オグズ
オグズ(Oghuz)は、かつて中央アジアの北部に存在したテュルク系遊牧民族。10世紀以降になると南下してトゥルクマーン(「テュルクに似たもの」の意[1])という名で呼ばれるようになり、その一部はセルジューク朝などのイスラーム王朝を建てた。
目次
1 名称
2 24氏族
3 カーシュガリーの記録
4 トゥルクマーン
5 オグズ系のイスラーム王朝
6 セルジューク朝の成立
7 言語
8 関連叙事詩
9 脚注
10 参考資料
11 関連項目
12 外部リンク
名称
オグズを表す用語は史料によって異なり、中には微妙な差異もある。
グッズ(Ghuzz)、グオッズ(Guozz)、クズ(Kuz)、オグズ(Oguz、Oğuz)、オクズ(Okuz)、オウフォイ(Oufoi)、オウズ(Ouz)、オウゾイ(Ouzoi)、トルク(Torks)、トゥルクマーン(Turkmen)、ウグズ(Uguz、Uğuz)、ウズ(Uz)
このうちのトゥルクマーンはムスリムとなってセルジューク勢力に従う者たちに対して使われ、グッズは非ムスリム・非セルジューク家を表す傾向にある[2]。
24氏族
マフムード・カーシュガリーの『テュルク諸語集成』において、オグズは22の氏族に分かれていたとされるが、ラシードゥッディーンの『集史』では24氏族とされている。以下はその24氏族。
- ボズ・オクラル(Boz Oklar:灰色の矢)
- クン・カン(Kun qan、ギュン・ハン、Gün Han:太陽汗)
カイ(qayi、kayi:壮健者)
バヤト(Bayat)
アルカ・オラ(アル・カラウリ、al qrauli、アルカエヴリ、Alkaevli)
カラ・エヴルゥ(カラ・ヤウリ、qra yauli、カラエヴリ、Karaevli:黒帳)
- アイ・カン(ai qan、アイ・ハン、Ay Han:月汗)
ヤゼル(yazr、ヤズルル、Yazlr)
ドュグュル(ドゥケル、dukr、ドゲル、Döger)
ドドルガ(ドルダルガ、durdarga、ドドゥルガ、Dodurga:立法会議)
ヤパルル(Yaparlu)
- ユルドゥズ・カン(yulduz qan、イルディズ・ハン、Yildiz Han:星汗)
オスル(ausr、アヴシャル、Avsar)
カズィク(qiziq、クズィク、クルズルク、Klzlk:剛毅)
ビグディリ(bik dili、ベグ・デリ、ベグディリ、Begdili:尊敬)
カルキン(qarqin、カルクルン、Karkln)
- ウチュ・オクラル(Üç Oklar、オチ・オク、auc auq:三本の矢)
- コク・カン(kuk qan、ギョク・ハン、Gök Han:空汗)
バインドゥル(baindur、バヤンドル、バユンドゥル、Bayundur)
ビチナ(ビチネ、bicneh、ペチェネク、Peçenek)
チャウンドル(ジャウルドル、jauldur、チャヴルドゥル、Çavuldur)
チニ(チブニ、cibni、チェプニ、Çepni)
- タク・カン(taq qan、ダグ・ハン、Dağ Han:山汗)
サロル(サルル、Salur)
イムル(yimur、エイミュル、Eymür)
アラ・ユントゥ(alaiunt、アラ・ユントゥル,Ala Yuntlu)
オラギル(ウルキズ、aurkiz、ユレギル、Yüregir)
- ディングィズ・カン(dinkkiz、デンギズ・カン、デニズ・ハン、Deniz Han:海汗)
エスキンドル(ベクディル、bikdir、イグディル、Igdir)
ブクドル(ブクドズ、bukduz、ブグデュズ、Bügdüz)
セヴァ(イバ、yiweh、イルヴァ、Ylva)
カニク(qiniq、クヌク、クルンルク、Klnlk:尊敬される)
『集史』によると、これら24氏族はもともと彼らの伝説的始祖であるオグズ・ハンから生まれた6人の息子(ギュン・ハン、アイ・ハン、イルディズ・ハン、ギョク・ハン、ダグ・ハン、デニズ・ハン)から、さらに4人ずつ生まれた息子たちが始祖となって形成されたという。また、『テュルク諸語集成』における22氏族はこの24氏族の中にすべて含まれるが、その順番はまったく異なっている。
その他、オグズ族の分派としては次のものがある。
ウイグル族
カンクリ族
キプチャク族
カルルク族- カラジ(カラチ)族
- アガチェリ族
[3]
カーシュガリーの記録
カーシュガリーの『テュルク諸語集成』によると、テュルク民族は20の大きな集団に分かれており、オグズと呼ばれる集団は、ペチェネグ,キプチャクに次いで西方から3番目の集団であったという。カーシュガリーはこのオグズ部族についてことのほか詳しい記録を残しており、オグズについてのみ内部の小集団(22氏族)の名称が挙げられている。さらに現存するカーシュガリーの写本には、遊牧民であったオグズ部族が、互いの家畜を見分けるために用いた印で、モンゴル時代にはタムガと呼ばれた標章が書き込まれている。
[4]
トゥルクマーン
「トゥルクマーン」の由来を『集史』「テュルク・モンゴル諸部族史」では以下のように記している。
