日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約


































日米安全保障条約

Japan US Treaty of Mutual Security and Cooperation 19 January 1960.jpg

外務省外交史料館で展示されている署名

通称・略称
日米安保条約
日米安全保障条約
署名
1960年(昭和35年)1月19日(ワシントン)
効力発生
1960年(昭和35年)6月23日
条約番号
条約第6号
言語
日本語、英語
主な内容
日本とアメリカ合衆国の安全保障について

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日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(にほんこくとアメリカがっしゅうこくとのあいだのそうごきょうりょくおよびあんぜんほしょうじょうやく、英:Treaty of Mutual Cooperation and Security between the United States and Japan、昭和35年条約第6号)は、日本国とアメリカ合衆国の安全保障のため、日本本土にアメリカ軍(在日米軍)が駐留することなどを定めた二国間条約のことである。1960年(昭和35年)1月19日に、ワシントンD.C.で締結された。いわゆる日米同盟(にちべいどうめい)の根幹を成す条約であり、条約には「日米地位協定」が付属している。ただし、日本において日米関係を「同盟」と表現するのが一般化したのは、ようやく1980年代になってからのことである。


形式的には1951年(昭和26年)に署名され翌1952年(昭和27年)に発効した旧安保条約を失効させ、新たな条約として締約批准されたが、実質的には安保条約の改定とみなされている。この条約に基づき、在日米軍としてアメリカ軍の日本駐留を引き続き認めた。60年安保条約、新安保条約(しんあんぽじょうやく)などともいわれる。新・旧条約を特段区別しない場合の通称は日米安全保障条約(にちべいあんぜんほしょうじょうやく)、日米安保条約(にちべいあんぽじょうやく)。




目次






  • 1 概要


  • 2 条文


  • 3 安保条約の本質、諸解釈など


    • 3.1 日米安全保障条約の本質の変化


    • 3.2 日本抑止論


    • 3.3 第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈


      • 3.3.1 条文




    • 3.4 米国下院で「日本側に有利過ぎる」と批判された日米安保条約


    • 3.5 米軍が日本に駐留し続ける事の意義


    • 3.6 米国の核の傘を否定する発言


      • 3.6.1 日本側の「核の傘」に対する疑問






  • 4 日本国内の認識


    • 4.1 沖縄県


    • 4.2 識者


    • 4.3 世論調査


    • 4.4 集団的自衛権との関係




  • 5 脚注


  • 6 関連文献


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





概要



1951年(昭和26年)9月8日、アメリカ合衆国を始めとする第二次世界大戦の連合国側49ヶ国との間で日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結された。この際、同条約第6条(a)但書[1]に基づき、同時に締約された条約が旧日米安全保障条約であり、この条約に基づき、GHQ麾下部隊のうちアメリカ軍部隊は在日米軍となり、他の連合国軍(主にイギリス軍)部隊は撤収した。


旧条約は日本の自主防衛力が除去された戦後占領期の社会情勢を前提に、日本政府が米軍の駐留を希望する[2]という形式をとるものであり、また米国の「駐留権」[3]にもとづく片務的な性格を持つ条約であった[4]


この旧安保条約に代わるものとして日本の岸信介首相とアメリカのドワイト・D・アイゼンハワー大統領との間で新安保条約が署名され(1960年(昭和35年)1月19日)、同年6月23日に発効した。新条約では集団的自衛権を前提とした(形式としては)双務的体裁を採用しており、日米双方が日本および極東の平和と安定に協力することを規定した。


新安保条約はその期限を10年とし、以後は締結国からの1年前の予告により一方的に破棄出来ると定めた。当条約は締結後10年が経過した1970年(昭和45年)以後も破棄されておらず、現在も効力を有している。


新安保条約は、同時に締結された日米地位協定によりその細目を規定している。日米地位協定では日本がアメリカ軍に施設や地域を提供する具体的な方法を定めるほか、その施設内での特権や税金の免除、兵士・軍属などへの裁判権などを定めている。



条文



前文
条約を締結することの意義について説明する。個別的及び集団的自衛権についても言及。


第1条

国際連合憲章の武力不行使の原則を確認し、この条約が純粋に防衛的性格のものであることを宣明する。


第2条

自由主義を護持し、日米両国が諸分野において協力することを規定する。


第3条
日米双方が、憲法の定めに従い、各自の防衛能力を維持発展させることを規定する。


第4条
(イ)日米安保条約の実施に関して必要ある場合及び(ロ)我が国の安全又は極東の平和及び安全に対する脅威が生じた場合には、日米双方が随時協議する旨を定める。この協議の場として設定される安全保障協議委員会[5]の他、通常の外交ルートも用いて、随時協議される。


