福岡県立小倉高等学校
| 福岡県立小倉高等学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 | 福岡県立小倉中学校 福岡県小倉中学校 福岡県立小倉北高等学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校(県立) |
| 設置者 | |
| 学区 | 福岡県第二学区 |
| 校訓 | 勉学・創造・規律・勤労・敬愛 |
| 設立年月日 | 1908年(明治41年)5月22日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 学期 | 3学期制 |
| 高校コード | 40115D |
| 所在地 | 〒803-0828 |
福岡県北九州市小倉北区愛宕二丁目8番1号 | |
| 外部リンク | 公式ウェブサイト |
福岡県立小倉高等学校(ふくおかけんりつ こくらこうとうがっこう、Fukuoka Prefectural Kokura High School)は、福岡県北九州市小倉北区愛宕二丁目にある県立高等学校。全日制普通科。略称は「倉高」(くらこう)[1]、「小倉」(こくら)。スーパーサイエンスハイスクール (SSH)、ふくおかスーパーハイスクール (FSH) 指定校。
目次
1 概要
2 制服
3 象徴
4 沿革
4.1 前史
4.2 正史
5 学校行事
6 部活動
7 進路
8 その他
9 アクセス
10 周辺
11 著名な出身者
11.1 学界・文化人
11.2 政・官界・軍人
11.3 経済界
11.4 芸能・メディア
11.5 スポーツ
12 脚注
13 関連項目
14 外部リンク
概要
福岡県第二学区(北九州市門司区、小倉北区、小倉南区、戸畑区)。
授業は、平日は50×6又は7コマの正課授業に加え朝講習と呼ばれる課外授業が7時30分から行われている。かつては土曜日に土曜講座として50分×4コマの授業が行われていたが、現在は廃止されている。
九州大学をはじめとした地元の国公立大学を目指す学生が多いのが特徴であるが、東京大学や京都大学、私立の早慶といった他の地方の名門大学へも、毎年一定数の合格者を輩出している。
映画「無法松の一生」の原作「富島松五郎伝」の中では、主人公無法松が可愛がる吉岡大尉の遺児のぼんぼん(小倉中学から五高・東大へ進学)の母校として登場、松本清張の名作「菊枕」(同題材は、田辺聖子の「花衣ぬぐやまつわる」―わが愛の杉田久女―でも取り上げられている)では、主人公の夫が美術教師として勤務していたのが小倉中学である。
制服
- 男子
旧制中学校を前身とする全国の公立高校のなかでも、旧制時代の制服・制帽の伝統が最もよく維持された学校である。冬季は、標準型の黒の学生服。だが、合服として着用されるグレーの霜降学生服こそ、別名「霜降り小倉」と言われるほど著名な地元の小倉織の生地で、他校にない小倉高校の特色をよく表現している。いずれにおいても、自分から見て右襟にローマ数字の学年章、左襟に数字の組章を、金色の大きな衿文字バッジで装着する。校章バッジはつけない。夏季は、両胸ポケットの開襟シャツに合服と同じグレーのズボンで、学年章と組章はフェルトにつけて、胸章として開襟シャツの左胸につける。また、白線一本を巻いた黒色の制帽をかぶることが、義務付けられている。制鞄があり、旧制中学時代と同じ、白い帆布製肩掛け鞄である。
伝統を堅持しているとはいえ、機能的に不都合な点については、2012年度より小規模な変更がなされた。例えば、体操着を風呂敷に包んでくるという校則が廃止された。布製のため雨天には中身が濡れやすかった制鞄は、蓋に防水加工が施された。また、伝統型の詰襟ではカラーを外し黒襟のバンカラ的着こなしがあとを絶たなかったことと、硬いカラーが窮屈感を増し襟のホックを外す誘因になっていたことから、冬服。合服共に、カラーを廃止して襟に白線を縫いつけたラウンドカラーに変更、合服は襟のサイズを緩くし、同時に、襟ホックを常時留める指導が強化された。
- 女子
冬季は、紺色のダブルのスーツ型、下にはブラウスを着用。ネクタイやリボンの類はなく、ブラウスの第一ボタンを常にかけて着用しなければならない。スカートは膝下10cm、束ねていない長髪は禁止、前髪は眉上。上着の自分から見て左下に、校章、学年章、クラス章という3つのバッジをフェルトに付けた胸章を装着する。夏服は、冬服と似た型で白色。スカートは男子の合服と同じグレー。胸章を、冬服と同じ位置に装着する。制鞄は、手持ち式の伝統的な型の学生鞄である。
