能登呂村
能登呂村 | |
---|---|
廃止日 | 1949年6月1日 |
廃止理由 | 国家行政組織法施行 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 樺太地方 |
都道府県 | 樺太庁 豊原支庁 |
郡 | 留多加郡 |
総人口 | 2,415人 (1941年12月1日) |
隣接自治体 | 留多加郡三郷村 本斗郡本斗町、内幌町、好仁村 |
能登呂村役場 | |
所在地 | 樺太庁留多加郡能登呂村雨龍浜 |
特記事項 | 1943年4月1日以降は北海地方に所属。 |
ウィキプロジェクト |
能登呂村(のとろむら)は、日本の領有下において樺太に存在した村(指定町村)。
能登呂という地名は、アイヌ語の「ノツ・オロ」(岬の所)による[1]。
当該地域の領有権に関する詳細は樺太の項目を参照。
目次
1 概要
2 歴史
3 村内の地名
4 地域
4.1 教育
5 脚注
6 関連項目
概要
北海道に最も近い西能登呂岬が存在する村である。沖合いにある二丈岩も能登呂村に属している。
亜庭湾に面し、雨龍浜に役場が存在した。
歴史
1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により行政区画として発足。留多加郡に所属し、大泊支庁留多加出張所が管轄。
1922年(大正11年)10月 - 管轄支庁が留多加支庁に変更。
1924年(大正13年)12月 - 留多加支庁が廃止され、再び大泊支庁の出張所となる。
1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により二級町村となる。
1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が豊原支庁に変更。
1943年(昭和18年)4月1日
- 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。
- 指定町村となる。
1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。
1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日能登呂村廃止。
村内の地名
|
|
([2])
地域
教育
以下の学校一覧は1945年(昭和20年)4月1日現在のもの[3]。
- 樺太公立雨竜国民学校
- 樺太公立菱取国民学校
- 樺太公立泥川国民学校
- 樺太公立古江国民学校
- 樺太公立大吠国民学校
- 樺太公立内砂国民学校
- 樺太公立北孫杖国民学校
- 樺太公立知志谷国民学校
- 樺太公立盛地国民学校
- 西能登呂分教場
脚注
^ 南樺太:概要・地名解・史実 「能登呂村」のページより
^ 南樺太:概要・地名解・史実(西村いわお・著、高速印刷センター内出版部 1994年)より。
^ 北海道立教育研究所『北海道教育史 地方編2』(1957年)p. 1682
関連項目
- 樺太庁の廃止市町村一覧
|