | 陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐とん地司令 | 東部方面隊準備本部長 |
04 | 長谷部清 | 1959年08月01日 - 1962年01月17日 | 陸士40期・ 陸大47期 | 第10混成団長 | 第3師団長 |
第3師団長 | |||||
01 | 長谷部清 | 1962年01月18日 - 1962年07月31日 | 陸士40期・ 陸大47期 | 第3管区総監 | 陸上幕僚監部第5部長 |
02 | 山田正雄 | 1962年08月01日 - 1964年03月15日 | 東京帝国大学 | 第6管区総監 | 陸上幕僚監部第5部長 |
03 | 田中兼五郎 | 1964年03月16日 - 1965年03月15日 ※1964年07月01日 陸将昇任 | 陸士44期・ 陸大54期 | 陸上幕僚監部第3部長 (陸将補) | 陸上幕僚監部第5部長 |
04 | 大島輝之助 | 1965年03月16日 - 1968年03月13日 | 東京帝国大学 | 武器補給処長 兼 霞ヶ浦駐とん地司令 | 陸上幕僚監部第5部長 |
05 | 衣笠駿雄 | 1968年03月14日 - 1969年06月30日 ※1968年03月16日 陸将昇任 | 陸士48期・ 陸大55期 | 陸上幕僚監部第3部長 (陸将補) | 陸上幕僚副長 |
06 | 堀江正夫 | 1969年07月01日 - 1970年06月30日 | 陸士50期・ 陸大57期 | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ケ谷駐とん地司令 | 陸上幕僚監部第5部長 |
07 | 口野昌三 | 1970年07月01日 - 1972年03月16日 | 東京帝国大学 | 陸上自衛隊関西地区補給処長 兼 宇治駐とん地司令 | 退職 |
08 | 山次惟貞 | 1972年03月16日 - 1974年03月16日 | 陸士51期・ 陸大59期 | 陸上自衛隊施設学校長 兼 勝田駐とん地司令 | 退職 |
09 | 高品武彦 | 1974年03月16日 - 1975年03月16日 | 陸士54期 | 陸上幕僚監部第3部長 | 防衛大学校幹事 |
10 | 田中潔 | 1975年03月17日 - 1977年03月15日 | 陸士55期 | 東部方面総監部幕僚長 兼 市ヶ谷駐とん地司令 | 東北方面総監 |
11 | 松永明 | 1977年03月16日 - 1978年07月01日 | 陸経4期 | 武器補給処長 兼 霞ケ浦駐とん地司令 | 退職 |
12 | 林榮一郎 | 1978年07月01日 - 1979年07月31日 | 海兵74期 | 陸上幕僚監部調査部長 | 防衛大学校幹事 |
13 | 佐藤久美 | 1979年08月01日 - 1981年07月01日 | 陸士58期 | 東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐とん地司令 | 退職 |
14 | 横地光明 | 1981年07月01日 - 1983年03月15日 | 東京理科大学 | 陸上幕僚監部装備部長 | 陸上自衛隊富士学校長 兼 富士駐屯地司令 |
15 | 稲森友三郎 | 1983年03月16日 - 1984年07月01日 | 陸航士60期 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 退職 |
16 | 井上年弘 | 1984年07月01日 - 1986年03月16日 | 九州大学 | 陸上幕僚監部教育訓練部長 | 北部方面総監 |
17 | 多田利雄 | 1986年03月17日 - 1988年03月15日 | 徳島大学 | 東北方面総監部幕僚長 兼 仙台駐屯地司令 | 中部方面総監 |
18 | 深山明敏 | 1988年03月16日 - 1990年03月16日 | 防大1期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 | 退職 |
19 | 君嶋信 | 1990年03月16日 - 1991年03月15日 | 防大3期 | 第1特科団長 兼 北千歳駐屯地司令 | 陸上自衛隊幹部学校長 |
20 | 隈部正則 | 1991年03月16日 - 1993年06月30日 | 防大5期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 | 東北方面総監 |
