詩篇
ヘブライ聖書 または 旧約聖書 |
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詳細は聖書正典を参照 |
ユダヤ教、プロテスタント、カトリック教会、東方教会 |
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ユダヤ教とプロテスタントが除外 |
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東方正教会が含む |
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ロシア正教会とエチオピア正教会が含む |
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エチオピア正教会が含む |
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ペシッタ訳聖書が含む |
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古代教会スラブ語聖書が含む |
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『詩篇』または『詩編』(しへん、ヘブライ語: תהלים Təhillīm, 英語: Psalm)は、旧約聖書に収められた150篇の神(ヤハウェ)への賛美の詩。
文語訳聖書では「詩篇」と表記し、口語訳聖書、新改訳聖書もそれを引き継いでいるが、新共同訳聖書では「詩編」と表記している。正教会では聖詠と呼ばれている。
目次
1 概要
2 分類
3 礼拝における使用
4 正教会の聖詠
4.1 聖詠経のカフィズマの構成
4.2 聖詠の「詩篇」との対比
5 関連文献
6 関連項目
7 脚注
8 外部リンク
概要
ほとんどの詩が典礼(礼拝・奉神礼)に用いられた詩と神への感謝の詩に分類することができる。ユダヤ教では「テヒリーム」(賛美)と呼ぶ。ラテン語で詩篇を意味する『Psalmi』は七十人訳聖書における詩篇のギリシャ語タイトル『プサルモイ』(心を動かすもの、複数形)に由来する。ユダヤ教聖書の配列では「諸書」(ケスビーム)の1つ。
本来歌唱を伴い、いくつかのものには調べの指定が注釈として残されている。ヘブライ語テキストに本来つけられた曲は失われているが、「セラ」「ミクタム」などの曲の用語が残されている。またテキストから、弦楽器・管楽器(ラッパなど)・打楽器(シンバルなど)を用いたことが知られる。現在、ユダヤ人の伝統的楽器を用いて曲を復元する試みがなされている。またキリスト教の伝統的教派では、多く詩篇は歌唱されるものであり、さまざまな音楽家によって作曲され、多彩な音楽的表現を生む土壌ともなってきた。
なお古代からの伝承ではその多くがダビデの作であるとされているが(73の詩篇の表題にダビデの名が現れる)、近代聖書学の高等批評的には否定されている。
市販の聖書の中には、新約聖書全巻に加えて旧約聖書の中から詩篇のみを抜粋して併せて収録し、『新約聖書 詩編付き』などのタイトルで発行されているものもある[1]。
分類
マソラ本文において、詩篇は以下のように全五巻に分けられる。それぞれの巻の終わりはかならず二回の「アーメン」(そうなりますように)という言葉で結びられている。これは内容にもとづくよりは形式的な区分であり、モーセ五書の五部構成と対応させたユダヤ教の学者たちによるものとされている。
- 第1篇から第41篇
- 第42篇から第72篇
- 第73篇から第89篇
- 第90篇から第106篇
- 第107篇から第150篇
第72篇の末尾に「エッサイの子ダビデの祈りの終り。」とあり[2]、ここまでがダビデによる祈りとされている。
なお、本文の切り方は、マソラ本文と七十人訳で異なるが、150篇に分割することは同じである。七十人訳およびこれを継承する正教会の聖書には、この150篇の本編に加え、ダビデの作とされる一篇が収録されている。
礼拝における使用
詩篇はそれぞれが独立した祈祷文として用いられる。ユダヤ教やキリスト教において詩篇が「朗読」「朗誦」されるとは、定式化された式文による祈祷、それも多くは歌唱を伴うもの(賛美歌、聖歌)が行われていることに他ならない。
ユダヤ教徒は毎日節に分けて(一週間で一巡りするように)朗読する。またシナゴーグにおける礼拝では、定められた詩篇が朗読される。この習慣はキリスト教の諸教派にも継承されていて、カトリック教会、プロテスタントの伝統的な教会などでは、「教会の祈り」、改訂共通聖書日課またはそれに相当するものに沿って『詩篇』の読む所を選び、礼拝の中で交読される場合が多い。 [3]
また正教会については、以下に『詩篇(聖詠)』の使用の例をいくつか示す。
時課ごとに定められた個所を祈る。用いる個所は通年で固定されている。- 祭日の各時課ごとに定められた個所を祈る。
- カフィズマ(坐誦経、カシスマとも)
