オアシス (バンド)











































オアシス
Oasis

Oasis Noel and Liam WF.jpg
オアシス(左がリアム・ギャラガー、右がノエル・ギャラガー、後ろのキーボードはジェイ・ダーリントン、2005年撮影)

基本情報
出身地
イングランドの旗 イングランド・マンチェスター
ジャンル
ロック
ブリットポップ
オルタナティヴ・ロック
活動期間
1991年 - 2009年
レーベル
クリエイション、エピック、コロムビア、ソニーBMG、ビッグ・ブラザー
共同作業者
ザ・レイン、ビーディ・アイ、ライド、ヘヴィー・ステレオ、ハリケーン#1
公式サイト
www.oasisinet.com
メンバー
リアム・ギャラガー
ノエル・ギャラガー
ゲム・アーチャー
アンディ・ベル
クリス・シャーロック
旧メンバー
ザック・スターキー
アラン・ホワイト
ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ
ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン
トニー・マッキャロル

ビートルズ

オアシス(Oasis)[1]とはイギリス・マンチェスター出身のロックバンド。1991年結成。2009年解散。


ビートルズ、ザ・フーなどから続く正統派ブリティッシュ・ロックを踏襲する、90年代に隆盛を誇ったブリットポップ・ムーブメントの代表格かつ近年のイギリスの国民的ロックバンド。全世界でのトータルセールスは7700万枚以上を記録している[2]




目次






  • 1 概要


  • 2 メンバー


    • 2.1 最終メンバー


    • 2.2 元メンバー


    • 2.3 サポートメンバー




  • 3 来歴


  • 4 ディスコグラフィ


    • 4.1 スタジオ・アルバム


    • 4.2 ライブ・アルバム


    • 4.3 コンピレーション・アルバム




  • 5 その他


  • 6 関連項目


  • 7 脚注


  • 8 外部リンク





概要


バンドの核はギター及び主なソングライティングを担当したノエルと、ボーカルを担当したリアムのギャラガー兄弟。同じく労働者階級出身(ジョン・レノンについては諸説あり)であるビートルズからの影響を認めており、コンサートでは「アイ・アム・ザ・ウォルラス」や「ヘルター・スケルター」などを頻繁にカバー演奏した他、リアムが「ジョン・レノンのワーキング・クラス・ヒーロー」みたいな曲があると公言もしている[3]。自身の曲に於いてもその影響を見ることができる。また、そのスキャンダラスな言動は常にロック・ファンの注目を集めた。音楽メディアによって、中流階級出身のブラーとは何年にもわたって比較された。


ファッションにおいては、パンク・ロッカーは切り裂かれたTシャツなど「反社会的」とされる恰好だったが、オアシスはウインドブレーカーやジャージといった労働者階級の普段着を着て、ライブやインタビューに臨んでいた。


2009年8月にノエルが脱退を表明し、事実上解散。2010年、残されたメンバーは新バンド「ビーディ・アイ」を結成し、ノエルはソロプロジェクト「ノエル・ギャラガーズ・ハイ・フライング・バーズ」の活動を開始した。



メンバー



最終メンバー




  • リアム・ギャラガー(Liam Gallagher、1972年9月21日 - ) - ボーカル


  • ノエル・ギャラガー(Noel Gallagher、1967年5月29日 - ) - リードギター、ボーカル


  • ゲム・アーチャー(Gem Archer、1966年12月7日 - ) - リズムギター、キーボード


  • アンディ・ベル(Andy Bell、1970年8月11日 - )- ベース


  • クリス・シャーロック(Chris Sharrock、1964年5月30日 - )- ドラムス



元メンバー



  • アラン・ホワイト(Alan White、1972年5月26日 - )- ドラムス


スティーヴ・ホワイト(元ザ・スタイル・カウンシル、現ポール・ウェラーバックバンドのドラマー)の実弟。イエスの同名ドラマーとは別人。2004年脱退。


  • ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ(Paul "Bonehead" Arthurs、1965年6月23日 - ) - リズムギター・キーボード

オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退[4]


  • ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン(Paul "Guigsy" McGuigan、1971年5月9日 - ) - ベース

オアシスの初期メンバーの1人。1999年脱退[5]


