6世紀






















千年紀:

1千年紀

世紀:

5世紀 - 6世紀 - 7世紀

十年紀:

500年代 510年代 520年代 530年代 540年代
550年代 560年代 570年代 580年代 590年代



地中海の再統一。画像はラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂の東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世と随臣のモザイク。




サーサーン朝の栄光。画像はホスロー1世を描いたサーサーン朝時代の大皿で、パリのフランス国立図書館メダル陳列室(コイン・メダル博物館)(英語版)所蔵のもの。





無明時代のアラビア語詩人たち。イスラム教勃興直前のこの時代にアラビアでは優れた詩人たちが活躍した。画像はその代表的な詩人アンタラ・イブン・シャッダードの細密画で、勇猛な戦士の姿で描いている。





前期チャールキヤ朝。デカン地方から南インドに展開した王朝で都はバーダーミにあった。画像はキールティヴァルマン1世の弟マンガレーシャにより建立されたバーダーミのヒンドゥー教石窟寺院第3窟でヴィシュヌ神の像が安置されている。





禅宗の祖師達磨。仏教の保護者として有名な梁の武帝との問答でも知られるが、経歴に不明な点も多い。画像は雪舟等楊の「慧可断臂図」(愛知県常滑市斉年寺蔵)。





六朝の都建康。現在の南京であるこの地は中国南朝の歴代の都となり、貴族による文化が花開いた。画像は南京にある梁の武帝の異母弟蕭恢の墓を守る辟邪の石刻。





隋の文帝。南北朝時代を終わらせて300余年ぶりに中国を統一し、「開皇の治」と呼ばれる安定期をもたらした。




関東の人物埴輪。6世紀に畿内での埴輪作成は減少するが、関東では最盛期を迎える。画像は「国宝武装男子立像(群馬県太田市出土)」で東京国立博物館蔵となっている。





モチェ文化。ペルー北部海岸地帯に成立した文化で、紀元前1世紀から紀元後7世紀まで続くが、6世紀半ば以降には急速に衰退した。画像はトルヒーヨ近郊にある「太陽のワカ、月のワカ」の神殿基壇部レリーフに極彩色で描かれた最高神アイアパエクの像。





東ゴート王国の盛衰。オドアケルを倒した東ゴート王テオドリックのもとイタリアはつかの間の平和を享受した。やがてこの国は6世紀半ばには東ローマ帝国の膝下に屈服することになる。画像はラヴェンナにあるテオドリック廟。




『ロッサーノの福音書』。古代末期の混乱で散逸した写本は数知れないが、この福音書は『ウィーン創世記』や『シノペの福音書』と並び現存するこの世紀に造られた数少ない写本で、「コデックス・プルプレウス」という紫染めの羊皮紙を用いた豪華なものである。




エジプトのコプト正教会。歴代東ローマ皇帝の妥協にもかかわらず、エジプトでは単性論とも呼ばれる非カルケドン派が主流派であり、この時期には帝国からの分離傾向が強まった。画像は6世紀に作られたコプト織でエジプトで熱心に崇敬された「神の母(テオトコス)」がデザインされている。





ベイト・アルファ遺跡(英語版)。現在のイスラエル北部にあるユダヤ教のシナゴーグの遺跡。画像は東ローマ帝国支配の時代に作られた床面のモザイク画で黄道帯(ゾディアック)の輪が十二宮の象徴を伴って描かれている。


6世紀(ろくせいき)とは、西暦501年から西暦600年までの100年間を指す世紀。




目次






  • 1 できごと


    • 1.1 500年代


    • 1.2 510年代


    • 1.3 520年代


    • 1.4 530年代


    • 1.5 540年代


    • 1.6 550年代


    • 1.7 560年代


    • 1.8 570年代


    • 1.9 580年代


    • 1.10 590年代


    • 1.11 600年代




  • 2 伝説・フィクションのできごと


  • 3 時代の動向


    • 3.1 東アジア


      • 3.1.1 大陸


      • 3.1.2 朝鮮半島


      • 3.1.3 日本




    • 3.2 西アジア


    • 3.3 南アジア


    • 3.4 東南アジア


    • 3.5 ヨーロッパ




  • 4 人物


    • 4.1 地中海世界とヨーロッパ


      • 4.1.1 イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで)


