マンチェスター・ユナイテッドFC
マンチェスター・ユナイテッドFC | ||||
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原語表記 | Manchester United Football Club | |||
愛称 | The Red Devils, The Reds | |||
クラブカラー | 赤 | |||
創設年 | 1878年 | |||
所属リーグ | プレミアリーグ | |||
ホームタウン | マンチェスター | |||
ホームスタジアム | オールド・トラッフォード | |||
収容人数 | 75,653 | |||
代表者 | アヴラム・グレーザー | |||
監督 | ジョゼ・モウリーニョ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
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■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
マンチェスター・ユナイテッド・フットボール・クラブ(英語: Manchester United Football Club、イギリス英語発音:[ˈmænʧistə juːˈnaitid ˈfutˌbɔːl klʌb] マンチスタ・ユーナイティドゥ・フトゥボール・クラブ)は、イングランド・マンチェスターをホームタウンとする、イングランドプロサッカーリーグ(プレミアリーグ)に加盟するプロサッカークラブで、世界有数の経済規模を有するクラブであり2017年度の収入規模は世界第1位[1]である。愛称は赤い悪魔(The Red Devils)もしくはレッズ(The Reds)。
目次
1 概要
2 歴史
2.1 創立
2.2 マット・バスビー時代の二度の栄光
2.3 アレックス・ファーガソン時代の栄光
2.4 ファーガソンの退任からモウリーニョの就任まで
2.5 モウリーニョ新体制
3 ユニフォーム
3.1 歴代ユニフォーム
4 タイトル
4.1 国内タイトル
4.2 国際タイトル
4.3 親善大会(非公式大会)
5 現所属メンバー
5.1 ローン移籍
5.2 リザーブ・アカデミー
6 歴代監督
7 歴代在籍選手
7.1 出場試合数記録
7.2 総得点数記録
8 練習場
9 スポンサー
10 公式パートナー
11 関連項目
12 脚注
12.1 出典
13 外部リンク
概要
1968年、サー・マット・バスビー監督の指揮の下、イングランドのクラブとして初めてUEFAチャンピオンズカップ(現UEFAチャンピオンズリーグ)のトロフィーを獲得したクラブであり、その後、1999年、2008年と通算3回の優勝を経験した。また近年では1986年から2013年までクラブを率いたサー・アレックス・ファーガソン監督の下、13回のプレミアリーグ優勝と2回のUEFAチャンピオンズリーグ優勝を含む20以上の主要なタイトルを獲得し、長きにわたってイングランドのフットボールをリードしてきた。2016年1月現在、イングランドのトップリーグで歴代最多となる20回の優勝を経験している[2]。
世界屈指の人気・規模を誇るクラブであり、2012年に大手市場調査会社であるカンター社により、ファンの数が世界人口のおよそ11人に1人にあたる6億5,900万人との推定が発表され、フットボールに限らず全てのスポーツクラブの中で世界一ファンの多いクラブであるとの報告が発表された。2017年にアメリカの経済誌『フォーブス』が発表したクラブの資産価値では、同クラブの資産価値が36億9000万ドルと算定されており、世界のサッカークラブの中では5年ぶりに第1位である[3]。2015-16シーズンのクラブ収入は6億8900万ユーロと算定されており、12年ぶりに第1位である[4]。
経済的優良クラブの典型とされてきたが、アメリカNFLタンパベイ・バッカニアーズのオーナーであるマルコム・グレーザーによって買収され、物議を醸している。マルコム・グレーザーによるクラブ支配に反対するサポーターの一部は、クラブの負債が3億2,000万ポンドに達していることに懸念し、新クラブFCユナイテッド・オブ・マンチェスターを結成した。
同じ市内にあるマンチェスター・シティとの「マンチェスター・ダービー」は、「マージーサイド・ダービー」(リヴァプール対エヴァートン)、「ノース・ロンドン・ダービー」(アーセナル対トッテナム)と並ぶ3大ダービーの一つに数えられ、世界でも有名なダービーマッチの一つである。また伝統的にライバル関係にあるとされるリヴァプールとの試合は、ノースウェスト・ダービーやイングランド・ダービー、あるいはナショナル・ダービーと呼ばれ、世界中に数多く存在する「伝統の一戦」の一つに数えられており、白熱した試合が繰り広げられてきた。
