天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 | |
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開始年 | 1921年 |
主催 | 当項目を参照 |
参加チーム数 | 88 |
加盟国 | 日本 |
前回優勝 | セレッソ大阪(4回目) |
最多優勝 | 慶應義塾大学(9回[注釈 1]) |
サイト | 公式ウェブサイト |
第98回大会 |
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ジェイエフエイ ぜんにほん[1]サッカーせんしゅけんたいかい)は、日本のサッカーのカップ戦の1つである。
2017年大会までは天皇杯全日本サッカー選手権大会(てんのうはい ぜんにほんサッカーせんしゅけんたいかい)と称していた。
目次
1 概要
2 沿革
2.1 1921年-1940年(大会創設から戦前まで)
2.2 1946年-1971年(天皇杯授与、実業団時代への移行)
2.3 1972年-現在(天皇杯のオープン化)
2.4 中止となった大会
2.5 大会名変遷
3 開催方式
3.1 主催・主管団体
3.2 大会日程
3.3 試合会場
3.4 出場資格
3.4.1 シード出場チーム
3.4.2 都道府県代表チーム
3.4.3 出場資格の変遷
3.5 試合方式
4 結果
5 統計
5.1 通算成績
5.2 チーム別成績
5.3 Jリーグクラブ別成績
6 表彰
6.1 優勝チームへの特典
6.2 当大会の優勝により出場権を得られる大会
6.3 NHK杯
6.4 SURUGA I DREAM Award
7 その他
7.1 入場曲
7.2 会場
7.3 天皇杯への指摘
8 テレビ・ラジオ放送
9 注釈
10 出典
11 参考資料・文献
12 関連項目
13 外部リンク
概要
1921年に開始されたサッカーの日本選手権大会であり、日本サッカー協会チーム登録種別の第1種登録があれば基本的に予選に参加可能なオープントーナメントである。
Jリーグ(J1リーグ戦)、JリーグYBCルヴァンカップ(旧・ヤマザキナビスコカップ)と並ぶ、日本の国内3大タイトルの1つとされる[2]。2013年度(第93回)まで元日に国立霞ヶ丘陸上競技場にて決勝戦が開催され、サンケイスポーツなどは「正月の風物詩」と称していた[3]。
沿革
1921年-1940年(大会創設から戦前まで)
第1回大会は、大日本蹴球協會創設と同じ1921年に「ア式蹴球全國優勝競技會」の大会名で開催された[4] 。全日本選手権の開催とJFA創設の直接のきっかけとなったのは、1919年にイングランドのフットボール・アソシエーション(FA)から日本に贈られた銀杯(FAカップ)であった。この銀製トロフィーは全日本選手権の毎大会ごとのチャンピオンに与えられていたが、太平洋戦争(第二次世界大戦)の末期である1945年に金属の不足により強制供出されたため、現存していない[5] 。2011年に日本サッカー協会が創設90周年を記念してFA銀杯復刻を計画し、FAに復元の許諾を求めたところ、FA側から自ら制作し再度寄贈したいとの申し出があり、これによって66年ぶりにFA銀杯が復活し、天皇杯優勝チームに授与されることとなった[6]。
1921年9月10日に今村次吉の私邸で行われた大日本蹴球協會の第1回理事会において全国優勝競技会の概要が決められ、16日に発表された[7] 。第1回(1921年度)の予選は1921年9月から11月にかけて開催され、関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加した。11月後半に日比谷公園の芝生運動場で行われた全国決勝大会には、棄権した1チームを除いた3チームが参加し、東京蹴球団が初代チャンピオンとなった[8]。
第4回(1924年度)からの全日本選手権は、内務省の主催によりこの年から始まった総合スポーツ大会、明治神宮競技大会(明治神宮大会)のア式蹴球の部を兼ねるようになった。大会の運営はJFAが担当した[9]。
第6回(1926年度)は、内務省主催による明治神宮大会への学生の参加は認められないという横槍が文部省方面から入ったため、全日本選手権と明治神宮大会は切り離され、それぞれ別個の大会として開催される運びとなったが、結局第6回全日本選手権は大正天皇の崩御のため中止された[10][11]。第7回(1927年度)は再び学生の参加が許されたので明治神宮大会を兼ねる形に戻った[11] 。この年から明治神宮大会の開催ペースが毎年から隔年へ変更されたため、明治神宮大会のない年には独立して全日本選手権を行うようになった[10]。
この時代の全日本選手権の覇権を争ったチームはその多くが大学チームだった。大学のリーグ戦や東西対抗王座決定戦といった大会が始まり活況を呈するにつれ、大学チームは全国からチームが集まる全日本選手権よりも、レベルの高いチームが集まる大学リーグ戦に価値を置く姿勢へと変わっていった[11][12] 。たとえば第11回(1931年度)に優勝した東大LBは2軍チームであり、1軍はリーグ戦の開幕に向けた準備に専念していた[12] 。この第11回大会からは明治神宮大会のほか、全国地方対抗選手権も兼ねるようになった[10]。
1935年からは明治神宮大会とは別の新たな大会として、全日本総合選手権大会が始まった。この年以降は全日本総合選手権の優勝チームが全日本選手権の公式な歴代優勝チームとされている[13] 。FAカップ自体は依然として明治神宮大会の優勝チームに授与されており(1937年第9回大会まで)[5] 。全日本総合選手権の優勝チームには日本蹴球協会杯が与えられていた[14]。
1946年-1971年(天皇杯授与、実業団時代への移行)
戦後最初の全日本選手権となった第26回(1946年度)は「復興第1回全日本選手権大会」として行われ、関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームだけが5月5日の決勝大会に参加した[15]。
1947年4月3日の「東西対抗試合」(関東と関西の選抜チームによる当時の一大試合)は昭和天皇が観覧し、翌1948年7月にはJFAが宮内庁から天皇杯を拝受した。当初こそ天皇杯は東西対抗試合の勝者に贈呈されていたが、第31回(1951年度)から全日本選手権の優勝チームに贈呈されるようになり、大会名も現在の「天皇杯全日本サッカー選手権大会」へと変わった。
第40回大会(1960年度)には古河電工が実業団チームとして初めて優勝した。この後、大学チームの優勝は第46回(1966年度)の早稲田大学が最後となり、以降は実業団およびプロクラブが占めている。
第44回(1964年度)は、AリーグとBリーグ(それぞれ5チーム)の1位同士により決勝戦を行うという試みが実施された。八幡製鉄と古河電工の試合は延長を経てもなお決着が付かず、両チーム優勝扱いとなった。大会の歴史上、リーグ戦が導入されたことも、優勝チームが複数出たことも、この回が唯一になっている。
第47回(1967年度)までは開催時期・決勝会場地ともばらつきがあった[16]。藤枝市・藤枝東高や広島市・国泰寺高と高校のグラウンドで行われた年もある[16]。
元日の明治神宮に250万人の参拝客(当時)が来るので、初詣帰りの1%でも来てもらえないか、と当時の長沼健らサッカー協会の幹部が思案して[17][18]、第48回(1968年度)から年末開催とし、決勝戦を元日(1月1日)・国立霞ヶ丘陸上競技場に変更[17]。以降、決勝戦の元日国立競技場開催が定着した[16][19](国立での決勝戦開催はその第47回(1967年度)から 。なお天皇杯元日決勝実施(1969年1月1日)の前年・1968年にはNHK杯サッカーが開催された。当該項参照)。
1972年-現在(天皇杯のオープン化)
