日本標準時
UTC・JST | ||
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日本標準時(にほんひょうじゅんじ、英語: Japan Standard Time、略語:JST)は、国立研究開発法人情報通信研究機構の原子時計で生成・供給される協定世界時(UTC)を9時間(東経135度分の時差)進めた時刻(すなわちUTC+9)をもって、日本における標準時としたものである[1][2][3]。同機構が決定するUTCは“UTC(NICT)”と称され[4]、国際度量衡局が決定する協定世界時 (UTC) との差が±10ナノ秒以内を目標として調整し管理されている[5]。俗に日本時間とも呼ばれる。
情報通信研究機構が通報する標準時は、日本全国で日本放送協会 (NHK) などの放送局やNTT (117) の時報に用いられている[6][7]。
一方、中央標準時(ちゅうおうひょうじゅんじ、英語: Japan Central Standard Time、略語:JCST[8][9][10])は、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台が決定し、現実の信号として示す時刻で[11]、水沢VLBI観測所の天文保時室でセシウム原子時計が運転されている[12]。なお、国立天文台が編纂する「理科年表」では中央標準時について、中央標準時=協定世界時+9h としている[13]。
日本標準時 (JST) と協定世界時 (UTC) との差を示す場合などには、「12:31:40(UTC+0900)」(日本標準時で12時31分40秒の場合)などと表記される。
目次
1 標準時と中央標準時
2 夏時間(サマータイム)
3 JSTと定義が同じ標準時
3.1 既に廃止されたJSTと定義が同じ標準時
4 歴史
4.1 South Ryukyu Islands時間
4.2 標準時の通報の歴史
4.2.1 標準時の報時のはじまり
4.2.2 無線報時のはじまり
4.2.3 標準電波による標準時の通報
4.2.4 振り子時計から水晶時計へ
4.2.5 時刻、時間、周波数(時間の逆数)の乖離
4.2.6 原子的標準に基づく周波数と時間
4.2.7 うるう秒の導入
4.2.8 国際標準と結ばれた時刻、時間、周波数
4.2.9 インターネットによる標準時の配信
4.2.10 日本標準時の高精度化と冗長化、分散局の設置
5 日本標準時の作成
6 日本標準時の供給と標準電波
7 NTP
8 UTCとJSTの換算
9 日本標準時を変更する動き
10 脚注
11 参考文献
12 関連項目
13 外部リンク
標準時と中央標準時
日本における「標準時」に関する法令は十分に整理されておらず、法令上「標準時」と「中央標準時」という名称は現れるが、「日本標準時」という名称は現れない[14]。
日本国の法令では、標準時の定義について「東経135度の子午線の時」をもって日本における一般の標準時と定め[15]、その標準時を中央標準時と称する[16]こと以外に具体的な定めはない。
ただし、標準電波の発射及び標準時の通報に関しては、総務省(情報通信国際戦略局技術政策課)がその事務をつかさどる[17][18](この所掌事務は、旧電気通信省[19]から旧電波監理委員会[20]、旧郵政省[21]を経て総務省に引き継がれている)。
さらに、郵政大臣(総務大臣の前身)が法令に基づいて発した郵政省告示により[22][23]、標準電波で通報される標準時は協定世界時を9時間進めた時刻とされる[3](この定めは、1971年(昭和46年)の郵政省告示(1972年(昭和47年)1月1日施行)[24]からである)。
なお、独立行政法人情報通信研究機構は法令と告示に基づいて標準電波を発射し、及び標準時を通報する業務を行う[25]。
また、中央標準時の決定及び現示に関しては、大学共同利用機関法人自然科学研究機構国立天文台がその事務を目的[26]の一部として設置[27]されている(この設置目的は、1955年(昭和30年)に改正された旧東京大学東京天文台の目的[28]から引き継がれている[29])。したがって中央標準時は、法令に基づいて国立天文台が中央標準時として決定及び現示する時刻と言える。
情報通信研究機構が通報する標準時と、国立天文台が決定及び現示する中央標準時との関係については、どちらの機関も国際原子時の作成に寄与する原子時計を運転し[30][31][5]、それらの時計で決定する協定世界時 (UTC) + 9時間をそれぞれ標準時[2]、中央標準時[13][9]としているが、いかに不確かさが小さい(正確度と精度に優れた)時計であっても、同一の時計ではないので完全に時刻が一致することはない。これについて、情報通信研究機構を所管する総務省と国立天文台を所管する文部科学省は共同告示により、情報通信研究機構が通報する標準時については国立天文台の決定する中央標準時により、その偏差を算出し、これを情報通信研究機構において公表するとしている[32]。
なお、過去の関係やその経緯については、#標準時の通報の歴史 を参照。
夏時間(サマータイム)
