晴れ時々たかじん



















































-TV MAGAZINE-
晴れ時々たかじん

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番組の生放送が行われていた
大阪市大淀の朝日放送旧本社(現在は解体)

ジャンル
ワイドショー番組
演出
市川寿憲
出演者
やしきたかじん
安井ゆたか
オープニング
「晴れときどきTAKAJIN」
(やしきたかじん)
製作
プロデューサー
岡村道範
吉村誠
制作
朝日放送

放送
放送国・地域
日本の旗 日本
放送期間
1988年10月3日 - 1992年4月3日
放送時間
平日 14:00 - 14:55
放送分
55分

-TV MAGAZINE- 晴れ時々たかじん』(はれときどきたかじん)は、1988年10月3日から1992年4月3日まで、一部テレビ朝日系列局で放送された朝日放送(ABCテレビ)制作の昼のワイドショーである。放送時間は毎週月曜 - 金曜 14:00 - 14:55。




目次






  • 1 番組情報


    • 1.1 概要


    • 1.2 視聴率


    • 1.3 番組の終了


    • 1.4 エピソード




  • 2 オープニングテーマ


  • 3 主な出演者


  • 4 スタッフなど


  • 5 脚注





番組情報



概要


番組タイトルは、スタッフがビデオ店で見た映画『晴れ、ときどき殺人』をヒントにしたものである[1]


やしきたかじんが司会を務めた番組。従来のワイドショーに疑問を持っていたたかじんは、それまでのワイドショーで扱っていた料理・占い・温泉めぐりなどを一切排除し、



  • 月曜:ニュース・ザ・ニュース(一週間の政治・経済問題)

  • 火曜:世の中いろいろチューズデー(ミニドキュメント)

  • 水曜:テレビ大人電話相談室

  • 木曜:爆笑トーク 私とお金(ゲストとの対談。内容は必ずしもお金に限らない)

  • 金曜:輝け花の金妻たち→1×20(専門家20人集めて各回ごとのテーマについて聞く)→それがどないしたフライデー(レギュラーパネラーによる座談)


といった、当時としては斬新な企画を提案する。


この番組で、たかじんは特大パネルと指し棒とマジックを使った「パネル芸」を考案し、多用する。その後も彼の番組では十八番のように「パネル芸」が行われるようになる。


本来関西ローカルであったが、前身番組から引き続き名古屋テレビ[2]、広島ホームテレビ、九州朝日放送などにもネットされた。また、北陸朝日放送では1991年10月の開局時から終了までネットされていた。特に広島での視聴率は関西に次いで高く、広島からの生放送を行ったこともある。


朝日放送が高校野球大阪大会を中継した場合も、これらネット局への裏送りが行われていたが、九州朝日放送と名古屋テレビでも地区大会を放送するため、広島ホームテレビだけの放送という異例の事態が起きた事もあり、この日の放送では、たかじんが広島だけの放送である旨を説明した。また、全国大会期間中は番組を休止し、ネット各局では再放送番組で対応していた。


番組終了時には毎回、提供クレジットが表示されたとき(朝日放送では読み上げは無し、広島ホームテレビのように読み上げがあったネット局もあり)とほぼ同じタイミングで、太陽とたかじんの顔をあしらった番組シンボルマークが無造作に計16枚表示され、すべて出切ったところでエンディングテロップを表示して終了していた。ただし、最終回ではたかじんが出演者から花束を渡され、「満足!という言葉を残して去って行きます。本当にありがとう。たかじん」というテロップが表示されていた。



視聴率


放送開始当初の視聴率は2%にも満たない状況で、そのため、局長からも番組打ち切りの勧告を受けた。また、視聴率が上向きにならず悩んでいたときに、馴染みの鉄板焼屋で遭遇した当時アナウンス部長の乾浩明に「いやー、番組の視聴率が全然上がりません。番組やめたほうがよろしいですかね?」と相談したら、乾から「そやそや君には荷が重すぎるんやで、早よ辞めた方が君のためやで」と言われたという。その言葉を聞いてたかじんは内心憤慨し、「見返してやる!」と発奮。徐々に視聴率が伸び始め、結果的に最後の1年間のトータル平均が13%を超えるようになり、平日の昼の2時台では考えられない高視聴率を記録した。最高視聴率は19.7%。



番組の終了


後述の朝日放送との確執や、東京での仕事に本格的に取り掛かるため[3]、番組末期には番組を終了させたくて仕方がなく、レギュラー出演していた桂べかこ(現:桂南光)を自宅マンションに呼び出し、「俺のあとを継げるのはべかちゃんしかおらんねん」と一晩中懇願した。本番組終了後に桂べかこがこの時間枠を引き継き、『べかこの自遊時間』が開始された。