1965年の日本サッカーリーグ(JSL)の発足以降、天皇杯はJSLと全日本大学選手権のそれぞれ上位4チームが出場資格を得る方式になっていたが、大会のモデルとなったイングランドのFAカップのようなオープンカップを求める声の高まりもあり[20]、第52回(1972年度)からオープン化された。オープン化を実現できた要因としては、第48回(1968年度)から実施している元日決勝の興行的成功による財政面の安定があったという[20][21]。参加チーム数は第52回は75チーム、第53回(1973年度)は807チーム、第54回(1974年度)は1105チームと爆発的に増えていった[21]。
Jリーグ発足以後はプロチームとアマチュアチームが戦える大会となった。また、第76回から第94回までは第2種登録チーム(高校生年代)も出場資格があった。
第83回(2003年度)までは主に12月から元日に開催されていたが、翌第84回(2004年度)から大会日程を9月下旬からに大幅拡大し寒冷地で開催しづらかった北海道、東北、北信越(北陸・長野県・新潟県)地域でもより多くの試合がこなせるようになった。またこれまでJ1のチームは3回戦からのシード(かつホームゲーム主催権獲得)もあったが4回戦からに変更され、それに併せて第84回(2004年度)は原則3回戦勝ち抜けチームのホーム開催となる関係からJ1のチームはアウェーで天皇杯開幕を迎える形となった。スポーツ振興くじ(toto)を実施するため、第85回(2005年度)からJリーグも主催団体に加わった。
第84回(2004年度)から第91回(2011年度)までは、元日の天皇杯決勝の前座(アンダーカード)として、全日本女子サッカー選手権大会決勝戦を開催していた[22]。
中止となった大会
以下の回は開催前に大会自体が中止となっている。ただし、各種資料ではこれらの中止大会も含めて通算回数に含めている。
- 第6回大会(1926年)
大正天皇の病状悪化(その後、1926年12月25日崩御)のため自粛する形で中止[23]。- 第14回大会(1934年)
極東選手権競技大会のため中止[23]。他の競技大会のために中止になった唯一の例。- 第21回大会/第22回大会/第23回大会/第24回大会/第25回大会(1941年-1945年)
太平洋戦争のため諸行事中止[23]。- 第27回大会/第28回大会(1947年-1948年)
- 世情不安のため中止[23]。
大会名変遷
- 第1回 - 14回:ア式蹴球全国優勝競技会[24]
- 第15 - 20回:全日本蹴球選手権大会[14]
- 第26回:復興全日本蹴球選手権大会[15]
- 第29 - 30回:全日本サッカー選手権大会[25]
- 第31 - 51回:天皇杯全日本サッカー選手権大会[26]
- 第52 - 54回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(中央大会)[27]
- 第55 - 97回:天皇杯全日本サッカー選手権大会(決勝大会)[28]
- 第98回 - :天皇杯 JFA 第◯回全日本サッカー選手権大会[29]
開催方式
主催・主管団体
- 主催:公益財団法人日本サッカー協会[30]、公益社団法人日本プロサッカーリーグ[30](85回大会から)
- 共催:NHK[30]、共同通信社[30]、各開催会場の都道府県に所在する共同通信加盟新聞社(1回戦から準々決勝まで)[30]
- 主管:都道府県サッカー協会[30]
- 協賛
- JFA Youth & Development Official Partner:ナイキジャパン[30]、
- JFA Youth & Development Official Supporter:ニチバン[30]、明治[30]
- JFA Youth & Development Official Provider:モルテン[30]
- チーム強化費(賞金、税抜):優勝 1億5000万円、準優勝 5,000万円、第3位 2,000万円[30]
大会日程
元日決勝となった第48回(1968年度)以降、12月(または11月下旬)に開幕し元日に決勝を迎えるというスケジュールが定着していたが、北海道・東北・北陸といった寒冷地での開催を考慮して第84回(2004年度)以降は9月開幕が定着し、第93回(2013年度)以降は8月末の開幕となった。第94回(2014年度)は後述のように決勝戦が12月13日に繰り上げられたため7月開幕となった。第97回(2017年度)は4月開幕、第98回(2018年度)は5月開幕となる。
第84回(2004年度)から第89回(2009年度)までの大会の基本的な日程は、以下のとおりでほぼ固定されていた。第90回大会(2010年度)以降は、他の試合(Jリーグ・Jリーグカップ・JFLなど)の日程を勘案しながら、流動的に日程が組まれるようになり、1回戦から4回戦までの日程は毎年異なっている(準々決勝以降の日程はこれまでの日程をほぼ踏襲)。詳細は各大会の記事を参照のこと。
- 1回戦 - 敬老の日(9月第3月曜日)を含む週末(都道府県代表チーム、総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チームの出場)
- 2回戦 - 体育の日(10月第2月曜日)を含む週末(J1/J2チーム、JFLシードチームの出場)
- 3回戦 - 文化の日(11月3日)に至近の週末
- 4回戦 - 11月の第3土曜日あるいは12月の第1土曜日
- 5回戦(準々決勝) - 12月23日前後
- 6回戦(準決勝) - 12月29日
- 7回戦(決勝) - 翌年1月1日
なお、Jリーグ・Jリーグカップ・JFLやAFCチャンピオンズリーグ・FIFAクラブワールドカップと日程が重複または近接する場合には、当該試合に関わるチームの天皇杯の試合は予備日(基本的に当該試合日の翌水曜日または翌土曜日)に開催される。
日程配分に関しては、日本サッカー協会の天皇杯開催規程第9条[31] において「本大会の開催期日については、原則として開催前年度の実施委員会にて決定する。ただし決勝は1月1日とする」と規定されていたが、第94回大会(2014年度)は、サッカー日本代表が出場を予定しているAFCアジアカップ2015(オーストラリア)が2015年1月に開催され、その代表チーム強化期間の観点から、2014年12月13日に決勝を繰り上げることが決まった。ただし、開催日の前倒し処置はこの第94回限定のもので、2015年(第95回)以後は再び翌年元日に決勝戦を行うことにしている[32]。これにより天皇杯開催規程第9条の「決勝は1月1日とする」の箇所は削除されている。第98回大会(2018年度)もサッカー日本代表が出場を予定しているAFCアジアカップ2019(アラブ首長国連邦)が2019年1月に開催され、その代表チームの休養期間を確保する観点から、同年12月24日(のちに12月9日に変更)に決勝を繰り上げることが決まった。
スポーツ振興くじ(toto)の発売は、2回戦から準決勝までのJリーグ同士の対戦があった場合に限り発売される(試合により発売されない券種や発売方式が変更になる券種もある)。
試合会場
それぞれの試合は都道府県サッカー協会が主管することもあり、都道府県サッカー協会の意向を踏まえて決定される。Jリーグクラブがホーム側となる試合では各Jリーグクラブのホームスタジアム(または準ホームスタジアム)で開催されることが多いが、広島県協会のように初戦はホームスタジアムでの開催を避けるケース[注釈 2] もある。2017年の第97回大会からは、3回戦以降準々決勝までは、原則として下位カテゴリのチームが所属する都道府県の会場を優先して開催することになっている[33]。
決勝戦は、第48回大会から第93回大会までは国立霞ヶ丘陸上競技場(東京都新宿区)での開催が固定されてきたが、新国立競技場への施設建て替え工事に伴い使用できなくなり(旧競技場本体は2015年に解体された[34])、以降は希望する都道府県協会の立候補を受け付け、日本サッカー協会が理事会で審議する形となっている(詳細な経緯については第94回大会の記事を参照)。これに伴い、第94回大会以降の決勝戦は以下のように割り当てられている。
