渡し船
渡し船(わたしぶね)とは、港湾・河川・湖沼などで両岸を往復して客や荷物を運ぶ船及び航路のことである。渡船(とせん)とも言う。また、渡し船に乗り降りするところを渡し場(わたしば)、渡船場(とせんじょう、とせんば)などという。
広義の「渡し船」には、離島との航路などや、釣り客を沖の独立した防波堤や岩礁へ運ぶ渡船業、リゾート企業などが顧客専用として運用するものも含まれる。本稿では狭義の渡し船として、「比較的狭い距離の対岸同士を渡し、庶民の日常の交通手段や観光に利用され、公共性の高いもの」について述べる。大型かつ航路の長いものはフェリーを、単純な対岸往復でなく、河川や運河の流れに沿って複数の船着場を行き来する船は水上バスを参照のこと。なお、フェリーと渡し船を呼び分ける文化は日本以外にはあまり存在しないため、各国語版へのリンクはフェリーのほうを主に参照されたい。
目次
1 東南アジアの例
1.1 ベトナム
1.2 ラオス
1.3 タイ
1.4 マレーシア
2 日本の例
2.1 中世以前の渡し
2.2 江戸時代の渡し船
2.3 現在も運航されている渡船
2.3.1 北上川の渡し舟
2.3.2 霧幻峡渡し
2.3.3 小堀の渡し
2.3.4 島村渡船
2.3.5 赤岩渡船
2.3.6 矢切の渡し
2.3.7 (通称)競輪場の渡し
2.3.8 浦賀の渡船
2.3.9 城ヶ島渡船
2.3.10 平の渡し
2.3.11 富山県営渡船
2.3.12 我入道の渡し
2.3.13 塚間の渡し
2.3.14 井川湖渡船
2.3.15 今切の渡し
2.3.16 牛川の渡船
2.3.17 中野の渡し
2.3.18 小紅の渡し
2.3.19 県道船
2.3.20 登山道連絡船
2.3.21 三瀬の渡し
2.3.22 大阪市の公営渡船
2.3.23 安居の渡し
2.3.24 玄武洞渡船
2.3.25 矢田の渡し
2.3.26 尾道渡船・駅前渡船など
2.3.27 音戸渡船
2.3.28 鶴江の渡し
2.3.29 長原渡船
2.3.30 岡崎渡船・黒崎渡船・島田渡船
2.3.31 臥龍の渡し
2.3.32 三津の渡し(松山市営渡船)
2.3.33 県営渡船龍馬
2.3.34 下田初崎渡し
2.3.35 須崎市営巡航船
2.3.36 若戸渡船
2.3.37 福岡市営渡船博多~志賀島航路
2.3.38 瀬川汽船
2.4 廃止・休止された渡船
3 関連項目
4 出典
東南アジアの例
ベトナム
ベトナムでは、主に南部のメコンデルタ地方を中心に多くの渡船が存在する。この地方ではメコン川が多くの支流に分かれ、農業用・輸送用の水路も網の目のように張り巡らされている。このため船による輸送が活発で、橋をかけることや、そのために高い堤防を造成することが逆に交通の不効率化を招く場所が極めて多い。とはいえ、オートバイや自転車が庶民の基本的な交通手段であることも事実であるため、渡船は生活に欠かせないものとなっている。
また、21世紀になってカントー橋やラックミエウ橋が掛けられるまで、交通の大動脈である国道一号線でのバスやトラックでの大規模輸送であっても、大型の渡船が利用された。
このようにベトナムの渡船は基本的に車両での乗船を考慮する必要があるため、輸送量の多い場所ではデッキがそのまま波止場の地面とひとつながりになる船体形状のものが多い。また、河川の流れが極めて緩やかなため、安定性に注意を払う必要が低く、喫水の浅く底が平たい、ある意味一枚の「床」のような形状のものが見られる。
ラオス
陸上の交通路がきわめて貧弱で、かつ山岳が多く川の流れが急なラオスにおいては、「対岸へ渡す」船ではなく、川を斜めに渡って乗客を運ぶ渡船が主流である。このため船体は極めて細長い形状である。
