無錫市
中華人民共和国 江蘇省 無錫市 | |
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左上から時計回り:無錫国家ソフトウェアパーク、霊山大仏、夜の跨塘橋、市街地の夜景、栄氏梅園 | |
略称:錫 | |
旧称:梁渓・金匱 | |
江蘇省中の無錫市の位置 | |
中心座標 北緯31度33分58秒 東経120度18分11秒 / 北緯31.56611度 東経120.30306度 / 31.56611; 120.30306 | |
簡体字 | 无锡 |
繁体字 | 無錫 |
拼音 | Wúxī |
カタカナ転写 | ウーシー |
滬拼 | Vu-sih |
国家 | 中華人民共和国 |
省 | 江蘇 |
行政級別 | 地級市 |
設市 | 1949年 |
市委書記 | 李小敏 |
市長 | 汪泉 |
面積 | |
総面積 | 4,787.61 km² |
市区 | 1659 km² |
建成区(2008) | 188.14 km² |
人口 | |
戸籍人口(2010) | 466.6 万人 |
常住人口(2010) | 637.3 万人 |
経済 | |
GDP(2013) | 8070.18 億元 |
一人あたりGDP | 124000元 |
電話番号 | 0510 |
郵便番号 | 214000-214400 |
ナンバープレート | 蘇B |
行政区画代碼 | 320200 |
市樹 | 香樟樹 |
市花 | 梅花 |
公式ウェブサイト: http://www.wuxi.gov.cn/ |
無錫市(むしゃく-し、中国語:无锡市、英語:Wuxi)は中華人民共和国江蘇省の南部に位置する地級市。
改革開放以来、急激に工業が発展し、とりわけ日本企業の進出が多い。長江デルタに位置し、東の上海からは128km、西の江蘇省省都・南京からは183kmの距離。東隣は蘇州市、西隣は常州市。
無錫の市域の北部境界は長江南岸にあたり、無錫市管轄下の港湾都市・江陰市が泰州市を対岸に臨む。南部の境界は太湖北岸だが、市域はさらに太湖をはさんで飛び地となっている宜興市も管轄している。宜興市は北と西を常州市に囲まれ、南は浙江省に接している。
目次
1 地理
2 歴史
3 行政区画
3.1 年表
3.1.1 蘇南行署区無錫市
3.1.2 江蘇省無錫市
4 経済
5 交通
6 教育
7 古跡・観光地
8 友好都市
9 関連項目
10 脚注
11 外部リンク
地理
無錫の位置は北緯31度7分から32度2分、東経119度33分から120度38分の間。無錫市域の主要な範囲は沖積平野であり、ごくわずかの低山と丘陵がある。最高地点は黄塔頂(611.5m)。これらの山は石灰岩からできており、「太湖石」とよばれる穴の多い複雑な形の奇石を産出する。この石は中国庭園で鑑賞や瞑想などのために置かれ珍重される。無錫市域の南部は太湖が広がり、市の水面面積は769平方km、面積の16.5%を占める。無錫は小さな河川が無数に流れる、典型的な江南の水郷である。太湖に産する魚などの水産物が豊富で、古来「魚米の郷」と呼ばれていた。
太湖に接した無錫市街は、典型的な中国の古い城壁都市であり、中心を隋代以来の「大運河」が貫き、京杭運河となった今でも多くの船が行き来する。
無錫はかなり暑い夏から非常に寒い冬まで気温差が大きく、年平均気温は18℃である。東シナ海に近いためモンスーンや台風の影響を受け、年平均降水量は1,000mmに達する。
歴史
中国地名の変遷 | |
建置 | 前漢 |
使用状況 | 無錫市 |
前漢 | 無錫県 |
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新 | 有錫県 |
後漢 | 無錫県 |
三国 | 無錫県 |
西晋 | 無錫県 |
東晋十六国 | 無錫県 |
南北朝 | 無錫県 |
隋 | 無錫県 |
唐 | 無錫県 |
五代 | 無錫県 |
北宋/遼 | 無錫県 |
南宋/金 | 無錫県 |
元 | 無錫州 |
明 | 無錫県 |
清 | 無錫県・金匱県 |
中華民国 | 無錫県 |
現代 | 無錫県 無錫市 |
