森田一義アワー 笑っていいとも!
















































































































森田一義アワー
笑っていいとも!

Alta iitomo.JPG
番組の生放送が行われていたスタジオアルタ
(新宿駅東口前)
2014年3月24日から31日までの1週間は、番組がグランドフィナーレを迎えるにあたってのラッピングがビルに施されていた。

別名
笑っていいとも!
いいとも!
ジャンル
バラエティ番組
構成
スタッフ参照
ディレクター
スタッフ参照
監修
スタッフ参照
司会者
森田一義(例外有)
出演者
いいとも青年隊
各曜日レギュラー陣
ナレーター
歴代ナレーション参照
音楽
鷺巣詩郎
伊藤銀次
オープニング
いいとも青年隊「ウキウキWATCHING」
エンディング
同上(オフヴォーカル版)
国・地域
日本の旗 日本
言語
日本語
話数
全8054回
製作
チーフ・
プロデューサー

スタッフ参照
プロデューサー
スタッフ参照
制作プロデューサー
スタッフ参照
編集
なし(生放送)
制作
フジテレビバラエティ制作センター
(現・フジテレビ第2制作部)
製作
フジテレビ

放送
放送局
フジテレビ系列 他
(ネット局参照)
映像形式
SDTV(2005年7月22日まで)
HDTV(2005年7月25日より)
音声形式
モノラル
放送期間
1982年10月4日 - 2014年3月31日
放送時間
月曜 - 金曜 12:00 - 13:00

公式ウェブサイト




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森田一義アワー 笑っていいとも!』(もりたかずよしアワー わらっていいとも)は、フジテレビ系列で1982年(昭和57年)10月4日から2014年(平成26年)3月31日まで、毎週平日(月曜日から金曜日まで)の12:00 - 13:00[注 1](JST)に生放送されていた帯バラエティ番組。通称は『笑っていいとも!』、『いいとも!』。モノラル放送(モノステレオ放送)、ハイビジョン制作(2005年7月25日放送分から)を実施していた。


森田一義(タモリ)の冠番組。タモリが司会を務める番組の中ではテレビ朝日系列『タモリ倶楽部』[注 2] に次ぐ長寿番組。2014年3月31日の通常放送最終回、および同日ゴールデンタイム・プライムタイム枠の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』と題した生放送特別番組で31年半の歴史に幕を下ろした[1]




目次






  • 1 概要


    • 1.1 タイトルロゴ


    • 1.2 視聴率




  • 2 出演者


  • 3 番組の流れ


    • 3.1 オープニング


    • 3.2 エンディング


      • 3.2.1 歴代のタイムテーブル






  • 4 主要コーナー・企画


  • 5 番組の歴史


    • 5.1 放送時間の変遷


    • 5.2 記念回


    • 5.3 ギネス世界記録に認定


    • 5.4 タモリの休暇・不在時の対応


    • 5.5 25年連続同時間帯視聴率首位記録


    • 5.6 1980年代


    • 5.7 1990年代


    • 5.8 2000年代


    • 5.9 2010年代(2010年1月 - 2013年6月)


    • 5.10 番組末期(2013年7月 - 最終回)


    • 5.11 番組終了後




  • 6 放送事故・事件・ハプニング・現象


    • 6.1 事件・ハプニング


    • 6.2 現象




  • 7 テーマソング


    • 7.1 オープニング・エンディング曲




  • 8 観覧


  • 9 放送休止・中断


    • 9.1 重要事件・事故・自然災害による休止


    • 9.2 スポーツ関連(オリンピックなど)による休止


    • 9.3 一時中断・途中中断




  • 10 ネット局


    • 10.1 番組終了時のネット局


    • 10.2 過去のネット局


    • 10.3 ネット局に関する備考


    • 10.4 番組予告(クロスプログラム)




  • 11 スタッフ


    • 11.1 歴代ナレーション


    • 11.2 最終回時点


    • 11.3 歴代スタッフ




  • 12 関連商品


    • 12.1 書籍


    • 12.2 グッズ


    • 12.3 CD


    • 12.4 テレビゲーム




  • 13 脚注


    • 13.1 注釈


    • 13.2 出典




  • 14 関連番組


    • 14.1 派生番組


    • 14.2 いいとも!チームのスタッフによる担当番組




  • 15 関連項目


  • 16 外部リンク





概要


1982年10月4日、帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の後継番組として放送開始。また、1982年10月24日(日曜日)には、『もう一度笑ってる場合ですよ!』の後継番組として姉妹番組の『笑っていいとも!増刊号』が放送を開始した。


他に派生番組として、年末年始の生放送特別番組『笑っていいとも!特大号』、夏の生放送大型特別番組『FNS27時間テレビ』内で日曜日の午前から午後のお昼の時間帯(10:30 - 12:30)に掛けて行われた『笑っていいとも!増刊号 生スペシャル』、番組改編時期(春3月・秋10月)に放送されていた特別番組『笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル』『笑っていいとも!新春祭』『夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号』が放送されていた。2012年夏には、当番組が放送開始30周年目ということで当番組をベースとした『FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』が放送されたこともある。


1970年代から1980年代当時の人気お笑いタレントが勢揃いしていた、帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の後を受けて、当時深夜色の強いタレントであった森田一義(タモリ)を総合司会に起用する。『笑ってる場合ですよ!』に比べて視聴率的に苦戦することは十分予想できる事態であった。そのため、タモリ自身も3か月から半年での終了を予期していた。


しかし、番組放送開始から半年も経たないうちに視聴率が上昇し、同時間帯(月-金曜12時台)の年間平均視聴率では、1989年の統計開始から2013年までの25年間連続で民放横並び首位を獲得[2]、「楽しくなければお昼じゃない!」(当時のフジテレビのキャッチフレーズ「楽しくなければテレビじゃない!」のもじり)の番組が掲げるコンセプトでタモリといいとも青年隊を軸として、月曜日から金曜日の各曜日レギュラー陣を始めとし、日替わりコーナーゲストに毎回「テレフォンゲスト」を1組招いて、タモリとトークを展開する「テレフォンショッキング」「各曜日日替わりコーナー」「曜日対抗いいともCUP」などのコーナーを主に放送していた。


当番組の特徴として、一般人・視聴者が出演者(芸能人や著名人)と共に参加する視聴者参加型コーナーが、番組開始当初から長く続いていたことがあげられる[注 3]


基本的に、オープニング → 日替わりコーナー① → 「テレフォンショッキング」 → 日替わりコーナー② → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディング。または、オープニング → 日替わりコーナー① → 日替わりコーナー② → 「テレフォンショッキング」 → 日替わりコーナー③ → 曜日対抗いいともCUP → エンディングという流れで生放送を行っていた。


生放送のため、「テレフォンショッキング」や番組後半の日替わりコーナー2本目が長引いた場合、日替わりコーナー3本目を休止または短縮してそのままエンディングになることがある。通常、当日にオーディションを行う視聴者が出演・参加をする日替わりコーナーを優先するが、日替わりコーナーが2本とも視聴者出演の日替わりコーナーだった場合や、報道などの事情で事前オーディションに受かって出演予定となっていた視聴者が出演できなかった例もある。


番組開始初期から続いたトークコーナー『テレフォンショッキング』は、毎回ゲストを当番組に招いて、タモリとトークをするコーナーである。エンディングでは、週替わりの様々なゲームに各曜日レギュラー陣が挑戦し、曜日チーム同士の対抗戦で成績を争う[注 4] 企画があった。このコーナーは『爆笑オールスター・タモリンピック』→『曜日対抗 いいとも!選手権』→『曜日対抗いいともCUP』と名称を変えながら、断続的に行われた(なお、一週間を通しての放送がない年末年始には放送されなかった)。


1991年1月から、番組生放送終了後の約30分間は総合司会の森田一義(タモリ)を始めとする、各曜日レギュラー陣がファンサービスも兼ねてスタジオ舞台上でトークを繰り広げる。その模様の一部は『笑っていいとも!増刊号』で放送されていた[注 5]。増刊号の特別企画でもある「増刊号スペシャル」「いいとも!ファンクラブ通信」「森田一義アワー 座っていいとも!」「いいとも!スピンオフトーク」「いいとも!5DAYS」など複数の企画が行われていた。


日替わりゲストとして「テレフォンショッキング」のゲスト1組、各曜日日替わりコーナーゲストが宣伝や番宣を兼ねて1組から2組[注 6] 出演していた。ゲストには多岐多彩な分野の人物が出演をしており、現役の内閣総理大臣が出演したこともあった。小渕恵三や小泉純一郎が生放送中に電話出演したほか、2014年には安倍晋三が「テレフォンショッキング」のコーナーに生出演している[3]。また、日本を訪れている外国の著名人が生出演することも多かった。


1998年10月より本番組開始前(11:57:15 - 11:57:30)に一部地域を除いて、クロスプログラム(番組宣伝)を生放送していた。


フジテレビ系列局がない地域において、他系列局で遅れネットも実施された。


本番組の放送期間は31年6か月であった。これは本番組終了時点において、フジテレビ系列の帯番組最長記録となった[注 7]



タイトルロゴ





画像外部リンク

番組ロゴ(フジテレビ番組基本情報ページ)

番組のタイトルロゴは、下記のとおりのデザインとなっており、番組開始から最終回まで基本的な形に変化はなかった。



  • 上部に『森田一義アワー』

  • 旗の中に『笑って』

  • 下部に大きく『いいとも!』

  • 「!」の下部は星状になっており、2番目の「い」まで伸びている。


2001年4月以降、『笑って』の書体を変更したデザインが、一部のセットやテロップで使われるようになった。また、ロゴの配色は基本的に赤一色だが、時期によっては、オープニングタイトルやスタジオセットなどで、赤以外の配色をしたこともある。2011年10月以降は、青・黄・緑など多色にリニューアルされたデザインがメインに用いられた(上部の画像リンクを参照)。



視聴率


1982年10月4日の第1回放送における視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム。以下特記なき場合は省略)は4.5パーセント[4]


2014年3月31日放送の昼の通常放送の最終回の平均視聴率は16.3パーセント(2005年10月10日の16.6パーセント以来の高数字[5][6])、瞬間最高視聴率は12:45の18.4パーセントを記録[7]。同日夜の『グランドフィナーレ 感謝の超特大号』の平均視聴率は28.1パーセント(瞬間最高視聴率は23:10の33.4パーセント)を記録し、有終の美を飾った[6][8]


全8,054回放送の番組平均視聴率は11.5パーセント[5]。最高視聴率は1988年4月29日の27.9パーセント[5]。最低視聴率は1982年10月15日の2.8パーセント[9]



出演者








番組の流れ



オープニング


いいとも青年隊(スタッフ隊・少女隊・AD隊)が番組テーマ曲である「ウキウキWATCHING」の歌とダンスにより放送開始し、タモリがテーマ曲のタイミングで歌いながら登場していた(タモリの歌唱は2000年2月まで。同年3月以降はタモリの意向もあり、歌唱部分は省略となった)。その後、放送開始から1994年9月まではCMまでの約1分間、タモリのみのフリートークや各曜日レギュラー陣登場からのフリートーク、1994年10月以降は各曜日レギュラー陣登場後、オープニングコーナーを挟んでCM転換の形式を基調として番組進行していた。いずれの場合もCM前にタモリが「それじゃあ、今日もそろそろいってもいいかな?」とコールし、全員で「いいとも!」と言って提供クレジット(一部地域除く、初期は提供部分を差し替えるためこのコールが聞けない局もあった)が表示されていた。2014年3月31日の最終回では、本編としては実に14年ぶりとなる、タモリが歌唱しながら登場する形式がとられ、また、「グランドフィナーレ 感謝の超特大号」では初代セットおよび振付が再現された。
1988年は昭和天皇病状悪化配慮に伴う歌舞音曲自粛のムードを受け、『ウキウキWATCHING』の歌を取りやめて、BGMが数秒流れてからのタモリによる挨拶・フリートーク(スタジオはすでに『テレフォンショッキング』のセットが出来上がっている状態でスタート)となり、CM前にテレフォンアナウンサーを呼び込んでいた。



エンディング


その日に登場した曜日レギュラー及び一部のゲストが(エンディングゲストがいる場合は招き入れて)、告知や生放送を振り返った後、コーナー募集があれば行い、放送終了時間が近づくとタモリが「また明日も見てくれるかな?」[注 8] と全員に尋ね、全員が「いいともー!!」という流れで終わる形式であった。1996年までは、その後に一旦CMを挟んで放送終了後のスタジオの様子(1990年までは後枠の『ライオンのいただきます』のセットへ模様替えする様子)をバックに提供クレジット、さらに再びCMを挟んでアルタ前の様子をバックに翌日(金曜は翌週月曜日)の予告テロップを表示していた。



歴代のタイムテーブル


表記の時間など誤差あり。




















主要コーナー・企画



  • テレフォンショッキング

  • 曜日対抗いいともCUP

  • 出たいドル!