タイ
タイの地方ではベトナム同様のオートバイ利用者向けの渡船も見られるが、陸上交通の充実した首都バンコクにおいては、主に徒歩客、特に観光客のためのものが主流である。バンコク都内を南北に流れるチャオプラヤー川では、チャオプラヤー・エクスプレス(水上バスに分類される)のような川を上下するもののほかに、対岸同士にあるワット・アルンとワット・ポーを結ぶ渡船などが存在する。
また、ミャンマーとの国境を形成するクラ地峡には海上の国境を超える渡し船が多く運行されている。これらは公営のものではなく企業とも呼べない個人経営のものばかりのため、料金交渉が必要であり、事故が起きてもほとんど保障は得られない。メコン川でのラオス国境にも同様なものがあるが、こちらは運賃が決まっており、個人ではなく企業経営のものが多い。
マレーシア
マレーシアも陸上交通が充実しており、自動車の普及率も高いことから渡船は地方の観光地に多い。サラワク州のクチンでは、市街を南北に分けるサラワク川支流の中心部は景観維持のために橋がかかっておらず、徒歩客むけの多くの渡船が早朝から夜遅くまで行き交う。
日本の例
中世以前は架橋技術の未発達により、渡船に頼る比重が高かった。江戸時代の幕藩体制においても、架橋が困難な地点や、関所など軍事的理由で架橋が許されなかった地点を中心に渡船が行われた。また、地形が山がちなことや、軍事的理由から車輪の利用が発達しなかった事によって発生する水運の優位性もあり、渡船は全国各地で行われた。
道路が整備され、また車両が普及するなどして陸運が発達すると、水運の至便性よりも洪水忌避が重要となり、堤防の建設などによって生活と水辺は切り離されてゆく傾向にある。また、架橋技術や隧道等土木技術の発達も水運の重要性を低下させる。これらの理由により渡船は徐々に廃止され、21世紀初頭の日本では観光用ないしは、港湾・河川等においての船舶交通量が多いため、架橋により通過する船舶の交通量を確保できない場合や遠方の離島との間など架橋が困難ないしは、架橋するだけ交通量が確保できない、橋があっても歩行者・自転車の通行が困難な事例など特別な事情がある場合に限られている。
中世以前の渡し
万葉集に、古河の渡し(茨城県古河市)がうたわれている。隅田の渡し(東京都台東区橋場・荒川区南千住)、多摩川を渡る関戸の渡し(東京都多摩市)、丸子の渡し(神奈川県川崎市)なども古代から知られている。
また、旧渡良瀬川を渡る房川渡し(埼玉県久喜市・茨城県古河市・五霞町元栗橋)、旧入間川(現荒川)を渡る川口の渡し(埼玉県川口市)、旧利根川を渡る川口の渡し(埼玉県加須市)も江戸時代以前から知られている。
江戸時代の渡し船
江戸時代、東海道の馬入川(現在の相模川)の例でいうと、人を20人まで乗せる小船、馬を乗せる馬船、大型で荷物を運べる平田船が常備されていた[1]。
東海道が多摩川を渡る六郷大橋は度々洪水で流され、1688年(貞享5年)以後は再建を断念し、六郷の渡しが定着した。
現在も運航されている渡船
渡し舟の中には川の向かいや島に立地する旅館やゴルフ場などに、宿泊客や利用客を輸送するためのものもあるが、本項では説明を省く。
北上川の渡し舟
- (岩手県北上市)
- 北上駅から徒歩10分の場所にある北上川の右岸と左岸を結ぶ。
- 運行は北上川景勝地さくらまつり期間中のみ。雨天や川の増水時に運休する。有料(片道350円)である。
- ※参考:一般社団法人北上観光コンベンション協会 - 北上川景勝地さくらまつりのサイト
霧幻峡渡し
- (福島県金山町)