伝統的に背番号7は特別な番号として扱われており、「栄光の7番」と言われている。ジョージ・ベスト、スティーヴ・コッペル、ブライアン・ロブソン、エリック・カントナ、デビッド・ベッカム、クリスティアーノ・ロナウド、マイケル・オーウェンなど、人気や実力においてその時代のチームを代表する選手がこの番号を付けてプレーしてきた。
クラブの一般的な略称は複数存在し、ユナイテッド(United)の他、英語圏ではニューカッスル・ユナイテッドFCなどチーム名に「ユナイテッド」が含まれる他のクラブと区別する為、マンチェスターをマンと略し「マン・ユナイテッド(Man United, Man Utd)」などと呼称・表記される。また主に英語圏のサポーターのコミュニティにおいては、チームカラーである赤色にちなんで「レッズ(Reds, The Reds)」とも呼称される。その他、新聞・雑誌のスポーツ報道やニューヨーク証券取引所のティッカーシンボルなどでは「マンユー(マンU[5][6][7]、Man U[8][9][10][11][12][13][14][15][16][17]、ManU[18][19][20]、MANU[21])」と呼称される場合もある。
1974-75シーズンを例外として、1938年からこれまで一貫してイングランドのトップリーグに属している。
歴史
マンチェスター・ユナイテッドは現在でこそイングランドを代表する名門として認識され、世界中に多数のサポーターを抱えるクラブとなっているが、その歴史自体は長いイングランドのフットボールの歴史と比較するとさほど古いものではない。また近年の成功とは対照的に、このクラブは数々の苦難を経験してきた。
創立
マンチェスターの鉄道員が中心となり、ニュートン・ヒース・ランカシャー&ヨークシャー・レイルウェイズFC (Newton Heath LYR FC)として1878年に創立。初めの数年は殆ど公式試合はせず、チーム内のメンバー同士で試合を行う以外は専ら他の鉄道会社のチームと非公式に対戦していた。1882年から1883年の間に26試合の親善試合をした記録が残っている。翌年、地元のカップ戦であるランカシャーカップに出場するも、1回戦で昨年のFAカップ覇者のブラックバーン・オリンピックのリザーブチームに7-2で敗戦した。1885年にプロサッカークラブへと転向し、1892年にはニュートン・ヒース (Newton Heath FC)へと名称を変更し、運営を行っていたが、当時のオーナーの方針で観客から入場料を取らなかったことやグラウンド移転費用が嵩んだこと等の事情が影響し、1902年に一旦破産した。その後、地元マンチェスターの醸造業主のジョン・ヘンリー・デイヴィスが500ポンドをクラブに投資してオーナーに就任し、クラブ再建に着手した。その後、1902年にチーム名が変更され、マンチェスター・ユナイテッドとなった。名称変更前の2日間だけマンチェスター・セルティック (Manchester Celtic)という名称であった。
2日間だけではあるが、セルティックと名乗ったことでこのクラブがローマ・カトリック系であると思われることが多いが、このクラブはローマ・カトリック教会とは全くの無縁である。
草創期に2度のリーグ優勝後、1910年代から1950年頃までは低迷。第二次世界大戦時には空襲でオールド・トラッフォードが被災し、戦後も資金不足から修復できず、マンチェスター・シティの本拠地(メイン・ロード)を拝借するといった有様だった。
マット・バスビー時代の二度の栄光
1950年代に入り、マット・バスビーを監督としてチームの大改革を行い、復活を遂げたかに見えたが、その矢先ミュンヘンの悲劇で主力の多数を失った。これにより英国(グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国)のクラブチームとして初のヨーロッパでの栄光はスコットランドのセルティックに譲ることになってしまう。ボビー・チャールトン、デニス・ロー、ジョージ・ベストらを擁して栄光を勝ち取る1960年代後半の後、1970年代に入り、世代交代に失敗。1974年には(1シーズンだけ)2部落ちの憂き目にも遭っている。ちなみに、マット・バスビーは当時からチームの愛称となっていたレッド・デビルスという名をクラブの商標や、エンブレムに使用した先駆者でもある。