2018年現在、法令に基づき、JSTに1時間を加えたタイムゾーンを採用する夏時間(サマータイム)は実施されていない。ただし、過去には、1948年から1951年、5月(1949年のみ4月)第1土曜日から9月第2土曜日までの間、夏時刻法に基づきサマータイムが施行されていた。なお、2004年 - 2006年(2006年で終了)の7月 - 8月に北海道札幌市で試行されたいわゆる「北海道サマータイム」は、標準時を変えずに始業・終業時刻を1時間早める試みで、通常の意味での夏時間ではない。
JSTと定義が同じ標準時
以下の標準時は、日本標準時 (JST) と同じく協定世界時 (UTC) を9時間進めた標準時である。ただし厳密には、基準とする原子時計が異なるため、体感できないほど僅かな不確かさ(誤差)がある。
ヤクーツク時間 - ロシアのサハ共和国西部、アムール州で使われる。
インドネシア東部標準時 (WIT) - インドネシア東部(イリアンジャヤ、モルッカ諸島など)。
韓国標準時 (KST) - 大韓民国全土。
パラオ時間 (PWT) - パラオ全土。
東ティモール時間 (TLT) - 東ティモール全土。
平壌時間 (PYT) - 朝鮮民主主義人民共和国全土。2015年8月15日から2018年5月5日までは30分の時差が設けられた[33]。
既に廃止されたJSTと定義が同じ標準時
オーストラリア西部夏時間 (AWDT) - 2006年から2009年まで試験施行されていたが、本施行はされなかった[34]。
イルクーツク時間 (IRKT) - ロシアのイルクーツク周辺で使われた。(2014年より-1:00)
モンゴル夏時間 (MNST) - 2007年に廃止されたが、2015年に復活した[35]。その後2017年に再び廃止された。
歴史
日本の標準時に関して初めて制定された法令は、本初子午線経度計算方及標準時ノ件(明治19年勅令第51号、1886年(明治19年)7月13日公布)である。この勅令では、グリニッジ天文台子午儀の中心を通る子午線(グリニッジ子午線)を本初子午線(経度0度)とし、東西それぞれ180度で、東を正、西を負として表すことを定めた上、東経135度 (GMT+9:00) の時刻を日本の標準時(「本邦一般ノ標準時」)と規定した。この日本の標準時に関する部分は1888年(明治21年)1月1日から適用された[15]。
その後、標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号、1895年(明治28年)12月28日公布、1896年(明治29年)1月1日施行)が制定され、第1条において東経135度の標準時の呼称を「中央標準時」と、第2条において東経120度 (GMT+8:00) の時刻を「西部標準時」とそれぞれ規定した。後者は八重山列島・宮古列島と日本統治下の台湾・澎湖諸島に適用された。中央標準時と西部標準時との時差は1時間であった[36]。
この「二つの日本時間」は41年余り続いたが、明治二十八年勅令第百六十七号標準時ニ関スル件中改正ノ件(昭和12年勅令第529号、1937年(昭和12年)9月25日公布、同年10月1日施行)という改正勅令により、前の明治28年勅令第167号の第2条(西部標準時に関する条)の条文が削除され、再び日本の標準時は一つとなった。なお、この改正では第1条(中央標準時に関する条)については改正されなかったため、「中央標準時」との呼称は維持された[37]。
西部標準時が年半ば(9月)で廃止された理由は、台湾及び澎湖諸島並びに八重山及び宮古列島において、政治、経済、交通その他諸般の点に鑑み中央標準時に依る必要があることによるとされる[38]。
1954年(昭和29年)ごろ、中央標準時の中央を除くことや明治以来の時関連の法令改正案が検討されていたようだが、日の目を見ることはなかった[39]。
この2つの勅令は現在も政令として有効であり[40][41][42](文部科学省の所管)、「中央標準時」が日本の標準時の法令上の正式名称とされる[43]。現行法上、上記勅令以外にも、電波法施行規則[44]、無線局運用規則[45]や国立大学法人法施行規則[46]において用いられている。
ちなみに、この改正が行われた当時は本土の標準時とは別に、1920年ヴェルサイユ条約・パリ協定で日本の委任統治領となった、南洋諸島の標準時が1919年2月1日より施行されており、南洋群島東部標準時が日本の中央標準時+2時間、南洋群島中部標準時で日本の中央標準時+1時間、南洋群島西部標準時は日本の中央標準時と同じであった。1937年に南洋群島西部標準時・南洋群島東部標準時の2つに再編している。1945年の敗戦による統治権の放棄により廃止した[39]。
かつては、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線における地方平均太陽時と定義されていた。子午線上にある明石市立天文科学館では、日本標準時を刻む大きな時計が設置されている。1978年に設置された2代目の時計は1995年の阪神・淡路大震災で破損し、停止してしまったため、撤去されて神戸学院大学で展示されている。現在設置されている大時計は3代目であり、服部セイコーからの寄贈である。
South Ryukyu Islands時間
