マスメディア
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マスメディア (mass media) あるいは大衆媒体(たいしゅうばいたい)とは、マスコミュニケーションの媒体のことである[1]。
目次
1 概説
2 歴史
3 意義
4 経営
5 主なマスメディア
5.1 電波を媒体とするマスメディア
5.2 紙を媒体とするマスメディア
5.3 その他のマスメディア
6 新しいマスメディア
7 マスメディアの将来
8 脚注
8.1 注釈
8.2 出典
9 参考文献
10 関連項目
概説
マスメディアとはマスコミュニケーションを行うメディア(=媒体)のことであり、たとえば新聞・出版・放送・映画などのこと[1]。ブリタニカ国際百科事典によると、新聞、テレビ、ラジオ、映画、雑誌などがその代表、とのことであり、受け手である大衆に対して 公的・間接的・一方的に意味内容を伝達するような技術的道具や装置のことを言う、とのことである[2]。
マスメディアとは、不特定多数の受け手へ向けての情報伝達手段となる新聞・雑誌・ラジオ放送・テレビ放送などのメディア(媒体)あるいは技術的道具である。また「マスメディア」は、マスメディアを用いてマスコミュニケーションを行っている組織も含めて指すこともある。例えば新聞社、出版社、放送局(テレビ局、ラジオ局)などである。
なおマスコミュニケーションとは、大衆への大量の情報伝達を指す[3]。が、日本では「マスコミュニケーション」の略語の「マスコミ」をマスメディアという意味でも用いることがある[4][注釈 1]。
なお、「マス(mass)」という語は多義的で、もともと、大量(のモノ、コト)や大勢の人々を意味し、群衆などの意味もあるが、辞書などのマスメディアに関する説明では、「大衆」や「大量」の意味だとされることが多い。
(もともと)マスメディアは「印刷媒体」と「非印刷媒体」に分けられる、とされている[2]。
現代のマスメディアがどのような状態かというと、資本主義社会においてはマスメディアの大多数が営利企業としていとなまれており、その結果、利潤の獲得や経営の安定が優先される傾向があり、伝達される内容が低俗化・画一化する傾向がある。一方、社会主義社会においては政府や支配政党の方針によって伝達される内容が編集される状態になる[2][注釈 2]。
1990年代後半あたりからインターネット利用が普及する一方、旧来のマスメディア各媒体の相対的位置付けの低下が徐々に進行している。日本を例にとれば、1995年から2010年にかけてインターネットの利用が激増する[5]一方で、テレビ視聴時間は微減[6]、新聞[7]・ラジオ[8]・雑誌[9]は減少傾向にある。
旧来のマスメディアの側では、放送などでは生放送にインターネットのSNSからのリアルタイムの投稿を取り込むことや、見逃した番組をインターネット上のアーカイブで見られるようにして自社が発信した情報に接してもらう機会を増やすなど、共存関係や相補関係などにすることが試みられている。[要出典]
歴史
大量の受け手への、情報の同時発信を最初に可能にしたのは15世紀半ばのヨハネス・グーテンベルクによる活版印刷の発明である。グーテンベルクは活版印刷術を使い、世界初の近代的な出版物であるグーテンベルク聖書を完成させた。この活版印刷術は急速にヨーロッパに広まり、1480年ごろにはすでにヨーロッパの各地に印刷所が設立されていた[10]。これにより出版が盛んになり、それまでに比べ非常に大量の書籍が発行されるようになった。またこの印刷の隆盛はパンフレット類の大量発行をも可能にし、この流れの中で15世紀末以降、不定期刊行の新聞が各地で発行されるようになった。こうした新聞は初期には何か大事件があった際にのみ発行される、いわゆる瓦版のようなものであったが、17世紀初頭には週刊化する新聞が出現し始めた。
こうして新聞が一般化した18世紀に入ると、アメリカ独立戦争やフランス革命などの市民革命が起きるようになるが、この過程で新聞は世論の形成に大きな役割を果たし、樹立された新政府においては自由権の一部として法的に言論の自由が認められるようになった[11]。この言論の自由はのちにマスメディアの拠って立つ根幹となった。
欧米では、19世紀の産業革命による都市人口の増加や社会変化に伴い、新聞の大衆化が進んだ[12]。同時期、印刷技術が長足の進歩を遂げたことで書籍の大量生産も可能になり、出版業もまた大衆化が進んでいった[13]。
1876年に電話が発明されると、これを利用して不特定多数の利用者に情報や娯楽を提供するアイデアが生まれ、1879年にはすでに電話線を利用した放送が試みられていた[14]。1893年にはオーストリア・ハンガリーのブダペストにおいて有線放送局が成立したものの、これはほとんど追随者を生まなかった[15]。一方、1895年には、マルコーニが電波による無線通信の実験に成功し、1920年に世界最初の商業ラジオ局であるKDKAがアメリカ合衆国・ペンシルベニア州で開局した[16]。1922年にはアメリカでラジオブームが起き、以後ラジオは急速に普及した[17]。
ラジオは音声だけの放送であるため、これに加えて画像の送信をも可能とするテレビの開発が1920年代には世界各国で開始され、やがて1930年代には試験放送がはじまった。1950年代に入るとテレビはアメリカで急速に普及し[18]、欧州諸国や日本などもすぐにこれに続いた。