      • 4.1.2 フランク王国


      • 4.1.3 イングランド・アイルランド


      • 4.1.4 西ゴート王国


      • 4.1.5 東ローマ帝国




    • 4.2 西アジア


    • 4.3 中央アジア


    • 4.4 南アジア


    • 4.5 東アジア


      • 4.5.1 南朝


      • 4.5.2 北朝


      • 4.5.3


      • 4.5.4 朝鮮


      • 4.5.5 日本






  • 5 脚注


  • 6 参考文献


  • 7 関連項目


  • 8 外部リンク





できごと



500年代




  • 502年 - 南朝の斉に代わり蕭衍(武帝)が梁を建てる。

  • 503年 - 「癸未年八月」の干支銘をもつ人物画像鏡が和歌山県橋本市の隅田八幡神社に伝わる(癸未年を443年とする説もある)。

  • 504年 - 東ゴート国王テオドリックがゲピド族をカルパティア山脈周辺から放逐する。

  • 507年

    • 男大迹王が河内国樟葉宮にて治天下大王に即位。後に奈良時代に至り継体天皇の漢風諡号が撰進される。


    • 鍾離の戦いで、梁が北魏に勝利する。

    • ブイエの戦いでフランク王国が西ゴート王国に勝利。西ゴート王国は南ガリアの領土を喪失。



  • 507年-511年頃 - フランク国王クロヴィス1世のもとで「サリカ法典」が編纂される。

  • 507年頃 - バーミヤンの大仏(東大仏)が建造される(西大仏は551年頃)。



510年代




  • 510年代 - エフタルのトラマーナ王と続くミヒラクラ王がインドにたびたび侵入する。

  • 511年 - フランク国王クロヴィス1世が死去し、領土はソワソン・パリ・ランス・オルレアンの各王国に分割される。

  • 512年 - 『ウィーン写本』が作成される。
    • 古代ローマの医師ディオスコリデスが著した『薬物誌』の写本のひとつで、西ローマ帝国の皇女であった貴婦人アニキア・ユリアナ(英語版)(462年 - 527/528年)に献上されたもの。


  • 515年 - 北魏で大乗の乱が起こる。

  • 518年 - ガリラヤ湖畔のベト・アルファ(英語版)のシナゴーグの床モザイク壁画が作成される( - 527年)。



520年代




  • 520年

    • インドのグプタ朝が分裂し統一王朝は崩壊。グプタ朝の版図は北ベンガルとビハールに限定される。

    • 北魏の使者である宋雲と恵生がバダフシャン付近でエフタル王ミヒラクラに謁見する。


    • ラヴェンナに東ゴート国王のためのテオドリック廟が建立される。



  • 523年

    • 北魏で六鎮の乱が起こる。

    • 南アラビアのヒムヤル国王ズー・ヌワースがユダヤ教に改宗し、キリスト教徒を弾圧(ナジュラーンの迫害)。



  • 524年頃 - 東ゴート王国の執政官であったボエティウスが処刑される。この時期までに『哲学の慰め』が執筆される。

  • 525年

    • 東ローマ帝国の援助を得たアクスム王国がヒムヤル王国を滅ぼす。

    • 東ローマ帝国のエデッサで大洪水の被害、後にユスティノポリスと改名し再建される。
      • 城壁の再建の途中でキリストの「自印聖像(マンディリオン)」が発見される。




  • 525年頃


    • ナスカの地上絵が作成される(コロンビア大学のストロングによるC14法年代測定では誤差は±80年)。

    • コンスタンティノポリスで象牙製の二連板浮き彫り「大天使ミカエルの像(英語版)(大英博物館蔵)」が作成される( - 550年頃)。



  • 526年

    • 東ローマ帝国のアンティオキアで被害者25万人以上の大地震が発生。

    • 東ゴート王テオドリックが死去。テオドリックの娘アマラスンタの息子アタラリックが即位。



  • 527年


    • 筑紫国造磐井の乱起こる(『日本書紀』継体天皇21年)。

    • 梁の武帝が建康の同泰寺で最初の捨身を行う。


    • 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が即位( - 565年)。



  • 527年 - 565年頃
    • 皇帝ユスティニアヌスの命令でシナイ山に聖カタリナ修道院が建てられる


  • 528年


    • 筑紫国造磐井斬殺される(『日本書紀』継体天皇22年)。

    • 河陰の変で、北魏の爾朱栄が霊太后を倒し孝荘帝を擁立。



  • 529年

    • 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がアテネのアカデメイアを閉鎖し非キリスト教の哲学者を追放する。
      • 追放された哲学者たち(ダマスキオス、シンプリキオス、プリスキアノスら)はサーサーン朝ペルシア帝国へ亡命する。