アレックス・ファーガソン時代の栄光
長い低迷期を終わらせたのは、スコットランド人監督、アレックス・ファーガソンである。1986年に就任した彼は若手の育成と、暴れ馬と呼ばれた選手たちの融合に見事成功。現在に至る常勝軍団の系譜をスタートさせる。
FAプレミアリーグの優勝回数は13回で、最多優勝クラブ。旧フットボールリーグ・ファーストディビジョン時代を通じても、優勝20回は歴代1位。その他に、FAカップで11回、カーリングカップで2回、UEFAチャンピオンズリーグで3回、UEFAカップウィナーズカップで1回のタイトルを勝ち取っている。
中でも1998-99シーズンはクラブにとって特筆すべきシーズンである。ファーガソン監督の下、ユース時代から育て上げられたデビッド・ベッカム、ガリー・ネヴィル、ポール・スコールズ、ライアン・ギグスら、いわゆる「ファーギーズ・フレッジリングス(アレックス・ファーガソンの雛鳥)」と呼ばれた選手達を中心に、UEFAチャンピオンズリーグ決勝では、バイエルン・ミュンヘンを劇的な逆転で下しヨーロッパ覇者となった(カンプ・ノウの奇跡)。さらにこのシーズンはリーグ優勝とFAカップ優勝を合わせたトレブル(三冠)を達成。ヨーロッパのサッカーシーンに「赤い悪魔」の名を轟かせた。このカンプ・ノウの奇跡の試合と、FAカップでライアン・ギクスが見せたハーフライン付近からのドリブルしてのゴールは今でもサポーターの中では語り継がれている。
ヨーロッパフットボール史において、他にUEFAチャンピオンズリーグ(旧UEFAチャンピオンズカップ時代を含む)、国内リーグ、国内カップを制し、3冠を成し遂げたのは、1966-67シーズンのセルティック、1971-72シーズンのアヤックス、1987-88シーズンのPSV、2008-09シーズンと2014-2015シーズンのバルセロナ、2009-2010シーズンのインテル、2012-2013シーズンのバイエルン・ミュンヘンである。
1995年には、イプスウィッチ戦でリーグレコードの9-0の大差で勝利。2005年10月29日、ミドルスブラ戦でクリスティアーノ・ロナウドがマンチェスター・ユナイテッドとしてのイングランド・プレミアリーグの通算1,000ゴール目を記録。これはプレミア最速記録でもある。
このようにプレミアシップ発足後も高い実力と人気を兼ね備え、アーセナルとともに2強と呼ばれた。しかし2002-03シーズン以降はアーセナル(2003-04シーズンの無敗優勝)、チェルシー(2004-05、2005-06シーズンにかけての2連覇)からの王座奪還を目標としていた。そして、2006-07シーズンではリーグ2連覇をしていたチェルシーとの激闘を制し、2002-03シーズン以来4年ぶりのリーグ優勝を果たした。
デ・ヘア ラファエル ヴィディッチ ファーディナンド エヴラ フレッチャー キャリック バレンシア ナニ ルーニー ファン・ペルシ |
2012-2013シーズンの基本フォーメーション。 |
ファーガソンの退任からモウリーニョの就任まで
2013年5月、27年間監督を務めたファーガソン監督が退任[22]、後任はエヴァートンFCを11年にわたり率いたデイヴィッド・モイーズが就任した。[23]移籍市場ではモイーズ監督のエヴァートン時代の教え子であるマルアン・フェライニを獲得し、冬の移籍市場ではチェルシーFCからファン・マタを獲得した。しかしスウォンジー・シティに史上初めてホームで敗戦を喫したり、プレミアリーグ以前も含めて史上初となるマージーサイド・ダービーの2強(エヴァートンとリヴァプール)に揃って2連敗するといった、記録的な敗戦も含めて成績が低迷しチャンピオンズリーグ出場権を逃した事(1994-95シーズン以来)により2014年4月22日、同シーズン限りでの解任が発表され[24]、2013-14シーズンの残りについてはライアン・ギグス(兼任コーチ)が暫定監督に就任すると発表した[25]。そしてチームは7位で終了。25年ぶりにヨーロッパのカップ戦を逃すこととなった。
2014年5月18日、オランダ代表を率いているルイ・ファン・ハールのワールドカップ後の就任が決定した[26]。暫定監督を務めたライアン・ギグスは選手を引退しアシスタントコーチへの就任が決定。
2014年夏の移籍市場において、選手の補強費用に約260億円を投じた。ワールドカップブラジル大会で準優勝に輝いたアルゼンチン代表DFマルコス・ロホとMFアンヘル・ディ・マリアを、ファン・ハール監督のオランダ代表監督時代の教え子のダレイ・ブリント、アスレティック・ビルバオからアンデル・エレーラ、サウサンプトンFCからルーク・ショー、移籍期限ギリギリになって、ASモナコからラダメル・ファルカオを獲得した。即戦力として期待されていたファルカオとディ・マリアが不調に陥ったものの、ルーニー、デ・ヘア、マタといった既存の戦力が機能し4位でシーズンを終え、来季とチャンピオンズリーグプレーオフへの出場権を獲得した。