第5条
両国の日本における、(日米)いずれか一方に対する攻撃が自国の平和及び安全を危うくするものであるという位置づけを確認し、憲法や手続きに従い共通の危険に対処するように行動することを宣言している。


第6条

在日米軍について定める。細目は日米地位協定に規定される。


第7条、第8条、第9条
他の規定との効力関係、発効条件などを定める。


第10条
当初の10年の有効期間(固定期間)が経過した後は、1年前に予告することにより、一方的に廃棄できる旨を規定する。いわゆる自動延長方式の規定であり、この破棄予告が出されない限り条約は存続する。




安保条約の本質、諸解釈など







日米安全保障条約の本質の変化






日米安全保障条約は時代と共に本質を変化させて来た。


旧安保条約が締結された当時、日本の独自防衛力は事実上の空白状態であり(警察予備隊の創設が1950年(昭和25年)秋)、一方ですでに前年の1950年(昭和25年)に朝鮮戦争が勃発しており在日米軍は朝鮮半島に出撃しており、アメリカは出撃拠点ともなる後方基地の安全と補給の確保を喫緊の課題としていた。日本側の思惑としては独自の防衛力を再建するための時間的猶予がいまだ必要であり、また戦争により破壊された日本の国力が正常な状態に復活するまで安全保障に必要な大半をアメリカに委ねることで経済負担を極力抑え、経済復興から経済成長へと注力するのが狙いであった[6]。1953年(昭和28年)7月に朝鮮戦争が停戦した後もひきつづき冷戦構造のもとで、日本は韓国・中華民国(台湾)と共に、陸軍長官ケネス・クレイボーン・ロイヤルの唱えた「封じ込め政策」に基づく反共主義の砦、防波堤として、ソ連・中華人民共和国・北朝鮮に対峙していた。


1950年代後期になると、日本経済は朝鮮戦争特需から1955年(昭和30年)の神武景気に入り、1955年(昭和30年)の主要経済指標は戦前期の水準を回復して復興期を脱した。経済白書は「もはや戦後ではない」と述べ、高度経済成長への移行が始まった。政治体制においても自由党と民主党が合併し自由民主党に、右派と左派が合併した日本社会党が設立され、いわゆる「55年体制」が成立し安定期に入った。そして1959年、日本が戦後初めて発行した外債は合衆国の金融市場が引受けた。一方で、1954年(昭和29年)から1958年(昭和33年)にかけて中華人民共和国と中華民国(台湾)の間で台湾海峡危機が起こり、軍事的緊張が高まった。また、アメリカ政府が支援して成立したゴ・ディン・ジエム大統領独裁体制下の南ベトナムでは後のベトナム戦争の兆しが現れていた。


こうした日米が置かれた状況の変化を受けて締結されたのが新安保条約である。当条約の締結前夜には反対運動が展開された(安保闘争)。


新安保条約は1970年(昭和45年)をもって当初10年の固定期間が満了となり、単年毎の自動更新期に突入したが、東西冷戦構造の下で条約は自動的に更新され続けた。一方、その意義づけは、1978年以降「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)と、その改定の形で示され、実質的に対ソ・対朝鮮有事・対中軍事条約へと性質を変えていった。


1979年(昭和54年)5月に訪米した大平正芳首相は、日本の首相として初めて米国を「同盟国」と表現した[7]。しかし、後任の鈴木善幸首相は、1981年(昭和54年)の訪米時のレーガン大統領との日米共同声明に初めて「同盟」という表現が入ったことについて、帰国後「軍事的意味合いは持っていない」として、外務事務次官が異なる説明をすると激怒し、伊東正義外相が事実上これに抗議して辞任している[8]。日米「同盟」という言葉が市民権を得たのは、1983年の中曽根康弘首相による訪米時の共同宣言からとされる[8]


1991年(平成3年)のソ連崩壊により冷戦は終結したが、ソ連崩壊後の極東アジアの不安定化や北朝鮮の脅威、中台関係の不安定さや中国の軍事力増強など、日本および周辺地域の平和への脅威に共同対処するため引き続き条約は継続している。日本政府は、基本的価値や戦略的利益を共有する国がアメリカであるとし、日米安保は日本外交の基軸であり極東アジアの安定と発展に寄与するものとしている[9]。一方で日米双方において、当条約の有効性や歴史的存在意義についての多くの議論がおこなわれるようになっている。