  • 発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会

  • 知ってるハイスクール




番組の歴史



放送時間の変遷


















放送期間 放送時間 (JST) 放送分数
1982年10月04日 - 1984年03月30日
12:00 - 12:55 55分
1984年04月02日 - 2014年03月31日
12:00 - 13:00 60分


記念回



  • 1982年10月04日 - 第1回

  • 1983年02月21日 - 第100回

  • 1984年09月04日 - 第500回

  • 1986年08月14日 - 第1000回

  • 1990年07月09日 - 第2000回[注 11]

  • 1994年06月02日 - 第3000回

  • 1998年05月11日 - 第4000回

  • 2002年04月05日 - 第5000回

  • 2006年03月07日 - 第6000回

  • 2010年02月04日 - 第7000回

  • 2013年02月26日 - 第7777回

  • 2014年01月14日 - 第8000回

  • 2014年03月31日 - 第8054回(最終回)


※ 出典(フジテレビ公式サイト[12]



ギネス世界記録に認定



  • 2002年4月5日、放送開始5000回目達成記念に森田一義(タモリ)が単独司会者による生放送の長寿記録として、2003年版のギネス世界記録に認定され、2015年現在においても掲載されている(番組自体が申請した)[12][13]

  • 2014年3月31日(最終回)では、放送開始通算8054回という放送回数により、森田一義(タモリ)が「生放送バラエティー番組 単独司会最多記録」(記録更新=8001回[14])、当番組が「生放送バラエティー番組放送回数最多記録」にそれぞれ認定され、番組エンディング内で認定式が行われた[15]



タモリの休暇・不在時の対応


タモリの主な休暇・不在年月日は、




  • 船舶免許を取得する時(1994年12月6日、1995年2月2日)


  • ゴルフのプレー中に起こった事故による時(2001年11月)


  • 体内検診(白内障の手術)を行うため(2009年7月)


などのほか、かつてはタモリが司会を務めていた深夜バラエティ番組『今夜は最高!』(日本テレビ系列)の日本国外ロケを兼ねてや1983年から1992年までの10年間は毎年、定期的に夏休みをとっていた。


当番組では、1985年から1988年の4年間は正月休暇をとったこともある。この期間の対応は、各曜日レギュラー陣の代表(リーダー)が番組全体の総合司会を担当していた。主に笑福亭鶴瓶、明石家さんま、関根勤、片岡鶴太郎、所ジョージなどが担当していた。


ゴルフのプレー中に起こした事故による時(2001年11月5日 - 14日)には、各曜日レギュラー陣が協力して番組を進行していた。


2009年7月10日放送分のエンディングで、平井理央(フジテレビアナウンサー、当時金曜日担当)から、タモリが精密検査(人間ドック)を行うために次週の放送出演を丸々休養することを発表した。その中で検査とともに白内障の手術も行うことをタモリが自ら語った。タモリが休養の期間は代役の総合司会者を立てず、各曜日レギュラー陣が臨時で司会・進行を務めた。


2013年7月1日放送分からタモリが各曜日日替わりコーナーを1コーナー(オープニングコーナー)と「テレフォンショッキング」しか出演しないという形状になった。だが、2014年1月6日放送分から同年3月31日放送分までは、全ての日替わりコーナーに出演をしていた。



過去には「タモリが前日仕事のために奈良に行って、当日の放送時間までに帰ってこられなくなった」という設定で明石家さんまにオープニングの代役を頼み、リハーサルまで行うというドッキリを仕掛けたことがある(実は本番時にタモリは観客席の最前列に座っており、さんまがオープニングテーマを歌い始めた直後にステージに上がってきて主役を奪い取り、思いっきりズッコケさせた)[注 12]



25年連続同時間帯視聴率首位記録


  • 番組放送開始から半年も経たないうちに視聴率が上昇。関東地区における同時間帯(12時台)の年間平均視聴率では、1989年の統計開始から2014年までの25年連続で、民放放送横並び首位を獲得しており、人気長寿番組帯・バラエティ番組へと発展した[16]


1980年代



  • 前番組の帯バラエティ番組『笑ってる場合ですよ!』の後番組として、日本の「お昼の顔の番組」をコンセプトに、第1回(1982年10月4日)に当番組が放送スタート。総合司会者として森田一義(タモリ)が就任した[注 13][17]

    • なお、総合司会者の候補には、タモリの他にビートたけし、明石家さんま(共に『笑ってる場合ですよ!』のレギュラー)の名前が挙がっていたことを、2012年10月1日放送分と2014年3月31日のトークコーナー「テレフォンショッキング」に出演した、ビートたけしが明かしている[18]。また小松政夫には、タモリと二人で司会をというオファーがあった(小松とタモリは同郷(福岡県出身)同士ということで親交もあった)が、当時ゴルフに熱中していた小松は「(平日毎日の生放送に出演していたら)ゴルフに行けなくなっちゃう」として断ったことを自著で明かしている[19]

    • 記念すべき最初の日替わりコーナーは「タモリの世界の料理」という、タモリがフランス料理に挑戦する企画だった。また、番組開始から番組終了までの全期間に渡り行われたトークコーナー「テレフォンショッキング」は番組初期では最後のコーナーだった。

    • 過去にエンディング終了後に翌日(金曜日の場合は翌週月曜日または『増刊号』)の番組内容を紹介する5秒の予告があったが、1987年に一旦廃止 → 1988年 - 1996年まで復活 → 2004年に再び復活し、最終回前の2014年3月28日まで表示された。

    • 開始時のネット局数は22局(そのうちFNSマストバイ局は17局、クロスネット局は5局)だった。



  • 1982年10月11日、タモリが薄い色のサングラスを変更。このサングラスは、1990年7月23日まで着用された[20]

  • 1982年10月15日、番組史上最低視聴率の2.8パーセントを記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。なお、この日に出演したトークコーナー「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストは三波豊和[21]

  • 1983年4月4日、テレビ長崎で放送を開始(時差ネット)。

  • 1983年9月26日、テレビ岩手で放送を開始(時差ネット)。

  • 1983年9月30日、四国放送での放送が終了。徳島県では隣県局の越境受信が常態化していた。

  • 1983年10月3日、新潟総合テレビ[注 14]、福島テレビ[注 15] にて放送を開始。また、系列外の青森テレビ[22] もこの日から時差ネット (16:00 - ) 開始。

  • 1983年12月1日、この日のテレフォンショッキングのゲストは佳山明生だったが、ゲストが登場する前に突如として一般人の男性が乱入。タモリが冷静に男性に話しかけるがスタジオ内は不穏な空気に包まれる。やがて番組スタッフが男性を強制的に退場させるが、その時の男性の行動なのかスタジオは悲鳴の嵐となる(カメラはタモリや観覧席を映し、男性は映らないよう考慮していた)。男性は「芥川賞の選考結果」について述べるために乱入したそうで、これ以降スタジオの警備が一層厳正化された。

  • 1984年1月、「『笑っていいとも!』3月で打ち切り」と一部スポーツ新聞などで報道されるが、2月に番組続行が発表される[23]

  • 1984年4月2日、大分放送での放送を開始(時差ネット)。
    • 同時に、ネット局数が29局となり、同時間帯における放送地域数並びに放送局数(遅れネット局も含む)の最多の番組では、この日から系列外ネットが消滅した『テレビ小説』(旧:『ポーラテレビ小説』)を上回ることになった。その後も終了に至るまで本番組は同時間帯における放送地域数並びに放送局数(遅れネット局も含む)では最多の番組だった。なお、最大ネット局数は31局だった。


  • 1986年5月12日、愛媛県松山市から公開生放送[24](テレビ愛媛(当時の社名は愛媛放送)が制作協力)。

  • 1987年10月5日、2代目プロデューサー(当時は「チーフプロデューサー」という肩書きはなかった)に佐藤義和(以下、佐藤P)が就任し、番組が大幅にリニューアルされた。同時にテレフォンへ日替わりでフジテレビアナウンサーが担当する「テレフォンアナウンサー」を導入し、番組終了まで、約27年間担当アナウンサーが何代も入れ替わりながらも続いた。セット変更(1回目・1989年に2回マイナーチェンジ)。

  • 1988年4月29日、この日は当時としては天皇誕生日で、番組史上最高視聴率の27.9パーセントを記録した(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。なお、この日に出演したトークコーナー「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストは田原俊彦。

  • 1989年1月9日 - 13日、昭和天皇崩御(7日)に関連し、通常放送は中止。過去のテレフォンショッキングの総集編からなる代替番組『友達の輪スペシャル』として放送[注 16]。この間、過去のVTRを除いてタモリなどの出演者は一切登場せず、フジテレビの男性アナウンサーのみで進行。なお、この週のテレビ欄の当番組部分は、番組内容は空白でタイトルのみが記載されていた[25]。その後、15日は『増刊号』を通常通り放送して、翌16日から病状悪化前の通常編成に戻った。




  • 1989年5月19日、司会のタモリが当時は実話とされていた『一杯のかけそば』を批判。タモリは「150円あれば当時はインスタントラーメンが3個買えた、こんな話はおかしい」と発言し『一杯のかけそば』を「涙のファシズム」と批判した。この発言や作者のスキャンダルが影響したのか『一杯のかけそば』のブームが過ぎ去った[26]

  • 1989年9月18日、当番組は司会のタモリの出身地である福岡県福岡市のイムズホールから生放送。テレビ西日本が制作協力となり、テレフォンアナウンサーに同局の田久保尚英が起用されたほか、同局のスタッフも制作に参加した。



1990年代



  • 1990年1月4日・5日、『笑っていいとも!新春号』のタイトルでハワイから生放送を行う。海外からの生放送は初めて[注 17][27]

  • 1990年3月30日、テレビ岩手での放送が終了。岩手県ではその後1年間、未ネット状態になる。

  • 1990年4月4日、曜日対抗企画「爆笑オールスター・タモリンピック」がスタート。

  • 1990年7月9日、放送2000回達成。達成を記念し、オープニングにて全曜日のレギュラー陣が扮装して登場した。

  • 1990年7月23日、タモリがプライベートでヨットの柱に額をぶつけ怪我を負った事故を受け、額の一部にガーゼをつけて登場した。タモリは、事故直前である7月20日まで、いいともに出演している。
    また、この日から、それまでトレードマークの整髪料で固めた7:3分けのヘアースタイルだった髪型を、事故を機にオールバックへ変更した[20][注 18]。一方サングラスは、この当日のみ従来の茶色系レンズを着用したが、翌日の7月24日からは黒色系レンズに変更された[20][注 19][注 20]


