サッカーイスラエル代表
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国または地域 | イスラエル | |||
協会 | イスラエルサッカー協会 | |||
愛称 | The Holy XI | |||
監督 | アンドレアス・ヘルツォーク | |||
最多出場選手 | ヨッシ・ベナユン(102試合) | |||
最多得点選手 | モルデハイ・シュピーグラー(33得点) | |||
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初の国際試合 | 1948年9月26日対アメリカ合衆国 1-3 | |||
最大差勝利試合 | 1988年3月23日対チャイニーズタイペイ 9-0 | |||
最大差敗戦試合 | 2002年2月13日対ドイツ 1-7 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 1回(初出場は1970) | |||
最高成績 | 1次リーグ敗退(1970) | |||
AFCアジアカップ | ||||
出場回数 | 4回 | |||
最高成績 | 優勝(1964) | |||
UEFA欧州選手権 | ||||
出場回数 | 0回 | |||
最高成績 | - | |||
サッカーイスラエル代表(ヘブライ語: נבחרת ישראל בכדורגל、アラビア語: منتخب إسرائيل لكرة القدم)はイスラエルサッカー協会(IFA)によって編成されるイスラエルのサッカーのナショナルチームである。
目次
1 スタジアム
2 歴史
3 FIFAワールドカップの成績
4 オリンピックサッカー競技の成績
5 AFCアジアカップの成績
6 UEFA欧州選手権の成績
7 歴代監督
8 歴代記録
8.1 通算出場数ランキング
8.2 通算得点数ランキング
9 歴代代表選手
10 脚注
11 外部リンク
スタジアム
ホームスタジアムは2つある。
サミー・オフェル・スタジアム (ハイファ) 収容人数:30,870人
テディ・スタジアム (エルサレム) 収容人数:21,600人
歴史
1928年に前身となる委任統治パレスチナ代表チームが結成された。このチームはユダヤ人選手で構成されており、アラブ人は参加していなかった。
1954年第2回マニラアジア大会がきっかけで、大会中の1954年5月8日に他の12か国と共にアジアサッカー連盟(AFC)を設立したが、加盟はしなかった(なお、アジアサッカー連盟(AFC)は政治的配慮から現在もなお、イスラエルをAFC創設メンバーとしては認めていない)[1][2]。それから2年後の1956年にイスラエルサッカー協会はAFCに加盟し、1970年メキシコワールドカップにはアジア代表として出場した。しかし、イスラエル=アラブ紛争(パレスチナ問題及び中東戦争等)により周辺アラブ諸国との関係が悪化し、アラブ諸国(ほかにインドネシアや北朝鮮や中国)を中心としたボイコット(対戦拒否、大会参加拒否)が激化。それにより、AFCに所属しながらも1972年よりAFCアジアカップへの出場を辞退せざるを得なくなった。1973年10月6日に第四次中東戦争が起こると、もはや対戦不可能な状態に陥った[3]。
翌年のテヘランアジア大会サッカー競技にイスラエル代表は出場した。大会では1次リーグ最終戦で日本を3-0で破り、2次リーグへ進出したが、2次リーグではクウェート、北朝鮮が対戦を拒否した。結果的に、イスラエル代表はこの2つの不戦勝(2試合とも2-0でイスラエル勝利の扱い)とビルマ(現ミャンマー)戦の1-0での勝利で決勝まで勝ち上がることになった。アリアメールスタジアム(現アザディ・スタジアム)に10万人の観衆を集めた決勝では開催国のイランと対戦し、30分にイランのアデルハンのシュートをイスラエルのDFシュムが自陣ゴールに蹴り込んでしまい、結局、このオウンゴールで0-1で敗れた(イランはアジア大会初優勝)[3]。結果的に、この試合がAFCとしての最後の試合となった。
まだテヘランアジア大会期間中であったが、1974年9月14日にイランの首都テヘランでAFC総会が開催され、イスラエルの除名が決まった[3]。AFC除名以降、地域連盟未所属のまま、活動することになった。
ワールドカップ予選においては1970年、1974年、1978年にはアジア・オセアニア枠へと組み込まれたが、いずれの予選のグループはアラブ諸国と同組とならず、さらに1970年大会のアジア・オセアニア予選と1978年大会のアジア・オセアニア予選はイスラエルと北朝鮮が同組となったが、北朝鮮は予選自体を棄権した。1950年、1954年、1966年、1982年にはヨーロッパ枠に組み込まれ、その後オセアニアサッカー連盟(OFC)の暫定メンバーとなり、1986年、1990年にオセアニア予選に参加し、遠方への遠征を強いられることとなった。1990年大会のオセアニア予選では、オセアニア代表としてコロンビアと大陸間プレーオフで対戦したが、2試合合計0-1で敗れ、オセアニア代表としての本大会出場はならなかった。このためイスラエルサッカー協会は欧州サッカー連盟(UEFA)への加盟を希望していた。これが認められて1992年よりUEFAに加盟している。UEFA加盟後、FIFAワールドカップ、UEFA欧州選手権には出場できていない。
UEFA欧州選手権出場に最も近づいたのは2000年大会で、予選6組に入りオーストリアを抑えグループ2位となりプレーオフへ進出した。プレーオフではデンマークと対戦したが、第1戦0-5、第2戦0-3と2試合合計0-8で大敗し初出場はならなっかった。
2006年のFIFAW杯予選ではグループ4に入りフランスやスイスなどと同組となった。最終的には、本大会に出場した1970年大会予選以来となる予選無敗(4勝6分)の成績を残しスイスと勝ち点で並んだが、直接対戦の成績でスイスが上回りグループ3位でプレーオフ進出はならなかった。尚、このグループは最終的に首位で予選突破を決めたフランスから4位のアイルランドまで勝点差3にひしめく大混戦だった。(フランス20、スイスとイスラエル18、アイルランド17)
FIFAワールドカップの成績
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
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1950 | 予選敗退 | ||||||
1954 | |||||||