2004年(平成16年)度の日本防衛白書では初めて中華人民共和国の軍事力に対する警戒感を明記し、また米国の安全保障に関する議論でも、日本の対中警戒感に同調する動きが見られ、2005年(平成17年)、ジョージ・W・ブッシュ米大統領の外交に大きな影響を持つコンドリーザ・ライス国家安全保障問題担当大統領補佐官が中国に対する警戒感をにじませる発言をし、日米安全保障条約の本質は対中軍事同盟・トルコ以東地域への軍事的存在感維持の為の物へと変化して来ている。


2010年(平成22年)1月19日、バラク・オバマ米大統領は、日米安保条約改定の署名50周年に際して声明を発表した[10]。声明では、「共通の課題に対して両国が協力することは、われわれが世界に関与する上での重要な一部となる」として、日米安保を基盤として両国の世界規模での協力の必要性を強調した。また「日本の安全保障に対する米国の関与は揺るぎない」として、「同盟を21世紀向けに更新し、両国を結束させる友好関係と共通の目的を高めよう」と呼びかけていた。また、安保改定50年にあたり日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明を出している。[11]



日本抑止論


1971年(昭和46年)7月、中国を訪問したヘンリー・キッシンジャーとの会談で、周恩来首相が日本には「拡張主義的傾向がある」と指摘したのに対し、キッシンジャーは同意して日米安保関係がそれを防いでいる、と述べた。これは現在の記録で確認できる、米中首脳が最初に日米安保「瓶の蓋」論を共有した瞬間とされる[12]


1990年(平成2年)3月、在沖縄米海兵隊司令官ヘンリー・スタックポール(Henry C. Stackpole, III)少将は「米軍が日本から撤退すれば、すでに強力な軍事力を日本はさらに増強するだろう。我々は 『瓶のふた』 のようなものだ」と発言し、日本を抑止する必要があるとの見解を示した[13]


1999年(平成11年)のアメリカの世論調査では、条約の目的は何かという質問への回答が、「日本の軍事大国化防止」49%、「日本防衛」12%となった[14]



第5条共同対処宣言(義務)に関する解釈


この条約の第5条には日米両国の「共同対処」宣言を記述しており、この条文が「アメリカの対日防衛義務」を規定している。日本の施政下においては、日本はもちろん「在日米軍に対する武力攻撃」であっても」「日米が共同して対処すること」となる[15]。この際、日本はあくまで「日本への攻撃」に対処すると考えるられるため、日米安保に基づいた行動を行う場合も集団的自衛権ではなく自国を守るための個別的自衛権の行使に留まるとの解釈が過去になされた[16]


また第5条では「日本の施政下の領域における日米どちらかへの攻撃」についてのみ述べられており、在日米軍基地や在日米国施設等は含まれていない。しかし、日本の領土や領空を侵害せずにこれらに対する攻撃を行うことは不可能であるため、米国施設に対する攻撃であっても日本への攻撃と同等とみなして同様に対処を行う[17]。その他に、日本を防衛するために活動を行っている米艦艇に関しても、第98回国会の衆議院予算委員会にて谷川防衛庁長官(当時)が「(前略)米艦艇が相手国から攻撃を受けたときに、自衛隊がわが国を防衛するための共同対処行動の一環としてその攻撃を排除することは、わが国に対する武力攻撃からわが国を防衛するための必要な限度内と認められる以上、これはわが国の自衛の範囲内に入るであろう」と答弁しており[18]、自衛隊による防護が可能となっている。


2012年(平成24年)11月29日、米上院連邦議会は本会議で、尖閣諸島問題を念頭に日本の施政権についての米国の立場について「第三国の一方的な行動により影響を受けない」「日米安保条約第5条に基づく責任を再確認する」と宣言する条項を国防権限法案に追加する修正案を全会一致で可決した[19][20]


2013年(平成25年)1月2日、前月20日米下院、翌21日米上院連邦議会で可決された尖閣諸島が日米安全保障条約第5条の適用対象であることを明記した条文を盛り込んだ「2013年会計年度国防権限法案」にバラク・オバマ大統領が署名し法案が成立した。尖閣諸島の条文には「武力による威嚇や武力行使」問題解決を図ることに反対するとしている[21][22]



条文



ARTICLE NO.5

Each Party recognizes that an armed attack against either Party in the territories under the administration of Japan would be dangerous to its own peace and security and declares that it would act to meet the common danger in accordance with its constitutional provisions and processes.