無錫は有史以来非常に長い歴史を持つ。有史以前は6〜7000年前からの居住や農耕の跡があり、長江文明に属する良渚文化の墳墓など遺跡群がある。ここが呉の発祥の地の一つとなった。呉は製鉄など金属の精錬・加工と農具・武器への利用で中原の国々を圧倒したが、無錫も元来はスズ(錫)を多く産出する「有錫」という名の鉱工業都市だったという。余りにも多く掘り過ぎて前漢までに掘り尽くしてしまい、以来「無錫」になったといわれる。しかし近年の言語学者らの研究により、無錫の市名の無という字の由来は越語の発語詞によったものであり、従来の錫の産地から「有錫」「無錫」になったという説を否定する研究もある(江南は古代中国では越国の領地であって、言語も当然越語が使われていた。今日江南地域で通用する呉語の源もこの越語である)。
紀元前202年、前漢はこの地に無錫県を置いた。隋時代に建設された大運河が無錫を通り、以来、江南の農産物や織物を集散し華北や中国各地へ送る重要な経済都市・商業都市であり続けた。また、明末には顧憲成によって東林書院が建てられ東林派の拠点となった。
清代後期には、無錫は周囲の農産物の集積を背景に、その米市場の相場の影響力は江蘇省の範囲を超えるまでになった。また紡績業や繊維産業が発達し、無錫は「布碼頭(布の港)」と呼ばれるほどだった。辛亥革命までの間に食品や繊維などの民族資本が形成され始める。
こうした経済の発展は文化の発展も伴った。多くの文人らが無錫から生まれ、無錫には寄暢園など非常に優れた庭園などが建設され今も残っている。
1912年、中華民国は無錫県を置き、大小の資本の本拠地となった無錫は「小上海」といわれるほどの商業の繁栄を見た。1937年、日中戦争により、日本軍は無錫に入城し、戦場となった市街は大きく破壊された(中国側の主張では入城の際に1万4千人が犠牲になったとされる)。1949年4月23日、国共内戦の末、中国人民解放軍が無錫を占領した。1953年無錫は江蘇省の直轄市となった。だが、大躍進政策、人民公社化と文化大革命は、無錫とその周辺に荒廃と経済の多大な破壊をもたらした。
改革開放以来、無錫の経済は再起し、目覚しく発展を遂げることとなった。1981年には全国15ヶ所の経済中心都市の一つとなり、1984年には全国10ヶ所の重点観光都市の一つともなった。1985年までに無錫は開放都市となり、工業団地などが整備され、海外資本が大規模な投資を行った。以来、無錫は常に都市実力ランキングや投資環境ランキングで中国の上位に入り、2004年の市民一人当たりの国内総生産は52,825元(当時のレートで6,382USドル)に達している。
行政区画
5市轄区・2県級市を管轄する。
- 市轄区:
梁渓区・浜湖区・錫山区・恵山区・新呉区
- 県級市:
江陰市・宜興市
無錫市の地図 |
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錫山区 恵山区 浜湖区 梁渓区 新呉区 江陰市 宜興市 太湖 |
年表
蘇南行署区無錫市
- 1949年10月1日 - 中華人民共和国蘇南行署区無錫市が発足。一区から三区までの区と無錫県が成立。(3区1県)
- 1952年11月15日 - 江蘇省の成立により、江蘇省無錫市となる。
江蘇省無錫市
- 1953年1月1日 - 市内行政区域の再編により、一区から八区までの区が成立。(8区1県)
- 1953年2月6日 - 無錫県が蘇州専区に編入。(8区)
- 1953年3月27日 - 蘇州専区無錫県の一部が六区・七区に分割編入。(8区)
- 1954年6月2日 - 蘇州専区無錫県の一部が六区に編入。(8区)
- 1955年5月27日 - 六区・七区・八区が合併し、六区が発足。(6区)
- 1955年7月12日 - 一区が崇安区に、二区が工運区に、三区が南長区に、四区が西新区に、五区が北塘区に、六区が郊区にそれぞれ改称。(6区)
- 1957年3月15日 - 蘇州専区震沢県の一部が郊区に編入。(6区)
- 1958年6月 (4区)
- 工運区が崇安区に編入。
- 西新区が南長区・北塘区に分割編入。
- 1958年7月6日 - 蘇州専区無錫県を編入。(4区1県)
- 1958年7月8日 - 郊区が無錫県に編入。(3区1県)
- 1958年10月 - 蘇州専区常熟県の一部が無錫県に編入。(3区1県)
- 1960年5月 (4区1県)
- 無錫県の一部(旧・郊区)が分立し、太湖区が発足。
- 無錫県の一部が崇安区・南長区・北塘区に分割編入。
- 1961年2月 - 無錫県の一部が北塘区・太湖区に分割編入。(4区1県)
- 1961年7月20日 (4区1県)
