フォッジャ・カルチョ
フォッジャ・カルチョ | ||||
---|---|---|---|---|
原語表記 | Foggia Calcio S.r.l. | |||
愛称 | Satanelli | |||
クラブカラー | 赤と黒 | |||
創設年 | 1920年 | |||
所属リーグ | セリエB | |||
所属ディビジョン | 2部 | |||
ホームタウン | フォッジャ | |||
ホームスタジアム | スタディオ・ピーノ・ザッケリア | |||
収容人数 | 25,085 | |||
代表者 | ファビオ・ヴェリーレ | |||
監督 | ジョヴァンニ・ストロッパ | |||
公式サイト | 公式サイト | |||
| ||||
■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ |
フォッジャ・カルチョ(Foggia Calcio)は、イタリア・プッリャ州フォッジャに本拠地を置くサッカークラブチーム。2018-19シーズンはセリエBに所属。
目次
1 歴史
2 タイトル
2.1 国内タイトル
3 記録
4 過去の成績
5 歴代監督
6 歴代所属選手
7 外部リンク
歴史
Sportiva Club Foggiaとして1920年5月に設立。そのすぐ後にUSアトレタとマチステとUSプロ・フォッジャ、そしてスポルティング・クラブ・フォッジャの4クラブが統合してリーグに参加し、1957-58シーズンにはSCフォッジャとフォッジャ・インセディトが統合し新たにSCフォッジャ&インセディト(US Foggia & Incedit)とする。
1961-62シーズンにはドメニコ・ローサ・ローサが新会長として就任しオロンツォ・プリェーゼが監督としてセリエBに昇格する。ローサ・ローサ&プリェーゼの快進撃は止まらず1963-64シーズンにはセリエAへ昇格して3年連続で残留。1965年1月31日にはエレニオ・エッレーラでインテルを3-2と下した。
1966-67シーズンから3シーズン指揮をとったトンマーゾ・マエストレッリは、1973-74シーズンにSSラツィオの監督に就任すると采配が的中しラツィオに史上初のスクデットをもたらしている。
1972-73シーズンでは監督にラウロ・トネアットを招き入れて戦ったが、スポーツ裁判で-6のペナルティを受けてしまった過去もある。70年代でセリエAの舞台に上がれたのは1976-77シーズンと1977-78シーズンの2度。この時の会長はアントニオ・フェシェでエットーレ・プリチェッティが監督を務めていた。
1984年4月24日にはアントニオ・リオーチェ、フラテッリ・パスクアーレ、アニエッロ・カシッロを中心としたフォッジャ人によるロッソネーリ(フォッジャのサポーターグループ)が結成され、USフォッジャの新しい歴史が始まる。1988-1989シーズンはセリエCのジローネBでパレルモと最後まで争いセリエB昇格を決めた。
1989年にズデネク・ゼーマンが監督となったフォッジャは急激に強さを増していく。4-3-3でゾーンのプッレシングがプレーヤーにムーブメントを起こし、セリエAへ返り咲く。1991-92シーズンにはランバウディ-バイアーノ-ジュゼッペ・シニョーリの迫力あるトリオがスペクタクルなサッカーがセリエAで旋風を巻き起こす。後にこの快進撃はゼーマンランディア(ゼーマンの楽園)と呼ばれることとなる。しかし、シニョーリがラツィオへ引き抜かれてから勢いを失い、ズデネク・ゼーマンまでも失ったUSフォッジャはそこから暗黒期に入ることとなった。
パスクアーレ・カシッロが会長職に就きスポーツ・ディレクターにジュゼッペ・パヴォーネを就任させるも主力が抜けたUSフォッジャは1998年にはセリエC1に降格し、1999年にはセリエC2に転落していった。
プロフェッショニスティが運営するセリエCが主戦となっていた2002-03シーズンにミスター・フォッジャと言うべきパスクアーレ・マリーノを招き入れる。マリーノの手腕でロベルト・デ・ゼルビとミケーレ・パツィエンツァの才能を開花させ4年ぶりにセリエC1へ昇格させた。そして、2007年にはコッパ・イタリア・セリエCで決勝まで勝ち進み、ファイナルでも勢いのままクネオを3-1と下して優勝し初タイトルを手にする。