- 第94回大会:日産スタジアム(神奈川県横浜市)[35]
第95回大会:味の素スタジアム(東京都調布市)[36]
第96回大会:市立吹田サッカースタジアム(大阪府吹田市)[37]
- 第97回大会・第98回大会:埼玉スタジアム2002(埼玉県さいたま市)[38]
なお、第99回大会の決勝は(新)国立競技場での開催(開場後初のスポーツイベントとしての開催)となることが発表されている[39]。
出場資格
本大会に出場できるのはシード出場チームと各都道府県代表47チームが出場する。第95回(2014年度)は全88チームが出場する。
シード出場チーム
シード枠の選考基準はJリーグが2部制となった第79回大会(1999年度)以降基本的に同じであるが、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)加盟クラブ数の増に伴ってチーム数ならびに登場試合の異動が発生している。また、Jリーグ(J1・J2)チームが40チームとなった第92回以降はほぼ毎年シード枠対象に異動が生じている
J1リーグに所属する全チーム
- 第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は前年成績により4回戦(ACL出場チーム)・2回戦(ACL不出場の前年J1チーム及び前年J2優勝チーム)・1回戦(前年J2・2位以下)から出場
J2リーグに所属する全チーム
- 第94回までと第97回以降は2回戦から、第95回・第96回は1回戦から出場
- 以下のいずれかに該当する「アマチュアシードチーム」
日本フットボールリーグ(JFL)上位チーム(第94回・第96回・第98回大会以外。第91回までは2回戦から、第92回以降は1回戦から出場)
- 第90回大会まで及び第92・93回大会は前期リーグ戦終了時の上位チーム
- 第91回大会では同年のJFLの前期リーグ戦第7節から各チームの11試合終了時の上位チーム
- 第95回大会では同年のJFLファーストステージ終了時の最上位チーム。
- 第97回大会では「JFLからの推薦チーム」
- 前回大会のアマチュアカテゴリー(J1・J2以外)における最優秀成績チーム(第94回大会。1回戦から出場)
全日本大学サッカー選手権大会優勝チーム(第96回・第98回大会。1回戦から出場)
総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント優勝チーム(第91回まで。1回戦から出場)
高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チーム(第83回まで。1回戦から出場)
都道府県代表チーム
原則として地区予選を兼ねる各都道府県大会(J3リーグ以下に参加しているチームを対象とする)の優勝チームまたは代表決定戦の勝利チームが本大会への出場権を得る。ただし、優勝チームが上記のシード枠での本大会出場となる場合は準優勝チームが繰り上がる(例:第81回の長崎大学)。第94回(2014年)までは高校・ユース世代(第2種登録チーム)の参加も認められていたが、規約の改正に伴い第2種登録チームの参加が第95回大会から認められなくなった[38]。
各都道府県予選を兼ねる地方大会は次の通り。なお、「チーム数」欄は2013年時点のJFA登録チーム数[40] であり、上述の理由からこの全チームが各都道府県予選の参加資格を有するわけではないことに留意のこと。
都道府県 | 大会 | チーム数 (2013年) | 備考 |
---|---|---|---|
北海道 | 知事杯全道サッカー選手権大会 | 1,666 | |
青森県 | NHK杯青森県サッカー選手権大会 | 317 | |
岩手県 | 岩手県サッカー選手権大会 | 327 | |
宮城県 | NHK杯・河北杯争奪宮城県サッカー選手権大会 | 590 | 77 |
秋田県 | 秋田県総合サッカー選手権大会 | 209 | |
山形県 | 山形県サッカー総合選手権大会 | 316 | 77 |
福島県 | 福島民報杯・NHK杯福島県サッカー選手権大会 | 440 | 76 |
茨城県 | 茨城県サッカー選手権大会 | 743 | 78 |
栃木県 | 栃木トヨタカップ栃木県サッカー選手権大会 | 574 | 76 |
群馬県 | 群馬県サッカー協会長杯サッカー大会 | 541 | 76 |
埼玉県 | 彩の国カップ埼玉県サッカー選手権大会 | 1,712 | 76 |
千葉県 | 千葉県サッカー選手権大会 | 1,104 | 76 |
東京都 | 東京都サッカートーナメント | 2,174 | 76 |
神奈川県 | 神奈川県サッカー選手権大会 | 1,412 | 76 |
山梨県 | 山梨県サッカー選手権大会 | 245 | 76 |
長野県 | 長野県サッカー選手権大会 | 573 | 76 |
新潟県 | 新潟日報杯・NHK杯・共同通信杯新潟県サッカー選手権大会 | 491 | 76 |
富山県 | 富山県サッカー選手権大会 | 294 | 76 |
石川県 | 石川県サッカー選手権大会 | 283 | 77 |
福井県 | 福井県サッカー選手権大会 | 232 | 76 |
静岡県 | スルガカップ争奪静岡県サッカー選手権大会 | 1,180 | 76 |
愛知県 | 愛知県サッカー選手権大会 | 1,110 | 76 |
三重県 | 三重県サッカー選手権大会 | 426 | 76 |
岐阜県 | 岐阜県サッカー選手権大会 | 478 | 76 |
滋賀県 | 滋賀県サッカー選手権大会(SHIGA FA CUP) | 353 | 76 |
京都府 | 京都FAカップ京都サッカー選手権大会 | 627 | 76 |
大阪府 | 大阪サッカー選手権大会 | 1,185 | 76 |
兵庫県 | 兵庫県サッカー選手権大会 | 1,317 | 78 |
奈良県 | 奈良県サッカー選手権大会代表決定戦 | 276 | 76 |
和歌山県 | 和歌山県サッカー選手権大会 | 228 | 76 |
鳥取県 | 鳥取県サッカー選手権・決勝大会 | 215 | 76 |
島根県 | 島根県サッカー選手権大会 | 218 | 76 |
岡山県 | 岡山県サッカー選手権大会 | 479 | |
広島県 | 全広島サッカー選手権大会決勝大会 | 624 | 76 |
山口県 | 山口県サッカー選手権大会 | 356 | 76 |
香川県 | 香川県サッカー選手権大会 | 253 | 76 |
徳島県 | 徳島県サッカー選手権大会 | 267 | 76 |
愛媛県 | 愛媛県サッカー選手権大会 | 386 | 76 |
高知県 | 高知県サッカー選手権大会 | 229 | 76 |
福岡県 | 福岡県サッカー選手権大会 | 925 | 77 |
佐賀県 | 佐賀県サッカー選手権大会 | 309 | 76 |
長崎県 | 長崎県サッカー選手権大会 | 433 | |
熊本県 | NHK杯熊本県サッカー選手権大会 | 581 | 77 |
大分県 | 大分県サッカー選手権大会決勝トーナメント大会 | 397 | 76 |
宮崎県 | 宮日旗・NHK杯宮崎県サッカー選手権大会 | 341 | 77 |
鹿児島県 | 鹿児島県サッカー選手権大会 | 626 | |
沖縄県 | タイムス杯争奪沖縄県サッカー選手権大会 | 459 | 76 |
- 印なしの大会は、都道府県代表制が採用される前から開催されており、天皇杯予選を兼ねている大会。
- 都道府県代表制導入後に新設された大会は、その回の数字で表す。都道府県代表制は第76回に導入された。
出場資格の変遷
- 第1回(1921年)- :東部/中部/近畿・四国/中国・九州の各代表4チームに出場権。