  • トニー・マッキャロル(Tony McCarroll、1971年6月4日 - ) - ドラムス

オアシスの初期メンバーの1人。1995年脱退(事実上解雇)。


サポートメンバー



  • ザック・スターキー(Zak Starkey、1965年9月13日 - ) - ドラムス

アランの脱退後、7thアルバムの収録まで参加。リンゴ・スターの息子。


  • ジェイ・ダーリントン(Jay Darlington、1968年3月3日 - ) - キーボード

元クーラー・シェイカーのオルガン担当。2010年のノエルのソロライブにゲムと共に参加。


来歴


  • ポール・ "ボーンヘッド" ・アーサーズ、ポール・ "ギグジー" ・マッギーガン、クリス・ハットン(ヴォーカル)が前身バンド「ザ・レイン」を結成。ザ・レインの初演は、地元マンチェスターのバーネイジにあるカードゲームクラブで、ドラムマシンを使って行われた。後に、ドラマーとしてトニー・マッキャロルが加わる。

1991年


  • 音楽関係の仕事をしていたノエル・ギャラガーのコネを狙って、ボーンヘッドがクリスをクビにし代わりにリアム・ギャラガーを加入させ、リアムはバンド名をオアシスと改名した。ギャラガー兄弟の寝室に貼ってあったオールダムのインディー・ロックバンド、インスパイラル・カーペッツのツアーポスターに由来している。ポスターには、開催地の1つとしてスウィンドンのオアシス・レジャー・センターが記載されていた。

  • 8月、マンチェスターのボードウォーククラブにて、オアシス初のステージに立つ。リアムの実兄であり、インスパイラル・カーペッツのローディーであったノエルがライヴを観に来る。その後、バンドに加入。


1993年

  • 10月、クリエイション・レコーズと契約。

1994年


  • 2月、ザ・ヴァーヴのギグに参加するためのアムステルダムへ船で移動中、ノエル以外のメンバーが乱闘を起こし、強制送還される。コンサートでは、ノエルがひとり弾き語りを行う[6]

  • 4月、シングル「スーパーソニック」でデビュー。UKチャート31位。

  • 8月、3rdシングル「リヴ・フォーエヴァー」をリリース。UKチャート10位。

  • 9月、アルバム『オアシス』発売。英国で初登場1位のヒットとなり、2006年にアークティック・モンキーズに破られるまで、デビュー・アルバム最速売り上げ記録。東名阪のクアトロで初来日公演。ロサンゼルスでは、リアムがドラッグを使用しながらライヴを決行。ノエルはバンドを一時脱退、ノエルはレーベル関係者に捜し出され説得を受け、ミネアポリスの公演からツアーを再開した。

  • 12月、クリスマスシングル「ホワットエヴァー」を発売。UKチャート最高3位。


1995年


  • 4月、技術的に問題があったとして、ドラマーのトニー・マッキャロルが解雇され、代わりにポール・ウェラーの勧めで元スタークラブのアラン・ホワイトが加入(アラン・ホワイトは、スタイル・カウンシルのスティーヴ・ホワイトの実弟)。シングル「サム・マイト・セイ」がUKチャート1位。

  • 6月、アランと共に、グラストンベリー・フェスティバルにヘッドライナーで出演。

  • 8月、メディアに煽られる形で始まった「オアシスvsブラー」の争いは、オアシスのシングル「ロール・ウィズ・イット」とブラーのシングル「カントリー・ハウス」の同日発売で頂点を迎える。結果はブラーが1位(27万4000枚)、オアシスは2位(21万6000枚)。その後2度目の来日を果たす。

  • 9月、ギグジーが精神疲労で一時脱退、代役にThe Ya-YasのScott McLeodを迎えツアーを行う。

  • 10月、2ndアルバム『モーニング・グローリー』発売。UKチャート1位。アルバム売上枚数は全世界で約2500万枚以上を記録し(2018年時点)、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』が持っていた英国アルバム売り上げ記録を約30年ぶりに更新(現在はクイーンとビートルズに抜き返されている)。

  • 11月、ロンドンのアールズ・コートで、2日間4万人を動員するライヴを開催。ヨーロッパの屋内ライヴとしてはギネス記録。


1996年


  • 『モーニング・グローリー』からの3作目のシングル「ワンダーウォール」がアメリカでもじわじわとチャートを上昇。オアシスは、初秋のアメリカMTVアウォードでベストグループを受賞。