FreeBSDなど一部のUNIX系OSでは、1999年初頭までインストール時にタイムゾーンとして「Japan」を選択すると、選択肢として「Most Locations」と「South Ryukyu Islands」の2つの選択肢が現れ、「South Ryukyu Islands」を選ぶとタイムゾーンとして西部標準時 (UTC+8) が設定される問題が存在した。
これはこれらのOSがタイムゾーン設定の元データとして利用しているtzdataに誤って西部標準時に関するデータが含まれていたためである。これの元は「The International Atlas (3rd edition)」(Thomas G. Shanks、1991年)という文献において、「西部標準時が現在も石垣市を含む地域で使用されている」旨の誤った記載が行われていることが原因であった。
このことが雑誌「UNIX USER」(ソフトバンク)で取り上げられた結果、1999年にはtzdataから西部標準時が削除され、その後のバージョンでは「South Ryukyu Islands」という選択肢はなくなった[47]。2006年4月1日にリリースされた、エイプリルフール版のFreeBSD 2.2.9-RELEASEでは、このバグがわざと残されている。
標準時の通報の歴史
標準時の通報や、有線/無線報時に関する歴史は次の年表の経過をたどる。
標準時の報時のはじまり
1886年(明治19年)
- 明治19年勅令第51号[15]の制定により標準時が確立した直後から、内務省地理局観象台の観測を基に、標準時を逓信省東京電信局に通報し、そこから全国に標準時が通知されていた[48]。
1888年(明治21年)
1月1日
- 明治19年勅令第51号の標準時が施行された[49]。この日の零時零分の時刻は内務省地理局観象台が全国の電信局に通報しており、以後も、暫くの間、正午報時信号が地理局観象台から各電信局に通報されていた[50][51]。
- 5月
- 内務省、海軍省、文部省は稟議の上、内務省と海軍省が行っていた天象観測と、内務省の時刻管理や暦書の編纂事業等は文部省へ、設備・土地や職員とともに移管することにした[51]。
6月4日
- 東京大学観象台、海軍省観象台、内務省地理局観測課天象部の三者が合併し、明治21年文部省告示第2号で、海軍省観象台の地に、東京天文台が置かれ、帝国大学(現・東京大学)に属した[52][53][54]。しかし、当時はまだ8インチ赤道儀は内務省地理局内(東京府赤坂区葵町)にあったので、麻布区飯倉の東京天文台から台員が出張して観測していた[55]。
9月26日
- 東京天文台では、この日から、陸軍省の依頼により正午を通知する正午号砲用の時刻比較を始め、逓信省の依頼で電信局への正午時刻の通報を行うことになる[56][51]。
10月23日
- 東京天文台での恒星の観測はこの日以降から行われた[51]。(恒星の観測は、観測地点の経度測量や平均太陽時の測定に必要とされる。)
12月5日
- 明治21年勅令第81号で、天象観測及び暦書調製が文部大臣の管理となり、時刻の管理は正式に内務省地理局(国土地理院の前身)から東京天文台に移管される[54][57][50]。
1895年(明治28年)12月28日
標準時ニ関スル件(明治28年勅令第167号)が公布(翌年1月1日に施行)され、従来の標準時(東経135度の子午線の時)を中央標準時と称することになる[58]。
無線報時のはじまり
1911年(明治44年)12月
無線電信法による標準時の艦船への通報を実験的に実施。東京天文台が陸上連絡電線により銚子無線局(識別信号:JJC、周波数:500 kc)に中央標準時を伝え、電波を発射する方法により、毎日午後9時が通報されるようになった[59][48]。
1912年(大正元年)9月
- JJCの無線報時が正式業務として開始される[59]。
1919年(大正8年)
国際報時局(BIH、現 国際地球回転・基準系事業)が設立される[60]。
1921年(大正10年)11月24日
- 東京天文台官制(大正10年・勅令第450号)が制定され、東京天文台は天文学に関する事項を攻究し天象観測、暦書編製、時の測定、報時及時計の検定に関する事務を掌ることが定められた[61]。
1922年(大正11年)
- 第1回の国際的な経度測量を行うことが決まり、臨時的に毎日午後11時に学用報時が船橋局から放送された。これが、学用形式のJJC報時の始まりとなる[59]。
1924年(大正13年)4月
- 測地学委員会(現 文部科学省 科学技術・学術審議会 測地学分科会)が、東京天文台構内に三鷹国際報時所を設けて国際無線報時の受信と時刻の国際共同研究事業に参加する[62]。国際報時は長波によって行われた[63]。当時は、±0.01秒までの精度が得られれば上等だった[64]。
1925年(大正14年)
- 6月
- 正式に学用形式によるJJC報時が放送されるようになった[59]。定刻報時は学用式と大衆向けの日本式の2形式である[65]。
- 当年内
国際天文学連合 (IAU) と国際測地学・地球物理学連合 (IUGG) の主催で、国際報時局(BIH、現IERS)が中央局となって第1回万国経度観測が実施された。無線報時の利用によって、当時予想していなかった高精度(±0.001秒台)が可能なことが示される。このとき確立された国際的な観測網に基づき、国際協力事業として各地の時刻が総合されている(確定世界時)[66]。