- 第5回(1925年)- :東京と九州代表が初参加し6チームに出場権。以後、予選の変更や大会の拡大と縮小をくり返し3~8チームに出場権。
- 第26回(1946年):終戦後の混乱の中、関東代表と関西代表による2チームに出場権。
- 第29回(1949年):関東/中部/関西/中国/九州の各代表5チームに出場権。
- 第30回(1950年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表の全16チームに出場権。ただし北海道と東北代表チームは辞退した。
- 第31回(1951年):北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全14チームに出場権。
- 第32回(1952年)- :北海道から九州までの各地区代表と開催地代表を含む協会推薦の全16チームに出場権。
- 第43回(1963年):協会推薦を含む7チームに出場権。
- 第44回(1964年):実業団および学生(前回優勝を含む)上位各5チームに出場権。唯一、ノックアウトトーナメントを採用しなかった。
- 第45回(1965年)- :日本サッカーリーグ(JSL)および全日本大学サッカー選手権大会の上位各4チームに出場権。
- 第52回(1972年):オープン化し、JSL1部所属チームおよび9地域代表の全24チームに出場権。
- 第53回(1973年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全26チームに拡大。予選が都道府県大会からになる。
- 第57回(1977年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全28チームに拡大(後述する第60回記念大会を除く)。
- 第60回(1980年):記念大会としてJSL2部の首位チームと総理大臣杯大学サッカー優勝チームを加え30チームに拡大。
- 第64回(1984年)- :JSL1部所属チームおよび9地域代表の全32チームに拡大。
- 第72回(1992年)- :日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)所属チームおよび9地域代表の全32チームに出場権。出場チーム数は変わらず。
- 第76回(1996年):Jリーグ所属チーム(16チーム)、ジャパンフットボールリーグ上位11チームと関東大学連盟上位4チーム、関西学生連盟上位2チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。第2種チームの都道府県予選への出場が可能になる。
- 第77回(1997年):Jリーグ所属チーム1増(17チーム)につき全81チームに拡大。
- 第78回(1998年):Jリーグ所属チーム1増(18チーム)につき全82チームに拡大。
- 第79回(1999年):Jリーグ所属チーム(J1/J2全26チーム)、日本フットボールリーグ(JFL)上位3チームと総理大臣杯大学サッカー上位3チーム、高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームおよび47都道府県代表の全80チームに出場権。
- 第80回(2000年):Jリーグ所属チーム1増(27チーム)に伴い総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
- 第81回(2001年)- :Jリーグ所属チーム1増(28チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
- 第84回(2004年):高円宮杯全日本ユースサッカー優勝チームの代わりにJFL代表枠を上位3チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
- 第85回(2005年):Jリーグ所属チーム2増(30チーム)に伴いJFL代表枠を上位2チーム、総理大臣杯大学サッカー代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。また、Jリーグ同士の試合に限りスポーツ振興くじの販売を開始した。
- 第86回(2006年)- :Jリーグ所属チーム1増(31チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更(全出場チーム数は80チーム)。
- 第88回(2008年):Jリーグ所属チーム2増(33チーム)につき全82チームに拡大。
- 第89回(2009年):Jリーグ所属チーム3増(36チーム)およびJFL代表枠を上位4チームに変更につき全88チームに拡大(以後総枠に変更なし)。
- 第90回(2010年):Jリーグ所属チーム1増(37チーム)につきJFL代表枠を上位3チームに変更。
- 第91回(2011年):Jリーグ所属チーム1増(38チーム)につきJFL代表枠を上位2チームに変更。また、東日本大震災の影響で宮城県は代表決定戦を行なわず、宮城県協会推薦チームが出場。
- 第92回(2012年):Jリーグ所属チーム2増(40チーム)に伴いJFL代表枠を上位1チームに変更。総理大臣杯大学サッカー代表枠が廃止。
- 第94回(2014年): アマチュアシード枠(JFL代表枠)を「前回大会 アマチュアカテゴリー最優秀成績チーム」とする。
- 第95回(2015年): アマチュアシード枠を「JFL代表」とする。参加要件が第1種登録チームに限定。
- 第96回(2016年): アマチュアシード枠を「全日本大学サッカー選手権大会優勝チーム」とする。
- 第97回(2017年): アマチュアシード枠を「JFL代表」(JFLからの推薦)とする。
試合方式
試合は45分ハーフの計90分で行い決着がつかない場合は当初抽選によって勝ち上がりチームを決定していたが、その後PK戦を導入。第75回(1995年)までは延長戦を行わずにPK戦で勝ち上がりチームを決定する方式(決勝戦のみ15分ハーフの延長戦を行い、その後PK戦)となる。第76回(1996年)からは全ての試合においてVゴール方式の延長戦を行い、その後PK戦を行う方式に変更された。そして第85回(2005年)からはVゴール方式を廃止し延長戦の前後半15分ずつを必ず最後まで行う方式に変更され、現在に至っている。
現在の試合球はアディダス製「ジャブラニ」をベースにした、ロゴマークと同様に白地に赤い桜の花びらを散らした専用デザインのもの。これは第90回(2010年)の決勝以降で使われている。
結果
回 | 年度 | 優勝 | 結果 | 準優勝 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1 | 1921年 | 東京蹴球団 | 1 - 0 | 御影蹴球団 | |
2 | 1922年 | 名古屋蹴球団 | 1 - 0 | 広島高師 | |
3 | 1923年 | アストラ・クラブ | 2 - 1 | 名古屋蹴球団 | 大正関東地震(関東大震災)の影響で1924年2月に開催。 |
4 | 1924年 | 広島一中鯉城クラブ | 1 - 0 | 全御影師範クラブ | 第1回明治神宮大会を兼ねる。 |
5 | 1925年 | 鯉城蹴球団 | 3 - 0 | 東京帝国大学 | 第2回明治神宮大会を兼ねる。 |
1926年(第6回)は大正天皇崩御のため中止[23]。 | |||||
7 | 1927年 | 神戸一中クラブ | 2 - 0 | 鯉城クラブ | 第4回明治神宮大会を兼ねる。 |
8 | 1928年 | 早大WMW | 6 - 1 | 京都帝国大学 | |
9 | 1929年 | 関学クラブ | 3 - 0 | 法政大学 | 第5回明治神宮大会を兼ねる。 |
10 | 1930年 | 関学クラブ | 3 - 0 | 慶應BRB | 1931年5月に開催。 |