象徴
校訓 - 「勉学・創造・規律・勤労・敬愛」
校是 - 「文武両道」「質実剛健」
校章 - 小倉藩主であった小笠原氏の家紋の三階菱の中に「小中高大」の文字が入っている。旧制小倉中学の校章(「小中(小倉中学)は大なり」と読む)に高を加えたもの。
校歌 - 作詞は元永辰夫、作曲は大塚淳。3番まであり、校名は歌詞に登場しない。逍遥歌(作詞:山口憲雄、作曲:宮崎昇)もある。
同窓会 - 「明陵同窓会」と称する。関東などに支部を置く。
沿革
小倉藩は幕末に長州戦争で破れ、藩庁・藩校を豊津(現・みやこ町)に移転したことから、小倉藩校の直系は、旧制豊津中学(現・福岡県立育徳館高等学校)であり、その小倉分校が小倉中学(第一次)であった。しかしながら、下記沿革にあるとおり、小倉中学(第一次)は1887年(明治20年)に廃止されている。その後、小倉市民の20年余に亘る復活運動を経て、1908年(明治41年)、福岡県立小倉中学校として再興された。なお、現在の小倉高校では、明治41年を開校の年としている。2008年(平成20年)に創立100周年を迎えた。
前史
1758年(宝暦8年)5月1日 - 小倉藩主小笠原忠総により、藩校思永斎が開校する。- その後、思永館と改称、小倉城内(現北九州市立思永中学所在地)に学館を興す。
1866年(慶応2年) - 長州征伐(小倉戦争)にて長州藩に敗れ、小倉城と共に思永館焼失 。- 藩庁豊津移転に伴い、豊津藩となり、藩校も文武館→育徳館→育徳学校と改称する。
1874年(明治7年) - 豊津・育徳学校は閉校、第35番中学育徳学校として再興される。
1879年(明治12年)9月9日 - 県立となり豊津中学校と改称する。
1882年(明治15年)8月23日 - 県立豊津中学校小倉分校を「小倉中学校」と改称。
1887年(明治20年)3月31日 - 中学校令改正により「小倉中学校」(第一次)廃校。
正史
1908年(明治41年)
3月18日 - 同年4月から開校することを認可される[2]。
5月22日 - 「福岡県立小倉中学校」として開校式を迎える。
1925年(大正14年)4月1日 - 県令により福岡県立小倉中学校を「福岡県小倉中学校」と改称。
1842年(昭和18年)4月1日 - 福岡県企救中学校(夜間中学校)を併置。
1948年(昭和23年)4月1日 - 学制改革により、「福岡県立小倉高等学校」(男子校)となる。
1949年(昭和24年)
- 4月1日 - 学制改革により男女共学を実施。「福岡県立小倉北高等学校」と改称(OB・市民の大反対により1年で旧名称に復す)
5月19日 - 昭和天皇、九州御巡幸、本校運動場が小倉市(現在の北九州市小倉北区および小倉南区)奉迎場となる。
1950年(昭和25年)5月1日 - 旧小倉商業高校を県立移管の上、本校に統合し、商業科とする。
1957年(昭和32年)5月 - 逍遙歌発表。
1960年(昭和35年)4月1日 - 商業科を福岡県立小倉商業高等学校として分離。
1964年(昭和39年)11月30日 - 講堂落成式。
1968年(昭和43年)5月23日 - 60周年記念応援歌発表。
1985年(昭和60年)3月31日 - 定時制課程閉校。
1998年(平成10年)4月1日 - 65分授業開始。
2005年(平成17年)4月1日 - スーパーサイエンスハイスクールに指定。
2006年(平成18年)4月1日 - ふくおかスーパーハイスクールに指定。
2007年(平成19年)4月1日 - 第二学区・第三学区が統合、門司区が校区に加わる。
2008年(平成20年)- 創立百周年記念。明陵会館の建築(明陵学院の建て替え)。
2014年(平成26年)- 新南校舎完成。
2016年(平成28年)- 新北校舎完成。
学校行事
3学期制をとる。
1学期
- 4月 - 入学式、始業式、対面式、応援練習、自律と協働の体験学習
- 5月 - 開校記念式典、文化祭、中間考査、PTA総会
- 6月 - 小倉・東筑定期野球大会、期末考査
- 7月 - 生徒会役員選挙、夏期クラスマッチ、終業式
- 8月 - SSH体験学習、除草作業
2学期
- 9月 - 始業式、体育大会、中間考査
- 10月 - 学校開放説明会