  • 4月、「マンチェスターメイン・ロード 2days」を行い、8万人を動員。

  • 5月、海外向けにシングル「シャンペン・スーパーノヴァ」をリリース。

  • 8月、ロンドン郊外のネブワースにて2日間で25万人を集める(250万件の予約が殺到した)。『MTVアンプラグド』に出演した際、収録直前にリアムが喉の不調を訴えキャンセル。代わりにノエルが全曲で歌を披露した。4日後、リアムがアメリカツアーに行くことを拒否したため、ノエルをボーカルに据えてツアーに出発する。その後、リアムがバンドに合流するが、数週間後に今度はノエルがバンドを残して飛行機で帰宅してしまう。メディアにはバンド解散かと騒がれたが、兄弟はすぐに和解し残りのツアーを終えた。


1997年

  • 8月、3rdアルバム『ビィ・ヒア・ナウ』発売。UKチャート1位、USチャート2位、オリコンチャート3位。UK最速セールス記録を更新。

1998年


  • 2月に、日本武道館で3日連続公演を行う。滞在したホテルは、ビートルズと同じキャピトル東急ホテル。

  • 11月、クリスマス商戦に向けBサイドアルバム『ザ・マスタープラン』を発売。UKチャートで最高2位。


1999年


  • 8月、ボーンヘッドが脱退[7]。2週間後、後を追うようにギグジーが脱退。ノエルはボーンヘッドのギターとギグジーベースのパートを録り直す。

  • 12月、元ヘヴィ・ステレオのゲム・アーチャーが加入。元ライド、ハリケーン#1のギタリスト、アンディ・ベルがギグジーの後任として加入する。デビュー以来所属していたクリエイション・レコーズが倒産。


2000年


  • 2月、4thアルバム『スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ』を発売。UKチャート初登場1位。前年のクリエイション・レコーズ倒産に伴い、この年から自ら立ち上げたレーベル・ビッグ・ブラザーからのリリース。CDリリースと同時にワールドツアーを横浜アリーナよりスタートさせる。マリンメッセ福岡公演ではリアムが、体調不良を訴えて途中で退場している。

  • 5月、ワールドツアー中、アランが腕を痛めバルセロナでの公演をキャンセルする。バンドメンバーは代わりに飲み明かすが、リアムが当時のノエルの妻メグ・マシューズを侮辱し始め、「アナイスの父親は本当にノエルなのか」とノエルに疑問を投げかけ、殴り合いに発展する。ノエルはバンドを一時離脱、過去最大の解散危機を迎える[8]。急遽、代役のギタリストとしてマット・デイトンを起用。バンド史上初めてノエル抜きでライヴが行われる。このときの「アクイース」はノエルパートを丸々観客に歌わせていた。

  • 11月、ノエル復帰後、ロンドン(ウェンブリー・スタジアム)での公演を収録したライヴアルバムとライヴDVD『ファミリアー・トゥ・ミリオンズ』を発売。CD2枚組と1枚組が存在する。ウェンブリー・スタジアムでは7月に2日間コンサートが行われ、リアムの調子が良かった1日目がライヴアルバム、DVDとしてリリースされた。2日目は二日酔いのリアムがフラフラでステージに立つシーンが見られる。このときの模様は有料放送でヨーロッパ中に放映され、日本でもWOWOWが放映した。リアムは「2日公演なのを知らなかった」と弁明。


2001年


  • 初頭、南米ツアーをスタート。

  • 5月、ブラック・クロウズ、スペイスホッグと北米ジョイントツアー「Brotherly Love ツアー」を敢行[9]。このツアーのみアラン・ホワイトが怪我の為出演できず、アランの実兄のスティーブ・ホワイトが代役を務めた。

  • 7月、フジロック・フェスティバルで初日のヘッドライナーを務める。また、秋から冬にかけてバンド結成10周年小規模クラスのツアー「10 Years of Noise and Confusion Tour」が行われた。


2002年


  • 5月、『MTV THE SUPER DRY LIVE』、『MTV Video Music Awards Japan 2002』出演を含めたプロモーションで来日。

  • 7月、5thアルバム『ヒーザン・ケミストリー』発売。UKチャートで1位を獲得。

  • 8月、ノエルとアンディ、ジェイ・ダーリントンを乗せたタクシーが衝突事故を起こす[10]