- 三更地区で霧幻峡を横断する。
- 1964年に一旦廃止されたが2009年、観光資源として復活した。
- 乗船3日前までに予約が必要。有料である。要問合せ→http://okuaizu.pupu.jp/
小堀の渡し
- (茨城県取手市)
- 利根川右岸(千葉県我孫子市と地続きの側)にある飛地の小堀(おおほり)地区と左岸(市中心部側)を結ぶ。取手市営。利根川の改修の結果、茨城県の飛地となった地区の利便性のために開設された。以前は無料であったが、地域住民以外の観光乗船が禁止されていた。現在は小堀地区住民と条例に定める利用者は無料、その他は片道200円となり、観光乗船が可能となった。また、取手駅に近い桟橋との三地点を三角運行するようになった。
- ※参考:小堀の渡し - 取手市公式サイト
島村渡船
- (群馬県伊勢崎市)
利根川右岸にある伊勢崎市の飛地と左岸(伊勢崎市の旧境町中心部側)を結ぶ。群馬県営(伊勢崎市に運航を委託)。人のみ乗船可能。無料。- 川舟タイプの船を使用。
- ※参考:伊勢崎市・島村渡船 - 伊勢崎市公式サイト
赤岩渡船
- (埼玉県熊谷市~群馬県邑楽郡千代田町)
利根川右岸にある熊谷市の葛和田と左岸の千代田町赤岩を結ぶ。群馬県営(千代田町に運航を委託)。自転車やバイクも乗船可能。無料。
主要地方道埼玉県道・群馬県道83号熊谷館林線に指定されている。- ※参考:赤岩渡船 - 千代田町公式サイト
矢切の渡し
- (千葉県松戸市~東京都葛飾区)
江戸川左岸の松戸市矢切(やきり、やぎり)地区と右岸の東京都葛飾区柴又を結ぶ。民営(個人運営)。有料(大人200円、子供100円 平成24年10月より料金改正)。- かつて江戸幕府が江戸川の渡しとして指定し、農民の管理により運営されていた航路のうち最後の一つ。現在も先祖代々船頭だった個人が運営。
- ※参考:矢切の渡し - 松戸市観光協会
- ※参考:矢切の渡し - 葛飾区観光サイト “かつしかまるごとガイド”
(通称)競輪場の渡し
- (東京都調布市~神奈川県川崎市多摩区)
多摩川に架かる京王電鉄相模原線の鉄橋沿いに運航される。民営(貸しボート店による運営)。有料。- 競輪場の対岸にある駐車場に駐車した競輪場来場者を主な対象としているが、一般客の利用も可能。京王閣競輪場で競輪が開催される日のみ運航。
- かつて同区間に菅の渡しが存在したが、昭和48年に廃止されている。[2]
浦賀の渡船
- (神奈川県横須賀市)
浦賀港の半ばを結ぶ。横須賀市営(民間に運航を委託)。市道2073号。大人150円、小児・自転車等50円。通称「ポンポン船」。- ※参考:浦賀の渡船 - 横須賀市公式サイト
城ヶ島渡船
- (神奈川県三浦市)
- 1960年4月の城ヶ島大橋開通まで三崎仲崎岸壁と城ヶ島の間を渡船が結んでいた。橋の開通により一旦渡船は廃止となった。
- 平成20年5月に観光資源として50年ぶりに渡船が復活する。運航日は土曜休日と繁忙期で、有料(片道300円)である。
- ※参考:城ヶ島渡船白秋のページ - 三崎港産直センター「うらり」公式サイト
平の渡し
- (富山県富山市)
黒部ダムの完成により黒部湖によって分断された登山道を連絡するために開設。関西電力が運営(平ノ小屋(山小屋)に運航を委託)。無料。- 1日4往復運航。
富山県営渡船
- (通称)越ノ潟フェリー(富山県射水市)
富山新港建設のため分断された両岸を結ぶ。富山県営。無料。- 2004年から深夜時間帯および荒天時などは無料の代行タクシーを運行。富山地方鉄道射水線の項目も参照のこと。
我入道の渡し
- (静岡県沼津市)