- 無錫県の一部が太湖区に編入。
- 太湖区・北塘区の各一部が無錫県に編入。
- 1962年9月25日 - 無錫県が蘇州専区に編入。(4区)
- 1963年7月 - 太湖区が郊区に改称。(4区)
- 1968年3月21日 - 崇安区が崇武区に改称。(4区)
- 1978年8月25日 - 崇武区が崇安区に改称。(4区)
- 1980年7月 - 郊区の一部が分立し、馬山弁事処が発足。(4区1弁事処)
- 1983年1月18日 - 蘇州地区江陰県・無錫県、鎮江地区宜興県を編入。(4区3県1弁事処)
- 1983年7月7日 - 馬山弁事処が郊区に編入。(4区3県)
- 1987年4月23日 - 江陰県が市制施行し、江陰市となる。(4区1市2県)
- 1987年12月22日 - 郊区の一部が分立し、馬山区が発足。(5区1市2県)
- 1988年1月9日 - 宜興県が市制施行し、宜興市となる。(5区2市1県)
- 1994年7月17日 - 無錫県の一部が郊区に編入。(5区2市1県)
- 1995年6月8日 - 無錫県が市制施行し、錫山市となる。(5区3市)
- 2000年12月21日 (6区2市)
- 錫山市の一部が分立し、錫山区・恵山区が発足。
- 馬山区および錫山市の残部が郊区に編入。
- 郊区が浜湖区に改称。
- 2002年1月30日 - 浜湖区の一部が南長区・北塘区・崇安区に分割編入。(6区2市)
- 2015年10月13日 (5区2市)
- 崇安区・南長区・北塘区が合併し、梁渓区が発足。
- 錫山区・浜湖区の各一部が合併し、新呉区が発足。
経済
無錫は江蘇省南部の経済の重要都市である。市の発表によると、市内の国内総生産は2002年に1601.7億元(市民一人当たり36,632元)、2003年に1901.2億元(市民一人当たり42,961元)、2004年の市民一人当たりの国内総生産は52,825元と急激な勢いで伸びている。これは江蘇省1位で、全国でも10位以内に入るものである。
無錫は清代末期に中国で最も早く民族資本が形成された都市のうちの一つであり、現在では外資の誘致でも中国有数の実績を持つ。無錫市は新区に市内最初の経済開発区「新区開発区」を設置したが、現在までにソニー、パナソニックグループ、シャープ、東芝、日立マクセル、村田製作所、コニカミノルタ、ニコン、アルプス電気、住友電工など日系企業や、アメリカのハードディスクドライブ最大手シーゲート社や台湾の家電メーカー東元電機などの大型工場、物流倉庫などが多数稼動している。また隣接する濱湖区にも経済技術開発区を建設し多数の投資を誘致している。
特に無錫と日本との関係は密接で、2003年段階で1,000社を超える企業がすでに進出し、投資総額でも30億ドルに迫る勢いである。これは江蘇省に対する日本からの投資の半分を占め、省都南京をはるかに越え、蘇州を上回り上海に迫るものである。湖などに接する恵まれた自然環境、比較的よい治安、上海の港湾や空港からの近さ、『無錫旅情』(後述)などで日本でも名が知られ、対日感情もさほど悪くないことが要因として挙げられよう。
その他台湾、香港、欧米諸国など多くの国からの投資もあり、2002年末までに無錫市が認可した外国からの投資は累計7,000社弱、契約ベースでの投資額は220億ドルに登り、世界各国の有名企業による1億ドルを超える大型案件も多数含まれる。
市の調査(2002年)によれば、現在でも産業の大きな割合(24%)を占めるのが繊維産業で、25%がその他工業であるという。その他伝統産業では、宜興市は大理石、石灰岩、陶土の採掘で知られ、茶器など陶器生産が盛んである。恵山区などでは、土産物の泥人形(恵山泥人)の阿福・阿喜人形などが有名である。農業は、大型工業団地建設など工業化・人口増加に伴い年々耕地が減少しているが、その分、付加価値の高い商品作物にシフトして生産額を高めようとしている。
交通
無錫は北京〜南京〜上海の幹線上に位置し、重要な鉄道・道路・水路が通っている。
高速道路は、上海〜南京間の滬寧高速公路(沪宁高速公路)、北京〜上海間の京滬高速公路(北京から南下し長江を無錫市域内北部の江陰市で渡り、無錫で滬寧高速公路に合流する)、上海から長江沿いを上流へ向かう沿江高速公路(北部の江陰市を通る)などが無錫市域を通る。
鉄道は、上海〜南京間の幹線鉄道、浙江省杭州から北上し無錫市域を南から宜興市、無錫、江陰市を通って長江を渡る鉄道が無錫で交差する他、京滬高速鉄道に無錫東駅が設けられている。京滬線の無錫駅には滬寧城際線も通る。2014年には新たに無錫地下鉄が開業した。
