セレッソ大阪



































































セレッソ大阪
原語表記
セレッソ大阪
呼称
セレッソ大阪
クラブカラー
     ピンク[1]
創設年
1957年
所属リーグ
日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン
J1リーグ
クラブライセンス
J1
ホームタウン
大阪府大阪市[1]、堺市[1]
ホームスタジアム
Nagai stadium20040717.jpg

ヤンマースタジアム長居[1]
Kinchostadium1008081.JPG

キンチョウスタジアム[1]
収容人数
ヤンマー:47,853[1]
金鳥スタ:17,892[1]
運営法人
株式会社セレッソ大阪[1]
代表者
玉田稔[1]
監督
スペインの旗 ミゲル・アンヘル・ロティーナ
公式サイト
公式サイト

■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ



















































































株式会社セレッソ大阪
CEREZO OSAKA CO.,LTD
種類
株式会社
市場情報
非上場
本社所在地
日本の旗 日本
546-0034[1]
大阪市東住吉区長居公園1-1
キンチョウスタジアム内[1]
設立
1994年2月1日[2]
業種
サービス業
法人番号
4120001034064
事業内容

(1)サッカー等のスポーツの興行

(2)サッカー等スポーツスクールの企画・運営

(3)サッカー技術の指導ならびにサッカー選手および指導者の養成

(4)スポーツ用品、玩具、衣料・・・等の販売


(5)サッカーおよび他のスポーツに関する各種催しの入場券およびスポーツ施設利用券等の販売
代表者
玉田稔[1]
資本金
3億1500万円(2018年1月期)[3]
売上高
39億7,600万円 (2018年1月期)[3]
営業利益
▲2億6,700万円 (2018年1月期)[3]
経常利益
▲3億100万円 (2018年1月期)[3]
純利益
500万円 (2018年1月期)[3]
純資産
1億2,400万円 (2018年1月期)[3]
総資産
14億9,100万円 (2018年1月期)[3]
決算期
1月期
主要株主
日本ハム[2]
セイレイ興産[2]
主要子会社
セレッソ大阪スポーツクラブ
外部リンク
http://www.cerezo.co.jp
特記事項:2018年5月17日に大阪サッカークラブ株式会社から商号変更。
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セレッソ大阪(セレッソおおさか、Cerezo Osaka)は、日本の大阪府大阪市、堺市をホームタウンとする[1]、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟するプロサッカークラブ。セレッソとはスペイン語で桜を指す語。




目次






  • 1 概要


  • 2 歴史


    • 2.1 前身


    • 2.2 1993年 - 1994年(JFL)


    • 2.3 1995年 - 2001年(J1)


    • 2.4 2002年(J2)


    • 2.5 2003年 - 2006年(J1)


    • 2.6 2007年 - 2009年(J2)


    • 2.7 2010年 - 2014年(J1)


    • 2.8 2015年 - 2016年(J2)


    • 2.9 2017年 - (J1)




  • 3 成績


  • 4 タイトル・表彰


    • 4.1 国内タイトル


    • 4.2 表彰




  • 5 スタジアム他


    • 5.1 ホームスタジアム


    • 5.2 練習場・クラブハウス




  • 6 スローガン


  • 7 スポンサー


  • 8 ユニフォーム


    • 8.1 チームカラー


    • 8.2 ユニフォームデザイン


    • 8.3 ユニフォームスポンサー


    • 8.4 ユニフォームサプライ


    • 8.5 歴代ユニフォーム


    • 8.6 歴代ユニフォームスポンサー年表




  • 9 セレッソ大阪U-23


    • 9.1 概要(U-23)


    • 9.2 略歴(U-23)


    • 9.3 活動方針(U-23)


    • 9.4 ホームゲーム開催試合数(U-23)


    • 9.5 成績(U-23)


    • 9.6 表彰(U-23)


    • 9.7 ユニフォーム


      • 9.7.1 ユニフォームスポンサー


      • 9.7.2 歴代ユニフォームスポンサー年表






  • 10 アカデミー


    • 10.1 アカデミーの構成


    • 10.2 ハナサカクラブ


    • 10.3 セレッソ大阪スポーツクラブ


    • 10.4 出身選手


    • 10.5 主な成績


      • 10.5.1 U-18


      • 10.5.2 U-15


      • 10.5.3 西U-15


      • 10.5.4 U-12






  • 11 BGM


    • 11.1 選手紹介


    • 11.2 選手入場




  • 12 決算


    • 12.1 損益


    • 12.2 資産




  • 13 脚注


  • 14 関連項目


  • 15 外部リンク





概要


1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部が前身となり[1]、1995年にJリーグへ加盟した[1]。ホームスタジアムはヤンマースタジアム長居およびキンチョウスタジアム[1] である。チーム名の「セレッソ(Cerezo)」はスペイン語で「桜」という意味[1]。桜は大阪の「市花」であり、大阪市全体を、そして日本を代表するチームになるよう願いが込められている[1]。ホームタウンは加盟当初より2013年までは大阪市だけであったが、2014年に堺市が追加された[4]


マスコットは狼の「ノブレ・バリエンテ・アッチェ・ロビート・デ・セレッソ」(愛称ロビー。"高貴で勇敢な、由緒あるセレッソ家のオオカミの息子"という意味がある)。2008年より、ロビーの母親として「エレガンテ・エスプレンディーダ・マダマ・ロビーナ・デ・セレッソ」(愛称マダム・ロビーナ、「優雅で華麗な、由緒あるセレッソ家の“オオカミの令夫人”」という意味)が加わった。なお、ガンバ大阪などと区別するため、「セ大阪」「C大阪」(CはCerezoの頭文字)などと略記される。



歴史



前身



前身は1957年創部のヤンマーディーゼルサッカー部[1]。日本サッカーリーグ(JSL)で4回、JSLカップで2回、天皇杯で3回それぞれ優勝した。



1993年 - 1994年(JFL)




  • 1993年 - ヤンマーディーゼルサッカー部を母体としてセレッソ大阪が発足[1]

    • 12月6日 - 大阪・中之島のリーガロイヤルホテルにてヤンマーディーゼル(現・ヤンマー)・日本ハム・カプコンなどの共同出資による新運営会社「大阪サッカークラブ株式会社(英語表記:OSAKA FOOTBALL CLUB CO.,LTD)」の設立と公募により決定したチーム名「セレッソ大阪」を発表。大阪サッカークラブ株式会社の初代社長にはプロ化推進室長だった鬼武健二が就任。



  • 1994年 - パウロ・エミリオが初代監督に就任。


    • 3月8日 - 神戸市立中央球技場(現:御崎公園球技場)にウルグアイのCAペニャロールを迎えてC大阪としての旗揚げ戦を行う。結果は 0-0 の引き分け。


    • 10月20日 - ジャパンフットボールリーグ(JFL)の最終節前、台風の影響で延期になっていた中央防犯藤枝ブルックス(現:アビスパ福岡)戦で延長後半12分に見崎充洋が決勝ゴールを挙げて勝利して2位以内が確定。


    • 10月23日 - JFLの最終節、コスモ石油四日市FC戦を勝利しJFL優勝を決めた。


    • 天皇杯ではV川崎、浦和、横浜MらJリーグ勢を破って準優勝の成績を残した。





1995年 - 2001年(J1)




  • 1995年 - Jリーグに加盟[1]

    • 森島寛晃がベストイレブンを獲得。



  • 1996年 - 成績不振によりエミリオが監督を辞任。後任にコーチだった楚輪博が監督に昇格。


    • 7月3日 - ナビスコカップの福岡戦で8得点。チーム最多得点記録


    • 7月27日 - 大阪長居スタジアム(長居)が改修終了。それに伴いC大阪のホームスタジアムも長居第2陸上競技場から長居へ変更。こけら落しとしてブラジルのボタフォゴFRと親善試合を行った(1-3で敗戦)。


    • 5月11日から10月2日 - リーグ戦で5ヶ月間10試合に及ぶ連敗を記録。チーム連敗最長記録




  • 1997年 - 監督にクルゼイロEC元監督のレヴィル・クルピが就任。カプコンが出資から撤退。


  • 1998年 - 松木安太郎が監督に就任。リーグ戦では34試合中13試合で3失点以上を喫した。韓国代表の黄善洪が入団。


    • 4月15日 - 長居での磐田戦で 1-9 の敗戦。Jリーグ最多失点・得点記録


    • 8月8日 - 長居での柏戦で 5-7 の敗戦。試合当りのJリーグ最多得点記録




  • 1999年 - レネ・デザイェレが監督に就任。

    • 黄善洪が得点王とベストイレブンを獲得。


    • 12月 - 天皇杯を前にレネが監督を辞任し、戦術面を担当していた副島博志が監督代行としてチームを指揮。




  • 2000年 - 副島が監督に就任。


    • 1月29日 - 大阪サッカークラブ株式会社の代表取締役社長が前任の鬼武健二から藤井純一に交代。鬼武は会長に就任。


    • 1月31日 - ドイツ・ブンデスリーガのバイエルン・ミュンヘンと3年間のアドバイザリー契約を結ぶ。3年後の2003年からは単年契約となったが2005年を最後に契約を満了。以後バイエルン・ミュンヘンは浦和と業務提携を結んだ。