- 狩野川河口の我入道東町から蓼原町の両岸を結んでいる。港大橋の完成により1971年に廃止されたが、1997年に復活している。1日4往復は駅に近いあゆみ橋まで運行する。有料。乗船者はライフジャケットの着用が必須であるなど、生活色は無くなっている。
- ※参考:我入道(がにゅうどう)の渡し船
塚間の渡し
- (静岡県静岡市清水区)
- 江尻・清水港から三保湾を渡り三保半島・塚間を結ぶ。通勤利用も多い。
井川湖渡船
- (静岡県静岡市)
井川湖上で、井川駅と集落を結ぶ。静岡市営。無料。- 1日4往復運航。
- ※参考:渡船「赤石丸」のご案内 - 静岡市公式サイト
今切の渡し
- (静岡県湖西市~静岡県浜松市)。
明応地震(明応7年、一説には明応8年(1498年))により分断された浜名湖開口部今切地区を結ぶべく創設された。発着場に新居関所があった。1932年の浜名橋開通で一旦廃止されたが、2013年に観光資源として弁天島遊船組合により復活した。[3]4名以上での予約が必要。有料(1人につき1000円)
牛川の渡船
- (愛知県豊橋市)
豊川の両岸を結ぶ。豊橋市営。無料。- 豊橋市道大村町・牛川町175号線に含まれる。航路の起源は不明だが、平安時代から運航されていたという。
- ※参考:牛川の渡船 - 豊橋市公式サイト
中野の渡し
- (愛知県一宮市~岐阜県羽島市)
木曽川を渡る。愛知県営。無料。- 愛知県営道路渡船(愛知県道135号)。
小紅の渡し
- (岐阜県岐阜市)
長良川を渡る。岐阜県営(岐阜市に運航を委託)。無料。- 道路渡船(岐阜県道173号)。
- ※参考:小紅の渡し - 岐阜市観光コンベンションセンター
県道船
- (三重県志摩市)
- 的矢湾を渡り、的矢地区と三ヶ所地区を結ぶ。基本的に三重県営(休日などは民間へ業務を委託することもある)。無料。
- 三重県道750号阿児磯部鳥羽線の一部として運行される。
- 便によっては渡鹿野島を経由するものも存在する。この他、渡鹿野島へ向かう民間の渡船も存在するが、こちらは終点が離島である渡鹿野島のみなのでここでは扱わない。
登山道連絡船
- (三重県大台町)
- 旧大杉村再生協議会によって運行され、宮川ダムを横断し、大杉~登山口を結ぶ。
- 1964年に一旦廃止されたが2009年、観光資源として復活した。
- 運行は原則として土曜・休日のみ。水曜を除く平日は四人以上の場合旧大杉村再生協議会へ予約が必要。有料(片道1000円)である。宮川ダムの遊覧船も兼ねる。
三瀬の渡し
- (三重県大台町)
- 三瀬の渡し保存会によって運行され、下三瀬~多岐原を結ぶ。
- 昭和30年代に一旦廃止されたが2010年、地元住民の力添えにより復活した。
- 利用に際しては事前に三瀬の渡し保存会へ連絡と予約が必要。料金も事前に確認のこと。
大阪市の公営渡船
- (大阪府大阪市)
- 天保山渡船など、おもに大正区域の大阪港や河口付近に8航路。大阪市営。無料。
- 一自治体としては最多の航路を持つ。
- ※参考:大阪 渡船場マップ - 大阪市公式サイト
安居の渡し
- (和歌山県白浜町)
- 日置川を横断し安居と仏坂を結ぶ。熊野古道の一部をなしてきた。
- 昭和29年に一旦廃止されたが迂回路が危険である事もあって2005年10月、世界遺産登録を機に地元有志の手により復活した。
- 乗船3日前までに予約が必要。有料(片道500円)である。
- ※参考:安居の渡し保存会について - 白浜町教育旅行誘致協議会
玄武洞渡船
- (兵庫県豊岡市)
山陰本線玄武洞駅から円山川の対岸の玄武洞までの主に観光客の足として、有料で運航。民営。1999年12月で一旦廃止後2008年7月より別事業者により規模を縮小して運航。