- 11月 - 芸術鑑賞教室、期末考査
- 12月 - 文化部発表会、終業式
3学期
- 1月 - 始業式、修学旅行、寒中鍛錬
- 2月 - 学年末考査
- 3月 - 卒業式、冬季クラスマッチ、修了式
部活動
「文(=勉学)武(=課外活動)両道」の校是のもと、運動部文化部を問わず部活動が盛んである。
野球部は、上述のとおり1947年の第29回全国中等学校優勝野球大会で旧制小倉中学として、翌1948年の第30回全国高等学校野球選手権大会で新制小倉高校としてそれぞれ優勝、連覇を達成している。これを受け、第90回全国高等学校野球選手権記念大会では主将が始球式を行った。
ラグビー部は、山田章仁を擁した2003年に福岡県大会で優勝する(東福岡高校との同時優勝、全国大会へはトライ数の差で出場できず)など県内有数の強豪である。
かつて存在した定時制課程の庭球部は 1980年(昭和55年)8月10日に全国大会で優勝している。
- 運動部
陸上部
テニス部
ラグビー部
柔道部
バレーボール部
弓道部
野球部
- 旧制小倉中学
1919年(大正8年)8月9日 - 第5回全国中等学校優勝野球大会初出場(鳴尾球場で開催)
1947年(昭和22年)
4月7日 - 野球部第19回選抜中等学校野球大会準優勝。
8月19日 - 野球部第29回全国中等学校優勝野球大会優勝(初めて優勝旗が関門海峡を渡る)。
- 小倉高校
- 1948年(昭和23年)8月20日 - 第30回全国高等学校野球選手権大会で二連覇。
- 1954年(昭和29年)4月7日 - 野球部第26回選抜高等学校野球大会準優勝。
水泳部
剣道部
サッカー部
卓球部
バスケットボール部
バドミントン部- 應援團
- 文化部
文芸部
演劇部
新聞部- SS環境科学部
- SS生命科学部
- SS数学部
美術部
音楽部
書道部
将棋部
写真部
考古学部
ESS (English Speaking Society)
吹奏楽部
パソコン部
インターアクト部
華道部
囲碁部
茶道部
放送部
ディベート部
進路
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以前は難関国立大学への現役合格志向が強く、九州大学への進学者が7、80人程度と特に多かったが、2000年代以降は生徒の意志を尊重した進路指導が行われていて(倉高ONLY ONE計画)、その数は減った。代わりに県内の他の進学校と比べて、東京大学、京都大学、大阪大学、その他有名私大を中心とした、関東・関西地区の難関大への進学者数が多い傾向にある[3]。朝課外および土曜講座が実施され、放課後には希望者を対象とした志望大学別の明陵講習も1講座あたり300円で行われている。2005年のSSH指定後、物理・化学・生物のI・IIの枠を外して学校設定科目を新設し、さらに医療系を目指す生徒向けに理科3科目を履修するコースが設置された。文系は、地歴・公民2科目の受験にも対応している。
その他
乃木門
- グラウンドの西側(板櫃川の方向)の端に、小高い築山が設けられており、ここに乃木門という門柱が保存してある。この門は大正時代、旧制中学校第三代校長、波多野が陸軍大将・乃木希典の精神にちなみ、学校の裏門として建立したもの[4]。
アクセス
JR西小倉駅下車、徒歩15分
西鉄バス北九州 小倉高校下バス停下車、徒歩すぐ
周辺
マックスバリュ小倉愛宕店
ザ・ダイソーマックスバリュ小倉愛宕店
資さんうどん大門店
サンキュードラッグ小倉愛宕薬局
九州電力大門変電所
西鉄観光バス北九州支店
著名な出身者
学界・文化人
池高聖 - 学校法人徳山教育財団(徳山大学)理事長
一条真也 - 作家、第2回「孔子文化賞」受賞
今西祐一郎 - 国文学研究資料館館長・九州大学名誉教授
大久保英雄 - 医学者、元九州大学准教授、医学博士、元北九州市立医療センター総括副院長(高5期)
川原尚行 - NPO法人ロシナンテス代表
志村正道 - 東京工業大学名誉教授、東京都市大学名誉教授
宗左近 - 詩人・評論家・仏文学者
高久史麿 - 日本医学会会長、前自治医科大学学長、東京大学名誉教授
滝野正二郎 - 山口大学准教授
忽那賢志 - 医師、国立国際医療研究センター医(高49期)
中島三千男 - 神奈川大学学長
中村太地 - ヴァイオリニスト
西垣克 - 保健学者、静岡県立大学学長
延吉正清 - 小倉記念病院院長、京都大学医学部循環器内科臨床教授、日本における心臓カテーテル治療の第一人者