21 | 浅井輝久 | 1993年07月01日 - 1995年03月23日 | 防大5期 | 陸上幕僚監部監察官 | 退職 |
22 | 山口賢介 | 1995年03月23日 - 1997年03月26日 | 防大7期 | 陸上自衛隊幹部候補生学校長 兼 前川原駐屯地司令 | 退職 |
23 | 千田稔 | 1997年03月26日 - 1998年07月01日 | 防大8期 | 防衛研究所副所長 | 退職 |
24 | 先崎一 | 1998年07月01日 - 1999年12月09日 | 防大12期 | 陸上幕僚監部人事部長 | 陸上幕僚副長 |
25 | 松川正昭 | 1999年12月10日 - 2001年03月26日 | 防大13期 | 北部方面総監部幕僚長 兼 札幌駐屯地司令 | 統合幕僚会議事務局長 |
26 | 小野寺平正 | 2001年03月27日 - 2002年03月22日 | 防大11期 | 第13旅団長 | 退職 |
27 | 林直人 | 2002年03月22日 - 2003年06月30日 | 防大15期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 陸上幕僚副長 |
28 | 椋木功 | 2003年07月01日 - 2005年01月11日 | 防大16期 | 統合幕僚会議事務局第3幕僚室長 | 情報本部長 |
29 | 五藤正美 | 2005年01月12日 - 2007年07月02日 | 防大16期 | 陸上自衛隊高射学校長 | 退職 |
30 | 関口泰一 | 2007年07月03日 - 2008年07月31日 | 防大20期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 |
31 | 長谷部洋一 | 2008年08月01日 - 2009年07月20日 | 防大20期 | 第12旅団長 | 陸上自衛隊幹部学校長 兼 目黒駐屯地司令 |
32 | 藤﨑護 | 2009年07月21日 - 2011年08月04日 | 防大22期 | 統合幕僚監部総務部長 | 中央即応集団司令官 |
33 | 番匠幸一郎 | 2011年08月05日 - 2012年07月25日 | 防大24期 | 陸上幕僚監部防衛部長 | 陸上幕僚副長 |
34 | 山下裕貴 | 2012年07月26日 - 2013年08月21日 | 大分工業大学[8] | 東部方面総監部幕僚長 兼 朝霞駐屯地司令 | 陸上幕僚副長 |
35 | 鈴木純治 | 2013年08月22日 - 2014年08月04日 | 防大26期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 | 陸上幕僚副長 |
36 | 小林茂 | 2014年08月05日 - 2015年08月03日 | 防大27期 | 第15旅団長 | 防衛大学校幹事 |
37 | 角南良児 | 2015年08月04日 - 2017年12月20日 | 防大27期 | 中部方面総監部幕僚長 兼 伊丹駐屯地司令 | 退職 |
38 | 田中重伸 | 2017年12月20日 - | 防大30期 | 西部方面総監部幕僚長 兼 健軍駐屯地司令 |
脚注
^ 戦車・重火砲などの野戦装備を縮小し、対テロ・対ゲリラ戦を重視して市街戦装備を優先させた師団
^ 武士、軍人、戦人の意。[1]
- ^ ab陸上自衛隊の60年史(3),佐野顕,スピアヘッド,第10号,P88-93,アルゴノート社,2011年
- ^ ab十八万十三個師団への道 檜六郎 『軍事研究』1985年4月号 P152-165 株式会社ジャパンミリタリー・レビュー
- ^ ab“東日本大震災:給水や入浴を支援 陸自180人と50車両が出発--伊丹 /兵庫”. 毎日新聞. (2011年3月16日). http://megalodon.jp/2011-0321-1714-28/mainichi.jp/area/hyogo/news/20110316ddlk28040387000c.html 2011年3月21日閲覧。
- ^ ab“大阪府北部を震源とする地震に係る災害派遣について(最終報)”. 防衛省 (2018年6月26日). 2018年7月18日閲覧。
^ “大阪府における給水支援に係る災害派遣について(20時00分現在) (PDF)”. 防衛省 (2018年6月18日). 2018年6月19日閲覧。
^ 昭和54年卒(防大23期相当)
外部リンク
- 第3師団
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