    • 3月30日 - 大阪市議会において大阪市によるC大阪への1千万円の出資が承認。


    • 5月27日 - 西澤明訓と森島寛晃の軸を中心に西谷正也と盧廷潤のサイドアタックでリーグを席巻。あと1勝で1stステージ優勝だったが、最終節で残留争いで15位の川崎にVゴールで敗れ、ステージ優勝を横浜FMにさらわれた。

    • 森島と西澤がベストイレブンを獲得。シーズン終了後、西澤がリーガ・エスパニョーラのRCDエスパニョールへ移籍。




  • 2001年 - 1stステージは16チーム中14位。


    • 7月27日 - 強化担当だった大西忠生が成績不振を理由に副社長を辞任。


    • 8月20日 - 副島が成績不振を理由に監督を辞任(事実上の解任)。後任はジョアン・カルロスが就任。


    • 11月3日 - FC東京戦に敗れ、J2降格が決定。カルロスが監督を辞任。後任にはコーチだった西村昭宏が監督に昇格。


    • 天皇杯は決勝へ進出したが、清水に延長の末2-3で敗れた。なお、J2降格決定から天皇杯の決勝まで7連勝であった。





2002年(J2)



  • 2002年 - 2002 FIFAワールドカップに森島寛晃・西澤明訓・尹晶煥らが出場した。

    • 11月16日 - 第43節の新潟戦に3-0と勝利して、J1復帰が決定。最終順位は2位。



2003年 - 2006年(J1)




  • 2003年 - 1stステージは5位。2ndステージに入ると白星が遠く、2001年にJ2降格が決まってから指揮を執っていた西村がシーズン途中で解任。シーズンの残りはヘッドコーチだった塚田雄二が監督を務め、天皇杯は3度目の決勝進出を果たすが、磐田に敗れ、準優勝。


  • 2004年 - 監督就任が決定していたナドベザ・ペーターが狭心症の発作のため来日不可能となり、練習開始前日に直前にナドベザとは旧知の仲だったフアド・ムズロビッチが急遽監督に就任したが、準備不足やクラブとの方針の違いもあり、公式戦3試合(リーグ戦2試合・カップ戦1試合)のみで解任される。後任にはヘッドコーチだったアルベルト・ポボルが昇格したが守備が崩壊。1stステージ最終節で最下位争いをしていた柏にホームで惨敗し、最下位でステージを終えたことが決定打となりアルベルトも解任となった。2ndステージからは前年まで大分の監督だった小林伸二が指揮を執り、西村から数えて1年足らずで5人が監督を務める異例の事態となった。2ndステージも低迷し、13節終了時点で残り2試合に1敗でもすれば年間最下位とJ1・J2入れ替え戦行きが決定するところまで追い込まれたが、14節・最終節と連勝し、最終節で柏を逆転して年間15位に浮上、J1残留が決定した。2ndステージは12位。シーズン終了後、大久保がスペインのマヨルカにレンタル移籍。




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2005年最終節布陣

監督 小林伸二

吉田宗弘

前田和哉

藤本康太

柳本啓成

下村東美

ファビーニョ

久藤清一

ゼ・カルロス

森島寛晃

古橋達弥

西澤明訓




  • 2005年 - 小林が監督続投。GKにG大阪から吉田宗弘を完全移籍で獲得、DFには2003年夏季ユニバーシアード優勝メンバーの江添建次郎を7クラブに及ぶ争奪戦の末に獲得に成功、テスト生出身の前田和哉も入団した。京都からFW黒部光昭、東京VからMF廣山望をいずれもレンタル移籍で獲得。外国人選手も数年続いた東欧路線から一変して、ブルーノ・クアドロス、ファビーニョ、ゼ・カルロスを獲得。

    • 当初9位を目標に掲げ、開幕は3連敗と出遅れたが、新加入の吉田、ブルーノ・クアドロス、江添が開幕からスタメンに定着、江添が第3節の大宮戦で右ひざじん帯断裂の重傷を負ったが、その穴を前田が埋め、ボランチのファビーニョや下村東美とともに守備の建て直しに成功、森島寛晃・西澤明訓・古橋達弥・黒部光昭といった当時のJ1屈指の攻撃陣と攻守の歯車がかみ合いだし、第4節の名古屋戦で初勝利を挙げると第11節の清水戦まで8試合負けなし、前半戦を6勝5分6敗で折り返した。後半戦はG大阪や鹿島、浦和などの上位チームがもたつく間に順位を上げ、第33節でG大阪を抜いて首位に立った。

    • 勝てば優勝決定、敗戦・ドローで自力優勝が消えるという状況で迎えた最終節・FC東京戦で1点リードしていたが、アディショナルタイムで同点に追いつかれ優勝は成らなかった。翌朝の朝日新聞には「長居の悲劇」との見出しが掲載された。最終順位は5位だったが、後半戦(第18節~最終節)に限れば10勝6分1敗、当時のJリーグ無敗最長記録となる16試合無敗で、天皇杯も含めれば準決勝で清水に敗れるまで20試合負けなしであった。また、この年の平均観客動員数は過去最高の1試合当り17,648人。

    • シーズン終了後、ファビーニョが家庭の事情により退団。他にも布部陽功と久藤清一を放出(ともに福岡に移籍)し、黒部と廣山のレンタル移籍契約を更新しない(黒部は浦和へ再度レンタル移籍、廣山は東京Vに復帰)など、世代交代を図る為にベテラン選手に対して大なたを振るった。

    • 吉田と古橋がベストイレブンに選ばれ、前田が優秀新人賞を獲得した。





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2006年最終節布陣

監督 塚田雄二

吉田宗弘

前田和哉

ブルーノ

柳本啓成

下村東美

名波浩

宮本卓也

ゼ・カルロス

古橋達弥

大久保嘉人

西澤明訓




  • 2006年- 小林体制3年目。東京Vから山田卓也を完全移籍で、河村崇大を磐田からレンタル移籍で獲得。新外国人選手ではピンゴが入団。即戦力では中盤中心の補強を行い、新加入選手では強化指定選手となっていた森島康仁が入団したのをはじめ、大学選抜で活躍した小松塁や、高校生ながら素質を見込まれてプロ契約を結んだ香川真司が入団した。リーグ戦は、開幕からの4節をすべて3失点以上で負けるなどしてつまづき、8節終了時で1勝1分6敗の成績。4月18日付で小林が解任され、育成アドバイザーを務めていた塚田雄二が2度目の監督に就任した。


    • 4月22日、広島戦(アウェイ)で、FW佐藤寿人にJ新記録となる試合開始から僅か8秒でゴールを決められた(Jリーグ最速得点・失点記録)。


    • 6月15日、マヨルカにレンタル移籍していた大久保がチームに復帰した。


    • 8月13日、磐田から元日本代表MF名波浩をレンタル移籍で獲得。以後チーム状況が多少上向き、勝ち点を重ねるようになった。


    • 11月26日、大宮戦で柿谷曜一朗がチーム最年少出場記録となる16歳10ヵ月で公式戦デビュー。


    • 12月2日、最終節で川崎Fに敗れ、年間17位となり5シーズンぶりのJ2降格が決定。塚田は降格の責任を取り監督辞任。後任に東京Vヘッドコーチの都並敏史が就任した。シーズン終了後に、大久保嘉人(神戸へ)、西澤明訓(清水へ)、名波浩(磐田復帰後、東京Vへ)、下村東美(千葉へ)、ブルーノ・クアドロス(退団後、札幌へ)が退団した。




2007年 - 2009年(J2)




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2007年基本布陣

監督 クルピ

吉田宗弘

柳沢将之

前田和哉

羽田憲司

ゼ・カルロス

濱田武

アレー

ジェルマーノ

香川真司

古橋達弥

小松塁




  • 2007年-ヤンマーサッカー部発足から創設50周年を迎えた。完全移籍で柳沢将之(東京V)を、レンタル移籍で羽田憲司(鹿島)、丹羽竜平(神戸)を獲得。逆にレンタルさせていた濱田武(鳥栖)と千葉貴仁(札幌)、小松塁(V・ファーレン長崎)を復帰させ、新人では立命館大学から阪田章裕、外国人選手ではブラジルからアレーと韓国ユニバーシアード代表の金信泳を獲得。

    • リーグ戦は開幕3連敗でスタートし、第4節の京都戦で初勝利を挙げた。第12節の草津戦で柿谷がJ2最年少記録となるゴール(17歳3ヶ月)を決めるが、森島寛晃が原因不明の首痛に悩まされるようになり戦列を離脱した事や、一気に若返った選手の適性を見極める為、戦力を使い回す試行錯誤をしていて勝ち点が延びず、第14節終了時点で4勝3分6敗でJ2の9位という成績であった。


    • 5月7日付で監督の都並、コーチの藤川孝幸、GMの西村昭宏を解任し、後任に元監督のレヴィー・クルピが監督に就任した。就任当初は1勝3敗と負けが先行したが、第19節の試合なし期間を活用した淡路島ミニキャンプで戦術を浸透させ、メンバーも小松塁をFWのスタメンに抜擢、香川真司をサイドに、ゼ・カルロスと柳沢将之を左右のSBに固定するなど、それまでの使い回しから一変した選手起用を実施。これが功を奏して第20節からは4連勝。第2クール終了後には、比較的戦力に余裕のあったFW陣から金信泳を鳥栖へレンタル移籍させ、空きができた外国人枠を活用して、ボランチを強化するためにクルピの肝いりでジェルマーノを獲得した。その後第3クールでは9勝3敗のリーグ1位の成績を残したが、第1クールでの出遅れと、京都(2勝2分)以外のJ1昇格争いを繰り広げた上位チームに大きく負け越した(札幌と仙台には1勝3敗、東京Vと湘南には1分3敗)事が響き、J2・5位に終わった。