11 | 1931年 | 東京帝大LB | 5 - 1 | 興文中学 | 第6回明治神宮大会、第1回全国地方対抗を兼ねる。 |
12 | 1932年 | 慶應クラブ | 5 - 1 | 芳野クラブ | 第2回全国地方対抗を兼ねる。 |
13 | 1933年 | 東京OBクラブ | 4 - 1 | 仙台サッカークラブ | 第7回明治神宮大会、第3回全国地方大会を兼ねる。 |
1934年(第14回)は極東選手権への準備のため中止[23]。 | |||||
15 | 1935年 | 全京城蹴球団 | 6 - 1 | 東京文理科大学 | 第1回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
16 | 1936年 | 慶應BRB | 3 - 2 | 普成専門 | 第2回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
17 | 1937年 | 慶應義塾大学 | 3 - 0 | 神戸商業大学 | 第3回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
18 | 1938年 | 早稲田大学 | 4 - 1 | 慶應義塾大学 | 第4回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
19 | 1939年 | 慶應BRB | 3 - 2 aet | 早稲田大学 | 第5回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
20 | 1940年 | 慶應BRB | 1 - 0 | 早大WMW | 第6回全日本総合選手権を兼ねて開催される。 |
1941年(第21回)から1945年(第25回)は太平洋戦争のため諸行事中止[23]。 | |||||
26 | 1946年 | 東大LB | 6 - 2 | 神経大クラブ | |
1947年(第27回)および1948年(第28回)は世情不安のため中止[23]。 | |||||
29 | 1949年 | 東大LB | 5 - 2 | 関大クラブ | |
30 | 1950年 | 全関学 | 6 - 1 | 慶應義塾大学 | |
31 | 1951年 | 慶應BRB | 3 - 2 aet | 大阪クラブ | この回より天皇杯が授与。 |
32 | 1952年 | 全慶應 | 6 - 2 | 大阪クラブ | |
33 | 1953年 | 全関学 | 5 - 4 aet | 大阪クラブ | |
34 | 1954年 | 慶應BRB | 5 - 3 aet | 東洋工業 | |
35 | 1955年 | 全関学 | 4 - 3 | 中大クラブ | |
36 | 1956年 | 慶應BRB | 4 - 2 | 八幡製鉄 | |
37 | 1957年 | 中大クラブ | 2 - 1 | 東洋工業 | |
38 | 1958年 | 関学クラブ | 2 - 1 | 八幡製鉄 | |
39 | 1959年 | 関学クラブ | 1 - 0 | 中央大学 | |
40 | 1960年 | 古河電工 | 4 - 0 | 慶應BRB | |
41 | 1961年 | 古河電工 | 3 - 2 | 中央大学 | |
42 | 1962年 | 中央大学 | 2 - 1 | 古河電工 | |
43 | 1963年 | 早稲田大学 | 3 - 0 | 日立製作所 | 第22回朝日招待サッカーを兼ねる。 |
44 | 1964年 | 八幡製鉄 古河電工 | 0 - 0 aet | 両チーム優勝。 第23回朝日招待サッカーを兼ねる。 | |
45 | 1965年 | 東洋工業 | 3 - 2 | 八幡製鉄 | |
46 | 1966年 | 早稲田大学 | 3 - 2 aet | 東洋工業 | |
47 | 1967年 | 東洋工業 | 1 - 0 | 三菱重工 | |
48 | 1968年 | ヤンマー | 1 - 0 | 三菱重工 | この回より決勝戦が1月1日に設定。 |
49 | 1969年 | 東洋工業 | 4 - 1 | 立教大学 | |
50 | 1970年 | ヤンマー | 2 - 1 aet | 東洋工業 | |
51 | 1971年 | 三菱重工 | 3 - 1 | ヤンマー | |
52 | 1972年 | 日立製作所 | 2 - 1 | ヤンマー | 大会のオープン化 |
53 | 1973年 | 三菱重工 | 2 - 1 | 日立製作所 | |
54 | 1974年 | ヤンマー | 2 - 1 | 永大産業 | |
55 | 1975年 | 日立製作所 | 2 - 0 | フジタ工業 | |
56 | 1976年 | 古河電工 | 4 - 1 | ヤンマー | |
57 | 1977年 | フジタ工業 | 4 - 1 | ヤンマー | |
58 | 1978年 | 三菱重工 | 1 - 0 | 東洋工業 | |
59 | 1979年 | フジタ工業 | 2 - 1 | 三菱重工 | |
60 | 1980年 | 三菱重工 | 1 - 0 | 田辺製薬 | |
61 | 1981年 | 日本鋼管 | 2 - 0 | 読売クラブ | |
62 | 1982年 | ヤマハ発動機 | 1 - 0 aet | フジタ工業 | |
63 | 1983年 | 日産自動車 | 2 - 0 | ヤンマー | |
64 | 1984年 | 読売クラブ | 2 - 0 | 古河電工 | |
65 | 1985年 | 日産自動車 | 2 - 0 | フジタ工業 | |
66 | 1986年 | 読売クラブ | 2 - 1 | 日本鋼管 | |
67 | 1987年 | 読売クラブ | 2 - 0 | マツダSC | |
68 | 1988年 | 日産自動車 | 3 - 1 aet | フジタ工業 | |
69 | 1989年 | 日産自動車 | 3 - 2 | ヤマハ発動機 | |
70 | 1990年 | 松下電器 | 0 - 0 aet (PK 4 - 3) | 日産自動車 | |
71 | 1991年 | 日産自動車 | 4 - 1 aet | 読売クラブ | |
72 | 1992年 | 日産FC横浜マリノス | 2 - 1 aet | ヴェルディ川崎 | |
73 | 1993年 | 横浜フリューゲルス | 6 - 2 aet | 鹿島アントラーズ | |
74 | 1994年 | ベルマーレ平塚 | 2 - 0 | セレッソ大阪 | |
75 | 1995年 | 名古屋グランパスエイト | 3 - 0 | サンフレッチェ広島 | |
76 | 1996年 | ヴェルディ川崎 | 3 - 0 | サンフレッチェ広島 | |
77 | 1997年 | 鹿島アントラーズ | 3 - 0 | 横浜フリューゲルス | |
78 | 1998年 | 横浜フリューゲルス | 2 - 1 | 清水エスパルス | |
79 | 1999年 | 名古屋グランパスエイト | 2 - 0 | サンフレッチェ広島 | |
80 | 2000年 | 鹿島アントラーズ | 3 - 2 VG | 清水エスパルス | |
81 | 2001年 | 清水エスパルス | 3 - 2 VG | セレッソ大阪 | |
82 | 2002年 | 京都パープルサンガ | 2 - 1 | 鹿島アントラーズ | |
83 | 2003年 | ジュビロ磐田 | 1 - 0 | セレッソ大阪 | |
84 | 2004年 | 東京ヴェルディ1969 | 2 - 1 | ジュビロ磐田 | |
85 | 2005年 | 浦和レッズ | 2 - 1 | 清水エスパルス | |
86 | 2006年 | 浦和レッズ | 1 - 0 | ガンバ大阪 | |
87 | 2007年 | 鹿島アントラーズ | 2 - 0 | サンフレッチェ広島 | |