  • 1990年10月1日、テレビ長崎での放送が時差ネットから同時ネットに変更。セットを変更(2回目)。

  • 1990年11月28日、タモリが、サングラスを再び茶色系サングラスに変更する[注 21]

  • 1991年4月1日、岩手めんこいテレビの開局により岩手県にて1年ぶりにネット再開。

  • 1993年3月31日、テレビ朝日系列へのネットチェンジにより山形テレビでの放送が終了。山形県ではその後4年間未ネット状態になる。

  • 1993年5月20日、トークコーナー「テレフォンショッキング」(テレフォンゲスト:鈴木杏樹)実施中にゲストの鈴木が「おとといから緊張してました」とあまりの緊張から口走ってしまう。放送当日の同年5月20日は木曜日であり前日水曜日はいいともが放送されていたため本来は おととい ではなく きのう と発言するはずであり、タモリは一瞬慌てて「そんなことない!」とフォローしていた。

  • 1993年10月1日、大分県での放送が大分放送での時差ネットからテレビ大分での同時ネットに変更。同時にFNS全局ネット化達成。出演者の名前テロップが手書き調から丸ゴシック体(JTCウィンR)に変更。「爆笑オールスター・タモリンピック」が終了。曜日対抗企画は一旦廃止され、「今日の反省会」(1993年9月 - 1994年3月)、「いいとも!一言人生相談」(1994年3月 - 9月)、「勝手にハッピーバースデー!!」(1994年10月 - 1995年9月)など違う企画にコーナーが変更されながら曜日横断企画が行われた。

  • 1994年5月30日 - 6月3日、1週間通し企画として、各曜日日替わりコーナー3000回突入記念と冠したスペシャル企画を連日に渡り放送。当時のレギュラー陣による記念歌「We Are The いいとも!」(「We Are The World」の替え歌)を制作し全員で歌う。6月2日放送分の放送回数3000回当日には番組内で、タモリ金像除幕式が行われた。

  • 1994年10月3日、セットを変更(3回目)。

  • 1995年10月2日、プロデューサーに荒井昭博が就任し、番組が大幅にリニューアルされる。出演者の名前テロップが丸ゴシック体から、デザインも一新されて青地に明朝体(JTCウィンM)に変更。同時に勝手にハッピーバースデー!!に代わる新コーナー「曜日対抗!いいとも選手権」がスタート。セットを変更(5回目)。

  • 1996年3月6日、タモリが、再び他の出演番組と同じ黒色系サングラスに変更する[28]

  • 1996年9月13日、敬老の日の直前ということで番組観覧者全員が老人であった。

  • 1996年10月25日、トークコーナー「テレフォンショッキング」(テレフォンゲスト:和田アキ子)実施中に関東地方で震度3(当時の階級による)の地震が発生し、観客がそれを指摘しタモリ・ゲストの和田両者とも一瞬、「え?マジ?」と驚いたがタモリが「和田さんが動いたんだよ」とネタにし、その後和田が「私が出るときなんで地震だよ!」と(もちろんネタとして)笑顔で指摘し騒然な空気となっていたスタジオアルタの会場が一気に和やかな空気になり爆笑と拍手が湧き上がっていた。

  • 1996年9月27日、高知放送での放送が終了。高知県ではその後、半年間未ネット状態になる。この日をもって番組エンディング終了後CMをはさんだ後の提供クレジット・翌日または来週月曜日の次回予告が廃止。提供クレジットは全て番組エンディング前となる。

  • 1996年9月30日、番組のロゴ・出演者の名前以外にも画面に固定テロップが表示される(表記は「CMの後はテレフォンショッキング」など)。

  • 1997年4月1日、さくらんぼテレビジョンの開局により山形県にて4年ぶりに、また、高知さんさんテレビの開局により高知県にて半年ぶりにネット再開。

  • 1998年10月、トークコーナー「テレフォンショッキング」のコーナーでは、スクロールで簡単にテレフォンゲストのプロフィールを表示するようになる。

  • 1999年1月、セットを変更(5回目)。このセットから、番組開始当初の初代セットから毎回総合デザインを担当していた山本修身が担当を外れる。



2000年代



  • 2000年3月1日、オープニングの演出を変更。タモリによる「ウキウキWATCHING」の歌唱が廃止される[注 22][注 23]

  • 2001年4月、セットを変更(6回目)。

  • 2001年11月17日、タモリがゴルフプレーによる事故によりサングラスを変更する。

  • 2002年2月22日、マイクロソフト会長のビル・ゲイツがオープニングの特別企画に出演。タモリに「Xbox 日本1号機をもらえる券」と引き換えに同日に発売されたXboxを手渡した。

  • 2002年2月、セットを変更(7回目)。

  • 2002年4月5日、放送回数5000回を迎え、タモリが「生放送単独司会世界記録」として、2003年度版ギネス世界記録に認定される。翌年2003年1月15日放送分のオープニングでは、小泉純一郎内閣総理大臣(当時)と生放送中に電話会談をし、小泉からタモリへ直々にお祝いの言葉が贈られた。

  • 2002年9月27日、ケーブルテレビの普及に伴い山梨県でフジテレビが通常視聴できる状態が常態化したことから、山梨放送での放送が終了。

  • 2002年10月14日、2002年10月22日、タモリがサングラスを変更する。

  • 2004年1月、セットを変更(8回目、数回程デジタルハイビジョン化に伴うマイナーチェンジ実施)。

  • 新宿スタジオアルタがデジタルハイビジョン化工事(工事期間:2005年6月25日 - 7月24日)の時の間、2005年6月27日 - 7月22日の放送分はフジテレビのV3スタジオから生放送がされた。

  • 2005年7月25日から、スタジオアルタのデジタルハイビジョン化工事の完了によりフジテレビ・東海テレビ・関西テレビの地上デジタル放送ではハイビジョン放送(画面サイズが16:9)で放送されるようになり、他の系列局でも順次地上デジタル放送開始と同時にデジタルハイビジョン放送となった。

  • 2005年9月21日、トークコーナー「テレフォンショッキング」(テレフォンゲスト:山崎邦正)で観客の1人が「『いいとも!』が年内で終了するのは本当なのか?」と質問し、スタッフにより退席させられた。

  • 2006年1月から、関東地方のアナログ放送で番組第1回からあった時報が廃止された。

  • 2006年3月7日、放送回数6000回を刻印した『いいとも!』の番組ロゴマークが入ったメロンパンをその日に出演していたゲスト、客席全員に配付した。

  • 2006年10月2日から10月6日までの一週間は、番組開始から25年目に突入することを記念してお台場のフジテレビ本社から生放送された。同年10月7日には『秋の祭典スペシャル』を放送。


  • 中山弘子新宿区長が、2007年11月4日放送分(実際に表彰されたのは11月2日の放送終了後)の『笑っていいとも!増刊号』に出演し、『森田一義アワー 笑っていいとも!』が新宿スタジオアルタから25年間に渡り生放送を続けて、「新宿の街のイメージアップに多大な貢献をしている」ということで、タモリに感謝状を手渡した。




  • 2007年9月14日、番組放送開始からいいとも青年隊・少女隊・AD隊のオープニングダンスの振り付けを担当していた土居甫が悪性リンパ腫で死去。これ以降は渡辺美津子が振付を担当した。

  • 2008年8月7日の午前中、タモリと水曜レギュラー(当時は木曜レギュラー)のおすぎは赤塚不二夫の告別式に参列した。特に、タモリにとって赤塚は芸能界デビューへのきっかけを作った恩人であり、葬儀では本名の“森田一義”名義で弔辞を読みあげた。当日の『いいとも!』には両人とも予定通りオープニングから出演した。

  • 2009年3月30日、セットを変更(9回目)。

  • 2009年4月27日放送分より、CM転換時のテロップが変更され、画面右下の「笑っていいとも!」ロゴ表示から黒枠の中に、青枠で「CMの後」や「このあと」、赤字で大きく次のコーナーの紹介やCM明けの告知などを表示する形式となった。

  • 2009年4月24日、金曜レギュラーの草彅剛 (SMAP) が2009年4月23日未明に公然わいせつ罪により逮捕され、この日の出演はキャンセルされた。その後、当番組を含む全てのレギュラー番組から当面は出演自粛という形になったが、当番組には2009年5月29日の放送で復帰した。

  • 2009年7月10日、エンディングで平井理央(当時フジテレビアナウンサー)から、タモリが精密検査を行うために次週の放送を丸々休むことを発表した。その中で検査とともに白内障の手術も行うことをタモリが自ら語った。



2010年代(2010年1月 - 2013年6月)



  • 2010年2月4日放送分で放送回数7000回を迎えた。オープニングにて特別企画として『いいとも!』放送第1回を振り返った[注 24]

  • 2010年7月19日放送分から23日放送分までの1週間、動画生中継配信サイトUstreamにて、11:50 - 12:00(生放送開始)の間、AD隊(クルット&ハリー)の前説の模様を特別に配信していた[29]。同年11月21日放送分の『増刊号』にて、「イマつぶ」を配信開始した。「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストへのつぶやきや、番組へのつぶやき、スタッフのつぶやきを当番組の公式ホームページ上で紹介していた。

  • 2010年7月5日放送分から地上デジタル放送への完全移行(2011年7月24日)を前提に、アナログ放送の全番組が画角16:9のレターボックス放送に移行するため、本番組もアナログ放送では、同日放送分よりレターボックスで放送されるようになった。[30]

  • 2011年1月8日、当番組の初代プロデューサーの横澤彪が肺炎のため死去。1月11日、タモリが横澤宛に寄せたコメントが公開された[31]

  • 2011年3月11日放送終了後に東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)が発生し、13日の『増刊号』、14日から18日のレギュラー放送ともに東日本大震災関連の報道特別番組(14日から18日は『FNNスピーク』拡大放送)のため休止。翌週20日の『増刊号』も東日本大震災特別番組のため休止となった。また、被災県の系列局のうち、仙台放送では3月21日から25日の5日間は震災生活支援情報、福島テレビでも21日は『FTVスーパーニュース特報』を放送のため、それぞれ休止となった。レギュラー放送が5日間、『増刊号』も含め8日間もの休止は番組開始以来初となった。なお、レギュラー放送再開となった3月21日の放送では、オープニングでタモリが『先週金曜日、東日本大震災、被災者の皆様方に心よりお見舞い申し上げます。』と、被災者へのお見舞いの言葉を述べた[32]。3月21日の放送からは、オープニングとエンディング部分にて、日本赤十字社の『東日本大震災義援金』の呼びかけを日替わりテレフォンアナウンサーが担当、3月21日以降の「テレフォンショッキング」ではこれまで行っていた「こんにちは!」「そーですね!」などの定番のやり取りをやめ、オープニングの後ですぐにテレフォンアナウンサーの紹介 → テレフォンゲストの紹介という進行となった(最終回まで3年間その形となった)。

  • 2011年3月25日、テレビ山口での放送が終了[33]。山口県では未ネットとなる。これにより29局ネットとなった[注 25][注 26]

  • 2011年4月18日 - 22日は「ひとつになろう日本」の企画として、ニッポン放送の『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』との相互放送を実施した。