2009-10シーズンは、レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネのジローネBで降格争いに巻き込まれてしまいプレイアウトに回ったがトータルスコアで勝ち越し残留。再建を担うべく2010年7月14日に会長がパスクアーレ・カシッロからマッテオ・ビアンコフィオーレに変わり、三度目の監督業となるズデネク・ゼーマンを就任させセリエAを狙うが、ゼーマンがわずか1年で退任すると、2010-11シーズン終了後には財政問題によりレガ・プロから翌シーズンの参戦を認められず、新チームACDフォッジャ・カルチョ(Associazione Calcistica Dilettantistica Foggia Calcio)として、セリエDから再スタートを切った。2012-13シーズンを終えレガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネに昇格した。
タイトル
国内タイトル
セリエB:1回
- 1990-91
レガ・プロ:1回
- 2016-17
コッパ・イタリア・レガ・プロ:2回
- 2006-07, 2015-16
スーペルコッパ・ディ・レガ・ディ・プリマ・ディヴィジオーネ:1回
- 2017
記録
- ホーム初勝利 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
- 1923.9.9
- アウェイ初勝利 : ガリバルディーノ・ターラント0-1SCフォッジャ
- 1923.9.30
- 初得点試合 : SCフォッジャ1-0ガリバルディーノ・ターラント
- 1923.9.9 前半40分 カサレ
- 最多ホーム得点試合 : フォッジャ8-0グラディアトール, フォッジャ8-0アレッツォ
- 1932-33
- 最多アウェイ得点試合 : オルビア0-10フォッジャ
- 1932-33
- 最多ホーム失点試合 : フォッジャ2-8ACミラン
- 1992-93
- 最多アウェイ失点試合 : レッチェ8-0フォッジャ
- 1950-51
過去の成績
- 2000-01 セリエC2・ジローネC 9位
- 2001-02 セリエC2・ジローネC 5位
- 2002-03 セリエC2・ジローネC 1位 C1昇格
- 2003-04 セリエC1・ジローネB 9位
- 2004-05 セリエC1・ジローネB 10位
- 2005-06 セリエC1・ジローネB 13位
- 2006-07 セリエC1・ジローネB 4位 プレイオフ敗退
- 2007-08 セリエC1・ジローネA 5位 プレイオフ敗退
- 2008-09 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネB 5位 プレイオフ敗退
- 2009-10 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネB 15位 プレイアウト勝利
- 2010-11 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネB 6位
- 2011-12 レガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ・ジローネA 11位 財政破綻でセリエD降格
- 2012-13 セリエD・ジローネH 5位 昇格
- 2013-14 レガ・プロ・セコンダ・ディヴィジオーネ・ジローネB 5位
- 2014-15 レガ・プロ・ジローネC 7位
- 2015-16 レガ・プロ・ジローネC 2位
- 2016-17 レガ・プロ・ジローネC 1位 B昇格
- 2017-18 セリエB 9位
歴代監督
チェーザレ・マルディーニ 1974-1976
ズデネク・ゼーマン 1986-1987、1989-1994、2010-2011
タルシジオ・ブルグニチ 1996-1997
ジュゼッペ・ジャンニーニ 2004-2005
ジュゼッペ・ガルデリシ 2008
歴代所属選手
GK
パオロ・オルランドーニ 1996-1997
DF
ダン・ペトレスク 1991-1993
ホセ・チャモ 1993-1994
MF
ルイジ・デルネーリ 1975-1978
ネヴィオ・スカラ 1976-1979
イゴール・シャリモフ 1991-1992
ブライアン・ロイ 1992-1994
ルイジ・ディ・ビアジョ 1992-1995
ジョヴァンニ・ストロッパ 1993-1994
ミケーレ・パツィエンツァ 1999-2003
ロレンツォ・インシーニェ 2010-2011
FW
ジュゼッペ・シニョーリ 1989-1992
フランチェスコ・バイアーノ 1990-1992
イーゴリ・コリヴァノフ 1991-1996
ダビド・ディ・ミケーレ 1996-1998
ルイス・オリヴェイラ 2004-2005
グレゴワール・デフレル 2011-2012
外部リンク
- オフィシャルサイト
|