矢田の渡し
- (島根県松江市)
大橋川を渡る。地元渡船組合の運営。自転車も乗船可能。有料。- 観光船も兼ねており、観光船として運航されている時間帯は渡船としては利用できない。
尾道渡船・駅前渡船など
- (広島県尾道市)
- 尾道市街と、尾道水道で隔てられた向島を結ぶ3航路。民営(それぞれの航路を別の民間企業が運営)。自転車も乗船可能。一部は自動車も積載できる。有料。
- ※参考:尾道水道フェリーマップ - 尾道市港湾振興課
音戸渡船
- (広島県呉市)
本州と倉橋島を隔てる音戸の瀬戸を渡る。民営。自転車やバイクも乗船可能(別料金)。有料。- ※参考:日本一短い航路「音戸の渡し船」 - 呉市観光振興課
鶴江の渡し
- (山口県萩市)
松本川河口付近を渡る。萩市営。自転車も乗船可能。無料。- 道路渡船。人力で運航されている。
- ※参考:浜崎エリア紹介ページの一番下段に渡船の案内あり - 萩まちじゅう博物館推進課/NPO萩まちじゅう博物館公式HP
長原渡船
- (徳島県徳島市~板野郡松茂町)
- 徳島県営(松茂町に運営を委託)。無料。
- 船は松茂町側に駐在し、6時30分から18時30まで運航。途中に8回設定された休航時間以外は随時運航する。徳島市側から利用の際は、用意されている旗を振るなどして対岸に合図する。
岡崎渡船・黒崎渡船・島田渡船
- (徳島県鳴門市)
小鳴門海峡を渡る3航路。鳴門市営だが「(有)小鳴門渡船」「(有)島田渡船」に運航を委託。無料。
2003年までは市の直営だった。- ※参考:渡船 - 鳴門市公式サイト
臥龍の渡し
- (愛媛県大洲市)
肱川の中洲にある眺望ポイントまで運行する渡し船。有料。4・5月の土曜日・休日のみの運航で、鵜飼見物用の屋形船を使用するなど遊覧船に近いが、肱川の渡しを復活させるために1980年に復活した経緯がある。- ※参考:臥龍の渡し - 大洲市公式サイト
三津の渡し(松山市営渡船)
- (愛媛県松山市)
- 三津浜港の湾口を横断する三津浜~港山間の80mを運航。松山市営。自転車も乗船可能。無料。
- 昔ながらの小型動力船。映画「がんばっていきまっしょい」にも登場した。
- ※参考:ロケMAP 松山市営渡船 - 映画「がんばっていきまっしょい」公式サイト
県営渡船龍馬
- (高知県高知市)
浦戸湾口近くの梶ヶ浦~種崎を結ぶ。高知県営(民間に運航を委託)。自転車やバイク(125cc以下)も乗船可能。無料。
県道278号の一部である関係から県営となっているが、2004年から民間に運航を委託。2002年までは自動車も航送可能だった。- ※参考:県営渡船のご案内 - 高知県高知土木事務所
下田初崎渡し
- (高知県四万十市)
- 下田の渡しとも言うが、筑後川にも「下田の渡し」がかつて存在した。四万十川河口付近の遍路道の下田から初崎まで運航されている。かつては市営で、有料(大人100円)であった。
- 市営時代は定員13人、1日5回の運航であったが、2005年に一旦廃止され、これをもって四万十川の渡しは全て消失した。
- 2009年に地元住民有志によって「下田の渡し保存会」が結成され、4年ぶりに渡しが復活する。30分前までの予約制で、片道500円の有料である。ただし、一時運休と再開を繰り返しているので、利用には確認が必要である。
- ※参考:下田初崎渡し - 四万十市公式サイト
須崎市営巡航船
- (高知県須崎市)
- 浦ノ内湾を横断し四国本島と横浪半島を結ぶ。
- 通学を目的に昭和34年開設されたが一般客も乗船可能。元々遍路道の一部として同ルートの航路があった。