2015-16シーズンはPSVアイントホーフェンから2014 FIFAワールドカップでオランダ代表の3位入りに貢献し、ファン・ハール監督の教え子でもあるメンフィス・デパイを始めとし、ASモナコからフランス代表FWアントニー・マルシャル、バイエルン・ミュンヘンからドイツ代表MFバスティアン・シュヴァインシュタイガー、サウサンプトンFCからフランス代表MFモルガン・シュネデルラン、UCサンプドリアからアルゼンチン代表GKセルヒオ・ロメロ、トリノFCからイタリア代表DFマッテオ・ダルミアンを獲得した。チャンピオンズリーグにおいては、VfLヴォルフスブルク、PSVアイントホーフェン、CSKAモスクワと同席になったが3位に終わりグループステージ敗退となった。その後進んだヨーロッパリーグでも、プレミアリーグの長年のライバルであるリヴァプールFCに2戦合計1-3で敗れベスト16で敗退した。2016年5月21日のFAカップ決勝でクリスタル・パレスを延長戦で破り、12大会ぶり12度目の優勝を飾ったが、その3日後、来シーズンのチャンピオンズリーグ出場権を逃すなどの成績不振により契約を1年残してルイ・ファン・ハール監督の解任を発表。同月27日、2016-17シーズンの新監督にジョゼ・モウリーニョが就任することを発表。
モウリーニョ新体制
2016-17シーズンよりモウリーニョ体制。夏の移籍市場ではズラタン・イブラヒモビッチ、ヘンリク・ムヒタリアン、エリック・バイリーや下部組織出身のポール・ポグバを獲得した。フットボールリーグカップでは決勝でサウサンプトンを下して、モウリーニョ体制で初のタイトルを獲得した。プレミアリーグでは失点数がリーグ2位の29と堅守を披露し、クラブレコードのリーグ戦25試合連続無敗を記録したが、そのうち12試合で引き分けるなど勝ちきれない試合が続いて勝ち点が伸びず、結局ヨーロッパのカップ戦出場圏外の6位に終わった。しかし、ヨーロッパリーグでは決勝まで勝ち進み、決勝でアヤックスに2-0で勝利して同大会初優勝をあげ、欧州CL出場権を獲得した。また、ヨーロッパリーグの優勝によりユヴェントス、アヤックス、バイエルン、チェルシーに次いでUEFA主催の主要3大会を制覇した5番目のクラブとなった[27]。
モウリーニョ体制2年目である2017-18シーズン。センターフォワードにエヴァートンFCからロメル・ルカク、ボランチにチェルシーFCからネマニャ・マティッチ、センターバックにSLベンフィカからビクトル・リンデロフと、昨シーズン問題のあったポジションに即戦力を獲得する積極的補強を展開。これが功を奏したのか、前半戦終了時点で14勝3分け2敗の勝ち点45と歴代優勝クラブに匹敵する好成績を叩き出すが、それを上回る空前絶後のペースで勝ち点を積んだ宿敵マンチェスター・シティFCの後塵を拝し2位で折り返す。冬の移籍市場でムヒタリアンとのトレードでアレクシス・サンチェスを獲得し追撃態勢を整えるが、シティの独走は止まらず、4月7日のマンチェスター・ダービーに3-2で勝利し目の前での優勝決定を阻止するのがやっとだった。結局25勝6分け7敗で例年なら優勝もあり得た勝ち点81を稼いだものの、シティに歴代最多勝ち点差での優勝を許す2位に終わった。チャンピオンズリーグもラウンド16でセビージャFC相手に2戦合計1-2で不覚を取ってしまい、満足のいかないシーズンとなった。
ユニフォーム
1878年創立時のユニフォームは白いシャツに青いパンツであり、その後は創立時のニュートン・ヒースLYRのチームカラーである緑色と黄色を基調としたものであった。1902年に名称が変更されてから赤が基調となった。
また、発足当初のユニフォームに付けられたエンブレムはマンチェスター市に由来する紋章であり、帆船が中心に描かれている。帆船は現在まで描かれているが、愛称の「赤い悪魔」に由来する悪魔が描かれるのは1970年代に入ってからである。
2001-2002シーズンは「マンチェスター・ユナイテッド」という名称になってから100周年ということで、アウェイでは白色と金色で構成されたユニフォームを着用した。
歴代ユニフォーム
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タイトル
国内タイトル
プレミアリーグ (旧フットボールリーグ・ファーストディビジョンとの合計):20回
