ジョアッキーノ・コロンボ
ジョアッキーノ・コロンボ(Gioacchino Colombo 、1903年 - 1987年)はイタリア・レニャーノ出身のレーシングカーのエンジン設計者である。
経歴
1924年 - アルファロメオのポルテッロ工場に着任、ヴィットリオ・ヤーノの見習いとして働きはじめ、スクーデリア・フェラーリの責任者になった。
1937年 - アルフェッタ用に設計した158型エンジンがエンツォ・フェラーリの目にとまり第二次世界大戦後に新しいフェラーリのスポーツカーと市販車用の小さいV12を設計するようにコロンボに頼んだ。
1947年 - フェラーリでの最初の仕事は、フェラーリ・125に使用され初期フェラーリを象徴するエンジンとして知られている1497ccV12エンジンであった。このエンジンは「コロンボ・エンジン」と俗称されフェラーリ・275用の3285ccまで大型化されつつ使用された。その後スーパーチャージャーを取り付けられてF1用に転用されたが成功を収められず、アウレリオ・ランプレディの設計に代わった。
1950年 - フェラーリを去って、アルファロメオに戻り、F1で成功した。その年にジュゼッペ・ファリーナと1951年のファン・マヌエル・ファンジオについて監督した。
1953年 - マセラティに転職しグランプリ用の車であるマセラッティ・250F用エンジンを製作。
1955年 - ブガッティに転職し251型のエンジンを製作した。
1957年 - MVアグスタに転職、1970年まで勤めた。
1987年 - ミラノで死去。