- 有料(片道200~640円)である。
- ※参考:巡航船/須崎市 - 須崎市公式サイト
若戸渡船
- (福岡県北九州市)
洞海湾沿岸の戸畑区と若松区を、若戸大橋に並行して結ぶ。北九州市営。自転車も乗船可能。有料。- なお、北九州市には「小倉渡船」もあるが、これは離島航路であり本項で扱う狭義の渡船にはあたらない。
- ※参考:渡船事業所 - 北九州市公式サイト
福岡市営渡船博多~志賀島航路
- (福岡県福岡市)
- 九州本島とは陸続きの志賀島や西戸崎を結ぶ。福岡市営。有料。
- 高速船タイプの船舶を利用しており、航行距離も長く、渡船を名乗ってはいるが他の渡船とは異質である。
- 福岡市営渡船には他に姪浜~能古島・小呂島航路や博多~玄海島があるが、これらは離島航路であり本項で扱う狭義の渡船にはあたらない。
- ※参考:福岡市営渡船 - 博多港公式サイト
瀬川汽船
- (長崎県西海市)
- 佐世保から西彼杵半島の旧西海町を結ぶ。
- 昭和46年までは西海町渡船という公営渡船だった。昭和47年に民営化され瀬川汽船となった。
- 高速船による運営となっており一般的な渡船のイメージとは異なるが、通勤利用も存在する。
- ※参考:瀬川汽船公式サイト
廃止・休止された渡船
美浦渡船(北海道美唄市~樺戸郡浦臼町)
石狩川左岸の美唄市中村地区と浦臼町晩生内地区を結んだ。美唄市と浦臼町の共同運営。人のみ乗船可能であり、無料であった。
2005年10月10日に一旦廃止されたが、その後北海道の開拓遺産として観光用に復活。乗船名簿に記入の上ライフジャケットを着用するなど生活色は無くなり、6月から9月にかけての土日・祝日を中心に1日3回運航していた。確実に利用するためには予め船頭の携帯電話に予約電話を入れる必要があった。2011年3月26日の北海道道1159号美唄浦臼線「美浦大橋」の開通に伴い関係両市町で協議した結果、船頭の高齢化もあり2011年9月25日限りで96年の歴史に幕を下ろし、これにより北海道から渡し船はすべて姿を消した[4]。- ※参考:さようなら美浦渡船 ありがとう国田さん - 浦臼町公式サイト(pdf)
石狩渡舟(北海道)
江戸時代から石狩川河口部で運行されていた国道231号の渡船。1978年に廃止。
旅来渡船(北海道)
国道336号の渡船。国道で最後の渡し船(海上国道区間を除く)であったが、1992年に廃止。詳細は渡船国道を参照。
豊里・津山渡船(宮城県登米市旧豊里町~旧津山町)- 鴇波の渡し・北上川の渡しなどとも言う。1931年から国営で運営され、次いで旧豊里町と旧津山町の共同運行になり、合併により登米市営となったが、実際の運航は豊里-津山渡船協議会に委託されていた。両岸は気仙沼線の鉄道橋はあるものの、道路橋がないための運航であった。廃止直前には1日11往復の運航ダイヤ(日曜日は運休)が組まれていたが、1人も利用者がいない日が増えたことに加えて船頭の高齢化により2010年6月4日に廃止され、79年間の歴史に幕を下ろした。
- ※参考:豊里~津山をつなぐ渡し船 多くの思い出とともに長い歴史に幕 - 登米市公式サイト(pdf)
山田の渡し(宮城県石巻市)- 樫崎・山田の渡しとも言う。旧桃生町の飛び地である北上川左岸の山田地区と桃生町中心部側の樫崎地区を結んでいる。桃生町営から市町合併により現在は石巻市営であるが「山田船場維持組合」に運営委託している。主な利用者は通学時の小中学生であったため、通学需要のない日曜日は運休していた。船頭の死去による後継者問題により、休止され、生徒はスクールバスで通学するようになった。事実上、廃止に近いが制度は残っている。