88 | 2008年 | ガンバ大阪 | 1 - 0 aet | 柏レイソル | |
89 | 2009年 | ガンバ大阪 | 4 - 1 | 名古屋グランパス | |
90 | 2010年 | 鹿島アントラーズ | 2 - 1 | 清水エスパルス | |
91 | 2011年 | FC東京 | 4 - 2 | 京都サンガF.C. | |
92 | 2012年 | 柏レイソル | 1 - 0 | ガンバ大阪 | |
93 | 2013年 | 横浜F・マリノス | 2 - 0 | サンフレッチェ広島 | 国立霞ヶ丘陸上競技場での最後の決勝戦。 |
94 | 2014年 | ガンバ大阪 | 3 - 1 | モンテディオ山形 | 47大会ぶりに元日以外の決勝開催。 |
95 | 2015年 | ガンバ大阪 | 2 - 1 | 浦和レッズ | 2大会ぶりに元日に決勝開催。 |
96 | 2016年 | 鹿島アントラーズ | 2 - 1 aet | 川崎フロンターレ | 56大会ぶりに大阪での決勝開催。 |
97 | 2017年 | セレッソ大阪 | 2 - 1 aet | 横浜F・マリノス | 61大会ぶりに埼玉での決勝開催。過密日程解消の為4月開幕 |
統計
通算成績
チーム別成績
- 現存するチームは現在のチーム名を表記し、廃部したチームはその当時のチーム名を表記する。
- 大学関連チームの成績は、複数の文献の記述[41]に基づき、現役学生のみで構成されたチームの成績と、学生・OB混成チームの成績を包括して表記する。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に所属するクラブの成績は、前身組織の成績も含める。
チーム名 | 優 | 準 | 優勝年度 | 準優勝年度 |
---|---|---|---|---|
慶應義塾大学(慶應BRB, 慶應クラブ, 全慶應) | 9 | 4 | 1932, 1936, 1937, 1939, 1940, 1951, 1952, 1954, 1956 | 1930, 1938, 1950, 1960 |
横浜F・マリノス(日産自動車) | 7 | 2 | 1983, 1985, 1988, 1989, 1991, 1992, 2013 | 1990, 2017 |
関西学院大学(関学クラブ, 全関学) | 7 | 0 | 1929, 1930, 1950, 1953, 1955, 1958, 1959 | |
浦和レッズ(三菱重工) | 6 | 4 | 1971, 1973, 1978, 1980, 2005, 2006 | 1967, 1968, 1979, 2015 |
東京ヴェルディ(読売クラブ) | 5 | 3 | 1984, 1986, 1987, 1996, 2004 | 1981, 1991, 1992 |
ガンバ大阪(松下電器) | 5 | 2 | 1990, 2008, 2009, 2014, 2015 | 2006, 2012 |
鹿島アントラーズ | 5 | 2 | 1997, 2000, 2007, 2010, 2016 | 1993, 2002 |
セレッソ大阪(ヤンマー) | 4 | 8 | 1968, 1970, 1974, 2017 | 1971, 1972, 1976, 1977, 1983, 1994, 2001, 2003 |
早稲田大学(早大WMW) | 4 | 2 | 1928, 1938, 1963, 1966 | 1939, 1940 |
ジェフユナイテッド千葉(古河電工) | 4 | 2 | 1960, 1961, 1964, 1976 | 1962, 1984 |
サンフレッチェ広島(東洋工業) | 3 | 11 | 1965, 1967, 1969 | 1954, 1957, 1966, 1970, 1978, 1987, 1995, 1996, 1999, 2007, 2013 |
湘南ベルマーレ(フジタ) | 3 | 4 | 1977, 1979, 1994 | 1975, 1982, 1985, 1988 |
柏レイソル(日立製作所) | 3 | 3 | 1972, 1975, 2012 | 1963, 1973, 2008 |
東京大学(東京帝大LB, 東大LB) | 3 | 1 | 1931, 1946, 1949 | 1925 |
中央大学(中大クラブ) | 2 | 3 | 1957, 1962 | 1955, 1959, 1961 |
ジュビロ磐田(ヤマハ発動機) | 2 | 2 | 1982, 2003 | 1989, 2004 |
鯉城蹴球団 | 2 | 1 | 1924, 1925 | 1927 |
横浜フリューゲルス | 2 | 1 | 1993, 1998 | 1997 |
名古屋グランパス | 2 | 1 | 1995, 1999 | 2009 |
清水エスパルス | 1 | 4 | 2001 | 1998, 2000, 2005, 2010 |
新日鐵八幡 | 1 | 3 | 1964 | 1956, 1958, 1965 |
名古屋蹴球団 | 1 | 1 | 1922 | 1923 |
NKK | 1 | 1 | 1981 | 1986 |
京都サンガF.C. | 1 | 1 | 2002 | 2011 |
東京蹴球団 | 1 | 0 | 1921 | |
アストラ・クラブ | 1 | 0 | 1923 | |
神戸一中クラブ | 1 | 0 | 1927 | |
東京OBクラブ | 1 | 0 | 1933 | |
全京城蹴球団 | 1 | 0 | 1935 | |
FC東京 | 1 | 0 | 2011 | |
大阪クラブ | 0 | 3 | 1951, 1952, 1953 | |
神戸経済大学 | 0 | 2 | 1937, 1946 | |
御影蹴球団 | 0 | 1 | 1921 | |
広島高師 | 0 | 1 | 1922 | |
全御影師範クラブ | 0 | 1 | 1924 | |
京都大学 | 0 | 1 | 1928 | |
法政大学 | 0 | 1 | 1929 | |
興文中学 | 0 | 1 | 1931 | |
芳野クラブ | 0 | 1 | 1932 | |
仙台サッカークラブ | 0 | 1 | 1933 | |
筑波大学 | 0 | 1 | 1935 | |
高麗大学校 | 0 | 1 | 1936 | |
関西大学 | 0 | 1 | 1949 | |
立教大学 | 0 | 1 | 1969 | |
永大産業 | 0 | 1 | 1974 | |
田辺三菱製薬 | 0 | 1 | 1980 | |
モンテディオ山形 | 0 | 1 | 2014 | |
川崎フロンターレ | 0 | 1 | 2016 |
Jリーグクラブ別成績
この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(2017年5月) |
- 注:Jリーグ所属のクラブが参加した1992年度以降の成績のみ表記し、前身組織の成績は含めない。
クラブ名 | 優 | 準 | 優勝年度 | 準優勝年度 |
---|---|---|---|---|
鹿島アントラーズ | 5 | 2 | 1997,2000,2007,2010,2016 | 1993,2002 |
ガンバ大阪 | 4 | 2 | 2008,2009,2014,2015 | 2006,2012 |
横浜F・マリノス | 2 | 1 | 1992,2013 | 2017 |
横浜フリューゲルス | 2 | 1 | 1993,1998 | 1997 |
名古屋グランパス | 2 | 1 | 1995,1999 | 2009 |
東京ヴェルディ | 2 | 1 | 1996,2004 | 1992 |
浦和レッズ | 2 | 1 | 2005,2006 | 2015 |
清水エスパルス | 1 | 4 | 2001 | 1998,2000,2005,2010 |