  • 9月 - 10月、東京(代々木第一体育館)、福岡、大阪、仙台、広島で来日ツアーを敢行。福岡公演(福岡国際センター)では前回のライヴに続いて(そのときとは事情が違うものの)、リアムが途中退場するハプニングもあった[11]

  • 12月、ミュンヘンのナイトクラブでリアムとアラン、バンド関係者3人が乱闘を起こし逮捕される[12][13]。リアムは前歯を2本失い、警察官の胸部を蹴りつけた。アランは灰皿で頭を殴られ軽症を負った。バンドメンバーは大量にアルコールを摂取しており、リアムはコカインを使用していた[14]。2年後、リアムは3万5000ポンド(約700万円)の罰金を支払った[15]


2004年


  • 1月、アラン・ホワイトが脱退。元ビートルズのリンゴ・スターの息子ザック・スターキーが、サポート・ドラマーとして参加。

  • 6月、9年ぶりにグラストンベリー・フェスティバルに出演する[16]

  • 10月 - 12月、デイヴ・サーディとスタジオ入りする。


2005年


  • 5月、6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』発売、UKチャート1位を獲得。シングル「ライラ」も初登場1位を獲得。これでオアシスのNo.1シングルは7枚目、またシングル・アルバム総チャートイン週は766週に。日本では、アルバムがオリコン初登場1位を記録。英国のバンドのオリジナル・アルバムとしては、30年ぶり。

  • 5月、過去10年間に於いて、イギリスで最も成功したバンドとして、ギネスに認定される[17]

  • 6月30日 - 7月3日、9年ぶりに地元チームマンチェスター・シティFCのホームスタジアム(シティ・オブ・マンチェスター・スタジアム)で3日間のライヴを開催。

  • 8月、サマーソニックのヘッドライナーを務める。

  • 11月、大阪城ホール、東京の代々木第一体育館で来日公演。


2006年


  • 3月、映画『GOAL!』のサウンドトラックに3曲を提供。

  • 11月、ノエルの選曲による初のベスト・アルバム『ストップ・ザ・クロックス』を発売。6thアルバム『ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース』に続いてオリコン初登場1位を獲得。ほぼ同時に、ツアーの模様を収めたロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』が公開される(試写会のみ。2007年10月にDVD化)。また、世界各地でノエルがゲム、サポートドラマーのテリーとともにアクースティック・ライヴを披露する。日本でも、11月15日にMySpace主催によるシークレットライヴが、恵比寿のLIQUIDROOMにて行われた。

  • 日本の恋愛映画『シュガー&スパイス 風味絶佳』に、主題歌の「ライラ」を筆頭に、多くの既発曲を提供。


2007年


  • 2月、ブリット・アウォーズ生涯功労賞を受賞。

  • 6月、ビートルズの『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』40周年記念スペシャル番組へ「ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー」のカヴァー曲を提供。

  • 10月21日、バンド初のダウンロード限定販売シングル「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」をリリース。本国イギリスでは、10月29日にロードムービー『ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン』がDVDでリリース(日本盤は12月5日発売)。


2008年


  • 5月、ザック・スターキーが、ザ・フーに専念のため離脱。代わりにクリス・シャーロックが加入。

  • 9月、シングル「ザ・ショック・オブ・ザ・ ライトニング」リリース。

  • 10月、アルバム『ディグ・アウト・ユア・ソウル』をリリース。イギリスではスタジオアルバムがデビュー作から7作連続で1位、アメリカでは『ビィ・ヒア・ナウ』以来11年ぶりのトップ10入りとなる5位を獲得。


2009年


  • 3月、3年半ぶりとなる来日公演を敢行。それに伴い「ミュージック・ステーション」に出演。

  • 6月、リアムがファッション・ブランド「Pretty Green」を設立。

  • 7月、フジロック・フェスティバルのヘッドライナーを務める。

  • 8月、ノエル・ギャラガーがフランスでの音楽フェスティバルへの出演直前に出演を取りやめ、公式ウェブサイト上で脱退を表明した[18]。オアシスが解散状態となる。

  • 11月、リアムは残されたメンバー(リアム、ゲム、アンディ、クリス)と共に、新たに次のアルバムのレコーディングを行うことを発表。


2010年


  • 1月、リアムは、次のアルバムに向けての新曲を数曲書き上げ、アルバムは2010年内にリリースすることを発表。また、当初はオアシスとして活動を継続する予定であったが、結局新たなバンド名で活動することを明らかにした。事実上、これがオアシスの解散宣言となった。