「 | オグズ(Ūghūz)の諸子から24の枝分かれが現れ、目次に詳細に記されたように、各々が固有の名称・通称を得た。世界に存在するすべてのトゥルクマーンたち(Turkmānān)は、これらの諸部族、すなわちオグズの24子の子孫である。トゥルクマーン(Turkmān)という語は昔はなかった。トゥルク(テュルク)人の顔(東洋系の顔)をしているすべての遊牧諸部族は、「純粋なトゥルク(Turk)」と呼ばれ、各部族には固有の通称が定められていた。オグズの諸部族が、自己の領域を出て、マー・ワラー・アンナフル地方と、イランの地に入り、この地域において彼等の人口増加があった時に、水と大気の影響によって、彼等の顔かたちは次第にタジクの顔かたちに似るようになった。しかし、純粋なタジクではなかったので、タジク諸部族は彼等を「トゥルクマーン」すなわち「トゥルク(テュルク)に似ている」と呼んだ。そのために、この名がオグズの諸分族・諸部族全体に適用され、その名で知られるようになったのである。 | 」 |
[5]
オグズ系のイスラーム王朝
イスラームの歴史上、オグズあるいはトゥルクマーンと呼ばれたテュルク系民族の一大集団は、11世紀以降の西アジアで政治的に重要な役割を果たした。カーシュガリーはオグズ部族の中に22の小集団を数えているが、そのうちの上位6氏族からは西アジア史に残るイスラーム王朝が生まれている。
- クヌク氏→セルジューク朝
- カユグ(カユ)氏→オスマン朝
- バユンドゥル氏→アクコユンル(白羊朝)
- イウェ氏→カラコユンル(黒羊朝)
- サルグル氏→サルグル朝
- アフシャル氏→アフシャール朝
[6]
セルジューク朝の成立
シル川以北にいたオグズ連合部族の一氏族であるクヌク氏から、セルジューク(セルチュク)という者が台頭し、彼に率いられた集団は10世紀の中ごろになってオグズから分かれて左岸に移り、ジャンドの町を根拠地とした。ここでイスラームを受容した彼らはサーマーン朝の庇護のもと、ザラフシャン川の流域に移動した。11世紀初頭(1020年代)、セルジュークの息子であるアルスラーン・イスラーイールはカラハン朝のブハーラー,サマルカンドの支配者であるアリー・ティギーンのもとにあったが、カラハン朝の内紛に乗じてカラ・クムの草原,アム川を越えてガズナ朝の領域であったホラーサーンの北部に侵入した。ガズナ朝のマフムードはトゥルクマーン(イスラームに改宗したオグズのこと)の影響力を恐れてアルスラーンを逮捕・幽閉した。彼の統制から離れたトゥルクマーンたちは、ニサー,サラフスなどのホラーサーン北方都市周辺地域で多数の家畜の放牧を始めたため、牧地が荒廃し、租税収入も減少した。そのためマフムードは彼らの追放を決し、自ら軍を率いて攻撃に赴いたが、トゥルクマーンの方もカスピ海の東北に拠点を設け、各地で略奪をおこなった。トゥルクマーンはさらに他の集団も合わせて数人の長(ベグ)の指揮のもと、ホラーサーンの諸都市の略奪を続けた。また、これらの集団を彼らが侵入したイラーク・アジャムにちなんでイラーキー・トゥルクマーンと呼んだり、族長の名をとってキジル,ギョクタシュなどと呼ぶものもあった。1038年、これら無統制となって暴徒化したトゥルクマーンを取り締まるため、ガズナ朝に見切りをつけたニーシャープールの支配者であるアーヤーン家は、セルジューク家のトゥグリル・ベクらを受け入れ、彼にトゥルクマーンの統制を任せた(このニーシャープール入城の1038年をもってセルジューク朝の成立とされる)。1040年、ダンダーンカーンの戦いでガズナ朝を壊滅させたトゥグリル・ベクは、次々と周辺都市を支配下におさめ、ホラーサーンでの覇権を確保するとともに、旧ガズナ朝の官僚などを採用して語学,法学などに通じた知識人を確保した。1055年、トゥグリル・ベクはバグダードに入城し、カリフから正式にスルターンの称号を授与された。
[7]
言語
オグズの言語はテュルク語であったと思われ、彼らの言語的子孫であるトルコ人はテュルク諸語の南西語群(オグズ語群)に属すトルコ語を話す。
関連叙事詩
- 『王書(シャー・ナーメ)』フェルドウスィー著
- 『デデ・コルクトの書』(『オグズ・ナーメ』とも)
脚注
^ カーシュガリー『テュルク諸語集成』
^ 永田 2002,p81
^ 佐口 1976,p308
^ 永田 2002,p101-102
^ 宇野伸浩「『集史』の構成における「オグズ・カン説話」の意味」
^ 永田 2002,p102
^ 永田 2002,p81-82
参考資料
コンスタンティン・ムラジャ・ドーソン(訳注:佐口透)『モンゴル帝国史1』(平凡社、1976年)
小松久男『世界各国史4 中央ユーラシア史』(山川出版社、2005年、ISBN 463441340X)
永田雄三『世界各国史9 西アジア史Ⅱ』(山川出版社、2002年、ISBN 4634413906)
長谷川太洋『オグズナーメ 中央アジア・古代トルコ民族の英雄の物語』(創英社、2006年、ISBN 4881422960)
関連項目
- ウイグル
- カルルク
- キプチャク
- 鉄勒
- テュルク
- テュルク諸語
- マー・ワラー・アンナフル
- 遊牧民
外部リンク
- 宇野伸浩「『集史』の構成における「オグズ・カン説話」の意味」