八田達夫 - 経済学者、アジア成長研究所所長、経済同友会政策分析センター所長
火野葦平 - 小説家(中特12期)
平出隆 - 詩人・文芸評論家
藤田哲也 - 気象学者、シカゴ大学教授、竜巻研究の世界的権威(中27期)
堀尾輝久 - 教育学者、東京大学名誉教授
向坂逸郎 - マルクス経済学者、九州大学教授
わたせせいぞう - 漫画家、イラストレーター(高15期)
政・官界・軍人
板倉光馬 - 海軍軍人。海軍兵学校61期卒。海軍少佐、回天特攻隊参謀兼指揮官
大渕敏和 - 裁判官、最高裁判所調査官、東京高裁判事、東電OL殺人事件一審無罪判決裁判長
熊谷憲一 - 大政翼賛会総務局長。北海道長官。
自見庄三郎 - 国民新党参議院議員 元郵政大臣
武田良太 - 自民党衆議院議員
仁比聡平 - 日本共産党参議院議員
弘友和夫 - 公明党参議院議員、元衆議院議員。元環境副大臣。
前田正博 - 日銀政策委員、元通商産業省通商政策局次長
毛里英於菟 - 企画院・大蔵省官僚、内閣調査官 / 革新官僚を代表する一人
門司健次郎 - 外務省官僚、文化交流部長、防衛参事官、特命全権大使カタール国駐箚
経済界
白川方明 - 日本銀行第30代総裁、京都大学大学院前教授
福地茂雄 - 日本放送協会会長、アサヒビール元社長・会長(高5期・商)
村井勉 - JR西日本初代会長、アサヒビール元社長・会長
吉田秀雄 - 電通4代目社長 「鬼十訓」で知られる(中特10期)
正野寛治 - 三菱化学元社長、化学工学会元会長、石油化学工業協会元会長
鎌田迪貞 - 九州電力元会長、九州経済連合会元会長
佐藤義雄 - 住友生命保険元社長、経済同友会副代表幹事
入江伸明 - アステック入江元社長・会長、北九州商工会議所元副会頭、西日本工業大学元理事長
田中浩二 - 九州旅客鉄道第4代社長
阿部孝博 - ダイショー取締役社長
松尾憲治 - 明治安田生命保険元社長、生命保険協会元会長- 堀秀充 - YKK AP代表取締役社長
芸能・メディア
上田早苗 - NHKチーフアナウンサー(高34期
緒方昭一 - フリーアナウンサー
佐々木紀彦 - NewsPicks編集長
佐々木正洋 - 元テレビ朝日アナウンサー(高25期)
杉山邦博 - 元NHKアナウンサー、相撲評論家(中36期、高1期)
田中千寿江 - 元テレビ西日本アナウンサー
トコ - コラムニスト、ローカルタレント
山崎萌絵 - 九州朝日放送(KBC)アナウンサー
浜崎日香里 - テレビ西日本アナウンサー
藤原誠 - 歌手
桝田沙也香-テレビ朝日アナウンサー
宮本隆治 - 元NHKアナウンサー(高21期)
元村有希子 - 毎日新聞科学環境部記者 TVコメンテーター(高37期)
森田順平 - 声優、俳優(高25期)
柳亭燕路 - 7代目、柳家小三治門下、真打
スポーツ
有町昌昭 - 元プロ野球選手
石田泰三 - 元プロ野球選手
木谷良平 - 元プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
楠城徹 - 元プロ野球選手(高22期)、九州国際大付高野球部監督
楠城祐介 - 元プロ野球選手(東京ヤクルトスワローズ)
末吉俊信 - 元プロ野球選手
畑隆幸 - 元プロ野球選手
福嶋一雄 - 第29回、第30回全国高等学校野球選手権大会優勝投手、2013年野球殿堂特別表彰
原勝彦 - 元プロ野球選手
安田猛 - 元プロ野球選手(高18期)
荒牧佑輔 - ラグビー選手
石橋拓也 - ラグビー選手
瓜生靖治 - ラグビー選手
小川優輔 - ラグビー選手
児玉健太郎 - ラグビー選手
高野祥太 - ラグビー選手
秦啓祐 - ラグビー選手
山田章仁 - ラグビー選手
安河内剛 - JBC日本ボクシングコミッション事務局長
脚注
^ 『逍遥歌』では本校の生徒を指して「倉高健児」と謳っている
^ 明治41年3月18日付官報(第7415号) 文部省告示第九十号
^ 進学実績 - 小倉高等学校ウェブサイト
^ 乃木門 - 小倉高等学校ウェブサイト
関連項目
- 福岡県高等学校一覧
- 旧制中学校
外部リンク
- 福岡県立小倉高等学校
- 明陵同窓会公式サイト
部活動実績 | |||||||||||||||||||||||||
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