セレッソ大阪 | 1 | 3 | 2017 | 1994,2001,2003 |
京都サンガF.C. | 1 | 1 | 2002 | 2011 |
ジュビロ磐田 | 1 | 1 | 2003 | 2004 |
柏レイソル | 1 | 1 | 2012 | 2008 |
湘南ベルマーレ | 1 | 0 | 1994 | |
FC東京 | 1 | 0 | 2011 | |
サンフレッチェ広島 | 0 | 5 | 1995,1996,1999,2007,2013 | |
モンテディオ山形 | 0 | 1 | 2014 | |
川崎フロンターレ | 0 | 1 | 2016 |
表彰
優勝チームへの特典
優勝チームには賞状[注釈 3]、優勝メダル、チーム強化費として1億円(税別、2016年大会)、天皇杯(第31回以降)の他にNHK杯(第48回以降)、共同通信杯、JOC杯、ドイツ杯(第85回以降)、FAシルバーカップ(第91回以降)[42]、JFA杯(第95回以降) が試合終了後、メインスタンドの貴賓席付近で行う表彰式で贈られる。
Jリーグ発足後の第72回から全日本選手権チーム(チャンピオンチーム)の証として天皇杯優勝チームマーク(天皇杯チャンピオンマーク)が授与され、翌シーズンのユニフォームに付けることができる[43]。このマークは第88回大会までは日本サッカー協会のシンボルマークであるヤタガラスをモチーフに、上部に天皇杯の英名である「Emperor's Cup」の頭文字である「E」の文字をあしらったオリジナルデザインのエンブレムが使用されていたが、第89回大会より桜の花弁をあしらった天皇杯シンボルマークの下部に「Emperor's Cup WINNERS」の文字をくわえたデザインに改められた[43][44]。
2008年まではJリーグのリーグ戦ユニフォームに天皇杯優勝チームマークをつける規定があった[45] が、2009年以降はこの規定がなくなっている[46]。2012年の第92回大会では、前年度優勝のFC東京が天皇杯用ユニフォームのみ天皇杯優勝チームマークをつけた[47]。
当大会の優勝により出場権を得られる大会
優勝チームは全日本選手権チームとして、翌シーズンのゼロックス杯とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)の出場資格を得る。なお、AFCチャンピオンズリーグ創設前の第69回(1989年度)から第80回(2000年度)までは、優勝チームはアジアカップウィナーズカップの出場権を得るものとされていた(アジアの大会における日本のサッカークラブも参照)。
なお、優勝チームが同シーズンのJ1リーグも優勝している場合には、ゼロックス杯には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がり、出場権が与えられる。また、同シーズンJ1リーグ3位までのチームが優勝チームだった場合はACLには同シーズンJ1リーグ4位チームが繰り上がり出場権が与えられる。第87回(2007年度)までは、ゼロックス杯は天皇杯の準優勝チームが繰り上がっていた。またACLは第86回(2006年度)までの優勝チームが翌々シーズンの出場権を得ることになっており、優勝チームが翌シーズンのJ1リーグで優勝した場合には同シーズンJ1リーグ2位チームが繰り上がっていた(2008年までの日本からのACL出場枠は2チーム)。
なお、この以前の方式では優勝チームが翌年にJ2へ降格した場合はACL出場権が剥奪されることになっていたが、この規定が適用されたことはなかった。第82回(2002年度)の天皇杯を制した京都パープルサンガ(2003年にJ2降格)は当時のACLの日程変更上の過渡期でもあったため元々出場権がなく、第84回(2004年度)優勝の東京ヴェルディ1969(2005年にJ2降格)は、クラブ側の「J2に降格した場合でも出場したい」という意向により出場が認められた。また、第87回(2007年度)の優勝チームである鹿島アントラーズは、当大会からの出場権授与の変更により、天皇杯優勝によるACL出場資格を得られなかった(前年までのレギュレーションであれば2009年のACL出場資格を得ていたはずだった。ただし2008年のJ1リーグ優勝で同大会への出場資格を得ている)。
現在はAFCクラブライセンス制度により、Jリーグクラブライセンス制度によるJ1ライセンスを持つクラブにはACL出場権が与えられる。もし同ライセンスを持たないクラブが天皇杯で優勝した場合は、クラブライセンスの特別発給を申請することができる(Jリーグクラブライセンス交付規則[48]第30条、AFCクラブ間大会参加規定[49]第11.4-11.7節)。これによりライセンスが得られなかった場合、もしくはライセンスを申請しなかった場合は、ライセンス保持クラブの中で次点のクラブ(すなわち、J1リーグで次点の順位のクラブ)が繰り上げで出場権を得る(AFCクラブ間大会参加規定[49]第12.5節)。
1980年代前半にはジャパンカップへの出場権が与えられていた。
NHK杯
1968年元日に社会人と学生それぞれのチャンピオンチームを招待した「NHK杯元日サッカー」が開催され、前年の日本リーグ優勝の東洋工業とインカレ優勝の関西大学が東京の国立霞ヶ丘陸上競技場で対戦した。
わずか10日後に両チームとも第47回の初戦を控えておりその前哨戦としての意味合いが強かったが[50]、本大会が滞りなく運営されたこともあり翌年度の第48回より天皇杯決勝を元日開催とし、NHK杯サッカーはこの1回で廃止された。なおこの試合は東洋工業が1-0で関大を降し、その勢いのまま天皇杯も制した。また試合直前には関大サッカー部の選手が交通事故で亡くなるということがあり喪章をつけて練習が行われた[51]。
現在、優勝チームに天皇杯と共にNHK杯が授与されるのはこの名残りで、日本放送協会会長(出席できない場合はスポーツセンター局長、あるいは放送総局長などが代理出席)が訪れて、直接優勝チームのキャプテンにNHK杯のトロフィーを贈る。
SURUGA I DREAM Award
特別協賛スポンサーとなっているスルガ銀行の協賛で2009年大会から制定された。大会全試合のゴールの中から、ジャイアント・キリングを起こし、大会を盛り上げた「天皇杯を象徴するゴール」に対する表彰である。発表・表彰式は決勝戦のハーフタイムに行なわれる。
回数 | 年度 | 受賞者・ゴール(当時所属チーム) | 対象試合・ゴール |
---|---|---|---|
89 | 2009年 | 山本紘之(明治大学) 60分 | 3回戦【69】・vsモンテディオ山形 |
90 | 2010年 | 桐田英樹(ソニー仙台FC) 106分 | 2回戦【27】・vsベガルタ仙台 |
91 | 2011年 | 多々良敦斗(松本山雅FC) 5分 | 3回戦【60】・vsアルビレックス新潟 |
92 | 2012年 | 益子義浩(福島ユナイテッドFC) 63分 | 3回戦【70】・vsアルビレックス新潟 |
93 | 2013年 | 有永一生(AC長野パルセイロ) 41分 | 2回戦【45】・vs名古屋グランパス |
94 | 2014年 | 岡山一成(奈良クラブ) 86分 | 2回戦【35】・vsベガルタ仙台 |
95 | 2015年 | 鈴木孝司(FC町田ゼルビア) 90+3分 | 2回戦【53】・vs名古屋グランパス |
96 | 2016年 | 中川裕平(Honda FC) 90+4分 | 3回戦【70】・vsグルージャ盛岡 |
97 | 2017年 | 三笘薫(筑波大学) 6分 中野誠也(筑波大学) 65分 | 2回戦【39】・vsベガルタ仙台 |
その他
入場曲
第78回(1998年度)より、決勝戦のみならずすべてのスタジアムでの入場曲に「日本サッカーの歌」(坂本龍一作曲)が使われている。決勝戦終了直後の表彰式においても、優勝チーム表彰の際に「日本サッカーの歌」がBGMで流される。また、第77回大会(1997年度)に限り、国立競技場での準決勝・決勝戦の入場曲に「FIFA ANTHEM」が使われたことがある。