    • 昇格を逃したものの、FWに抜擢されて12ゴールを挙げた小松をはじめ、香川・森島康・柿谷が世代別代表に選出されて国際大会で活躍。しかし、その森島康や柿谷でもレギュラーではなく、彼らより先にU-23代表にも選出され、当初スタメンで出場していた苔口卓也に至っては、クルピ就任以後ベンチ入りする機会すら限られるなど、チーム内競争は激しさを増し、戦力の底上げがなされた。





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2008年第1布陣

監督 クルピ

相澤貴志

柳沢将之

前田和哉

羽田憲司

尾亦弘友希

濱田武

アレー

ジェルマーノ

香川真司

カレカ

小松塁




  • 2008年-吉田宗弘が福岡に完全移籍、苔口卓也が千葉にレンタル移籍した。補強はGKに川崎から相澤貴志をレンタル移籍で獲得、退団したゼ・カルロスの後任となる左SBに湘南から尾亦弘友希を完全移籍で獲得、FWにカレカをレンタル移籍で獲得した。また前田和哉がキャプテンとなった。

    • 開幕は水戸に勝利し、久々の開幕戦勝利を収めた。

    • 5月は前月末の愛媛戦から数えて、負けなしの7連勝を飾り2位に浮上。

    • 6月は怪我人と出場停止選手が続出。1勝1分4敗の成績。

    • 7月も1勝1分2敗と勝ち点を伸ばせないまま終わる。

    • 8月は2勝1分2敗と浮上の兆しが見えてきたに思われたが、本間勇輔がスタジアムマスターに就任し、新たなアンセムを作曲した9月も低迷のまま終わり、10月、上位争いをした3位の仙台との直接対決に敗れた時点で勝ち点8差がつけられていた。

    • 11月に入りC大阪が3連勝した一方、仙台は2分1敗と不振に陥った為、勝ち点差を1にまで縮めて最終節を迎えた。C大阪は愛媛に勝利を挙げたが、仙台も勝利したために逆転ならず、4位となりJ1昇格はならなかった。

    • 香川が日本五輪代表に選ばれ3月のアンゴラA代表との試合の際に見せたプレーが日本代表監督である岡田武史の目に止まり、香川は平成生まれとして初の日本代表に招集された。C大阪からは大久保嘉人以来4年ぶりの代表選出。香川はキリンカップコートジボワール代表戦でデビューし、ワールドカップ3次予選の2試合に出場。香川は8月に行われる北京オリンピック日本代表にも選ばれた。

    • シーズン途中に、名古屋から青山隼、横浜FMから乾貴士、新人の白谷建人を含めて世代別の日本代表の経験がある選手を多く獲得。これはクルピの方針で『C大阪に移籍して、さらに成長する可能性のある選手』を獲得する傾向にある。一方でチームにフィットしなかったカレカを解雇し、出場機会が激減した森島康をレンタル(シーズン終了後に完全)移籍で大分に放出した。

    • この年を最後に森島寛晃が現役を引退。





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2009年第1節布陣

監督 クルピ

キム・ジンヒョン

前田和哉

チアゴ

江添建次郎

羽田憲司

マルチネス

酒本憲幸

石神直哉

香川真司

乾貴士

カイオ



  • 2009年-ジェルマーノ、古橋達弥、山本浩正、柳沢将之などが完全移籍で去り、相澤貴志、丹羽竜平、青山隼がレンタル終了、レンタル移籍中の森島康仁や宮本卓也も完全移籍する。しかし、レンタル移籍で加入していた乾貴士、羽田憲司、平島崇が完全移籍に移行し、小松塁、香川真司などの主力が残留した。また、レンタルで石神直哉を獲得し、西澤明訓が清水エスパルスから復帰した。外国人選手では前年途中加入し、フィットしていたカイオが残留、パルメイラスからマルチネス、クルゼイロからチアゴとクラブの主力だった2選手と2007年U-20W杯韓国代表のキム・ジンヒョンを「アジア枠」で獲得。中でも新加入のマルチネスの評価は高く、「J1でもトップクラスのボランチ」とも評された。マルチネス自身、二部のクラブでプレーした経験がなく、移籍に当初は抵抗も感じたが、セレッソが本気でJ1昇格を目指しているチームであることを知り、そうした抵抗感はなくなったと語っている[5]

    • 開幕戦となったサガン鳥栖戦は4-1で勝利。以降、3月から4月は、4月19日のコンサドーレ札幌戦で一敗を喫したのみであった。

    • その後も勝ち点を積み重ねるが、6月にカターレ富山とサガン鳥栖に連敗する。

    • 7月9日、鹿島から船山祐二を獲得。船山は加入直後こそ出場機会に恵まれなかったが、終盤戦にレギュラーを獲得。マルチネス故障の穴を埋め、チームの快進撃に大きく貢献した。

    • 8月中旬から3戦連続で勝ちなしと不振に陥る。

    • 8月30日の熊本戦からは10勝3分と勝ち点を積み重ね、11月8日に草津に5-0で勝利をおさめ、J1昇格が決定。同時に勝ち点100越えを達成した。J2で勝ち点100以上を達成したチームは川崎F、広島に次いで3チーム目(ただし川崎Fは44試合、広島は42試合)。シーズンを通じて昇格圏外に落ちることはなかった。

    • 11月8日のサガン鳥栖戦の後、今季3シーズンぶりにチームに復帰した西澤明訓が引退を発表。西澤は当初、右足首のコンディションが悪く、すでに清水で引退するつもりであったが、前年に引退した森島から「戻って何とかJ1に上げてほしい」と言われたこともあり、「自分の中で、J2に落としたというのは汚点だったから・・・せめて、J1に上げるためにちょっとでも力になれれば」という思いで復帰を決めた。5月20日のロアッソ熊本戦で復帰後初ゴール。決して万全の状態ではなかったが、クルピ監督は西澤がチームに与えるポジティブな影響を期待し、常にベンチに置き続けた。11月8日の引退発表は、セレモニーを開催するような形を好まなかったため「あの場のノリです(笑)」と語っているが、「できれば避けたかった」という引退セレモニーはホーム最終節のFC岐阜戦(11月28日)の後に開催されている[6]。なお、引退後は代理人になることを目指しているが、2010年2月にはセレッソ大阪アンバサダーに就任した。

    • その後はJ2優勝を目指すが、11月22日の仙台戦(0-1)、1試合置いて12月5日の鳥栖戦(1-2)と、いずれもアウェイで後半ロスタイムに失点して敗北。シーズン2位となった(2009年J2最終節)。




2010年 - 2014年(J1)




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2010年開幕戦布陣

監督 クルピ

キム・ジンヒョン

羽田憲司

茂庭照幸

上本大海

マルチネス

アマラウ

高橋大輔

尾亦弘友希

香川真司

乾貴士

アドリアーノ



  • 2010年-松井謙弥(磐田…京都へのレンタル移籍期間満了)、茂庭照幸(FC東京)、上本大海、清武弘嗣、高橋大輔(大分)、播戸竜二(G大阪)、アマラウ(CRヴァスコ・ダ・ガマ)を完全移籍で、家長昭博(G大阪…大分へのレンタル移籍期間満了)、アドリアーノ(アトレチコPR)をレンタル移籍で、扇原貴宏、永井龍(共にC大阪U-18)、荻野賢次郎(峰山高校)が新加入して、レンタル移籍だった石神直哉が完全移籍となった。またキム・ボギョン(弘益大学校)とも契約したが、外国人枠の都合で大分へレンタル移籍。

    • 開幕戦は大宮に0-3で敗戦。序盤は苦戦したが、京都戦で初勝利をおさめると、鹿島を破るなど前半は8位。

    • 前半戦最終戦の5月16日の神戸戦を以て香川がボルシア・ドルトムントへ移籍。

    • 香川移籍後も、家長、清武らが彼の穴を埋める活躍を魅せ、更にアドリアーノがフィットしたこともあってチームの歯車がかみ合って好調を維持。特に前年香川と共に得点を量産した乾が香川移籍後にようやく調子を上げ、チームの柱として活躍。

    • 優勝争いに食い込み、J1過去最高の3位に入り、AFCチャンピオンズリーグ出場権を獲得。前年J2クラブがJ1昇格を果たしたその年度にACL出場を果たすのは史上初の偉業だった。

    • ナビスコカップは1分5敗でグループリーグ敗退、天皇杯は4回戦で鹿島に敗退。





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2011年開幕戦布陣

監督 クルピ

キム・ジンヒョン

高橋大輔

茂庭照幸

上本大海

丸橋祐介

マルチネス

中後雅喜

乾貴士

キム・ボギョン

倉田秋

ホドリゴ・ピンパォン



  • 2011年-シーズンオフに家長昭博のスペイン・リーガエスパニョーラのマヨルカへの移籍を皮切りに、2009年度キャプテンの羽田憲司(神戸)、石神直哉(湘南)、山下達也(札幌)、多田大介(鳥取)が移籍。アドリアーノ(アトレチコPR)はレンタル期間満了の上、G大阪に完全移籍。一方、大分からキム・ボギョンが復帰した他、神戸から高橋祐太郎(DF高橋大輔の実弟)を完全移籍で獲得。千葉から中後雅喜を、G大阪から倉田秋(千葉へのレンタル期間満了)を、またCRヴァスコ・ダ・ガマからホドリゴ・ピンパォンを、それぞれ期限付き移籍で獲得した。