第5条

各締約国は、日本国の施政の下にある領域における、いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和及び安全を危うくするものであることを認め、自国の憲法上の規定及び手続に従つて共通の危機に対処するように行動することを宣言する。



米国下院で「日本側に有利過ぎる」と批判された日米安保条約










一方で、米国側からの「日本に有利すぎる」といった批判がある。


日米地位協定第24条において、米軍の維持経費は「日本国に負担をかけないで合衆国が負担する」と規定されている。旧ソ連(現在のほぼ独立国家共同体構成国、主にロシアに相当)を主な脅威としていた日米安全保障の本質は冷戦終結と共に変化しているが、条約部分に決定的な変化は無い。また日米安全保障条約は、日本側が正常な軍事力を持つまで……として締結された経緯もあり、アメリカ側には日本を防衛する事を必要とされるが、日本側は必ずしもアメリカを防衛することは必要では無い状態になっている。これは日本側の憲法解釈(政府見解)上の制約で、個別的自衛権の行使は日米両国共に可能だが、集団的自衛権の場合は日本は憲法に抵触する恐れがあるという政策を採っている。抵触するかどうかについては議論が続いており、結論は出ていない。この事実を日本の二重保険外交と解釈し、日本はアメリカに対する防衛責務を負っていないのに、アメリカから防衛されている状態ではアメリカの潜在的敵国と軍事的協調をとれる余地を残している、との批判が米議会にあったことも事実である。また、アメリカ側は日本に対して集団的自衛権を行使出来ると明言しており、費用面からも、軍事的負担がアメリカ側に多いと、日米安全保障条約はアメリカで時として非難される。


だが実際のところ、日米安全保障条約の信頼を失墜させるほどの行為は日米両国共にとっていないので、こう言った批判は、やはり米国でも少数派に留まっている。


アメリカの一部には、日本は、自分たちが行動できないミッション(というか、どうやらやりたくないミッション)を、若い米国人兵士に押しつけているとの見方がある[23]



米軍が日本に駐留し続ける事の意義






2008年(平成20年)2月13日、ホワイトハウス報道官デイナ・ペリーノは「米国はどこに居ようとどこに基地を持とうと、それはそれらの国々から招かれてのことだ。世界のどの米軍基地でも撤去を求められているとは承知していない。もし求められれば恐らく我々は撤退するだろう」と述べた(ダナ・ペリノ発言、「恒久的基地は世界のどこにもない」AFP通信電)。


ただし、世界的には、米軍自身が戦略的に必要と考える地域で現地の国民が駐屯に反対した場合には、駐留と引き換えの経済協力を提案し、あるいはパナマ侵攻・グレナダ侵攻や死の部隊の活動などに見られるように、反対勢力には経済制裁や対外工作機関(中央情報局など)による非公然活動(スキャンダル暴露や暗殺など)、場合によっては軍事介入などのさまざまな妨害をちらつかせ、「アメとムチ」を使って駐留を維持するとされるという説もある。またディック・チェイニーは国防長官当時の1992年(平成4年)、議会で「米軍が日本にいるのは、日本を防衛するためではない。米軍が必要とあらば、常に出動できる前方基地として使用できるようにするため。加えて日本は駐留経費の75%を負担してくれる」とまで発言している(思いやり予算)。


日本が米軍の駐留費用を負担する意味があるかとの疑問が日本共産党などから出されている[24]他国では米軍が全て駐留費用を負担し、かつ米軍に制限がかけられている例も数多く存在する(アイスランドなどは逆に駐留費の全額負担を持ちかけた末に拒否され米軍は撤退している)。カタールにおいては米軍はカタール政府の同意がないとカタール国内の米軍基地から物資を持ち出せない。[要出典]



米国の核の傘を否定する発言


米国の核の傘に対する否定的見解が、個人的見解として米国の政治家、学者等から出ている[25]




  • ヘンリー・キッシンジャーは「同盟国に対する核の傘を保証するため自殺行為をするわけはない」と語っている。中央情報局長官を務めた元海軍大将スタンスフィールド・ターナー(英語版)は「もしロシアが日本に核ミサイルを撃ち込んでも、アメリカがロシアに対して核攻撃をかけるはずがない」と断言している。元国務次官補のカール・フォードは「自主的な核抑止力を持たない日本は、もし有事の際、米軍と共に行動していてもニュークリア・ブラックメール(核による脅迫)をかけられた途端、降伏または大幅な譲歩の末停戦に応じなければならない」と述べた[要出典]