- 1907-08, 1910-11, 1951-52, 1955-56, 1956-57, 1964-65, 1966-67, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13
- 1907-08, 1910-11, 1951-52, 1955-56, 1956-57, 1964-65, 1966-67, 1992-93, 1993-94, 1995-96, 1996-97, 1998-99, 1999-00, 2000-01, 2002-03, 2006-07, 2007-08, 2008-09, 2010-11, 2012-13
フットボールリーグ・セカンドディビジョン:2回
- 1935-36, 1974-75
FAカップ:12回
- 1909, 1948, 1963, 1977, 1983, 1985, 1990, 1994, 1996, 1999, 2004, 2016
リーグカップ:5回
- 1992, 2006, 2009, 2010, 2017
FAチャリティ/コミュニティーシールド:21回 (17回単独, 4回同時)
- 1908, 1911, 1952, 1956, 1957, 1965*, 1967*, 1977*, 1983, 1990*, 1993, 1994, 1996, 1997, 2003, 2007, 2008, 2010, 2011, 2013, 2016 (*印はタイトル共有)
国際タイトル
FIFAクラブワールドカップ :1回
- 2008
インターコンチネンタルカップ (トヨタカップを含む):1回- 1999
UEFAチャンピオンズリーグ (旧UEFAチャンピオンズカップを含む):3回- 1968, 1999, 2008
UEFAカップウィナーズカップ:1回- 1991
UEFAヨーロッパリーグ : 1回- 2017
UEFAスーパーカップ:1回- 1991
親善大会(非公式大会)
アムステルダム・トーナメント:1回
- 2006
インターナショナル・チャンピオンズ・カップ:1回
- 2014
現所属メンバー
- 2018-19シーズン リーグ開幕戦スターティングメンバー
# 1
# 36
# 3
# 2
# 23
# 15
# 6
# 17
# 8
# 7
# 10
2018年8月13日現在
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※括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。
- 監督
ジョゼ・モウリーニョ
ローン移籍
- in
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- out
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リザーブ・アカデミー
歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
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アルフレッド・ハロルド・カサヤ | イングランド | 1892 - 1900 |
ジェームス・ウエスト | イングランド | 1900 - 1903 |
ジェームス・アーネスト・マングノール | イングランド | 1903 - 1912 |
ジョン・ベントレー | イングランド | 1912 - 1914 |
ジョン・ロブソン | イングランド | 1914 - 1921 |
ジョン・チャップマン | イングランド | 1921 - 1926 |
ラル・ヒルディッチ | イングランド | 1926 - 1927 |
ハーバート・バムレット | イングランド | 1927 - 1931 |
ウォルター・クリックマー | イングランド | 1931 - 1932 |
スコット・ダンカン | スコットランド | 1932 - 1937 |
ウォルター・クリックマー | イングランド | 1937 - 1945 |
マット・バスビー | スコットランド | 1945 - 1969 |
ウィルフレッド・マクギネス | イングランド | 1969 - 1970 |
マット・バスビー | スコットランド | 1970 - 1971 |
フランク・オファレル | アイルランド | 1971 - 1972 |
トミー・ドハーティー | スコットランド | 1972 - 1977 |