    • ベネディクトゥスがイタリアのモンテ・カッシーノに修道院を創設。





530年代




  • 530年 - ユスティニアヌス1世が古代ローマ法の集大成である『ローマ法大全』編纂を命じる(533年完成)。

  • 531年

    • フランク王テウデリク1世とザクセン族の連合がテューリンゲン族を攻撃( - 533年)。

    • サーサーン朝ペルシア帝国でホスロー1世が即位( - 579年)し、サーサーン朝が最盛期を迎える。

    • 継体天皇死去、安閑天皇即位。
      • 継体天皇の陵墓として淀川水系に位置する今城塚古墳が有力視されている。




  • 532年 - 東ローマ帝国でニカの乱。

    • 皇帝ユスティニアヌス1世は退位逃亡寸前まで追いこまれるが、皇后テオドラの助力で反徒を武力鎮圧。

    • この後コンスタンティノポリス市街の再建が進められ、巨大な地下貯水池(バシリカ・シスタン)もこの時期に造られる。



  • 532年 - 東ローマ帝国とサーサーン朝ペルシアとの間に「永久平和条約」が結ばれ国境が固定化される。

  • 533年 - 東ローマ帝国が北アフリカのヴァンダル王国を征服。

  • 534年

    • フランク王国(パリ・ソワソン)がブルグンド王国を征服。

    • 東ゴート王国女王アマラスンタが廃位される。

    • 北魏が東魏と西魏に分裂。

    • 西魏の宇文泰が郷兵を結集し、府兵制が成立する。
      • これに伴い十二大将軍・八柱国の軍団が整備され、武川鎮軍閥(関隴集団)が結集する。




  • 535年


    • インドネシアのクラカタウ火山の爆発による地球規模の大異変が起きる。
      • 世界各地の古文書・年代記・伝承などに異常寒波・自然災害・飢饉・疫病が発生し、その結果政変や文明の崩壊がおきたことが記されている[1]


    • 東ゴート元女王アマラスンタが殺害され、東ローマ帝国が軍事介入を開始(ゴート戦争)。



  • 536年 - 安閑天皇死去、宣化天皇即位。

  • 537年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世によりニカの乱で焼失したハギア・ソフィア大聖堂が再建される。
    • 現存するイスタンブールの「アヤソフィア」は再建されたこの3代目の建物を指す。


  • 538年

    • 日本に仏教伝来(『上宮聖徳法王帝説』による)。

    • 百済の聖王が都を熊津から泗沘(現・忠清南道扶余郡)に遷す。



  • 539年 - 宣化天皇死去、欽明天皇即位。



540年代




  • 540年 - メキシコのエルチチョン火山の爆発。

  • 541年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世がローマ共和政以来の執政官(コンスル)を廃止する。

  • 543年 - 東ローマ帝国で「ユスティニアヌスのペスト(英語版)」が大流行。

  • 546年 - 東ゴート国王トーティラの軍勢がローマを略奪。

  • 546年頃 - ラヴェンナのサン・ヴィターレ聖堂が献堂される。

  • 548年 - 梁で侯景の乱。翌年には建康が陥落し梁の武帝が憤死。

  • 549年 - ラヴェンナ近郊のサンタポリナーレ・イン・クラッセ聖堂が献堂される。



550年代




  • 550年 - 北斉が東魏を滅ぼす。

  • 550年頃

    • インドでグプタ朝が完全に滅亡。


    • ネストリウス派の修道士により中央アジアから東ローマ帝国に絹の製法が伝えられる。



  • 552年

    • 北アジアで柔然が分裂する。突厥が建国される。

    • 日本に仏教伝来(『日本書紀』による)。



  • 553年 - 第2コンスタンティノポリス公会議で「三章問題」が討議されその著作が排斥される。

  • 554年

    • 東ローマ帝国がイタリアの東ゴート王国を征服。

    • 東ローマ帝国が西ゴート王国領イスパニア南部を征服。

    • 西魏が江陵を陥落させ、梁の元帝を殺害。

    • 管山城の戦いで新羅の真興王が百済の聖王を倒す。



  • 555年 - 北斉の文宣帝が柔然を撃破。西魏に亡命した一派も突厥により殲滅される。

  • 557年

    • 西魏に代わり北周がおこる。

    • 梁に代わり陳がおこる。



  • 558年 - サーサーン朝ペルシアのホスロー1世が突厥の室点蜜(イステミ)と同盟し、ブハラの戦いでエフタルを滅ぼす。



560年代




  • 560年 - 西ゴート国王アタナギルドがトレドに遷都。

  • 562年


    • カラクムルの「空を見る者」王がティカルのワク・チャン・カウィール王を倒しマヤの覇権を握る。


    • 任那地方を含む加羅諸国が新羅の支配下におかれ,日本の勢力は後退する。



  • 565年 - 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世が死去。

  • 567年 - ゲピド王国がランゴバルド人に征服され、国王クニムンドが殺害される。

  • 568年 - ランゴバルド人がイタリアに侵入し、アルボインを王とするランゴバルド王国を建国。
    • この年以降、ランゴバルド系のスポレート公国・ベネヴェント公国も成立し、東ローマ帝国領南イタリアと拮抗する。