  • 2011年7月24日放送分、『FNS27時間テレビ』内での『増刊号生スペシャル』内で、正午に「地上デジタル放送完全移行セレモニー」を実施した[注 27]

  • 2011年10月3日放送分から、放送開始30年目を迎えるにあたって番組内BGMやジングル、さらに「テレフォンショッキング」などの仕様がリニューアルされた。

    • オープニング・エンディングの「ウキウキWATCHING」や、CM転換時のジングル、「テレフォンショッキング」などの音楽がポップ調にアレンジされて一新された。編曲は小西康陽が担当した[34]

    • セットを変更(10回目・最後の変更[35])。



  • 2012年4月9日放送分から、「テレフォンショッキング」の「友達の輪」(お友達紹介)が終了になり、テレフォンゲストを番組が指名して日替わりにスタジオへ迎えるシステムへと変更された[36]

  • 2012年7月21日18:30から翌22日20:54(JST)までの約26時間半、当番組をベースとした『FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?』が生放送された[37][38]

  • 2012年10月1日放送分、「テレフォンショッキング」にビートたけしが、監督を務めた映画『アウトレイジ ビヨンド』の宣伝も兼ねて生出演を果たし、同コーナーのテレフォンゲストとしての出演は24年ぶりであった[18]

  • 2012年11月5日放送分からは再び、番組テーマ曲「ウキウキWATCHING」のオープニング・エンディング、CM転換時ジングル、「テレフォンショッキング」などのすべてのBGM・ジングルが従来の電子音へ戻された。

  • 2012年11月30日、日付のごろ「いい(11月)」「さんま(30日)」の日にちなんで、明石家さんまがスペシャルゲストとして、3年ぶりにスタジオアルタに登場した。

    • さんまは、オープニング明けからすぐに日替わりコーナー「知ってるだけで楽しい人生!コレ知ってる!?プレゼンター」に金曜レギュラーの関根勤のプレゼンテーションで、「話題のヒト」で「しゃべり出したら止まらないアノ芸人が来てしまった!」として登場した。

    • 「テレフォンショッキング」をはさみ、タモリとさんまによる2人のトークコーナーが「復活!!タモリ・さんまの日本一の最低男」として行われた。さんまの『いいとも!』レギュラー卒業から17年ぶりとなるトークコーナーとなった。結局トークは25分間続き、終盤には金曜日レギュラー陣も登場した。

    • 「テレフォンショッキング」の15分間を除く43分間全てに出演した[39]



  • 20121212121212秒に、「特別企画 2012年12月12日 12時12分12秒ショー」と題したコーナーが放送され、100年に一度の貴重な瞬間を祝おうと「2012年12月12日」を記念して「12」にまつわる様々な人達が続々と集まり、最後には「2012年12月12日12時12分12秒」に出演者・参加者・観客揃って記念写真を取るという特別企画を行った[40]

  • 2013年2月26日放送分で放送回数7777回目を迎えた。特別企画として、放送1週間前に予告されていた、火曜レギュラーの澤部佑(ハライチ)「ダイエット企画」を行った。放送回数にちなんで、77.77キログラムまで痩せられるかという実験企画を行い、エンディング部分で達成した。また、この日の「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストは「7」にちなんで松嶋菜々子が出演した[41]。また、この週(2月25日 - 27日)の曜日対抗いいともCUPで行われた「もうすぐひな祭り ひな人形を倒センス~!」にて、雛人形に扇子を当てて倒す描写が問題視され、週半ばより演出が改められた[42]。日本文化チャンネル桜などは「皇室を侮辱している」と公然とフジテレビを非難し、電話で抗議する様子を配信した。

  • 2013年5月6日放送分、「テレフォンショッキング」にて、みのもんたが出演した(2013年5月3日放送分の雨上がり決死隊からの紹介)。みのが当番組の裏番組であった『午後は○○おもいっきりテレビ』→『おもいっきりイイ!!テレビ』の司会を20年務めていたため、1984年7月12日放送分以来、29年ぶりの出演となった[43]



番組末期(2013年7月 - 最終回)




2014年3月31日午後9時ごろ、新宿アルタ前にて“グランドフィナーレ 感謝の超特大号”放送の様子を眺める人たち



  • 2013年7月1日放送分より、一部レギュラーの出演曜日が変更となる。さまぁ〜ず・三村マサカズが火曜日→月曜日[注 28] に、バナナマンが金曜日→火曜日に、爆笑問題・田中裕二が月曜日→金曜日[注 29] に、また月1回レギュラーの鈴木浩介も火曜日→金曜日へそれぞれ移動と、7月としては異例の大幅移動となった(こちらも参照)。また、この辺りから、タモリがオープニングコーナーと「テレフォンショッキング」を除いて、各曜日レギュラー陣にコーナーを任せて、出演しないコーナーが新設された。先週まで放送されていた、既存のコーナーを含むものの、事前告知が行われていなかったため、タモリの体調を心配する声が上がった。なお、フジテレビはタモリの体調不良説を否定していた[44]

  • 2013年10月14日(月曜日、体育の日)は、小学生の男女100人と保護者50人が番組観覧した。この日は特別企画として「学問の秋 いま小学生に伝えたい特別授業SP」が行われ、月曜レギュラー6名とコーナーレギュラーの林修(東進ハイスクール・東進衛星予備校講師)が様々なテーマで講義を行い、鈴木福(Holidayレギュラー)とふなっしーが客席前列に同席して見守った[45]

  • 2013年10月22日(火曜日)放送分において、木曜レギュラーの笑福亭鶴瓶が番組終盤に登場し、タモリに対して「いいとも!終わるってホンマ?」と聞き、2014年の3月で放送が終了することが発表された[46][47]

  • 2014年1月13日(成人の日)はこの年成人式を迎えた新成人150人が観客席に座った。「テレフォンショッキング」ゲストにはフリーアナウンサーの宮根誠司が出演[注 30]

  • 2014年1月14日放送分で、放送回数8000回を達成。タモリが2004年7月の『27時間テレビ』以来約10年ぶりに久しぶりに火曜レギュラー陣、ゴスペラーズと共にオープニングを歌った(スタジオアルタからの通常放送としては、年末の特大号を除くと2000年2月28日の生放送以来約14年ぶり)。「テレフォンショッキング」には、1985年2月25日以来、29年ぶりにとんねるずが出演し、その場でレギュラーになることが発表された[12][48]

  • 2014年1月28日、同年3月31日に最終回を迎えることが発表された。当日は正午にスタジオアルタから通常放送の最終回(第8054回)の生放送に加え、ゴールデンタイムの時間帯にお台場・フジテレビから『笑っていいとも!グランドフィナーレ特大号(当時の仮称)』を生放送する予定とされた[1]

  • 2014年2月14日、萩本欽一が「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストとして、当番組に初出演する[49]。これにより萩本とタモリのツーショットトークが実現した。

  • 2014年2月19日、「テレフォンショッキング」にテレフォンゲストとして、10年ぶりにナインティナインがコンビで出演した。岡村隆史がタモリと番組チーフプロデューサーと相談した上、その場でとんねるずと同様の不定期レギュラーとして加入が決定した。なお相方の矢部は、「嫁が今、大事な時期だから見守っててあげたい」と渋々断った[50]

  • 2014年3月5日、「テレフォンショッキング」に女優の天海祐希がテレフォンゲストで出演中、携帯電話のコール音が響き、トークを中断[51]

  • 2014年3月12日、江頭2:50が、突如、スタジオに登場し、客席に飛び込むなど大暴れした。なお、スタジオアルタへの乱入は13年ぶりで、江頭曰く「橋田壽賀子にキスして出入り禁止になって以来」と話し「『いいとも!』終わる前に出られてよかった」と喜んだ[52][53]

  • 2014年3月17日、和田アキ子がトークコーナー「テレフォンショッキング」の最多出演(男女共通・22回目)を果たした。

  • 2014年3月18日、オープニングから最終回までの残り回数が表示される。

  • 2014年3月21日(春分の日)、内閣総理大臣の安倍晋三がトークコーナー「テレフォンショッキング」のテレフォンゲストとして生出演する[3]。現役の首相で初めて出演した安倍は、バラエティー番組及びタモリについて「無形文化財だと思う」と述べた[54]。一方でこの時アルタ周辺では、出演に反対する人々が、抗議のデモ行動を起こした[55]

  • 2014年3月24日、エンディングで3月31日の通常放送最終回とゴールデン枠に生放送が予定されている『笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号』の番組宣伝が行われた。

  • 2014年3月31日(最終回[56])、トークコーナー「テレフォンショッキング」にテレフォンゲストとしてビートたけしを迎えた。番組最後の言葉はいつも通り「それじゃあまた、明日も見てくれるかな?」「いいとも!」と発し、31年半におよぶ番組の幕を閉じた[57]

  • 最終回の平均視聴率は16.3パーセント[58]、瞬間最高視聴率は12:45の18.4パーセントだった(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。

  • 昼の通常放送の最終回の後に放送された『ライオンのごきげんよう』では、番組のオープニングで、司会の小堺一機が「タモリさん、長い間お疲れ様でした」と一言挨拶を入れた。

  • 2014年3月31日、夜・ゴールデンタイム(20:00 - 23:14)には『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』がアルタではなくお台場・フジテレビ本社V4スタジオより生放送され、2012年11月30日以来の約1年半ぶりに「タモリ・さんまの日本一の最低男」が復活した。歴代いいとも!レギュラー陣の明石家さんま→ダウンタウン→ウッチャンナンチャン[注 31]→ナインティナインが順番に15分毎に1組ずつタモリとトークする予定だったが、タモリとさんまのトークが中々終わらず、予定時間よりも長引いたため、しびれを切らしたダウンタウンとウッチャンナンチャンがステージに登場し、とんねるずと爆笑問題も乱入する形で登場した。その後、ナインティナインも登場した。それにより、とんねるず、ダウンタウン、爆笑問題の3組の共演が実現した。「とんねるず×ダウンタウンの共演」は約20年ぶり3回目であり、「ダウンタウン×爆笑問題の共演」は約25年ぶりだった。「明石家さんま×とんねるずの共演」は約15年ぶりだった。そのステージには、司会のタモリ以外に、笑福亭鶴瓶、中居正広(SMAP)も登場していた。

  • 『笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号』の平均視聴率は28.1パーセント[59]、瞬間最高視聴率は23:10の33.4パーセントで、有終の美を飾った(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)。



番組終了後


2014年


  • 番組放送終了翌日の2014年4月1日からは後継番組『バイキング』が放送開始したが、オープニングで本番組の話題に触れながらのスタートとなった。

  • 番組が無くなった喪失感を表す言葉として「タモロス」が生まれ[60]、2014年の新語・流行語大賞の候補50語に「タモロス」がノミネートされた[61]

  • 2014年秋、サントリーコーヒー「BOSS」新商品『プレミアムボス』のCMでは、当番組のトークコーナー「テレフォンショッキング」に類似したセットで、トミー・リー・ジョーンズ扮する「宇宙人ジョーンズ」とタモリが共演した[62][63]

  • 当番組放送終了から約半年後の10月より、同局でタモリが司会を務めるレギュラー番組『ヨルタモリ』を放送開始した( - 2015年9月)。


2015年


  • 2015年2月、カルチャー誌「Quick Japan」で展開される人気企画「テレビ・オブ・ザ・イヤー2014」で当番組が大賞に輝いた[64]

  • 本番組終了から2年後の2016年3月31日、老朽化に伴いスタジオアルタの営業が終了(ビル自体は現在も営業継続している[65][66][注 32])。

  • 2015年以降、テレビ朝日系列では毎年9月に大型特別番組『ミュージックステーションウルトラFES』を12:00(司会のタモリが本番組に出演していた時間帯)から21:48まで生放送している[注 33]