    • 開幕戦のG大阪との大阪ダービーは1-2で敗戦。

    • 2011の布陣は1トップがピンパォンで、キム・倉田・乾の3シャドーが流動的に動く4-2-3-1に近いシステムを使う。


    • AFCチャンピオンズリーグ2011では初出場ながらグループリーグをグループGの2位で突破。5月24日のラウンド16では、G大阪とのACL史上初の大阪ダービーを1-0で制し、Jリーグ勢唯一の決勝トーナメント進出を果たす。しかし、準々決勝で全北現代に2戦合計5-9(第1戦 4-3、第2戦 1-6)で敗れ、ベスト8で敗退。

    • 8月に乾貴士がドイツ2部のVfLボーフムへ完全移籍、ピンパォンが契約満了による退団(後に大宮に入団)。これを受け、ファビオ・ロペス、FC東京よりMF大竹洋平をそれぞれ期限付き移籍にて獲得。

    • 8月20日の清水エスパルス戦・9月11日のサンフレッチェ広島戦にて播戸竜二が途中出場でのハットトリックを達成。

    • シーズン終了後、「2007年から5シーズン指揮を執ってきましたが、J2からJ1へ昇格、さらにACL出場、そしてその中から数多くの選手がフル代表・五輪代表に選出され、欧州へ飛び立っていったことを考えると、セレッソにとっては一つのサイクルが終わり、節目の時がきたのではないかと思います。その間、単身で日本にいましたが、はるか遠くのブラジルにいる家族のもとへ帰る時が来たのではないか、という結論に至りました」として、監督のレヴィー・クルピが退任[7]





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2012年開幕戦布陣

監督 セルジオ・ソアレス

キム・ジンヒョン

酒本憲幸

茂庭照幸

藤本康太

丸橋祐介

扇原貴宏

山口螢

清武弘嗣

キム・ボギョン

ブランキーニョ

ケンペス



  • 2012年-新監督にセルジオ・ソアレスが就任。上本大海(仙台)、小松塁(川崎F)、高橋祐太郎(熊本)、尾亦弘友希(福岡)が移籍、ファビオ・ロペスが退団、中後雅喜はレンタル期間満了(その後東京Vへ移籍)となったが、川崎から横山知伸、清水から児玉新、札幌から2年ぶりの復帰となる山下達也を完全移籍で獲得。徳島にレンタル移籍していた柿谷曜一朗が復帰した。また、ケンペスをレンタルで、ブランキーニョを完全移籍で獲得した。新しいシーズンのキャプテンには藤本康太が就任した。

    • 開幕戦はサガン鳥栖に0-0のドロー。ホーム開幕戦となった大阪ダービーはブランキーニョとケンペスのゴールで2-1で勝利を収めた。


    • 3月27日、杉本健勇が東京Vへ約3ヶ月半の期限付き移籍。

    • 清武弘嗣が7月1日付で1.FCニュルンベルクへ、キム・ボギョンが8月1日付でカーディフ・シティFCへ移籍。それに伴って外国人枠が空き、ASローマからファビオ・シンプリシオを獲得した。加えて、夏の移籍期間には枝村匠馬(清水)とヘベルチ(草津)をともにレンタルで獲得。外国人枠の関係でブランキーニョを山形に期限付きで放出した。

    • 7月27日から8月12日にかけて開催されたロンドンオリンピックの男子サッカーには、山口螢、扇原貴宏、東京Vへの短期レンタルから戻ってきた杉本健勇、1.FCニュルンベルクへの移籍が決まった清武弘嗣(以上日本代表)、カーディフ・シティFCへの移籍が決まったキム・ボギョン(韓国代表)が選出された。3位決定戦で日本対韓国が実現し、上記の5選手すべてが出場した。

    • 成績不振を理由に、監督のセルジオ・ソアレスおよびコーチのデニスとの契約を8月25日付で解除。後任に、前監督のレヴィー・クルピが就任した[8]。クルピとの契約期間は2012年12月2日までだったが、就任後チームの成績が上向くと、チーム側も続投要請を行い、11月15日、新たに2013年2月1日から1年間の契約更新が発表された[9]

    • 最終節までJ1残留を争ったが、最終節で川崎フロンターレに引き分けて、J1残留を決めた。





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2013年開幕戦布陣

監督 クルピ

キム・ジンヒョン

酒本憲幸

茂庭照幸

藤本康太

丸橋祐介

シンプリシオ

横山知伸

山口螢

南野拓実

エジノ

柿谷曜一朗



  • 2013年-ガンバ大阪とヴィッセル神戸がJ2に降格したことにより、関西で唯一のJ1チームとして戦う。監督は引き続きレヴィー・クルピが務め、新戦力として武田洋平(清水)、ク・ソンユン(在鉉高校)、新井場徹(鹿島)、椋原健太(東京、期限付き)、楠神順平(川崎F)、ブランコ(山形からレンタルバック、旧登録名ブランキーニョ)、エジノ(UANLティグレス)が加わり、ユースからは秋山大地、岡田武瑠、小暮大器、南野拓実の4名が昇格した。後藤寛太、高橋大輔が契約満了、舩津徹也、ヘベルチが期限付き移籍期間満了で退団し、荻野賢次郎がアルビレックス新潟シンガポール、児玉新が大分、松井謙弥が徳島(期限付き)へ移籍した。昨季ともに大分へと期限付きで移籍していた夛田凌輔はJ2・群馬に、野口直人はJFL・びわこに、再び期限付きで加入した。また、2012年9月からAリーグ・パース・グローリーFCに期限付き移籍していた永井龍は、移籍期間を2013年4月30日まで延長。2013年シーズンのキャプテンは昨年に引き続き藤本康太が務める。

    • 開幕戦は、この年から新たに背番号8を受け継ぐこととなった柿谷曜一朗のゴールで、アルビレックス新潟相手に1-0で勝利。J1での開幕戦勝利は1999年以来、実に14年ぶりのことであった[10]。また、酒本憲幸がこの試合でJ1リーグ通算100試合出場を達成した。

    • 契約を更新せず、海外挑戦が囁かれていた村田和哉について、3月30日、正式に2013年度の契約を両者合意の上で結ばないことが発表された[11]。その後、村田は清水に加入。同じく去就が発表されていなかったキム・チャンフンは蔚山現代尾浦造船トルゴレFCへの期限付き移籍が発表された[12]

    • 4月9日、武田洋平が右ひざ内側側副じん帯損傷で全治5週間と診断されたと発表された。第3GKだったク・ソンユンがベンチに入ることで、外国人枠の関係でブラジル人選手が3名中2名しかメンバー入りできない事態に陥り、4月11日、昨季岐阜でプレーしていた多田大介を緊急補強[13]。多田にとっては2009年以来、4シーズンぶりの復帰となった。

    • 6月10日、契約期間が6月30日までとなっていたシンプリシオの契約延長が発表された。契約期間は2013年7月1日から2014年1月1日まで[14]

    • 7月1日に井上翔太のギラヴァンツ北九州への[15]、12日に永井龍のパース・グローリーFCへの[16]、そして26日には播戸竜二のサガン鳥栖への期限付き移籍が発表された[17]。いずれも期間は2014年1月31日まで。

    • 7月15日、ユース出身者としてははじめて、柿谷曜一朗、山口螢、扇原貴宏の3選手が日本代表に選出された。そのうち、山口と扇原はハナサカクラブ出身者として初の選出となった。8月27日にキム・ジンヒョンが1年ぶりに韓国代表に選ばれた。

    • 膝の手術のため昨季いっぱいで退団していた高橋大輔が現役引退を決断し、7月24日、クラブの公式ホームページでも発表された[18]

    • 7月26日、「マンチェスター・ユナイテッドツアー2013 PRESENTED BY AON ヤンマープレミアムカップ」として、セレッソ大阪とマンチェスター・ユナイテッドのフレンドリーマッチが長居スタジアムで開催された。マンチェスター・ユナイテッドの一員としてピッチに立った香川真司にとって凱旋試合となったこの一戦は、セレッソが終了間際に失点したことにより、2-2の引き分けに終わった。試合後、香川は「成長した姿を見せられてよかった」「サッカー人生のひとつの歴史になったというか、誇りに思います」などの言葉を残している[19]

    • 10月ごろから「来季からクラブのフィロソフィーを変えるプランもある」(岡野社長)などとして監督・コーチ陣および強化部長を総入れ替えするとの報道が流れはじめ[20]、かつてセレッソにも在籍した名波浩らの名前が監督候補として取り沙汰される中で、11月25日、クルピ監督、マテルヘッドコーチ、ホドウホフィジカルコーチ、梶野智強化部長の退任(契約満了)が正式に発表された。退任の発表にあたり、クルピ監督は「セレッソで過ごした年月を振り返ると、心あたたまる思い出ばかりです。これから先も、いつまでも私はセレッソを応援し続けます」などとするコメントを発表した[21]。結局シーズンは最後までAFCチャンピオンズリーグ2014出場権争いに絡み、第33節終了時には一旦6位に下がるも、最終節に勝利し、前節3位、4位だったが最終節で敗れた鹿島、浦和を抜いて4位でリーグ戦を終了、3位以内での出場権獲得は逃したが、天皇杯の結果次第での出場の可能性を残した。

