林卓人
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名前 | ||||||
愛称 | タクト | |||||
カタカナ | ハヤシ タクト | |||||
ラテン文字 | HAYASHI Takuto | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | (1982-08-09) 1982年8月9日(36歳) | |||||
出身地 | 大阪府茨木市 | |||||
身長 | 188cm | |||||
体重 | 87kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | サンフレッチェ広島 | |||||
ポジション | GK | |||||
背番号 | 1 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
茨木小FC (茨木小) | ||||||
1995-1997 | 茨木市立養精中学校 | |||||
1998-2000 | 金光大阪高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2004 | サンフレッチェ広島 | 2 | (0) | |||
2005-2009 | コンサドーレ札幌 | 71 | (0) | |||
2007-2009 | →ベガルタ仙台 (loan) | 111 | (0) | |||
2010-2013 | ベガルタ仙台 | 136 | (0) | |||
2014- | サンフレッチェ広島 | 118 | (0) | |||
代表歴 | ||||||
2012-2013 | 日本 | 0 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年1月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
林 卓人(はやし たくと、1982年8月9日 - )は、大阪府茨木市出身のサッカー選手。Jリーグ・サンフレッチェ広島所属。元日本代表。ポジションはゴールキーパー。金光大阪高等学校卒業。
目次
1 来歴
2 所属クラブ
3 個人成績
4 代表・選抜歴
5 タイトル
5.1 個人
5.2 チーム
6 脚注
7 参考資料
8 関連項目
9 外部リンク
来歴
茨木小学校FC、市立養精中出身。中学までは全国的には無名な存在で、金光大阪高等学校へ進学後頭角を現す[1]。高校の2年先輩に斉藤大介、 1年後輩に中田洋平・田中淳也がいる。2000年高校3年時インターハイ出場、同年セレッソ大阪に強化指定選手として登録された。
2001年、サンフレッチェ広島とプロ契約する。同期入団に河野淳吾・田中マルクス闘莉王・西嶋弘之・寺内良太・梅田直哉・李漢宰がいた[1]。2002年から下田崇の控え、2ndGKとなる。J1最終節対コンサドーレ札幌戦にて相手FW相川進也と接触した下田の負傷により途中出場(なおその後に相川も林と接触し交代している)、これが林のJリーグ初出場となった。この試合は曽田雄志にVゴールを許して敗戦、広島はJ2降格となった(なおこれがJリーグ史上最後のVゴールである)[2]。同年の天皇杯では下田の怪我によりレギュラーとして出場、広島を準決勝まで進出させる原動力となった[3]。2003年、下田が怪我から復帰すると全く出場機会が与えられなかった[4]。
一方で林はプロ入り以来、各年代の日本代表に選ばれた。2003年カタール国際親善トーナメントでU-22日本代表に、アテネオリンピック最終予選では全6試合に出場し、日本チームをオリンピック出場へと導いた。しかし2004年アテネ五輪本大会においては、正GKにオーバーエイジ枠として曽ヶ端準が抜擢され、さらに腰痛のため控えの座も黒河貴矢に奪われて選外(補欠)となりベンチ外となった。
2005年、藤ヶ谷陽介のガンバ大阪移籍に伴い正GKを探していたコンサドーレ札幌へ完全移籍した。移籍金8000万円(移籍金#日本国内におけるシステム参照)[5]。移籍直後から正GKの座を獲得したが、2006年終盤に持病の腰痛が悪化、不用意なミスも重なって[6] 正GKを佐藤優也に明け渡した。2007年には高木貴弘の加入もあって、ベンチ入りすらできない状況に陥った。
2007年6月、小針清允とシュナイダー潤之介の負傷に伴い、GKを探していたベガルタ仙台へ期限付き移籍[7]。移籍早々から正GKとして起用されるようになり、小針やシュナイダーが戦線復帰を果たした後も正GKの座を譲ることはなかった。期限付き移籍を延長した2008年は、体調不良により欠場した第12節広島戦を除く、41試合に出場し、J1・J2入れ替え戦進出に貢献したが、その入れ替え戦で、ジュビロ磐田の松浦拓弥に2試合で3失点を許し、J1昇格を逃した。2009年も期限付き移籍を延長[8]。このシーズンはリーグ戦全51試合にフルタイム出場し、失点をリーグ最少の39に抑え、J2優勝およびJ1昇格に貢献した。札幌の復帰要請を断り[9]、2010年仙台に完全移籍。以降も2013年までリーグ戦をフルタイム出場してチームを支えた。特に、2011年には34試合で25失点に抑え、Jリーグ記録[注釈 1] にはあと一歩及ばなかったものの、最少失点・最多完封 (14完封) の堅守を見せた。2013年には共同主将の一人に起用された。