2016年


  • 先述のスタジオアルタ閉鎖に際し、4月2日に『久保みねヒャダこじらせナイト』で特別企画「久保みねヒャダこじらせライブin新宿アルタ」が放送された。番組内では「テレフォンショッキング」や「そっくりさんコンテスト」に似た企画が行われ、エンディングのスタッフロールも『いいとも』末期に準じた青の明朝体フォントが使用された。

  • 2016年7月放送の『FNS27時間テレビフェスティバル!』にて、「そっくりさんカーニバル」(「身内自慢コンテスト」)の特別版「FNS全国そっくりキャラ選手権」が行われた。


2017年

  • 2017年9月28日放送の『とんねるずのみなさんのおかげでした 30周年だもんでタモリたけしと祝っちゃうぞ!! ついでにみやぞんの新居にも行っとく!?SP』において、当番組をベースにした「とんねるずアワー 祝っていいとも!」を、当番組末期のスタジオセットを使用して行った。オープニングでは、とんねるず(石橋貴明・木梨憲武)[注 34] がいいとも青年隊に扮して「ウキウキWATCHING」を熱唱(一部歌詞を変更)し、「テレフォンショッキング」のゲストとして司会のタモリも出演[注 35]、画面左隅の時刻表示も行われるなど当番組の事実上の復活となった。また、いいとも!木曜レギュラーだった笑福亭鶴瓶がスタジオアルタからお台場フジテレビまでサイドカーで移動して登場している[67]


放送事故・事件・ハプニング・現象


「テレフォンショッキング」のコーナーにおける放送事故・事件・ハプニングはこちらを参照。



事件・ハプニング



  • 1984年2月17日、番組の生放送中に突然スタジオ内に火のついていない発煙筒が投げ込まれる事件があった。投げ込んだのは右翼系政治結社「正氣塾」の未成年メンバーで、建造物侵入及び威力業務妨害の罪で警視庁に現行犯逮捕された[68]

  • 1993年9月13日に、伊集院光が自身のラジオ番組(伊集院光のOh!デカナイト)の1コーナーで20日のテレホンショッキングのゲストのもとに大量の電報が届くという予言(という名目のリスナーへの煽り)を放送した為、20日のゲスト、本田博太郎の元に「電話帳にして4冊分」という大量の電報がリスナーの手によって届いてしまった(通常ゲストに届くのは数通程度)。しかし、本田の娘が伊集院のラジオリスナーであったことや、本田自身が、洒落がわかる人間であったため、批判はなく、後日、伊集院の番組で本田を称える放送を行った。

  • 2003年6月4日、「ドリームズカムチャイルド」のコーナーで、当時4歳の女児が登場し挨拶。「キリンプロの田澤有里朱(たざわありす)です」と、所属事務所名を付けて自己紹介をしてしまった。なお、その後は問題なくコーナーが進行したが、CM前にタモリが「さあ来週はどこの事務所かな?」と皮肉交じりにフォローを入れてた。

  • 2005年9月21日の放送で、タモリと山崎邦正のトーク中に観客席の男性が突然「『いいとも!』が年内に終了するって、ほんとなんですかね?」と割って入るハプニングがあった。CMが終わると既に男性の姿はなく、その席にはタモリのアドリブで小さな白い熊のぬいぐるみがポツンと置かれていた。それ以降、不適切な発言者の席にぬいぐるみを置くというのがバラエティ番組の定番になった[69]

  • 1988年7月1日の放送にてタモリが酔っ払った状態で出演し、オープニングで暴走やコーナーではふらつきながら進行していた。また、当時の金曜レギュラーである明石家さんまに酷く注意されていた。

    • 酔っ払った原因として、1988年7月16日に放送された「FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島’88」の司会を明石家さんまが断ったことに関して、タモリが当時仕事で共演することが多く親交があったさんまに裏切られたという勘違いにより三日三晩酔っ払い続け、当日の放送も酔っ払ったまま出演したのが原因である。

    • 経緯として夢列島のスタッフがタモリに司会交渉する際、明石家さんまに出演オファーをしていない状態で明石家さんまも司会をすると伝え、タモリも快諾した。後日、明石家さんまに交渉したところ「第一回(1987年放送FNSスーパースペシャル 1億人のテレビ夢列島)を超えられない」という理由で司会を辞退してしまった。その後、タモリに理由を渡されないまま、明石家さんまが司会を辞退したと耳に入り、理由を聞く為、夜に酔った状態で明石家さんま宅に電話をした。しかし電話を自宅ではなく事務所の方にかけてしまい、たまたま事務所に寝泊まりしていた村上ショージが応答し、夜中に電話されたこととタモリ本人とは思わずイタズラ電話していると思い、電話相手のタモリ本人に激怒してしまった。そのことがタモリを勘違いさせる一因となり、三日三晩酔い続けたと明石家さんまとタモリは語っている。

    • 後日、明石家さんまは理由を話し、お詫びしている。[70]





現象


  • 32年間にわたり、司会のタモリがフジテレビの平日の昼の時間帯に当番組に出演し続けていたこともあり、途端にタモリが平日の昼の時間帯にテレビ番組に姿を現さなくなり、一部の期間で「タモロスが起こった。2014年8月28日の新CMサントリープレボスにて「タモロス」を示すCMを発表した。


テーマソング



オープニング・エンディング曲




































ウキウキWATCHING
(初代)いいとも青年隊の楽曲
リリース
1983年
規格
シングルレコード
ジャンル
J-POP
レーベル
発売元:ラジオシティレコード
販売元:ビクター音楽産業
作詞者
小泉長一郎
作曲者
伊藤銀次
その他収録アルバム




  • シングル「だったらツイスト」

  • LP『いいとも気分』



カバー





  • 岡村と卓球

  • 伊藤銀次



収録曲




  1. 「だったらツイスト」

  2. ウキウキWATCHING




  • 「ウキウキWATCHING」(作詞:小泉長一郎、作曲:伊藤銀次、編曲:鷺巣詩郎、小西康陽[34][注 36]JASRAC作品コード:010-7450-4)。


初代 1982年10月4日 - 2008年3月28日(第1期)、2010年4月5日 - 2011年9月30日(第2期)、2012年11月5日 - 2014年3月31日(第3期)

『いいとも!』生放送中で使用されているBGMはすべて、初期1982年10月4日放送分の第1回目当初から変わらずにエレキギターやシンセサイザー、ブラスによるバンドの録音が使用されていた。下記の2代目、3代目BGMの後、2012年11月5日放送分からは再び、番組テーマ曲「ウキウキWATCHING」のオープニング・エンディング曲、CM入り曲、「テレフォンショッキング」などのすべてのBGMが初代のものへと戻された。

2代目 2008年3月31日 - 2010年4月2日

2008年3月31日放送分より、1989年の「チャイルズ」以来19年振りに「いいとも少女隊」(リン・ナオミ)が復活。それに伴い、オープニングの「ウキウキWATCHING」のキーが、女性に合わせて高く変更された。

3代目 2011年10月3日 - 2012年11月2日

2011年10月3日放送分から放送開始30年目を迎えるにあたり、番組テーマ曲「ウキウキWATCHING」のオープニング・エンディング曲、CM入り曲、「テレフォンショッキング」などのすべてのBGMが、楽器を使用したポップ調のアレンジに一新された(編曲:小西康陽[34])。

発売されている音源

1983年に、初代いいとも青年隊が歌唱した音源がシングル「だったらツイスト」のB面に収録された。

2003年に岡村靖幸と石野卓球によるユニット「岡村と卓球」がアルバム『The Album』でカバー。

作曲した伊藤銀次は、2012年発売のアルバム『GOLDEN☆BEST 伊藤銀次〜40th Anniversary Edition〜』のボーナス・トラックにてセルフカバーしている。

備考

放送終了から3年後の2017年4月より「キリン 零ICHI」のTVCMにおいて、「ウキウキWATCHING」がジャズ調にアレンジしたブラス演奏によるインストゥルメンタル版として、CMテーマ曲に使用されている[71]



観覧



番組終了時点での観客席数は150[72][73]


当番組を観覧希望するには、往復はがきで、希望日、希望人数、全員の氏名・年齢・職業、代表者の連絡先を明記の上、希望放送曜日の1か月から10日前までに番組宛に必着で応募する。1人で多数の応募や、記入漏れがあった場合は無効となり、参加メンバーの変更は出来ない。


番組開始当初から、18歳未満、および高校生(18歳以上であっても定時・通信制を含む高校生であれば該当)による応募は(18歳以上の同伴者を伴った場合を含め)無効となっている。理由としては、学校(高校)を無断欠席し、観覧させるのを防ぐためとのタモリの意向による[注 37] とされるが、番組に出演(一般人・芸能人ともに)する際にはこうした制限もなく、一般の就学児童や学生が学校を欠席して出演している。18歳以上で高校を卒業していても、新年度になる4月までは応募不可となっている。


なお、次に挙げる各回は通常の観覧募集を行わず、以下のような特別観覧となった。



  • 1996年9月13日(金曜日) - 敬老の日直前特別企画として老人おじいさま・おばあさまの男女150人(前・後列ともに)。

  • 2013年10月14日(月曜日、体育の日) - 小学校5・6年生の男女100人(前列)と保護者50人(後列)。

  • 2014年1月13日(月曜日、成人の日) - 新成人の男女150人(前・後列ともに)。

  • 2014年3月31日夜「グランドフィナーレ感謝の超特大号」- 元いいとも!レギュラーOB・OG(青年隊含む)70人前後


また、すべての観覧募集終了後、最終回までの5回分の観覧応募落選者に送付されたはがきには、応募者多数による不当選となった旨の他、32年間の本番組の御愛顧に対する御礼と、番組末期の『森田一義アワー 笑っていいとも!』タイトルロゴの赤色のゴム印が添えられていた。



放送休止・中断



重要事件・事故・自然災害による休止



  • 1989年1月9日 - 13日:昭和天皇崩御[74][75](代替番組『友達の輪スペシャル』として放送)

  • 1989年2月24日:昭和天皇大喪の礼

  • 1989年7月24日:第15回参議院議員通常選挙 (報道特番『選挙列島 そりゃもう大さわぎ!!』での翌日開票選挙区の開票状況放送のため)

  • 1991年1月17日:湾岸戦争開戦

  • 1993年1月19日:皇太子徳仁親王、小和田雅子の結婚に関する皇室会議

  • 1993年6月9日:皇太子と皇太子妃結婚の儀

  • 1995年1月17日 - 20日:阪神・淡路大震災
    • このため、1月22日の『増刊号』は内容を大幅に変更し「いいとも!リクエスト特集」と題して過去放送のVTRから厳選したものを放送した。1月16日(テレフォンゲスト:岸谷五朗)を含む「テレフォンショッキングダイジェスト」は翌週1月29日に持ち越して放送。


  • 1995年3月20日:地下鉄サリン事件

  • 1995年5月16日:オウム真理教教祖・麻原彰晃逮捕

  • 2001年9月12日:アメリカ同時多発テロ事件

  • 2003年3月20日:イラク戦争開戦
    • 放送は休止になったが、番組収録自体は通常通り実施され、同年3月23日放送分の『増刊号』の中で、未放送シーンが放送された。