  • その他、以下の米国の要人が、米国の核の傘を否定する発言をしている。


    • サミュエル・P・ハンティントン(ハーバード大学比較政治学教授)

    • マーク・カーク(連邦下院軍事委メンバー)


    • ケネス・ウォルツ(国際政治学者、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授)


    • エニ・ファレオマバエガ(下院外交委・アジア太平洋小委員会委員)




上記のように、米国中枢の人間が個人的立場で他国のために核報復は無いと明言しているが、その場合日本にとって核の傘の意味が低下する。


しかしこれらの発言は、全て現職の閣僚・高官時の発言ではなく、要職を退いてからの個人的発言であり、アメリカ政府としては、1965年(昭和40年)にある日米共同声明8項「8.大統領と総理大臣は,日本の安全の確保につきいささかの不安もなからしめることが,アジアの安定と平和の確保に不可欠であるとの確信を新たにした。このような見地から,総理大臣は,日米相互協力及び安全保障条約体制を今後とも堅持することが日本の基本的政策である旨述べ,これに対して,大統領は,米国が外部からのいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛するという同条約に基づく誓約を遵守する決意であることを再確認した。」とあるようにいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛する誓約を遵守する決意を表明しており、1966年(昭和41年)の外務省による「日米安保条約の問題点について(外務省)」でも米国の核抑止力について、「安保条約第五条は,日本が武力攻撃をうけた場合は,日米両国が共通の危険に対処するよう行動することを定めている。ここにいう「武力攻撃」は,核攻撃を含むあらゆる種類の武力攻撃を意味する。このことは,佐藤・ジョンソン共同声明が,米国が外部からの「いかなる武力攻撃」に対しても日本を防衛するという,安保条約に基づく誓約を遵守する決意であると,述べていることによっても確認されている。」とあるように米国政府としてはいかなる武力攻撃に対しても日本を防衛する方針である。このことは、2004年(平成16年)の日本プレス・クラブでの記者会見で、当時国務副長官であるリチャード・アーミテージが「条約は、日本あるいは日本の施政権下にある領土に対するいかなる攻撃も、米国に対する攻撃とみなされることを定めている」と発言したことからも明らかである。また、核の傘の存在を肯定する意見として、ジョセフ・ナイ(ハーバード大学教授、元国務省国務次官補)、ポール・ジアラ(国防総省日本部長)、ジェームス・シュレジンジャー(元国防長官)、キャスパー・ワインバーガー(元国防長官)らの意見が代表例である。



日本側の「核の傘」に対する疑問


西村眞悟衆議院議員は第155回国会内閣委員会第2号(平成14年10月30日(水曜日))において、「アメリカは主要都市に核ミサイルが落ちる危険性を覚悟して日本に核の傘を開くのか」と疑念を述べた。また欧州へ向けられたロシアの核についてのアメリカの「シアター・ミサイル・ディフェンス」という発言を捉え、アメリカ自身が核ミサイルの射程外の場合関係ないというアメリカの意識がにじみ出ていると主張した[26]



日本国内の認識



沖縄県



沖縄県の在日米軍基地が日本の国土面積に占める割合は1割以下だが、在日米軍基地面積の7割以上(ただし自衛隊との共用地を除いた米軍専用地の割合)が沖縄県に集中している事で、本土(沖縄県を除く他の46都道府県全体)と比べて不公平だとする意見や、在日米軍基地の必要性についても疑問視する意見が、沖縄県には多数ある。また、在日米軍基地近隣の騒音問題がある。


2010年(平成22年)5月に、毎日新聞と琉球新報が沖縄県民を対象に行ったアンケートによると、同条約を「平和友好条約に改めるべき」が55%、「破棄すべき」が14%、「維持すべき」は7%だった[27]



識者


時事通信社解説委員の田崎史郎は、2017年2月10日に行われた日米首脳会談のニュースに触れ、中国が領有権を主張する尖閣諸島を巡っては、安倍晋三首相が首脳会談後の記者会見で、日米安保条約5条の適用対象であると首脳間で確認したと説明。トランプ氏が会談でどのように発言したかは不明だが、共同声明に「日米安保条約第5条が尖閣諸島に適用される」と明記したことに対して、日本の防衛において日米安保は無くてはならない条約。日米関係に隙間を空けてはならないと答えた[28]


評論家の大井篤は1960年(昭和35年)の条約改定にあたり、日米安全保障条約のもつ抑止効果を積極的に追求するべきであると結論付けた[4]