水運は、大運河にルーツを持つ北京〜杭州間の京杭大運河、太湖と長江を結ぶ無錫〜江陰間の錫澄運河、市域西部の恵山区と蘇州市の長江の港・張家港を無錫市街の北側で結ぶ錫北運河がある。また、長江沿岸の江陰市には江陰港があり、大きな貨物船が接岸できる。
蘇南碩放国際空港は北京はじめ全国の主要都市数ヶ所と香港・マカオを結ぶ。2009年4月9日より大阪線も運航を開始した。2011年1月21日より成田線も運航を開始する。
市内の交通については無錫のバスを参照。
教育
- 江南大学
- 天一中学
- 東林中学
- 江蘇錫山高等学校
- 無錫第一中学
- 無錫第三中学
- 無錫新区国際学校
- イートンハウス
- 無錫太湖国際学校
- 無錫市積餘實驗學校
- 江蘇省南菁高等学校
古跡・観光地
大運河:市街を迂回する新しい京杭大運河に現役の水運は譲っているが、隋以来の大運河は市内を通っており、古来の大運河を旅するクルーズなどが行われている。
太湖と三山:湖に突き出た半島の黿頭渚(げんとうしょ)公園などで景色が楽しめる。太湖の中にある猿の島。
錫恵公園:市域の西、錫山と恵山にまたがる公園。錫山はかつて錫を産出した山。山からは市街の眺望がよく、仏教寺院や楼閣が点在する。又、ロープウェイもある。- 天下第二泉:錫恵公園にある。唐代に『茶経』を著した茶聖・陸羽が茶を入れるのに適した水として、無錫の恵山の恵泉を第二位としたことに由来する。二胡の曲『二泉映月』でも知られる。
寄暢園:錫恵公園にある。恵山の東にあり、その峰々を借景とした明代の邸宅式庭園の代表的傑作。清の乾隆帝は寄暢園を何度も訪れ、それをもとに北京の頤和園を作ったといわれる。- 蠡園:1930年、当地の実業家の王禹卿が建設した庭園。越の王勾践の家臣・范蠡が、絶世の美女といわれた西施とすごした湖に作られている。
- 三国城・水滸城:中国中央電視台のテレビドラマのために建設されたオープンセット。
東林書院:北宋の儒学者楊時が設立した学院で、明代に東林党と呼ばれる官僚らを輩出。- 銭鐘書故居:『囲城』『宋詩選注』等で知られる作家・文学研究家銭鐘書の生家。
- 霊山大仏:無錫市の西方にある寺院、とても大きい大仏がある。
- 南禅寺
- 崇安寺
- 栄氏梅園
- 鹿頂山
- 渤公島:蠡園と太湖の間に位置する公園、公園は2003年に完成し、両方の湖を楽しめる。入場料は無料。
土産物・名産品も多い。
- 陽山の水蜜桃
- 油麺筋
無錫排骨(三鳳橋)
無錫小籠包(王興記)- 太湖の銀魚
- 恵山泥人形(阿福人形、阿喜人形の二種類)
- 宜興の茶器
また、演歌歌手・尾形大作の歌唱する『無錫旅情』(1986年、作詞・作曲 中山大三郎)のヒットにより、無錫は日本人の間で脚光を浴び、1980年代後半から無錫への日本人観光客の数が急増した[1]。中国でもこの曲はカバーされてヒットした。カバー盤を含めた『無錫旅情』の累計売上は300万枚を超える[2]。
友好都市
日本、明石市(1981年8月29日から)
アメリカ合衆国、チャタヌーガ(1982年10月12日から)
日本、相模原市(1985年10月5日から)
ニュージーランド、ハミルトン(1986年7月5日から)
ポルトガル、カスカイス(1993年9月14日から)
カナダ、スカボロー(現在はトロント市の一部)(1996年4月10日から)
ほか、濱湖区が日本の松阪市と(2008年4月14日から)、無錫新区が豊川市と(2009年4月15日から)、県級市の江陰市がブラジルのベロオリゾンチと(1996年11月18日から)、宜興市がスロベニアのノヴォ・メストと、それぞれ友好都市となっている。
関連項目
無錫旅情 1986年に尾形大作が発表した楽曲
脚注
^ 「無錫旅情」から始まる中日協力の20年、 「人民網日本語版」2007年1月16日(無錫観光局)
^ 『産経新聞』1996年8月14日付東京夕刊
外部リンク
- 無錫市政府(中国語、英語、日本語)
- 無錫指南(日本語)
- 無錫観光(日本語)
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座標: 北緯31度33分58秒 東経120度18分11秒 / 北緯31.56611度 東経120.30306度 / 31.56611; 120.30306