釜山高等学校
釜山高等学校(プサンこうとうがっこう)は、大韓民国釜山広域市東区に所在する公立高等学校。釜山広域市教育庁が所管する。
目次
1 概要
2 沿革
3 著名な出身者
4 参考文献
5 脚注
6 外部リンク
概要
朝鮮総督府により、朝鮮で2番目に設立された旧制中学校以来の歴史がある。
日本統治時代は、主に内地人(日本人)生徒のための学校であったが朝鮮人生徒の入校も可能であった。1925年の全国中等学校優勝野球大会の本大会には、朝鮮代表として出場している。
1945年8月15日、日本の敗戦により内地人が本土へ帰還したことで、韓国人のみの学校として再出発した。1951年の学制改革によって同校は新制の釜山中学校[1]と釜山高等学校に分割され、現在に至っている。
沿革
1913年3月9日 - (官立)釜山中学校開校。
1915年 - 年末に寄宿舎竣工。- 1925年 - 朝鮮総督府から慶尚南道に移管され、釜山公立中学校に改称。全国中等学校優勝野球大会に出場(2回戦で山口県立柳井中学校に敗れる)。
1942年 - 釜山第二公立中学校(現・慶南高等学校)開校に伴い、釜山第一公立中学校に改称。- 1945年8月 - 1946年に、日本の敗戦および内地人引き揚げ。
- 1946年3月 - 大韓民国の学校として新たに開校する。修業年限を6年制に変更。
- 1951年9月 - 学制改革によって、釜山中学校(3年制)と釜山高等学校(3年制)に分かれる。
著名な出身者
- 朴漢伊
- 秋信守
- 馬海泳
- 鄭根宇
- 孫敏漢
- 全炳斗
- 陳甲龍
- チャスン・ペク
- パクジミン
- ジミー松代
参考文献
稲葉継雄『旧韓国~朝鮮の「内地人」教育』九州大学出版会、2005年
- .渡部学・阿部洋編『日本植民地教育政策史料集成. 朝鮮篇 第53巻 - 第62巻』龍渓書舎、1988年
脚注
^ 1970年草梁中学校に改称後、1992年旧名に復す。
外部リンク
公式サイト(韓国語)