- 6月
1933年(昭和8年)
- ±0.001秒の確度を目標に準備が整えられて、第2回万国経度観測が実施される。そのとき日本の成績は世界でもトップクラスであった。このとき使用された諸機械は、第一次世界大戦の賠償としてドイツから輸入したバンベルヒ子午儀、リーフラー振り子時計[67]、テレフンケン長波受信機などの一流品であった[68]。
1948年(昭和23年)
- 三鷹国際報時所が東京天文台に併合される[69]。
- 1948年ころ、東京天文台の時計室にはリーフラー製の天文用振り子時計[67]が南向きと東向きに据え付けてあった。小さな地震でも狂うので、クロノグラフを描かせてクロノメーターと比較し、歩度の変化があれば調整が実施された。この時計室の真上に報時室があり、2台のルロア型の発信時計から報時信号が出された。なお、当時の報時は、午前11時と午後9時、および午後4時半の3回、JJCの発信符号による無線報時のほか、正午に有線の報時を行っていた。報時は、最も新しい観測値からリーフラー時計の誤差をもとめ、その値を報時の時刻まで外挿し、発信時計に合わせて行われた。また、梅雨時などに観測が連続してできない場合は、外国報時を参考にした。当時は、戦争による物資の不足や装置の劣化の影響により、無線報時の精度が劣化しており、国際報時局(BIH、現IERS)の報告に JJC の修正値が0.1秒を超えなければ良い方であった[70]。
標準電波による標準時の通報
- 1948年(昭和23年)
- 4月
標準電波に礼文島における日食観測の為、分秒信号を試験的にのせ非常に良い結果を得る[71]。
8月1日
- 昭和23年文部省/逓信省告示第1号により、標準(周波数及び秒報時)電波の発射が開始され、逓信省電波局が発射する標準電波で三鷹の東京天文台からの制御により、短点方式(約0.1 s長)による秒報時(確度0.03秒)が行われた。なお、発射した標準電波の秒信号の修正は東京天文台において計算の上、別途官報に発表するとされた[72][71]。報時はJJCによる定刻報時の日本式と学用式に加えて、JJYでの分秒報時の3形式となる[73][74]。
12月15日
電気通信省設置法 第5条で電気通信省が有する権限として「周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を放送すること。」が定められ、第35条で電気通信省電波庁技術部がその事務をつかさどるとされた[19]。
- 4月
1949年(昭和24年)
5月31日
国立学校設置法が制定され、天文学に関する事項の攻究並びに天象観測、暦書編製、時の測定、報時及び時計の検定に関する事務が東京天文台の目的とされた[75]。
12月16日
- 周波数の一次標準器、報時用電鍵装置(東京天文台より移設)、標準電波発射施設が一体となった電波庁電波部標準電波課標準局(小金井市緑町)の施設が完成する[71]。
1950年(昭和25年)
- 4月
- 東京天文台に今までの子午儀に代わって、時刻と一緒に緯度も測れる写真天頂筒 (PZT) が完成する[76]。子午儀による観測精度では、1組10個の星を使って0.01秒程度であり、標準時計の保時精度に劣っているため、写真天頂筒 (PZT) を使った精度の高い観測が研究されるといわれる[77]。
6月1日
電波法と電波監理委員会設置法が施行され、電気通信省電波庁は電波監理委員会電波監理総局に改組される。電波監理委員会は周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を通報する権限を有し、電波監理委員会電波監理総局電波部がその事務をつかさどるとされる[20]。これ以後、標準電波で通報される標準時については、電波法や無線局運用規則に基づいて告示されることになる[22][23]。
- 4月
振り子時計から水晶時計へ
1951年(昭和26年)
1月1日
- 昭和26年文部省・電波監理委員会告示第1号 改定により、標準電波の秒報時形式を搬送波切断方式(1 kHzで変調中に、秒信号は0.02 s、分信号は0.2 sの切断)に変更された。また、報時信号は東京天文台から伝送される信号に代え、小金井の水晶時計からの信号に変更された[78][71]。
6月7日
計量法(施行日:1952年(昭和27年)3月1日)が制定され、時間の計量単位としての秒は、平均太陽日の1/86400とし、東京天文台が秒として決定する時間で現示するとされた[79][80]。したがって、時刻の刻みとしての秒と時間の計量単位としての秒は同じ天象観測による時の計測で決定された[81]。- これにより、標準時の通報に使用する時計は、東京天文台が測定及び報時する時刻と、秒として決定及び現示する時間に基づいて較正されることになる。
1952年(昭和27年)
8月1日
- 郵政省設置法の改正(7月31日)により、電波監理委員会が郵政省へ統合されて、郵政省電波研究所 (RRL) が発足した。郵政省は周波数標準値を定め、標準電波を発射し、及び標準時を通報する権限を有し、電波研究所はそれを行うための機関とされた[21]。担当部署の所属は第二部標準課となる[71]。
