留多加郡





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樺太・留多加郡の位置(1.留多加町 2.三郷村 3.能登呂村)


留多加郡(るうたかぐん)は、日本の領有下において樺太に存在した郡。


以下の1町2村を含んだ。



  • 留多加町

  • 三郷村

  • 能登呂村


当該地域の領有権に関しては樺太の項目を参照。



歴史




  • 1915年(大正4年)6月26日 - 「樺太ノ郡町村編制ニ関スル件」(大正4年勅令第101号)の施行により、留多加町、能登呂村の1町1村をもって発足。大泊支庁留多加出張所が管轄。(1町1村)


  • 1922年(大正11年)10月 - 管轄支庁が留多加支庁に変更。


  • 1923年(大正12年)4月1日 - 留多加町の一部より三郷村が分立。(1町2村)


  • 1924年(大正13年)12月 - 留多加支庁が廃止され、再び大泊支庁留多加出張所の管轄となる。


  • 1929年(昭和4年)7月1日 - 樺太町村制の施行により、留多加町(一級町村)、三郷村能登呂村(二級町村)が発足。(1町2村)


  • 1942年(昭和17年)11月 - 管轄支庁が豊原支庁に変更。


  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 「樺太ニ施行スル法律ノ特例ニ関スル件」(大正9年勅令第124号)が廃止され、内地編入。


  • 1945年(昭和20年)8月22日 - ソビエト連邦により占拠される。


  • 1949年(昭和24年)6月1日 - 国家行政組織法の施行のため法的に樺太庁が廃止。同日留多加郡消滅。






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