  • 2011年3月14日 - 18日:東日本大震災
    • 2011年3月11日15時 - 同年3月14日4時までの全ての番組が放送休止となり、同年3月13日の『増刊号』も休止。また、3月14日 - 18日が放送休止となったため、3月20日の『増刊号』も放送休止。2011年3月21日からは東日本大震災の被害が大きかった宮城県(仙台放送、生活支援情報を放送)と福島県(福島テレビ、『FTVスーパーニュース』特報を放送)のみ放送休止、それ以外の地域では放送再開。宮城県(仙台放送)は3月25日まで放送休止。




スポーツ関連(オリンピックなど)による休止



  • 1984年8月13日:ロサンゼルスオリンピック閉会式の中継[75]

  • 1996年7月22日 - 7月26日:アトランタオリンピックのハイライト番組

  • 2000年9月26日:シドニーオリンピックの野球競技準決勝の中継

  • 2008年8月18日:北京オリンピックの陸上競技予選の中継

  • 2010年2月24日:バンクーバーオリンピックのフィギュアスケート女子・ショートプログラム中継



一時中断・途中中断



  • 1985年8月13日:日本航空123便墜落事故の生存者救出

  • 1991年8月19日:ソ連8月クーデター

  • 1995年3月22日:オウム真理教強制捜査

  • 1995年6月21日:函館空港全日空857便ハイジャック事件

  • 1996年1月5日:村山富市首相(当時)が辞意表明

  • 1996年6月13日:福岡空港ガルーダ航空機離陸事故

  • 1996年12月24日:ペルー日本大使公邸占拠事件で、人質が大量解放

  • 1999年7月23日:羽田空港全日空61便ハイジャック事件

  • 2000年11月8日:ブッシュ大統領の大統領選挙勝利宣言

  • 2001年4月16日:皇太子徳仁親王妃雅子懐妊

  • 2005年8月16日:宮城地震
    • 宮城のネット局・仙台放送では急遽放送を差し替え、ローカルで地震関連のニュースを流し続けた。


  • 2010年6月4日:民主党代表選

  • 2010年10月13日:コピアポ鉱山落盤事故の生存者1人目の救出

  • 2011年3月9日・22日・4月14日:関東地方の強い揺れによる緊急地震速報

  • 2011年12月19日:北朝鮮の金正日総書記死去
    • 時差放送局では排他協定などのニュース協定の関係や時差放送時におけるニュースの状況が違うため、ニュース部分の「垂れ流し」ができない。そのために該当部分はフィラー映像に差し替えていた。




ネット局



番組終了時のネット局


青森テレビ、テレビ大分、テレビ宮崎以外はフジテレビ系列のフルネット局。











ネット局一覧(青森テレビ[注 38] のみ16:45からの放送)


  • フジテレビ (CX) (制作局


  • 北海道文化放送 (UHB)


  • 青森テレビ (ATV)[注 38]

  • 岩手めんこいテレビ (MIT)

  • 仙台放送 (OX)


  • 秋田テレビ (AKT)

  • さくらんぼテレビ (SAY)

  • 福島テレビ (FTV)




  • 新潟総合テレビ (NST)


  • 長野放送 (NBS)


  • テレビ静岡 (SUT)


  • 富山テレビ (BBT)


  • 石川テレビ (ITC)


  • 福井テレビ (FTB)

  • 東海テレビ (THK)




  • 関西テレビ (KTV)


  • 山陰中央テレビ (TSK)


  • 岡山放送 (OHK)


  • テレビ新広島 (TSS)

  • テレビ愛媛 (EBC)

  • 高知さんさんテレビ (KSS)

  • テレビ西日本 (TNC)





  • サガテレビ (STS)

  • テレビ長崎 (KTN)


  • テレビくまもと (TKU)

  • テレビ大分 (TOS)[注 39]


  • テレビ宮崎 (UMK)[注 40]


  • 鹿児島テレビ (KTS)


  • 沖縄テレビ (OTV)




過去のネット局


山形テレビ以外はいずれも遅れネット。















































放送対象地域 放送局 放送当時の系列 備考
岩手県
テレビ岩手 (TVI)
日本テレビ系列
1983年4月4日から1990年3月30日まで
1990年4月2日から1991年3月29日まで岩手県では未放送[注 41]
山梨県
山梨放送 (YBS)
2002年9月27日まで
徳島県
四国放送 (JRT)
1983年9月30日まで
高知県
高知放送 (RKC)
1996年9月27日まで
1996年9月30日から1997年3月31日まで高知県では未放送[注 42]
山形県
山形テレビ (YTS)
フジテレビ系列
1993年3月31日まで
1993年4月1日よりテレビ朝日系列局
1993年4月1日から1997年3月31日まで山形県では未放送[注 43]
山口県
テレビ山口 (tys)
TBS系列
2011年3月25日まで[33]
1987年9月まではフジテレビ系列(FNSのみ加盟)とのクロスネット局
大分県
大分放送 (OBS)
1984年4月2日から1993年9月30日まで
1993年10月1日にテレビ大分へ放送権移行


ネット局に関する備考



  • 新潟総合テレビと福島テレビは、フジテレビのフルネット局になった1983年10月3日から同時ネットでの放送を開始している。

  • テレビ長崎は1983年4月4日開始から1990年9月28日まで、夕方16時(のちに17時)に時差ネットが行われていた。この理由は当時日本テレビ系列とのクロスネット[注 44] で、日本テレビ系列のワイドショー番組(『お昼のワイドショー』→『午後は○○おもいッきりテレビ』)を開局当初より同時ネットしていた編成上の都合による。

  • テレビ岩手と高知放送[注 45] は、フジテレビ系列新局(岩手めんこいテレビ・高知さんさんテレビ)開局内定に伴う系列番組移行準備のため、両局開局の半年から1年ほど前に放送を終了している。

  • 大分県で1984年4月2日からネットを開始するにあたり、本来のフジテレビ系列局のテレビ大分ではなく系列外の大分放送(TBS系列)で放送されていた理由はテレビ大分が当時、日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局であり、開局当初より『テレビ朝日系列月-金曜12時台の情報番組』を同時ネットしていた編成上の都合による。この措置は、大分朝日放送開局に伴うテレビ大分のテレビ朝日系列脱退の1993年9月30日まで続いた。

  • 山形テレビにおける打ち切り後は4年間山形県では未放送だったが、1997年4月にさくらんぼテレビ開局に伴い山形県における放送を再開している[注 46]

  • 番組放送開始当初、沖縄テレビが視聴不可能だった沖縄県の宮古島と石垣島は宮古テレビ、石垣ケーブルテレビで一時期のみであるが、それぞれ午後に時差ネットしていた(2局とも、ネット局のロールには表示せず)。

  • 仙台放送と秋田テレビは一時期、十字屋テレビショッピング12時放送のため、12時4分から飛び乗りネットを行っていた時期があるが、のちに前述の番組は昼ドラの後に放送時間が移動し、以降は両局とも完全放送が再開された。



番組予告(クロスプログラム)


テレビ大分以外はフジテレビ系列のフルネット局。











番組予告(クロスプログラム)実施局


  • フジテレビ (CX)

  • 岩手めんこいテレビ (MIT)

  • 仙台放送 (OX)

  • 秋田テレビ (AKT)

  • さくらんぼテレビ (SAY)

  • 福島テレビ (FTV)




  • 新潟総合テレビ (NST)

  • 長野放送 (NBS)

  • 富山テレビ (BBT)

  • 石川テレビ (ITC)

  • 東海テレビ (THK)

  • 山陰中央テレビ (TSK)




  • 岡山放送 (OHK)

  • テレビ愛媛 (EBC)

  • 高知さんさんテレビ (KSS)

  • テレビ西日本 (TNC)

  • サガテレビ (STS)




  • テレビ長崎 (KTN)[注 47]

  • テレビくまもと (TKU)

  • テレビ大分 (TOS)[注 39]

  • 鹿児島テレビ (KTS)

  • 沖縄テレビ (OTV)




  • 1998年10月から番組最終回まで、本番組の前に生放送されるニュース番組『FNNスピーク』放送終了後の11:57:15から11:57:30には、一部系列局を除き「次の番組は…」として、当番組のクロスプログラムが放送されている(番組テーマ曲『ウキウキWATCHING』のインストルメンタルがBGMとして流れている)。ただし、2008年まで1月第3もしくは第2月曜日は『ソニーオープン・イン・ハワイ』を10:00 - 12:00まで生放送していた(この日は『スピーク』自体も放送休止)ため、放送されなかった。

  • また、これとは他に番組開始数年間と2004年7月以降、エンディング放送終了後にも翌日(または、来週月曜日か『増刊号』)の予告スポットが5秒程度行われている(同じく番組テーマ曲『ウキウキWATCHING』のアウトロ部分がBGMとして流れている)。

  • 『スピーク』のエンディング部分が放送されている地域では、北海道文化放送、テレビ新広島を除き『いいとも!』のクロスプログラムも放送されている。
    • また、これらのコーナーをネットしない局では、高知さんさんテレビは、番組放送終了後ステーションブレイクを挟んでから、新潟総合テレビはミニ番組『NSTくらしの情報』を放送した後『いいとも!』のクロスプログラムを放送している。


  • 関西テレビでも、2006年1月6日より、『いいとも!』のクロスプログラムを放送していたが、実質1か月間も放送せずに終了。

  • 新潟総合テレビと高知さんさんテレビは、『スピーク』のエンディング部分の放送がないが、新潟総合テレビでは『NSTくらしの情報』放送後に、高知さんさんテレビでは(ローカル出しの)エンディングの後『ステーションブレイク』を挟んでクロスプログラムを放送している。

  • 2012年6月4日放送分から、エンディング部分で毎回行われている『曜日対抗いいともCUP』のコーナー開始の前に、2012年7月21日(土曜日)の18:30から翌日22日(日曜日)の20:54(JST)までの2日間、当番組をベースとした『FNS27時間テレビ』の放送が間近となったため、30秒間の視聴者からの募集番宣スポットの放送が開始されていた。




スタッフ



歴代ナレーション


通常はフジテレビの男性アナウンサーが『増刊号』全体のナレーション担当することが多かったが、末期にはアナウンサーの斉藤舞子の担当が多かった(週によっては、男性アナが担当する場合もあった)。




  • 山中秀樹(フジテレビアナウンサー(当時)、番組当初から担当。顔出しでの出演もあった。)


  • 吉沢孝明(フジテレビアナウンサー(当時)、2代目)


  • 伊藤利尋(フジテレビアナウンサー、3代目)


  • 智田裕一(フジテレビアナウンサー、4代目)


  • 畑中ふう(ナレーター、2004年4月 - 2004年7月)


  • 中村仁美(フジテレビアナウンサー、2004年12月 - 2005年3月、女性アナウンサーがナレーションをするのは初めて)[注 48]


  • 田淵裕章(フジテレビアナウンサー、2005年10月 - 2006年3月)[注 49]


  • 奥寺健(フジテレビアナウンサー、2006年4月 - 2007年3月)[注 50]


  • 田中真弓(声優、2009年5月3日 - 2009年8月30日。テレビアニメ『ONE PIECE』とのコラボ)[注 51]


  • 桜庭亮平(フジテレビアナウンサー、不定期)


  • 鈴木芳彦(フジテレビアナウンサー、2006年10月 - 、不定期)


  • 渡辺和洋(フジテレビアナウンサー、2009年9月 - 、不定期)[注 52]


  • 藤本たかひろ(2012年5月13日)


  • 内田嶺衣奈(フジテレビアナウンサー、2013年11月10日)


  • 斉藤舞子(2011年4月 - 2014年3月)


  • 竹内友佳(2013年4月 - 2014年3月)



最終回時点



  • 構成:

    • (月曜日)樋口卓治、天野慎也、横山雄一郎、今村クニト、飯田延孝

    • (火曜日)酒井健作、大井達朗、三木聡(ブレーン)