- 当年内
- 東京天文台の標準時計がリーフラー振り子時計[67]に代わって水晶時計が新設される。リーフラー時計は、歩度の精度が1日 0.001 秒という驚異的な精度であったが、振り子時計は地震などの影響を受けるので、更に精度の高い水晶時計に移るといわれている[77]。なお、水晶時計の安定度は短期的には地球の自転よりも優れているが、振動数の温度変化やジャンプがあるので、時計比較の基底をなすのは長期安定性に優れた地球の自転であることには変わりはない[82]。
1953年(昭和28年)
- 東京天文台で水晶時計が本格的に稼働を始める。従来のテープクロノグラフに代わる各種高精度時計比較装置が研究され、実用化される[82]。
1954年(昭和29年)1月
- 東京天文台で写真天頂筒 (PZT) による時刻と緯度の観測が始まる[83]。
1955年(昭和30年)
- 時の制度の改訂や報時業務が郵政省に移管されたことから、昭和30年法律第44号により国立学校設置法が改正され、従来の東京天文台の目的のうち「時の測定、報時及び時計の検定に関する事務」が「中央標準時の決定及び現示並びに時計の検定に関する事務」に改められた[51][28]。
時刻、時間、周波数(時間の逆数)の乖離
- 1955年(昭和30年)
- 第9回国際天文学連合 (IAU) 総会の決議で、今までのUTが、観測値そのままの UT0、これに極運動による経度変化の補正 (Δλ) を加えた UT1、更に季節変化の補正 (ΔS) を加えた UT2 の、3種に区別されることになる[84][76]。
1956年(昭和31年)
1月1日
- 東京天文台が第9回IAU総会で採択された、UT0、UT1、UT2の区別を開始する[76]。UT2が代表的な世界時として正式に用いられるようになる[84]。これにより、中央標準時の基礎はUT0からUT2へ内容的に移行する(すなわち、中央標準時=UT2+9時間となる)が、この際に法令の発布はとくになく東京天文台がその責任において認定している[85]。
- 郵政省告示により、周波数の一次標準器の較正を、東京天文台の決定するUT0からUT2へ変更した[71]。
12月26日
- 昭和31年文部省/郵政省告示第1号(標準電波の周波数および通報する標準時の修正値の公表)により、標準電波の周波数及び通報する標準時の修正値は、東京大学東京天文台の決定する中央標準時に基き、周波数に関するものについては郵政省電波研究所において、標準時に関するものについては東京大学東京天文台において、それぞれ決定し、及び公表するとされた[86]。
- 当年内
国際度量衡委員会で、時間の計量単位としての秒に暦表秒が採択される。地球の自転周期は変動するので世界時で定義される従来の秒の精度は10−8の桁でしか保証されないが、暦表秒は12桁の数字で定義された[87]。
1957年(昭和32年)
- JJC報時で学用形式の報時をやめて英国式に切り替える[59]。
- 第3回の国際経度観測(1957年-1958年)の器械は、前回までの子午儀と振り子時計に代わり、写真天頂筒 (PZT) と水晶時計が主力となる[83]。
1958年(昭和33年)
計量法の改正により、時間の計量単位としての秒に暦表秒が採用され、1958年(昭和33年)10月1日に施行された[88][89]。しかし、日常生活で使われる時刻の拠り所は依然としてUT2であったので、日常生活で使われる時刻の刻みとしての秒(平均太陽時の秒)と時間の計量単位としての秒(暦表秒)との複合体系が始まる[90]。なお、日常生活で使用される時刻系とは別に、天体力学理論や天体暦などでは暦表秒に基づく暦表時が利用されており[91]、時間の計量単位としての秒(暦表秒)は東京天文台が現示するとされた[92]。
1960年(昭和35年)3月31日
- JJC報時が廃止され、日本学術会議の無線報時研究連絡委員会も解散する[93]。これにより、無線報時は標準電波によるJJY報時に一本化される。
原子的標準に基づく周波数と時間
1960年(昭和35年)
- 第13回国際電波科学連合 (URSI) 総会および第11回国際天文学連合 (IAU) 総会(1961年)で、セシウム原子標準の振動数 9192631770 Hz が公認され、これに基づく新たな標準電波報時の国際同期方式(旧協定世界時)を具体化した[94]。
- 1961年(昭和36年)9月1日
- 郵政省告示により、標準電波について、いままでUT2を基にしていた周波数値を、アンモニアメーザ(3-2線ダブルビーム)標準器(原子周波数標準器)を一次標準として決定するに変更し、確度は周波数で5×10−9、時刻で0.05秒以内となる。ただし、UT2になるべく近く保つための周波数オフセットや0.1秒のステップ調整を行うことになる(旧UTC方式。ただし、まだUTCは採用されていない)。この時のオフセット値は−150×10−10。また、報時信号の国際同期(1 ms以内)にも参加[71]。
1962年(昭和37年)4月25日