意義
情報を発信する側には、広告や広報の媒体となるほか、社会的弱者を含む多様な立場の意見表明(いわゆるアドボカシー)の場としての機能がある。[要出典]
情報の受け手には、社会の出来事を知る手段、映画やドラマ、スポーツの鑑賞を楽しむ娯楽の一つとなるほか、選挙など政治参加の場としての機能を持つ。広告を有用な情報として認識する場合は広告の受信手段としての役割もある。[要出典]
特に政治において、マスメディアは大きな役割を持っている。政治におけるマスメディアの役割としては、自らの意思によって政治的な事実を報道・解説することによって、一般市民に政治的判断の基準を提供することがあげられる[19][20]。近代以後の大規模化した社会において政治情報の広範な伝達にはマスメディアの存在は必須であり、マスメディアなくして現代の民主主義政治は存立しえない。近代における民主主義の発達は、とくに新聞をはじめとするマスメディアの発達によって可能となった[要出典]。こうした政治的機能の巨大さから、マスメディアは立法・司法・行政と並ぶ「第四の権力」と評されることも多い[21]。ただし政府内の機能であり暴走しないよう相互監視機能や様々な制限が設けられている三権と違い、マスメディアには市民の統制は及びにくい。[要出典]
民主国家のみならず独裁制においてもマスメディアは大きな役割を持ち、こうした独裁国家では政府に指導・統制されたマスメディアは情報操作により世論を政府寄りに保ち続ける社会統制のあからさまな道具となっている。なかでもファシズムにおいてはマスメディアは非常に重要な役割を持ち、ナチス・ドイツなどではマスメディア、特にラジオでのプロパガンダを通じて世論を操作した[22]。
経営
マスメディアの収入源には大きく分けて、情報の発信側から受け取る広告料と、受け手に課金する料金(受信料、購読料など)がある。新聞や雑誌はフリーペーパーを除いて双方に課金し、書籍は通常書籍代として受け手からのみ徴収する。[要出典]
新聞や雑誌と異なり、放送は課金手段が様々ある。民間放送にも広告料での運営と受信料での運営の2形態があり、公共放送はBBCやNHKのように受信料のみで運営する局のほか、広告料と受信料の両方受け取る局、政府交付金を受ける局など、国によって収入源が異なる[23](公共放送の項参照)。衛星放送や有線放送の場合、ペイ・パー・ビュー方式などで視聴者に課金する局もある。[要出典]
ネットの発達と利用者の増加で、既存メディアは広告や情報の受信手段としての役割をネットと競合するようになり[24]、全体的なメディアの傾向として、収入は頭打ちか減少傾向にある[25][26]。アメリカの新聞社では減少傾向が顕著で、ニューヨーク・タイムズは巨額の赤字を出し、本社社屋の売却などのリストラを進めているほか、2009年には、クリスチャン・サイエンス・モニター、シアトル・ポスト・インテリジェンサー、ロッキーマウンテン・ニュースが経営難で日刊紙の発行を取りやめた。
日本のメディアは、メディア本体による収入のほか、所有不動産の賃貸も収入源としていることが多い(朝日新聞社の朝日ビルディング、中日新聞社の中日ビル、最近ではTBSによる赤坂再開発)。[要出典]
主なマスメディア
以下、現代におけるマスメディアを媒体別に区分する。
電波を媒体とするマスメディア
- テレビ
- ラジオ
- 携帯電話
紙を媒体とするマスメディア
- 新聞
雑誌(特に週刊誌)- フリーペーパー
その他のマスメディア
インターネット
- インターネット放送
- ニュースサイト
- 動画共有サービス
- 電子掲示板
- ブログ
広義のマスメディアには映画や音楽(レコード)、出版(書籍)全体を含むこともある。
新しいマスメディア
1990年代後半から普及したウェブサイトが既存のマスメディアと肩を並べる影響力を持ちつつある。しかし従来のマスメディアと呼ばれる概念に含めてよいかどうか議論が分かれている。[要出典]
取材には資金と組織力が必要なこと、検証可能性の高さなどから、インターネット時代においても新聞社などマスコミ企業の優位性は変わらないという意見がある。一方、マスコミ企業は取材中心の通信社的な役割に縮小し、評論や世論形成はブログなど個人のウェブサイトやSNSなどが中心になるという見方もある(ソーシャルメディアという語も生まれている)[注釈 3]。また、インターネット上の市民ジャーナリズムに期待する向きもある。これは一般市民が記者となって取材活動を行うもので、マスコミ企業の欠点の克服・補完を目指している。[要出典]
ウェブサイトはわずかの資金で開設でき、政治的に中立性が高い場合も多くある。運営に多額の広告料を受け取る必要がある大手メディアは会社の構造上、中立性・透明性確保が難しいため、大手メディアとウェブサイトの記事差別化が進み、中には急速に読者を増やしているウェブサイトもある。[要出典]
中小ウェブサイトはその組織力の弱さから、記事の正確性や他社のコピー記事使用の疑問が出されることも多い。しかし、これに対しては、記者クラブで独占取材を許されているマスメディアについては記事の著作権を強く主張できないとの意見も学会などでみられる。[誰?][要出典]
マスメディアの将来