    • (水曜日)小野高義、金森直哉、桝本壮志、大平尚志、大野ケイスケ

    • (木曜日)樅野太紀、大井洋一、酒井義文、宮森亮、浅井哲郎

    • (金曜日)都築浩、鈴木おさむ、くらなり、山内正之、野々村友紀子



  • スーパーバイザー:高平哲郎、鶴間政行

  • 音楽:鷺巣詩郎、伊藤銀次

  • 編成:夏野亮

  • 広報:小中ももこ

  • AP:黒柳法子

  • 監修:黒木彰一

  • オブサーバーD:印田弘幸・鈴木剛(チェリーズ)

  • 制作プロデューサー:及川俊明・伊戸川俊伸(オイコーポレーション)

  • プロデューサー:春名剛生、上野貴央、河本晃典

  • ディレクター:

    • (月曜日)木月洋介

    • (火曜日)中川将史

    • (水曜日)鈴木善貴

    • (木曜日)山田賢太郎

    • (金曜日)高橋正尚



  • チーフプロデューサー:中嶋優一

  • スタッフ協力:日放、オイコーポレーション[注 53]

  • 技術協力:スタジオアルタ

  • 制作協力:田辺エージェンシー

  • 制作:フジテレビバラエティ制作センター

  • 制作著作:フジテレビ



歴代スタッフ



  • 構成:永井準、廣岡豊、岩立良作、鈴木しゅんじ、清水東、大倉利晴、谷口秀一、加藤芳一、藤沢めぐみ、内田英一、内村宏幸、中村健太郎、野中浩之、安達元一、元祖爆笑王、松井洋介、鈴木工務店、舘川範雄、田中直人、おちまさと、渡辺真也、長谷川朝二、福田雄一、桜井慎一 ほか

  • スーパーバイザー:板坂尚

  • 振付け:土居甫

  • デザイン:山本修身

  • AP・プロデューサー:櫟本憲勝、原田冬彦、濱野貴敏、北口富紀子

  • ディレクター:三宅恵介、佐藤義和、荻野繁、山縣慎司、小林豊、永峰明、大野三郎、木村基子、大平司、平林長務、星野淳一郎、吉田正樹、小須田和彦、上田建、荒井昭博、片岡飛鳥、清水淳司、笠井雅旭、佐久間茂、小松純也、櫟本憲勝、松村匠、徳光芳文、原田冬彦、金子剛、金子傑、亀高美智子、吉澤聡史、濱野貴敏、伊藤征章、渡辺琢、小仲正重[76]、明松功、出口敬生、飯村徹郎、宮崎鉄平、谷口大二、名城ラリータ、熊澤美麗、古澤光広、木村剛、庄司裕暁 ほか

  • 歴代プロデューサー・チーフプロデューサー:横澤彪 → 佐藤義和・荻野繁 → 山縣慎司・鈴木恵悟 → 荒井昭博 → 坪田譲治 → 石井浩二 → 清水泰貴 → 黒木彰一 → 塩谷亮(演出兼務)



関連商品



書籍



  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part1』(サンケイ出版、1983年、ISBN 4-383-02256-1)

  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part2』(サンケイ出版、1983年、ISBN 4-383-02272-3)

  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part3』(サンケイ出版、1983年、ISBN 4-383-02287-1)

  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part4』(サンケイ出版、1984年、ISBN 4-383-02311-8)

  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part5』(サンケイ出版、1984年、ISBN 4-383-02320-7)

  • フジテレビ編『タモリの笑っていいとも! 世界にひろげよう友だちの輪ッ part6』(サンケイ出版、1984年、ISBN 4-383-02332-0)

  • 笑っていいとも!殺人事件 名探偵タモリ誕生する(サンケイ出版、1986年3月、ISBN 978-4383024662)

  • タモリ、笑福亭鶴瓶『タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!』(フジテレビ出版、1987年、ISBN 4-594-00180-7)

  • タモさん、トコさんの金言・格言色紙でどうじょ!(ベストセラーズ、1989年1月、ISBN 978-4-584-00681-8)

  • タモさん、トコさんの金言・格言色紙でどうじょ! Part2(ベストセラーズ、1989年6月、ISBN 978-4-584-00697-9)

  • タモリ・ウッチャンナンチャンの世紀末クイズ それ絶対やってみよう(フジテレビ出版、1991年8月、ISBN 978-4-594-00793-5)

  • タモリの、ダウンタウンも世紀末クイズ それ絶対やってみよう2(フジテレビ出版、1991年12月、ISBN 978-4-594-00854-3)

  • タモリ・ウッチャンナンチャンのダウンタウンもみんないっしょに世紀末クイズ それ絶対やってみよう3(フジテレビ出版、1992年4月、ISBN 978-4-594-00925-0)

  • 笑っていいとも!編『タモリの世紀末伝説 関根くん家とマチャミん家のおかしな人々』(フジテレビ出版、1993年12月、ISBN 978-4-594-01321-9)

  • 世紀末ゲーム 爆笑!オールスタータモリンピック(フジテレビ出版、ISBN 978-4-594-01080-5、1992年11月)

  • 笑っていいとも!あー(学研、ISBN 978-4-05-400933-2、1997年11月)

  • LOVE LETTERS すばらしいラブレターの世界(ワニブックス、ISBN 978-4-8470-3269-1、1997年12月)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも! 秘密のつながりグランプリ(興陽館、ISBN 978-4-87723-128-6、1998年12月)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも! インスタントイングリッシュ〜おばちゃん海外輸出計画〜(フジテレビ出版・扶桑社出版、ISBN 4-594-02711-3、1999年5月30日)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも!「Mr.ビジョアル」写真集(ISBN 978-4-83425-203-3、集英社・ホーム社、1999年6月17日)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも!超変身ビフォー・アフターコンテスト(ISBN 978-4-59-402907-4、フジテレビ出版、2000年5月)

  • 科学実験で笑っていいとも!(学研マーケティング(学研M文庫)、ISBN 978-4-05-902015-8、2000年11月)

  • 森田一義アワー 笑っていいとも! 曜日対抗いいとも選手権!!BESTゲーム集88(河出書房新社、ISBN 978-4-309-26596-4、2002年10月20日)

  • 目指せ!達筆王〜すぐに上達する132のコツ〜(扶桑社、ISBN 4-594-05113-8、2006年3月23日)

  • 私服だらけの『中居正広増刊号』〜輝いて〜(扶桑社、ISBN 978-4-594-06018-3、2009年8月18日)

  • 恋していいとも!あるある川柳(扶桑社刊、ISBN 978-4-594-06270-5、2010年9月17日)

  • 私服だらけの『中居正広増刊号』〜輝いてPart2〜(扶桑社、ISBN 978-4-594-06733-5、2012年12月11日)

  • 私服だらけの『中居正広増刊号』〜輝いてPart3〜(扶桑社、ISBN 978-4-594-06740-3、2013年1月15日)

  • 嫁タレVSハライチ澤部 夢の炊き込みご飯 夢炊き屋 レシピ(扶桑社、ISBN 978-4-594-06936-0、2013年10月22日)

  • 私服だらけの『中居正広増刊号』〜輝いてPart4〜(扶桑社、ISBN 978-4-594-07034-2、2014年4月18日)



グッズ


  • フジテレビ本社屋7階「エフアイランド」、東京駅、東名高速海老名SA(上り線)[注 54] などにあるフジテレビショップでは、上記に紹介した書籍(絶版除く)や「青汁まんじゅう」など、いいとも!関連グッズを販売していた(番組終了と前後する形で完売となっており、現在は入手不可能)。

CD


  • 笑っていいとも!コンピレーション・マイクロミニアルバム 発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会(2010年5月12日CD発売)


テレビゲーム


  • 笑っていいとも!タモリンピック(アテナ、スーパーファミコン、1994年4月28日発売)

このゲームではタモリンピック限定のレギュラータレントになって、1年間さまざまなゲームに挑戦していく内容に改変されている。挑戦できるゲームは全部で19種類であり、そのほとんどがゲーム独自の内容になっており、中には著名人の顔写真を使った記憶ゲームもある。各季節ごとに4種類のゲームに挑戦して合計スコアで競うようになっているが、行うゲームはスロットで決まるため、運が悪いと同じゲームに連続で挑戦することになることもある。どのゲームにも合格の基準が定められており、これを下回ると番組降板となる[77]



脚注



注釈


[ヘルプ]




  1. ^ 番組生放送終了の正確な時刻は12:58:30。


  2. ^ 放送開始当初の『笑っていいとも!』とほぼ同時(同じ週の金曜日)に放送開始


  3. ^ 例:年齢当てクイズ、身内自慢コンテスト、若見えコンテスト、美男子・美少女コンテスト、ギャップコンテスト、夫婦コンテスト、そっくりさんカーニバル、年齢ギャップコンテスト、木曜なんでもコンテスト、腹筋イケメンコンテスト、似顔絵コンテスト、オネメンコンテスト。


  4. ^ 年末の時点で一番勝利数の多かったチームが年間優勝となる。


  5. ^ トークがなかった頃は、13:00 - 13:30に同じスタジオアルタで生番組『ライオンのいただきます』(後の『ライオンのいただきますII』→『ライオンのごきげんよう』)が引き続き放送されており、基本的に『いいとも!』とセットで観覧することとなっていた。


  6. ^ 祝日の時などは多く出演(登場)する。


  7. ^ 2005年5月に、トーク番組『スター千一夜』の22年6か月の記録を塗り替えている


  8. ^ 金曜日は「それじゃあまた、来週も見てくれるかな?」、特大号の翌日以降に年内最後の場合は「それじゃあまた、来年も見てくれるかな?」

  9. ^ abcdefghijklmn(2)の各曜日レギュラーコーナーが延長し、(3)のコーナーがなくなる場合がある。

  10. ^ abcdefghij(3)の各曜日レギュラーコーナーのみ行い、(2)の各曜日レギュラーコーナーを行わない場合もある。(2)・(3)の各曜日レギュラーコーナーを入れ替えて行う場合もある。


  11. ^ タモリを含む全曜日レギュラー陣が登場。オープニングからは全員が変装をして登場した。


  12. ^ スタッフはこのために2週間前から準備を進め、当日の観客にも前もってこのことを知らせて協力を呼び掛けるという用意周到ぶりだった。


  13. ^ 1987年10月からプロデューサーを務めていた佐藤義和はインタビューで、起用の理由を「『笑ってる場合ですよ!』はすごい子供に受ける番組になっていたから、笑いの質が違うじゃないですか。だからお客さんを18歳未満お断りにして、大人の知的な笑いを提供しようと。そのとき、知的な笑いって誰だろうと考えたとき、タモリしかいなかったんです。」と回想。また、本名の森田一義名義にしたのは「僕のエクスキューズとしては、「これはタモリでやるんじゃなくて、森田一義を演じて下さい」ということで、あえて『森田一義アワー』を入れたんですよ。それまでのオールバックでレイバンのサングラスのタモリでなくて、色の薄いサングラスの、アイビースタイルのおじさんを演じてくださいって。結局発注したメガネは放送開始に間にあわなかったから、1か月遅れくらいで色の薄いサングラスになりましたね。」と述べている。


  14. ^ テレビ朝日系列の新潟テレビ21開局に伴う。1983年9月30日までは、テレビ朝日系のワイドショー『アフタヌーンショー』を同時ネット。


  15. ^ TBS系列のテレビユー福島(TUF)の開局に伴う。1983年9月30日まで『スーパーダイスQ』、『悪友親友』、『ポーラテレビ小説』を放送していた。1983年10月1日にTUFが開局する予定であったが、12月4日開局に順延したため、前述の番組は2ヶ月弱中断されることとなった。