- 『詩篇(聖詠)』を20に分割し、曜日ごとに定められた個所を朗読する。一サイクルは、土曜(スボタ)の晩祷から始まり、翌週の土曜の早課で終わる。カフィズマはスラヴ語で「座って聴くもの」の意。第1コンスタンティノポリス公会議以降、公祈祷における祈祷の姿勢は立礼と定められているが、カフィズマにおいては座っていることが許される。
- 通夜の席における朗読。納棺の後、近親者・知人などが集まり、夜を徹して交互に聖詠を一篇一篇詠むことが行われる。
- 食事の席における朗読。修道院などでは、食事の際、詩篇の朗読が行われる。
正教会の聖詠
詩篇は正教会(日本正教会)では聖詠(せいえい、希: Ψαλμός、露: Псало́м)と呼ばれていて聖詠を収めた祈祷書を聖詠經(聖詠経、せいえいけい、希: ψαλτήριον 、露: Псалти́рь, Псалты́рь)と呼ぶ。
聖詠経のカフィズマの構成
正典としては150の聖詠から構成される。他に外典としてのイウデヤ王マナシヤの祝文(マナセの祈り)も含めて151と数える事もある。マナシヤの祝文を除いた150の聖詠を20のカフィズマ(希:κάθισμα 、露:Кафи́зма, Кафи́сма 、英:Kathisma、「座」の意。カテドラルと同根語)と呼ばれる区分に分割しており、昼夜奉事の中で特定のカフィズマが指定されている場合はこの一区分を詠む。
- 第一「カフィズマ」:第一聖詠~第八聖詠
- 第二「カフィズマ」:第九聖詠~第十六聖詠
- 第三「カフィズマ」:第十七聖詠~第二十三聖詠
- 第四「カフィズマ」:第二十四聖詠~第三十一聖詠
- 第五「カフィズマ」:第三十二聖詠~第三十六聖詠
- 第六「カフィズマ」:第三十七聖詠~第四十五聖詠
- 第七「カフィズマ」:第四十六聖詠~第五十四聖詠
- 第八「カフィズマ」:第五十五聖詠~第六十三聖詠
- 第九「カフィズマ」:第六十四聖詠~第六十九聖詠
- 第十「カフィズマ」:第七十聖詠~第七十六聖詠
- 第十一「カフィズマ」:第七十七聖詠~第八十四聖詠
- 第十二「カフィズマ」:第八十五聖詠~第九十聖詠
- 第十三「カフィズマ」:第九十一聖詠~第百聖詠
- 第十四「カフィズマ」:第百一聖詠~第百四聖詠
- 第十五「カフィズマ」:第百五聖詠~第百八聖詠
- 第十六「カフィズマ」:第百九聖詠~第百十七聖詠
- 第十七「カフィズマ」:第百十八聖詠(ネポロチニ)
- 第十八「カフィズマ」:第百十九聖詠~第百三十三聖詠
- 第十九「カフィズマ」:第百三十四聖詠~第百四十二聖詠
- 第二十「カフィズマ」:第百四十三聖詠~第百五十聖詠
聖詠の「詩篇」との対比
日本聖書協会訳の詩篇がヘブライ語聖書を定本にしているのに対し、正教会の聖詠は七十人訳聖書を底本にしているため、訳文の違いのみならず、区切り方・数え方といった構成も多少異なる。
- 例1:第10聖詠=詩篇第11篇
- 例2:第113聖詠=詩篇第114篇、115篇
聖詠 | 詩篇 (日本聖書協会訳) |
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第1〜第8は同じ | |
第9聖詠 | 第9篇、第10篇 |
第10聖詠 | 第11篇 |
以下1編ずつのずれ | |
第112聖詠 | 第113篇 |
第113聖詠 | 第114篇、第115篇 |
第114聖詠、第115聖詠 | 第116篇 |
第116聖詠 | 第117篇 |
以下1編ずつのずれ | |
第145聖詠 | 第146篇 |
第146聖詠、第147聖詠 | 第147篇 |
第148〜第150は同じ |
関連文献
- 『聖詠經』日本正教会、昭和63年再刊
- 『山手・上毛教会報』山手ハリストス正教会、2008年11月号
- THE ORTHODOX STUDY BIBLE, HARDCOVER, Thomas Nelson; ISBN 978-0-718-00359-3
関連項目
- マスキール
詩篇23篇、詩篇46篇、詩篇51篇、詩篇121篇、詩篇137篇 - (正教会では[4]それぞれ第22聖詠、第45聖詠、第50聖詠、第120聖詠、第136聖詠)
ソルター(典礼用詩篇ブック)
合唱聖歌コンチェルト - 歌詞の殆どが聖詠から採られている。- 聖体礼儀
早課、晩課
脚注
^ 日本聖書協会NI353、新日本聖書刊行会SP-20など
^ 日本聖書協会 新共同訳聖書より
^ 教会デビュー:交読
^ 正教会の聖詠(詩編)番号は『七十人訳聖書』(旧約聖書のギリシャ語訳)に基づいていて、西方キリスト教(カトリック、プロテスタント各派)が使っている詩編9と10が第9聖詠として一緒になっていて、詩編146は聖詠146と147に分かれているので、詩編と聖詠の番号の比較には増減がある。参照:『The Orthodox Study Bible』(2008年)
外部リンク
- 詩篇 (リビングバイブル)
聖預言者ダヴィド(ダビデ)のイコン - 大阪ハリストス正教会のページ- イウデヤ王マナシヤの祝文(日本正教会版)
Псалтирь - 教会スラヴ語版聖詠- ニコライ訳の聖書
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