伊藤真乗




伊藤 真乗(いとう しんじょう、昭和・平成時代の僧。俗名・伊藤 文明(いとう ふみあき)。明治39年(1906年)3月28日 - 平成元年(1989年)7月19日)は、日本の宗教家で、真言宗醍醐派総本山醍醐寺末寺院の僧侶から独立、戦後新たに一宗を形成、在家仏教教団・真如苑[1][2][3][4][5]を創設し、開祖となった。開祖修行の祖山・真言宗醍醐寺からは「真如三昧耶流」の流祖(創始者)と位置づけられている[6]。なお、俗名「文明」は「ふみあき」が正式名称であるが「ぶんめい」と音読みする場合も多い。妻、伊藤友司(僧名・眞如)は「真如霊祖」と称されている。




目次






  • 1 年譜


  • 2 参考文献


  • 3 脚注


    • 3.1 注釈


    • 3.2 出典




  • 4 関連項目


  • 5 外部リンク





年譜


1906年(明治39年)3月28日、山梨県北巨摩郡秋田村(現・山梨県北杜市長坂町)において、父・伊藤文二郎と、母・よしえの次男として出生[注 1]。文明は少年期、天理教信者であった母の影響で天理教に親しみ、曹洞宗の禅寺の檀家総代であった父からは、禅と家伝の易学「甲陽流病筮鈔(びょうぜいしょう[注 2])」を学んだ。




  • 1923年(大正12年)、父の死去に際し、上京。東京中央電信局(現・NTT)購買部に勤務するかたわら夜学に励む。


  • 1924年(大正13年)、東京市神田区神田錦町の正則英語学校普通科(現・正則学園高等学校)入学。


  • 1925年(大正14年)3月、正則英語学校卒業。正則英語学校高等科に進学するが、規則(勅令青年訓練所令)により高等科を辞し、青年訓練所に入る。1922年(大正11年)夏の着工以来、関東大震災を越えて近代的新局舎[注 3]が完成しようとしていた東京中央電信局を退職し、神田神保町の写真機材店に勤務しつつ、義兄の紹介で、ドイツで学び帰国した写真家有賀乕五郎[注 4]を訪ね、最新写真技術を習得した。また、ラジオ放送の草創期であり、アメリカのラジオ配線図(回路図)を入手し、ラジオを組み立て、これを量産した[7]


  • 1927年(昭和2年)、1926年(大正15年)の徴兵令により、立川飛行場、陸軍近衛師団管下の飛行第5連隊に入隊、写真科に配属。乙式一型偵察機(フランスのサルムソン社が開発したライセンス製造機サルムソン 2A-2)に搭乗。


  • 1928年(昭和3年)12月10日、除隊。


  • 1929年(昭和4年)1月、石川島飛行機製作所[注 5]技術部に入社。このころ同僚との縁から浄土教学や法華経などに触れる。

    • 4月、当時小石川にある石龍子主宰の大日本易占同志会に入会し、教師資格を取得した。家伝の易学研鑽を深め、無償で諸相談に応じていたという。

    • 石川島飛行機では、陸軍の要請を受けての国産機の開発草創期に、石川島R-3型練習機[注 6]、九一式戦闘機(中島飛行機設計)の生産、後年「赤とんぼ」の愛称で知られることになる九五式一型練習機(キ-9)、九五式三型練習機(キ-17)の試作開発等に携わった。




  • 1932年(昭和7年)4月、内田友司と結婚。文明と友司は同郷で、またいとこの続柄であった。伊藤夫妻は、キリスト教徒であった長姉の勧めで、ホーリネス淀橋教会(小原十三司牧師)で街頭伝道も体験し、立川ペンテコステ教会で聖書を学んだ。また、心霊科学研究会の会員との交流から、スピリチュアリズムにも触れた[8]


  • 1935年(昭和10年)12月、大日大聖不動明王を勧請。


  • 1936年(昭和11年)2月8日、退社し、妻友司と共に宗教専従の生活に入る。この日をもって「立教の日」としている。

    • 3月、真言宗成田山新勝寺の講中として、成田山「立照講」を届出し、「立照閣」を結成。

    • 5月、醍醐寺三宝院道場(京都府)にて出家得度。法名は天晴。

    • 6月、高尾山蛇滝にて滝行を始める。




  • 1938年(昭和13年)10月、醍醐寺末寺として、「真言宗醍醐派 立川不動尊教会」設立。


  • 1939年(昭和14年)10月、醍醐寺に上山、佐伯恵眼大祇師のもと、恵印灌頂を法畢。


  • 1941年(昭和16年)3月、真言宗醍醐派管長の命より、現・東京都武蔵村山市の修験寺院「常宝院[注 7]」特命住職に命じられる。
    • 4月、宗教団体法施行の下、文部省主導の戦時宗教政策による全真言宗の合同により「真言宗 立川不動尊教会」となる。僧階も少僧都へと昇進した。



  • 1942年(昭和17年)4月20日に戸籍名を「伊藤文明」から「伊藤真乗」に改名。
    • 4月21日に宗教団体法に即し、宗教結社「常宝会」を届出し、認証を受ける[注 8]。4月25日に三女、真砂子が誕生(現・苑主伊藤真聰)。