会場
試合会場の決定方法は公表されておらず、レギュレーションの発表時点ですべての組み合わせと試合会場が決定する(ただし、発表後に変更になる場合もあり、会場未定にして組み合わせ決定後に決めることもあった。第92回大会では4回戦以降の組み合わせ・会場は3回戦終了後に決定することになった)。
なお、Jリーグ加盟クラブのホームスタジアム(または準ホームスタジアム)で試合をする場合、各クラブが主催権を持つJリーグと異なり、天皇杯は各都道府県サッカー協会が主催となるため、試合会場も中立地扱いとなる。
天皇杯への指摘
本大会は第1回から辞退チームが出るなど、その権威や他の国内外の大会とのスケジュールの兼ね合いによる過密日程などの問題を抱えていた。戦前の明治神宮競技大会との統合や日本サッカーリーグ設立に伴う日本チャンピオンの位置付け(現状では日本リーグ1部・Jリーグ1部優勝をチャンピオンとしているが、全日本選手権=Championshipは天皇杯である)[54] などがある。また1968年(第47回)大会では過密日程や準備不足を理由とした3チームの辞退が出たほか、1986年(第66回)大会ではアジアクラブ選手権出場を優先させるため日本サッカー協会の指示で古河電工が出場を辞退(予定されていた兵庫教員戦は壮行試合となった)させられた。
21世紀以降では、サッカー日本代表の活動やAFCチャンピオンズリーグの開催による日程の過密化、Jリーグの春秋制導入議論の中で天皇杯の日程見直しを求める声が上がっており[55]、日本サッカー協会も決勝を元日から11月~12月に前倒しする方針を示している[56]。なお、第89回大会から第93回大会までベストメンバー規定が適用されていた。
テレビ・ラジオ放送
日本放送協会(NHK)が共催することや過去の経緯もあって、地上波・BSでのテレビ放送はNHKが放送(ごくまれに地元民放局による放送例もある)している。ラジオ放送は準決勝までNHK一局、決勝はNHKに加えて文化放送、ニッポン放送が中継を行う(第94回大会を除く)。RFラジオ日本は2009年度まで、TBSラジオ(ニューイヤー駅伝中継のため飛び乗り)は2015年度まで中継を行っていた。
NHKによるテレビ放送は、第76回(1996年度)以降はJリーグ勢の登場以降の中継が基本となっている。
- 2回戦:J1チーム出場カードのうち2試合をBS1で放送(原則として生中継)。
- 第94回(2014年度)の2回戦は大半の試合が行われた7月12日・7月13日は2014 FIFAワールドカップの開催時期と重なり、その兼合いもあってBS1での放送はなく、予選会のスケジュールの関係で予備日の8月6日に行われるコンサドーレ札幌対tonan前橋サテライトのみBS1で中継する[57]。
- 3回戦、4回戦:J1チーム出場カードのうち試合日(予備日含む)ごとに1-2試合をBS1で放送(原則として生中継、一部試合は録画中継)。
- 第86回(2006年度)の4回戦は試合日が2日間にわたって行われ、更に予備日にも2試合が行われたため、計6試合で中継が行われた。
- 第90回(2010年度)の4回戦は8試合とも同日同時刻に行われた上、BS1で主要競技の中継を行っている2010年アジア競技大会との調整もあったため、全国放送はダイジェスト番組のみとなった。
- 第91回(2011年度)の3回戦は全試合同時キックオフだったが、2011年3月までBS2が使用していたBS102chをBS1の臨時放送用のチャンネルとして使用することとなったため、101chと102chで2試合同時生放送を行なった。またこの年の中継より、BS1で放送の試合が延長戦になった場合は、メインチャンネルの101chは通常放送を優先し、102chで続きを放送するようになった。
- 準々決勝:全試合をBS1で放送(生中継2試合+録画中継2試合)。原則ノーカット放送だが、録画放送となる試合で延長戦・PK戦となった試合は120分(NHK BSニュースによる中断時間を含む)の放送時間に収めるようにするため、一部抜粋で放送することがある。
- 準決勝、決勝:全試合を総合テレビ・ラジオ第1および海外向けのNHKワールド・プレミアムで生中継(ただし準決勝の13時キックオフの試合が延長戦となった場合は、15時キックオフの試合は途中飛び乗りで中継)。また、BS1で録画中継。第87回(2007年度)の決勝まではBSハイビジョンでも生中継で放送されていた。
- 2014年は2015年1月のアジアカップの開催に伴う会期の前倒しのため、例外として準決勝は地上波ではテレビ・ラジオとも放送せず(11月26日にナイターで同時開催)、BS1のマルチチャンネルで生中継を行った。決勝戦については平年同様総合テレビとラジオ第1で中継を行った(BS1非放送)[57]。2018年も鹿島アントラーズのFIFAクラブワールドカップへの出場に伴う会期前倒しにより、準決勝・決勝とも地上波での放送は編成の都合上放送できず、BS1で放送予定[58]。
なお、1回戦は、原則都道府県代表同士の対戦であったことから放送されなかったが、第95回(2015年度)はJ1・J2勢が1回戦から登場することから、1試合をBS1で生放送した[59]。
このほか、各県大会の決勝もNHK各局でのローカル中継で放送される他、本大会の2 - 4回戦および準々決勝の試合日には深夜にBS1でダイジェスト番組が放送されている(Jリーグタイムと同様の放送体制)。全試合生中継する準決勝以降はダイジェストが放送されないが、2009年度・2010年度は決勝終了後の夜にもBS1でダイジェスト番組が放送される(BS1の録画中継は決勝翌日の1月2日深夜に行われる)。
また、第91回(2011年度)からはCS放送のスカチャンでの中継が行われる(4回戦以降の全試合を録画中継(一部生中継)。2012年は2回戦・3回戦のうちNHKが中継しない試合も数試合セレクトして放送)。過去にはJ SPORTSでも放送されたことがある。
元日開催ではなかった第94回(2014年度)第98回(2018年度)の決勝は、民放ラジオでの中継は行われなかった。
第95回(2015年度)の決勝は、NHK総合テレビの中継をインターネットによる同時配信の検証実験を実施した[60]。またTBSラジオが同大会を持って中継を取りやめた。
大阪開催となった第96回(2016年度)の決勝は、文化放送とニッポン放送は自社製作で中継を継続で埼玉開催の第97回(2017年度)も同様の対応を取る。
注釈
^ OB混成チームの「慶応BRB」「慶應クラブ」の戦績を含む。
^ 第92回(2012年)以降、サンフレッチェ広島の初戦を福山市竹ヶ端運動公園陸上競技場で開催している。それ以前からも、1996年以後は本拠地登録を抹消されているコカコーラウェスト広島スタジアムで行う試合もあった。
^ 賞状の文言読み上げはない。
出典
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参考資料・文献
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- 鈴木武士編著 『天皇杯六十五年史 全日本サッカー選手権全記録』 日本サッカー協会、1987年。ASIN B00949QM64。
関連項目
- 天皇杯・皇后杯
- 皇后杯全日本女子サッカー選手権大会
- 日本サッカー協会チーム登録種別
外部リンク
- 日本サッカー協会によるウェブサイト
天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 (@jfa_tennouhai) - Twitter
- 日本放送協会によるウェブサイト
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