夢の島
夢の島 | |
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— 町丁 — | |
江東区夢の島陸上競技場 | |
夢の島 夢の島の位置 | |
座標: 北緯35度38分59.56秒 東経139度49分41.87秒 / 北緯35.6498778度 東経139.8282972度 / 35.6498778; 139.8282972 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京都 |
特別区 | 江東区 |
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1] | |
- 計 | 0人 |
等時帯 | 日本標準時 (UTC+9) |
郵便番号 | 136-0081[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 足立 |
夢の島(ゆめのしま)は、東京都江東区の町名。現行行政地名は夢の島一丁目から夢の島三丁目。郵便番号は136-0081[2]。
目次
1 概要
1.1 名称の由来
1.2 施設・観光
2 地勢
3 歴史
4 東京都の最終処分場変遷
5 脚注
6 参考文献
7 関連項目
8 外部リンク
概要
江東区の町としての「夢の島」は、人工島である東京湾埋立14号地[4]のうち、湾岸道路より北の部分を占める。夢の島公園が区域の大部分を占める。
14号地のうち湾岸道路より南は新木場一丁目から四丁目である。北は夢の島大橋で新砂と繋がる。西は曙運河を挟んで辰巳、東は荒川を挟んで江戸川区臨海町である。
名称の由来
埋立当時、飛行場が建設される予定であった。戦後間もない頃には遊園地などが計画されるようになる。そのせいもあってか、当時のマスコミのうちのいくつかは「夢の島」とこの地域を呼んでいた。これが自然と定着したか、1969年(昭和44年)には正式な行政地名としてこの名が採用された。
施設・観光
東京都立夢の島公園
- 江東区夢の島陸上競技場
- 夢の島熱帯植物館
東京スポーツ文化館(旧・夢の島総合体育館)
- ゆめのしま海の駅
地勢
夢の島地区はほとんどが公園、スポーツ施設、公共施設で占められ、湾岸道路より南に隣接する新木場とは違って一般企業のオフィスや住宅はない。
夢の島及び運河を隔てて西に隣接する辰巳は非常に緑地が多く、特に夢の島公園は東京都内有数の緑地面積を誇り、海に浮かぶ緑の島の様相を呈している。
東京港へも近く、夢の島のすぐそばにある首都高速湾岸線やJR京葉線は千葉県浦安市、船橋市、千葉市方面へも直結している。りんかい線の新木場駅もあるので、品川、台場へのアクセスも近い。また、夢の島大橋を隔てて深川の下町地区も近い。
地区の西寄りを南北に明治通りが通り、通りの西側には夢の島競技場、夢の島運動広場がある。明治通りの東側は大部分が夢の島公園で、園内には東京スポーツ文化館、東京都立第五福竜丸展示館、夢の島熱帯植物館があり、地区の東端近くには新江東清掃工場、夢の島マリーナ、少年野球場などがある。周辺の埋立地には倉庫や工場が立ち並び、東雲や豊洲、潮見などの高層マンション街・ビジネス街もある。
歴史
戦前の1938年(昭和13年)、「東京市飛行場」建設のために東京湾の埋め立てが開始されたのが夢の島の始まりである。当時としては世界最大級の飛行場となる計画であったが、日中戦争に伴い工事用電力の供給設備資材を確保できず、完成を見ぬまま1941年(昭和16年)に工事は中止された。終戦後、駐留軍に接収された羽田空港をGHQが大型機の離着陸用として整備したため、飛行場計画は事実上消滅した。残された埋立地は海水浴場として賑わっていた[5][6]。
1950年代、東京都内でごみが急増し始め、それに対応するため東京都は当地をごみ処分場として決定し、1957年(昭和32年)12月には埋め立てが開始された。それ以降、1967年(昭和42年)までこの地への埋め立ては続いた。なお、埋め立て中の1961年(昭和36年)7月23日に埋立地北部から出火、消防挺3隻での消火活動も及ばず2週間に渡り燃え続け、4万平方メートルが焼失している[7]。これは当時の総面積の約40パーセントに相当した[7]。
1965年(昭和40年)7月16日、夢の島で発生したハエの大群が強い南風にのって、江東区南西部を中心とした広い地域に拡散し、大きな被害をもたらした[8]。都と区による懸命な消毒作業が行われるが、抜本的な解決にはならず、警察、消防、自衛隊らの協力を得て、断崖を焼き払う「夢の島焦土作戦」が実行される[6][9]。
埋め立て終了から11年後の1978年(昭和53年)、東京都立夢の島公園が開園。整備が進み、「ゴミの島」という雰囲気を感じさせることはなくなっていった。
現在ではスポーツ施設が建設されるなど緑の島として生まれ変わっており、京葉線の開通などにより身近な人気スポットとして親しまれている。
正式に江東区の町名となったのは1975年(昭和50年)3月1日である。当時は「丁目」の設定がなかったが、2009年(平成21年)11月1日に住居表示が実施され、夢の島一・二・三丁目となった。
東京都の最終処分場変遷
- 夢の島 - 14号埋立地(江東区)(1957年~1967年埋め立て)
若洲 15号埋立地(江東区)(1965年~1974年埋め立て)
中央防波堤内側埋立地(帰属係争中)(1973年~1987年埋め立て)
中央防波堤外側埋立地(帰属未決定)(1977年~埋め立て)
新海面処分場(帰属未決定)(1999年~埋め立て)
脚注
^ “世帯と人口(毎月1日)”. 江東区 (2017年12月1日). 2017年12月20日閲覧。
- ^ ab“郵便番号”. 日本郵便. 2017年12月20日閲覧。
^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2017年12月20日閲覧。
^ 1つ前に当たる東京湾埋立13号地は、西にある台場。
^ 東京都港湾局 (1994). 東京港史 第一巻 各論. 東京都. pp. 304-305.
- ^ ab日本経済新聞社・日経BP社. “東京・夢の島、名前の由来は海水浴場 空港計画も|エンタメ!|NIKKEI STYLE” (日本語). NIKKEI STYLE. https://style.nikkei.com/article/DGXNASFK13038_U3A111C1000000 2018年6月22日閲覧。
- ^ ab昭和災害史事典、P.13
^ 『アサヒグラフ』1965年7月16日号
^ 「ハエの天国」と呼ばれた夢の島 東京二十三区清掃一部事務組合
参考文献
日外アソシエーツ「昭和災害史事典 3 昭和36年~昭和45年」、1993年、ISBN 978-4-8169-1192-7
関連項目
- 東京ゴミ戦争
- 中央防波堤内側埋立地
- 中央防波堤外側埋立地
- 新海面処分場
- 第五福竜丸
外部リンク
- 江東区
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