- 昭和37年文部省/郵政省告示第1号により、「郵政省設置法の規定に基づいて発射する標準電波の周波数については、郵政省電波研究所の原子周波数標準器により、通報する標準時については東京天文台の決定する中央標準時により、それぞれ偏差を算出し、これを郵政省電波研究所において公表する」となる[71][95][32]。
- なお、この当時はまだ協定世界時 (UTC) が採用されていないので、東京天文台が決定する中央標準時は世界時 (UT2) +9時間である。
1964年(昭和39年)
6月1日
- 郵政省告示により、標準電波をCCIR勧告方式に全面改訂。標準電波により通報される標準時の確度は中央標準時に対し0.1 s以内となる[71]。
- 9月
- 第12回国際天文学連合 (IAU) 総会で、世界時 (UT2) と±0.1秒以内で近似するように調整された旧協定世界時の採用を決議した[96]。
1967年(昭和42年)
- 10月
- パリで行われた第13回国際度量衡総会で、国際単位系における時間の計量単位としての秒について、現在の原子時計に基づく定義が決定された(秒単位の長さは暦表秒をそのまま引き継いでいる[87])。ただし、日本では現行の協定世界時が開始される1972年まで法改正が行われない。
- 12月
- 東京天文台に、ヒューレット・パッカード製の原子時計が納入される[76]。
- 10月
1969年(昭和44年)
- 電波研究所で、実用セシウム標準群が水晶標準器の代わりに主役として標準時の維持に貢献するようになる[71]。
うるう秒の導入
1970年(昭和45年)
- 第14回国際天文学連合 (IAU) 総会で、旧協定世界時の大幅な改善策が決議された[97]。
1971年(昭和46年)
11月1日
- 郵政省告示により、JJYで通報する標準時を1 ms遅らせる時刻特別調整実施[71]。
- 当年内
- 国際無線通信諮問委員会 (CCIR) の中間会議で、細部の具体策を含めて現行の協定世界時が決定された[97]。
1972年(昭和47年)
1月1日
- 郵政省告示が施行され、標準電波の周波数オフセットの廃止、0.107620秒遅らせる時刻特別調整と、時刻のUTC (RRL) (電波研究所 (RRL) で生成する協定世界時)への変更を行い、新UTC方式に移行、周波数確度は1×10−10となる。また、DUT1信号の重畳、UT1に近付けるための1秒ステップ調整(うるう秒調整)が取り入れられる[71][24]。
- なお、標準電波に重畳されたDUT1信号の値(UT1-UTC の予測値)を利用することで、標準電波の JST から、0.1秒の精度で UT1+9h=JST+DUT1 が得られる[98]。
5月9日
計量法が改正され、時間の計量単位としての秒に原子時計による現在の定義が採用された[99]。これにより協定世界時による時刻の刻みとしての秒と時間の計量単位としての秒が一致するようになった。しかし、時間の計量単位としての秒を現示する機関を東京天文台とする定めがなくなり、どの機関が現示するのかが明らかでないため、時間や周波数の計量単位の国家標準が機能しない状態になる[89]。
- 5月
- 電波研究所、計量研究所(現 産業技術総合研究所)、東京天文台(翌年4月から)がTV同期パルス仲介の原子時計相互比較の定常運用にはいる[71]。
7月1日
- 第一回目のうるう秒調整実施[71]。
1981年(昭和56年)
- 当時の理科年表では、中央標準時=UT1+9h とされた[98]。
国際標準と結ばれた時刻、時間、周波数
1983年(昭和58年)4月
- 東京天文台でGPS衛星を利用した時刻比較方式の定常運用が開始されたことにより、東京天文台の原子時計は欧米の原子時計と一億分の一秒の精度で時計比較が可能となった。これによって、ロランCの電波で東京天文台と時計比較しているアジア諸国の原子時計も、1983年(昭和58年)後半から欧米並の精度となり国際原子時の決定に寄与できることになった。なお、これまでは、極東地域のロランC電波は欧米の機関では遠すぎて精度よく受信することができないため、欧米の原子時計とアジア諸国の原子時計とは精度のよい時計比較ができず(典型的な精度比較で、欧米内で 0.05 マイクロ秒であるのに対し、アジアと欧米の間では、0.2 マイクロ秒)、東京天文台の原子時計はパリの国際報時局(BIH、現IERS)が決めていた国際原子時を形成する平均の母集団に参加できていなかった[100]。
1984年(昭和59年)
- 1月
- 中央標準時は協定世界時 (UTC) に9時間を加えた(進めた)もの(厳密に言えば、法律に従って東京天文台が現示している中央標準時は、東京天文台で作られる協定世界時(区別して UTC(TAO) と書かれる)に9時間を加えたもの)であるといわれる。この背景には、前年から始まったGPS衛星を利用した時刻比較方式により、東京天文台の原子時計が国際原子時の決定に寄与できるようになったことがある[100]。
- 2月
電波研究所でも、汎地球測位システム (GPS) 衛星のL1バンド (1575.42 MHz)、C/Aコードを利用した時刻比較受信機を開発、受信開始。これにより、今まで欧米から独立していた日本の原子時計が結合され、初めて国際原子時決定に寄与することとなる。これらのデータは、国際報時局(BIH、現IERS)へ送り始める。また、セシウムビーム一次周波数標準器Cs1 (RRL) の確度評価値を年1-2回不定期に送り国際原子時の較正寄与を開始[71]。