ボルチモア・サン紙の元記者、デイビッド・サイモンは、しょせんインターネットに出ている情報は、既存メディアが流している情報をコピー&ペーストして、それに対し独自の意見を付け加えたものでしかなく、ネットのブロガーや市民記者は寄生虫のようなものだと指摘している。宿主となる既存メディアは、その寄生虫のため、自らの経営を蝕まれ、次第に一次的な情報を提供する既存メディアが弱体化し、社会に正確な情報が行き渡らなくなるという。サイモンは、そのためにも、既存メディアはネットでの情報発信を有料化するか、NPO化して市民の寄付などで経営を健全化していくべきだと主張している[28]。
藤代裕之は、いくら個人メディアが増加しても、まとめサイトやネット上の事件を知らせるミドルメディアの登場が示しているように、人々が何を考えているのか情報を共有するマスメディアのようなメディアはなくならないと主張している[29][注釈 4]。また藤代は、マスメディアが凋落してきても、社会の問題を掘り下げ、人々に伝えるという役割の重要性が低下するわけではなく、むしろ誰もが情報を発信でき、膨大なコンテンツが流通する時代になったからこそ、その人にしか表現できないコンテンツを作れる「プロ」と、重要な情報を選び出す「編集」の重要性が増すとも主張している[30]。
『空気』を作って、社会的・政治的に相手を潰せるため『メディア自体が権力』との批判の声がある[31]。
脚注
注釈
^ なお、マスメディアのうち「新聞」は「報道」や「ジャーナリズム」と言い換えられることはあり、ある意味それは妥当であるが、マスメディアのうちの「映画」という語を「報道」と置き換えては不適切となる。[要出典]
^ マスメディアは正確な内容を伝えているとは限らない。内容は正しいこともあれば誤っていることもある。「マスメディア」は定義のとおり、あくまで、大衆に対して大量に伝えている、というだけである。
^ 雑誌への投稿は編集部の選別を通る必要があるため一定水準以上の文章を書かなけければいけないという規範が読者に植えつけられるが、SNSは自由気ままに書けるため質が低くなりがちでそれが世論形成にマイナスの影響を与えるという指摘もある[27]。
^ しかし既存メディアは双方向ではなく一方的な報道のため、大衆の意見はこうであろうというマスコミの独断にもとづく視点であり、かならずしも人々が何を考えているのか情報を共有するものではない。
出典
- ^ ab広辞苑第七版「マス・メディア」
- ^ abcブリタニカ国際大百科事典 小項目事典『マス・メディア』 - コトバンク
^ 広辞苑第七版「マス・コミュニケーション」
^ 広辞苑第七版「マス・コミ」
^ 「メディアと日本人」p70-71 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
^ 「メディアと日本人」p54 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
^ 「メディアと日本人」p64 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
^ 「メディアと日本人」p79 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
^ 「メディアと日本人」p87 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
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^ 「メディアと日本人」p14 橋元良明 岩波新書 2011年3月18日第1刷
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^ 「テレビと社会」レイモンド・ウィリアムズ(「歴史の中のコミュニケーション メディア革命の社会文化史」所収)p290 デイヴィッド・クロウリー、ポール・ヘイヤー編 林進・大久保公雄訳 新曜社 1995年4月20日初版第1刷
^ 「現代政治学 第3版」p106 加茂利男・大西仁・石田徹・伊東恭彦著 有斐閣 2007年9月30日第3版第1刷
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^ 小泉進次郎が今年から新聞を読むのをやめた理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニッポン
参考文献
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伊藤武夫 ら 編著 『メディア社会の歩き方』 世界思想社 2004年
桂敬一・田島泰彦・浜田純一 編著 『新聞学』 日本評論社 2009年
早川善治郎 編著 『概説マス・コミュニケーション』 学文社 2004年- 福間良明、2017、『「働く青年」と教養の戦後史 -「人生雑誌」と読者のゆくえ』初版第1刷、 筑摩書房〈筑摩選書〉 ISBN 978-4-480-01648-5
土屋礼子 編 『日本メディア史年表』 吉川弘文館 2018年
関連項目
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- 報道機関
- 第三者効果
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