570年代




  • 570年 - 福岡県元岡古墳群で出土した「大歳庚寅正月六日庚寅日時作刀凡十二果□」の銘文を持つ鉄製大刀が作られる。

  • 572年 - 欽明天皇死去、敏達天皇が即位。

  • 574年 - 北周の武帝の廃仏が始まる(建徳の廃仏、三武一宗の法難の一つ)。

  • 577年 - 北周が北斉を滅ぼし華北を統一する。



580年代




  • 580年頃 - スラヴ人が北ギリシャに侵入する。

  • 581年 - 中国で楊堅(文帝)が北周を滅ぼして隋を建国。「開皇律令」が公布される。

  • 582年 - 隋で都の大興城が整備され、仏教治国策として大興善寺が国寺として置かれる。

  • 583年

    • 突厥が東西に分裂する。

    • 隋の文帝が郡を廃止し、州県制を導入。

    • スラブ人やアヴァール人に追われた避難民によりペロポネソス半島のモネンバシア市が建設される。



  • 584年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがラヴェンナに総督府を設置。

  • 585年

    • 西ゴート王国がスエビ王国を滅ぼす。

    • 敏達天皇死去、用明天皇即位。



  • 587年 - 用明天皇死去、蘇我馬子が仏教受容反対派の物部氏を滅ぼす(丁未の乱)、崇峻天皇即位。

  • 588年 - 蘇我馬子の発願による日本最初の本格寺院の法興寺(飛鳥寺)の造営が始まる( - 596年)。

  • 589年

    • 隋が南朝の陳を滅ぼし、南北朝時代が終わり、中国が統一される。

    • 西ゴート国王レカレド1世がカトリックに改宗する。





590年代




  • 590年

    • ローマ教皇にグレゴリウス1世が即位。


    • アイルランドの修道士コルンバヌスがリュクスイユ修道院を建てる。



  • 591年 - 東ローマ皇帝マウリキオスがカルタゴに総督府を設置。

  • 592年

    • 隋で均田法が施行される。


    • 山西省太原南郊にソグド人を統括する検校薩保府の虞弘が埋葬される(隋代虞弘墓遺跡)。

    • 崇峻天皇が暗殺され、推古天皇が即位。聖徳太子が推古天皇の摂政となる。



  • 593年 - 聖徳太子の発願による四天王寺の造営が始まる。

  • 594年 - 法隆寺五重塔心柱のヒノキ材の伐採年代が年輪年代法によりこの年(推古2年)のものと判明している。

  • 596年 - 教皇グレゴリウス1世により修道士アウグスティヌスがイングランド宣教に派遣される。

  • 598年 - 隋で科挙が行われる。高句麗遠征(隋の高句麗遠征)に失敗する。

  • 599年 - 突厥の啓民可汗に隋の義成公主が嫁ぐ。



600年代



  • 600年 - 日本が第1回遣隋使を派遣(『隋書』倭国伝にみえるが、『日本書紀』に書かれていない)。


伝説・フィクションのできごと




  • 502年 - 514年 - 梁の武帝は風狂の僧宝誌を尊崇し、その肖像画を描かせるべく三人の画家を遣わした。宝誌が画家たちの前で自らの顔に裂け目を入れ、顔の皮を左右に拡げると、中から十一面観音菩薩の顔が現れた。かくして画家たちが描いた肖像画を見て武帝は再度宝誌を追うが、その姿を二度と見ることはなかった(『宇治拾遺物語』ほか。京都市西住寺の宝誌和尚像も有名)。


  • 502年 - 549年 - 梁の武帝の治世に活躍した画家の張僧繇が金陵安楽寺の壁画に龍を描き、ややあって目を書き入れたところ龍が画中から動き出し瞬く間に天上に駆け上っていった(張彦遠『歴代名画記』「画竜点睛を欠く」の故事)。


  • 564年 - 洛陽が北周軍に包囲された時、敵の策謀を疑い門は閉じられたままだった。救援に来た北斉の将軍高長恭(蘭陵王)が門前で兜を脱ぎ顔を晒したところ、類いまれな美貌を見て門兵が扉を開いた。以後もその美貌が兵卒たちの士気を下げることを恐れ、高長恭は常に異形の仮面をつけて戦い続けた(雅楽「蘭陵王」)。