小山の渡し(宮城県柴田町~亘理町・角田市)- 東北本線の駅がある柴田町槻木地区と対岸の亘理町小山地区・角田市鳩原地区の境界付近を結んでいた。宮城県営渡船最後の渡し舟であったが、1995年7月7日の槻木大橋の開通に伴い廃止された。
- 川口の渡し
荒川・新河岸川の河岸場を結ぶ、日光御成道に属する船三艘を有する官設の渡船で対岸を結んでいた[5]。渡船場は「岩淵の渡し」[11]や付近に善光寺があることから「善光寺の渡し」とも呼ばれ近くに善光寺があり、信州に行かず善光寺参りが江戸近郊で手軽に済ませられるとあって渡船場は大変な賑わいだったという。存在していた時期は定かではないが、渡船料の記録によると遅くとも1780年(安永9年)までには存在していたという。付近の荒川は平水時、その川幅は60間(約109メートル)程度であった[6]。この渡船は1905年(明治38年)3月10日の舟橋の架設により廃止された[7]。
隅田川の渡し(東京都)- 防衛上の理由から架橋が制限されていたため多くの航路が就航し、最盛期の明治時代初期には20航路以上が就航していた。1966年に廃止された「汐入の渡し」をもって、隅田川から渡し船は消滅。
波崎町営渡船(千葉県銚子市~茨城県波崎町)
銚子大橋の下の利根川両岸を結んでいたが1996年1月末で休航。
津宮渡船(千葉県香取市)- 利根川の両岸を結んでいた、主に通学用の渡船。2007年3月末で廃止。
富田渡船(千葉県香取市)
利根川左岸にある香取市の富田新田地区と左岸の旧小見川町中心部側を結んでいた。地元渡船組合の運営。自転車やバイクも乗船可能。有料。- 2013年3月末で廃止。
葛木渡船(愛知県愛西市)
木曽川を渡っていた。愛知県営。無料。- 愛知県営道路渡船(愛知県道119号)。後述の森下渡船のすぐ隣にあった。
- 2011年3月末をもって運行廃止。
森下渡船(愛知県愛西市~岐阜県海津市)
長良川を渡る。岐阜県営。無料。- 岐阜県営道路渡船(岐阜県道119号)。前述の葛木渡船のすぐ隣にあった。後述の日原渡船(長良川側)と船を共用していたため、2日前までの完全予約制となっていた。
- 2011年3月末をもって運行廃止が決定した。
日原渡船(塩田の渡し)(愛知県愛西市~岐阜県海津市)
木曽川及び長良川を渡る。航路は前述の葛木渡船・森下渡船と同様に、並行して流れる両河川に分かれているが、こちらの場合は同じ名称であった。但し、木曽川側には「塩田渡船」の別名がある。愛知県営(木曽川)、岐阜県営(長良川)。無料。- 木曽川側は愛知県営道路渡船、長良川側は岐阜県営渡船(愛知県道120号・岐阜県道117号)。長良川側の渡船は前述の森下渡船と船を共用していたため、2日前までの完全予約制となっていた。
- 2011年3月末をもって運行廃止。
- 七里の渡し
宮宿と桑名宿を結んでいた、かつての官道。1601年の東海道制定の際定められた。現在定期航路としては存在しない。- 三里の渡し
佐屋宿と桑名宿を結んでいた。1634年、佐屋街道が東海道の脇往還に公認されたことで官道化。1872年に佐屋街道が公認から外れ消滅。- 十里の渡し
宮宿と四日市宿を結んでいた。1601年に徳川家康の認可を受け誕生。1872年に公認から外れ徐々に衰退し、現在定期航路としては存在しない。
如意の渡し(富山県高岡市~射水市)
小矢部川を渡る。伏木港湾交通が有料で運営していた。伏木万葉大橋の開通により2009年8月2日を最後に廃止。
山崎の渡し(大阪府島本町~京都府八幡市)
淀川の両岸を結んでいた渡船。江戸時代以前には山崎橋が架かっていた。谷崎潤一郎の小説『葦刈』にもこの渡船が描写されている。1962年に廃止。