元外務省局長の孫崎享は、日米安保は日本の利益を守るためにあるのではなく、存在意義はまったくないと述べている[29]。また孫崎は、集団的自衛権について米国が日本を戦闘に巻き込むのが狙いと述べている。



世論調査


内閣府が2010年(平成22年)1月におこなった世論調査では、同条約が日本の平和と安全に「役立っている」との回答が76.4%、「役立っていない」との回答が16.2%となった。また「日本の安全を守るためにはどのような方法をとるべきだと思うか」との問いには「現状どおり日米の安全保障体制と自衛隊で日本の安全を守る」との回答が77.3%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊だけで日本の安全を守る」が9.9%、「日米安全保障条約をやめて、自衛隊も縮小または廃止する」が4.2%となった[4]



集団的自衛権との関係


従来の日本国憲法第9条解釈と日米安全保障条約では、安保条約第5条で米国に日本防衛で米兵を出してもらう借りで、第6条で日本国内に米軍基地の土地で返す事を1960年の安保条約改定時には、「人(米軍)と物(日本)とのバーターと言われ、安保条約は、5条と6条によって対等な関係とされた。米軍が日本を守るのに、日本の自衛隊は米軍を守れないから集団的自衛権を行使する第2次安倍内閣の憲法新解釈を、民主党の江崎孝参議院議員は2014年6月の参議院決算委員会で「集団的自衛権を容認するなら(従来と比べて日本側にとっては)在日米軍の分だけ負担が重くなる」と基地提供を認める安保条約6条の削除を迫ったが、安倍晋三首相は「条約を変える考えは毛頭ない。」と応えた。[30]



脚注





  1. ^ 第六条(a) 連合国のすべての占領軍は、この条約の効力発生の後なるべくすみやかに、且つ、いかなる場合にもその後九十日以内に、日本国から撤退しなければならない。但し、この規定は、一または二以上の連合国を一方とし、日本国を他方として双方の間に締結された若しくは締結される二国間若しくは多数国間の協定に基く、又はその結果としての外国軍隊の日本国の領域における駐とん又は駐留を妨げるものではない。


  2. ^ 旧条約前文「日本国は、本日連合国との平和条約に署名した。日本国は、武装を解除されているので、平和条約の効力発生の時において固有の自衛権を行使する有効な手段をもたない。無責任な軍国主義がまだ世界から駆逐されていないので、前記の状態にある日本国には危険がある。よつて、日本国は平和条約が日本国とアメリカ合衆国の間に効力を生ずるのと同時に効力を生ずべきアメリカ合衆国との安全保障条約を希望する。平和条約は、日本国が主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章は、すべての国が個別的及び集団的自衛の固有の権利を有することを承認している。これらの権利の行使として、日本国は、その防衛のための暫定措置として、日本国に対する武力攻撃を阻止するため日本国内及びその附近にアメリカ合衆国がその軍隊を維持することを希望する。」


  3. ^ 佐々淳行、参議院憲法調査会(平成15年07月16日)

  4. ^ abc三浦信行「日米安全保障条約改定50周年に寄せて : 第34回国会「日米安全保障条約等特別委員会」公聴会公述人の意見陳述を中心に (PDF) 」 、『国士舘大学政治研究』第2号、国士舘大学政経学部附属政治研究所、2011年3月、 137-192頁、 ISSN 1884-6963。


  5. ^ 日本側の外務大臣と防衛庁長官、米国側の国務長官と国防長官により構成される会合。いわゆる「2プラス2」


  6. ^ ソ連を含まない単独講和と旧安保条約の締結に反対していた松野鶴平に対して、吉田茂は「このご時世、番犬くらい飼ってるだろう?」と持ちかけ、「それがどうした」と返されると、「犬とえさ代は向こう持ちなんだよ」と言ったとされる。


  7. ^ 五百旗頭真 編、中西寛「自律的協調の模索」 『戦後日本外交史[新版]』 有斐閣、185頁、2007年

  8. ^ ab五百旗頭真 編; 村田晃嗣「「国際国家」の使命と苦悩」 (2007). 戦後日本外交史[新版]. 有斐閣、198頁・202頁. 