デーブ・セクストン | イングランド | 1977 - 1981 |
ロン・アトキンソン | イングランド | 1981 - 1986 |
アレックス・ファーガソン | スコットランド | 1986 - 2013 |
デイヴィッド・モイーズ | スコットランド | 2013 - 2014 |
ライアン・ギグス(暫定) | ウェールズ | 2014 |
ルイ・ファン・ハール | オランダ | 2014 - 2016 |
ジョゼ・モウリーニョ | ポルトガル | 2016 - |
歴代在籍選手
出場試合数記録
順位 | 選手名 | 所属期間 | 試合数 |
---|---|---|---|
1 | ライアン・ギグス | 1991-2014 | 963 |
2 | ボビー・チャールトン | 1956-1973 | 758 |
3 | ポール・スコールズ | 1994-2011, 2012-2013 | 718 |
4 | ビル・フォルケス | 1952-1970 | 688 |
5 | ガリー・ネヴィル | 1992-2011 | 602 |
6 | ウェイン・ルーニー | 2004-2017 | 559 |
7 | アレックス・ステップニー | 1966-1978 | 539 |
8 | トニー・ダン | 1960-1973 | 535 |
9 | デニス・アーウィン | 1990–2002 | 529 |
10 | ジョー・スペンス | 1919–1933 | 510 |
総得点数記録
順位 | 選手名 | 所属期間 | 得点数 |
---|---|---|---|
1 | ウェイン・ルーニー | 2004-2017 | 253 |
2 | ボビー・チャールトン | 1956-1973 | 249 |
3 | デニス・ロー | 1962-1973 | 237 |
4 | ジャック・ローリー | 1937–1955 | 211 |
5 | デニス・ヴァイオレット | 1952–1962 | 179 |
ジョージ・ベスト | 1963–1974 | ||
7 | ジョー・スペンス | 1919–1933 | 168 |
ライアン・ギグス | 1991-2014 | ||
9 | マーク・ヒューズ | 1983–1986, 1988–1995 | 163 |
10 | ポール・スコールズ | 1994-2011, 2012-2013 | 155 |
練習場
トラッフォード・トレーニング・センター。2000年にザ・クリフから当地に移転。現在は、スポンサー名を冠しAon Training Complexが正式名称。また、単に施設所在地の地名からキャリントンとも呼ばれている。
スポンサー
年度 | メーカー | 胸 スポンサー |
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1945–1975 | Umbro | none |
1975–1980 | Admiral | |
1980–1982 | Adidas | |
1982–1992 | SHARP | |
1992–2000 | Umbro | |
2000–2002 | Vodafone | |
2002–2006 | Nike | |
2006–2010 | AIG | |
2010–2014 | Aon | |
2014–2015 | Chevrolet | |
2015- | Adidas |
公式パートナー
- 東芝メディカルシステムズ(2013)
関連項目
- マンチェスター・ユナイテッドFC.リザーブ
- ミュンヘンの悲劇
- カンプ・ノウの奇跡
- MUTV
- アーセナルFC対マンチェスター・ユナイテッドFC
脚注
出典
^ 世界収益ランキング1位はマンU!917億円でレアル、バルセロナを抑えトップに 2018.1.25 SANSPO.COM
^ 2位はリヴァプールFCの18回である(2016年1月現在)
^ The World's Most Valuable Soccer Teams 2017 Forbes 2017年6月現在。
^ Deloitte Football Money League Deloitte 2017年2月現在
^ “マンU香川、3戦連続で先発”. 朝日新聞デジタル. (2012年9月3日). http://www.asahi.com/sports/update2/0903/TKY201209020409.html 2017年8月5日閲覧。