時代の動向



東アジア



大陸


華北を統一していた北朝北魏の政権中枢が前世紀末に南遷し漢化政策を推し進めた結果、モンゴル高原から南下する柔然の侵攻からの国土防衛を担っていた六つの軍事駐屯地、すなわち鎮の軍隊が著しい地位低下に見舞われ不満を募らせた末に反乱を起こす(六鎮の乱)。戦乱の末に北魏は東西に分裂し、懐朔鎮出身の高歓率いる六鎮の主力と山東系の漢人貴族が結びついて北魏皇族を戴く東魏と、武川鎮出身の宇文泰率いる武川鎮軍閥が関中に拠って北魏皇族を戴く西魏が成立する。やがて東魏では高氏、西魏では宇文氏が皇位に登り北斉、北周が成立する。当初の劣勢を跳ね返した北周が北斉を下して華北を再統一するが、北周政府の実権を掌握したやはり武川鎮軍閥軍閥出身の楊氏(普六茹氏)への禅譲が行われて隋が成立し、この政権のもとで柔然に代わって北方から圧力をかけてくる突厥に内部離間を誘って東西分裂により弱体化させることに成功するとともに南朝の陳が征服され、西晋滅亡以来の南北朝統一が成る。



朝鮮半島



日本


日本では古墳時代後期にあたる。ただし、泊瀬部大王(後の崇峻天皇)が暗殺され異母姉の額田部皇女(後の推古天皇)が立てられた崇峻天皇5年(592年)以降、または厩戸王(後の聖徳太子)が摂政になった推古天皇元年(593年)以降は、飛鳥時代に区分される場合もある。



  • それまでのヤマト王権の王統嫡流が断絶し、誉田別尊大王(後の応神天皇)五世の子孫とされ越前と近江に地盤を持ち尾張連草香の娘を妃としていた男大迹王(後の継体天皇)が、大伴氏、物部氏、巨勢氏らにより畿内に迎えられて前王統の手白香皇女を皇后に迎え、治天下大王として擁立される。やがてこの継体系の王家は新興の蘇我氏と結びつき、武川鎮軍閥系の政権によって大陸が華北の再統一から南北朝の統一へと向かう中、前世紀の「倭の五王」後に途絶えていた活発な東アジア外交を再開する。

  • 考古学の発掘研究によればこの世紀の半ばになって日本列島での鉄鉱石からの製鉄遺構が初めて出現する。同時期に大陸では倭国が弥生時代以来鉄素材の供給源としていた弁韓の後身加羅諸国が新羅に併合されている。

  • 前世紀に九州などで造られ始めていた古墳の横穴式石室が全国規模で普及する。

  • この世紀の後期になると畿内では前方後円墳がつくられなくなり、前方後円墳の伝統を保持していた天皇陵含む大型古墳も渟中倉太珠敷大王(後の敏達天皇)の陵墓を最後に以後方墳となる。関東でも群集墳が盛んに造られるようになる。ヤマト王権中央、さらには地方首長の統治下でも仏教の導入が進行し、前方後円墳と結びついていた首長祭祀は以後氏寺における仏教儀礼が担うようになる。



西アジア



南アジア



東南アジア



ヨーロッパ



人物



地中海世界とヨーロッパ



イタリア(東ゴート王国からランゴバルド王国まで)




  • ディオニュシウス・エクシグウス(470年頃 - 544年) - ローマの神学者・教会法学者・キリスト紀元(西暦)を案出。


  • ヌルシアのベネディクトゥス(480年頃 - 547年) - 西方教会における修道制の創設者・モンテ・カッシーノ修道院を建立。


  • ボエティウス(480年頃 - 524年頃) - 東ゴート王国の執政官で哲学者・神学者。著作に『哲学の慰め』がある。


  • カッシオドルス(485年頃 - 585年頃) - 東ゴート王国の執政官で哲学者・神学者。ウィウァリウムの修道院に隠棲する。


  • トーティラ(? - 552年) - 東ゴート国王(在位541年 - 552年)・ゴート戦争で東ローマ帝国軍に抵抗しタギナエの戦いで戦死。


  • アルボイン(526年? - 572年) - ランゴバルド王国の初代国王(在位560年 - 572年)・東ローマ支配を覆す。

  • フォルトゥナトゥス(530年頃 - 610年頃) - イタリアのラテン詩人・聖十字架の賛歌「王の旗が進む」や『聖ラデグンディス伝』がある。


  • グレゴリウス1世(540年 - 604年)- ローマ教皇(在位590年 - 604年)・ゲルマン系諸民族への宣教を推進。



フランク王国




  • クロタール1世(497年 - 561年) - メロヴィング朝フランク王国ソワソンの王(在位511年 - 561年)・ブルグンド王国を滅ぼす。


  • テウデベルト1世(500年頃 - 547年/548年) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王。