  • 1943年(昭和18年)3月5日、醍醐寺にて、佐伯恵眼第九十六世座主のもと入壇。伝法灌頂を法畢し、真言密教の法流血脈を相承。大阿闍梨となる。


  • 1946年(昭和21年)2月、宗教団体法廃止、合同真言宗の解体に伴ない、立川不動尊教会は真言宗から独立、単独教団となる。


  • 1948年(昭和23年)1月、新制定の宗教法人令のもと、新たな宗団「まこと教団」を設立。「立川不動尊教会」の寺号を「真澄寺」とする。管長に就任。教師養成機関「智泉寮(智流学院)」を真澄寺内に開講。


  • 1950年(昭和25年)8月、まこと教団事件が勃発し、元内弟子の告発により、逮捕される。


  • 1951年(昭和26年)4月、教団名を「真如苑」と改称。かねてから研鑚していた大般涅槃経を根本経典として教団の新体制を整える。教主となる。


  • 1953年(昭和28年)5月、新施行の宗教法人法のもと、文部大臣認証を得て教団が宗教法人となる(総本部真澄寺)。


  • 1955年(昭和30年)4月、日本宗教連盟参議となる。


  • 1957年(昭和32年)1月、新道場の本尊として「丈六仏」(約5mの石膏像)の制作に着手、久遠常住釈迦牟尼如来(大涅槃像)を独力で刻み、三ヶ月で完成する。


  • 1966年(昭和41年)3月、醍醐寺から大僧正位を受ける。
    • 11月、タイ国で開催された「第8回世界仏教徒会議」に日本代表として出席。



  • 1967年(昭和42年)6月、「欧州宗教交流国際親善使節団」団長としてヨーロッパ7カ国、イスラエルを歴訪、ローマ教皇パウロ6世と面会。


  • 1970年(昭和45年)10月、米国カリフォルニア州モンテベロ市に寄贈した聖徳太子像の贈呈式が行われ名誉市民となる。


  • 1976年(昭和51年)5月、醍醐寺金堂において、教主導師による醍醐寺開創一千百年慶讃法要を執行。


  • 1979年(昭和54年)3月、発祥第二精舎落慶。本尊十一面観世音菩薩入仏開眼法要を厳修。
    • 6月、「真如苑宗教交流親善使節団」として欧州5カ国を巡教。



  • 1984年(昭和59年)4月、醍醐寺金堂において、教主大導師、法嗣副導師による弘法大師御入定一千百五十年御遠忌法要を執行。


  • 1989年(平成元年)7月19日、(午前0時23分)遷化。享年83[9]



参考文献



  • 「一如の道」(伊藤真乗、真如苑教学部、1957/1968/1979/2007年)

  • 「燈火念念(ともしびねんねん)」(伊藤真乗、真如苑教学部、1976年)

  • 「常楽の華(よろこびのはな)」(伊藤真乗、同、1979年)

  • 「法の琴譜樹(のりのことぶき)」(伊藤真乗、同、1983年)

  • 「讃樹(さんじゅ)」(橘佐久夫編、立教五十年傘寿記念出版、伊藤真乗作品聚成、1986年)

  • 「歓喜世界」(真如苑季刊誌)
    以上が教団内における刊行物である。


  • 「真乗 -心に仏を刻む」(城戸朱理・奈良康明・下田正弘・仲田順和・今東光・伊藤真聰、中央公論新社、2007年/中公文庫、2016年)

  • 「摂受心院-その人の心に生きる(城戸朱理・奥山倫明・仲田順和・伊藤真聦、中公文庫、2018年)



脚注


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注釈





  1. ^ 6人兄弟姉妹の3番目である。


  2. ^ 武田信玄の兵法である甲陽軍鑑をベースにするとされる。


  3. ^ 山田守が設計した5階建、地下1階。大正14年(1925年)9月完成。


  4. ^ ベルリン工科大学でレントゲンに学び、カラー写真術を研究していた。


  5. ^ のち、立川飛行機株式会社、立飛企業株式会社に商号変更。


  6. ^ 法政大学航空研究会と学連による訪欧機、R-3 (航空機)「青年日本号」で知られる。


  7. ^ 戦後、常宝院は、青梅市塩船観音寺に吸収。


  8. ^ 都内はじめ、各所に支部結成を呼びかける。のちの宗団独立の布石となる。




出典





  1. ^ 小学館『日本大百科全書 12』(1986.11)P566~567 新宗教


  2. ^ 小野泰博『日本宗教事典』弘文堂(1987/2)P645


  3. ^ 井上順孝/他『新宗教事典(本文篇)』弘文堂(1994/07) P38,P60


  4. ^ 文化庁『宗教年鑑 平成27年版』 P15,P16


  5. ^ 宗教教団新研究会『最新「宗教」教団ガイドブック』 ベストブック (2011/08)P58~P61


  6. ^ 真乗刊行会『真乗 心に仏を刻む』 (2007)中央公論新社 P299~302


  7. ^ 伊藤真乗『燈火念念(ともしびねんねん)』(1976年)真如苑教学部 P68~69


  8. ^ 沼田健哉『宗教と科学のネオパラダイム 新新宗教を中心として』 創元社(1995/1)P364


  9. ^ 真乗刊行会『真乗 心に仏を刻む』 (2007)中央公論新社 P382~393




関連項目



  • 真如苑

  • 真澄寺

  • 伊藤友司

  • 伊藤真聰

  • 真如三昧耶流

  • 真如三昧耶堂

  • 真如密



外部リンク



  • 生誕100年記念「伊藤真乗の目と手」展

  • 日本の墓 著名人のお墓 昭和期の宗教家 伊藤真乗




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