    • 今季は、柿谷らの活躍もあり、夏ごろから人気が上昇。練習グラウンドにも若い女性が詰めかけるようになり、メディアも「セレ女」などと報じるようになった[22]。その結果、2013年シーズンは観客動員が増加し[23]、また次シーズンの年間シートの売り上げも、過去最高だった今季レベルにまで年内のうちに到達した[24]

    • 第93回天皇杯全日本サッカー選手権では4回戦でサガン鳥栖に敗れたが、天皇杯を2013年J1で2位だった横浜FMが制した為、ACLの出場権を獲得した[25]





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2014年開幕戦布陣

監督 ポポヴィッチ

キム・ジンヒョン

酒本憲幸

藤本康太

山下達也

丸橋祐介

扇原貴宏

山口螢

長谷川アーリアジャスール

南野拓実

柿谷曜一朗

フォルラン




  • 2014年-新監督に前年までFC東京監督だったランコ・ポポヴィッチが就任。北九州から武田博行、京都から染谷悠太と安藤淳、FC東京から長谷川アーリアジャスール、大分から丹野研太、関西大学から小谷祐喜が加入、期限付き移籍していた永井龍、岡田武瑠が復帰した。一方、茂庭照幸がタイ・プレミアリーグのバンコク・グラスFC、金聖基が水戸、横山知伸が大宮、武田洋平が大分へ完全移籍し、2013年シーズン中に期限付き移籍していた井上翔太、播戸竜二、夛田凌輔、松井謙弥がいずれも期限付き移籍先の北九州、鳥栖、群馬、徳島に完全移籍、小暮大器が徳島に期限付き移籍、さらに2013年シーズン期限付き移籍で在籍していた椋原健太、枝村匠馬は契約終了でそれぞれFC東京、清水に戻り、野口直人、多田大介とは契約を更新しないこととなった。1月28日、ウルグアイ代表で南アフリカワールドカップMVPのディエゴ・フォルラン、2月26日にハンブルガーSVからゴイコ・カチャルを7月31日までの期限付き移籍で獲得した。
    • 3年ぶり2度目の出場となるACLではグループリーグをグループEの2位で突破。2大会連続となる決勝トーナメント進出を果たす。しかし、決勝トーナメントのラウンド16で前年中国スーパーリーグとACLの2冠を勝ち取った広州恒大に2戦合計2-5(ヤンマースタジアム長居での第1戦 1-5、広州での第2戦 1-0)で敗れ、ベスト16で敗退した。


  • 6月7日、カチャル本人の意向により早期契約解除が発表。柿谷曜一朗が7月16日にスイスのFCバーゼルへ完全移籍。

  • 成績不振により9日にポポヴィッチ監督とヘッドコーチの契約解除が発表された。6月16日、新監督にマルコ・ペッツァイオリが就任。

  • 8月11日、その柿谷の後釜として、ドイツのシュトゥットガルトを退団したFWカカウが2015年6月までの契約で移籍加入。

  • 9月7日、キャプテンの山口や藤本を怪我で、日本代表の扇原と韓国代表のキム・ジンヒョンを代表招集で欠いた状態で臨んだナビスコカップ準々決勝・川崎フロンターレとの第2戦を3-2で勝った事でペッツァイオリ監督就任後初勝利を果たしたが、ヤンマースタジアムでの第1戦を1-3で落とした事で合計得点で及ばず去年に続いて準々決勝で敗退となった。

  • ペッツァイオリ監督就任後もリーグ戦で全く勝てずに降格圏内に低迷。9月8日、ペッツァイオリ監督とカルステン・ラキースヘッドコーチの解任及びユース監督の大熊裕司が監督に就任したが、11月29日の鹿島戦に敗れて3度目のJ2降格が決まった。



2015年 - 2016年(J2)


  • 2015年-新監督にパウロ・アウトゥオリが監督に就任。玉田圭司、橋本英郎、関口訓充、茂庭照幸、椋原健太、パブロを獲得。また、中澤聡太を期限付きで獲得し、小暮大器が期限付きから復帰した。ユースからは阪本将基、沖野将基、西本雅崇、前川大河、温井駿斗が昇格。具聖潤、高正大、杉本健勇、南野拓実、金聖埈、黒木聖仁が完全移籍し、小谷祐喜、平野甲斐が期限付き移籍をした。
    • リーグ開幕から6試合負けなし(3勝3分)だったが、第7節から金沢・群馬に連敗するなど8試合で3勝5敗、第8節から19節までは、第10節終了後に一度4位になったのを除き、順位は7位以下の昇格プレーオフ圏外で推移する。第15節から9試合負けなし(4勝5分)で、第20節終了後4位に浮上してからは、プレーオフ圏内から落ちることはなく、第30節からは3位をキープしていたが、第35節、4位福岡との直接対決に敗れ4位に後退、続く第36節北九州戦では勝利したものの、試合後アウトゥオリ監督が選手の前で辞意を表明しチームは混乱、続く5試合で2分3敗と失速したことから、11月17日、リーグ最終節を前にアウトゥオリ監督が退任し、強化部長の大熊清が急遽監督に就任。最終順位は4位となりJ1昇格プレーオフに回ったが、決勝で福岡に引き分け。昇格プレーオフのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)によりJ1昇格は成らなかった。



  • 2016年-大熊体制2年目。J3リーグに「セレッソ大阪U-23」が発足。スイス・バーセルから柿谷曜一朗、川崎から杉本健勇が完全移籍でチームに復帰。さらに金沢から清原翔平、鹿島から山村和也、FC東京から松田陸を完全移籍で獲得、期限付き移籍加入だった中澤聡太が完全移籍、小谷祐喜(相模原)、温井駿斗(鈴鹿)、米澤令衣(秋田)、丸岡満(ブンデスリーガ・ドルトムント)が期限付き移籍先から復帰、新外国人としてソウザ、ブルーノ・メネゲウ、リカルド・サントスを補強、ユースから岸本武流、庄司朋乃也が昇格、大学から澤上竜二、木本恭生を獲得した。一方で岡田武瑠、パブロ、エジミウソン、マグノ・クルスが退団、山口蛍がドイツ・ブンデスリーガ2部・ハノーファー、永井龍が長崎、吉野峻光が甲府、染谷悠太が京都、楠神順平が鳥栖へ完全移籍、前川大河が徳島へ期限付き移籍した。

    • 6月に山口蛍がハノーファーから完全移籍で復帰、7月にはアン・ジュンス、ベサルト・アブドゥラヒミの外国人選手2名を補強した。一方で7月に扇原貴宏が名古屋、ブルーノ・メネゲウが中国スーパーリーグの長春亜泰へ完全移籍、橋本英郎が長野、小谷祐喜が熊本へ期限付き移籍した。

    • リーグ開幕から昇格争い圏内を維持、一時は自動昇格圏内に上がるものの第22節以降は3位、第37節で清水に抜かれ4位となりそのまま4位でリーグ戦を終了。J1昇格プレーオフ準決勝は京都(J2・5位)に1-1の引き分けとなり、昇格POのレギュレーション(引き分けの場合はリーグ戦上位チームが勝ち抜け)により決勝進出、決勝は岡山を破り、3年ぶりとなるJ1昇格を決めた。シーズン終了後に大熊が監督を退任した。





2017年 - (J1)




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2017年YBCルヴァンカップ決勝布陣

監督 尹晶煥

キム・ジンヒョン

松田陸

ヨニッチ

木本恭生

丸橋祐介

ソウザ

山口蛍

水沼宏太

清武弘嗣

杉本健勇

柿谷曜一朗



2017年


  • 2017年-新監督に元鳥栖監督でチームOBの尹晶煥が就任。新戦力として仁川ユナイテッドFCからマテイ・ヨニッチ、山口から福満隆貴、FC東京から圍謙太朗を完全移籍で、FC東京から水沼宏太を期限付き移籍で獲得、セビージャから清武弘嗣が完全移籍で復帰。ソウザが完全移籍に移行した。また、U-18から斧澤隼輝、森下怜哉、舩木翔が昇格。大山武蔵、茂木秀の高校生2名を獲得し、広島ユースから山根永遠、早稲田大学から山内寛史を獲得した。一方で、北野貴之、中澤聡太、田代有三が退団、小暮大器が愛媛、玉田圭司が名古屋、長野へ期限付き移籍していた橋本英郎が東京Vへ完全移籍、武田博行が東京V、米澤令衣が山口、池田樹雷人がタイ・リーグ・バンコク・グラスFCへ期限付き移籍、小谷祐喜(熊本)、平野甲斐(タイ・リーグ・アーミー・ユナイテッドFC)は期限付き移籍先へ完全移籍し、ベサルト・アブドゥラヒミは期限付き移籍期間満了となった。
    • 6月に庄司朋乃也が金沢へ、7月に清原翔平が徳島へ、丸岡満が長崎へそれぞれ期限付き移籍した。


  • リーグ戦では第4節の鳥栖戦で初勝利を挙げる。その後、トップ下にコンバートされた山村や1トップに入った杉本の好調もあり、前半戦を首位で折り返す。8月から9月にかけては2勝1分5敗と苦しんだが、9月9日、第25節FC東京戦に勝利し、同節16位となった広島が引き分けたことで、年間順位15位以上が確定、J1昇格プレーオフにより昇格したクラブとして史上初めてJ1残留を決めた。第29節以降は5連勝し、第33節の神戸戦での勝利で3位を確定させ、翌シーズンのACL出場権を獲得した[26]。山口が2度目の、リーグ2位の22得点を挙げた杉本健勇が初のベストイレブンに選出されたほか、監督の尹が優秀監督賞を受賞した。