  • テウデバルド(535年 - 555年) - メロヴィング朝フランク王国のランス(アウストラシア)王・テウデベルト1世の子。

  • フレデグンデ(? - 597年) - フランク王国ネウストリア王キルペリク1世の王妃・ブルンヒルデの政敵。


  • ブルンヒルド(543年頃 - 613年) - フランク王国アウストラシア王シギベルト1世の王妃・フレデグンデの政敵。

  • ゲルマヌス(496年 - 576年) - パリ司教・フランク王国のキリスト教化につとめサンジェルマン・デ・プレ修道院にその名が残る。


  • トゥールのグレゴリウス(530年頃 - 594年頃) - フランク王国の司教・年代記作家で『歴史十巻(フランク史)』の著者。

  • アルルのカエサリウス(468年/470年 - 542年) - レランスの修道院長・アルルの司教・ガリア教会の復興を指揮する。



イングランド・アイルランド




  • クロンファートのブレンダン(484年頃 - 578年頃) - アイルランドの修道士・各地への宣教で知られ『聖ブレンダンの航海』で伝説化される。


  • ギルダス(494年/516年 - 570年) - イングランドの司祭・その知識と文才で「賢明なるギルダス」と呼ばれ著作『ブリトン人の没落』を残す。


  • コルンバ(521年 - 597年) - アイルランド出身の修道士・アイオナ修道院を創建し各地へ宣教・コルンバヌスは弟子。


  • カンタベリーのアウグスティヌス(? - 604年/605年)- 初代カンタベリー大司教・ケント国王エゼルベルフトを洗礼する。



西ゴート王国



  • セビリャのレアンデル(549年以前 - 599年/601年) - セビリャ大司教・国王レカレド1世の改宗に活躍・後継の大司教イシドールスは実弟。


  • レカレド1世(559年頃 - 601年) - 西ゴート王国国王(在位586年 - 601年)・アリウス派からカトリック教会に改宗。



東ローマ帝国




  • ユスティニアヌス1世(482年 - 565年) - 東ローマ皇帝(在位527年 - 565年)。東ローマ帝国の最大版図を築いた。


  • テオドラ(500年頃? - 548年)- 東ローマ皇帝ユスティニアヌス1世の皇后。ニカの反乱で窮地に至った皇帝を励ます。


  • マウリキウス(539年 - 602年) - 東ローマ皇帝(在位582年 - 602年)・帝国再建のため各地に総督府を設置・フォカスに暗殺される。


  • ベリサリウス(505年 - 565年) - 東ローマ帝国の将軍・サーサーン朝やヴァンダル王国/東ゴート王国との戦いに勝利。


  • ナルセス(478年 - 573年) - 東ローマ帝国の政治家・宦官・将軍。解任されたベリサリウスを継ぎイタリアの東ゴート王国を征服。


  • カイサレイアのプロコピオス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の歴史家。ユスティニアヌスの再征服に関する『戦史』『秘史』の著者。


  • ヨルダネス(英語版)(? - 578年頃) - 東ローマ帝国の歴史家。『ゴート人の歴史』はゴートに関する最重要史料。


  • トリボニアヌス(? - 543年/545年) - 東ローマ帝国の法務官僚。『ローマ法大全』を編纂。


  • アンティオキアのセウェロス(465年頃 - 538年) - アンティオキア総主教・非カルケドン派を指導し合性論を構築する。

  • ヤコボス・バラダイオス(500年頃? - 578年) - 東ローマ帝国のエデッサ司教・単性論ヤコブ派教会をシリアで組織する。


  • ダマスキオス(英語版)(458年頃 - 538年以降) - アテネのアカデメイア学園最後の学頭。ユスティニアヌス帝の学園封鎖に立ち会う。


  • ヨハネス・ピロポノス(490年 - 570年) - アレクサンドリアの哲学者・アリストテレスの注釈批判を行う・後年は神学者として『証人』を執筆


  • トラレスのアンテミオス(474年 - 534年) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・ハギア・ソフィア大聖堂を設計し建立する。