^ “マンU香川「この1年が勝負」 プレミア2季目に向け渡英”. 日本経済新聞. (2013年8月2日). http://www.nikkei.com/article/DGXNSSXKF0273_S3A800C1000000/ 2017年8月5日閲覧。
^ 山中忍 (2016年6月4日). “マンUとモウリーニョの復活が始まる。240億円の予算で「背骨」は出来るか。”. Number Web. 文藝春秋. 2017年8月27日閲覧。
^ Tony Barrett (2011年10月31日). “Everton 0 Man U 1: United fans delight in riding their luck” (英語). The Times. https://www.thetimes.co.uk/article/everton-0-man-u-1-united-fans-delight-in-riding-their-luck-qlr3tnjc8kj 2017年8月24日閲覧。
^ “1989: Man U sold in record takeover deal” (英語). 18 August, BBC On This Day. BBC. 2017年8月5日閲覧。
^ Rob Hughes (2012年10月28日). “Man U Finally Finds a Way to Win at Chelsea” (英語). The New York Times. http://www.nytimes.com/2012/10/29/sports/soccer/29iht-chelsea29.html 2017年8月24日閲覧。
^ “Man U rediscovers aura, winning mentality under Mourinho” (英語). USA Today. (2017年5月25日). https://www.usatoday.com/story/sports/soccer/2017/05/25/man-u-rediscovers-aura-winning-mentality-under-mourinho/102138040/ 2017年8月27日閲覧。
^ “Man U wins World Club Cup thriller” (英語). ESPN.com. (1999年12月5日). http://www.espn.com/soccer/news/1999/1130/203784.html 2017年8月1日閲覧。
^ Rob Harris (2017年2月26日). “Man U rebounds to capture League Cup, Tottenham grabs second in Premier League” (英語). The Globe and Mail. https://beta.theglobeandmail.com/sports/soccer/manchester-united-rebounds-to-capture-league-cup/article34142538 2017年8月27日閲覧。
^ Marc Roche (2010年3月4日). “Golden boys et Diables rouges” (フランス語). Le Monde. http://www.lemonde.fr/sport/article/2010/03/04/golden-boys-et-diables-rouges_1314340_3242.html 2017年8月24日閲覧。
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^ "NYSE: MANU"、ニューヨーク証券取引所、2017年8月5日閲覧。
^ ファーガソン、今季限りで監督を引退
^ マンチェスター・ユナイテッド、モイーズ新監督就任を発表
^ ユナイテッド、モイーズ解任を正式に発表
^ ユナイテッドのモイーズ監督が退団(uefa.com日本語版)
^ Van Gaal named United manager
^ Manchester United achieve European clean sweep uefa.com
外部リンク
- 公式
Official website(アラビア語)(中国語)(英語)(フランス語)(日本語)(朝鮮語)(スペイン語)
- Official statistics website
- Independent Manchester United Supporters Association website
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