水江の渡し(岡山県倉敷市)- 高梁川の改修工事により東西に分断された水江地区を無料で結んでいた。市道「水江2号線」の一部としての機能もあった。廃止直前の運行時間は平日の7時~11時及び14時~18時であった。
- 倉敷大橋が2016年(平成28年)1月24日開通。同橋開通により同年3月31日をもって廃止
境水道渡船(鳥取県境港市)- 境港市相生町岸壁と松江市美保関町宇井岸壁間の境水道両岸を結ぶ。1時間1-3本程度。有料。自転車積載可能。
- 2007年3月末で休航となっているが事実上の廃止。
- ※参考:境水道渡船 - 境港市観光協会
京町軽便渡船(福岡県久留米市)
筑後川中流域の長門石-京町間を結んでいた。1891年に京町軽便会社が運航を始め、のちに久留米市営に移行した。1974年7月11日の長門石橋開通に伴い廃止された。
下田の渡し(福岡県久留米市)- 筑後川中流域にて運航された旧城島町下田地区と同町浜地区とを結んだ。福岡県営。無料。架橋の完成とともに1994年に廃止。これをもって筑後川の渡しは全て消失した。
- 楮木の渡し舟(熊本県八代市~球磨郡球磨村)
球磨川沿いに走る肥薩線の瀬戸石駅(八代市)と球磨村神瀬(こうのせ)楮木(かじき)を結ぶ。最寄りの橋まで徒歩で迂回すると1時間近く掛かる対岸を、5分で運行していた。球磨村営で、村から委託を受けた住民組織「楮木地区渡し舟組合」が管理・運営していたが、4人いた船頭は約30年前からは1人だけであった[8]。村民は無料で、村民以外の利用者は有料。日曜日は運休。
2012年10月31日に廃止された。船頭が高齢で後継者が皆無であること、マイカーの普及などで利用者が減少して末期には高校生などの乗客が1日1人いるかいないかだったこと、その主な利用客であった高校生がスクーターや親の送迎で通学するようになり渡し船を利用しなくなる事が決定打となった[9]。廃止まで使われていた和船「楮木丸」は、現在「一勝地温泉かわせみ」で足湯の湯桶として余生を送っている[10]。- 付近の肥薩線の駅は集落から橋のない対岸に駅があることが多く、かつては多くの駅前に渡船があった。
関連項目
- フェリー
- 水上バス
- 橋
- 三途川
出典
^ 横浜国道事務所・東海道への誘い・東海道と宿場の施設(川-渡船場)
^ http://www.geocities.jp/kikuuj/kyudo/watashi/tama-watashi.htm
^ http://www.inhamamatsu.com/japanese/activity/minami-hamanako-cruise.php
^ 北海道新聞 2010年12月22日付朝刊「美浦渡船来年度限り 浦臼町と美唄市、廃止決定」
^ 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』24-26頁。
^ 『川口大百科事典』16-17頁。
^ 『歴史の道調査報告書第七集 荒川の水運』24-26頁。
^ “40年間続けた球磨川渡し舟 最後の船頭引退へ (html)”. プレスネットジャパン (2012年10月26日). 2014年8月2日閲覧。
^ “球磨の流れ 惜別の時 渡し40年 最後の船頭”. 西日本新聞. (2012年10月28日). http://www.nishinippon.co.jp/feature/story_blue_sky/article/16514 2013年9月18日閲覧。
^ “くまむら議会だより 第71号 (PDF)”. 球磨村議会 (2013年4月25日). 2013年9月19日閲覧。
|
|