  • 2月、ブリット・アワードにて、アルバム『モーニング・グローリー』で「過去30年間でのベスト・アルバム」を受賞。

  • 5月、リアムは公式サイトなどにて新バンド名「ビーディ・アイ」を発表。

  • 6月、初のシングル・コレクション『タイム・フライズ…1994-2009』を発表。これまで全てのアルバムに収録されていなかった「ホワットエヴァー」「ロード・ドント・スロー・ミー・ダウン」を含む全26曲(日本盤は全27曲、隠しトラックも含めると全28曲)が収録されている。UKチャート1位、日本ではオリコン初登場2位を記録。


2014年


  • デビュー20周年を記念し、1994年~1997年の活動を振り返る「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトが始動[19]。オアシス初期のアルバム『オアシス』『モーニング・グローリー』『ビィ・ヒア・ナウ』の3作のリマスター盤が連続リリースと発表。

  • 5月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第1弾として『オアシス』をリリース。

  • 9月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第2弾として『モーニング・グローリー』をリリース。


2016年

  • 10月、「チェイシング・ザ・サン」プロジェクトの第3弾として『ビィ・ヒア・ナウ』がリリースされる。ドキュメンタリー映画「オアシス:スーパーソニック」が公開される。


ディスコグラフィ




スタジオ・アルバム



  • 1994年 - オアシス (Definitely Maybe)

  • 1995年 - モーニング・グローリー (〈What's the Story〉Morning Glory?)

  • 1997年 - ビィ・ヒア・ナウ (Be Here Now)

  • 2000年 - スタンディング・オン・ザ・ショルダー・オブ・ジャイアンツ(Standing on the Shoulder of Giants)

  • 2002年 - ヒーザン・ケミストリー (Heathen Chemistry)

  • 2005年 - ドント・ビリーヴ・ザ・トゥルース (Don't Believe the Truth)

  • 2008年 - ディグ・アウト・ユア・ソウル (Dig Out Your Soul)



ライブ・アルバム


  • 2000年 - ファミリアー・トゥ・ミリオンズ(Familiar to Millions)


コンピレーション・アルバム



  • 1998年 - ザ・マスタープラン (The Masterplan)

  • 2006年 - ストップ・ザ・クロックス (Stop the Clocks)

  • 2010年 - タイム・フライズ…1994-2009 (Time Flies... 1994-2009)



その他



  • ノエル・ギャラガーはデビュー当時からU2を目標としていたといい、、オアシスの将来について「アメリカでもイギリスと同じように成功し、U2のようになるのが俺のデカイ夢」と話していた。

  • ノエルの前妻メグ・マシューズとジョニー・デップの元恋人であったケイト・モスが友人のため、ジョニー・デップとノエルは親交があり、デップは「ビィ・ヒア・ナウ」収録の「フェイド・イン・アウト」にスライドギターで参加している。その礼としてデップは「P」という文字の入った白いギターをノエルに贈っている。

  • 1995年にBBCのテレビ番組『トップ・オブ・ザ・ポップス』に出演して「ロール・ウィズ・イット」を演奏した際、口パクであることをネタにして、兄弟の役割を入れ替え、リアムがギターを弾くふりをし、ノエルがリードヴォーカルとして歌った(歌うふりをした)ことがある。これはブリットポップ期に、ブラーの「カントリー・ハウス」とシングル順位を争った際に負けたためである。

  • オアシスから影響、インスピレーションを受けていると公言しているアーティストに、アークティック・モンキーズ[20]、ザ・キラーズ[21]、ザ・コーラル[22]、カサビアン、ザ・ビュー[23]、マルーン5などが挙げられる。グラスゴー出身であるオアシスのトリビュート・バンドNo Way Sisは、EP『アイド・ライク・トゥ・ティーチ・ザ・ワールド・トゥ・シング』をリリースしUKチャート40位を記録した。この曲はザ・ニュー・シーカーズの曲(邦題「愛するハーモニー」)をオアシス風にカヴァーしたものである。日本のバンドlittle by littleは、オアシスの曲「リトル・バイ・リトル」からバンド名を得ている[24]