- 1月
1988年(昭和63年)
1月1日
- 国際報時局 (BIH) が国際地球回転観測事業(IERS、現 国際地球回転・基準系事業)に改組され、国際原子時、協定世界時などの原子時計や周波数に関連する業務が、国際度量衡局に移管される[60]。
地球回転の観測は、原子時計の精度とかけ離れた写真天頂筒 (PZT) から、電波、レーザーを使った高精度の距離観測(VLBI、月・人工衛星レーザーなど)に移行することになる[101]。
4月8日
- 郵政省組織令に改正により、郵政省電波研究所 (RRL) が郵政省通信総合研究所 (CRL) と名称変更する[71][102]。
7月1日
- 国立学校設置法施行令の改正により、東京大学に附置される研究施設の東京天文台 (TAO) が[28]、大学共同利用機関の国立天文台 (NAOJ) に改組される[103]。
1992年(平成4年)5月20日
- 新たに計量法が全面改訂され、国の機関が時間の計量単位としての秒を現示する定めはなくなった[104][105]。時間の計量単位の現示に関する指定がない状態が継続する[106]。
2003年(平成15年)4月1日
- 国の機関による時間の計量単位としての秒の現示に代わって、時間(秒)の逆数で表される周波数について、経済産業大臣が特定標準器[107]として、国際標準(国際原子時・協定世界時)と比較され確度評価された周波数標準器(原子時計)を指定することになる。特定標準器には通信総合研究所 (CRL) と産業技術総合研究所計量標準総合センター (NMIJ) の周波数標準器が指定された[108]。これにより、時間・周波数の計量単位の国家標準(特定標準器)とトレーサビリティが確立できるようになる[106]。
インターネットによる標準時の配信
1992年(平成4年)
国立天文台に設置されているセシウム原子時計を時刻源とする、協定世界時 (UTC) に同期した時刻を保持するサーバをインターネットに公開する方針で準備が始まる[109]。
1994年(平成6年)春
- 国立天文台の天文保時室で「世界で初めてUTCに同期したセシウム原子時計直結の Strutum 1 サーバー」(NTPサーバー)が本格運用を始める[110]。
1995年(平成7年)8月31日
- 通信総合研究所が、インターネットによる標準時の供給に関し、(株)インターネットイニシアティブと共同研究開始[71]。
2001年(平成13年)
1月6日
中央省庁再編により総務省設置法や総務省組織令が施行され、郵政省通信総合研究所から総務省通信総合研究所に組織変更[71][111]。
4月1日
独立行政法人通信総合研究所発足[71][112]。
10月24日
- 通信総合研究所の日本標準時表示システムを総務省本省ロビーに設置[71]。
2004年(平成16年)4月1日
- 独立行政法人情報通信研究機構 (NICT) 発足[71][113]。
大学共同利用機関法人自然科学研究機構が発足し、国立天文台がその大学共同利用機関として設置される[27][114][26]。
2005年(平成17年)2月8日
- 情報通信研究機構が日本標準時を利用したNTP本格サービス提供開始[71]。
2006年(平成18年)6月12日
- 情報通信研究機構が世界最高性能のインターネット用時刻同期サーバによる日本標準時の配信開始[71]。
日本標準時の高精度化と冗長化、分散局の設置
2006年(平成18年)
2月7日
- 情報通信研究機構が日本標準時システムを更新し、精度が5倍向上した[71]。
- 2018年(平成30年)
6月10日
- 日本標準時の供給体制の冗長化を目的に分散局として神戸副局を設置[115]。また、おおたかどや山送信所・はがね山送信所の標準電波局用の原子時計も分散局として活用。人工衛星を仲介したデータ合成、相互参照により日本標準時を供給する体制に移行した[115]。
日本標準時の作成
NICTが運用する小金井局の12台のセシウム原子時計の時刻を1日1回平均・合成することによって協定世界時(UTC)を生成し、これを9時間進めたものが日本標準時(JST)となる。なお、この協定世界時(UTC)は、国際度量衡局(BIPM)が決定する協定世界時(UTC)との差が±50ナノ秒以上にならないように決定される。このようにして決定された日本標準時(JST)は、標準電波(JJY)やNTPサーバ、電話回線を通じて供給されている(参考:国立天文台、産業技術総合研究所計量研究所)。2006年2月7日から、セシウム原子時計に加えて水素メーザー原子時計を使用することなどにより、協定世界時(UTC)との時刻同期精度が±50ナノ秒以内から±10ナノ秒以内に向上した。さらに、セシウム原子時計や水素メーザー原子時計を3系統に分けて相互比較・データ合成を行うことで信頼性の向上ならびに、日本標準時(JJY)の冗長化に寄与している。