  16. ^ 9日は1984年、10日は1985年、11日は1987年、12日は1986年、13日は1982年・1983年に放送した分から一部を放送した。


  17. ^ この日はアルタ自体が正月休業だったためか、後続の『いただきます』も谷川岳天神平スキー場から生放送された。


  18. ^ タモリは、1996年1月3日放送のテレビ朝日『徹子の部屋20周年記念スペシャル』に出演した際に、「多忙で髪を洗う時間がなくなり抜けてしまったため髪型を変えた」と話している。他の番組でもほぼ同時期にオールバックに変えている。


  19. ^ これに先駆けて『ミュージックステーション』では、1990年4月20日から、それまで着用していた銀縁の黒色系サングラスから、縁なしの黒色系サングラスに変更した。また、1992年頃までは、タモリの出演番組ではこのサングラスを着用。


  20. ^ 黒色系レンズのサングラスは、夏休み中だった1987年8月21日放送の当番組内コーナー「日本一の最低男」(明石家さんまと関根勤の代理)にタモリが飛び入り出演した際や、1988年1月8日放送の『ミュージックステーション』で、C-C-Bにインタビュー収録した際にも着用している。


  21. ^ 『笑っていいとも!
    イブ特大号「テレフォンショッキング`90」』1990年12月24日放送分。なお、1990年11月28日の『テレフォンショッキング』は、森公美子が出演。



  22. ^ 『増刊号』もオープニング演出が変更され、それまで歌うタモリ・青年隊とともに番組冒頭に流れていたスタッフロールが、この週の日曜日の3月5日放送分からエンディングに変更された


  23. ^ タモリは歌わなくなった理由について、同年2000年3月12日放送の『増刊号』で、「長年不思議に思ってたんだけど、司会者がオープニングからいきなり歌って出てくるっていうのはどう考えてもおかしいと思ってたんだ。それでプロデューサーにやめさせてくれって頼んだんだよ。まあ最初はね、横澤さんのあれ(番組最高責任者の意見)もあるし、まあいいかって感じだったんだけど、だんだんだんだん、考えてみたら変だよな、と。」と語っている。


  24. ^ 番組第1回放送日当日の新聞ラテ欄によると、「タモリのフランス料理教室」というサブタイトルで、「即興エンタテイナー・タモリ」という紹介文があった。


  25. ^ 2011年3月21日から25日まではテレビ山口での放送が最終週、仙台放送での放送が休止(21日は福島テレビでも放送休止)となったほか、また3月11日に青森テレビでの放送が報道特別番組で休止となったため、30局ネットは実質上3月10日を以て最後となった。


  26. ^ テレビ山口における本番組終了と同時に、山口県は1993年4月 - 1997年3月までの山形県以来となるフジテレビ系帯番組が一切放送されない唯一の県となった(フジテレビ系列局が所在しない山梨県と徳島県では本番組は非ネットだが、本番組の直後番組である『ライオンのごきげんよう』は時差ネットしている)。


  27. ^ この日の正午に特別に作られた『デジタルウォッチング』が、AD隊(クルット&ハリー)、ナインティナインの岡村隆史、タモリで歌われる。


  28. ^ 大竹一樹は引き続き火曜レギュラーを務めた。


  29. ^ 太田光は引き続き水曜レギュラーを務めた。


  30. ^ 通常は宮根が司会を務める『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系列)が大阪・読売テレビから生放送を行っている関係で出演できないが、この日は高校サッカーの決勝が中継される関係で番組が放送休止だったため出演できた。なお翌日の『ミヤネ屋』で「テレフォンショッキング」出演時のネームプレートを披露した。


  31. ^ メンバーの南原清隆は、通常放送の裏番組『ヒルナンデス!』(日本テレビ系列)に、MCとしてレギュラー出演している。


  32. ^ スタジオアルタ閉鎖後の2016年11月3日より、多目的劇場「アルタシアター」としてオープンしている。


  33. ^ 2017年は22:18まで放送された。


  34. ^ 『とんねるずのみなさんシリーズ』の冠レギュラーであり、当番組の最末期にスペシャルレギュラーとして出演。


  35. ^ タモリが同コーナーのゲストとして出演したのは2004年のFNS27時間テレビ以来、13年ぶりであった。また、当日は放送当時の「森田一義」ではなく「タモリ」名義だった。


  36. ^ 2011年10月3日から2012年11月2日まで担当。


  37. ^ 後者は景山民夫との対談集『極楽テレビ』より。

  38. ^ ab青森テレビはTBS系列局。EPG上の番組名には「!」が付されなかった。

  39. ^ abテレビ大分は日本テレビ系列・フジテレビ系列のクロスネット局


  40. ^ テレビ宮崎はフジテレビ系列主体で、日本テレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局


  41. ^ フジ系新局岩手めんこいテレビ(mit)の1991年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。


  42. ^ フジ系新局高知さんさんテレビ(KSS)の1997年4月1日開局内定に伴う系列番組移行準備のため。


  43. ^ 山形テレビのネットチェンジ直後の当該枠の番組は『人間探検!もっと知りたい!!』になったものの、皮肉にも山形テレビにおける本番組終了の2日後に終了したため、当該週の番組に(終)マークが2回もつく事態となった(『おはよう!ナイスデイ』 → 『モーニングショー』も同様)。


  44. ^ 正式にはニュース系列のみ(一般番組供給協定はFNS単独(NNS非加盟))。


  45. ^ テレビ岩手はNNSマストバイ局、高知放送はNNS非マストバイ局。


  46. ^ ただし、ネットチェンジによる打ち切り後も、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局(新潟総合テレビ・福島テレビ・秋田テレビ・仙台放送)を受信できた場合は引き続き視聴可能だった。


  47. ^ 2008年4月から実施


  48. ^ 当時、火曜日テレフォンアナウンサー。


  49. ^ 2006年4月 - 2009年3月までは木曜日テレフォンアナウンサー。


  50. ^ 2006年10月 - 2011年3月まで、直前番組の報道番組『FNNスピーク』キャスターを担当。


  51. ^ 関東地区など一部地域を除いて「ワンピース」(毎週日曜日 午前9時30分から10時まで)からステブレレスで『増刊号』を放送しており、その関係で番組冒頭に同アニメのキャラクターであるルフィ(声:田中)が登場していた。また番組オリジナルとして、タモリ船長の海賊船「増刊号」が登場した。


  52. ^ 2003年10月 - 2008年9月まで水曜日テレフォンアナウンサーを担当した。


  53. ^ 全てクレジット表記なし。


  54. ^ 上り線当SAにフジテレビショップが設置されているのは、施設運営がフジ・メディア・ホールディングスの持分法適用関連会社であるフジランドによって行われているためである。一方の下り線海老名SAは、フジサンケイグループが施設運営に一切関与していないため、フジテレビショップは設置されていない。




出典




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  10. ^ (1)の各曜日レギュラーコーナーが延長し、(2)のコーナーがなくなる場合がある。


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  30. ^ レターボックス化に伴い表示テロップは2011年4月1日放送分までオープニングのロゴアニメーションを除き、従来のアナログ放送と同様の画角で縁取りを濃くした表示であった。2011年4月4日からはテレフォンショッキングのテロップとエンディングのスタッフロールを除いて字体変更、同年7月4日に上記残りを字体変更した。


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  70. ^ 2012年7月17日放送 プレタモリ(2012年27時間テレビ事前番組)より


  71. ^ キリン 零ICHI(ゼロイチ)商品情報 キリンビール株式会社(20歳以下は閲覧不可)


  72. ^ 1万人超「タモさん」コール!!最後の“出勤”は異例の徒歩 Archived 2014年11月24日, at the Wayback Machine. - サンケイスポーツ、2014年4月1日


  73. ^ 「笑っていいとも!」スタジオアルタ(東京都新宿区) Archived 2014年4月4日, at the Wayback Machine. - 朝日新聞、2009年7月7日


  74. ^ デイリースポーツ、2013年10月23日19面

  75. ^ abデイリースポーツ、2014年4月1日19面


  76. ^ 後番組「バイキング」のCPに就任した。


  77. ^ 株式会社QBQ Archived 2016年10月6日, at the Wayback Machine.編 『スーパーファミコンクソゲー番付』マイウェイ出版発行、2017年。ISBN 9784865117097 p34-35




関連番組



  • FNSの日
    • FNS27時間テレビ 笑っていいとも! 真夏の超団結特大号!! 徹夜でがんばっちゃってもいいかな? - 当番組をベースとして放送されたFNSの日。


  • タモリのオールナイトニッポン

  • タモリの突撃ナマ放送

  • タモリの歌謡スター笑

  • 日本全国ひる休み

  • ライオンのごきげんよう

  • インパクト!



派生番組



  • 笑っていいとも!スペシャル

  • 笑っていいとも!増刊号

  • 笑っていいとも!特大号

  • FNS27時間テレビ 笑っていいとも!増刊号生スペシャル

  • 笑っていいとも!増刊号あけおめ・新春スペシャル

  • 笑っていいとも!新春祭

  • 笑っていいとも!春・秋の祭典スペシャル

  • 夜の笑っていいとも!春・秋のドラマ特大号

  • FNS27時間テレビ 笑っていいとも!真夏の超団結特大号!!徹夜でがんばっちゃってもいいかな?



いいとも!チームのスタッフによる担当番組


途中から交代した場合も含む。


  • 笑ってる場合ですよ! - 同時間帯の前番組
    • もう一度笑ってる場合ですよ!



  • オレたちひょうきん族
    • ひょうきん予備校


  • 夢がMORI MORI

  • ライオンのいただきます - いいとも同様アルタから生放送

  • ダウンタウンのごっつええ感じ

  • とぶくすり

  • めちゃモテ


  • SMAP×SMAP

    • 中居正広のボクらはみんな生きている

    • サタ☆スマ

    • デリ!スマ

    • さんま・中居の今夜も眠れない

    • さんタク



  • タモリ・中居の○○でイイのに…!?

  • 久保みねヒャダこじらせナイト

  • ヨルタモリ

  • ワイドナショー



関連項目







  • 笑っていいとも!スペシャル

  • 笑っていいとも!レギュラー出演者一覧

  • いいとも青年隊

  • 笑っていいとも!のコーナー一覧

  • 笑っていいとも!過去のコーナー一覧

  • テレフォンショッキング

  • 曜日対抗いいともCUP

  • 出たいドル!

  • 発表!知らなきゃイケない!?最新ワード展覧会

  • 知ってるハイスクール

  • 我が社のイチ推し

  • スタジオアルタ(新宿アルタ)

  • だんとつタモリ おもしろ大放送!


  • 菊池寛賞 - 第62回でタモリが受賞。

  • タモリの突撃ナマ放送



外部リンク


  • 笑っていいとも! - フジテレビ



























フジテレビ系列 月-金曜12:00 - 12:55枠
前番組 番組名 次番組


笑ってる場合ですよ!
(1980年10月1日 - 1982年10月1日)


森田一義アワー 笑っていいとも!
(1982年10月4日 - 2014年3月31日)



バイキング
(2014年4月1日 - )
※11:55 - 13:00


フジテレビ 月-金曜12:55 - 13:00枠


生活美人
(1983年4月 - 1984年3月)


森田一義アワー 笑っていいとも!
(1984年4月 - 2014年3月31日)
【5分拡大して継続】


バイキング
(2014年4月1日 - )
※11:55 - 13:00








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