  • メタリカのラーズ・ウルリッヒ、サッカーアルゼンチン代表のリオネル・メッシ、サッカーポルトガル代表のクリスティアーノ・ロナウド、元サッカーイタリア代表のアレッサンドロ・デル・ピエロらもオアシスのファンとして知られる。マリリン・マンソンとも交遊があり、ライブにノエルとリアムが招待された。カート・コバーンの娘、フランシス・ビーン・コバーンも好きなミュージシャンのひとつにオアシスを挙げている[25]



関連項目


  • ロックンロール


脚注





  1. ^ 日本語では「オアシス」という発音・表記だが、発音は「[əʊéɪsɪs]」、または「[əʊˈeɪsɪs]」であり、「オエイシス」と発音・表記するほうが近い。


  2. ^ “Some might say Oasis are still world beaters after Slane gig” (英語). BelfastTelegraph.co.uk. ISSN 0307-1235. https://www.belfasttelegraph.co.uk/entertainment/music/reviews/some-might-say-oasis-are-still-world-beaters-after-slane-gig-28484657.html 2019年2月15日閲覧。 


  3. ^ http://nme-jp.com/news/29585/


  4. ^ 公式サイトでは『家族とのもっと多くの時間を過ごしたいため』と説明されている。以降は地道に音楽活動をつづけながら、故郷・マンチェスターで暮らしている。地元のバンドにも参加していたが、2010年頃を持って離脱した。


  5. ^ ノエルによると、バンドを抜けたいという内容のファックスを突然もらって以来、すっかり連絡がつかなくなったらしい。以降は特に目立った活動は見られなかったが、近年ではロンドンのクラブでDJ活動をしているとのことである。


  6. ^ 「Oasis/アーティスト ニュース情報/HMV」


  7. ^ 「Oasis ボーンヘッド脱退の真相」 VIBE-NET.COM ニュース、2000年8月18日。


  8. ^ 「オアシスのNoel Gallagher、Liamは“バカ”発言」 BARKS、2000年6月14日。


  9. ^ 「Oasis 『兄弟愛ツアー』いよいよ幕開け」 VIBE-NET.COM ニュース、2001年5月14日。


  10. ^ 「オアシスのメンバーが交通事故でケガ」 BARKS、2002年08月8日。


  11. ^ 「Oasis リアムとノエル6週間も口きかず!」 VIBE-NET.COM ニュース、2002年11月21日。


  12. ^ 「オアシスのリアム、乱闘で歯を折りショウをキャンセル」 BARKS、2002年12月3日。


  13. ^ 「オアシス、ドイツ公演の日程をさらに延期。リアムが警官を蹴ったとドイツ警察が発言」 BARKS、2002年12月5日。


  14. ^ 「オアシスのリアム、暴行事件時に薬物を使用していた」 BARKS、2004年5月6日。


  15. ^ 「オアシスのリアム、暴行事件で700万円の罰金」 BARKS、2004年11月24日。


  16. ^ 「グラストン主催者、オアシスのステージに失望」 BARKS、2004年7月2日。


  17. ^ 「Oasis 過去10年のチャートで最も成功したバンドに認定!」VIBE-NET.COM ニュース、2005年5月24日。


  18. ^ “A STATEMENT FROM NOEL” (2009年8月28日). 2009年8月29日閲覧。


  19. ^ 公式ではこの4年間を「オアシスがデビューしてから世界的な現象になるまでの最重要期間」としている。


  20. ^ 「Arctic Monkeys - Norway Interview with VGTV」


  21. ^ 「IN DEPTH: killers rising, Mike Kalil, Review Journal」 2005年9月18日。


  22. ^ 「The Coral's official Myspace」


  23. ^ 「The View、「すべてはオアシスのおかげ」」 BARKS、2007年3月28日。


  24. ^ 「little by little - goo 音」


  25. ^ 「http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150409-00010010-jisin-ent」




外部リンク








  • (英語) 公式ウェブサイト


  • (日本語) ソニー・ミュージック


  • (日本語) ユニバーサルミュージック


  • オアシス - Myspace










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