  • ルヴァンカップではリーグ戦で控え組の選手が活躍して準決勝まで勝ち進みガンバ大阪と決勝をかけて戦った。1stレグはホームで2-2の引き分けだったが、2ndレグでは後半終了直前の木本のゴールで2-1で勝利し、クラブ史上初の決勝進出を果たした[27]。そのルヴァンカップ決勝では杉本とソウザのゴールで川崎に2-0で勝利し、クラブ史上初の優勝を果たした[28]

  • 天皇杯でもルヴァンカップに続いて決勝まで勝ち進んだ。決勝戦では横浜FM相手に先制されるも山村と水沼の得点で逆転してクラブ初の優勝を遂げた。この優勝でルヴァンカップに続いて2冠を達成した[29]


2018年


  • 尹体制2年目。浦和から高木俊幸、岡山から片山瑛一、浦項スティーラースからヤン・ドンヒョン、HJKヘルシンキから田中亜土夢を獲得。また、バンコク・ユナイテッドFCからチャウワット・ヴィラチャードを期限付き移籍で獲得し、前年FC東京から期限付き移籍で加入していた水沼宏太が完全移籍。関西学院大学から魚里直哉、福岡大学から永石拓海、長崎総合科学大学附属高等学校から安藤瑞季が新加入。U-18から山田寛人と中島元彦が昇格した。

  • 初出場となったFUJI XEROX SUPER CUPでは、川崎Fに3-2で勝利し初優勝を果たした。天皇杯優勝チームが同大会で優勝するのは、2008年の広島以来10年ぶりとなった。

  • 4年ぶりに出場するAFCチャンピオンズリーグ2018は、広州恒大、済州ユナイテッドFC、ブリーラム・ユナイテッドと対戦。第1節・済州戦を勝利、第2節・広州恒大戦を引き分け2試合計で勝ち点4を獲得した。第3節・ブリーラム戦では杉本や山口、柿谷やキム・ジンヒョンらを筆頭に4日前に行われた札幌戦のスタメンをいずれも帯同させずに試合に臨んだが2失点を喫し敗戦。第4節はブリーラムをホームに迎えた。ヤン・ドンヒョンのオウンゴールなどで2点を失ったが、杉本が終了間際に同点ゴールを決めて引き分けとした。第5節・済州戦には勝利、アウェーゲームとなった最終節・広州恒大戦は怪我から復帰したばかりの清武を始め、杉本や山口、柿谷等、3日前に行われたJ1第8節・FC東京戦からスタメンを10人入れ替え試合に臨んだ[30]。試合は1-3で広州恒大に敗戦、決勝トーナメント進出を争っていたブリーラムが済州ユナイテッドに勝利した為、グループリーグ3位となり、チーム史上初のグループステージ敗退となった。最終節の試合後の会見で尹は記者からの「ACLよりJリーグを優先しているのか」という質問に対し、「ACLよりJリーグに重点を置いてるのは事実」と答えている[31]。このスタメン入れ替え策については、オーストラリア出身のサッカージャーナリスト・スコット・マッキンタイヤー(英語版)から「セレッソ大阪はACLを完全に嘲笑している」と発言された他、Twitterやインターネット掲示板でも賛否が分かれた[30]



成績




タイトル・表彰



国内タイトル




  • Jリーグカップ:1回
    • 2017



  • 天皇杯全日本サッカー選手権大会:1回
    • 2017



  • FUJI XEROX SUPER CUP:1回
    • 2018




表彰


J1リーグ




  • ベストイレブン


    • 1995年 日本の旗 森島寛晃


    • 1999年 大韓民国の旗 黄善洪


    • 2000年 日本の旗 森島寛晃、 日本の旗 西澤明訓


    • 2005年 日本の旗 吉田宗弘、 日本の旗 古橋達弥


    • 2011年 日本の旗 清武弘嗣


    • 2013年 日本の旗 山口蛍、 日本の旗 柿谷曜一朗


    • 2017年 日本の旗 山口蛍、 日本の旗 杉本健勇




  • 得点王
    • 1999年 J1 大韓民国の旗 黄善洪



  • ベストヤングプレーヤー賞
    • 2013年 日本の旗 南野拓実



  • 優秀監督賞
    • 2017年 J1 大韓民国の旗 尹晶煥



  • フェアプレー賞高円宮杯
    • 2018年


  • フェアプレー賞
    • 2017年



  • フェアプレー個人賞

    • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗

    • 2017年 日本の旗 柿谷曜一朗




  • 功労選手賞
    • 2009年 日本の旗 森島寛晃



  • 最優秀ゴール賞
    • 2013年 日本の旗 柿谷曜一朗(第33節・対鹿島戦・38分)



J2リーグ


  • 得点王

    • 2009年 日本の旗 香川真司


アジアサッカー連盟(AFC)



  • アジア年間最優秀ユース選手賞
    • 2003年 日本の旗 大久保嘉人


Jリーグカップ


  • 最優秀選手賞
    • 2017年 日本の旗 杉本健勇


その他




  • Jリーグベストピッチ賞


    • 2012年 キンチョウスタジアム

    • 2013年 キンチョウスタジアム



  • 最優秀育成クラブ賞


  • 報知プロスポーツ大賞
    • 2003年 Jリーグ部門 日本の旗 大久保嘉人



  • 日本プロスポーツ大賞
    • 2013年 新人賞 日本の旗 南野拓実


  • 関西スポーツ賞

    • 2009年 特別功労賞 日本の旗 森島寛晃

    • 2018年 日本の旗 セレッソ大阪[32]





スタジアム他


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南津守グラウンドのクラブハウス




南津守グラウンド




ホームスタジアム


ホームスタジアムはキンチョウスタジアムおよびヤンマースタジアム長居である[1]。なお、過去のホームゲーム開催スタジアムは「セレッソ大阪の年度別成績一覧#年度別入場者数」を参照のこと。


2015年9月29日、金鳥スタの育成型複合スタジアム化計画「セレッソの森 スタジアム構想」を発表。収容人員を4万人規模に拡大し、現在の収容が1万7892人だが、改修後は2万6000人規模のスタジアムになる予定だ。改修費は約50億円を想定している。工費の一部は募金でまかなう予定。2017年頃から着工し、2021年の間に完成を目指すとしている[33]。完成後はホームスタジアムを金鳥スタのみに完全移行する方針[34]



練習場・クラブハウス


トップチームのトレーニングは2013年から舞洲スポーツアイランドの「セレッソ大阪スポーツクラブ クラブハウス・グラウンド」を使用している[1]。この練習場は既存の舞洲球技場を大阪市から賃貸し、天然芝化やクラブハウスの新設などしたもの[35] で、天然芝2面・新設の人工芝1面があり、下部組織チームも使用している[36]


なお、2012年まで練習場として使用していた南津守さくら公園スポーツ広場はセレッソ大阪堺レディースやアカデミーが使用している。また2010年以降は毎年9月中旬から約1ヶ月間行う天然芝の養生期間に限りJ-GREEN堺を使用することもある。以前は舞洲島内北部にあった旧・舞洲グラウンド(現在の施設とは別の場所・2010年4月閉鎖)や尼崎市のヤンマーグラウンド(現在は下部組織チームが使用)も使用していた。



スローガン











































































年度 スローガン
1994 Jump To J!
1995 To Be Professional
真のプロフェッショナルをめざして
2002 Passion to the Top
2003 PASSION SOUL 情熱魂
2004 Be ONE!
2005 日々進化
2006 さらなる挑戦
2007 猛進
2008 YOU ARE MY HEART
2009 ユアマイハート
2010 攻めきる。~最後の笛が鳴るまで~
2011 攻めきるMAXかかげよ桜冠
2012 追球 THE CEREZO
2013 冒険 ココロ躍れ
2014 史上最攻 ~時は、来た。~
2015 For The Top of Dreams
2016以降 SAKURA SPECTACLE
~閃け。輝け。咲き誇れ。~


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ユニフォーム















































ユニフォームの色
カラー
シャツ
パンツ
ストッキング
FP(1st)
ピンク


FP(2nd)


ピンク/白
GK(1st)



GK(2nd)



GK(3rd)
ピンク
ピンク
ピンク



















FP 1st
















FP 2nd






















GK 1st
















GK 2nd
















GK 3rd





チームカラー



  •     ピンク[1]


ユニフォームデザイン



  • 1994年から1996年まで使用したフィールドプレーヤー用の1stユニフォームは、シャツおよびストッキングがピンク、パンツが空色であった。1997年以降の胸デザインはピンク×紺の縦縞であるが、2006年以降は縦縞がさほど強調されなくなっている(2006年 - 2007年モデルは右胸が紺で左胸がピンクの2ブロック。2008年 - 2009年モデルは前年までの配色が反転したようなデザイン、2010年 - 2011年モデルはピンク地に3本の太い縦縞の3ブロック)。

  • 2012年モデルは、胸から上がピンク地で下はピンク×紺の縦縞と、ピンクの割合が多くなった。2013年モデルは右胸部と左腰部に紺の太い斜め縞が入っていた。2014年モデルは紺の縞模様がなくなりピンクの色味も変わった。2005年のフィールドプレーヤー用の2ndユニフォームは、シャツ・パンツ・ストッキングに薄手のグレーを採用していた。