番組終了後の慰労パーティーでの(朝日新聞社からの天下りで来た)局長の挨拶の中で、「なぜこんな番組が視聴率を取るのかわからない」の一言に激怒したたかじんは、役人・官僚の天下り体質もあり、以後朝日放送での仕事は死ぬまでしないと決め、たかじんが2014年に亡くなるまで貫き徹した(たかじん本人が『たかじんのそこまで言って委員会』2006年11月26日放送分で発言。実際にはその後も単発の特別番組には数回出演した)。これ以降、朝日放送の話題になると放送禁止用語を交えて罵倒するようになる[4]



エピソード


もともと番組を引き受けることには消極的であったが、箕面市内にある家を無理矢理買わされ、また、たかじん本人の生来の金遣いの粗さもあり、金銭的に苦しかったことが、司会を引き受けた理由としてあげられる。特に決定的なものは、朝日放送局長以下に上七軒で接待を受け、泥酔していたこともあり「テレビをあかんようにしたのはお前らちゃうんか。都合悪るなったらおれのところに頼むのは調子よすぎるちゃうんか」と説教したことである(本人談)。しかし、番組の取り組み方は並外れたものとも言え、やる気のないスタッフを自宅マンションから投げ落とそうとしたくらいであった。


放送当時、たかじんは朝日放送から自転車で3分程度のところに住んでおり、放送5分前に家を出てそのまま番組に臨んでいたという。逆に放送終了後はいつまでも帰らずに局内に残っていた。


1991年に長崎県島原市の普賢岳の大噴火をたかじんが独自取材し、被害者の窮状・風評被害による雲仙旅館の窮状・国の怠慢・鐘ヶ江管一市長のコメントなどを1時間通して放送した。この放送は多方面で大きな話題となった。なおこの当時、番組は長崎県(長崎文化放送)では放送されていなかった。しかし、広島には放送されており、偶然広島に在住の鐘ヶ江市長の親戚が放送を観ていて、慌てて鐘ヶ江市長に電話を入れたという。



オープニングテーマ


  • 晴れときどきTAKAJIN (作詞・作曲:鹿紋太郎、歌:やしきたかじん)

    • このテーマ曲がこの番組の名物となる。

    • ※1990年5月に発売されたシングルCD「なめとんか」のカップリング曲として収録されているが、放送で流れている編曲とは異なる。CD版の編曲は若草恵。




主な出演者




  • やしきたかじん(総合司会


  • 安井ゆたか(アシスタント)


  • 新野新(火・金)


  • 山本晋也(水)


  • 横山ノック(木)

  • 桂べかこ(現:桂南光)(金)


  • 道上洋三(月)


  • 加藤みどり(水)


  • 北野誠(月)


  • 立原啓裕(火)


  • トミーズ雅(金)


  • 亀山房代(金)


  • 伊藤秀志(水)


  • 桂坊枝(火)


  • リリアン(水)


  • 桂きん太郎(火)



スタッフなど



  • 構成作家:吉田清、古川嘉一郎、北野義則、大福

  • キャラクターデザイン:小谷由紀夫

  • 衣装協力:FOR-CLUB by ICHIBANKAN、DONNNA、SHINKO

  • 技術:寺内顕

  • 美術:野田和央、国嶋芳子

  • 制作協力:P.I.S

  • ディレクター:市川寿憲、株柳真司、ほか

  • プロデューサー:岡村道範、吉村誠

  • 制作著作:ABC



脚注


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  1. ^ 角岡伸彦『ゆめいらんかね やしきたかじん伝』小学館、2014年、94頁。ISBN 978-4-09-389752-5


  2. ^ 後に「こんにちは2時」のネットに切り替えた。


  3. ^ 番組末期には共演者から東京進出についての話題を振られることが多かった。なおこの東京進出は、後にたかじんの「東京嫌い」を決定づけることになる。


  4. ^ ただし、朝日放送社内、あるいは朝日放送関連人物とは関係の深い者もいる。後に社長を務めた西村嘉郎(現在は常勤特別顧問)との個人的な付き合いは続き、宮根誠司がフリーになったことも、たかじんが西村に直談判したことがきっかけだった。また、朝日放送の顧問を務める山内久司もたかじんの冠番組に出演したことがあり、元アナウンサーの林伸一郎(現在は監査役会事務局事務長)とは龍谷大学時代・放送部の同期で現在も親交があり、2003年に放送された『たかじんONE MAN』のコーナー「対面ショー」で局の垣根を越えて久々に共演したことがあった。





















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