  • ミレトスのイシドロス(生没年不詳) - 東ローマ帝国の建築家・数学者・トラレスのアンテミオスと協力しハギア・ソフィア大聖堂を建立。


  • カエサレアのプリスキアヌス(生没年不詳) - 東ローマ帝国で活躍した北アフリカ出身のラテン文法学者・『文法学教程』は後世に影響。


  • コスマス・インディコプレウステース(生没年不詳) - エジプト出身の商人・修道士・インド洋貿易にまつわる『キリスト教地誌』を残す。



西アジア



  • マズダク(? - 524年/528年) - サーサーン朝の宗教家・マズダク教の開祖・カワードに庇護されるがホスロー1世に弾圧される。


  • ホスロー1世(? - 579年) - サーサーン朝ペルシア帝国のシャー(在位531年 - 579年)・中央アジアや東ローマへの対外遠征を行う。

  • アンタラ・イブン・シャッダード(525年 - 608年) - ジャーヒリーヤ時代のアラビアの英雄・詩人としても有名で『アンタラ物語』のモデル。



中央アジア




  • ミヒラクラ(英語版)(? - 533年以降) - エフタルの王(在位512年 - 528年頃)・大規模な仏教弾圧を実施。


  • 木汗可汗(? - 572年) - 突厥の可汗(カガン)(在位553年 - 572年)・柔然を滅ぼしエフタルを攻略して突厥に最盛期をもたらす。

  • バヤン(? - 602年) - アヴァールの王(カガン)(在位562年 - 602年)・ドナウ川を渡りゲピド王国を倒しアヴァール王国を建国。



南アジア




  • アリヤバータ(476年 - 550年頃) - インドのグプタ朝の数学者・天文学者・著作『アーリヤバティーヤ』では円周率の近似値などに言及。


  • ディグナーガ(陳那)(480年頃 - 540年頃) - インド仏教の有相唯識派の学僧・「因明学」と呼ばれる仏教論理学を確立した。

  • プラケーシン1世(? - 566年) - インド・デカン高原の前期チャールキヤ朝の初代君主(在位543年頃 - 566年)。


  • バーヴァヴィヴェーカ(清弁)(490年頃 - 570年頃) - インド仏教の中観派の学僧・空の思想を積極的に論証する(自立論証派)。


  • ダンディン(6 - 7世紀) - インドの文人・小説『ダシャクマーラチャリタ(十王子物語)』や詩論『カーヴィヤーダルシャ(詩作の鏡)』がある。



東アジア



南朝




  • 蕭衍(464年 - 549年) - 南朝梁の初代皇帝(武帝)(在位502年 - 549年)・仏教保護政策により「皇帝菩薩」と称される。


  • 朱异(483年 - 549年) - 南朝の梁の政治家・東魏から亡命した将軍侯景を受け入れ反乱を誘発させた。


  • 侯景(503年 - 552年) - 北朝東魏から南朝梁へ降った軍人・侯景の乱を起こし建康を占領・梁の武帝を餓死させる。


  • 宝誌(418年 - 514年) - 南朝宋から梁の僧侶・神異や予言で知られ「野馬台詩」の作者に擬せられる。


  • 陶弘景(456年 - 536年) - 南朝梁の医学者・科学者・梁の武帝の信任が厚く「山中宰相」とも呼ばれる。著作に『真誥』など。

  • 劉勰(466年? - 532年) - 南朝梁の文学評論家。中国で最初の体系的な文芸理論書『文心雕竜』を著す。


  • 周興嗣(470年? - 521年) - 南朝斉から梁の官僚・文章家・初学者の漢字習得用テキスト『千字文』の撰者。


  • 慧皎(497年 - 554年) - 南朝梁の僧侶・後漢から梁までの中国僧の事跡を集めた『高僧伝』の撰者。


  • 昭明太子(501年 - 531年) - 南朝梁の武帝の皇太子・文章家・詩文のアンソロジー『文選』の撰者。


  • 達磨(ボーディダルマ)(? - 528年頃?) - インド出身の僧侶で禅宗の開祖。梁の武帝と交流があったか。


  • 王僧弁(? - 555年) - 南朝梁の将軍・侯景の反乱を鎮圧し元帝を擁立・江陵失陥後は陳霸先と対立し敗死する。


  • 陳霸先(503年 - 559年) - 南朝陳の初代皇帝(武帝)(在位557年 - 559年)。王僧弁の残党の反乱に苦慮する。


  • 徐陵(507年 - 583年) - 南朝梁から陳の文学者・政治家・梁の太子蕭綱(後の簡文帝)の命で『玉台新詠』を編纂。



北朝




  • 鄭道昭(? - 516年) - 北朝北魏の官僚・書家・六朝楷書の代表作である「鄭文公碑」が残る。