  • 2010年8月8日のキンチョウスタジアムのオープニングゲームでは、専用デザイン(ピンクが真ん中に1ブロック)のメモリアルユニフォームを着用した。

  • 2017年J1第32節から天皇杯決勝までの間、左胸のエンブレム上にルヴァンカップ優勝を示す星がつけられた。



ユニフォームスポンサー




















































掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考

ヤンマー YANMAR 2006年 - 1995年 - 1996年は袖、
1997年 - 2005年は背中
鎖骨
なし
背中上部
日本ハム Nipponham 1994年後半
2006年 -
1994年前半、1995年 - 2005年は胸
(2009年は「Nippon Ham」、
2010年 - 2014年は「ニッポンハム」表記)
背中下部
シンハーコーポレーション SINGHA 2016年 -

大日本除虫菊 KINCHO 2010年7月 -
パンツ
ナカバヤシ ナカバヤシ 2018年 -


ユニフォームサプライ



  • 1994年 - 2014年:リーグ戦・カップ戦ともミズノ

  • 2015年 - 現在:プーマ



歴代ユニフォーム
































































歴代ユニフォームスポンサー年表





































































































年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
1994
CAPCOM /
Nippon Ham
解禁前
Nippon Ham /
CAPCOM
解禁前 ヤンマー 解禁前
Mizuno
1995 NIPPON
HAM

CAPCOM
1996
1997 Yanmar
2008大阪オリンピック
招致委員会
1998
1999 -
2000
タマノイ酢
2001
2002
大装ハウス
2003
大装
2004
SPORTS
DEPO
2005
2006 YANMAR NIPPONHAM
SUPER H2O
2007
OSAKA
PiTaPa
2008
2009 -
2010 ニッポンハム - /
KINCHO
- /
SANYU
2011 KINCHO
SANYU
2012
2013
2014
2015 Nipponham
PUMA
2016
SINGHA
2017
2018 -
ナカバヤシ


セレッソ大阪U-23





























セレッソ大阪U-23
呼称
セレッソ大阪U-23
愛称
SAKURA NEXT[37]
創設年
2016年
所属リーグ
日本プロサッカーリーグ
所属ディビジョン
J3リーグ
監督
日本の旗 大熊裕司

■テンプレート(■ノート)■サッカークラブPJ

セレッソ大阪U-23(セレッソおおさか・アンダートゥエンティースリー)は、2016年からJ3リーグ(J3)に参加する、セレッソ大阪所属の23歳以下の選手で構成されるサッカーチーム(U-23チーム)[38]



概要(U-23)


2015年12月15日、Jリーグの理事会において2016年シーズンよりJ1・J2クラブの「U-23チーム」がJ3に参加することが発表され[39]、初年度参加チームの一つとして承認された[38]。「タフな試合環境の中でトップチームを担う次の才能を開花させる」との思いを込めて、SAKURA NEXT(サクラ・ネクスト)という独自愛称が与えられている[37]


U-23を育成の一番上のカテゴリー(もしくは育成とトップチームの間)として位置づけ、トップチームと別に練習を行ってチームの育成を図っている[40][41]



略歴(U-23)


2016年

初年度の監督には、2014年シーズン途中からトップチームの指揮を執り、2015年にはアカデミー(U-18)の監督を務めた大熊裕司が就任[42]。また、初年度では若手がトップチームに上がることが少なかったが、序盤戦にオーバーエージ枠で出場していた清原翔平がトップチームに這い上がった[43]


2017年

大熊体制2年目。開幕戦では瀬古歩夢、喜田陽といった高校1年生も選ばれ、平均年齢17歳で挑んだ。また、序盤こそは選手の入れ替わりがあって苦しんだが、斧澤隼輝、西本雅崇がトップに絡み、ユースの小林洵が試合を重ねて成長をした[44]


2018年

大熊体制3年目。第3節から第12節にかけて10戦負け無し(5勝5分)を記録し一時は2位にも入った。その後は2度の連敗もあって順位を落とすが、第23節から第26節にかけて4連勝を記録するなど、最終的にはチーム発足後初めて勝利数が敗戦数を上回り、順位も過去最高の7位でシーズンを終えた。個人では、米澤令衣が得点ランク6位の12ゴールを記録する活躍を見せた。



活動方針(U-23)



  • ゴールを奪う選手の強化育成[37]

  • ボールを奪う選手の強化育成[37]

  • 勝利に貪欲な選手の強化育成[37]



ホームゲーム開催試合数(U-23)



























年度 金鳥スタ ヤンマー その他
2016 13 2 0
2017 8 7[注 1]

高知陸1
2018 8 8 0


成績(U-23)























































年度 所属 順位 試合 勝点 得点 失点 得失点 監督
2016 J3 12位 30 32 8 8 14 38 47 -9
日本の旗 大熊裕司
2017 13位 32 35 8 11 13 39 43 -4
2018 7位 32 46 13 7 12 47 36 +11


表彰(U-23)



  • フェアプレー賞
    • 2017年



ユニフォーム


ユニフォームデザイン及びユニフォームのサプライヤーはトップチームと同じ。



ユニフォームスポンサー




















































掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考

ヤンマー YANMAR 2016年 -
鎖骨
なし
背中上部
日本ハム Nipponham 2016年 -
背中下部
ナカバヤシ ナカバヤシ 2016年 -

和なか たこ焼道楽 わなか 2016年 -
パンツ
なし


歴代ユニフォームスポンサー年表

























年度 鎖骨 背中上部 背中下部 パンツ サプライヤー
2016 YANMAR - Nipponham ナカバヤシ たこ焼道楽 わなか -
PUMA
2017
2018


アカデミー


セレッソ大阪のアカデミーは、各年代別日本代表にも多くの選手を輩出しており、アカデミー出身の柿谷曜一朗や山口蛍、扇原貴宏、杉本健勇、南野拓実らが日本代表に選ばれている。また、セレッソ大阪の育成組織である「ハナサカクラブ」にも注目が向けられている[45]


2016年から長期的な「SAKURA SPECTACLE」というクラブ哲学が発表され、アカデミーの名称をスペイン語で「セレッサ」と呼ぶことになった。



アカデミーの構成


セレッソ大阪のアカデミーは年代別の選抜チームとして、第2種(高校生年代)の「U-18」、第3種(中学生年代)の「U-15」、「西U-15」、「和歌山U-15」、第4種(小学生年代)の「U-12」がある。これらは、次のようなピラミッド構造を形成している。
























セレッソ大阪 アカデミーの構成 2017年時点
チーム 登録種別
U-18 第2種(高校生年代)
U-15 第3種(中学生年代)
西U-15
和歌山U-15
U-12 第4種(小学生年代)

2009年にはレディースU-15(セレッソ大阪レディース)が設立され、2013年よりなでしこリーグ2部相当の「なでしこチャレンジリーグ」参入を果たすなど、女子選手の育成にも力を入れている。



ハナサカクラブ


ハナサカクラブは、セレッソ大阪の育成組織をサポートすることを目的に設立した育成サポートクラブ(個人協賛会)で、2007年に発足した。個人や団体などから年度ごとに会費を募り、合宿や遠征、練習試合、食事などの費用補助にする。ハナサカクラブの会費はクラブ運営費とは完全に分けられ、育成組織の活動をサポートするためのみに活用される。



セレッソ大阪スポーツクラブ


ユースを含めたすべての育成組織のチームは2012年より、セレッソ大阪スポーツクラブが運営している。




出身選手




主な成績



U-18




  • 高円宮杯U-18サッカーリーグ チャンピオンシップ
    • 優勝1回 : 2014年



  • 高円宮杯U-18サッカーリーグ プレミアリーグWEST
    • 優勝1回 : 2014年



  • 日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会

    • 優勝2回 : 1996年、2009年

    • 準優勝1回 : 1994年




  • Jリーグユース選手権大会
    • 準優勝2回 : 2008年、2011年



  • 高円宮杯U-18サッカーリーグ プリンスリーグ関西
    • 優勝2回 : 2008年、2010年




U-15




  • 高円宮杯 JFA 全日本U-15サッカー選手権大会
    • 優勝1回 : 2015年



  • 高円宮杯U-15サッカーリーグ関西 サンライズリーグ
    • 優勝1回 : 2014年




西U-15



  • 高円宮杯U-15サッカーリーグ関西 サンライズリーグ
    • 優勝1回 : 2009年



U-12




  • JFA 全日本U-12サッカー選手権大会
    • 優勝2回 : 2014年, 2017年



  • ダノンネーションズカップ in JAPAN
    • 準優勝1回 : 2012年




BGM



選手紹介

















年度 曲名 アーティスト名 DJ
2006 Dark Chest of Wonders ナイトウィッシュ
西川大介
2007
2008


選手入場


















年度 曲名 アーティスト名
2008 saturate
ケミカル・ブラザーズ
2009 セレッソ大阪アンセム
本間勇輔


決算


セレッソ大阪の決算は、つぎのとおり。



損益





































































































年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益
純利益
2005 2,311 1,110 392 413 396 2,283 1,599 N.A. 684 28 79
2006 2,108 1,161 328 242 377 2,318 1,697 1,150 621 -210 -199
2007 2,066 1,102 200 109 655 2,045 1,497 889 548 21 208
2008 1,940 1,293 216 106 325 1,999 1,448 824 551 -59 -64
2009 2,241 1,252 278 122 589 2,319 1,650 1,085 669 -78 -84
2010 2,554 1,282 428 290 554 2,528 1,938 1,301 590 26 3