1958 | |||||||
1962 | |||||||
1966 | |||||||
1970 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 3 |
1974 | 予選敗退 | ||||||
1978 | |||||||
1982 | |||||||
1986 | |||||||
1990 | |||||||
1994 | |||||||
1998 | |||||||
2002 | |||||||
2006 | |||||||
2010 | |||||||
2014 | |||||||
2018 | |||||||
合計 | 出場1回 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 3 |
オリンピックサッカー競技の成績
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1952 | 予選敗退 | ||||||
1956 | |||||||
1960 | |||||||
1964 | |||||||
1968 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 9 | 7 |
1972 | 予選敗退 | ||||||
1976 | ベスト8 | 4 | 0 | 3 | 1 | 4 | 7 |
1980 | 棄権 | ||||||
1984 | 予選敗退 | ||||||
1988 | |||||||
合計 | 2/10 | 8 | 2 | 3 | 3 | 13 | 14 |
AFCアジアカップの成績
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1956 | 準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 5 |
1960 | 準優勝 | 3 | 2 | 0 | 1 | 6 | 4 |
1964 | 優勝 | 3 | 3 | 0 | 0 | 5 | 1 |
1968 | 3位 | 4 | 2 | 0 | 2 | 11 | 5 |
1972 | 不参加 | ||||||
合計 | 4/15 | 13 | 9 | 0 | 4 | 28 | 15 |
UEFA欧州選手権の成績
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1996 | 予選敗退 | ||||||
2000 | |||||||
2004 | |||||||
2008 | |||||||
2012 | |||||||
2016 |
歴代監督
アヴラム・グラント 2002-2006
ドゥロル・カシュタン 2006-2009(2010 FIFAワールドカップ・ヨーロッパ予選グループ2でイスラエル代表敗退後、暫定監督としてエリ・オハナ氏就任)[4]
ルイス・フェルナンデス 2010.5.1-2011.11.1
エリ・グトマン 2011.12.27-
歴代記録
通算出場数ランキング
- 2014年6月1日時点
水色は現役代表選手
位 | 名前 | 期間 | 出場 | 得点 |
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1 | ヨッシ・ベナユン | 1998-現在 | 96 | 24 |
2 | アリク・ベナド | 1995-2007 | 94 | 0 |
3 | アロン・ハラジ | 1992-2006 | 89 | 2 |
4 | Amir Schelach | 1992-2001 | 85 | 0 |
5 | モルデハイ・シュピーグラー | 1963-1977 | 83 | 33 |
ニル・クリンゲル | 1987-1997 | 83 | 2 | |
7 | アビ・ニムニ | 1992-2005 | 80 | 17 |
タル・ベン・ハイム | 2002-現在 | 80 | 1 | |
9 | タル・バニン | 1990-2003 | 78 | 12 |
イツァーク・シュム | 1969-1981 | 78 | 10 | |
エヤル・ベルコヴィッチ | 1992-2004 | 78 | 9 | |
ドゥドゥ・アワット | 1999-現在 | 78 | 0 |
通算得点数ランキング
- 2014年6月1日時点
水色は現役代表選手
位 | 名前 | 期間 | 得点 | 出場 |
---|---|---|---|---|
1 | モルデハイ・シュピーグラー | 1963-1977 | 33 | 83 |
2 | ヨシュア・フェイゲンバウム | 1966-1977 | 24 | 50 |
ヨッシ・ベナユン | 1998-現在 | 24 | 96 | |
4 | ローネン・ハラジ | 1992-1999 | 23 | 53 |
5 | ナフム・スレルマチ | 1956-1968 | 22 | 61 |
6 | Gidi Damti | 1971-1981 | 21 | 69 |
7 | Giora Spiegel | 1965-1980 | 18 | 44 |
ヨシュア・グレイザー | 1949-1961 | 18 | 35 | |
9 | エリ・オハナ | 1984-1997 | 17 | 51 |
アビ・ニムニ | 1992-2005 | 17 | 80 | |
11 | Uri Malmilian | 1975-1990 | 16 | 62 |
アロン・ミズラヒ | 1992-2001 | 16 | 37 |
歴代代表選手
- ヨーハーナーン・ウォーラック
- モルデハイ・シュピーグラー
- タル・ベン・ハイム
- ヨッシ・ベナユン
- ベン・サハル
- ドゥドゥ・アワット
- ガイ・アスリン
- トメル・ヘメド
脚注
^ About AFC(AFCについて 歴史など説明)-AFC公式HP英語版2007年9月6日
^ デイヴィッド・ゴールドブラッド著・野間けいこ訳『2002ワールドカップ32カ国・データブック』株式会社ネコパブリッシング ネコウェブ
- ^ abc後藤健生 『日本サッカー史日本代表の90年』 双葉社、2007年。
^ イスラエル代表新監督に元PSGのルイス・フェルナンデス氏が就任
外部リンク
イスラエルサッカー協会 (ヘブライ語、英語)- RSSSFによるイスラエル代表の戦績
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