さらに、2018年6月10日から、日本標準時の冗長化を目的に神戸の未来ICT研究所内に分散局として神戸副局を設置した。また、おおたかどや山送信所・はがね山送信所の原子時計も分散局として、人工衛星を仲介した3つの分散局データを合成して日本標準時(JST)をバックアップ供給する体制に移行した。神戸副局にはセシウム原子時計(CS)5台と水素メーザー2台及び送信所との高精度衛星時刻比較システムなど日本標準時生成に必要な基本機能を備え、小金井本部と並行して常時合成原子時(神戸時系)を生成する[115]。
また本部の供給サービスがダウンした場合に備え、小金井本部同様に日本標準時を供給できるようにするほか、NTPサーバー及び光テレホンJJYシステムのバックアップ、標準電波送信所の周波数調整機能を整備しているという。今後は小金井と神戸両局の相互比較・データ合成を行うことで更に精度向上に寄与するほか、神戸副局からも日本標準時が供給できる体制がとれるようになるという[115]。
日本標準時の供給と標準電波
日本標準時 (JST) を国内外に広く供給するために、情報通信研究機構は標準電波を発信している。この波により送信されている周波数の標準と標準時の信号は、国家標準であるセシウムビーム型原子周波数標準機や水素メーザ型、実用セシウムビーム型原子時計群を用いたものより高い精度に保たれている。なお、標準電波の発信は電離層の影響を受けにくい長波を使用しているため、24時間の周波数比較平均値では 1×10−11 の精度を得られると発表されている。
1999年6月10日に「おおたかどや山標準電波送信所」(福島県田村市都路町 大鷹鳥谷山)が開局した。しかし、九州沖縄方面では受信しにくい現象が起こるなどで日本全国をカバーできなかったため、2001年10月1日には佐賀県佐賀市富士町の羽金山に「はがね山標準電波送信所」を開局し、これにより日本国内の広い範囲で標準電波が受信ができるようになった。
小金井局・神戸副局で作成した日本標準時の情報は、おおたかどや山送信所・はがね山送信所の原子時計の遠隔監視、時間比較により日本標準時供給の精度維持に活用される。
いわゆる電波時計は、この標準電波を受信し、自動で時刻を合わせる時計である。
NTP
情報通信研究機構はインターネット経由で時刻同期を可能とするため、NTPサーバによる時刻情報提供サービスを2006年から提供している。NTPサーバのアドレスはntp.nict.jpである[116]。通常はNTPサーバの処理能力の限界を考慮し、原子時計などに直結されたNTPサーバを一般ユーザが直接利用すべきではないとされているが、このサーバは毎秒100万リクエスト以上の処理能力を持ち、日本標準時に直結でありながら一般ユーザが直接利用して構わないとしている[117]。
UTCとJSTの換算
下記に示されているUTC+9の値を、JSTへ読み替えれば換算できる。
UTC+9 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
UTC | 前 15 | 前 16 | 前 17 | 前 18 | 前 19 | 前 20 | 前 21 | 前 22 | 前 23 | 0 | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 |
日本標準時を変更する動き
2013年5月22日、猪瀬直樹東京都知事(当時)は、日本標準時を2時間早める(=UTC+11)提案を産業競争力会議にて出した。東京の金融市場の開始を早めることで東京市場の存在感を高めるのが狙いとされている。政府はこの提案を検討するとしている[118]。もっともその後、この提案について具体的に話し合われた様子はない。
脚注
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告示
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関連項目
- 日本標準時子午線
人丸前駅(山陽電気鉄道) - 日本で唯一、駅構内が日本標準時子午線を横切る配置(形状)になっている。- 日本へそ公園駅
- JJY
- UTC+9
- 韓国標準時
小金井市 - 日本標準時を生成・供給するための原子時計が設置されている情報通信研究機構の所在地
奥州市 - 中央標準時を決定し、現実の信号として示す(現示する)ための原子時計が設置されている国立天文台水沢VLBI観測所の所在地
外部リンク
情報通信研究機構
日本標準時をつくる - 日本標準時グループ
JST Clock - 電磁波計測研究所 時空標準研究室
自然科学研究機構国立天文台
NAOJ:天文保時室 - 国立天文台 水沢
天文保持室 - 水沢VLBI観測所
国立公文書館
- 『御署名原本・明治十九年・勅令第五十一号・本初子午線経度計算方及標準時ヲ定ム』 アジア歴史資料センター Ref.A03020005500
- 『御署名原本・明治二十八年・勅令第百六十七号・標準時ニ関スル件』 アジア歴史資料センター Ref.A03020211600
- 『御署名原本・昭和十二年・勅令第五二九号・明治二十八年勅令第百六十七号(標準時ニ関スル件)中改正』 アジア歴史資料センター Ref.A03022132100
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