  9. ^ “外務省: 日米関係 2.日米安全保障関係”. 外務省 (2009年(平成21年)10月). 2013年6月1日閲覧。


  10. ^ “日米安保条約改定50年 オバマ大統領談話全文”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2010年1月20日). オリジナルの2010年1月23日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100123210001/http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20100120-OYT1T00631.htm 2013年6月1日閲覧。 


  11. ^ 野口武則・仙石恭 (2010年1月19日). “安保改定50周年:日米の外務・防衛担当閣僚が共同声明”. 毎日jp (毎日新聞社). オリジナルの2010年1月20日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20100120072039/http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100120k0000m010072000c.html 2013年6月1日閲覧。 


  12. ^ 国分良成、高原明生 (2013). 日中関係史. 有斐閣. 


  13. ^ 等雄一郎「専守防衛論議の現段階――憲法第9条、日米同盟、そして国際安全保障の間に揺れる原則 (PDF) 」 、『レファレンス』第56巻(5)(通号 664)、国立国会図書館調査及び立法考査局、2006年5月、 19-38頁、 ISSN 0034-2912、2013年6月1日閲覧。


  14. ^ 小熊英二 (2004年5月12日). “第9条の歴史的経緯について (PDF)”. 衆議院憲法調査会. 2013年6月1日閲覧。


  15. ^ “日米安全保障条約(主要規定の解説)”. 外務省. 2015年7月15日閲覧。


  16. ^ 佐藤内閣総理大臣 (1968-08-10), 第59回国会 参議院 予算委員会会議録第2号 


  17. ^ 林内閣法制局長官 (1960-02-13), 第34回国会 衆議院 予算委員会議録第9号 


  18. ^ 谷川防衛庁長官 (1983-03-08), 第98回国会 衆議院 予算委員会議録第18号 


  19. ^ ワシントン時事 (2013年1月3日). “尖閣防衛義務を再確認=国防権限法が成立-米”. 時事ドットコム (時事通信社). http://www.jiji.com/jc/zc?k=201301/2013010300169 2013年6月1日閲覧。 


  20. ^ 山口香子 (2012年11月30日). “米上院「尖閣に安保適用」全会一致…中国けん制”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社): p. 2012年12月1日夕刊13S版1面. http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20121130-OYT1T01080.htm 2012年12月1日閲覧。 [リンク切れ]


  21. ^ 読売新聞2012年12月23日13S版2面及び2013年1月4日13S版2面


  22. ^ 共同 (2013年1月3日). “グアム移転費復活に署名 尖閣への安保適用も明記”. MSN産経ニュース (産経新聞). オリジナルの2013年1月3日時点によるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20130103201713/http://sankei.jp.msn.com/world/news/130103/amr13010316200004-n1.htm 2013年6月1日閲覧。 


  23. ^ Yuka Hayashi (2014年7月18日). “自衛隊、米海兵隊にならった水陸両用訓練”. ウォール・ストリート・ジャーナル. http://jp.wsj.com/news/articles/SB10001424052702303768704580036244176990612 2014年8月16日閲覧。 


  24. ^ 日本共産党中央委員会 (2004年10月22日). “参院予算委 市田書記局長の総括質問(大要)”. しんぶん赤旗 (日本共産党). http://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-22/25_01.html 2013年6月1日閲覧。 


  25. ^ 伊藤 (2006)参考。


  26. ^ “第155回国会 内閣委員会 第2号(平成14年10月30日(水曜日))”. 衆議院 (2002年10月30日). 2013年6月1日閲覧。


  27. ^ “「辺野古」反対84% 琉球新報・毎日新聞 県民世論調査”. 琉球新報. (2010年5月31日). http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-162838-storytopic-1.html 2011年6月20日閲覧。 


  28. ^ http://www.tbs.co.jp/hiru-obi/ 2017年2月13日 TBS「ひるおび!」


  29. ^ 環球時報 (2012年7月27日). “日本外務省元局長:日米同盟の存在意義はまったくない_中国網_日本語” (日本語). 中国網日本語版(チャイナネット) (中国網). http://japanese.china.org.cn/jp/txt/2012-07/27/content_26036576_2.htm 2013年6月1日閲覧。 


  30. ^ 2014年8月27日中日新聞朝刊11面




関連文献




  • 伊藤貫 『中国の「核」が世界を制す』 PHP研究所、2006年2月。ISBN 4-569-64868-1。

    • 伊藤貫 『中国の核戦力に日本は屈服する 今こそ日本人に必要な核抑止力』 小学館〈小学館101新書〉、2011年2月。ISBN 978-4-09-825102-5。 - 伊藤 (2006)の改訂版。『正論』2011年2月号に掲載された田母神俊雄との対談を収録。