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010


金額の単位: 百万円


人件費は事業費に含まれる。
















































































































年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益
純利益
2011 2,527 1,361 449 223 20 474 2,570 1,185 348 184 56 7 790 -43 -54
2012 2,618 1,120 495 228 0 775 2,546 969 290 538 0 0 749 72 63
2013 3,213 1,499 954 220 0 540 3,201 1,212 464 652 0 0 873 8 6
2014 3,711 1,511 856 232 0 1,172 3,859 1,680 341 679 0 0 1159 -88 -90
2015 2,712 1,505 464 109 0 634 3,195 1,523 297 498 0 0 877 -483 16


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2011、
2012、
2013、
2014、
2015


金額の単位: 百万円












































年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益
純利益
2016 3,008 1,738 510 102 0 239 419 2,983 1,494 324 345 0 0 189 631 25 8


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2016


金額の単位: 百万円





資産






























































































年度 総資産 総負債 純資産 資本金
2005 452 144 307 315
2006 314 206 108 315
2007 486 170 316 315
2008 543 291 251 315
2009 622 455 167 315
2010 724 554 169 315
2011 694 579 115 315
2012 722 543 179 315
2013 784 599 185 315
2014 811 716 95 315
2015 813 703 110 315
2016 1,300 1,181 119 315


出典: 各年度のJ1 クラブ決算一覧。
2005、
2006、
2007、
2008、
2009、
2010、
2011、
2012、
2013、
2014、
2015、
2016


金額の単位: 百万円





脚注


注釈





  1. ^ うち1試合は和歌山県紀三井寺で開催する予定だったものが平成29年台風第18号の影響により中止されたものの代替開催。



出典




  1. ^ abcdefghijklmnopqrstuvwx“プロフィール:セレッソ大阪”. 日本プロサッカーリーグ. 2016年12月6日閲覧。

  2. ^ abc“会社概要”. セレッソ大阪. 2014年2月21日閲覧。

  3. ^ abcdefg“2017年度(平成29年度)Jクラブ個別情報開示資料”. 日本プロサッカーリーグ. 2018年8月7日閲覧。


  4. ^ “堺市がセレッソ大阪のホームタウンに!!” (プレスリリース), 堺市, (2014年2月10日), http://www.city.sakai.lg.jp/kurashi/sports/oshirase/serezo0209.html 2016年2月22日閲覧。 


  5. ^ EL GOLAZO 2009年6月24日号。


  6. ^ Twelfth 2010年2月号。


  7. ^ 「レヴィー・クルピ監督との契約について」 セレッソ大阪公式サイト、2011年11月16日


  8. ^ 「監督交代のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2012年8月26日


  9. ^ 「レヴィー・クルピ監督 契約更新のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2012年11月15日


  10. ^ 「【C大阪】柿谷V弾!背番「8」が決めた!14年ぶり開幕飾る」 スポーツ報知、2013年3月3日[リンク切れ]


  11. ^ 「村田和哉選手の契約についてのお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年3月31日


  12. ^ 「キム チャンフン選手期限付き移籍のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年3月30日


  13. ^ 「多田大介選手 加入のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年4月11日


  14. ^ 「シンプリシオ選手 契約更新のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年6月10日


  15. ^ “【13/07/01】井上翔太選手 ギラヴァンツ北九州に期限付き移籍のお知らせ”. セレッソ大阪 (2013年7月1日). 2013年7月12日閲覧。


  16. ^ “【13/07/12】永井 龍選手 パース・グローリーFC期限付き移籍期間延長のお知らせ”. セレッソ大阪 (2013年7月12日). 2013年7月12日閲覧。


  17. ^ 「播戸竜二選手 サガン鳥栖に期限付き移籍のお知らせ」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月26日


  18. ^ 「高橋大輔選手の現役引退について」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月24日


  19. ^ 「マンチェスター・ユナイテッド モイーズ監督、香川選手コメント」 セレッソ大阪公式サイト、2013年7月27日


  20. ^ 「セレッソ大改造!クルピ監督今季限りで退任、コーチ陣総入れ替え」 スポーツニッポン、2013年10月10日


  21. ^ 「レヴィー・クルピ監督との契約について」 セレッソ大阪公式サイト、2013年11月25日


  22. ^ たとえば、「サッカー業界で話題。“セレ女”って何?」 フットボールチャンネル、2013年11月27日


  23. ^ 1試合あたりの平均観客動員数で見ると、J1全体が昨季より約3%落とす中、セレッソは約11%増となった。「『セレッソ女子』急増中 イケメン効果?観客数1割増」 朝日新聞、2013年12月4日


  24. ^ 「C大阪 柿谷&山口人気で来季の年間シート売り上げ絶好調」 スポーツニッポン、2013年12月27日


  25. ^ “AFCチャンピオンズリーグ2014出場権獲得のお知らせ” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2013年12月29日), https://www.cerezo.jp/news/2013-12-29 2016年2月22日閲覧。 


  26. ^ C大阪逆転で5連勝、3位以上を確定/C-神33節 日刊スポーツ、2017年11月26日h


  27. ^ C大阪 劇的ロスタイム弾で初の決勝へ G大阪は4年連続決勝進出ならず スポーツニッポン、2017年10月8日


  28. ^ ルヴァン杯優勝はC大阪! 杉本が決勝点、クラブ史上初タイトルを獲得! サッカーキング、2017年11月4日


  29. ^ セレッソ大阪、延長戦を制して43年ぶりの優勝で今季2冠 ~第97回天皇杯全日本サッカー選手権大会決勝~ 公益財団法人日本サッカー協会公式サイト、2018年1月2日

  30. ^ abセレッソはACLから「追放されるべき」 主力温存、豪ジャーナリストが激怒JCASTニュース、2018年4月18日、2018年4月19日閲覧


  31. ^ セレッソ散った…主力不在で見せ場欠き、ACL1次リーグ敗退スポーツニッポン、2018年4月17日、2018年4月19日閲覧


  32. ^ “関西スポーツ賞に2団体7個人 柔道・阿部詩ら” (プレスリリース), 神戸新聞NEXT, (2018年1月9日), https://www.kobe-np.co.jp/news/sports/201801/0010883170.shtml 2018年1月16日閲覧。 


  33. ^ “キンチョウスタジアムの育成型複合スタジアム化改修に関して”. セレッソ大阪. (2015年10月3日). https://www.cerezo.co.jp/news/2015-10-03-3/ 2015年10月9日閲覧。 


  34. ^ “C大阪社長「国際基準のスタジアム」本拠地を改修”. 日刊スポーツ. (2015年9月29日). http://www.nikkansports.com/soccer/news/1545854.html 2015年10月9日閲覧。 


  35. ^ “舞洲球技場及び球技場関連施設用地の入札結果について”. 大阪市. 2013年6月13日閲覧。


  36. ^ セレッソ大阪ブログ2013年1月19日より

  37. ^ abcde“2016シーズン クラブスローガン・チーム方針について” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2016年1月17日), https://www.cerezo.co.jp/news/2016-01-17-4/ 2016年1月17日閲覧。 

  38. ^ ab“セレッソ大阪U-23 2016明治安田生命J3リーグに参加決定” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2015年12月15日), https://www.cerezo.co.jp/news/2015-12-15-5/ 2016年1月17日閲覧。 


  39. ^ “2016明治安田生命J3リーグへ参加するU-23チームが決定!” (プレスリリース), 日本プロサッカーリーグ, (2015年12月15日), http://www.jleague.jp/release/post-40975/ 2016年1月17日閲覧。 


  40. ^ “U−23が参戦するJ3、成功の鍵は?FC東京、G大阪、C大阪それぞれの事情” (プレスリリース), スポーツナビ, (2016年2月7日), http://sports.yahoo.co.jp/column/detail/201602070004-spnavi?p=2 2016年6月6日閲覧。 


  41. ^ 川端暁彦 (2016年4月25日). “「三者三様」U-23チームのJ3参戦はいかに(♯35)”. J.LEAGUE.jp. 2017年9月12日閲覧。


  42. ^ “2016シーズン チームスタッフ決定のお知らせ” (プレスリリース), セレッソ大阪, (2016年1月17日), https://www.cerezo.co.jp/news/2016-01-17-2/ 2016年1月17日閲覧。 


  43. ^ C大阪U23 もの足りなかったJ3参入1年目 台頭する若手が見たい スポーツニッポン(2016年12月14日)2016年12月20日閲覧。


  44. ^ セレッソ番の3記者が語る「2017総括&2018展望」vol.5 まいど!セレッソ~マイセレ(2018年1月13日)


  45. ^ たとえば、「C大阪のアカデミー出身の柿谷、山口、扇原が東アジア杯制覇に貢献・・・クラブ関係者が明かす日本代表選出の舞台裏」 SOCCER KING、2013年7月29日




関連項目



  • セレッソ大阪の選手一覧

  • セレッソ大阪堺レディース

  • オリックス・バファローズ

  • 大阪ダービー

  • 関西ダービー


  • ゴラッソ!セレッソ - 関西テレビで放送されているセレッソ大阪応援番組

  • セレッソ大阪スポーツクラブ



外部リンク



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