  • 宋雲(活躍時期518年 - 522年) - 北朝北魏の官僚(僧官か)・西域からインドに赴き経典を求めた・『宋雲行記』が残る。


  • 酈道元(469年 - 527年) - 北朝北魏の官人・地理学者として『水経注』をまとめる。


  • 曇鸞(476年 - 542年) - 北朝北魏の僧侶・中国浄土教の祖・道綽や善導さらに法然や親鸞に影響・著作に『浄土論註』がある。


  • 爾朱栄(493年 - 530年) - 北朝北魏の軍人・河陰の変で霊太后を倒し六鎮の乱を鎮圧して北魏の全権を掌握。


  • 高歓(496年 - 547年) - 北朝北魏の政治家・孝静帝を擁立し鄴に東魏政権を立てる・子孫は北斉の皇帝となる。


  • 宇文泰(505年 - 556年) - 北朝北魏の政治家・孝武帝を擁立し長安に西魏政権を立てる・子孫は北周の皇帝となる。

  • 賈思勰(活躍時期532年頃 - 549年頃) - 北朝北魏の官僚・中国最古の総合的農書『斉民要術』をまとめる。


  • 楊衒之(生没年不詳) - 北朝北魏末から東魏の人・洛陽の仏寺の繁栄を記録した『洛陽伽藍記』の撰者。


  • 斛律光(515年 - 572年) - 北斉の将軍・宰相・高長恭とともに北斉を支えるが後主によって粛清される・「落鳥都督」と呼ばれる


  • 高長恭(541年 - 573年) - 北朝北斉の皇族(蘭陵王)・武勲がありながら「音容兼美」と称され雅楽「蘭陵王」のモデルとなる。


  • 武帝(543年 - 578年) - 北朝北周の皇帝(在位560年 - 578年)・北斉を滅ぼし北中国を統一・周武の法難(廃仏)を実施。


  • 衛元嵩(生没年不詳) - 北朝北周の廃仏論者・もとは予言をする風狂の僧として知られ後に還俗・北周武帝の廃仏に影響を与える。







  • 顔之推(531年 - 591年以降) - 南北朝時代から隋の学者・著書に『顔氏家訓』がある。孫は唐に仕えた顔師古。


  • 智顗(538年 - 597年) - 南北朝時代から隋の僧侶・天台宗の第三祖(事実上の開祖)・智者大師・著書に『摩訶止観』がある。

  • 信行(540年 - 594年) - 北朝北斉から隋の僧侶・三階教の開祖・長安真寂寺(化度寺)に招かれるが死後に宗派は弾圧される。


  • 楊堅(文帝)(541年 - 604年) - 隋の初代皇帝(在位581年 - 604年)・陳を滅ぼし南北朝を統一・その治世が「開皇の治」。



朝鮮




  • 武寧王(462年 - 523年) - 百済の第25代国王(在位502年 - 523年)・宋山里古墳群の武寧王陵からは墓誌や副葬品が発見される。


  • 聖王(聖明王)(? - 554年) - 百済の第26代国王(在位523年 - 554年)・日本に仏教を伝える(仏教公伝)・新羅との戦いで戦死。



日本




  • 継体天皇(450年? - 531年) - 第26代天皇(在位507年 - 531年)。


  • 筑紫君磐井(? - 528年?) - 古墳時代末の九州北部の豪族・磐井の乱を起こす。


  • 大伴金村(生没年不詳)- 古墳時代末の豪族・大連・朝鮮半島での任那滅亡に伴い失脚。


  • 欽明天皇(509年 - 571年) - 第29代天皇(在位539年 - 571年)・この時代に仏教公伝。


  • 物部守屋(? - 587年) - 飛鳥時代の豪族・大連・崇仏論争で排仏を唱え丁未の乱で滅ぼされる。


  • 蘇我馬子(551年? - 626年) - 飛鳥時代の豪族・大臣(嶋大臣)・崇仏論争で崇仏を唱え丁未の乱に勝利。


  • 司馬達等(生没年不詳) - 飛鳥時代の渡来人・娘に日本最初の出家者善信尼、孫に仏師鞍作止利がいる。


  • 推古天皇(554年 - 628年) - 第33代天皇(在位592年 - 628年)・日本最初の女帝。


  • 聖徳太子(厩戸皇子)(574年 - 622年) - 推古天皇の摂政・用明天皇の皇子。



脚注


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注釈



出典




  1. ^ 石弘之著『歴史を変えた火山噴火ー自然災害の環境史ー』刀水書房 2012年 84ページ




参考文献



関連項目


  • 年表


外部リンク



  • ウィキメディア・コモンズには、6世紀に関するカテゴリがあります。





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