この仙台での活躍により、林は2012年2月、初のA代表入りを果たした。24日のアイスランドとの親善試合でベンチ入りしたが、出場機会はなく2013年7月の東アジアカップ2013で2度目の代表選出も[10]、またも出場機会なしに終わった(この時は代表23人の中で唯一の不出場であった)。
2014年、西川周作の浦和レッドダイヤモンズ移籍に伴い正GKを探していたサンフレッチェ広島に完全移籍[11]。10年ぶりの古巣復帰となった。同年開幕節の対セレッソ大阪戦(長居)で219試合連続出場を達成し、これまで服部公太が持っていたリーグ戦連続出場記録を更新した[12][注釈 2]。なお、林は同年第18節の対鹿島アントラーズ戦(カシマ)を欠場したため、この記録は235試合で止まっている。また、この記録は同年に鹿島の曽ヶ端準によって破られている[注釈 3]。
所属クラブ
- ユース経歴
茨木小FC (茨木小)- 1995年 - 1997年 茨木市立養精中学校
- 1998年 - 2000年 金光大阪高等学校
- 2000年 セレッソ大阪 (特別指定選手)
- プロ経歴
- 2001年 - 2004年 サンフレッチェ広島
- 2005年 - 2009年 コンサドーレ札幌
- 2007年 - 2009年 ベガルタ仙台 (期限付き移籍)
- 2010年 - 2013年 ベガルタ仙台
- 2014年 - サンフレッチェ広島
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2001 | 広島 | 21 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2002 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | |||
2003 | J2 | 1 | 0 | - | 0 | 0 | 1 | 0 | |||
2004 | J1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | ||
2005 | 札幌 | 1 | J2 | 33 | 0 | - | 0 | 0 | 33 | 0 | |
2006 | 38 | 0 | - | 1 | 0 | 39 | 0 | ||||
2007 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||||
仙台 | 16 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | |||
2008 | 41 | 0 | - | 1 | 0 | 42 | 0 | ||||
2009 | 51 | 0 | - | 4 | 0 | 55 | 0 | ||||
2010 | J1 | 34 | 0 | 6 | 0 | 0 | 0 | 40 | 0 | ||
2011 | 34 | 0 | 4 | 0 | 2 | 0 | 40 | 0 | |||
2012 | 34 | 0 | 7 | 0 | 1 | 0 | 42 | 0 | |||
2013 | 34 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 38 | 0 | |||
2014 | 広島 | 1 | 31 | 0 | 5 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |
2015 | 34 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | 39 | 0 | |||
2016 | 34 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | 38 | 0 | |||
2017 | 19 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 20 | 0 | |||
2018 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 255 | 0 | 28 | 0 | 18 | 0 | 301 | 0 | |
日本 | J2 | 183 | 0 | - | 6 | 0 | 189 | 0 | |||