  • 岡崎久彦 『戦略的思考とは何か』 中央公論社〈中公新書 700〉、1983年8月23日。ISBN 4-12-100700-X。

  • 岡崎久彦、佐藤誠三郎・西村繁樹 『日米同盟と日本の戦略 アメリカを見誤ってはならない』 PHP研究所、1991年8月。ISBN 4-569-53229-2。

  • 草野厚 『日米安保とは何か その成立から新ガイドラインまで』 PHP研究所、1999年11月18日。ISBN 4-569-60889-2。

  • 『日米同盟 米国の戦略』 マイケル・グリーン・パトリック・クローニン 編、川上高司 監訳、勁草書房、1999年9月。ISBN 4-326-30133-3。

  • 『日米同盟の論理』 国際関係研究会 編、日本工業新聞社〈Ohtemachi books〉、1982年1月。ISBN 4-8191-0511-6。


  • 坂元一哉 『日米同盟の絆 安保条約と相互性の模索』 有斐閣、2000年5月。ISBN 4-641-04976-9。 - 第22回(2000年度)サントリー学芸賞(政治・経済部門)受賞。

  • 田久保忠衛 『新しい日米同盟 親米ナショナリズムへの戦略』 PHP研究所〈PHP新書〉、2001年5月15日。ISBN 4-569-61615-1。

  • 豊下楢彦 『安保条約の成立 吉田外交と天皇外交』 岩波書店〈岩波新書 新赤版 478〉、1996年12月20日。ISBN 4-00-430478-4。

  • 『日米同盟Q&A100 全貌をこの1冊で明らかにする』 西原正・土山實男 編、亜紀書房、1998年2月。ISBN 4-7505-9803-8。

  • 『日米同盟再考 知っておきたい100の論点』 平和・安全保障研究所 編、西原正・土山實男 監修、亜紀書房、2010年6月22日。ISBN 978-4-7505-1007-1。

  • 日本国際政治学会 編, 編纂.「日米安保体制 持続と変容」、『国際政治』通号 115、有斐閣(発売)、1997年5月、 ISSN 0454-2215。

  • 孫崎享 『日米同盟の正体 迷走する安全保障』 講談社〈講談社現代新書 1985〉、2009年3月20日。ISBN 978-4-06-287985-9。

  • 室山義正 『日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する』上(平和憲法制定から沖縄返還まで)、有斐閣、1992年2月。ISBN 4-641-04950-5。

  • 室山義正 『日米安保体制 冷戦後の安全保障戦略を構想する』下(ニクソン・ドクトリンから湾岸戦争後まで)、有斐閣、1992年2月。ISBN 4-641-04951-3。

  • 山本皓一 撮影、松本利秋 著 『軍事同盟 日米安保条約』 クレスト社、1996年2月。ISBN 4-87712-036-X。



関連項目





  • 連合国軍占領下の日本 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)

  • 在日米軍

  • 日本国憲法


  • 日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(日米相互防衛援助協定)

  • 日米地位協定

  • 横田空域

  • ソ連脅威論

  • 中国脅威論

  • 冷戦

  • アメリカ帝国

  • 覇権主義

  • 日米安全保障協議委員会

  • 日米合同委員会

  • 日米関係#日米同盟

  • 希望の同盟

  • 日英同盟

  • 平和安全法制


事件


  • 安保闘争

  • 砂川事件




条約・機構



  • 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約 - 1952年(昭和27年)から1960年(昭和35年)まで発効した旧日米安保条約

  • 日本国との平和条約

  • 日米防衛協力のための指針

  • 米韓相互防衛条約

  • 在韓米軍地位協定


  • 台湾関係法(旧米華相互防衛条約)

  • 米比相互防衛条約

  • 太平洋安全保障条約

  • 北大西洋条約機構

  • 中央条約機構

  • ワルシャワ条約機構

  • 安全保障協力に関する日豪共同宣言

  • 日本国とインドとの間の安全保障協力に関する共同宣言

  • 日満議定書














外部リンク




  • 日米安全保障体制 - 外務省


  • 日米同盟:未来のための変革と再編(仮訳) - 外務省


  • 日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(現行安保条約) - 東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室


  • 日米地位協定 - 同上


  • 日米防衛協力のための指針(旧ガイドライン、日米安全保障協議委員会が了承した防衛協力小委員会の報告)、1978年(昭和53年)11月28日閣議了解 - 同上


  • 日米防衛協力のための指針(新ガイドライン)、1997年(平成9年)9月23日 - 同上


  • 日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(旧安保条約) - 同上

  • 安保破棄中央実行委員会










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