スウヰイスー





































































スウヰイスー


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品種
サラブレッド
性別

毛色
栗毛
生誕
1949年5月3日
死没
1964年8月10日

セフト

武兆
母の父
月友
生国
日本の旗 日本(北海道静内町)
生産
荻野守之
馬主
高峰三枝子→鈴木健之→井門昭二
調教師
松山吉三郎(東京)
→ 尾形藤吉(東京)
→ 勝又衛(大井)
競走成績
生涯成績
51戦27勝
(地方競馬分一部不明、国営競馬35戦18勝)
獲得賞金
不明
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スウヰイスー(読み方:すうぃいすー)は、日本の競走馬(牝馬)。初の中央競馬牝馬クラシック二冠を達成した。女優の高峰三枝子が馬主として保有していた。


同世代にレダ・クインナルビー(共に天皇賞馬)がいる。


  • なお、馬齢については原則旧表記(数え歳)とする。



目次






  • 1 略歴


    • 1.1 馬名


    • 1.2 現役時代


    • 1.3 引退後




  • 2 血統表


  • 3 脚注


  • 4 外部リンク





略歴



馬名


馬主は「スウヰスー」(現代の仮名遣いでは「スウィートスー」にあたる)という名で登録するつもりだったが、電話で馬名についての指示を受けた調教師が「ス・ウイ・スー」と聞き間違えたため、「スウヰスー」で登録されてしまったと言われる。



現役時代


東京競馬場の松山吉三郎調教師の下で1951年デビューした[1]。デビュー戦の5万円以下クラスのレースを皮切りに5戦連続で連対する[2]という好成績を残して朝日杯3歳ステークスに出走したが、5着に敗れた。


1952年、牝馬クラシック初戦の桜花賞を当時のレースレコードタイムである1600m・1分38秒3で勝利した。東京優駿出走(8着)や安田賞勝利などを経て優駿牝馬(当時は秋季開催)にも勝利し、初の中央競馬牝馬クラシック二冠馬となった。その直後に施行された菊花賞にも出走し、牡馬を押しのけて2着に入った[3]。また安田賞(現・安田記念)を1952年・1953年に2連覇した。


1953年に大井競馬場の勝又衛調教師の下に移籍した。1954年上半期分までの1年半は資料がなく戦績が不明であるが、1954年夏のワード賞を皮切りに5連勝を含む7連続連対を果たすなど活躍した。競走馬としての通算対戦成績は中央競馬で35戦18勝、地方競馬で16戦9勝(確認された分のみ)。



引退後


1955年に現役を引退し、千葉新堀牧場で繁殖牝馬として繋養された。日本軽種馬協会のデータベースには8頭の産駒が登録されている[4]が、このうち最も活躍したのは中央競馬で4勝を挙げたゴールデンビーム(1957年生、牡馬、父ライジングライト)[5]であり、繁殖牝馬としてはあまり実績を残せなかった。


牝系子孫にはキョウワシンザン(小倉3歳ステークス勝ち馬)やグルメフロンティアなどがいる。


3番仔のミスモトコの子孫が日本挽系種の牝系として残っており、2015年のばんえいオークスに勝ったホクショウモモは、牝系を8代遡るとスウヰイスーに至る[6]



血統表






















































スウヰイスーの血統(ザテトラーク系 / Ayrshire 5×5=6.25%)
(血統表の出典)



* セフト
Theft
1932 鹿毛

父の父

Tetratema
1917 芦毛

The Tetrarch

Roi Herode
Vahren
Scotch Gift
Symington
Maund

父の母
Voleuse
1920 鹿毛
Volta
Valence
Agnes Velasques
Sun Worship

Sundridge
Doctorine



武兆
1938 栗毛

母の父

月友
1932 栗毛

Man o'War

Fair Play
Mahubah
* 星友
Alzada
Sir Martin
Colna

母の母
光風
1933 鹿毛
* ブラツクスミス
Black Smith
Matchmaker
Avington Mare
華栄
*チヤペルブラムプトン
リツツルフエーム F-No.5-e



半弟に中山記念、毎日王冠を制したハローモアがいる。



脚注





  1. ^ 実際は松山の恩師である尾形藤吉調教師の管理であり、当時は違法ではなかった名義貸しであった。


  2. ^ 10月の中山競馬場・3歳牝馬特別で2着になった以外は1着。


  3. ^ 日本のクラシックはイギリスをベースとしている為、1970年のビクトリアカップ創設まで、4歳牝馬限定の大レースは桜花賞とオークスの2つだけであった。そのため日本でセントレジャーに相当する菊花賞にも牝馬が出走するのはそれほど珍しいことではなかった。特に1952年の菊花賞は出走馬9頭のうち5頭が牝馬で、2着のスウヰイスー以外の牝馬でもクインナルビーが3着、レダが4着に入賞している。


  4. ^ 繁殖牝馬情報:牝系情報 スウヰイスー - JBISサーチ


  5. ^ ゴールデンビーム -JBISサーチ


  6. ^ 公益社団法人 日本馬事協会,家畜改良データバンク,登録馬五代血統情報,ホクショウモモおよびハクヨウチカラ,2019年1月6日閲覧。




外部リンク





  • 競走馬成績と情報 netkeiba、JBISサーチ






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