総通算 | 438 | 0 | 28 | 0 | 24 | 0 | 490 | 0 |
その他の公式戦
- 2008年
J1・J2入れ替え戦 2試合0得点
- 2014年
XEROX SUPER CUP 1試合0得点
- 2015年
Jリーグチャンピオンシップ 2試合0得点
- 2016年
- XEROX SUPER CUP 1試合0得点
国際大会個人成績 | FIFA | |||||
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年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | クラブW杯 | ||||
2013 | 仙台 | 16 | 6 | 0 | - | |
2014 | 広島 | 1 | 8 | 0 | - | |
2015 | - | 4 | 0 | |||
2016 | 5 | 0 | - | |||
通算 | AFC | 19 | 0 | 4 | 0 |
- プロ初出場 2002年11月30日 J1・2nd第15節 対コンサドーレ札幌 (札幌ドーム)
- 76分下田崇の負傷退場により途中出場、3失点
- プロ初先発・初勝利・初完封 2002年12月15日 天皇杯3回戦 対アルビレックス新潟 (広島スタジアム)
- 先発フル出場
- リーグ戦初完封 2005年5月14日 J2第12節 対水戸ホーリーホック (札幌厚別公園競技場)
- 先発フル出場
代表・選抜歴
- 2001年 U-20日本代表
- 2002年 U-21日本代表
- 2003年 U-22日本代表
- 2004年 U-23日本代表 アテネオリンピックアジア予選、アテネオリンピックバックアップメンバー
- 2004年10月10日 日本選抜 (1964年東京オリンピック40年記念イベント)
- 2012年 日本代表
- 2013年7月 東アジアカップ2013・日本代表
タイトル
個人
Jリーグアウォーズ
- 優秀選手賞 (2011年、2012年)
Jリーグ月間MVP:1回(2018年3月)
チーム
- サンフレッチェ広島
J1リーグ:2015年
ゼロックススーパーカップ:2014年、2016年
脚注
- 注釈
^ J1のシーズン最少失点記録は、2008年に大分トリニータが記録した24。
^ ただし、Jリーグは同一リーグ内の記録しか認めていないため、J1とJ2にまたがる林・服部の記録はいずれも参考記録扱い。
^ なお曽ヶ端はすべてJ1での出場であり、正式な記録として残っている
- 出典
- ^ ab“戦う喜び さよなら涙 GK(21) 林 卓人”. 中国新聞 (2001年2月14日). 2014年1月24日閲覧。[リンク切れ]
^ “完全燃焼 矢折れ力尽く”. 中国新聞 (2002年11月30日). 2014年1月24日閲覧。
^ “京都に1―2 追い上げ及ばず 天皇杯準決勝”. 中国新聞 (2002年12月28日). 2014年1月24日閲覧。
^ “下田、全治4ヶ月”. 紫熊倶楽部 (2005年10月17日). 2014年1月24日閲覧。
^ “GK林、札幌移籍”. 中国新聞 (2005年1月7日). 2014年1月24日閲覧。
^ “<1> GK・林卓人(23)”. 北海道新聞 (2006年2月20日). 2014年1月24日閲覧。
^ “GK林 期限付きで獲得 J2仙台”. 河北新報 (2007年6月15日). 2014年1月24日閲覧。
^ “仙台がGK林の期限付き移籍期間を延長”. ゲキサカ[講談社] (2008年12月23日). 2015年10月11日閲覧。
^ “GK林仙台残留熱望、札幌交渉諦めた”. 日刊スポーツ (2009年10月26日). 2014年1月24日閲覧。
^ [1]
^ “J1仙台の林、広島に完全移籍”. 河北新報 (2014年1月6日). 2014年1月24日閲覧。
^ “広島GK林卓人、219試合連続出場を達成…Jリーグ最多記録”. サッカーキング (2014年3月3日). 2014年10月2日閲覧。
参考資料
林卓人 - 日本サッカー協会
林卓人 - ゲキサカ
林卓人 - エル・ゴラッソ
関連項目
- 大阪府出身の人物一覧
オリンピックのサッカー競技・日本代表選手:予備登録- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- 北海道コンサドーレ札幌の選手一覧
- ベガルタ仙台の選手一覧
外部リンク
- サンフレッチェ広島F.Cによる公式プロフィール
輝く卒業生 - 金光大阪高校。著名な卒業生として林が紹介されている。
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日本代表 - 出場大会 | |||||||
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